おやぢの部屋2
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2016年 08月 09日 ( 1 )
音楽する日乗
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久石譲著
小学館刊
ISBN978-4-09-388499-0




「『日乗』って?」と、まず思ってしまいました。音楽をでっちあげるんじゃないですよ(それは「捏造」)。「日常」の間違いなのか、あるいは、もっと気取って「日譲」だったのか。とは言っても、なんせ一冊の本のタイトルですから間違いなんてありえません。あわてて国語辞典を引いてみたら、しっかりこの言葉がありました。「日乗=日記」なんですって。ということは、このタイトルは「音楽する日記」となるのでしょうが、そうなると日本語としておかしくないですか?実は、この本は同じ出版社の「クラシックプレミアム」という雑誌に、隔週で連載されていたエッセイを集めたものなのですが、その時のタイトルは「音楽的日乗」でした。これならきちんと意味が成立していますし、ほのかに「日乗」と「日常」とを絡めたような味さえも感じられますね。それが、「的」を「する」に変えただけで、どうしようもなくへんちくりんなものになってしまいました。
著者は、一連のジブリのアニメのサントラやテーマ音楽で多くのファンを持っている作曲家です。今回の著書では、巻末に30ページにも渡ってその「作品」のリストやディスコグラフィーが掲載されていますが、それは膨大な量。そのような「作家」としてだけでなく、彼は実際にピアニストや指揮者として、時にはシンフォニー・オーケストラとともにステージに立っていたりします。なんでも、そのようなコンサートは、チケットが発売されるやいなやソールド・アウトになるという、まるでAKBやジャニーズのようなアイドル並みのファンを獲得しているというのですから、すごいものです。これは、そんな著者の日常を綴った「日乗」なのでしょう。
通常、そのような読み物は、実際に本人が執筆するのではなく、インタビューのような形で本人が語ったことを、ライターさんが原稿に起こす、といったような形で雑誌には掲載されるのでしょう。ただ、ここでは「著者」はそのような部分と、実際に自分の手で原稿を書いた部分とがあることと、それがどの部分であるのかをきちんと明記しています。今時珍しい「正義感」にあふれた人なのでしょう。
ただ、そうなってくると、ご自分で書かれた部分での「粗さ」がとても目立ってしまいます。別に著者はプロのライターではないのですから、だれも文章の美しさなどは期待していないのですが、やはり「久石譲」という名前を背負っている文章としては、それなりの内容のクオリティは期待されています。毎回の原稿は2000字程度でしょうか、そんな決して多いとは言えない字数のなかで、半分近くを原稿が書けない言い訳に費やしているのを見るのは、とても辛いものがあります。ここは、きっちり「プロ」の手を借りて、多くの人に読まれても恥ずかしくない程度のものにはしておいてほしかったものです。いきなり「今の若い者は」みたいなジジイの説教が現れるような駄文は、誰も読みたいとは思わないはずです。平均律の話をするときに「1オクターブは上のラ(440Hz)から下のラ(220Hz)を引いた220Hz」などととんでもないことを言い出したのには、言葉を失いました。この人、ほんとに音楽家?
とは言っても、やはりこれだけのキャリアと人気を誇る作曲家ですから、そんな駄文のなかからでもなにがしかの知的な閃きを探し出すことは不可能ではありません。たとえば、「ユダヤ人」に関する彼の視点。これは、常々疑問に思っていたことが、少しは氷解するきっかけにはなったかもしれません。それと、きちんと「理論はあとからついてくるもの」という認識を持っているのは、さすがですね。
仙台に住んでいるものには、彼が作ったこの地方の電力会社のCMの音楽を聴けるという特権があります。1日に何度となくテレビから流れてくるその音楽は、とことん陳腐で退屈なものでした。なぜこんなものを恥ずかしげもなく公に出来るのか、この本を読んで少しは分かったような気がします。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-09 22:11 | ポップス | Comments(0)