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2016年 11月 22日 ( 1 )
Flötenmusik von Komponistinnen
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Elisabeth Weinzierl(Fl)
Eva Schieferstein(Cem, Pf)
Philipp von Morgen(Vc)
THOROFON/CTH 2577




「Komponistinnen」というのは、作曲家という意味のドイツ語「Komponist」の女性形の複数です。つまり「女性作曲家たち」という意味ですね。古今の女性作曲家が作ったフルートのための作品を、自身も女性であるエリザベート・ヴァインツィエルという方が演奏しています。
取り上げた作曲家は全部で13人、バロック後期、18世紀のアンナ・アマーリアから、21世紀に作られた作品が披露されているクリスティアーネ・ブリュックナーまで、4世紀に渡るフルート音楽の変遷を楽しむことが出来ます。
フリードリヒ大王の妹であるアンナ・アマーリア皇女が作ったヘ長調のフルート・ソナタは、そのフリードリヒ大王との絡みであまりあ(たまには)登場することもある作品です。フルートと通奏低音のために作られていますから、伴奏はチェンバロとチェロによって演奏されています。ヴァインツィエルはモダンフルートを吹いています。ここでの彼女のアプローチは、バロック特有の刺激的な表現などはまず見られない、穏健なものです。いや、正直、ただ楽譜をなぞっているだけでさほど「表現」を込めないような演奏が彼女の身上なのでしょうか、なにか煮え切らないまどろっこさが感じられてしまいます。
続く、イタリアの女性作曲家、アンナ・ボンのト長調のソナタも、同じような穏やかな音楽としてとらえられているのでしょう。最後の変奏曲なども、いともお上品なサロン風の優雅さは漂うものの、やはり何か今聴くものとしては物足りなさが募ります。
19世紀に入ると、オーストリア出身のレオポルディーネ・ブラヘトカという人が現れます。彼女の「序奏と変奏曲」は、この時代、フルートという楽器が改良されたことによって多くの作曲家によって作られた技巧的な作品の一つ、あくまで華麗なテクニックを披露するという目的が勝ったものです。ですから、本当はこれ見よがしのハッタリ的な演奏のようなものの方が聴きばえはするのでしょうが、ここではあえて慎み深い女性的な語り口を大切にしているような気がしてなりません。
そして、20世紀になると、セシル・シャミナード、メラニー・ボニ、ジェルメーヌ・タイユフェール、リリ・ブーランジェという、「女性作曲家」について語られる場では必ず引き合いに出される人たちの作品が続きます。この中では、フルートを吹く人であればだれもが知っている「コンチェルティーノ」の作者シャミナードの「星のセレナード」が、過剰な表現を込めない等身大の女性の情感が披露されていて、和みます。
ここまでの7人は、ちょっと詳しい音楽史にはまず登場する人たちですが、それ以降、20世紀末から21世紀にかけての作品を提供している6人の作曲家たちは、全く初めて聞く名前の人ばかりでした。それぞれに、この時代ならではのさまざまな「新しい」作曲技法やフルートの演奏法が駆使されていて、インパクトのある作品ばかりです。バルバラ・ヘラーの「Parland」は、微分音が使われているような気がしたのですが、それは単に演奏家のピッチが低めだっただけなのかもしれません。グロリア・コーツの「Phantom」は、そのタイトル通りのおどろおどろしいフラッター・タンギングや息音までも動員するという激しい曲で、ヴァインツィエルはそれまでの慎ましさをかなぐり捨てての熱演を繰り広げています。
ドロテー・エーベルハルトの「Tra()ume」は、うって変っての折衷的な作風、キャロリーネ・アンシンクの「Epitaph für Marius」は、2002年にもなってまだ無調にこだわっている不思議な作品、アンネッテ・シュルンツの「tastend, tränend」は、ピアノの内部奏法の方が目立っていて、フルートは影の薄い曲です。
最後のブリュックナーの「Tsetono」になって、ネオ・ロマンティックの手法が出てきます。そうなると、またヴァインツィエルのおとなしい、というか、正直ぶら下がり気味のピッチがとても耳障りな欠点が、また目立つようになってきました。

CD Artwork © Bella Musica Edition
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by jurassic_oyaji | 2016-11-22 23:48 | フルート | Comments(0)