おやぢの部屋2
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2017年 09月 01日 ( 1 )
図形楽譜というのもありました
 ジャズトランぺッターのHさんが、連日メディアやネットの話題になってますね。そこで語られている意見のほとんどが、なんとも見当外れで愚かなものだなあ、と感じるのは、いつものことです。
 私があの動画を見て最初に思ったのは、「これって、吹部じゃん」というものでした。この前、何とも理不尽な高校の吹奏楽部を舞台にした映画を見たばかりだったので、よく似てるなあ、と感じたのです。そこで最も重要視されるのは「全体」という思想。そこでは、あのドラムの子のようなはみ出し者は排除される存在でしかありません。そういう意味で、もしHさんが吹部の指導者だったとしたら、これはまさに賞賛すべき行動です。なんたって、「全体」のまとまりが最優先される世界でしょうからね。
 でも、私が知る限り、Hさんは決して「吹奏楽部の指導者」ではなく、「ジャズマン」だったはずです。そして、これも私が知る限り、「ジャズ」という音楽は基本的に「即興演奏」が最も価値があるとされているものです。それぞれのプレーヤーが自らのセンスをかけてオリジナリティあふれるフレーズを発すると、その他の人はそれを受けてさらに面白いソロを繰り出す、そんな相互作用から言いようのないグルーヴが生まれる。そんなものなのではないでしょうか。だから、そもそも大人数でやるものではないのでしょうね。あまり人数が多いと、そのような自由さを少し封印しても、「全体」で合わせるための約束事を決めなければいけなくなりますからね。でも、そんなことになっていても、ベースはあくまでジャズなのですから、そのような約束事は「絶対」ではないはずなのではないでしょうか。誰か一人が突然素晴らしいフレーズを思いついたのでそれをもっと続けたい、と思った時でも、それを容認できるぐらいのユルさが、その約束後のの中には組み込まれていなければ、それは「ジャズ」とは言えないのではないでしょうか。つまり、Hさんがドラムの子のスティックを投げ捨てた時点で、彼は「ジャズマン」ではなくなっていたのです。それだけのことです。
 ジャズに限らず、クラシックの世界でも「即興性」を重視しようという動きはありました。それは、おそらく約束事に縛られることに飽きてしまったクラシックの作曲家の、ささやかな息抜きだったのかもしれません。気が付いたら、世の中の新しい(クラシック)音楽が、何かしら即興性を求められるようになっていましたね。もちろん、それは長続きすることはありませんでした。その頃、そういうムーヴメントの先陣を切っていた作曲家のIさんなども、最近はすっかり丸まってしまって、この間中あの朝日新聞の連載インタビューに登場していたりしましたからね。クラシックの世界では、せいぜい「管理された即興性」ぐらいしか、生き残る道はありませんでした。それは、当然の帰結です。なにしろ自然倍音の中から長三和音を発見したように、生理的な要因をうまく体系づけ、「規則」を作って拡大を図ってきたのがクラシック音楽だったのですから。
 ですから、そういう音楽で「アンサンブル大会」を楽しむには、何回も何回も練習をして、きっちり「約束事」をメンバー全員が共有できるような「訓練」が必要になってきます。唐突ですが、あの録音を聴き直しているうちに、そんな気持ちになってしまったものですから。来年はもっとシビアに練習しないと。
 聴き直した、というのは、リハーサルの時に録音していた音源でした。まずは普通に飽和しない程度に高いレベルで設定しておいて、私のアンサンブルなどを録音していたのですが、そのあと打楽器のダイナミック・レンジに合わせて思い切りレベルを下げたものですから、CDにするときには編集でレベルを上げなければいけませんでした。その元の高レベルのリハーサルと、低レベルを修正した本番とを聴き比べてみたんですよね。当然のことですが、最初から高レベルで録音した方が、格段にすぐれた音でした。ですから、またこのような機会があったら、きちんと音源ごとに最適のレベルに設定できるようになれば、いいですね。
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by jurassic_oyaji | 2017-09-01 22:11 | 禁断 | Comments(2)