おやぢの部屋2
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2017年 10月 08日 ( 1 )
ハーモニカのチューニングが狂ってました
 この週末に駅前に行ったら、もうハロウィンだらけだったので、なんだかもうすぐそのハロウィンの「本番」があるのかと思ってしまいましたよ。たしか、あれは10月の最後の日だったはず、こんなに前から騒いでどうするのでしょう。ハンバーガー屋さんに入ったら、ハロウィンの紙に包まれたベーコンオムレツバーガーが出てきますしね。今日なんかは、「よさこい」ですか、なんとも悪趣味の塊のような衣装に身を包んだ一群が、我が物顔に街中を闊歩していますから、ハロウィンと相まって、世の中はとんでもないことになっていましたね。なんせ、最近ではかなり高齢の人も「よさこい」に参加しているみたいで、あの衣装にもう化け物のようなメークで迫りますから、そのまんまハロウィンの仮装になっていましたよ。あんなお年で、あんな激しい踊りなんてできるのかと、要らぬ心配をしていしまいます。
 ということで、ハロウィンも「よさこい」も大嫌いな私ですが、エスパルに行ったらこんなかわいい人形があったので、思わず和んでしまいましたね。こういうのだったら、許せます。

 駅前に行ったのは、やっと時間が出来たので「ナミヤ雑貨店」を見に行ったからです。もう公開から2週間経ってますから、さすがに小さなスクリーンには変わっていましたが、それでも前の方までしっかり埋まっていてまだまだ見に来る人はいるようでした。結構シニアっぽい人の姿もありましたね。
 予想通り、原作のエピソードをいくつかカットした後に、ほぼ忠実に映像化されていたようですね。ここで一番のポイントが時間軸の設定なのでしょうが、それもとても分かりやすくなっていたので、原作を読んでなくても理解できることでしょう。なんと言っても見ごたえがあったのが魚屋ミュージシャンのエピソードです。これはもう、原作では絶対にできない映画ならではの手法の勝利ではないでしょうか。というか、映画だけではなく、それ以外のメディアとの相互作用が見事に成功した、というべきでしょう。
 つまり、ここでは、映画の中で使われる曲を、映画の公開よりだいぶ前にリリースして、それをヘビーローテーションをかけることによって、映画を見る前にお客さんがその曲のことを知っている、という状況をまず作り出していたのですね。それは、達郎のような大物のアーティストだったから可能になったのでしょう。実際に曲はしつこいほど耳につきましたし、ヒットチャートのトップにも躍り出ていましたからね。
 そうなってくると、もう、松岡さんがギター片手に鼻歌で歌っている時点で、ああ、これがあの曲なのだな、ということが見る人に分かってしまって、そこでまずある種のデジャヴ感とともに共有感も湧いてくるはずです。そこに、セリが歌詞を入れて歌い出せば、そのテキストと物語のテーマとが見事にリンクして、まんまと見るものの涙を誘うことが出来てしまうのです。ここで火がついてしまえば、あとはもうほんのちょっとのことでさえ心が揺さぶられるのは必至です。実際、私のそばに座っていた二人連れの女子などは、もう終わるまですすり泣きの声を上げっ放しでしたからね。このライブ・バージョン、実際にギターを弾いていたのは園長役のPANTAなんですね、彼は、クリスマスの時には松岡さんと一緒にサウスポーのギターを弾いてましたね。
 これは、達郎自身が歌うエンディング・テーマさえも、しっかり物語のバックを語るにふさわしいものになっていました。確かに、これだけサントラとして物語に寄り添っていて、なおかつヒット曲として通用するというのは、すごいクオリティです。
 もちろん、まんまと私もその策にハマってしまいましたよ。ハンカチをポケットに入れておけば、と悔やんでしまいました。
 映像も、やはり劇場で見てよかったな、という、素晴らしいものでしたね。セットとバックの街並みが、遠景になってもしっかりつながっていましたから、本当に町全体が30年以上前のように見えました。
 そういえば、晴美が世話になっていた家の主人のリスニング・ルームはすごかったですね。LPが棚一杯にありましたし、電蓄までありましたね。あれは、まだあそこにあるのでしょうか。
 ただ、曉子さんの原作とは異なる扱いは、ちょっと失敗していたみたいですね。あれだけの説明では、ちょっと理解できない人がいるはずです。肝心の山田涼介のキャラクターも、もうちょっと掘り下げてもよかったような。もちろん、西田敏行は完全なミスキャスト。
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by jurassic_oyaji | 2017-10-08 22:03 | 禁断 | Comments(0)