おやぢの部屋2
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BARTÓK/Bluebeard's Castle
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Andrea Meláth(MS)
Gustáv Belácek(Bas)
Marin Alsop/
Bournemouth Symphony Orchestra
NAXOS/8.660928



ペローなどの童話でおなじみの「青ひげ」の物語は、お金持ちと結婚した娘が、「決して開けてはならない」と言われている秘密の部屋を、募る好奇心のあまりに開けてしまったために、男の正体を知ってしまうというお話しでしたね。ペローの場合は、娘の機転で男は捕まってしまい、その男の財産は娘のものになるといういわばハッピー・エンド(?)ですが、もちろんこのような民話には多くのヴァリアントが存在しています。ベーラ・バラージュがハンガリー語で書いた舞台作品のための台本では、娘は男のモトカノたちと一緒に秘密の部屋に幽閉されてしまうという残忍な結末になっています。
そのバラージュの台本に音楽を付けたのが、バルトークです。出来上がったオペラは、そんな救いようのないプロットを反映して、華やかさとは無縁のとことん暗いものに仕上がりました。曲全体を支配するのは、まるで霧のかかった闇の奥でなにかがうごめいているような不安感。時折聞こえるスペクタクルなパッセージも、その暗さを際だたせるものに過ぎません。
そこでバルトークがテキストに与えた旋律は、ハンガリー語のイントネーションとリズムを、まるでそのまま音にしたような、殆ど語りに近いものでした。その結果、必然的にその言葉たちは、それが話されている地方の民謡そのもののようにならざるを得なくなったのです。
オールソップ(彼女はかつて、ブロードウェイのピットの中でヴァイオリンを弾いていたのですね。この前の「スウィーニー・トッド」のオリジナル・キャスト盤に、しっかりクレジットされていました)が、彼女のオーケストラでのコンサートで、ユーディットとしてハンガリー出身のメラートをキャスティングしたことは、この作曲者のプランからは理想的な展開となりました。彼女の歌は、オペラティックな叫びである前に、まさにハンガリー語としての的確な抑揚を伴った、しっかりとしたメッセージとなっていたのです。このメゾソプラノは、ネイティブ・スピーカーの特権を存分に発揮して、その言葉に確かな命を与えました。その淡々とした語りは、聴くものに間違いなくこの物語の本質を伝えることに成功していたはずです。
青ひげ役は、スロヴァーク出身のベラーチェク。この人も 大げさな身振りを極力抑えた表現に徹しているように見えます。例えば、第2の扉の場面でのハープの前奏に乗って現れる青ひげの歌は、おそらくこの作品の中で最も美しいメロディラインを持ったもののはずです。しかし、ここで彼は決して歌いすぎることはなく、あくまで語ることに専念しています。第6の扉を開けて湖が見えたときに彼が発する「könynyek(涙)」という言葉からも、他のバス歌手にありがちな誇張が全くないために、逆に静かな恐ろしさが自ずと伝わってきます。
ソリストたちがそのようなストイックな態度を貫いた分、この指揮者の作り出す音楽からはより豊かなリリシズムが発散されることになりました。この、重苦しく冷たいバルトークのスコアから、彼女は一抹の清涼感のようなものさえ導き出していたのです。第5の扉を開けて眼前に広大な領地が広がった瞬間に鳴り響く壮大なファンファーレは、単に威圧的な和音の連続ではなく、滑らかにつながるメロディアスなコラールとして耳に届いてはこないでしょうか。
オールソップという、童話作家のような名前(それは「イソップ」)の指揮者によってこの作品がそのような多少軽快な身振りを獲得したとき、そこには原作の童話の世界が広がります。そこから、好奇心のために身を滅ぼすのは、なにも女性に限ったことではないのかもしれない、という発想がもし生まれたとしたら、團伊玖磨の「夕鶴」の原作である民話の「鶴の恩返し」も、きっと「青ひげ」の一つのヴァリアントだと思えてくることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-05 20:14 | オペラ | Comments(0)