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ビルギット・ニルソン/オペラに捧げた生涯
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ビルギット・ニルソン著
市原和子訳
春秋社刊
ISBN948-4-393-93179-0


1995年にドイツで出版されたニルソンの自伝の日本語版が上梓されました。その表紙を飾るのは、ドイツ・グラモフォンのレコードジャケットでお馴染み、1966年のバイロイト音楽祭での「トリスタンとイゾルデ」のステージ写真です。初出LPと、最初にCD化された時のジャケットは、こちら。
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しかし、一目見ただけで、このジャケットの写真のどちらかが「裏焼き」であることが分かります。アンコは入っていませんが(それは「どら焼き」)。左側のLPと、そしてこの本の表紙の方が間違いであることは、本書の中に掲載されているヴィーラント・ワーグナー自身がこのステージの演技指導を行っている写真(303ページ)によって立証されます。イゾルデの後ろにある壁に見立てた帆布の傾きが、表紙(LP)のものとは全く逆になっているのですから。そして、それは実際にこのライブ録音を聴いてみると、さらにはっきり分かります。これはおそらく、第1幕の第3場、クルヴェナールに揶揄されたブランゲーネ役のクリスタ・ルートヴィヒが、悔しさのあまりニルソンのイゾルデの前にくずおれているシーンでしょうが、そこでは確かにニルソンとルートヴィヒの声は左側から、そしてトリスタン役のヴィントガッセンとクルヴェナール役のヴェヒターの声は右側から聞こえてきています。
ん?ヴィントガッセンとヴェヒター?確かに表紙の写真では、船の舳先のようなシルエットの前に、その二人の姿が見えますね。しかし、LPでもCDでもその部分は真っ暗で、人なんかいませんよ。これは別のシーンの写真なのでしょうか。いや、これらの写真は、それぞれの細部を比べてみると、全く同じネガによるものであることは明白です。ということは、レコードのジャケットを作る時点で、「故意に」この二人の画像を「消した」ということになるのでしょうか。ジークフリート・ラウターヴァッサーの写真は、40年以上の間、修正された形でしか我々の目には触れてはいなかったのでしょうか。そのオリジナルの姿が、この表紙によって初めて明らかになったということになるのでしょうか。もしそうだとしたら、このシーンでのヴィーラントの重要なモティーフだったはずの、片方は泣き崩れているというのに、もう片方はふてぶてしく知らん顔をしているという、そんな二組の人物の対比が、ジャケット写真からは全くうかがうことはできないことになってしまいます。ヴィーラントの映像などは殆ど目にすることは出来ませんから、これはかなり貴重な写真だったはず、このドイツ・グラモフォンの措置は、まさに今は亡き天才演出家に対する冒涜以外の何者でもありません。
ヴィーラントに関しては、ここではニルソンはかなりの紙面を費やして語っています。すでにイゾルデとして確固たる地位を築き上げていたにもかかわらず、彼女は「今までの解釈をすべて忘れ、先生と最初からやり直したいのです」とまで、ヴィーラントに告げ、その結果全く新しいイゾルデ像を、彼とともに作り上げていくことになるのです。
そのあたりの彼女の演出家に対する言及には、真のプリマ・ドンナならではの重みが感じられます。何よりも音楽を大切にした上で確かなドラマを産み出したヴィーラント、その対極としての「演出家」、ヘルベルト・フォン・カラヤンの無能さを描く筆致は、滑稽なまでの爽快感を伴います。
1982年に、余力を残しながら「引退」し、愛する夫との満ち足りた生活を選んだニルソンは、2005年にこの世を去りました。彼女がこの自伝の中で謙遜気味に述べている誰にも真似の出来ない豊かな音楽性、それは、多くの録音によっていとも簡単に追体験の出来るものです。
余談ですが、220ページの「『バラの騎士』のケルビーノ」という部分は、原書にあった間違いなのでしょうか。あるいは、それはニルソンお得意のアイロニー?
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by jurassic_oyaji | 2008-09-11 20:43 | 書籍 | Comments(0)