おやぢの部屋2
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MOUSSORGSKY-RAVEL/Pictures at an Exhibition
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Arturo Toscanini/
NBC Symphony Orchestra
日本ビクター/JM-M24XR05(XRCD)


XRCDの「トスカニーニ・オリジナル・エディション」で、「展覧会の絵」が出るという噂を聞いたときには、真っ先に入手しようと思いました。それほど、このレコードには思い入れがあります。それこそ自分でお金を出して買ったもののうちの何番目か、というものですから、まだコレクションはわずかなもの、何度も何度も聴いてスクラッチノイズの場所まで覚えているぐらいに頭の中に入っている演奏(?)なのですからね。そんなに物が豊富ではなかった分、逆にそういう濃密な経験をもてるだけの相手があったというのは、もしかしたらかなり幸せなことだったのかもしれませんね。ほんと、最近などは買っても聴かないCDが山積みになっていますから。
このジャケットも、まさにそのLPと同じ物だったのには、ちょっと驚いてしまいました。あまりセンスが良くないので、てっきり国内盤のためのデザインだと思っていたのですが、これがオリジナルだったのですね。
そして、聞こえてきた音も、そのLPと全く同じ肌触りのものだったのにも、驚かされました。もちろん、この「杉本マスタリング」の成果は著しいものがあって、LPではサーフェス・ノイズにかき消されて決して聴くことの出来なかった豊かな残響が、録音場所のカーネギー・ホールの空間感までも伴って聞こえてきたのには感激させられました。しかし、冒頭の硬質で粗野な金管の音は、全く昔のものと同じだったのです。
実は、持っていたのは10インチのLPでした。ですから、入っていたのは「展覧会」だけ、今回カップリングとして収録されているフランクの「プシュケとエロス」は、その時には聴いてはいませんでした。それを今回初めて聴いてみて、ほんの1年前の録音なのに「展覧会」とはまるで別のオーケストラではないかと感じられるほどの柔らかな音だったので、それにも驚かされてしまいました。その時点で、これほどソフトで耳あたりの良い音に仕上げるのは十分可能だったはずなのに、「展覧会」ではこんな荒々しい音になっているということは、そこにエンジニアではなく、トスカニーニの意志を感じることは出来ないでしょうか。ライナーノーツに述べられている、トスカニーニによるラヴェルのオーケストレーションへの改変の言及は、そのあたりのことへの示唆に富むものでしさ。「サミュエル・ゴールデンベルク」のエンディングの音型を、ムソルグスキーのオリジナルの形に変える(これは、現代の指揮者は良く取り入れるやり方)という姿勢からは、ラヴェルの編曲の持つ洗練さよりは、原曲の持つエネルギー感を大切にしたいというコンセプトがうかがえます。冒頭の金管の音色は、そんなトスカニーニの姿勢のあらわれだったのではないでしょうか。
今回のマスタリングで一番楽しみにしていたのは、「キエフの大門」の冒頭でシンバルが入っているかどうか確かめることでした。LPを聴いていたときには、確かにここにはシンバルが入っていて、その前の「バーバ・ヤーガ」から盛り上がってきたものがここで受け止められて、壮大にこの曲が始まったという印象があったのです。しかし、それ以後、別の指揮者のものを聴くと、誰もそんなことはしていません。せっかく時間をかけて盛り上がったものが、いとも軟弱な金管のコラールで、ガラリと様相が変わってしまっていたのです。
今回聴いて明らかになったのは、やはりトスカニーニは確かにそのような盛り上がりを作っていたことです。ただし、シンバルはスコア通り入ってはいませんでした。その代わりに、ティンパニが信じられないほどのエネルギーで、あたかもシンバルが鳴っているかのようなすさまじいクラッシュを作り出していたのです。
トスカニーニが「展覧会」に込めた思い、それがこのXRCDによってより正確に伝わってきたような気がします。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-25 23:33 | オーケストラ | Comments(0)