おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
ストレス
c0039487_19444318.jpg




Various Artists
AVEX/AVCL-25187



クラシックのコンピといえば、あの「アダージョ・カラヤン」を皮切りに、「イマージュ」だ、「オーラ」だ、「フィール」だといったような、いかにもおしゃれなタイトルの下に、ひたすら甘く爽やかな音楽を提供するものと相場が決まっていました。あたかもそれがクラシックの役割であるかのように、柔らかな羽毛で包み込むような音楽を集めたCDが今の世の中には氾濫しています。
確かに、クラシックにはそんな側面がないわけではありません。そもそも、王侯貴族の娯楽として磨きがかけられた音楽なのですから、その中には「人を優しく楽しませる」という要素は不可欠になってきます。さらに、こんな(↓)トンデモ本で語られているように、もしかしたらモーツァルトあたりは自分の病気(注意欠陥多動性障害や、統合失調症)を治すために、本気で「癒し」効果を求めて作曲を行っていたのかもしれませんね。なんでも、モーツァルトの曲には、そのような病気の症状を和らげる働きのある脳内物質「ドーパミン」を増加させる作用があるんですと。
c0039487_19471397.jpg

しかし、そんなものはクラシックのほんの一面に過ぎないのだ、と、このコンピは高らかに宣言しているかのように見えます。優しいだけがクラシックではない、時には不快感を与えるものもあったっていいじゃないか、と。そこで、まず登場するのが「現代音楽」というジャンルからジョージ・クラムの「ブラック・エンジェルズ」です。先日の茂木さんの本ではありませんが、「現代音楽」はクラシックからは排除すべきだというようなご意見もあるようですので、そもそもこれは反則技、目もくらむような不協和音やクラスターといった、決してドーパミンなどは出そうもないようなストレス満載の音響を味わって頂きましょう。
しかし、最初にそんな過激なものを聴かされてしまうと、後に続くショスタコーヴィチなどは逆にとても爽やかに聞こえてしまうから不思議です。事実、交響曲第10番の第2楽章など、演奏する側にとってはとてつもない難しいことを執拗に繰りかえさせられるのですからとびっきりのストレスには違いありませんが、これを聴いた人が果たしてストレスにさいなまれるか、というのは疑問です。
リゲティの「ムジカ・リチェルカータ」の第1曲にしても、これは言ってみれば同じ音符を延々と繰り返す「ワン・ノート・サンバ」のパクリなわけですから、そのシンプルさから快感を得ることはあってもストレスはないんじゃないですかねぇ。極め付きはカバレフスキーの「道化師」のギャロップ。こんな生き生きとした軽快な音楽からストレスを感じるというのは、いったいどんな神経構造を持った人なのでしょう。
ストラヴィンスキーに至っては、もはや体中でリズムを受け止めるという、究極の快感を味わえる曲たちではありませんか。これを聴けばストレスだって発散できてしまうのでは。そして、ジョン・ケージの「ソナタ」から得られるのは、極上のユーモアではないのでしょうかね。
確かに、最後の「熊蜂の飛行」には、イライラさせられ、ストレスも募るかもしれません。ただ、これはオリジナルではない吹奏楽のアレンジであることと、それを演奏している人たちがあまりにヘタだからそう感じるだけのことです。
そんなわけで、ジャケットでのたうち回っているエビスさんのキャラのような強烈なストレスが感じられたのは、最初のクラムだけ、ということになりました。ということは、こんなに和む音楽にもかかわらず、それをストレスと受け取る人がいるのだ、と、このコンピの制作者は考えていたことになります。あるいは、これを聴いてストレスを感じなかった人は、まっとうなクラシック・ファンではないと決めつけられてしまうのでしょうか。う~ん、そのような発想自体が、とてつもなく滑稽なものに思えて仕方がありません。「クラシックには、ストレスになるものもある」というつもりで作ったものが、結局は、「クラシックは癒し」だと再確認させてくれたのですから、笑うほかはありません。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2008-05-04 19:47 | Comments(0)