おやぢの部屋2
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BRUCKNER/IV. Symphonie Es Dur
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Enoch zu Guttenberg/
Orchester der KlangVerwaltung
FARAO/S 108051(hybrid SACD)



グッテンベルクの手兵として、ドイツ国内のメジャー・オーケストラから集まったメンバーによって1997年に作られたこのオーケストラの演奏は、主に声楽曲で何枚かのアルバムを聴いたことがありました。合唱団ともども、見事に指揮者の思いを音にしているという幸せな関係が築かれているという、なかなか聴き応えのあるものでしたね。モダン楽器を使っていますが、極力ピリオド・アプローチを試みているような印象も受けました。
そんなチームのブルックナーです。ウィーンのムジークフェライン・ザールでのコンサートのライブ録音ということで、ブックレットにはその時の写真が載っています。それを見ると、セカンド・ヴァイオリンが上手に来るという対向型で、コントラバスが後ろの正面に1列に並んでいるのですが、それが6本ですから、おそらくファースト・ヴァイオリンが14人の「14型」なのでしょう。「16型」もしくは「18型」がご推奨のブルックナー業界では、ちょっと少なめな弦楽器です。
確かに、オープニングの弦楽器のトレモロはあまりにも小さな音なので殆ど聞こえないほどでした。しかし、次第にこの指揮者の絶妙なバランス感覚が発揮されてきて、しかるべき時にはしっかりその音を主張するようになってきます。どうやら、ヴィブラートは付けないで演奏させているようですね。しかし、あのノリントンのように全ての音に完全に付けないというのではなく、特にヴァイオリンあたりには必要に応じて付けさせているようにも聞こえます。つまり、ヴィブラートの多寡をひとつの表現手段として使っているのでしょう。
そんな、ヴィブラートの使い分けがとりわけ効果的なのが、第2楽章です。チェロやヴィオラが延々とパートソロを繰り広げる部分では、まさにノリントンのようなノン・ヴィブラートが貫かれ、そこから生まれる独特の禁欲的なフレーズ感が言いようのない魅力となって現れています。弦楽器だけのコラール風のパッセージも、ハーモニーが見事に決まったピュアな響きを堪能できます。ですから、そんな中からほんの少しでもヴィブラートがかかったヴァイオリンなどが聞こえて来ようものなら、それはとびっきりのセクシーさを伴ったものとなるのです。
音楽の作り方は、まさに指揮者の思いがストレートに伝わってくるものでした。テンポの揺れなども自由自在、ちょっと気まぐれなところもありますが、それはしっかりと積み重ねられたリハーサルの結果であることが分かるだけの説得力に富むものです。そして、どんな目立たないフレーズでも全てのものにしっかり意味が込められていることが良く分かります。第2楽章に出てくるフルートのソロの「ソ・ソ・ミ・レ・ミ・ド」という高音の音型が2回続くところで、2回目を思い切り小さく吹く、などというところに、ハッとさせられる瞬間が潜んでいたりするのです。こんな刺激的なブルックナーは久しぶり、もちろんアーノンクールのような中身のないこけおどしとは全く次元の異なる世界の演奏ですから、十分に満足させて頂きましたよ。
ところで、ジャケットには「1887-1889 Dritte Fassung」と記載されていますが、これは完全な誤りです。この演奏はごく普通のノヴァーク版に従ったものです。ブックレットに「スコアはKalmusを使用」とありますから、もしかしたらハース版を指揮者の裁量で手直ししたものかもしれませんが、いずれにしてもフェルディナント・レーヴェによってあちこちにオーケストレーションの拡大やカットの手が加えられた「Dritte Fassung(第3稿)」でないことだけは、だれの耳にも明らかです。このレーヴェ、いやレーベルの代理店が小売店向けに作ったインフォ(それはネットで容易に見ることが出来ます)にも「近年再評価のきざしがみられるレーヴェ改訂版を採用」などという惹句が見られますが、1度でもこのアルバムを聴いていればそんなデタラメは書けないはずでしょうに。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-07 19:46 | オーケストラ | Comments(0)