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奇跡のシンフォニー
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 自分には音楽を感じる力がある、それを表現する手段を見つけて、その音楽を伝えさえすれば、一度も会ったこともない両親を捜すことが出来る。そんな気持ちを持った少年(「チャーリーとチョコレート工場」のフレディ・ハイモア)が、セントラルパークでギターの超テクを披露しているカットが何度も出てくる予告編をテレビ番組で見て以来、これは絶対劇場に見に行くんだ、と決めていました。その頃はまだ日本での公開予定も決まっておらず、当然邦題もまだ付いていなかったので、「August Rush」という原題で頭の中の引き出しにしまっておきました。
 その映画が「奇跡のシンフォニー」などという、その予告編からは想像できないような邦題が付いて公開されることになったので、危うく見逃すところでした。どう考えても、「シンフォニー」とは縁のないストリート系のミュージシャンの話だと思っていたからです。映画館に行ってポスターを見たら、まさにその映画だったので、やっと邦題と結びついたというわけです。さいわい他の予定がなかったので、初日に見に行けました。
 確かに、そんな邦題をつけたくなるような、ただギターを弾くだけではないとんでもない話でしたね。なにしろ、ちょっと楽譜の書き方を教わっただけで教会のオルガンを弾けるようになって、それを見てびっくりした牧師さんが、なんとジュリアード音楽院に入れてくれるのですからね。そこでちょこっとハーモニーを教わったら、少年はオーケストラの作品を書き上げてしまいます。それが「シンフォニー」なのでしょうね。それだけではなく、その曲がニューヨーク・フィル(実際に出演)によってセントラルパークの野外ステージで演奏されるのですから、とんでもない才能と、そして強運の持ち主なわけです。
 ですから、そこまで来るともはや突っ込むのはやめて、素直にそのあり得ない物語にのめり込んでしまおうという気になってしまいます。そんなに簡単にこんな他愛のない仕掛けに酔ってしまう自分には、ちょっと情けなくなってしまいますが、そうさせるだけの「力」がこの映画にはあるということは、認めないわけにはいきません。
 その少年の両親は、実はロック・ミュージシャンと、クラシックのチェリスト、このチェリストが、昔なじみの「フェリシティ」役のケリー・ラッセルなものですから、まずすんなり入っていけます。父親役のジョナサン・リース・マイヤーズも、最近色々な映画で気になっていた人でしたし。この2人に、バッハのシンフォニア(なぜか、チェロ協奏曲バージョン)と、ロックのライブステージとをオーバーラップさせて「共演」させるという映画的な手法が、まずキャッチーです。そして、その夜に2人は結ばれ、翌日には分かれるというシチュエーション、その時すでに2人の愛の結晶は宿っていたというのが、ミソです。
 一度も会ったこともなく、生きているのかも定かではないのにお互いにその存在を感じあえる、というあたりの描き方がとてもていねい、少年は孤児院に来てからの、母親は出産してからの(実際は「死産」と告げられています)時間を、それぞれ「なん日」まできちんと数えていた、というあたりで同じ塩基配列のDNAを感じさせる手法は見事です。
 ただ、ロビン・ウィリアムズの扱いがイマイチだったでしょうか。あれではただの悪徳マネージャー、彼にはもっと根元的な役割があったことを、きちんと見せて欲しかったところです。例えば、彼がかつて弾いていたギブソンは、後に父と息子が出会う時の重要なファクターとなるのですからね。
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by jurassic_oyaji | 2008-06-22 22:55 | 禁断 | Comments(0)