おやぢの部屋2
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An Organ Treasure
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Andreas Götz(Org)
OEHMS/OC 622(hybrid SACD)



オルガン(もちろん、パイプオルガン)という楽器は、そもそもは教会の中で演奏するために作られたものでした。しかし、時代が進むに従って、このオルガンはひとつの独立した楽器として、コンサートホールの中に進出していくことになります。時には、オーケストラの中のひとつのパートとして演奏されることすら現実のものとなっていくのです。サン・サーンス、プーランク、リヒャルト・シュトラウス、そしてマーラーなどの作曲家は、彼らのオーケストレーションの仕上げを、この楽器の壮大で輝かしい響きに託したのでした。
そんな、教会の中にあった時とは自ずと音色や音量も変わらざるを得なくなってしまった時代のオルガンの響きを聴いてもらおう、というのが、このアルバムのコンセプトなのでしょう。ただ、実際にここで登場する、かつてミュンヘンのコンサートホールに設置してあったオルガンは、現在では決してその頃と同じ音色を保っているわけではありません。1887年にメルツというビール好きの(それは「モルツ」)ビルダーによって制作されたこの楽器は、ホールへの新しい楽器の設置によって1907年には同じ市内にある聖ルペルト教会へ移設されてしまうのです。その際にメルツ自身の手によってパイプを増やすなどの手を加えられただけでなく、それから今日に至るまで、このオルガンは幾度となく改修を施されて、殆ど原形をとどめないほどになっています。このジャケットの写真が現在の楽器のファサードですが、それは教会に移設された当初のファサード(ケースの中に、その図面があります)とは似ても似つかないものなのです。
そんな、作られた当初はどんな音がしていたかなどということはもはや知るよしもないこのオルガンですから、そのような歴史的な価値を云々することにはなんの意味もないのは明らかです。ここではあくまでも、肥大の一途をたどったひとつのオルガンの今の姿を謙虚に味わうべきなのでしょう。
このオルガンにとって幸せだったのは、この教会のアコースティックスがとてつもなく豊かだったことでしょう。なにしろ、その残響たるやとても単なる「残響」とは言えないもので、音を出すのをやめても新たに音がわき出てくるといった感じがするほどたっぷりとしたものです。「残響時間」は優に10秒以上はあることでしょう。そこでは、もともと多彩だったオルガンの音はさらに混濁の度を加え、えもいわれぬ厚ぼったい音のかたまりとなって迫ってきます。
確かに、ここで演奏されている19世紀のマスターピースにおいてこそ、この特異な音響はその存在価値を発揮することでしょう。ブルックナーの「前奏曲とフーガハ短調」での分厚い響き、リストの「『泣き、悲しみ、悩み、おののき』の主題による変奏曲」での甘美な叙情性、ラインベルガーの「オルガン・ソナタ第9番」での旋律の美しさ、そして、バッハのカンタータ140番の有名なテーマが現れるレーガーの「『目覚めよと呼ぶ声あり』による幻想曲」での重厚さなどが、見事にこのオルガンによって表現されています。
しかし、この中で唯一20世紀の作品であるヴィンツェンツ・ゴラーの「祝祭前奏曲」こそは、この楽器の特性を最大限に発揮したものであるとは言えないでしょうか。この曲の初演の場は、1937年にドイツの英霊が祀られている「ヴァルハラ」にブルックナーの胸像が移設されるという第三帝国の権威を象徴するようなイベントの際に、ヒットラーやゲッペルスも臨席して開催されたコンサートでした。そこで、ブルックナーの交響曲第5番とともに演奏されたこのオマージュ作品、その中で高らかに響き渡る、その交響曲の第4楽章のコラールの応酬は、分厚いストップと歯止めのきかない残響とによって、まるで右翼の街頭宣伝のような有無を言わせぬ力を放っています。先日のDVDではありませんが、これほど「洗脳集会」にふさわしい音楽もありません。サラウンドで聴いたとしたら、その力はさらに絶大に感じられることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-03 21:46 | オルガン | Comments(0)