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2016年 11月 10日 ( 1 )
ヨナス・カウフマン | テナー
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トーマス・フォイクト著
伊藤アリスン澄子訳
小学館刊
ISBN978-4-09-388511-9




あのヨナス・カウフマンの評伝の日本語訳が出版されました。彼のファンであれば、この、まさに「スーパースター」の今までの経歴や、世界中を股にかけて演奏活動を行っている間の舞台裏などを知ることのできる、とても貴重な資料の出現には、狂喜することでしょう。ただ、現物を手に取って、まずその帯を見た時には愕然としてしまいました。そこには「人気絶頂のテノール歌手の初の自伝」という惹句が踊っているのですが、たったこれだけのフレーズの中に3つも引っかかるところがあるのですからね。
まずは「テノール歌手」。この本のタイトルが「テナー」なのに、ここであえて別の表記を使っているのはなぜでしょう。そして「初の自伝」というのも、これが「初」ではなく、決して「自伝」でもないというところで引っかかります。「自伝」というのはイモトの病歴ではなく(それは「痔伝」)、実際に書いた人が別の人であっても、一応その人が一人称で自分のこれまでの生涯を語る、という体裁で作られたものですが、これはトーマス・フォイクトというジャーナリストがヨナス・カウフマンについて語った本、その中にカウフマン自身のインタビューが含まれている、というものですから、正確には最初に書いたように「評伝」というべきでしょう。
そして、「初」というのもウソ。原書が最初に出版されたのは2010年。それを2015年に大幅に改訂したものが、この日本版の元になっているのですからね。もっと言えば、それ以降、2016年の7月現在のデータまでここには加えられているのですから、正確には「3度目」ということにはなりませんか?
著者のトーマス・フォイクトは、音楽関係のジャーナリストとして幅広い活躍をしている人です。自身もヴォーカル・コーチとしてのキャリアもあるそうで、すでにカウフマンのCDを持っている人であれば、いくつかのアルバムでインタビュアーとしてブックレットに登場していますから、おなじみの名前でしょう。しかし、この本における彼の立場は、単なるインタビュアーではなく、もっと彼の主張、あるいは告発が色濃く感じられるものです。主導権を取っているのはあくまで著者たるフォイクトのような気がします。
とは言っても、やはりカウフマンのとても素直で情熱にあふれた語り口には魅力があります。なんと言ってもショッキングなのは、彼がヴォイス・トレーナーとしてのマイケル・ローズに出会い、劇的に声が変わってしまったというエピソードでしょう。今のカウフマンからは想像もできませんが、それまでの彼は全然ヘルデンっぽくなかったんですって。
ローズによって最強のツールを与えられたカウフマンは、今ではモーツァルトやワーグナーのみならず、ヴェルディやプッチーニでも最高レベルの歌手として認知されるようになりました。もちろん、それはそのツールを自在に使いこなせる自らの力と熱心な探究心があってのことです。
もはやすべてのオペラのテノールのロールを征服したうえに、シューベルトやシュトラウスのリートまで最高の味で聴かせる彼、そんな彼が「ビフォー・ローズ」の時点では歌っていたバッハなどは、「アフター・ローズ」となった今では、もう聴くことが出来ないのでしょうか。この本のインタビューの中ではマタイのエヴァンゲリストに関する言及がありますから、もしかしたらペーター・シュライアーをしのぐほどのエヴァンゲリストを聴ける日が来るのかもしれません。それまでは、生きていたいものです。
最初にカウフマンがこのような本に関する打診を受けた時に、彼は「早すぎる」と反応したのだそうです。この改訂版がドイツで出版されて、さらにその後の追記まで含めての日本語訳が出るまでにたったの1年というのも「早すぎる」ような気がするのは、ざっと読んだだけでも2か所の重大な「校閲ミス」を見つけることができたせいでしょう。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-11-10 20:23 | 書籍 | Comments(0)