おやぢの部屋2
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PEROSI/Messa da Requiem
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Arturo Sacchetti/
Coro Polifonico Castelbarco di Avio
I Virtuosi Italiani
BONGIOVANNI/GB 2430-2



ロレンツォ・ペロージは、1872年に生まれて1956年に亡くなったイタリアの作曲家です。小さい頃から、才能を発揮していたんですね(それは「麒麟児」)。時代的にはマスカーニやレオンカヴァッロと同じ頃に活躍していますが、彼らのような「ヴェリズモ」とは一線を画した、もっと穏やかな作風を取っています。そもそも、彼はヴェネツィアの聖マルコ大聖堂聖歌隊の指揮者やローマのシスティーナ礼拝堂の楽長を努めたという「教会音楽家」ですから、何よりも信仰心のあらわれとしての作品を目指したのでしょう。
今までは殆どその作品は知られてはいなかったペロージですが、このレーベルがアルトゥーロ・サッケッティの指揮によるさまざまの演奏を次々とリリースしてくれたおかげで、実際にその「音」を楽しめるようになりました。今回のニュー・リリースは、1910年に作られた、「In Patris Memoriam(父の思い出のために)」というオラトリオと、1897年に作られた「レクイエム」の2曲、いずれも教会でのコンサートのライブ録音です。
オラトリオは、1908年に亡くなった彼の父親を悼んで作られたものです。かなり大規模なオーケストラにソプラノ・ソロと合唱がつきます。殆ど、そのソプラノが出ずっぱりという冗長な構成ですが、曲自体はまさに心の琴線に触れる「ツボ」満載の、魅力的な音楽です。何よりも、決して予想を裏切らない、安心出来る結末が用意されている、というのが、最大のポイントでしょう。ですから、ソロの人がこれほどドラマティックに歌うこともなく、オーケストラがこれほどいい加減な演奏さえしなければ、さぞや心に残るものとなったことでしょう。いやあ、このシンプルな曲に、なぜこれほどの「熱い」情感を注がなければならないのか、全く理解出来ません。このレーベルの常で、録音が恐ろしく悪いのも、曲の魅力を引き出すのに大きな妨げとなっています。
「レクイエム」となると、状況はさらに悲惨です。ペロージがこの曲を作るきっかけとなったのは、1897年の5月23日に、聖マルコ大聖堂での彼のお気に入りの聖歌隊員、フェルッチョ・メネガッツィくんが病気で亡くなってしまったことです。よっぽど彼のことを「愛して」いたのでしょうね。長文の弔辞を新聞に掲載したり、友人に張り裂けんばかりの胸の内を綴った手紙を書いたり、あげくにはその日のうちに追悼の「レクイエム」の作曲を始め、6日後の5月29日に行われた葬儀で演奏してしまうのですからね。ですから、この曲も、まともに演奏しさえすれば、作曲者の悲しみにうち震える心情を反映した感動的なメッセージを伝えられるはずのものなのでしょう。
ところが、この男声合唱とオーケストラ(オーケストラのパートは、後に作られました)という編成の、演奏に40分以上を要する大曲に起用された合唱団は、とんでもない代物でした。フレージングとかアンサンブルとかを言う前に、まずその声は全くのシロートのものでした。互いに声を聴き合って音を揃えるということが出来ないのか、そもそもそのような発想が全く浮かばないのか、彼らは勝手気ままにそれぞれの歌い方でがなり立てているだけなのですよ。はっきり言ってこの合唱団は、合唱団として必要な資質を、何一つ備えていないという、ただの「歌の好きなおじさん」の集まりでしかありません。ですから、「Dies irae」などは、インパクトからいったらものすごいものが迫ってきますよ。もちろん、その迫力は「音楽」とは全く無縁のもの、ほとんど「暴力」なのですがね。ほんと、グレゴリオ聖歌からの引用もある、なかなか素敵な曲なのでしょうが、この合唱団にかかってはその片鱗を想像することすら困難です。
なまじオーケストラがフツーにうまい分、その対比は一層際だちます。そして、最後にわき起こる盛大な拍手。いったいこの教会には、どんなお客さんが来ていたのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-06-29 20:50 | 合唱 | Comments(0)