おやぢの部屋2
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2017年 10月 31日 ( 1 )
TCHAIKOVSKY/Symphony No.6 Pathétique
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Teodor Currentzis/
MusicAeterna
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先日、BSでクレンツィスとムジカ・エテルナが今年のザルツブルク音楽祭でモーツァルトの「レクイエム」を演奏していた映像が放送されていましたね。この曲はCDも出ていますから、どんな表現をしているのかは予想出来ていましたが、やはり実際の姿を見るとそれがとても説得力に富んでいることがよく分かります。一番驚いたのは、彼らはチェロとコントラバス奏者以外は、合唱もオーケストラも立って演奏していたことです。休みのところでも立ったままなんですよ。というか、そもそも椅子が用意されていないのですね。ですから、「Tuba mirum」でのトロンボーン奏者などは、ソロが始まるとステージの前に出てきて暗譜で吹き始めたりします。まるで、ジャズのビッグバンドでソロを取る人が前に出て来て演奏するというノリですね。コンサートマスターも横を向いたり後ろを向いたりと、ほとんど踊りながらヴァイオリンを弾いていました。
そのモーツァルトでは、もちろん全員がピリオド楽器を使っていました。しかし、今回はチャイコフスキーですから、同じ「ピリオド」とは言ってもモーツァルトの時代とはかなり異なる、ほとんどモダン楽器と変わらないものを使っているはずです。ですから、この「ムジカ・エテルナ」という、クレンツィスがオペラハウスのオーケストラのメンバーを集めて作った団体では、そんな、モダンもピリオドも両方の楽器に堪能な人を揃えてるな、と思ったものです。
今回の録音は、2015年の2月にベルリンのフンクハウスで行われました。その時のメンバーがブックレットに載っているので、同じ年の10月から始まった「ドン・ジョヴァンニ」の録音の時のメンバーと比較してみると、やはり木管楽器あたりはほぼ全員他の人に変わっていましたね。確かに、木管では両方の楽器のそれぞれにスペシャリストになるのは大変です。ただ、トランペットやトロンボーンは、大体同じ人が演奏していました。弦楽器でも、何人かは「両刀使い」がいるようで、ここでは、半分ぐらいは別の人のようでした。ですから、やはりこの団体は、曲の時代によって大幅にメンバーを入れ替えて演奏しているのですね。そして、きっと「悲愴」の時は、みんな座っているのではないでしょうか。
それと、そのメンバー表を見ると、弦楽器の人数が16.14.12.14.9と、低弦がやたら充実していることが分かります。しかも、先ほどのモーツァルトは普通にコントラバスが右端に来る配置でしたが、どうやらここでは対向配置をとっているようで、コントラバスが左奥から聴こえてきます。そんなこともあって、第1楽章の序奏での低弦は、巨大な音の塊がのっそりと迫ってくる、というとてつもなく不気味なインパクトがありました。
さらに、続く主部のテーマは、本当はとても美しい女性が、あえて醜さを装って他人との接触を拒んでいる、みたいな不思議な思いが込められたものでした。もうそれだけで、この演奏が従来のイメージを破壊した上に成り立っているものであるのかが分かります。
おそらく、クレンツィスは今までの慣習を完全にリセットしたうえで楽譜を読むという、これまでに見せてきた手法を「悲愴」にも用いただけなのかもしれません。ですから、第2楽章で、ちょっと聴いただけでは軽やかなワルツに聴こえなくもないものを、あえて5拍子という変拍子を強調することで、その中にあるはずの複雑な情念を表に出そうとしていたのでしょう。
とはいっても、ここまでやられるとそもそもこの時代の音楽とはいったいなんだったのか、という根源的な疑問にまで立ち向かわなければいけないのでは、という思いにもかられます。正直、それはとても辛いことのような気がします。
そう思えたのには、なんとも圧迫感の強い、あまり美しくない録音にも責任があるはずです。この録音会場であれば、もっとのびやかな音で録ることはそんなに難しいことではありません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2017-10-31 23:01 | オーケストラ | Comments(0)