おやぢの部屋2
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RZEWSKI/The People United Will Never Be Defeated!
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Ralph van Raat(Pf)
NAXOS/8.559360



「不屈の民(正確なタイトルは、『団結した人民は決して敗れることはない!』)変奏曲」というのは、アメリカの作曲家フレデリック・ジェフスキが、アーシュラ・オッペンスの委嘱によって1975年に書いた作品です。テーマとなったのはチリの民主化闘争の中から生まれた曲、それを元に作られた6曲ずつ6つのグループに分けられる、全部で36の変奏が続きます。それぞれのグループでは、まるである特定の作曲様式を模したような変奏が行われていて、それらが集まったさまは、さながら「現代音楽」の諸相が一堂に会したような趣を見せています。それこそ、ガチガチのセリー・アンテグラル風のものからチリの民族音楽でしょうか、フォルクローレのテイスト、そして「まるでフリー・ジャズのフレーズをそのまま楽譜に書いたような」(ファン・ラート)アグレッシブなノリがあったかと思うと、その頃の最先端のファッションであった「ミニマル」っぽい様式まで登場するのですから、たまりません。
しかし、この曲を日本にいち早く紹介した高橋悠治たちは、もっと別なところに注目していました。言うまでもなく、それは、このテーマとなった人民ソングの世界、実はこの曲にはもう2つ、同じような用途で歌われていた歌も引用されているのですが、そのような「闘争」の姿勢を強く打ち出すために、197712月9日に芝の増上寺(!)で行われた日本初演の場では、「盟友」林光が、悠治の演奏に先立ってその3曲を「みごとなソルフェージュで」(柴田南雄)披露するという一幕もあったのです。
初演者のオッペンスによる録音(VANGUARD)もあったはずですが、日本初演直後の1978年に録音された悠治のレコード(ALM)は、長い間この曲の定番として君臨していました。作曲者自身も、2度にわたって自作を録音していますし(HAT ART, NONESUCH)、2007年のライブの模様をDVD(VAI)で見ることも出来ます。それは、朴訥ではあるものの、まさに「共感」に満ちた「熱い」演奏です。
しかし、1998年に、ヴィルトゥオーゾ・ピアノの旗手マルク・アンドレ・アムランによって録音(HYPERION)されたことにより、この曲を巡る状況は一変することになります。なにも「闘争」の心がなくとも、この難曲を、目の覚めるような鮮やかさで弾き切った時に生まれるある種の爽快感によって、別の意味の感動が得られることを、人々は知ってしまったのです。
1992年のスティーヴン・ドゥルーリーの録音(NEW ALBION)に続いて2007年にこの難曲に挑戦したラルフ・ファン・ラートも、アムランの偉業を追いかけていたに違いありません。ここからは、しかし、アムランのような鬼気迫る超絶技巧で勝負するのではなく、もっと乾いた語り口で訴えようとしている姿勢が見られます。当然のことながら、そこからは悠治やジェフスキ本人のこだわった「熱さ」は、感じるべくもありません。
この曲では、36番目の変奏が終わり、最後にテーマが再現される前に、演奏者による即興的なカデンツァが挿入されるようになっています。それを聴き比べるのも、この曲の醍醐味。ファン・ラートの場合は、いきなり内部の弦を直接弾く、という反則技を仕掛けてきます。そして、第27変奏に登場したミニマルのフレーズの引用を延々と繰り広げるというカデンツァに仕上がっています。
しかし、このCDには大きな問題が潜んでいました。1曲丸ごと1トラック、変奏ごとには全くトラック・ナンバーは打たれていないのです。変奏は続けて演奏されますから、楽譜がないことにはその変わり目は分かりません。もちろん、どこからがカデンツァなのか、などとは、普通の人には絶対判別できないことでしょう。ちょっとこれは困ったことです。そればかりか、タスキで「1トラック60分超えと言うのも、聞き手にとっての試練(原文のまま)」などと茶化しにかかっている日本の代理店にも困ったもの。彼らの感覚は汚れきっています(「不潔の民」)。もちろん、こちらの音源も、1トラックです。
by jurassic_oyaji | 2008-05-20 23:45 | 現代音楽 | Comments(0)