おやぢの部屋2
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DEBUSSY,細川俊夫
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Jun Märkl/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.570775



ジャケットには風景や名画を載せることはあっても、アーティストの写真などはまず使うことのないこのレーベルが、でかでかとこの指揮者とオーケストラの写真を載せているというだけで、彼らのセールスをメーカーサイドがいかに期待しているかがうかがえます。2005年からこのオーケストラ、リヨン国立管弦楽団の音楽監督に就任した準メルクルは、あのN響ともしばしば共演していますから、知名度も申し分ありませんし。もちろん、ローワン・アトキンソン似のそのマスクも、めくるめくおばさまたちをとらえて離さないフェロモンを放っています。
曲目は、このオーケストラが確か先々代の音楽監督クリヴィヌの時にDENONに録音していたドビュッシーの名曲集と、その中の「海」つながりでしょうか、細川俊夫の新作「循環する海」というもの、なかなか凝った選曲です。
まずは、ドビュッシーの「海」。いきなり聞こえてきたのは、マルチマイクによる大変解像度の高い管楽器の響きでした。それは、いかにも生々しいものに感じられます。ドビュッシーが仕掛けた絶妙のオーケストレーションが、ちょっとセンスのないこの録音によって損なわれなければ良いのですが。しかし、なぜかその荒っぽい録音は、この演奏には極めてマッチしたものであることが、次第に分かってきます。メルクルは、決して楽器の音を混ぜて曖昧な響きを作るというようなダサいことはせず、ひたすら各パートが奏でる音楽をクリアに主張させようとしていたのです。メルクルがフランスのオーケストラを使って、フランスの作曲家の作品から引き出そうとしたコントラプンクトの世界、これはすごいものがあります。その結果、この曲からは普通のフランスのオーケストラだったら例外なく味わわせてくれる「ほのかな香り」のようなものは一切聴くことが出来なくなってしまいました。それに代わって姿を現したのは、明晰な骨太のテクスチャー。それはそれで一つの魅力には違いありません。
そういう趣旨ですから、まさに「匂うような」音楽を期待して「牧神の午後への前奏曲」を聴こうとすると、軽い失望感を味わうことになります。ここでソロを任されたフルーティストは、自分がフランスのオーケストラのメンバーであることを殆ど忘れているのか、あるいは意図して「フランス的」(それがどんなものか、などとは聞かないで下さい)であることを拒んでいるのか、とにかく徹底して素っ気のない演奏に終始しているのですからね。例えば、カラヤン指揮のベルリン・フィルで、カールハインツ・ツェラーがソロを吹くという、とことん「ドイツ的」な演奏の方が、これに比べればよっぽど「フランス的」だと思えるほどの、それはフランスのオーケストラとは思えないような不思議な味わいを持ったものなのでした。
細川作品は、2005年にザルツブルク音楽祭の委嘱で作られたものです。初演はその年にゲルギエフ指揮のウィーン・フィルによって行われましたが、録音としてはこれが「世界初」となるものです。シリアスな曲ばかりを書いているという印象の強い細川ですが、最近は少し作風が変わってきたのでしょうか。この曲などではなんの引っかかりもない、まるで映画音楽のような自然描写の世界が広がっています。「笙」を思わせる不思議な響きも、われわれにとっては心地よいもの、心の奥から聞こえてくる「それがいったいどうしたというのだ」という声さえ無視すれば、十分に楽しめるものでしょう。「細川よ、おまえもか」という声も、聞かなかったことにしましょうか。
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by jurassic_oyaji | 2008-01-23 20:28 | オーケストラ | Comments(2)
Commented at 2008-01-26 00:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by jurassic_oyaji at 2008-01-26 09:35
Arwenさん、ご指摘ありがとうございました。
確かに・・・