おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
PROKOFIEV/Sneaky Pete and the Wolf
c0039487_20172052.jpg


Peter Schickele(Narration)
Yoel Levi/
Atlanta Symphony Orchestra
TELARC/CD-80350



もともとは1993年にリリースされたものなのですが、このレーベルの「Classics」というシリーズのアイテムとしてのリイシューです。ジャケットやライナー、そして品番も全く初出と同じものなのに、ミドプライスになっている、というあたりが、このレーベルのユニークなところです。
もちろん、このCDの目玉は、ナレーションを担当しているピーター・シックリーであることは、言うまでもありません。なんたって「P・D・Qバッハ」のファンですから、彼のやることはなんでもしっくりきます。よく見ると、タイトルの「ピーター」のところには、手書き文字で赤線が入って、「スニーキー・ピート」と書き直してありますね。こんなところは、もしかしてシックリーのアイディアで何かやってくれているのでしょうか。そういえば、そんな名前のカントリー・ミュージシャンもいたような。それにこのシックリーの写真も、いかにも「ウェスタン」といったコスプレです。期待してもいいのかも。
「ある日、スニーキー・ピートは、酒場のスイング・ドアを押し開けて表の通りへ出た」という、いかにも飲んだくれというがらがら声のシックリーのナレーションが最初に聞こえてきたとき、その期待は裏切られることがなかったことに気づきます。この、いかにも西部劇の幕開けのような語りは、「ある朝早く、ピーターは木戸を開けると、広い緑の牧場へとびだしていきました」というオリジナルのナレーションの、見事なパロディではありませんか。そう、ここはもはやロシアののどかな田舎などではなく、荒くれ男たちが行き交う西部の町だったのです。もちろん、そこには「小鳥」やら「アヒル」、ましてや「ぶつくさ文句を言うおじいさん」などは登場することはありません。なにしろ、フルートが奏でる小鳥のさえずりは、ピートの胃袋の中で飛び回っている蝶々をあらわしているのですからね。そんな風に、ここではプロコフィエフが特定の楽器と人物、あるいは動物の間に設けた相関関係を、全く別のものに「読みかえ」て、抱腹絶倒の西部劇にしてしまっているのです。もちろん、音楽は1音たりともいじってはいません。これは、かなり爽快なことではないでしょうか。そもそもこの曲が「教育」目的に使われている現場では、「弦楽合奏のメロディは、いかにも元気な少年のようですね」みたいな、ある意味「押しつけ」を強要しているわけですが、シックリーはそんな欺瞞を見事に笑い飛ばしてくれているのですからね。
ですから、この「西部劇」版のナレーションを聴きながら音楽を聴いていると、同じメロディが今まで思っていたのとは全く別なものに感じられてしまうという、不思議な体験が味わえます。しかも、そこにはなんの違和感もないのですから、それはちょっとしたショック。もしかしたら、音楽の与えるイメージなどというものは、決して一つの概念に固定されることはない、ということを、シックリーはここで証明してみせたかったのではないでしょうか。そして、それは大成功を修めています。例えば、町の悪ガキがピートの決闘相手のエル・ロボ(この人の本名がウルフ)に紙飛行機をぶつけるというシーンで流れるヴァイオリンの音型は、まさに紙飛行機がヒラヒラと飛んでいる様子を描写したものにしか聞こえません。それが原作ではピーターが狼を捕まえるためにこっそり縄を投げおろすという場面で使われているなんて、ちょっと信じられないほどですからね。
「動物の謝肉祭」の方は、元からあったオグデン・ナッシュという人の書いた詩を、現代風にシックリーが手を入れたものが、それぞれの曲の前で朗読されます。これもなかなか気が利いていて楽しめます。ただ、こちらには品のよいジョークはあっても、「ピート」のような「毒」が込められているというようなことはありません。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2008-08-04 20:21 | オーケストラ | Comments(0)