おやぢの部屋2
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FAURÉ/Requiem
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Elin Manahan Thomas(Sop)
Roderick Williams(Bar)
Harry Christophers/
The Sixteen
Academy of St Martin in the Fields
CORO/COR 16057



あのエリン・マナハン・トーマスがソロを歌っているフォーレのレクイエム、合唱は彼女も在籍していた「ザ・シックスティーン」ですから、期待は高まります。きっと、一本心が通った中にも、精緻な世界が広がっているという至福のフォーレを聴くことが出来ることでしょう。しかし、そんな「憶測」、あるいは「先入観」を持って立ち向かうというのはちょっと危険なことには違いありません。
フォーレを聴く前に、カップリングのモーツァルトで、まずその先入観をぬぐい去っておきましょう。1曲目の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」では、まず、なんとも懐かしいアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(「アカデミー室内管弦楽団」って言ってましたっけ?まだやってたんですね)の、かなり荒っぽいイントロが印象的です。そして、そのイントロのテイストとは全く無関係に思い入れたっぷりの合唱が始まる、というところで、その「先入観」は見事に打ち破られることになります。もはや「16人」などという編成にこだわることなく、ここでは30人ほどのサイズに膨らんでしまった合唱団は、かつてのちょっと気取ったスタイルから、見事な脱皮を図っていました。それにしても、このクサさはなんでしょう。
続く「ヴェスペレ(証聖者のための盛儀晩課)」でも、決して小さくまとまることのない、そのダイナミックな姿にはちょっとたじろいでしまいます。もちろん、この曲ではあくまでもモーツァルトの持つシンプルさを可能な限り守りきろうという姿勢は歓迎できることでしょう。そして、ここにソリストとして登場するマナハン・トーマスも、先日のソロアルバムとは微妙に異なる人間くさい挙動を見せてくれています。このCDはコンサートのライブ録音だそうですから、オーディエンスを前にしての、これはある種緊張のあらわれなのでしょう。
そして、フォーレです。この合唱団と指揮者、そして、かつてのこの合奏団でしたら、当然「第2稿」に基づく楽譜で演奏するのだろうという「先入観」も、やはりいともたやすく打ち砕かれることになります。オリジナル楽器系の演奏家と共演しているからといって、必ずしも楽譜を吟味するとは限らないものなのでしょう。しかし、この編成で「第3稿」というのは、いくらなんでも、という気がします。
しかし、ここでも見事にエモーショナルな表現に終始している合唱を聴いていると、その「第3稿」でもあまり違和感がなくなってくるから不思議です。というより、ここでの彼らの演奏には、版の問題なども超えた、いえ、もっといえばフォーレの作品であることすら超えた熱いものが込められているのが、ひしひしと感じられるのです。テノールの輝かしい響きは、「Kyrie」のパートソロではまさにフォーレにはあるまじき力強さとなって迫ってきます。およそ静謐からは遠いところにあるこのレクイエム、たとえそれが見当外れのものであっても、そこから伝わるエネルギーには、捨てがたいものがあります。
さて、お目当てのマナハン・トーマスの「Pie Jesu」はどうだったのでしょう。先ほどのモーツァルト同様、かなりの固さが見られ、高音はともかく、中低音での響きや音程はかなり悲惨なものがあります。なによりも意外だったのが、歌詞の発音がとても汚いこと。別にラテン語に堪能なわけではありませんが、今まで何百回と聴いてきたこの曲のテキストを、こんなにゴツゴツ歌っているのには初めて出会いました。抜けるような高音とはかなさすら伴うビブラート、それを以てサラ・ブライトマンの亜流になってしまうのでは、という「先入観」が的中してしまうことほど、悲しいものはありません。あれって、痛いんですよね(それは「陥入爪」)。
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by jurassic_oyaji | 2008-05-02 21:22 | 合唱 | Comments(0)