おやぢの部屋2
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Salomix-Max
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Salome Kammer(Voice)
Rudi Spring(Pf, Arr)
WERGO/WER 6709 2



サブタイトルが「Voice without limits」ですから、「限界のない声」でしょうか、確かにこのアルバムのリーダー、ザロメ・カンマーの「声」にはジャンルもカテゴリーも超えた多様なキャラクターが宿っていました。特に、現代作品での「声」の持つ可能性を極限まで追求したテクニックには驚きを隠せません。
このような「声」を売り物に現代音楽の分野で活躍した人には、キャシー・バーベリアンというまさに「ワン・アンド・オンリー」の才能の持ち主がいました。腕の力もありました(それは「バーベルマン」)。ザロメのアルバムは、この故バーベリアンに捧げられています。同じWERGOレーベルに、彼女が録音した「MagnifiCathy」というアルバムがありますが、それが、このザロメのアルバムのブックレットにも紹介されていることからも、両者の間の緊密な関係はうかがえます。
そのアルバム同士の曲を比べてみると、その中でこの二人は1曲だけ全く同じ曲を歌っていました。それは、クルト・ワイルのミュージカル「ハッピー・エンド」の中の「スラバヤ・ジョニー」というナンバーです。サビの部分がワイルの作品としては最も有名な「マック・ザ・ナイフ」と酷似したメロディを持っているこの曲を、バーベリアンはまるでロッテ・レーニャへのオマージュであるかのように細かいビブラートを付けて歌っていましたが、ザロメはもっと前を向いた歌い方を目指しているかのように見えます。バーベリアンにとってのワイルが「過去のもの」であったのに対し、ザロメのそれはあくまで「現在」としてのレパートリー、それは彼女が現にミュージカル女優であることと無関係ではないはずです(「マイ・フェア・レディ」のイライザ役を、もう150回以上も演じているのだとか)。バースの付いた「虹の彼方に」がとても魅力的なのは、当然のことです。
同じように、バーベリアンの「持ち歌」であったベリオの「セクエンツァ」も、ザロメが「演奏」すると、全く異なる趣が現れてきます。まさに1960年代の匂いのプンプンする、人間の声から全く意味を剥奪して「素材」に還元したという作品からは、しかし、人間が声を出すという行為にはどんな場合でも「意味」、あるいは「意志」がともなうのだ、という事実を再確認させられることでしょう。そんな意味で、これはとても「セクシー」な「セクエンツァ」です。
まるで現代の(そう、ベリオはもはや「現代」ではありません)「セクエンツァ」とも言うべき作品も、2人の作曲家のもので聴くことが出来ます。彼女が演奏すると「セクシー」どころか、まるで「セックス」そのもののようになってしまう、カローラ・バウクホルトの「エミール」というちょっとアブない曲はさておいて、ヘルムート・エーリンクの「2wei」という作品は、サンプリングの手法を取り入れて1人で2人の声を出すという今風の仕上がりを見せていて、楽しめます。
アルバン・ベルクの「4つの歌曲」では一転して、まるで「クラシック」のソプラノのような見事なベル・カントも披露してくれています。そんな直球勝負のひたむきさが、この曲には不思議にマッチ、確かな充実感が味わえます。もしかしたら、このあたりが彼女の素顔なのでしょうか。そういえば、ブックレットの中の写真ではなかなか可愛いルックスのようなのに、このジャケットはあまりにもかわいそう、演奏同様、彼女の素顔をぜひきちんと見てみたいものです。
ワイルなどのカバー曲では、バックにクラリネット、フルート、そしてアコーディオンなどが入って、かなりぶっ飛んだアレンジ(ピアニストで、作品も提供しているシュプリングの編曲)を楽しませてくれます。アルバムの冒頭では、コール・ポーターの曲でバス・クラリネットがいきなりキー・チョッパーで驚かせてくれましたが、リムスキー・コルサコフの「熊ん蜂」では、ソリストを差し置いて、アルト・フルートが大活躍でした。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-29 20:07 | 歌曲 | Comments(0)