おやぢの部屋2
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2017年 02月 01日 ( 1 )
戸塚区のオケでした
 前回は肝心なことを書き忘れていました。新国で観たのはビゼーの「カルメン」だったのですが、そこで使われていた楽譜について、ちょっと不思議なことを見つけてしまいましたよ。ご存知のように、このオペラには2種類の楽譜があって、最初に出版されたのはビゼーの没後にギローが改訂した「ギロー版」、そして、後にギローが改訂した部分をオリジナルの形に直した「アルコア版」です。今ではどこのオペラハウスでもこの「アルコア版」が使われているはずなので、そのつもりで聴き始めました。確かに、最初の違いが出てくる「衛兵の交代」のシーンでは、きちんとアルコア版の「メロドラマ」が演奏されていたので安心していたら、なんと、そのあとはセリフの部分がを全てレシタティーヴォに変えられてしまっていたではありませんか。要するに、これは「アルコア版」と「ギロー版」の折衷版なのでしょう。アルコア版のセリフの部分を、ギロー版のレシタティーヴォに置き換えて演奏していたのですね。
 これは、プログラムの中にはちゃんと書いてありました。
1960年代半ばまでの上演は、ギロー版に基づいた慣用版に沿って行われていた。その後は、セリフ入りのオペラ=コミックの形による上演が一般的になってきたが、今回はレチタティーヴォをはさんだ形で上演される。
 なんか、とてものらりくらりとした文章ですね。もっとストレートに「セリフは入りません」と書けば、しっかり意味が伝わるというのに。つまり、この日本で唯一のオペラハウスでは、「一般的な」上演形態ではなく、半世紀以上前に廃れてしまっていたスタイルで上演を行っている、ということなんですよね。
 なぜそんな時代遅れのことをやらなければいけないのかは、明白です。日本人のオペラ歌手ではフランス語の「セリフ」をしゃべることが出来ないからなのですよ。例えば、今ツィクルスを上演している最中のワーグナーの「指環」のような、最初から日本人が歌うのは無理だと分かっている物だったらほぼすべてのキャストを「本場」の歌手を呼んできて歌わせるのでしょうが、この「カルメン」の場合は、「本場」の歌手は3人だけ、残りは全部日本人ですから、その人たちが「オペラ=コミック」としてセリフをしゃべることなんか出来ないと決めつけているのでしょうね。それで、レシタティーヴォだったらそんなにボロは出ないだろう、ということで、こういう形に決まったのでしょう。
 確かに、日本人のオペラ歌手がしゃべるフランス語のセリフなんか聴きたくもありませんが、アルコア版で「一般的な」上演をしたいと思っているのなら、全部のキャストをきちんとフランス語がしゃべれる人にすればいいんじゃないですか?それが出来ないのなら、最初から全部ギロー版で上演すればいいんですよ。それが「身の丈」というものです。
 そんな、版の違いまで分かるようになったのは、ニューフィルでも「カルメン」の抜粋を演奏した時にいろいろ調べたことがあったからです。もちろん、フルートのパートも演奏しましたが、結構コアな部分までやっていたので、今回観た時にはほとんどの場面がオケのパートまでしっかり馴染みがありましたね。つくづく、ビゼーのオーケストレーションではフルートが大切な役割を担っていることを痛感しました。
 もう一つ、最近やはりニューフィルの演奏曲について準備したものが、他の人の役に立つ、ということがありました。だいぶ前に末廣さんとマーラーの5番を演奏した時に、その前曲として「リュッケルトの歌曲集」をやったんです。その時に、その歌詞の対訳を私が作って、プログラムに載せました。もちろん、私が書いたものなので、そのままサイトにもアップしておきました。そうしたら、2月にその時と同じ曲目で演奏会を開くアマオケの方から連絡があって、ネットで見つけたその対訳を、その演奏会のプログラムに使わせてほしい、と言ってきたのです。確かに、「リュッケルト」と「対訳」で検索すると、一番先にその私の対訳がヒットしましたね。一応、その方には「私の名前(仙台ニューフィル)」というクレジットを入れてください、と言っておきましたが、これでニューフィルは横浜の人にも名前を知られるようになることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2017-02-01 22:39 | 禁断 | Comments(0)