おやぢの部屋2
2024-03-18T19:51:11+09:00
jurassic_oyaji
新譜クラシックCD、DVDのレビューと、「禁断」という名の日記
Excite Blog
RAVEL/Orchestral Works
http://jurassic.exblog.jp/33286118/
2024-03-18T19:51:00+09:00
2024-03-18T19:51:11+09:00
2024-03-18T19:51:11+09:00
jurassic_oyaji
オーケストラ
Stanisław Skrowaczewski/
The St. Olaf Choir(by Kenneth Jennings)
Minnesota Orchestra
VOX/VOX-NX-3037CD
スタニスワフ・スクロヴァチェフスキと言えば、20世紀が終わろうとしていたころに、ザールブリュッケン放送交響楽団を指揮したブルックナーの交響曲集によって一気に注目された指揮者でしたね。なんせ、そのCDは、演奏が素晴らしい上に、なんと1枚1000円以下で買えたのですからね。
ただ、この指揮者は、そんな風に騒がれるずっと前から、昔からのレコード愛好家にとってはよく知られていました。特に、1960年から1979年まで音楽監督を務めていたミネアポリス交響楽団(在任中に「ミネソタ管弦楽団」と名前を変更)との録音は、その音の良さによってかなりの人気を誇っていたのですね。
VOXなどのレーベルの、それらのアルバムは、もちろんCDに復刻されてきましたが、そのVOXレーベルは、2018年にはNAXOSレーベルに吸収されてしまいます。ですから、その素晴らしい録音をきちんと聴いてもらおうと、マスターテープから新たにハイレゾ(192kHz/24bit)でトランスファーを行ったCDが、このようにNAXOSから「AUDIOPHILE EDITION」として登場することになりました。
今回のアルバムは、1974年に録音されたラヴェルの管弦楽のための作品集です。この録音では、ラヴェルのほぼすべてのオーケストラ作品が録音され、それが4枚組のLPとしてボックスセットとなって発売されました。
さらに、この時代は「クアドラフォニック」つまり「4チャンネル」のレコードが大々的に作られていましたから、これも「4チャンネル」仕様でした。ただ、その規格は、ソニーなどが提唱していて、最もシェアが多かった「SQ」という方式ではなく、「サンスイ」という、今はなき日本のオーディオメーカーが作った「QS」という方式だったので、実際に4チャンネルで聴けた人は少なかったでしょうね。
ですから、今回NAXOSがしっかりハイレゾ対応でトランスファーを行っていたのですから、2チャンネルではなく、4チャンネルのマスターからの音源を、かつては手掛けていたBD-Aで出してくれればよかったのになあ、と思ってしまいます。
今回は、まだCDは販売されていなかったので、サブスクで聴きました。確かに、音は非常にクリアに録音されていますが、かなり音圧が低く設定されているので、ちょっともどかしい感じがしてしまいます。それによって、ラヴェルの独特のオーケストレーションが、なにかぼやけて聴こえてしまうのは、ちょっと残念でした。もしかしたら、QSにエンコードされた音源が使われていたとか。
このアルバムに収録されているのは、「高雅で感傷的なワルツ」、「マ・メール・ロワ」、「ダフニスとクロエ」第1、第2組曲、そして、初めて聴いた「ジャンヌの扇」のファンファーレです。最初の2曲が、そんな、ちょっとストレスが感じられる音でしたが、「ダフニス」ではそれほど気にならず、このオーケストラの、いかにもアメリカらしいはじけたサウンドが、特に金管セクションで堪能できました。合唱も素晴らしかったですね。
ただ、肝心のフルートが、とても上手でテクニックに破綻はないのですが、なんか素っ気ない演奏なのと、この頃のアメリカのオーケストラのフルートによくある常に同じ速さの深めのビブラートが気になりましたね。アルトフルートも、まるでコールアングレのような音色になってましたし。
最近では、「ダフニス」と言えば「第2組曲」か「全曲版」のいずれかが演奏されるようになっていて、「第1組曲」を聴くことはまずありません。というのも、「第2組曲」は、全部で3つの部分からできている全曲の中の第3部をほぼそのまま演奏しているのですが、この「第1組曲」というのは、第1部の最後の部分から始まって、第2部の途中までで終わっているのですね。ですから、この2曲を演奏しても、全曲の半分ちょっとしかありません。LPには「All the Works for Orchestra」とあるのに、なぜこんな選曲をしたのでしょうね。ただ、ここでは「第2組曲」は、普通に聴く場所よりも21小節前から始まっていたので、ちょっとびっくりしてしまいました。
スクロヴァチェフスキのファーストネームは、最近は「Stanislaw(スタニスラフ)」ではなく「Stanisław(スタニスワフ)」ときちんとポーランド語で表記されているようですね。やはり「裸婦」では恥ずかしいのかも。
CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd
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エイチ(イタリアン)
http://jurassic.exblog.jp/33285354/
2024-03-17T20:56:00+09:00
2024-03-17T20:58:38+09:00
2024-03-17T20:56:39+09:00
jurassic_oyaji
禁断
そのお店は、県庁から旧NHKの方に向かっていったところにあるということで、車は県庁の前にある駐車場に入れることにしました。この駐車場は、別に県庁に用事がなくても止められる有料駐車場で、そんな街中にしてはかなり料金が安いので、休日などはかなり入るのに待たされる、ということは聞いていました。でも、まあ、かなり広そうだし、回転も速そうなので、それほど待たなくても大丈夫なような気はしてましたね。
ところが、行ってみると、もう道路に8台ぐらいの車が並んでいました。やっぱり、待たなければいけないようですね。それで、予約もしてあったので、愚妻だけお店に行っててもらって、私は駐車場に入るまで車で待っていることにしました。経験上、長くても30分も待っていれば入れるはずですからね。
ところが、それからいくら待っても、中から車が出てくることはありません。完全に膠着状態になってしまいましたね。それでも、いつの間にか列は先に進んでいて、私の後ろにも車が並ぶようになったので、もう少し我慢してみようと思いました。やがて、1時間以上待った末に、ついに駐車場の入り口までたどり着きました。私の前には1台しかありません。いやあ、長かったなあ、と思っていたら、その、前の車が突然列から離れてどこかへ行ってしまったのですよ。せっかく待っていたのに、ここまで来て諦めるなんて、と思って、駐車場の方を見てみたら、
こんな看板が目に入りました。なんと、ここは終点ではなく、ゲートはそのはるか先なんですって。このように、あと6台分は待たないといけません。これまでのペースだと、あと1時間はかかってしまいます。もうランチタイムは終わってしまうかもしれません。それより、一人で待っている愚妻は、怒り狂っていることでしょう。
それで、遅きに失した感はありますが、私も列を離れ、ちょっと遠くになりますが、市役所前の地下駐車場に停めることにしました。
そこに行ってみると、なんだか賑やかなイベントをやっているので、やはり道路まで入車の列が出来ていましたが、こちらはもうスイスイ中から出てきますから、もう、すぐに停めることが出来ましたよ。もっと早くこちらに来ていればよかったですね。なんせ、あんな料金ですから、長時間停めても大したことはないので、みんな時間をかけて買い物をしたり、このイベントに参加してたりしていたのでしょうね。
それから、小走りでお店に向かいます。
それは、ビルの地下にあるこんなイタリアンのお店でした。
これは、お店のサイトからの写真ですが、今は、テーブルの間に仕切りが置いてありましたね。愚妻は、二人掛けのテーブルに憮然として座っていました。でも、駐車場のせいですから、仕方がありません。
料理は、ランチのコースを頼みましたが、素晴らしかったですね。
特に、メインのパスタが、アラビアータで、ベーコンが入っているように見えたのですが、食べてみたらそれはキャベツ、それがもうとても甘くて、信じられないほどのおいしさでした。
店員さんは、シェフともう一人のフロア担当の男性2人だけ、ほぼ満席だったので忙しそうでしたが、こまめにお客さんに気を配っているようでした。
私がデザートを食べ始めた時に、その彼が、「駐車場が混んでたんですって?」なんて話しかけてきました。近所の駐車場も教えてくれました。たぶん、待っている間に愚妻と話をしていたのでしょうね。それでも、こんな気さくに応対してもらったことなんて殆どありませんでしたから、なんか、うれしくなりましたね。近いうちにまた行くことになるでしょうね。]]>
BACH/Johannes Passion
http://jurassic.exblog.jp/33284475/
2024-03-16T19:17:00+09:00
2024-03-16T19:17:45+09:00
2024-03-16T19:17:45+09:00
jurassic_oyaji
合唱
Hugues Cuénod(Eva)
Doda Conrad(Jes)
Roger Stalman(Pilat, Bass Arias)
Ilse Wolf(Sop Arias)
Dorothea von Stein(Alt Arias)
Petre Munteanu(Tenor Arias)
Pablo Casals(Vc)/
Collegium Musicum Londinii
Prades Festival Orchestra and Chorus
ARCHIPEL/ARPCD 0837
こちらで、1962年に録音されていた「マタイ」を聴いていたカザルスですが、同じレーベルで1959年に録音されていた「ヨハネ」が出てきました。「マタイ」はアメリカでの録音でしたが、こちらはカザルスの亡命先、南フランスのプラドのサン・ピエール教会でのライブ録音です。
なにしろ、「マタイ」ではその音が最悪でしたが、今回はそれほど悪くはありませんでした。とりあえず、どの程度のオーケストラや合唱なのか、というぐらいは、きちんと分かります。つまり、ここでの合唱は、おそらくきちんとした訓練を受けて、常に技量をみがくべく研鑽に励んでいる、というようなタイプの団体ではないように見受けられます。「ヨハネ」の場合は、合唱の役割というのはある意味「マタイ」より重要なのではないか、という気がするのですが、ここでの合唱ときたら、もう最初の曲からしてとんでもないことになっていました。
その曲は、まずテンポが、今の時代の人には考えられないほどのゆっくりしたものであることに驚かされます。いや、時代云々ではなく、これはあくまでカザルス先生のバッハ観がそのまま反映されたというテンポなのでしょう。この時代に録音された「ヨハネ」は他にもありますが、これほどゆっくりとしたものはないような気がしますからね。
ですから、これはあくまでカザルス先生のバッハとして聴けばいいのでしょうが、そこに出てきた合唱が、そんな先生の思いを踏みにじるようなひどさだったので、もう音楽としての一線を越えてしまっていたのですね。
そんなしょうもない合唱なのですが、なぜか、コラールになると俄然まっとうな音楽に変わります。おそらく、この人たちは、日常的に教会でコラールを歌っているので、ここでもシンパシーを感じながら歌うことが出来ていたのでしょう。それに対して、この1曲目の大合唱や、後半のレシタティーヴォの間に出てくる民衆の叫びなどは、彼らの表現能力が追い付かない結果、声は出せてもそれが音楽にまでは昇華できていなかったのかもしれません。
ソリストにしても、この先生のテンポには付いていけなくなって、何とかそれに合わせようと努力をしている様子がまざまざと伝わってきます。最初のアルトのアリアなどが、そんな感じでうまくかみ合っていませんでしたね。
ところが、同じアルトの人が、後半の大曲「Es ist vollbracht」を歌ったときには、見事に先生の音楽と一体化しているというシーンが現れていました。というか、このアリアでは、チェロ(本来はヴィオラ・ダ・ガンバ)のオブリガートは、なんとカザルス先生が自ら頑張ってお弾きになっていたのですよ。まずは、その長大なイントロで、もうこれ以上遅くしたら音楽ではなくなってしまうのでは、というほどのテンポで、たっぷりとしたフレージングのソロが始まります。そこでは、先生のうめき声まではっきり聴こえてきますから、もうまさにバッハと先生が一体化して対話をしているのではないか、というほどの崇高な世界が広がります。それを受けてのアルトのソロですから、これはもうそんな流れをぶち壊すことなどは出来っこありません。先生のチェロをバックに、もうそこでしか聴くことが出来ないようなものすごい音楽が出来上がっていました。もっとも、中間部の早いところでは、もはや緊張の糸が解けてしまったのか、ガタガタになってしまいましたけどね。
そんな感じで、2時間半にも及ぶ「ヨハネ」を聴き通してみると、もう、このアリアだけしか記憶に残らなかったほど、この演奏にはインパクトがあったことを感じずにはいられませんでした。
同時に、このアリアが持つポテンシャルの大きさに驚かされてしまいます。おそらく、それはこれを作ったバッハ自身も想像してはいなかったほどのものなのではないでしょうか。カザルス先生は、これを演奏したいためだけに、「ヨハネ」を取り上げたのかもしれませんね。
もし、ここでの合唱がもっときちんとしたものであったら、どれほどのものが出来上がっていたのかと思うと、恐ろしくなってしまいます。
Album Artwork © Archipel Records
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くるみ割り人形
http://jurassic.exblog.jp/33283821/
2024-03-15T21:21:00+09:00
2024-03-15T21:21:47+09:00
2024-03-15T21:21:47+09:00
jurassic_oyaji
禁断
それは、おととしの年末あたりから適用されることになった、現金で振替を送るときには、普通の料金のほかに、払う人が110円の手数料を払わなければいけなくなる、という制度でした。ニューフィルの場合は、チケットを送るときに料金受取人払いの振替用紙を送っているので、それまでは会員さんは会費だけを送ってくれればよかったのに、これによって110円余計に支払うことになってしまうのです。ですから、その110円はこちらで支払うので、会員さんは会費から110円を差し引いた金額で送金してくれるようにお願いしていたのですね。
しかし、昨年の末に、こんなお知らせが出ていたのでした。
理由についてはいろいろ書いてますが、要はお客様から抗議の声があったから、じゃないでしょうか。どう考えても、この制度はあまりに安直なやり方ですからね。誰も納得しなかったので、やむを得ず「廃止」にしたのでしょう。
それにしても、なんともお粗末なやり方でしたね。よくもこんないい加減なことをやってくれたな、と思ってしまいます。その後始末にしても、こんな「お知らせ」だけで済ませようとしてましたからね。職場ではもっと大規模に振替を扱っているのですが、これに関しては、加算料金のことも、その廃止のことも、全く何の連絡もありませんでしたからね。
まあ、でも、反対意見を誠実に受け止めた、という姿勢だけは評価したいですね。今の世の中、お上が決めたことは、福島の原発の汚染水の海洋廃棄にしても、宮城県の病院移転の件にしても、さらには、国のマイナンバー制度にしても、あれだけ住民が反対しているのに、決して「廃止」になることはありませんからね。
その時に為政者が言うのが、決まって「きちんと説明します」という文言です。「説明」というのは、相手に自分の考えを押し付けることじゃないですか。この言い方には、他人の意見に耳を貸す姿勢が、全く感じられません。困ったものです。
ニューフィルの次の演奏会のプログラムの最終的な選曲の時にも、やはりこのような「自分の意見を押し通す」という姿勢が見られましたね。まあ、結果的には異存はないのですが、その過程に「またか」という思いが生じてしまったのは残念です。
その結果、いつの間にかこういう曲が入っていましたね。
冒頭で、フルート3本が「フラッター・タンギング」を披露するんですよ。最初にこの音源を聴いた時には、この時代にこの奏法はありえない、と思ったのですが、物の本によると、有名な曲でこの奏法が使われたのは、これが史上初なのだそうです。私はフラッター・タンギングは得意ですから、なんてことはないのですが、これが苦手、という人もいますね。ちょっと時間が長すぎるようなので曲の中でカットする場所も出てくるようなことを言ってましたから、このあたりもカットされるかもしれませんよ。]]>
SIBELIUS/Symphony No.4, The Wood Nymph, Valse Triste
http://jurassic.exblog.jp/33282964/
2024-03-14T19:37:00+09:00
2024-03-14T19:37:25+09:00
2024-03-14T19:37:25+09:00
jurassic_oyaji
オーケストラ
Santtu-Matias Rouvali/
Gothenburg Symphony Orchestra
ALPHA/ALPHA 1008
フィンランドの指揮者サントゥ=マティアス・ロウヴァリと、スウェーデンのオーケストラ、エーテボリ交響楽団のシベリウス・ツィクルスも、もう4枚目となりました。現在はフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者となったロウヴァリですが、その前からのこのオーケストラとの関係は、まだしっかり続いているようですね。
今回は、シベリウスの交響曲の中で、最もとっつきにくい作品だと誰しもが認める「第4番」の登場です。一応この録音にどっぷり漬かろうと思って、スコアを片手に聴き始めたのですが、途中で猛烈に睡魔に襲われてしまって、ついに「落ちて」しまいました。楽譜には面倒くさい譜割りや、ついていけないシンコペーションなどがたくさんあるので、それに気をとられてしまって演奏そのものはなかなか耳に入ってこない、という弊害があるようですね。
それでは何の意味もないので、スコアを見るのはやめて最初から聴きなおしました。そうしたら、もやら睡魔など全く襲われることもなく、きちんと聴くことが出来ましたよ。苦手だったこの曲も、やっと楽しめるようになったのでしょう。ロウヴァリの指揮も、「こんなに楽しい曲なんだから、聴いてみてよ」みたいな感じがふんだんに伝わってきますから、もうお膳立ては万全です。
第1楽章ではチェロのソロが醸し出す深い情緒に引き付けられます。第2楽章では、そのままでもこの曲の中ではキャッチーな部分が多いので、それが増幅されて伝わってきます。第3楽章では、なんと言ってもフルートのソロが素晴らしく、もう聴きほれてしまいましたね。そして終楽章の、ここでも大活躍のチェロのソロを堪能です。
録音もとても明るい音で、曲全体にみなぎるのは、やはり若さ溢れる躍動感、でしょうか。もしかしたら、この曲はもっと渋く演奏したほうがありがたみが出るのかもしれませんが、やはりあまりにも地味だと、本来の魅力まで半減してしまうかもしれませんね。
その次に聴こえてくるのが、初めての体験となる「森の精」です。オリンピックの汚職ではありません(それは「森のせい」)。これは、シベリウスの20代最後の年から作られ始めた作品で、「Op.15」という作品番号が付けられています。しかし、この番号では、ここで演奏されている20分以上のオーケストラ曲と、その半分の長さしかなく、編成も小さくてナレーションが入ったバージョンのものがあります。つまり、元々はスウェーデンの作家、ヴィクトリ・リュドベリの作った同じタイトルの物語を下敷きにしてオーケストラのための長い曲が作られていたのです。ただ、それは1895年に作曲家自身の指揮で初演されるのですが、あまり評判が良くなかったようで、それ以来ほぼ「お蔵入り」状態になってしまったのですね。ただ、それを縮小してテキストの朗読を入れたバージョンは、知られていました。
ですから、きちんとオリジナルの形で演奏されるのは、オスモ・ヴァンスカとラハティ交響楽団による1996年の蘇演を待たなければなりませんでした。
作品は、先ほどのリュドベリのテキストから4つの部分が使われていて、それぞれにキャラクターが違っていますが、実際は1番目と2番目の部分は同じようなテイストなので、3つの部分と考えることも可能です。その最初の部分は、まるで同じ作曲家の「カレリア」の中の「行進曲」のような、とても元気のよい音楽です。それが次の部分になると、ガラリを様相が変わって、神秘的で幻想的な音楽に変わります。そして最後の部分は、なんと「葬送行進曲」です。執拗に重苦しいモティーフを繰り返す中で、音楽自体が盛り上がっていくのは、「交響曲第2番」のような味もありますね。もちろん、ロウヴァリは、それらのテイストをきっちりと表現して、そこから「若人の悲劇」のようなものをとても明快に表現しています。
最後にあったのが、「悲しきワルツ」です。これはとても有名な曲ですが、ロウヴァリの手にかかると、ちっとも「悲しく」ない、なんか、勇気がもらえるような明るい曲に変わります。それはそれで、とても楽しい体験でした。
CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music
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メーカーはソニー
http://jurassic.exblog.jp/33282330/
2024-03-13T20:56:00+09:00
2024-03-13T20:59:08+09:00
2024-03-13T20:56:36+09:00
jurassic_oyaji
禁断
いずれにしても、それが見つかったのが朝だったので、とりあえずその日の夜の録画に間に合わせるために、職場から即刻開店直後のヨドバシに行って、新しいのを買ってきましたよ。基本的に同じタイプ、4Kなどというものは、まだまだ必要ないのでパスです。ただ、今まではダブルチューナーだったので、それはトリプルチューナーにしました。実際に、同時に3つの番組を予約するということが必要になってきたのものですから。日曜日の10時台ですね。
そのまま自宅に戻って、セッティングとテストまでやって、職場に戻ったのは1時間半後でした。もちろん、予約もやっておきましたよ。まず、これで一安心、これはあと何年もってくれるのでしょう。その頃は、もうブルーレイなんかなくなっているかもしれませんね。
昨日は、ニューフィルの普通の練習、キビキビした中に緊張感もあった指揮者練習とは大違いでしたね。なんせ3番フルートは暇なので、そんなことばかり考えています。そこで、練習している曲の中に、ちょっとおかしなところがあったので、それを2番の人のパート譜と比べてみたのですが、それもおかしくなっていました。さらに、ユニゾンでヴァイオリンも一緒の場所なので、その辺のヴァイオリンの楽譜を見せてもらったら、やはりそれも変でした。こういう、同じフレーズが3回出てくるのですが、2番目だけが別の音になっているんですよ。
1回目
2回目
3回目
赤枠の最後の音が2回目だけ違ってますね。
指揮者のスコアも、同じ音、つまり、そのスコアからパート譜を生成させていたのですから、当たり前ですね。ごく最近浄書された楽譜のようですが、小節番号もなんだかいい加減ですから、おそらくスコアから間違っていたのでしょう。
念のため、あとで、手元にあった音源(サブスクですけど)を聴いてみたのですが、全て、3ヵ所とも同じ音(F#)で演奏していましたね。]]>
BEETHOVEN/Symphony No. 9
http://jurassic.exblog.jp/33281636/
2024-03-12T21:54:00+09:00
2024-03-12T21:54:41+09:00
2024-03-12T21:54:41+09:00
jurassic_oyaji
オーケストラ
Vladyslav Buialskyi(Sop), Olga Kulchynska(MS)
Nicole Chirka(Ten), Dmytro Popov(Bas)
Keri-Lynn Wilson/
The Choir of the Podlasie Opera and Philharmonic in Bia?ystok
Ukrainian Freedom Orchestra
DG/00028948660117
一昨年、2022年の7月、新国立劇場やNHK交響楽団との共演で日本でもおなじみの、ケリ=リン・ウィルソンという、ウクライナ人を祖先に持つカナダ人指揮者が、ウクライナ国内の歌劇場やオーケストラのメンバー、そして、外国のメジャー・オーケストラで活躍しているポーランド人のメンバー74人をポーランドのワルシャワに集結させて、一つのオーケストラを結成しました。そのオーケストラの名前は「ウクライナ・フリーダム・オーケストラ」、略称は「UFO」です。「未確認飛行物体」ではありません(それも「UFO」)。
もちろん、それはロシアによる非人道的な(というか、一人の狂った指導者による)ウクライナの領土略奪に対する、芸術家としての気概を全世界にアピールする、といった強い意志を持った行動だったのでしょう。
そして10日間のリハーサルの後、7月28日にポーランド国立大劇場で旗揚げ公演を行ったのでした。その時のプログラムは、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの交響曲第7番、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノはウクライナ人のアンナ・フェドローヴァ)、ブラームスの交響曲第4番です。さらに、ウクライナ人ソプラノのリュドミラ・モナスティルスカのソロでベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」からレオノーレのアリア「なんて忌まわしい奴だ! どこへ急ごうとしているのだ。でも、希望は捨てない!」が歌われるのですが、その意図は明白ですね。
その後、メインをブラームスとともにドヴォルジャークの「新世界」との二本立てでヨーロッパ、そしてアメリカを巡るツアーを敢行し、世界中のプレスから大絶賛を受けることになるのです。
そのツアーは、昨年2023年にも行われました。それは、8月20日のワルシャワを皮切りに、9月3日までに、グダニスク、ベルリン、ルツェルン、アムステルダム、ハンブルク、そしてイギリスのスネイプとロンドンという8箇所で演奏するというスケジュールでした。
その時のプログラムは、ベルリンを除いたグダニスク以降はヴェルディの「運命の力序曲」、ウクライナの作曲家イーヴェン・スタンコヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第2番」(ソロはヴァレリー・ソコロフ)、同じくウクライナの作曲家ミロスラフ・スコリクの「メロディ」、そしてベートーヴェンの「英雄」でした。
そして、ワルシャワとベルリンでは、同じベートーヴェンの「第9」が演奏されています。そのワルシャワの時のライブ録音が、DGからリリースされました。おそらくCDでのリリースはなく、ネット配信だけのアイテムのようですね。
その演奏には、寄せ集めのメンバーではあっても、しっかりとした絆の元に結束した完璧なアンサンブルが感じられました。風通しの良い第1楽章に続く、疾走感あふれる第2楽章、ここでは余計なリピートを省いたため、なおさらその感は高まります。第3楽章は、たっぷり歌いこんでいるにもかかわらず、敢えてそれを大げさに見せない慎み深さが光ります。
そして、終楽章では、シラーのドイツ語の歌詞をウクライナ語で歌うという、おそらく商品としてのアルバムでは初めてのことが行われていました。ただ、そこまでではなくとも、歌詞の一部だけを変える、というのは、以前にもありました。それは、1989年のベルリンの壁崩壊の後に、レナード・バーンスタインが6つのオーケストラの団員を集めて旧東ベルリンでこの曲を演奏した時に、「Freude(歓喜)」という単語を「Freiheit(自由)」に変えたという有名なコンサートです。
今回、指揮者のウィルソンが用意したウクライナ語の歌詞では、その部分が「Slava(栄光あれ)」となっていました。これは、「ウクライナに栄光あれ」という文脈で、近年はよく耳にする言葉です。
しかし、それだけのメッセージを発する演奏が、インターネットの動画、そしてこのようなアルバムでいくら伝えられても、ロシアの蛮行にはいささかの歯止めもかからないというのが、とても悲しい現実です。音楽「なんか」では決して世の中は変わりません。
Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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指揮練の降り番
http://jurassic.exblog.jp/33280138/
2024-03-10T23:05:00+09:00
2024-03-10T23:05:37+09:00
2024-03-10T23:05:37+09:00
jurassic_oyaji
禁断
会場は1年半ぶりの岩沼市民会館です。ご近所に車のないヴァイオリンの団員さんがいて、いつもだと送ってくれる人がいるのですが、今回はその人が都合が悪いということで、私が送り迎えをお願いされていました。ですから、前もってきのうは午後2時開始だったので、それに間に合うようにと12時半に迎えに行くことになっていました。ですが、定時にご自宅に伺うと、声をかけても出てきません。ご高齢なので、なにかあったのかな、と心配になったのですが、しばらくして、奥から顔を出して「12時半でしたっけ?」なんて言ってました。
それでも、5分後には準備が出来て、スタートです。かなり道が混んでいたので、間に合うかどうか心配だったのですが、なんとか15分前にはたどり着きました。
喜古さんのご指導は、あまり細かく止めないで、長く通した後細かいところを注意、というやり方ですから、私のように小節を数える時間が長い人には、いい訓練になりますね。本番モードで、どのぐらい集中していればいいのか、シミュレーションが出来ました。もちろん、その指示はとても的確で、ぶっ飛んだ比喩が飛び交うのが、楽しいですね。なんだっけ、「一夜だけではなく、もっと長いお付き合いを」なんて譬えが出てきたこともありましたね。
いや、そういうことではなく、もう曲の隅々までどのように演奏するのか、という設計が完璧に出来上がっていて、それを私たちに伝えてくれる、ということなんですね。それが当たり前なのでしょうが、すごいことです。
送り迎えは、もちろん帰りもあるのですが、私の場合は最後の曲が降り番なので、その間は待っていなければいけません。それで、その間に、近所にファミレスがあることを調べておいたので、そこに行って晩ご飯を食べてこようと思っていました。そうしたら、やはり降り番のYちゃんも、同じように他の人の車で一緒に来たので、私と一緒に食べに行く、ということになりました。
そのファミレスは、ホールから車で2分、という近さです。ただ、何しろ土曜日の夕方ですから、待っているお客さんが2組ぐらいありました。でも、そのぐらいだったらすぐに呼ばれるだろうと、待っていました。その間にメニューを見て、とにかく時間がないから、サラダバーなどはやめようね、などと話していたのですが、出てくる人は何組もいたのに、一向に前の人が呼ばれる気配がありません。そのうち、ちょっと時間的にヤバいな、ということになりました。私が調べた時には、ホールの近所にはコンビニもなかったようなので、どうしようもありません。
そうしたら、Yちゃんは、スマホで近所にあるセブンを見つけてくれましたよ。国道の向こう側なんですね。私は、そこまでは探していませんでした。
結局、そこにも数分で着いたので、普通に買い物をして暖めてもらい、ホールに帰って一緒に食べました。ご主人と一緒に新国に「トリスタン」を見に行くんですって。いいなぁ。
岩沼といえば、この前来たときにはこんな手書きの掲示がありましたね。
それが、今回はディスプレイに変わっていました。
もちろん、内容もきちんとしていましたね。
でも、ステージの脇に、こんなのが置いてありました。
やっぱり、ここの職員さんは面白い人が揃っているようですね。
でも、こんなマジメなお知らせも貼ってありました。
今まで無料で使えていた駐車場が、4月からは有料になるのだそうです。まあ、逆に無料で誰でも止められたというのがありえないのですから、これは仕方のないことでしょう。ただ、一応利用者には減免措置があるそうなのですが、我々のように6時間以上使う人にとっては、この減免の恩恵は全くないんでしょうね。出番が3時間しかない人だったら無料になるのでしょうが。]]>
MOZART
http://jurassic.exblog.jp/33279297/
2024-03-09T21:43:00+09:00
2024-03-09T21:43:33+09:00
2024-03-09T21:43:33+09:00
jurassic_oyaji
フルート
Héléna Macherel(Fl)
Simon Blendis(Vn)
Judith Busbridge(Va)
Sebastian Comberti(Vc)
Tjasha Gafner(Hp)
Simon Blendis/
London Mozart Players
CLAVES/50-3082
エレナ・マシェレルというスイスのフルーティストのアルバムです。彼女は、これまでにニューヨークのジュリアード音楽院でロベール・ランジュヴァン、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学でシルヴィア・カレッドゥ、そしてパリでクロード・ルフェーヴルなどに師事しています。そして、2018年からは、バロック・フルートも演奏するようになっています。
さらに、彼女は作曲活動にも興味を示し、協奏曲のためのカデンツァや、他の楽器のフルートへの編曲なども行っているのだそうです。そして、指揮者としての挑戦まで始まっているようですね。
ご自身のバイオによると、現在はバーゼル交響楽団の首席奏者を務めているということですが、オーケストラのウェブサイトのメンバー紹介には彼女の名前はありませんでした。もう一つ、ベルヴィエ音楽祭管弦楽団のメンバーという情報もありますが、これは、実際に今月末のアジア・ツアーのスケジュールが公開されているので、間違いはないのでしょう。
このアルバムは、彼女にとって3枚目のソロ・アルバムです。これまでには2021年にORPHEUSレーベルから、今回も共演しているハープのチャシャ・ガフナーとフルートとハープのためのレパートリー、そして2022年にはCHALLENGEレーベルからヴェロニカ・クイケン(ジギスヴァルト・クイケンの娘でヴァイオリニスト)のピアノ伴奏でフランスの作曲家たちのアルバムをリリースしています。情報によれば、5月の初旬にはラヴェルの曲のレコーディングが予定されているようですね。
今回は、モーツァルトの作品を集めたアルバムになっています。ニ長調のフルート四重奏曲、ニ長調のフルート協奏曲、そしてフルートとハープのための協奏曲という、まさに「名曲集」といったラインナップです。
まずは、とりあえず現在は4曲楽譜が存在している、フルートとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成の「フルート四重奏曲」の中で、始終耳にするニ長調の作品です。時には「第1番」と呼ばれることもありますね。もう、隅から隅まで知っている曲ですから、彼女の演奏ではどのようなアプローチが聴けるのかとても楽しみにして聴き始めましたよ。それはもう、なんとも穏やかで、優しい肌触りの演奏でした。彼女がバロック・フルートも演奏していることも関係しているのかもしれませんが、それはモダン・フルートでありながら、刺激的な低音などは全く聴こえてこない、ふんわりとしたサウンドで貫かれていました。まさに「高貴」というか、「優雅」というか、まるでモーツァルトの時代のサロンでの演奏のような雰囲気が全編に漂っていましたよ。ですから、ここでは、よくあるようなフルートだけが目立ってしまう、というようなことは全くなく、常に他の弦楽器としっかり溶け合っていました。歌い方もとても優しくて、フレーズの最後はきちんと音を小さくして「これでおわりです」感が誰でもわかるようになっています。もちろん、倚音が解決された音などもしっかり弱くなってほとんど聴こえなくなっていることもありますから、時には最後の音を間違えたのかな、と思ってしまいます。
そのような吹き方は、周りの編成が大きくなった協奏曲でも全く変わりませんでした。ニ長調の協奏曲の場合などは、出だしの部分で連続して低音が出てきて、モダン・フルートでは普通はそれをこれ見よがしに倍音たっぷりに響かせるものですが、彼女はあくまでソフトな処理に終始していましたね。
ハープと一緒の協奏曲でも、やはりフルートだけが目立つことは極力避け、あくまでハープを立てるというスタンスは変わりません。そんな柔らかい音色とハープが混ざったサウンドは、とても安らぎに満ちていました。
おそらく、協奏曲でのカデンツァは彼女が作ったものなのでしょう。あまり難しいことはやっていないようですが、個性的で独特なテイストが感じられます。
モーツァルトではなく、もっと新しい時代の作品ではどのような音を聴かせてくれるのか、とても興味があります。
CD Artwork © Claves Records SA
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ワープロはオアシスの親指シフト
http://jurassic.exblog.jp/33278429/
2024-03-08T20:26:00+09:00
2024-03-08T20:26:52+09:00
2024-03-08T20:26:52+09:00
jurassic_oyaji
禁断
これを最初に作った頃には、まだ私はコンピューターというものには全く触れたことはありませんでした。とりあえず会報を作るために、ワープロは買って、それでしばらく作業をしていました。もちろん、レイアウトなどは出来ませんから、テキストだけを作ってそれをプリントしたものを切って貼り付ける、というやり方で、ページを作っていましたよ。
でも、コンピューターだと、そのようなことが画面を操作するだけで自由自在に出来るのだ、という情報が次第に伝わってきたので、ついに当時のWindows95を購入、それに入っていたMicrosoft Wordを使って、それ以来ずっと作るようになりました。それから、もう25年も経っていたことを、バックナンバーを調べて分かりました。こうなると、もう「歴史」ですね。
ですから、もうWordに関しては、その機能はほとんど知り尽くしているような気になっていましたね。たまに変な挙動が出てくることがありますが、それはおそらく、同じファイルを何回もコピーして使い続けると、そのようなエラーが起きるのだということだって、最近知るようになりましたからね。
そんな時、私とブログのランキングを争っている人のブログのタイトルを見たら、なんだか私と同じようなことをやっているような気がしたので、読んでみました。そうしたら、やはり、町内会かなんかの会報のようなものをボランティアで作っていたという話が書いてあって、それをWordで作っているというのですよ。なんか、親近感がわきましたね。その彼も、いろいろ試行錯誤を繰り返していたようで、Wordを使うにあたってのちょっとした知識なども、そこで披露していました。
それは、私にしてみれば、もうすでに知っていることばかりだったので、奴でもこんなもんなのか、と思ったのですが、その中に一つだけ、知らないことがありました。それは、文章の中に全角と半角を混在させたときの体裁の調整について、という項目です。どういうことかというと、
これは、この間の「かいほうげん」に載せた文面の一部ですが、赤枠の中のように、全角文字の文章の中に半角文字や数字が入っていると、その間に少し空白ができるんですよね。これは、私もすでに気が付いてはいて、これだけは嫌なので何とかしてほしいと思っていたのですが、それはもうどうしようもないのだとあきらめていたのですね。でも、これを変えることは出来たのです。
Wordには「段落」の中に「体裁」という項目があるのですが、そこのこの赤枠の中のチェックを外すと、
どうです。見事に半角文字が文章の中に溶け込んでいませんか?
たぶん、こんなことは誰でもすでに知っていたのでしょうね。本当に今更ですが、これでやっと一ついやなところをなくすことができるようになりました。ブログの主には感謝です。]]>
SCHUBERT/Octet in F D.803
http://jurassic.exblog.jp/33277570/
2024-03-07T19:12:00+09:00
2024-03-07T21:39:51+09:00
2024-03-07T19:12:44+09:00
jurassic_oyaji
室内楽
The Vienna Octet
Willi Boskovsky, Philipp Matheis(Vn)
Günther Breitenbach(Va)
Nikolaus Hübner(Vc)
Johann Krump(Cb)
Alfred Boskovsky(Cl)
Rudolf Hanzl(Fg)
Josef Veleba(Hr)
DECCA/ LXT 2983, SXL 2028(LP)
最近、サブスクで、DECCAの初期のウィーン八重奏団のアルバムがまとめてリリースされていました。もちろん、オリジナルはLPです。その中に、このアンサンブルの看板であるシューベルトの「八重奏曲」が、1954年のモノラル盤と、1958年のステレオ盤との両方があったので、聴き比べてみました。
ウィーン八重奏団というのは、ウィーン・フィルのコンサートマスターで、ニューイヤー・コンサートでの最多出場(ヴァイオリンを弾きながら指揮)を誇るウィリー・ボスコフスキーが、弟の、やはりウィーン・フィルの首席クラリネット奏者、アルフレート・ボスコフスキーとともに他のウィーン・フィルのメンバーも加えて1947年に創設したアンサンブルです。編成は弦楽五重奏にクラリネット、ファゴット、ホルンが加わった8人、そのような編成で最も有名なシューベルトの作品を演奏するために作られたのだとも言われています。
1959年にはヴァイオリンのボスコフスキーがアントン・フィーツに替わりますが、そのメンバーで最初の日本公演が、NHKの招聘によって行われました。正確な年代は資料が見つからないのでわかりませんが、おそらく1960年代初頭あたりのはずです。それは、テレビやラジオで幾度となく放送されていたので、この曲はすっかり覚えてしまうほど聴くことが出来ました。同時に、そのメンバーも、「ギュンター・ブライテンバッハ(ヴィオラ)」とか、「ヨハン・クルンプ(コントラバス)」といった、少年にとっては耳に新しい、ちょっと変わった名前も刷り込まれることになりました。
現在でも、このアンサンブルは適宜メンバーの入れ替えを行って活躍しています。もちろん、オリジナルメンバーは一人も残ってはいません。
その、オリジナルメンバーによる2種類のLP、一応録音されたのは最初にあるように1954年と1958年なのですが、その演奏を聴き比べてみると、とても4年後に録音されたとは思えないほど、違いが顕著にみられます。まず、テンポが、モノラル盤はかなりゆっくり目ですが、ステレオ盤は全ての楽章が明らかに速くなっています。ただ、トラックタイムだけを比べると、第3楽章のスケルツォと第4楽章の主題と変奏は、モノラルが05:32と08:13、ステレオが05:57と11:20ですので、演奏時間は長くなっているのですが、これは、ステレオ盤ではすべての繰り返しを演奏しているのに対して、モノラル盤では繰り返しを省略しているからです。
テンポだけではなく、表現もかなり違います。ファースト・ヴァイオリンのボスコフスキーは、とても歌心のある豊かな表情を見せてくれているのですが、モノラル盤だと、かなり頻繁にポルタメントをかけているのに比べ、ステレオ盤ではもっとあっさりとした弾き方に変わっています。たった4年で、これだけの芸風の違いが出てしまうのは、普通は考えられません。
ところが、いろいろ調べているうちに、この2つの他に1948年に録音されたシェラック盤(いわゆるSPレコード)があったことが分かりました。DECCAの場合、1945年にはジャケットの右下にあるロゴの「ffrr(full frequency range recording)」という、周波数レンジを大きくとった高音質のテープ録音方式を確立して、それからカッティングしたシェラック盤も作っていたのですね。ですから、もしかしたら、この音源は結成直後の1948年に録音されたものなのではないでしょうか。
そのことで、先ほどの繰り返しの有無も説明できます。シェラック盤では、片面に収録できるのは最大で5分ちょっとでした。ですから、第3楽章では、その頃のテンポで繰り返しを行っていたら6分は優に超えてしまいますから、繰り返しを省いてギリギリ5分32秒までにしたのでしょう。第4楽章では、途中で盤面を変えなければいけませんが、繰り返しを入れると3面必要になるので、やはり2面に収めるための措置だったのでしょう。その結果、全曲はシェラック盤6枚(12面)に収まることになりました。
ジャケットは1954年のLPのものなのに、中身は1948年のシェラック盤(もちろん、そのマスターテープ)かもしれないと想像してみるのは、ちょっと楽しいかも。大声では言えませんが(シャラップ!)
LP Artwork © The Decca Record Company Limited
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セキュリティ
http://jurassic.exblog.jp/33276954/
2024-03-06T21:54:00+09:00
2024-03-06T21:54:17+09:00
2024-03-06T21:54:17+09:00
jurassic_oyaji
未分類
ということで、見事、こんな写真が撮れました。ポスターも入手できたので、7時7分の地下鉄に乗ったら、7時25分には太白に着いてしまいました。計画通りです。
ところが、そこで楽器を出して組み立てていると、カバンの中に入れたはずのパート譜が見当たりません。もしかして、スケジュールに夢中になっていて、入れるのを忘れてしまったのでしょうか。焦りましたね。他の人に聞いても、私のパートのパート譜を持っている人はいませんでしたし。私は、全員分のパート譜を常に持っているんですけどね。
また地下鉄に乗って、職場まで戻らなければいけないなあ、でも、その頃には練習も終わっているなあ、などと考えていたら、カバンの脇に、ここに来たときに組み立てておいた譜面台があって、その上にパート譜が置かれていたではありませんか。そうでした、戻ってきたときに少しでも早く練習に加わろうと、そこまで準備していたのですよね。すっかり忘れてました。いやあ、本当に良かった。
そんなこんなで、昨日はあわただしく過ぎたのですが、今朝になって、上の写真と、その前にやはり弦分奏で仙台フィルのコンサートマスターにトレーナーになっていただいた時の写真と一緒にFacebookにアップしました。こんな恵まれた団なので、ぜひ興味のある、特に弦楽器の人たちは入団してください、といったようなキャプションも付けておきましたよ。
それが功を奏して、公式サイトから連絡を取ってくる人がいるかもしれないので、一応メールフォームをチェックしようと思いました。実は、最近、ここで使っているメールフォームの調子が悪いようなんですよね。案の定、ニューフィルの団員募集からリンクしているメールフォームが、おかしくなっていました。記入しようとすると「これは危険なサイトなので使わないでください」みたいな警告が出るのですよ。とりあえず、去年の11月までは普通にメールが届いていたようなので、ごく最近こんなことになってしまったのでしょうね。
これは、プロヴァイダーから提供してもらったフォームデコードを使っているので、それを見てみたら、1ヶ所、確かに変わっているところがありました。以前は
<form ACTION="http://cgi.○○○/cgi-bin/formdecode.cgi" METHOD="POST">
だったものが、
<form ACTION="https://cgi.○○○/cgi-bin/formdecode.cgi" METHOD="POST">
に変わっていたのですよ。なんせ、これを作ったのは20年前ですから、その頃はSSLなんてありませんでしたからね。もしかしたら、なにか連絡があったのかもしれませんが、その手のものはまず開きませんから、気が付かなかったのかもしれません。その、プロヴァイダーのページも一変していて、以前はきちんと理解できたものが、ものすごく面倒くさい書き方になってましたね。おそらく、今初めてこれを見ても、自分でメールフォームを作ることは出来ないでしょうね。とりあえず、その「s」を書き足したら、普通に送信できるようになりました。
ただ、これは自分でやっても当てにならないので、試しにどなたかこちらのフォームに適当なことを書いて送信していただけたら、さいわいです。届いたらすぐこちらから連絡しますが、丸1日経ってもそれがない時には、お手数ですが、普通にメールかなんかで教えてください。]]>
Billy Joel/Piano Man
http://jurassic.exblog.jp/33276259/
2024-03-05T23:32:00+09:00
2024-03-05T23:32:13+09:00
2024-03-05T23:32:13+09:00
jurassic_oyaji
ポップス
SONY/SICP 10151(hybrid SACD)
つい先日、15年ぶりに来日して、東京ドームでコンサートを披露した、御年74歳のビリー・ジョエルの最初のヒットアルバムである「Piano Man」がUSのCOLUMBIAレーベルからリリースされたのは1973年でした。さらに、その翌年1974年には、当時大々的に売り出していた「クアドラフォニック(4チャンネル)」によるアルバムもリリースされていました。ゲームではありません(それは「ドラクエ」)。つまり、今年は、このアルバムの4チャンネル・バージョンが出てからちょうど50年目を迎えたことになります。
ただ、この4チャンネルのLPは、日本では発売されてはいませんでしたから、このアルバムを4チャンネルで楽しめたのは、US盤を入手することが出来たごく一部のマニアだけだったのでしょう。
そんな大昔のレア・アイテムが、その「50周年」に合わせて、ハイブリッドSACDになってリイシューされました。それは、4チャンネルLPのために作られたマスターが、そのままSACDのマルチチャンネルに収録されているという、再生クオリティとしては確実にLPを超えているはずのものでしょうから、それを聴かないわけにはいきません。SACDとしてはかなりの高額商品でしたが、迷わず購入です。
そのパッケージは、確かに価格に見合うだけのものはありました。まず、ジャケットはしっかり4チャンネル仕様です。
以前、同じようにマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」が2枚組のハイブリッドSACDでリリースされた時には、5500円でしたが、今回はSACD(1枚)だけではなく、ライブバージョンやアウトテイクなどを収録したCDと、ライブ映像が収められたDVDという3枚組で6600円ですから、まずはリーズナブルなのでしょう。
正直なところ、ビリー・ジョエルのヒット曲は知ってますが、そのアルバム1枚を全部聴くのは初めてのことでしたので、これを聴いて彼の音楽性が思っていたより多岐にわたっていたことに気づかされました。よく聴くロック・バラードだけではなく、ブルーグラスからゴスペルまで、とても間口が広いミュージシャンだったのですね。
1曲目の「Travelin' Man」がそんなブルーグラスの曲調でした。まずはリアの右から細かいスネア・ドラムのリズムが聴こえてきますが、その粒立ちがものすごいことになっていました。それに続いてフロントの左からベースが聴こえてきます。そして、ビリー自身のピアノは、フロント前面に幅広く鍵盤が広がる音像です。バンジョーがフロント右から聴こえてきます。あとで普通のCDを聴いてみたら、まずは楽器のバランスが全然違っていました。ドラムス系がSACDではかなり強調されています。ですから、このSACDを聴いてしまうと、普通のSACDでは全然物足りないサウンドに感じられてしまいます。
例えば4曲目の「You're My Home」では、イントロでリアからアコースティック・ギター(3本?)が聴こえてきますが、それはもうそれぞれの楽器がくっきりと浮き上がっていて、CDとは段違いの存在感です。
5曲目の「The Ballad of Billy the Kid」では、ストリングスとティンパニが加わって、壮大なサウンドに仕上がっています。そのティンパニの質感などにも圧倒されます。
そして、なんと言っても圧倒的なのが最後のトラック「Captain Jack」です。ここでは、多くのオルガンがダビングされていて、崇高なほどの「サラウンド」が実現されています。ヴォーカルも、ここではしっかりリバーブがかかっていますが、CDではそれが全く分かりません。
と、まさにSACDで蘇ったとてつもないサウンドを体験できたのですが、今のオーディオ事情では、それを楽しめる人はなかなかいないのではないか、という気がします。もはや、マルチトラックに対応しているSACDプレーヤーやユニバーサルプレーヤーは、ほとんど市場から姿を消してしまっているからです。このレーベルは、なんたってSACDの生みの親ですから、それにこだわるのは仕方がありませんが、同じようにサラウンド再生が可能なBD-Aであれば、もっと多くのリスナーに聴いてもらえるはずなのに。
↑今回のSACD
↑オリジナルLP もう一つ、このSACDでは、「US盤オリジナル・クアドラフォニックLPのゴールドレーベルを再現」と謳っていますが、それは真っ赤なウソでした。ロゴの権利の問題でしょうが、それだったら別の言い方があるはずです。
SACD Artwork © Sony Music Entertainment Inc.
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意見書
http://jurassic.exblog.jp/33274725/
2024-03-03T23:08:00+09:00
2024-03-04T07:48:56+09:00
2024-03-03T23:08:58+09:00
jurassic_oyaji
禁断
1ヶ月ほど前に発表された、仙台市の新しい音楽ホールの計画については、ここで私の意見を書いてきました。先日からは、仙台市はパブリックコメントの募集を始めているので、せっかくですので、そこに投稿しようと思っています。一応、こんなことを書いて送ろうと思っています。なにかご助言があれば、お寄せください。
仙台市が、今回新しい音楽ホール建設についての具体的な計画を発表したことに際して、市民の意見を聞く機会を設けて下さったので、この件についての意見を述べさせていただきます。
私は仙台市内のアマチュアオーケストラ「仙台ニューフィルハーモニー管弦楽団」の団員として、活動を行っています。日頃から、仙台市の音楽ホール事情については、非常に情けない思いをさせられてきました。ここには、本格的な音楽専用のホールというものが一つもないのですからね。その前に、この「音楽専用のホール」についての個人的な定義をさせていただくと、「適切な音響設計がなされている」、「最低でも1000人以上の入場が可能」、「オルガン(もちろんパイプオルガン)が設置されている」という3点になります。近年、東京のサントリーホールを皮切りに、多くの都市にこの3つの条件を満たす音楽ホールがたくさん作られるようになりました。しかし、「楽都」と呼ばれているはずのこの仙台市には、そのようなホールが一つもありません。プロのオーケストラである仙台フィルが定期演奏会で使用しているのは、仙台市が建設したたった800人しか収容できない中ホールですし、オルガンはありません。そんなホールで国際コンクールを行っているということ自体が、とても恥ずかしいことではないでしょうか。東北大学の萩ホールは、きちんとシューボックス型のコンサートホールとして新たに改修されていますが、残念なことにやはりオルガンがありません。
そんな状況ですから、近年は、仙台市では外国からの本格的なオーケストラの招聘などは、全くなくなってしまっているはずです。かつて、まだどこにも本格的な音楽ホールがなかった時代には、カラヤン指揮のベルリン・フィルだって仙台にやってきたものですが、新たなホールが各地に出来てしまえば、川崎や札幌には日常的に外国のオーケストラが訪れているのに、それらの都市と肩を並べるこの仙台市では、そんな当たり前のこともかなわなくなってしまっているのです。
ですから、遅きに失した感はありますが、この度の音楽ホールの建設計画については、そんな貧しい状況を一新させるだけのものがあると、喜びを隠せません。
そこで、まず、その概要について知りたいと思ったのですが、新聞記事などで得られた情報によると、それは普通のコンサートホールではなく、建物内部をフレキシブルな構造にすることによって、劇場型のホールにも転換できるものだということが述べられていました。てっきり、サントリーホールのようなヴィニヤード型か、オペラシティのようなシューボックス型か、どちらかのような本格的なコンサートホールが出来るのだと思っていましたので、これには驚きましたし、失望もしました。
私自身、仙台市ではなく、宮城県の関係で開かれた、新しいホールに関する公聴会のようなものに実際に出席して意見を述べた経験があるのですが、そこでは、オーケストラのコンサートだけではなく、オペラなどにも対応できるようなホールが欲しい、という意見が、オペラ関係者から出ていたように記憶しております。これは、切実な問題なのでは、と思います。ただ、理想的には、コンサートとオペラではそれぞれ、同じ音楽ホールとは言っても要求されるものが全く異なりますから、コンサートホールとオペラハウスをそれぞれ別に建設する必要があります。実際に東京や札幌では、そのようなことが行われています。おそらく、仙台市の場合は、そこまでの予算はとても無理だったので、今回のような形の落ちついたのではないかと推察するのですが、それは非常に残念な決定でした。
それでも、一応それがどのようなものかを確かめるために、報道の中にあった「さいき城山桜ホール」というのがどのようになっているのか、そのウェブサイトで確かめていました。その結果、それは、シューボックス型のホールの途中にプロセニアムの壁を降ろして、劇場型に変えるという、なんとも安直な構造だということが分かりました。何より、それ以外に音響的な変更は加えられないようですので、劇場としてはかなり問題がありそうな気がします。
しかし、1月に公開された資料をよく読んでみると、最後の方に、サントリーホールを建設した永田音響設計の方が執筆されたコラムが目に入りました。それによると、やはりコンサートホールを劇場にも変換できるホールとして、アメリカの「スタインメッツ・ホール」の名前を出されていました。そこで、やはりインターネットでこのホールのことを調べてみました。それは、先ほどの日本のホールとは段違いに壮大なプランで、ステージと客席と天井が一体化されたパーツを、丸ごと移動させて、2種類のホールに転換させていたのですね。さらに、全ての壁面に、宮城県の「バッハボール」にあるような、残響時間を変えることができる装置が設置されています。これでしたら、ほぼ理想的な形で、コンサートホールとオペラハウスの両方を満足させられる施設になるはずです。おそらく、仙台市が作ろうとしているものも、このような方策がとられるのではないか、と推測します。
ただ、そのアメリカのホールの動画などを見ると、この変換作業はとても大規模なもののように思えます。おそらく、維持費もかなりかかるのでは、という気がします。そして、このような形では、サントリーホールやミューザ川崎、札幌KITARAのように、ステージの後方にオルガンを設置することは、まず不可能です。
オルガンの件に関して気になるのは、どの資料にもこの楽器に関する記述がないことです。もしかしたら、今回のホールの計画には、オルガンの設置は含まれてはいないのでしょうか。もしそうだとしたら、最初に挙げた3つの要素の一つが欠けてしまう、ということになります。そのような事態になれば、今以上に「楽都」という呼び名の虚しさが募るだけでしょう。そのようなことだけは、絶対に避けてほしいと、切に願っています。 ま、こんな意見は、一顧だにされないでしょうけどね。]]>
MONTEVERDI/Vespro della Beata Vergine
http://jurassic.exblog.jp/33273839/
2024-03-02T22:09:00+09:00
2024-03-02T22:10:42+09:00
2024-03-02T22:09:56+09:00
jurassic_oyaji
合唱
Céline Scheen, Perrine Devillers(Sop)
Lucile Richardot(MS)
Emiliano Gonzalez Toro, Zachary Wilder, Antonin Rondepierre(Ten)
Étienne Bazola, Nicolas Brooymans, Renaud Brès(Bas)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
HARMONIA MUNDI/HMM902710-11
モンテヴェルディという作曲家は、正直、苦手な存在でした。この、「おやぢの部屋」で取り上げているのも、最近の「オルフェオ」しかありません。
その「オルフェオ」と並んで、彼の大作として「有名」なものに、この「聖母マリアの夕べの祈り」があります。確か、ミシェル・コルボが1966年にERATOレーベルに録音したものが、最初の全曲盤だったような気がします。そのレコードは各方面で絶賛されていたようでしたが、あいにくこの指揮者にはあまり良い印象を持っていなかったため、それを聴くことはありませんでした。だいぶ後になって、この人が録音したモンテヴェルディのマドリガーレ集が6枚組のCDで出たので、買ってはみたのですが、とうとう全曲を聴くことはありませんでしたし。
そんなわけで、この曲も、他のアーティストによって録音されてはいたのですが、コルボによって植え付けられた「モンテヴェルディはつまらない」という先入観は、なかなかぬぐえないでいました。ヴェルディは好きなんですけどね。
そこに現れたのが、「マタイ」で素晴らしい演奏を聴かせてくれたラファエル・ピションとピグマリオンがこの作品を指揮したアルバムでした。このチームなら、苦手だったモンテヴェルディももしかしたらすんなり聴けるかもしれないと思いました。
そして、それを聴き始めたら大正解、もうその魅力がストレートに伝わってきた思いで、とてもうれしくなってしまいました。確かに、断片的にどこかで聴いたことがあるような音楽なのですが、それまでのよそよそしい印象は全くなく、1時間以上かかる曲のすべてが、心から楽しめるものに変わっていたのです。
まず、沢山のソリストが出てくるのですが、みんなレベルの高い人たちで、この作品で登場する様々な表情を、それぞれの音楽にふさわしいものとして伝えてくれていました。ほんと、かつては何の意味もないと思っていた細かい音符のつながり(メリスマ)が、確かな表現として聴こえてきたのですね。
さらに、なんと言っても素晴らしいのが合唱です。その表現力の豊かさは、現代の細やかな情緒を表現するためのスキルには違いないのですが、それがモンテヴェルディで使われていても、何の違和感もありません。というか、それは、400年以上も前に作られたものが、そのまま現代人にも通用するようなスタイルで豊かな情緒をもって歌われていたのです。
その一例を挙げてみましょうか。最後のパートの「Magnificat」が始まるちょっと前に詩編 147の「Lauda Jerusalem」が合唱によって歌われるのですが、そのシンコペーションの扱いがとことん現代的なのですね。他のどんな演奏を聴いても、こんなに弾けているものはないのではないでしょうか。
もちろん、ここでのプレーヤーはピリオド楽器を使っていますし、発声も基本的にその時代のものを目指したものなのですが、もしかしたら、このような演奏は、学術的な面からは多少はみ出しているものなのかもしれません。でも、それを聴くのは私たち現代人なのですから、こちらの方がより共感をもって聴けることは間違いありません。そんな「爽やかな」モンテヴェルディも、今の世の中では必要なはずです。
その「Magnificat」ですが、これには最初に作られた7声版と、それを少人数でも演奏できるように6声版に直したものの2つのバージョンがあります。その6声版の方は「Magnificat II」と呼ばれています。まあ、言ってみれば「第2稿」ですから、演奏する時にはどちらか一方だけが演奏されているようですね。今回のピションも、「I」だけを演奏しています。
ただ、録音では、そもそも1966年のコルボ版で、その両方を続けて演奏していました。調べた限りではもう一人、ジョン・エリオット・ガーディナーが1989年に2度目の録音を行ったときにも、同じことをやっています。ただ、サブスクで聴いてみると、コルボ盤では「II」、つまり「6声版」の後に「I」、つまり「7声版」が聴こえてきます。これは、3枚組のLPでリリースされたときにも、3枚目のA面が「6声版」、B面が「7声版」だったからです。ですから、これはサブスクの表記が間違っています。
CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s
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