おやぢの部屋2
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BERLIOZ/Symphonie Fantastique
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Susan Graham(MS)
Simon Rattle/
Berliner Philharmoniker
EMI/2 16224 0



ラトルとベルリン・フィルの最新盤、ライナーのデータでは今年の5月30日から6月1日にかけてのイエス・キリスト教会での録音となっています。今時のオーケストラのCD制作といえば、公開の演奏会をゲネプロも含めて全部録音してそれを編集するという「ライブ録音」がだいぶ一般的なものですが、これは、セッションによる「スタジオ録音」なのでしょうか。いや、もともとはフィルハーモニーでの演奏会をいつものように録音する予定だったのでしょうが、なんでも本番の10日前、5月20日にそのフィルハーモニーが火災にあって、演奏会そのものが空港のイベントブース(元々は格納庫だとか)のようなところで開催されることを余儀なくされたそうなのです。ですから、とてもまともな録音などは出来ない状況だったので、改めてセッションを組んだのでしょうね。ちなみに、火災直後に行われるはずだったアバドとの演奏会は、なんと野外のヴァルトビューネに会場が変更になったのだとか。
そんなわけで、やむなく古巣の録音会場であるイエス・キリスト教会での録音となりました。なんと言っても1973年までは、ベルリン・フィルの殆どの録音がこの会場で行われていたのですからね。もちろん、DGだけではなく、EMIのチームも、ここでカラヤンの数多くの録音を手がけていたはずです。
しかしこの録音、そんな昔のものに比べると、実際にホールで聴くような自然なバランスの、なかなか素晴らしいものに仕上がってはいるものの、なんだか細かいところの明晰さ(例えば、第4楽章冒頭のティンパニのリズム)が失われてしまっているような気がします。そこで気になるのが、さっきの録音データ。そもそものフィルハーモニーでの演奏会は5月の29日から31日までの3日間、それがそのまま「飛行場」に場所が変わっただけですから、5月30日には「本番」があったはずなのですがね。あるいは、リハーサルを教会でやったとか。
真相は知るよしもありませんが、ラトルがここで造り上げた音楽は、そんな不本意な本番のコンサートを録音でリベンジしてやろうとでも言うかのように、徹底的に緻密なものでした。それは、まるで室内楽のようにクリアで精密な世界、お互いのパートがそれぞれ他のパートとの役割を熟知している様が、手に取るように分かるものとなっています。ラトルは、そんなある意味自発的なアンサンブルを促すように、大きな流れを用意してそれぞれのパートのやりとりを楽しんでいるようにさえ感じられます。その上で、例えば第1楽章の提示部の繰り返しでは1回目よりさらに濃厚な表情付けを施すなど、指揮者の存在感を示すことにも抜かりはありません。
ただ、そんなちょっと恣意的な「操作」が加わっているために、本質的なドライブ感が不足しているような印象を受けるのは避けられません。第4楽章など、金管のアタックがあまりに美しすぎるために、「断頭台」などというようなグロテスクなものでなく、もっと晴れがましいまるで結婚式に臨んでいるような感じすら受けてしまいます。第5楽章の「Dies irae」のコラールも、まるで「天使のコーラス」のようなかわいらしさ、あまりに伸び伸びと演奏しているので、なんだか聴いている方が恥ずかしくなるような。
といった具合で、美しさはこの上ないのに、全く興奮させられることのない音楽は続きます。それが最後の最後になって、ピッコロが1オクターブ上の音を出して華やかに迫っているのは、ラトルの埋め合わせの気持ちの表れなのでしょうか。それとも、これは業を煮やした団員の鬱憤晴らしだったでしょうか。
カップリングの「クレオパトラの死」では、極力部分部分のキャラクターの違いを際だたせようとする意図がうかがえますし、最後の迫力もなかなかのものでした。しかし、ソリストのグレイアムのフランス語のディクションは、ちょっといただけません。コジェナーを使わなかったのはなぜ?
by jurassic_oyaji | 2008-08-24 20:17 | オーケストラ | Comments(0)