おやぢの部屋2
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宇宙空間にワイヤーが
 サラウンドで録画したBDを見るのは、私の新しい習慣となりつつなります。これで見ると(聴くと)、ストーリーは全然つまらない映画でも、全く別の魅力を発揮するようになるから、不思議です。確かに、昔映画館でそれがつまらないと思った時には、もっぱら音響を楽しんでいたような気がしますからね。いくらつまらなくても、これがあればわざわざ映画館まで来た価値があるとまで思っていました。それが、自宅でもほぼ同規模のものが実現できるようになったのですから、これだったらもう映画館に行く必要もないかな、とも考えてしまいます。いや、実際は映画館の音はでかいだけでクオリティはそんなによくはありませんから、自宅の方が繊細さから言ったら私にとっては優れていると思えてしまいます。なにしろ、隣や前の人を気にしたりすることは全くありませんからね。
 そんな、もっぱら音だけを楽しむために見たのが「パッセンジャー」です。これも、予告編などを見ても全く見る気はおきなかったのですが、ある時たまたまかけたWOWOWシネマでこれが流れていて、その音がサラウンド的にとてもすごかったので、これはきちんと見てみようと別の放送時間に録画しておいたんですよね。
 そのサウンドは期待通りで、とても満足しました。ストーリーの方もまあまあ楽しめます。5000人を乗せて地球外のコロニーに向かう宇宙船の中だけで物語が進むので、画面にはその宇宙船の内外しか出てきません。そこで繰り広げられるのは、目的地に着くまでの間は人口冬眠で眠っていなければいけないものが、小惑星の衝突で発生したエラーで予定より「90年」前に起きてしまった男の物語です。食料などには不自由しないものの、なにしろ、他の乗客はみんな冬眠中ですから、それが1年も続くとさびしくなって、冬眠していた女を作為的に目覚めさせてしまうのです。
 そうなれば、やることは一つだけ、というラブストーリーが展開されることになるのですが、もちろんそれだけでは済むわけはなく、さまざまな事件が起こって最後は・・・。
 その恋人たちは、宇宙服を着て外に出てデート、というしゃれたことをやったりします。無重力の宇宙空間での、文字通りのランデブー、楽しかったでしょうね。でも、演じる方は大変で、ワイヤーで吊り下げられながら、そも無重力のような演技をさせられるのですからたまったものではないでしょう。もちろん、映画を見ている人はそんなことなんかはまったく気づかずに、ロマンティックな宇宙遊泳を見ることになるのです。
 ところが、そのシーンで、バックが真っ暗なところから明るい星雲になった時、その、決して見えてはいけないワイヤーがしっかり見えてしまっているのですよ。しかも二人分。
 私が気が付くぐらいですから、当然誰かは気が付くはずですよね。編集の段階であのハリウッドのスタッフがこんなことに気が付かなかった方が驚きです。でも、もしかしたらこれはそういうことをわざと見せる「コメディ」だったのかもしれませんね。
 サラウンドといえば、もちろん映画で体験できますが、それはオーディオの世界でもやはりBDで味わえます。ブルーレイ・オーディオというやつですね。これも、最初からサラウンドで録音してあるものは今までとは違った聴き方が出来るようになりました。そこで、もう一つのハイレゾ・ソースであるSACDでもしっかりサラウンドの音源が用意されているので、それを再生することはできないかと考えてみました。しかし、かつてはSACDのサラウンドにも対応していた「ユニバーサル・ディスク・プレーヤー」とか言っていたものが、最近は市場から姿を消してしまったような感じなのです。おそらく、今SACDのサラウンドを再生できる機械を作っているメーカーはほとんどなくなってしまったのではないでしょうか。私が職場で使っているOPPOのプレーヤーは、そんな数少ないモデル、いつかは、これにもAVアンプをつないで、サラウンドを体験してみたいものです。
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# by jurassic_oyaji | 2017-12-15 21:34 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Motets
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Grete Pedersen
Nowegian Soloists' Choir
Ensemble Allegria
BIS/SACD-2251(hybrid SACD)


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースしているペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団の今年の新譜は、ちょっと今までとは様子が違っていました。これまでは、何かしらのテーマを中心にして、多くの作曲家の作品を集めたという「コンセプト・アルバム」が主体だったのですが、今回はバッハのモテット集という、ベタな選曲でした。しかも、前々作の中にあった音源をそのまま使いまわすという「手抜き」まで行われているのですから、ちょっと心配でご飯も食べれなくなってしまいます(それは「ら抜き」)。
つまり、ここでは収録曲をまとめて一度に録音したのではなく、一昨年、昨年、今年と3回に分けて録音しているのです。その一昨年の分が、すでにこちらのアルバムに含まれていたのです。
と、現象的には許しがたいことをやってはいても、このアルバムではそれがしっかり全体の中に納まっている、という結果にはなっているので、それはそれで許せるというのが面白いところです。つまり、同じ音源でも、コンテクストが変わると全くその役割が変わってくる、ということを、現実に体験できたものですから。
バッハの「モテット」に関しては、いったい何曲あるのかという問題はありますが、ここでは普通に「モテット」と言われているBWV225からBWV230までの6曲に、BWVではそのあとに記載されているBWV118を加えて7曲が演奏されています。さらに、伴奏の編成もはっきりしてはいないので、ここでのペーデシェンは、3回のセッションでそれぞれ異なった編成のアンサンブルを協演させていました。
アルバムの曲順では、まず2016年のセッションで録音された「Komm, Jesu, komm(来ませ、イエスよ、来ませ) BWV229」、「Fürchte dich nicht, ich bin bei dir(恐るるなかれ、われ汝とともにあり) BWV228」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf(み霊はわれらの弱きをたすけたもう) BWV226」の3曲が演奏されます。これらは全てソプラノ、アルト、テナー、ベースの4パートの合唱が2つ向かい合って歌う二重合唱の形で作られたものですが、その伴奏はオルガンにチェロとヴィオローネという編成の通奏低音だけになっていて、さらにピッチがほぼ半音低くなっています(A=415)。ですから、ここではほぼ合唱の裸の姿が披露されることになります。
それに続いては、2015年のセッションと2017年のセッション(これはモダンピッチ)のものが交互に演奏されますが、その前半の「Jesu, meine Freude (イエス、わが喜びよ)BWV227」と「Lobet den Herrn, alle Heiden(主よ讃えよ、もろもろの異邦人よ) BWV230」では、通奏低音の他にコラ・パルテ(合唱のパートと同じメロディを重ねること)で弦楽器が加わっています。そうなると、合唱は弦楽器に覆われることになり、豊かな音色が醸し出されるようになります。
そして、最後の2曲、「O, Jesu Christ, meins Lebens Licht(おお、イエス・キリスト、わが生命の光) BWV118」と「Singet dem Herrn ein neues Lied(主に向かいて新しき歌をうたえ) BWV225」では、弦楽器の他にオーボエやファゴットが加わって、さらに華やかなサウンドとなっています。BWV118などは、前奏や間奏など、合唱が入っていない部分までありますから、さらに充実したサウンドになります(お葬式の音楽なんですけどね)。
そんな感じで、以前はニューステットの作品との対比として使われていたものが、ここでは見事に同じ合唱が伴奏の形態が変わることによって、どれだけの違いが出てくるかということを見せてくれていました。
ただ、「同じ合唱」とは言っても、この合唱団のことですからメンバーは3年の間には大幅に変わっているはずです。それなのに、ブックレットではそれらを区別せずに、「1度でもこれらのセッションに参加したことのある人」を全員並べています。これはちょっと不親切。
でも、なんと言ってもこの合唱のメンバーはそれぞれにレベルが高く、ちょっと「普通の」合唱団が歌っているバッハのモテットとは次元の違う素晴らしい演奏を繰り広げてくれていますから、ぐだぐだと文句を言う必要なんか全然ないのですけどね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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# by jurassic_oyaji | 2017-12-14 20:13 | 合唱 | Comments(0)
管楽器は全員出席
 角田の「第9」が終わって、翌々日にはニューフィルの次の定期演奏会へ向けての練習が始まることになります。でも、その日は朝から雪が降り積もっていて、もしかしたら雪かきをしなければいけないような感じでしたから、私は長靴を履いて出勤です。でも、おそらく夕方までにはもう雪は融けていそうな降り方だったので、一応普通の靴も持っていきます。案の定、駐車場の車にはしっかり5センチぐらいの雪が積もっていましたが、道路はすでに雪はすっかりなくなっていて、職場への坂道も何の問題もありませんでしたし、駐車場もほとんど雪は融けていたので、長靴も必要なし、やっぱり普通の靴を持ってきて正解でした。長靴で練習に行ったりしたら、ちょっと恥ずかしかったでしょうね。
 でも、やっぱり夕方にはまだ少し雪もちらついていましたし、おそらくこのままだと道路も凍ったりするでしょうから、練習場での出席者の出足はちょっと鈍いようでした。私が音出ししようと席に座った時には、ヴァイオリンには1人しかいませんでしたからね。でも、次第にポツリポツリと集まってきました。入団希望者のような人もいましたね。
 と、ヴァイオリンの席から、いきなり「バキッ!」というような音が聴こえました。そっちを見ると、床の上に楽器が落ちていました。手が滑って落としてしまったのでしょうか。かなり大きな音がしたので、もしかしたら壊れてしまったのかもしれません。その楽器の持ち主は、楽器を拾い上げて手に持ったら、遠目には下を向いて涙ぐんでいるようでした。大変なことをしでかしてしまった、というような雰囲気が、体全体から漂ってきましたよ。周りの人も心配して声をかけたりしていますが、その人は泣きじゃくるだけです。
 でも、あとで聞いてみたら楽器には別に問題はなく(そのあと、ちゃんと弾いてました)、あまりの出来事で一瞬パニックに陥ったようですね。いや、私でもフルートやピッコロでそんなことが起こったら、とても冷静ではいられませんから、気持ちはよく分かります。
 その日の練習は、チャイコフスキーの5番と「火の鳥」、私は「火の鳥」は降り番なので、まずはチャイコフスキーのトップでだけ、ピッコロの出番はありません。この曲はもう本番で3回も吹いてますから、難なく吹けてしまうだろうと思っていたのですが、さらってみると意外と面倒なところがあって、思い出すまでに時間がかかりましたね。というか、そもそも私はこの曲はあまり好きではありません。パートを決める時にも、できれば「火の鳥」の方をやりたかったのですが、その願いはかないませんでした。とにかく、フルートは吹いていて面白いところが全然ないんですよね。今までやった他の交響曲、「1番」、「4番」、「6番」だそれぞれに吹きごたえがあるところがあるのですが、この「5番」はそれがありません。まあ、聴いていればそれなりに楽しめるのですが、演奏している時にはほとんど魅力が感じられないという(もちろん、フルート・パートだけですよ)珍しい曲です。
 休憩時間に委員会があって、雑談でこの前の「第9」の印象などが聴こえてきましたが、やはり私と同じことを感じていた人は多かったようですね。合唱はとても素晴らしかったんですけど、ソリストの何人かは・・・。
 後半の「火の鳥」は、もう帰ってもよかったのですが、どうせいつかは代吹きをやる時があるはずですから、その時のために一通り通すところを聴いてました。やはり大変な曲なので、交響曲のようにほぼ1回で通すというわけにはいきませんでしたが、やったことがある人も多かったので、けっこうちゃんと演奏出来てましたね。これだったら、本気でさらわないと。
 今年中の合奏は、来週でもう終わりです。職場の方も年末のDMの発送準備で大わらわ。徐々にあわただしくなっていく気配です。
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# by jurassic_oyaji | 2017-12-13 21:53 | 禁断 | Comments(0)
Silence & Music
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Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records

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# by jurassic_oyaji | 2017-12-12 22:20 | 合唱 | Comments(0)
後奏は目いっぱい吹きました
 今年も、「第9」の季節となりました。ニューフィルでは毎年角田市の団体から依頼を受けて演奏を行っていますから、まさに年中行事です。もちろん、会場は角田ですので、前日と当日は現地まで行って、あちらの合唱団とのリハーサルと本番ですから、片道1時間強の道のりを2往復しなければいけません。これが結構大変なんですけどね。特に帰り道が、もう仙台市内では「光のページェント」が始まっていますから道路は大混雑ですので、注意が必要です。
 今年はきのうがその本番でした。ですから、おとといの土曜日のお昼過ぎに、角田までのドライブです。バイパスを過ぎると、ほとんど車が通らないような一本道になるので、そこまで行ってしまえばあとは楽ですね。堤防沿いの細い道を走るときは、いつも、なんて辺鄙なところまで来てしまったのだなあ、と思ってしまいますね。
 会場の「かくだ田園ホール」につくと、役員さんたちが入り口に立っていて案内してくれていました。その中に、事務局長(?)のNさんもいましたね。私はいつも走り回っていてお名前を呼ばれていますから、一方的に存じ上げているのですが、その方が私に「いつもFacebookでお世話になっています」とあいさつしてくれたのには、驚きました。確かに、私はネットで角田のこの団体とかこの方とは相互にやり取りしていましたが、あちらは私の顔までは知らないはず、まあ、どこかに写真ぐらいはあるでしょうが、それで私本人をきっちり認識してもらえたのは、うれしかったですね。
 それから、いつものようにオーケストラだけの「第9」の3楽章までと、合唱を加えての4楽章、それに前曲の子供合唱も入るメドレー曲のリハーサルが始まります。私のパートは、どちらもピッコロがメイン、去年まではそんな時にもものすごいプレッシャーを感じたものですが、新しい楽器に変えてからというものは、そんなものとはさっぱり無縁となってしまいましたよ。フルートも2番ですが、メドレーの編曲がとても素敵なフレーズがいっぱいあるので、それも楽しいですし、こんなに楽でいいのかな、と思ってしまうほどです。
 それでも、この編曲にはピッコロのソロみたいなところもあるので、そういう意味での緊張感はありましたね。合唱のテンポが微妙に指揮とずれているところにそのソロが入る、なんてスリリングなところもありましたしね。それと、1か所、ワルツの前で指揮者が仙台でやった時にうまくフルートとピッコロが入れないところがありました。どこで入るのか、さっぱり分からないんですよね。それで、ひとこと「ここ、分かりません」と言ってみたら、しっかり振り方を変えてくれていました。そうなると、今度は別のところで分かりづらくなってしまい、そこだけは本番でうまく行くかどうか不安でしたね。まあ、結局うまく行きましたけど。
 その合唱が、なんだかいつもよりとても安定していましたね。最初の「ヴィバルディ」(プログラムにそう書いてありました)で女声が聴こえてきた時には、声がとてもまとまっていて、びっくりしてしまいました。そのあと入ってきた男声も、とても柔らかな声でしたね。安心して一緒に演奏できる合唱でした。今年から新しい指導の方がいらっしゃったそうですが、おそらく基礎的なことからじっくりと練習を重ねてこられたのでしょうね。
 こども合唱団も、こちらはとても元気が良くて気持ちいい演奏でしたね。「カンタロー!」という叫び声まで入れてましたし。これは、あとで写真を見ていたら、しっかりこんなポーズをとっていたんですね。
 こちらも写真を見て初めて知ったのですが、クリスマスの曲の時にはしっかり「かぶりもの」を使っていたんですね。いつの間にこんなのを持ち込んでいたのでしょう。
 「第9」では、ソリストが全員角田では初めての人ばかり。アルトとテノールの方は今まで仙台で何度も聴いたことがある人ですが、ソプラノとバスは初めて声を聴きました。ソプラノの方は、コンディションが悪かったのでしょうかねえ。ちょっと残念でした。こちらの合唱も、人数は80人ほどでしょうか、ちょっとフル・オーケストラの中では埋もれてしまいそうだったのですが、男声などは少ないなりにとても頑張っていたようですね。でも、マーチではピッコロは極力抑えて吹いてみました。おそらく、前の楽器だったらそこまでのコントロールは出来なかったでしょうね。
 お弁当は、これも恒例のずんだ弁当、これにお肉かお魚が一品付いていれば、もっとうれしいのですが。
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# by jurassic_oyaji | 2017-12-11 22:37 | 禁断 | Comments(0)