おやぢの部屋2
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MOZART/Symphonies 38-41 etc.
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Charles Mackerras/
Scottish Chamber Orchestra
LINN/CKD 308(hybrid SACD)



MOZART
The Last Concertos
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Andreas Staier(Fp)
Lorenzo Coppola(Cl)
Gottfried von der Goltz/
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMC 901980



全くの偶然なのでしょうが、ほぼ同じ時期に、同じ絵画をジャケットに使ったCDが発売されました。その絵画というのは、イグナツ・ウンターベルガーという画家が1784年頃に描いたとされる「ウィーンのフリーメーソン支部における歓迎儀式」という作品です。ジャケットではそれぞれ一部分しか使われてはいませんが、全体はこんな絵です。「ダ・ヴィンチ・コード」で一躍有名になったこの秘密結社の集会を描いたものですが、あちこちにこの結社のシンボルであるモチーフが見つかりますね。
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なぜ、モーツァルトのアルバムに揃いも揃ってこの絵が使われたかというと、この中の一番右側に座っている人がモーツァルトその人ではないか、と言われているからです。あんまり似てませんが、おそらく確かな根拠があるのでしょう。
素材が同じジャケットだからと言って、この2つのアルバムが内容までが同じだと言うわけではありません。それどころか、それぞれのアーティスト、マッケラスとゴルツは、ここではモーツァルトに対してまさに正反対のアプローチを試みているのではないかとさえ思えるほどの異なりようを示しています。
38番から41番までという、最後の4つの交響曲を演奏しているマッケラスと、彼が桂冠指揮者を務めるスコットランド室内管弦楽団は、モーツァルトから「悦び」を引きだしているように思えます。木管楽器はモダン楽器、しかし金管のホルンとトランペットはそれぞれナチュラル管を用いるという、最近広く行われている折衷案では、まずその木管がとことん美しい音色で透明感あふれる世界を表現、そこに金管の粗野な音色がアクセントを与えます。弦楽器は、極力ビブラートを抑えた、しかし、あふれる情感は決して殺すことはない歌を聴かせてくれています。そこからは、たとえ短調である「40番」でさえも、生き生きとした愉悦感が与えられるものとなって表現されています。
そのような、自然に逆らわない演奏を繰り広げていたものが、「41番」になったとたん、作品の持つ構成的な重みに負けてしまったのでしょうか、それまでには見られなかったもたつきが感じられてしまうのが面白いところです。逆に、そのもたつきの中からこの曲の特別さを感じさせる、というのが、ひょっとしたらマッケラスの作戦だったのかもしれません。
対するオリジナル楽器による、モーツァルト最後の協奏曲であるクラリネット協奏曲と、最後のピアノ協奏曲、第27番を組み合わせたアルバムのほうは、もっと真面目な、いえ、マッケラスを聴いたあとでは「くそ真面目」と言った方が良いようなモーツァルトへの迫り方を聴かせてくれています。シュタイアーのフォルテピアノなどは、聴いていてちっとも楽しくありません。最後のロンドなど、どうしてもっと素直になって軽やかに歌えないのか、不思議に思えるほど、オリジナル楽器の面子というものもあるのでしょうが、もうそろそろそういう時代は終わりかけているのでは、という気もしませんか?
多分、クラリネットのコッポラあたりは、すでにそんな波に乗っている人なのでしょう。そもそも楽器からして、「オリジナル」のバセット・クラリネットではなく、クラリネット・ダモーレを使ってるんだもーれ。下降音型からはシャープを外すというちょっとエキセントリックな趣味も、この楽器の味わいによって「悦び」に変わります。そして、彼の持つ天性の明るさは、いかにバックが暗くても、損なわれることはありません。いやあ、このトラヴェルソの重さといったら。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-15 20:52 | オーケストラ | Comments(0)