おやぢの部屋2
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2009年 11月 25日 ( 1 )
MUSORGSKY/Pictures at an Exhibition
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Mariss Jansons/
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO LIVE/RCO 09004(hybrid SACD)




ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、数ある編曲の中でも、ラヴェル版のオーケストラ編曲が最も有名で、演奏回数も群を抜いています。もちろん、オリジナルはピアノ独奏用の作品なのですが、ラヴェルがこの編曲を行ったときには、その楽譜はリムスキー・コルサコフによって校訂されたものしか出版されてはいませんでした。後にムソルグスキーの自筆稿に基づいた「原典版」が出版されるのですが、それはリムスキー・コルサコフ版とは多くの部分で異なっているものでした。さらに、ラヴェルはピアノ版を忠実に編曲したわけではなく、何ヶ所かカットを施したり、繰り返しの場所を変更したりしています。つまり、ラヴェル版というものは、ムソルグスキーの自筆稿からは何段階ものフィルターを通り、変更を加えられたものだ、ということは、常に念頭に置いておく必要があるのでしょう。というよりも、そもそもピアノ版とオーケストラ版とは全く別のものなのだ、という認識すらも、場合によっては必要になってくることでしょう。特に、「殻を付けたひよこの踊り」の最後の部分などは、オーケストラ版(→音源)に比べるとピアノ版(→音源)はなんとも不自然な終わり方になっています。もっとも、ピアニストに言わせるとラヴェル版の方が逆に奇異に感じられるのだ、と聞いたことがありますが。
そんな具合に、ムソルグスキーから不自然でゴツゴツした部分を削り取っていとも滑らかなタッチに変えてしまったものが、ラヴェルの編曲です。そのようなスコアを前にして、ヤンソンスはことさらこの曲が本来持っていた生々しいエネルギーを取り戻そうと考えたのではないでしょうか。最初の「プロムナード」でのトランペットソロや、それに続く金管のコラールの響かせ方などを聴くと、このオーケストラだったらもっと滑らかで艶のあるものに仕上がるのでは、といういぶかしさが湧いてきます。しかし、おそらくそれはヤンソンスの意志に基づくものだったのではないでしょうか。「こびと」での木管のアンサンブルの間に、普段はあまり聞こえてこないチューバの声部を強調してある種粗野なイメージをかき立てていたのも、その意志のあらわれなのでしょう。
さらに、そんな「意志」を貫くために、ヤンソンスはラヴェルのスコアに手を入れることすらも厭いませんでした。「サミュエル・ゴールデンベルクとシミュイレ」の後半、トランペットと低弦の対話のバックには、バスドラムと吊りシンバルの盛大なロールを挿入して、ラヴェルの作った軟弱なバランスを崩しにかかります。さらに、「カタコンブ」の冒頭には銅鑼の一撃が。これで、この曲のイメージはガラリと変わります。ラヴェルの西欧的な響きは、一瞬にしてロシアすらも飛び越え、東洋の世界に変わってしまうのですからね。この「銅鑼攻撃」は、その後の曲にも執拗にあらわれます。時には吊りシンバルも伴ったそのインパクトは、決してストコフスキー流のこけおどしではなかったはずです。
そして、最後の仕上げに登場するのが、バスドラムが作り出すポリリズムです。以前ゲルギエフ盤を聴いたときに初めて体験したそのリズムの冒険は、ラヴェルのオーケストレーションを逆手に取った見事なものでした。ここでのヤンソンスの処理にはその時ほどのショックを感じなかったのは、そこに行くまでの彼のやり方から、ある程度それが予想されたからなのかもしれません。
「展覧会の絵」全曲だけで33分、それがこのSACDのコンテンツの全てですが、その分価格が2割ほど安くなっています。この措置は、余計なカップリングを付けられるよりはるかに嬉しいものです。前回のブルックナーでは2枚組なのに1枚分の価格、そういう点では、このレーベルはとても良心的です。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest
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by jurassic_oyaji | 2009-11-25 20:00 | オーケストラ | Comments(0)