おやぢの部屋2
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2017年 04月 29日 ( 1 )
HILARION/St Matthew Passion
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Soloists
Vladimir Fedoseyev/
The Moscow Synodao Choir(by Alexei Puzakov)
The Tchaikovsky Symphony Orchestra
MELODIYA/MEL CD 10 02366


2006年にロシアで作られた「マタイ受難曲」です。作曲者はジャケットでは「Metropolitan Hilarion Alefeyev」となっていますが、いったいどこが苗字なのでしょう。実は、この方は1966年に生まれたグリゴリー・アルフェエフという名前の人なのですが、作曲の勉強をした後聖職者となったという変わり種です。そこで、聖職者としての名前が「Hilarion(イラリオン)」、その役職が「Metropolitan(府主教)」なので、こんな英語表記になっています。日本語だと「イラリオン府主教(アルフェエフ)」となるのだそうです。「瀬戸内寂聴大僧正(俗名晴美)」みたいなものですね。
この「マタイ」は、2007年の初演の模様がライブ録音としてリリースされていますが、それを今回はスタジオ録音で再録したのでしょう。指揮者は初演の時と同じフェドセーエフです。
この不思議な人のイメージが全く湧かなかったので、まず、彼自身が指揮までやっているアルバム(PENTATONE)を聴いてみました。
そこでは、合唱曲だけでなく、器楽曲も聴くことが出来ました。それは「合奏協奏曲」という、まるでバロック時代の作品のようなタイトルの曲でしたが、それはまさにバロックの巨匠たちの作品の完璧なパクリでした。通奏低音にチェンバロまで加わっているのですから、すごいものです。
この「マタイ」は、やはりバッハあたりの同名曲を下敷きにしているのでしょう。テキストはもちろん新約聖書のマタイ福音書から取られていて、最後の晩餐から埋葬までが4つの部分に分かれています。とは言っても、それはロシア語に訳されたものです。ブックレットには対訳はありませんが、一応英語でそれぞれのナンバーのタイトルは書いてあるので、内容はなんとなく分かります。
やはり、福音史家は登場、それはバリトンが担当していますが、ほぼその歌手のソロで歌われます。それはほとんど抑揚のない、まるで「お経」のようなものでした。そして、合唱やアリアも歌われます。バックのオーケストラは弦楽器のみの編成です。先ほどのソロ・アルバムでは、管楽器や打楽器も入ったフル編成の曲もあったので、オーケストレーションが出来ないのではなく、この曲にふさわしい編成として弦楽合奏を選んだということなのでしょう。
確かに、このモノトーンのオーケストラは、いたずらに劇的な盛り上がりを作ることは決してなく、ひたすら深いところからの悲哀、慟哭といった情感を表現してくれているようです。ただ、サウンド的にはとても抑制されたものであるのに、それが奏でる音楽にはかなり俗っぽい和声が使われているのが気になります。あまりに見え透いたコード進行で、とても心地よく聴こえる半面、その先には意外性というものが全くありません。
ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バスの4人のソリストが、この曲の4つの部分に分かれた中でそれぞれ1曲ずつ歌っている「アリア」が、まさにそんなスタイルを最大限に駆使したものでした。それらは、一度聴いただけで虜になってしまうようなシンプルな中にツボを押さえたメロディが、クリシェ・コードの上で歌われるという、それ自体はとても安らかな幸福感が味わえるものです。ですから、ソプラノが歌う第3部の中の「アリア」などは、こんな立派な声ではなく、もっとピュアな声で聴きたいものだと、贅沢な不満まで持ててしまいます。
合唱でも、ア・カペラで歌われるやはり第3部の中の「35番」などは、まさに完璧な美しさで迫ってくるものでした。
ところが、最後の「48番」で聴こえてきた合唱には、言葉を失いました。それはなんと、あの「カッチーニのアヴェ・マリア」ではありませんか。今では、この「迷作」はさるロシア人が20世紀に作曲したものであることは広く知られていますが、この、21世紀にやはりロシアの「自称作曲家」が作った2時間に及ぶ大曲は、それとまったく同じ精神を持っていたのでしょう。とんでもない駄作です。あんたは木でも切ってなさい(それは「与作」)。

CD Artwork © Metropolitan Hilarion (Alefeyev)

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by jurassic_oyaji | 2017-04-29 21:27 | 合唱 | Comments(0)