François Duchable
TOWER RECORDS/QIAG-50005
仙台駅前、というよりは駅のすぐ隣にあったビルが取り壊されたと思っていたら、その跡地に突然「パルコ」が出来てしまいました。このようにして、地方都市は渋谷や池袋のファッションに否応なしに染まってしまうことになるのでしょうね。そこの8階には、今まで街中にあって、イマイチ雑然としたたたずまいだったタワー・レコードが、すっかりおしゃれな装いとなって引っ越してきていました。クラシックに関しては全く不十分な品揃えは以前のままですが、こんな風に容れものが変わると、いくらか違って見えてくるから不思議です。
クラシックを扱っているほんのわずかのスペースに行ってみると、まず目に付くのが先日のラトルの「幻想」。最新の注目盤ということで、大々的にディスプレイがなされています。そして、それに便乗したかのように、このリスト編曲のピアノ独奏版「幻想」も、その存在を主張していました。これはこのタワー・レコードの単独企画商品ですので、ここでしか手に入らないというもの、レアな曲目ですし、ジャケットのエロさにも惹かれて、つい手が伸びてしまいます(しかし、すごい絵ですね)。原盤は
EMI、フランソワ・デュシャーブルによる
1979年の録音です。そういえば、その日は
土砂降りの雨でした。
リストがベートーヴェンの交響曲を全て(「第9」までも)ピアノ用に編曲を行っていたことは知っていましたが、「幻想」にもそんなバージョンがあったことは初めて知りました(そもそも、このCDを見つけた時に、デュシャーブルって指揮もやっていたのかな、と思ったぐらいですから)。こんな色彩的なオーケストレーションを持つ曲をピアノだけで演奏したら、さぞや淡泊なものに仕上がるだろうな、と、聴く前は思ってしまいました。しかし、実際に聴いてみると、この、いかにもフランス
EMIらしい豊饒な音色に仕上がった録音とも相まって、そこにはオーケストラにはひけをとらないほどの豊かな音楽があったのです。
何よりも素晴らしいのは、その完璧なアンサンブルでしょうか。あくまで、ピアニストのテクニックが完璧である、という前提の上でのことになりますが、オーケストラのすべてのパートをたった一人で演奏するわけですから、そこには奏者によるタイミングやニュアンスの相違などは存在し得ません。ここでピアノを弾いているのは、あのヴィルトゥオーゾ・ピアニストのデュシャーブル、その「均質性」にはなんの遜色もありません。聴いたばかりのラトルの演奏では、弦楽器と管楽器が全く異なることをやっている部分などは、明らかにズレまくっていたものですが、ここではそんなハラハラさせられる部分は皆無です。
迫力だって、負けてはいません。例えば、第4楽章の「断頭台への行進」など、ラトル盤では明らかに指揮者と演奏者との方向性がかみ合わなかった結果、無惨にもへなちょこなものになってしまっていましたが、デュシャーブルのすべてのベクトルが揃えられた迷いのないアタックは、決然とした力となって迫ってきます。
そして、圧巻は第5楽章。多くの声部がとてつもない早さで絡み合う様は(実際、オーケストラの奏者はごまかさないことには弾けません)、壮観です。そこからは、楽器固有の音色までも感じ取ることは出来ないでしょうか。ここに不足しているものは、フルートとピッコロのグリッサンドや、
E♭クラリネットの微妙にずれた音程という、ピアノでは決して演奏することの出来ないものだけです。
デュシャーブルの技巧の凄さは、参考までに聴いてみた「並のピアニスト」
イディル・ビレットの演奏と比較すると歴然としています。こういう人は、退き際も潔いのかもしれません。彼は、
2003年にはなんと
51歳という若さで引退してしまったのですからね(なんでも、湖の中にピアノを2台放り込んだのだとか)。もっとも、最近ではまた演奏活動を再開したという噂もありますが。