おやぢの部屋2
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BACH/St John Passion
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Caroline Stam(Sop), Peter de Groot(Alt)
Gerd Türk, Charles Daniels(Ten)
Stephan MacLeod, Bas Ramselaar(Bas)
Jos van Veldhoven/
The Netherlands Bach Society
CHANNEL/CCS SA 22005(hybrid SACD)



この前のビラーの新しい録音を聴いて以来、「ヨハネ」の「稿」についてついつい深入りすることになってしまいました。そこでたどり着いたのが、「第1稿」で演奏されている唯一の録音であるこのアイテムです。2004年の録音とちょっと古めですが、モノがモノですから、大目に見て下さい。
「唯一の録音」と言いましたが、それには異論を唱える方もいらっしゃるかもしれません。1987年に録音されたクイケン指揮のラ・プティット・バンドのCD(DHM)には、「Complete version(1724)」というクレジットが堂々と掲載されているのですからね。もちろん1724年というのは「ヨハネ」が初演された年ですから、これは「第1稿」を指すものだと誰しもが考えることでしょう。しかし、音を聴いてみると、これは普通の新バッハ全集の楽譜、「第1稿」とは似て非なるものでした。このレーベルは、こういう点で非常にいい加減な情報しか伝えない、というのは昔からの体質のようですね。いくら「50周年」とは言っても、このいい加減さや誤謬が改善されるわけではありません。
「第1稿」というのがどういうものであるか、ということは、さまざまな文献で知ることは出来ます。しかし、なにしろきちんとした楽譜が出版されていないものですから、その全体像をつかむことは困難でした。このCDでは、ピーター・ディルクセンという人がこの録音のために「修復」したスコアが用いられています。
ここで始めて「音」として明らかになった「第1稿」の姿、なかなか興味深いものがあります。それ以後の稿と決定的に違っているのが、その楽器編成です。ここには、他の受難曲でも使われているフルートが、使用されていないのです。これだけ大規模な曲でフルートが入らないのはちょっと不思議に思えますが、実はこれは当時の作曲の事情を考えれば、納得のいくことです。なにしろ1724年と言えば、バッハがライプツィヒに就任してすぐ、そこのオーケストラには、満足なフルート奏者はいなかったのです。当時の作曲家は、与えられた条件で依頼主の要求通りの曲を作らなければなりませんから、フルート奏者がいなければ、単にフルートのパートをなくすだけのことなのです。次の年にはやっとフルート奏者の都合が付いたので、その時に演奏された「第2稿」では、例えば9番のソプラノのアリアなどでは、今までヴァイオリンが弾いていたオブリガートをフルートに吹かせるようにしたのです。ですから、最初にあったフルートでは演奏出来ない低い音が含まれるパッセージは、1オクターブ高く変えられています。さらに、この曲は変ロ長調という、当時のフルートではかなり吹きにくい調になっているのも、そういう事情のあらわれなのでしょう。ただ、これはあくまでディルクセンの見解。リフキンの「合唱は各パート1人」説と同様、多くの論議を呼ぶことはあっても、結論が出ることはないのでしょう。
楽器編成以外では、「第4稿」と「殆ど」違わないという「殆ど」の部分も、きちんと通して聴くことによって明らかになります。33番と38番のレシタティーヴォが微妙に異なっているのですね。もちろん、ビラーの時にも書いたように、歌詞が異なっている部分もありますし。
フェルトホーフェンとオランダバッハ協会は、「ロ短調ミサ」と同様、各パート2人という編成の合唱で演奏しています。もちろん、ソリストもそのメンバーが務めます。そういう少人数だから出来る細やかな表情付けが、ここでは最高の魅力となって現れています。第1曲の合唱などは、その点でとってもスリリング。もちろん、音程などは完璧なこのチームは、少人数のメリットを最大限に生かして、ポリフォニーでの各声部の明晰さをとことん示してくれました。ベースの音の動きなど、なんとクリアに聞こえてくることでしょう。
バッハがこの曲を初演したときの楽譜と演奏形態を忠実に(異論はあるかもしれませんが)再現しているにもかかわらず、そこからはストレートに現代人のツボを刺激する情感が発散しています。
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by jurassic_oyaji | 2008-07-13 20:59 | 合唱 | Comments(0)