おやぢの部屋2
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2009年 11月 19日 ( 1 )
BACH/Mass in B Minor
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Judith Nelson, Julianne Baird(Sop), Jeffrey Dooley(CT)
Frank Hoffmeister(Ten), Jan Oplach(Bas)
Joshua Rifkin/
The Bach Ensemble
TOWER RECORDS/WQCC-184/5




「バッハの『ロ短調ミサ』では、合唱のパートはそれぞれ一人ずつで歌うべきだ!」という「奇論」を発表しただけでなく、それを実際に自ら演奏して世に問うた、という、ジョシュア・リフキンの歴史的な録音は、長いこと廃盤になっていて入手できませんでしたが、このたびタワーレコードによる「復刻」という形でリイシューされました。もちろん、現在ではこの主張はバッハ業界には広く受け入れられるところとなっているのはご存じの通りです。この数年の間に録音されたクイケンミンコフスキの演奏を聴けば、合唱はアリアなどを歌っていたソリストが一人(もしくは二人)で一パートを歌うということが、ごく自然なものに感じられるはずです。
さらに最近では、「OVPP」などというプラスティックスの新品種(LPレコードの素材である「PVDC(ポリ塩化ビニリデン)」とか、ペットボトルの「PETE(ポリエチレンテレフタレート)」と似てません?)みたいな呼び名で、この概念をあらわすことも、マニアの間ではブームとなっています。しかし、この「One Voice per Part」の略語が、決してリフキン自身の造語ではないことは知っておく必要があるでしょう。
リフキンが、単なる「音楽学者」ではなかったことは、先日のビートルズのカバー(?)アルバムを聴けば良く分かるはずです。そもそも、彼の名前が知られるようになったのは、スコット・ジョプリンの「ラグタイム」を、彼自身のピアノ演奏で広く世に知らしめたからなのですからね。したがって、彼はこの「説」を発表したのちも、単なる机上の空論に終わらせることはせず、実際に演奏してその「音」を世間に知らせるために、軽やかなフットワークを発揮することになります。学会で発表したのが198111月ですが、なんとその年の1231日には、このレコーディングを開始しているのですから、なんという素早さでしょう。そして、発売されたレコードは、彼の思惑通り大きなセンセーションを巻き起こすことになるのです。
そんな、ある時代を記録した貴重なアイテムではありますが、その演奏を改めて全曲きちんと聴いてみると、なんとも主張に乏しいものであることに驚いてしまいます。いや、なんと言っても「一パート一人」というとんでもない「主張」があるのですからそれで満足すればよいのでしょうが、それだけで終わってしまっているのがとても残念です。ただ楽譜通りの音をきちんと並べただけで、そこには「表現」という創造的な作業が見事に欠落しているのですね。
その「楽譜」に関しても、ちょっとちぐはぐな点を見つけてしまって、いささか戸惑っているところです。リフキンほどの「音楽学者」であれば、演奏にあたっては当然きちんと校訂の手が入っている「原典版」を使っているはずだ、と思っていたのですが、ここで使われているのはなんと「旧バッハ全集」を底本にした楽譜なのですよ。聴いてすぐ分かる両者の違いは、「Gloria」の冒頭の合唱の後半、「Et in terra pax hominibus bonae voluntatis」で始まる5声のフーガで、赤字の部分のテキストに付けられた音符。「旧全集」は八分音符+八分音符(→音源)と均等ですが、「原典版」では付点八分音符+十六分音符(→音源)と「はずんで」います。「原典版」がベーレンライターから出版されたのは1954年のことですから、知らなかったはずはありません。現に、1960年代にはすでにマウエルスベルガーとドレスデン・クロイツコールによって、この楽譜による演奏が録音されてますし。「バッハの時代の演奏を忠実に再現」しようとしたのがリフキンの仕事だったはずなのに、明らかに忠実さに欠ける楽譜を使っていたなんて、なんだか間抜けじゃないですか。
ちなみに、この録音が公になった直後、1984年に彼の「説」に賛同して同じ曲を同じスタイルで録音したアンドルー・パロットも、なぜか「原典版」を使うことはありませんでした。もしかしたら、「新全集」に対する反感、というのも、リフキンの思想だったのかも。でもそれは、あまりに理不尽

CD Artwork © Nonesuch Records
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by jurassic_oyaji | 2009-11-19 19:30 | 合唱 | Comments(2)