おやぢの部屋2
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ANDERSON/Orchestral Music Vol.1
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Jeffrey Biegel(Pf)
Leonard Slatkin/
BBC Concert Orchestra
NAXOS/8.559313



今年生誕100年を迎えるのは、なにもカラヤンだけではありません。少し軽めのオーケストラ・コンサートには欠くことの出来ない数多くの魅力的な作品を作ったアメリカの作曲家、ルロイ・アンダーソンも、やはり1908年に生まれているのです。「タイプライター」や「そりすべり」の作曲家がカラヤンと同じ年だったなんて、ちょっと意外な気がしませんか?ただ、アンダーソンの場合は1975年に亡くなっていますから、「むかしの人」という印象が強いのかもしれません。
このアニヴァーサリーに合わせて、「全曲録音」が大好きなこのレーベルが、ついにアンダーソンの全集を作ることになりました。彼のオーケストラ作品は、出版されているものだけでも70曲近くあります。しかし、彼の曲は殆どが3分前後の短いものばかりですので、おそらく4、5枚もあればすべてのものが収録されてしまうことでしょう。完成が楽しみです。
ハーヴァード大学でウォルター・ピストンやジョルジュ・エネスコに作曲を師事したというアンダーソンは、クラシックの基礎を持ちながらも「ヒット曲」を作ることを目指していたのでしょう。ダンスバンドを作って活躍していた1930年代後半に、ボストン・ポップスの指揮者、アーサー・フィードラーに見いだされて、専属のアレンジャー・作曲家となるのです。戦争で一時活動が中断した後も、1950年頃まではフィードラーの元で曲を作り続けますが、それ以後は自分でオーケストラを編成して、自分名義のレコードを出すようになります。このアルバムにも収録されている「舞踏会の美女」と「ブルー・タンゴ」がカップリングされたシングル盤は大ヒットとなり、「ブルー・タンゴ」はなんとビルボードのシングル・チャートの1位になってしまいます(1952年の年間チャート1位)。そう、あのころでいえばパティ・ペイジやナット・キング・コールと同じ次元でのヒットを、彼は放ってしまったのです。これでアンダーソンのヒット・メーカーとしての地位は揺るぎないものとなりました。
さらに、1958年にはブロードウェイにも進出、ミュージカルを1曲作ることになります。しかし、1962年に最後のアルバムをDECCA(もちろん、アメリカDECCA。今はMCAからCD化されています)から出した後は、殆ど作曲からは遠ざかり、もっぱら編曲や指揮が主な活動となってしまいます。

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MCA/MCAD2-9815


この第1集、そんなヒット・チューンに混じって、1953年に作られたピアノ協奏曲が収録されているのが目をひきます。もちろん、初めて聴くものですが、例えばあのガーシュウィンのように、ヒット曲だけではなく、きっちりとしたクラシックの作品も後世に残したいという思いが、彼の中にもあったのだろうという先入観を持って聴き始めると、見事に裏切られることになります。もちろん、それは楽しい裏切りでした。そこにはやはり他の小曲で見られる彼の素顔が、そのまま宿っていたのですからね。特に、第3楽章などは、ピアノ・ソロとスネアドラムの対話という楽しい導入から始まって、いかにも軽快そのもののいつものアンダーソン節が満開となります。それにしても、この曲の第1楽章は殆どラフマニノフのパロディではないですか。しかも後半にはなんとブルースの「フーガ」が登場するのですから笑えます。2楽章にしたって、いきなりラテン・リズムが乱入してきたりと、彼の頭の中はとことん人を楽しませようという気持ちでいっぱいだったのでしょうね。
そう言えば、この中の「クラシックのジュークボックス」という曲も、パロディ精神満載の小気味よいナンバーです。ご想像のとおり、クラシックの名曲の断片を集めた、まさに「ジョークボックス」(途中では「針飛び」まで起こします)ですが、コードが違っているのもなんのその、別の曲を強引に同時に演奏するという手法は、後のP・D・Q・バッハそのものではありませんか。そう、ピーター・シックリーこそは、まさにアンダーソンの正統な後継者だったのですね。
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by jurassic_oyaji | 2008-04-14 20:16 | オーケストラ | Comments(0)