おやぢの部屋2
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2017年 02月 09日 ( 1 )
GRIEG/Piano Concerto etc.
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Alexey Zuev(Pf)
Kenneth Montgomery/
Orchestra of the 18th Century
NIFC/NIFCCD 106


10年前に聴いた同じレーベルのダン・タイソンのアルバムでは、ショパンのピアノ協奏曲をピリオド楽器で演奏していました。もちろん、オーケストラだけではなくソロ・ピアノもショパンと同時代のエラールの楽器が使われていました。魚類ではありません(それは「鰓、ある」)。オーケストラはフランス・ブリュッヘンの指揮による18世紀オーケストラでしたね。そして、今回のアルバムでは、ショパンより30年以上後に生まれたノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲が、同じオーケストラ、そして全く同じピアノによって演奏されています。
ただ、オーケストラは一緒でも、その創設者だったブリュッヘンは2014年に亡くなってしまいましたから、ここではイギリスの中堅指揮者ケネス・モンゴメリーが指揮をしています。というか、ブリュッヘンが亡くなったのが8月13日ですが、このライブ録音が行われたコンサートは同じ年の8月29日に開催されていますから、もしかしたら急遽代役を頼まれていたのかもしれませんね。しかし、このオーケストラは、ブリュッヘンがいなくなった後も活発に演奏活動を続けているようですから、頑張ってほしいものです。カリスマ指揮者を失ったオーケストラの悲劇は、古くはトスカニーニのNBC交響楽団などの例もありますからね。
ブックレットにはオーケストラのメンバーが記載されていますが、それによると弦楽器の編成は7.8.5.4.2と、現在普通に演奏される時のほぼ半分の人数です。なぜか、セカンド・ヴァイオリンの方がファースト・ヴァイオリンより多いというのが、面白いですね。
演奏が始まると、いかにもピリオドっぽい音色のティンパニのロールに続いて、あのピアノのファンファーレが鳴り響きますが、そこでちょっと今までになかった体験を味わいました。その4オクターブに渡るユニゾンのフレーズが、ひと塊ではなく、それぞれ別のパートとして聴こえてきたのです。それはあたかも、1台の楽器ではなく、いくつもの楽器によるアンサンブルのようでした。現代の楽器は何よりも低音から高音までのキャラクターが均一になるように作られていますから、そんなことはまず感じないのですが、このエラールでは、高音、中音、低音がそれぞれ全く異なった音色と、もしかしたら異なったテクスチャーを持っているので、このようなことが起こるのでしょう。もちろん、それは「欠点」などではなく、エラールが持っていた愛すべき特徴なのではないでしょうか。
ロシアの俊英ズーエフは、そんな楽器を慈しむように、細やかな表情を繰り出しています。その鄙びた音色とも相まって、そこからはとてもローカル色の濃い音楽が漂っています。オーケストラも、先ほどのような少なめの弦楽器が、ガット弦の柔らかい音色でしっとりと迫ります。そして、管楽器の扱いでも、第3楽章でフルート・ソロがテーマを奏でるところなどは今までとは全然様相が変わってしまっています。そのフルートは、いとものどかな音色で合奏の中に溶け込んでいて、普通に聴かれる堂々とした存在感などは全くありません。確かに、このころすでにベームの新しい楽器は世の中にはありましたが、それが北欧のオーケストラにまで使われるほどには浸透していなかったはずですから、これがグリーグの考えたバランスだったのでしょう。
CDの後半では、ズーエフのソロで「抒情小曲集」から何曲かと、「バラードト短調」が演奏されています。その「バラード」だけ、エラールではなく同じ時代に作られたプレイエルの楽器が使われています。これは、それまで聴いていたものとは全然違う音でした。録音会場も時期も一緒ですから、その違いはそのまま楽器の違いなのでしょう。やはりこの時代は、メーカーによって明らかに求めていた音が異なっていたのですね。それに比べたら、現代のピアノは個性なんか全くなくなってしまっています。

CD Artwork © Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

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by jurassic_oyaji | 2017-02-09 20:28 | Comments(0)