おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem, Messe c-moll
MOZART/Requiem, Messe c-moll_c0039487_2137255.jpg
Arleen Auger, Kristina Laki(Sop), Doris Soffel(MS)
Thomas Moser, Robert Swensen(Ten)
Stephen Roberts, Thomas Quasthoff(Bas)
Gary Bertini/
Kölner Rundfunkchor und Sinfonie-Orchester
PHOENIX/CD 116



最近、新しいレーベルが日本に紹介されたようですね。PHOENIX(フェニックス)というのだそうですから「不死鳥」ですか。なんか意味ありげな名前です。その1回目のリリース分から、モーツァルトの「ハ短調ミサ」と「レクイエム」がカップリングされている2枚組を買ってみました。これで1枚分のお値段ですからお買い得、とは思いましたが、新録音ではなく一度CAPRICCIOという別のレーベルから出ていたものでした。そんなあたりが、このレーベル名の由来なのでしょうか。
ここで指揮をしているのは、2005年に亡くなったベルティーニ。「ハ短調」(エーダー版)は1986年、「レクイエム」(ジュスマイヤー版)は1991年の、それぞれライブ録音です。そういえば、「ハ短調」でのソリスト、アーリン・オージェも1993年に亡くなっていましたね。
まず、その20年以上前に演奏された「ハ短調」です。オーケストラは当時の呼び名でケルン放送交響楽団、おそらく放送用の音源なのでしょうが、そこから聞こえてきたのは、最近はあまり耳にすることのなくなったかなり仰々しいサウンドでした。録音もかなりモヤモヤしたもので、「重さ」は感じられるものの、フットワークはかなり鈍いもののように思われて、ちょっとたじろいでしまいます。合唱もかなりの大人数、しかも、それほどトレーニングがされていないようなかなり雑な声が聞こえてきます。ソプラノ・パートあたりはかなり悲惨、大人数の合唱の悪いところだけが目立ってしまうような演奏です。最近は、こういう合唱は努めて聴かないようにしていたので、なんか、久しぶりにお目にかかった、という感じ。
ソリストも、事情は同じことです。さっきのオージェなども、この頃は代表的なモーツァルト歌手のように言われていたものですが、今改めて聞いてみるとそのヒステリックな歌い方は、到底今の時代には通用しないものになっていることに気づかされます。もう一人のソプラノ・パートのソリストは、殆どアルトと言っても差し支えのないゾッフェルが担当しています。この人も、例えば「Laudamus te」あたりでのあまりにも堂々とした歌い方にはかなりの違和感があると
ソプラノ・ソロに木管楽器がからむ終わり近くのナンバー「Et incarnatus est」では、今までずっと休んでいたフルートが初めて登場します(もちろん、元々はオーボエ奏者が持ち替えで演奏していたものです)。これはフルート奏者にとってはかなり辛いもの、この奏者もコンディションがつかめていないのがもろに分かってしまうのが、ライブ録音ならではのことでしょう。ここでも、ソプラノと木管ソリストたちのアンサンブルを楽しむことなどは到底できません。
そんな、かなり悲惨な「ハ短調」の5年後に演奏された「レクイエム」では、合唱が見違えるように素晴らしいものになっているのは、どういうことなのでしょう。確かに、合唱指揮者がヘルベルト・シェルヌスという人からゴットフリート・リッターという人に代わっていますから、そのせいなのかもしれません。それに加えて、ここでのバスのソリストのクヴァストホフが、本当に素晴らしい「Tuba mirum」を聴かせてくれています。まるでビロードのような滑らかな声、それはもしかしたらこの曲には必ずしもふさわしいものではないのかもしれませんが、このベルティーニの作り出す厚ぼったいサウンドの中では見事に輝かしい光を放っています。
ベルティーニのアプローチは、「ハ長調」と全く変わっていないにもかかわらず、ここからは格段に心を打つ音楽が発散しているのは、「レクイエム」という曲の持つ性格のせいなのでしょうか。確かに「Lacrimosa」など、最初は合唱が聞こえないほどオーケストラが張り切っていて、そのままのハイテンションで曲が進んでいき、盛大に終わるというかなりの「臭さ」なのですが、それもすんなり許せてしまえるほどの懐の深さが、この曲には潜んでいることに気づかされます。
by jurassic_oyaji | 2008-08-02 21:39 | 合唱 | Comments(0)