おやぢの部屋2
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GERSHWIN/Rhapsody in Blue
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Pascal Roge()(Pf)
Bertrand de Billy/
Radio-Symphonieorchester Wien
OEHMS/OC 623



2004年にリリースされたロジェとド・ビリーによるガーシュウィンとラヴェルのピアノ協奏曲集(OC 601)は、このオーケストラのフットワークの良さが良く現れていたなかなか素敵なアルバムでした。まるで球をはじくような感じ(それは「ビリヤード」)、ロジェのピアノともども、ガーシュウィンの軽快なリズムがとても心地よく感じられたものですし、ラヴェルのコンチェルト(ト長調の方)も颯爽たるものでした。
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今回はその続編、ガーシュウィンは「ラプソディ・イン・ブルー」と、「パリのアメリカ人」、ラヴェルは「左手のための協奏曲」というラインナップです。
この二人の作曲家を並べて演奏するというちょっと面白い企画、そこからは、特にガーシュウィンについて、確かに今まで感じられなかったような一面を発見することができるのではないでしょうか。ガーシュウィンといえば、あくまでミュージカルなどが本業の、いわばショービジネス界の作曲家としての評価が一般的なものです。そういう人が「クラシック」の曲を作ること自体が、ある種の「色目」のように感じられるはず、事実、彼のスキルはクラシックの作曲家としては決定的に欠けていて、オーケストレーションも他人の手を頼らざるを得ない状態でした。もちろん、ショービズ界ではそのような職人技は専門の人にゆだねるという分業制が確立していますから、なんの不自由もないのですが、クラシックの作曲家として認知されるためには、それも自分でやれるようにならないことには相手にはされません。そこで彼は、自前で指揮者とオーケストラを雇って、実際に自分のスコアを音にして、色々試してみるという涙ぐましい努力もすることになるのです。今だったら、Finaleで簡単にスコアを聴くことが出来るのでしょうがね。
そんな風に、彼のオーケストラのための作品には、ある意味コンプレックスのようなものが反映されている気がしてならないのですが、どうでしょう。ですから、ここで協奏曲のカップリングとして収録されている「パリのアメリカ人」という、自分の手でオーケストレーションまで仕上げた曲を聴くときには、いつも「クラシック」としてはちょっと物足りない、言ってみれば「セミ・クラシック」のようなおもむきを感じていたものです。しかし、ここでド・ビリーによって演奏されたその曲には、そんな先入観を払拭するような、紛れもない「クラシック」としての姿があったのです。例えば、中で聞こえてくる自動車のクラクションの音さえも、単なる効果音ではない、確かな「楽器」の音として聞こえてはこないでしょうか。ブルーノートを多用したトランペット・ソロからも、荒削りなジャズではなく、まさにラヴェルを始めとしたその当時の作曲家が引用していた「イディオムとしてジャズ」のテイストが感じられることでしょう。そう、これはまさに、ガーシュウィンその人が求めてやまなかった「クラシック」というか、もはや死語でしょうが「純音楽」としての「パリのアメリカ人」が、見事に再現された演奏に他ならないのではないでしょうか。
従って、「ラプソディ・イン・ブルー」からも、本来ジャズのビッグ・バンドがバックであったものを無理矢理シンフォニー・オーケストラに置き換えたところからくる居心地の悪さは全く解消されることになりました。ここではグローフェのスコアは、作曲者が教えを請いたいと願ったラヴェルのものと同じ次元のものとして鳴り響いているのです。もちろん、ロジェのピアノ・ソロも、新大陸の黒人音楽ではなく、あくまでヨーロッパの文化の帰結としてのエレガンスに満ちたものであったことが、その大きな要因であったことは間違いありません。彼の醸し出すスウィング感の、なんと優雅なことでしょう。
こういう演奏を聴いてしまうと、明らかにこの曲をパクった「篤姫」のテーマが、なんとも安っぽく聞こえてはきませんか?
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by jurassic_oyaji | 2008-03-09 23:00 | オーケストラ | Comments(0)