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In a State of Jazz
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Marc-André Hamelin(Pf)
HYPERION/CDA67656



「ジャズ風に」というアルバムタイトルは、この中に収録されているアレクシス・ワイセンベルクの「ジャズ風ソナタSonate en état de jazz(Sonata in a state of jazz)」から取られたものです。あの一世を風靡したピアニスト、ワイセンベルクは、作曲もしていたのですね。婦女暴行だけではなく(それは「ワイセツベルク」)。
そんなタイトルにもかかわらず、ライナーの中で、アムラン自身が「このアルバムには、ジャズの曲は一切入っていない」と語っているのが興味あるところでしょう。彼によれば、「ジャズ」と「クラシック」とは全く別の音楽だというのです。その最大の違いは、アドリブ・ソロの有無、即興的なソロこそがジャズの命ですが、ここではそれらは全て楽譜として書かれているために、もはやジャズではあり得ない、ということなのでしょう。逆に言えば「クラシック音楽とは、楽譜に書かれたものである」ということになるわけです。
確かに、そのワイセンベルクの作品などは、いったいどこが「ジャズ」なのか、という印象を与えられるものです。そもそも、4つの楽章がそれぞれ4つの都市にちなんだ音楽によっているというものの、それが「タンゴ(ブエノス・アイレス)」、「チャールストン(ニューヨーク)」、「ブルース(ニューオーリンズ)」、「サンバ(リオ・デ・ジャネイロ)」というのですから、そもそも「ブルース」以外は「ジャズ」とはあまり関係なさそうにも思えてきます(いや、ある時代には「クラシック」以外の音楽を「ジャズ」といっていたこともありましたが)。さらに、それぞれの曲も、いったいどこがタンゴでどこがサンバなのか、という、かなり抽象化された技法の集積の産物となっていますから、「ジャズ風」というタイトルもそのままうけとるべきでないのかもしれません。
もう一つの彼の作品「シャルル・トレネによって歌われたシャンソンによる6つの編曲Six arrangements of songs sung by Charles Trenet」にしても、素材がクラシック以外の曲というだけのこと、そのテーマを華麗な超絶技巧を駆使して高度のパラフレーズに仕上げたという点ではクラシック以外の何者でもありません。かといって、このレーベルの輸入代理店が「ブン」のようなただのシャンソンを「歌曲」などと訳しているのは、依然としてこの国のクラシック界を覆っている権威主義の名残なのでしょうか。
ワイセンベルクと同じように、カプースチンの場合も決して「ジャズ」ではあり得ないものをジャズだと言い張って(?)いる、まさに「ジャズ風」と呼ばれるにふさわしい、頭でっかちな音楽に聞こえます。ジャズの様式を単に模倣したに過ぎないその作風は、ジャズのサイドからはもちろんのこと、クラシックのサイドからも胡散臭い目で見られてしまうことでしょう。
しかし、紛れもないジャズマンとしても活躍していたフリードリッヒ・グルダの場合は、たとえ細かいところまで記譜されていたとしても、そこにはしっかりジャズの精神が宿っていることを感じることが出来ます。ジャズの悦びを、何とかしてクラシックの人たちにも楽譜を通して知ってもらいたいという熱意のようなものすら、感じることは出来ないでしょうか。
そんな、多様な「ジャズもどき」の作品たちを、いとも軽やかにアムランが演奏している、というところにこそ、注目すべきなのでしょう。彼の手にかかると、ジャズであろうがなかろうがそんなことは全く問題にはならなくなってきます。そこに広がっているのは、信じられないほどのメカニックに裏付けされた完璧な音のストラクチャー、その圧倒的な音の洪水に酔いしれてしまっては、ジャズの魂がどうのこうのと言うこと自体が些細なことに思われてしまいます。そう、これはアムランが作り上げたまさにジャンルを超えた音楽なのです。
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by jurassic_oyaji | 2008-05-08 19:39 | ピアノ | Comments(0)