おやぢの部屋2
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2016年 09月 04日 ( 1 )
「音楽はバッハから始まった」と言い切った番組ですから
 今朝の「題名のない音楽会」という、もう何十年も放送され続けていて、毎週素晴らしい演奏家が出演し、曲目も演奏も、そして構成も非の打ちどころがなく、これを見ずしてクラシック・ファンとは言えない、まさにいまどきのテレビ界には珍しい良心的な番組を見ていたら、全く音楽には関係のないことなのですが、ちょっと面白いことがありました。いえ、本当にクラシックとか音楽とかにはな~んの関係もないんですけど、曲名を読み上げたアナウンサーが、「シューマン作曲、交響曲第3番『ライン』」と言っていたんですよ。と書いても何のことか分からないでしょうが、彼女は「イン」と、普通は「ラ」にアクセントがあるはずのこの交響曲のタイトルを、「ライン」と、スマホの「ライン」のようなアクセントで発音していたのですよ。こうなると、シューマンの名曲が俄然軽薄な曲のような気がしてきますね。そんな言われ方に反発するように、指揮者はことさら重厚な演奏を心掛けていたように思えましたが。
 この日のプログラムには、この番組のスポンサーが主催する音楽コンクールの各部門での優勝者の紹介という意味がありました。そこには作曲部門というのもあるのだそうで、ここでも当然作曲家として優勝した方の作品が紹介されていました。演奏部門でしたら、その優劣を決めるのはそんなに難しいわけではないでしょうね。普通に音楽的な耳を持っている人でしたら、誰が最も優れているかは簡単に分かるはずです。でも、作曲部門というと、そんな簡単に決めることはできないのでは、と思いませんか?今まで誰も聴いたことのない曲を、おそらくまずは楽譜だけを見てどんな音楽なのかを判断し、それに「優劣」を付けるのですから、その審査員にはものすごいスキルが要求されることになります。そんな人たちが選んだ優勝作品というのは、ですから、審査員たちの審美眼こそが端的に反映されたものになってくるのでしょう。言ってみれば、この現代社会の中で「優れた」とされる音楽とはこういうものだ、と、聴く人たちに示すことになるのですからね。
 そんな選考を勝ち残ったその作品は、何とも「わかりやすい」音楽でした。技法的にはかつての「現代音楽」が持っていた刺激的なものは全く影を潜め、そのようなものが現れる以前に存在していた「伝統的」な技法のみで作られているものでした。せいぜい、その中にドビュッシーあたりの要素が混じっているあたりが「新しい」と感じられるぐらい、オーケストレーションも、それこそラヴェルの「ダフニスとクロエ」をそのままコピペしたのではないか、と思えうほどの馴染みやすさです。その結果、音楽全体はとても描写的で、具体的なイメージがはっきり浮かんでくるようなものに仕上がっていましたね。
 まあ、それはそれでこの時代の「需要」には見事に応えている作品なのでしょうが、その中にはこの曲にしか存在しない「オリジナリティ」というものがまるで見当たらなかったのですよ。これが、今の「現代音楽」の姿なのでしょうか?いや、これはあくまでもこの番組の「良心」に則って選ばれた結果なのだ、と思いたいものです。真摯に、音楽を作ることに命を懸けている人も世の中にはちゃんといるのだ、と思いたいものです。
 そんな、ちょっとおかしなことがクラシックの世界では起こるものですが、今朝の新聞広告にこんなのがあったのにも、ちょっと引いてしまいました。
 これは、見て分かる通り新しく出た「音楽図鑑」の広告です。まあ、タイトルの下にある音符のいい加減さなどは、笑って済ませられますが(それでも、これだけでそうとうにヤバいのではないか、という気にはなってしまいます)左上にある私がいつも使っている楽器のイラストには、ちょっと困ってしまいました。拡大すると、
 こんな感じ。たぶん、これは「ピッコロ」のイラストなんでしょうね。まあ、ある程度単純化して、例えば円錐状のボディーをまっすぐにするとか、ちょっと複雑なキーを簡略化して数を少なくするとか、その程度のことだったら、なにしろ「親子で学ぶ」という程度のレベルの本なのですから許しても構わないな、と思えるのですが、この楽器が左右逆になって描かれているとなると、事態は深刻です。ふつうはピッコロは右側に構えて演奏しますが、こんな楽器だったら左側に構えないと吹けないじゃないですか。「基礎からわかる」って、こんな絵を見て「基礎」を勉強されたりしたら、たまったものではありません。恥ずかしいですね。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-04 21:45 | 禁断 | Comments(0)