おやぢの部屋2
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BACH/Messe h -Moll
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Julia Doyle(Sop), Alex Porter(CT)
Daniel Johannsen(Ten), Klaus Mertens(Bar)
Rudolf Lutz/
Chor & Orchester der J.S.Bach-Stiftung
J.S.Bach-Stiftung/B384


確か、バッハのカンタータの全曲録音を目指して2006年にスタートしたはずの、この「バッハ財団」のプロジェクトですが、その後の進捗状況はどうなっているのでしょう。公式サイトによると、カンタータのCDは第20巻までリリースされているようですが、それぞれ3曲入っているとしてまだ60曲しか完成していませんね。200曲以上あるカンタータが全曲手元に届くのは、そんなにカンタンなことではありません。
ただ、このプロジェクトでは、カンタータは実際の公演のライブ録音ですが、それ以外の宗教曲のスタジオ録音も行っていました。その第1弾が、2012年に録音されたこちらの「マタイ受難曲」でしたが、今回のCDはそれに続いて2016年に録音された「ロ短調ミサ」です。
まず、楽器や合唱の成り立ちから。オーケストラの楽器はピリオド楽器、弦楽器はヴァイオリン11人、ヴィオラ4人、チェロ3人、ヴィオローネ2人で、通奏低音はチェンバロとオルガン、リュートなどは入っていません。合唱はソプラノ12人、アルト7人、テナー6人、ベース8人、ソリストは合唱とは別に4人です。合唱でソプラノだけ多いのは、かなりの曲でソプラノのパートが2つに分かれているためでしょう。おそらく、現代ではこのぐらいの人数が、ストレスなくきっちりピリオドっぽいサウンドを味わえるスタンダードなのではないでしょうか。もはや「1パート1人」のブームは完全に終わっているようです。
ここで指揮をしているルドルフ・ルッツは、オルガニストやチェンバリストとして即興演奏には定評のある人です。この録音ではそれらの楽器は他の演奏家に任せていますが、特にクレジットはないものの、この中でそんな即興演奏を披露しています。1枚目のCDを聴き始めたら、普通はオーケストラと合唱で「キーリエ」と始まるはずのものが、なぜかチェンバロの独奏が聴こえてくるのです。いわば「前奏」を即興演奏で弾いていたのですね。さらに、2枚目のCDの頭でも、今度はオルガンで「クレド」の前奏を弾いています。ライブでは、そのあとですぐ指揮をしなければいけないので、これはちょっと難しいでしょうが、スタジオ録音ということでこんなお茶目なことをやってくれたのでしょう。なかなか粋なアイディアです。
ただ、これはライブの時こそ役にたつやり方なのかもしれませんね。「キリエ」も「クレド」も合唱は何も音がないところから歌い始めなければいけません(「クレド」はたいてい休憩後の最初の曲になります)から、前もって音を取っておかないといけません。あるいは、なにかの楽器で演奏前に音を出すとか。これは、かなりみっともないことですが、こんな風に「前奏」を付けてしまえば、堂々とそれで音取りが出来るのですから、これはもしかしたら新しいブームになるかもしれませんね。
もちろん、この合唱団には、そんなことは必要ないでしょう。長年オーケストラと一緒にバッハのカンタータを歌ってきたこのメンバーは、オーケストラとの歌い方を完璧にマスターしているように思えます。自分のパートが、今オーケストラのどの楽器とユニゾンになっているのかを知って、その楽器にしっかり寄り添って歌っていますから、まるでそれは一つの楽器のように聴こえてきます。こんなすごいことができる合唱団なんて、なかなかいないのではないでしょうか。
テキストの歌い方も、しっかり揃っているのがうれしいですね。「グローリア」の「グロ」をしっかり前に出して歌うのは、日本人にはなかなかできません。
オーケストラでも、ソロ楽器はあまり目立たないで全体の奉仕している姿が心地よく聴こえます。トランペットなどは、全く出しゃばらないのにしっかりとその存在感は伝わってくる、というセンスの良さです。しっかり装飾も入れてますし。ただ、これは好みが分かれるでしょうね。もっとバリバリ吹いてほしいと思う人もいるでしょうから。

CD Artwork © J.S.Bach-Stiftung St.Gallen

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by jurassic_oyaji | 2017-07-22 22:22 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Erika Grimaldi(Sop), Daniela Barcellona(MS)
Francesco Meli(Ten), Michele Pertusi(Bas)
Gianandrea Noseda/
London Symphony Chorus(by Simon Halsey)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0800(hybrid SACD)


オーケストラによる自主レーベルとしては先駆的な役割を果たしていたロンドン交響楽団のLSO LIVEレーベルですが、そのクオリティの高さと安定したリリースでは、他の同様のレーベルを寄せ付けない勢いです。なんと言っても、最近のリリースは全てハイブリッドSACD、場合によってはBD-Aというハイレゾのメディアですからね。そんな好調なリリースの積み重ねで、今回のアイテムは品番が「800」にもなっていました。ここは確か「001」から始まるシリアル・ナンバーがそのまま品番になっていたはずですから、ということはもう800点もの録音が揃ってしまったのでしょうか。
いや、いくらなんでもそれは多すぎます。あのNAXOSとは違ってこちらは年間のリリースはせいぜい十数タイトルでしょうから、出来てから20年にも満たないレーベルでそれだけのタイトルがあるわけがありません。その「謎」を解くために、カタログを調べてみたら、なんと、その品番からは200番台から400番台が欠落していたのです。
2000年頃から始まったこのレーベルは、当初はCDしか出していませんでしたが、やがて、SACDもリリースするようになり、それを500番台からスタートさせたのです。たとえば、コリン・デイヴィスが指揮をした「運命」などは、CDでは「090」SACDでは「590」といった具合で(例外もあります)CDとSACDの両方の品番があったのですが、しばらくすると、ハイブリッドSACDに一本化されるのです。ですから、実質的に使われている品番はせいぜい500、その中で製品として今でも流通しているのは150点ぐらいでしょうか。
最近は録音フォーマットもDSD128(SACDの2倍のサンプリング・レート)が採用されるようになり、さらに凄さを増したこのレーベル、今では少なくなってしまった最低でもSACDでのリリースというスタンスを、この先も堅持していってほしいものです。
そんな、SACDならではの繊細な音色と幅広いダイナミック・レンジは、今回のヴェルディの「レクイエム」のような曲ではとことん威力が発揮されることになります。冒頭「Requiem aeternam」の、耳をそばだてないことには聴こえてこない超ピアニシモから、「Dies irae」でのオーケストラと合唱の咆哮による超フォルテシモ、さらにそこにバンダのトランペット群が加わった「Tuba mirum」でのスペクタクルな音場と、この曲で再現してほしい音が見事に眼前に広がります。もちろん、どこを取ってもひずみや混濁は皆無です。
まずは、サイモン・ハルジーに率いられた合唱がそんなサウンドを支えてくれています。ピアニシモの肌触り、フォルテシモの質感と、申し分ありません。ハルジーという人は、サイモン・ラトルとともにバーミンガム市交響楽団を支えてきた合唱指揮者ですが、ラトルがベルリン・フィルに移ると、彼もバーミンガムのポストはそのままに、ベルリン・フィルと密接な関係にあるベルリン放送合唱団の指揮者に就任します。そして、ラトルがベルリン・フィルからロンドン交響楽団に移るタイミングを待たずに、2012年からはロンドン交響楽団の合唱団のシェフとなっていたのでした(2015年まではベルリン放送合唱団の指揮者も務めていました)。
そして、4人のソリストも、期待の新人と安定したヴェテランをバランスよく配した豪華なもの、この曲にふさわしいオペラティックな歌い方で満足感を与えてくれます。声が伸びるだけでなく、まさに感情が込められたオペラ・アリアとしてそのテキストの情景までも伝わってくる劇的な歌は、「宗教曲」というチマチマした範疇を超えて感動を与えてくれています。
それらをまとめるノセダの指揮は、とてつもない推進力を持っていました。知る限りでは、ジョルダン盤トスカニーニ盤に次ぐ速さです。特に何回も現れるエネルギッシュな「Diesi irae」は、胸がすくような爽快感にあふれています。普通はCDでは2枚は必要なこの曲が楽々1枚に収まっているのは、そのせいだ

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2017-06-27 08:45 | Comments(0)
BEETHOVEN, MOZART, SCHUBERT
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David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 007



2004年に結成された新進気鋭のアンサンブル「レ・ディソナンス」、今回は、その自らのレーベルからの5枚組というヴォリュームたっぷりのアルバムです。ベートーヴェンの「1番」、「6番」、「9番」を除いた6曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのオーボエ協奏曲と「グラン・パルティータ」、それとシューベルトの「7番」です。何曲かは、このレーベルが出来る前に、すでにAPARTE()から出ていたものですが、それらをまとめて新録音も加えてのオールタイムベスト、という感じですね。さらに、このハードカバー仕様のブックレットに印刷されているパスワードを使えば、彼らのサイトからブラームスの4つの交響曲の全曲映像を見ることが出来ます。この映像からは、指揮者なしで演奏を行うこの団体の緊密なアンサンブルの取り方をしっかり確認することが出来ます。木管楽器の前には弦楽器はいないので、直接コンサートマスターのグリマルとのコンタクトが取れています。使っている楽器もよく分かります。フルートはおおむね木管、ホルンはウィンナ・ホルンのようですね。ただし、この映像は、画質は問題ありませんが音声はオーディオ的には何の価値もありません。最近になって、ごく稀にハイレゾで配信されるようにもなってきましたが、一般的にはまず圧縮音源がネット配信のスタンダードですからね。しかも、この音源はモノラルですから、全く鑑賞の対象にはなりえないものらる(ものなの)です。
彼らは、フランス東部のスイスにも近い都市ディジョンにあるディジョン・オペラとはレジデントという関係で共同作業を行っています。とは言っても、ピットに入って演奏するわけではなく、そのカンパニーが主催しているオーケストラコンサートを、その本拠地であるディジョン・オーディトリアムで継続的に行っている、ということなんですけどね。そこで行われたこれまでの演奏のライブ録音が、このCDには収録されていま。もちろん、ライブ映像も、ここで撮影されました。
まずは、2010年から2013年にかけて収録されたベートーヴェンです。基本的にノン・ビブラートでピリオド的なフレージングというきびきびしたスタイルがとられていますから、テンポもかなり速めな設定です。それが、指揮者がいないとは思えないほど自由自在にテンポが変わるのがとてもエキサイティング。というより、指揮者に強制された無茶なテンポではなく、あくまでプレーヤーの自発的なテンポなので、説得力があります。もちろん楽譜は原典版が使われていますが、「5番」の第3楽章ではベーレンライター版にはない繰り返しが採用されていたりします。
問題はシューベルトの「7番」(CDの表記は「8番」)。いくらピリオドでも、これは早すぎるだろうというテンポ設定は、ちょっとついていけません。特に第2楽章は、まるでワルツのようですからね。さらにちょっとしたユーモアのつもりなのでしょうが、そのあとに「第3楽章」を、オーケストレーションが完成している20小節まで演奏して、そこでプッツリやめる、ということをやっています。お客さんには受けているようですが、笑えません。それと、この曲だけ明らかに他のものとは音響が違って聴こえます。確かにデータには「フィルハーモニー・ド・パリ」とありますし、そこで演奏している写真もあるのですが、録音されたのが「2013年」というのは、このホールが出来たのが2015年ですからありえません。
最近録音されたモーツァルトは、管楽器がメイン。「オーボエ協奏曲」ではメンバーのアレクサンドル・ガテがソロですが、とても穏やかな演奏で、第3楽章のテンポなどはなんとも和みます。弦楽器はコントラバスだけで、あとは管楽器セクションだけで演奏される「グラン・パルティータ」でも、それぞれの奏者は気持ちよさそうに歌っています。最初の楽章の序奏で、しっかり複付点で演奏してくれているのもうれしいですね。

CD Artwork © Dissonances Records

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by jurassic_oyaji | 2017-06-10 20:26 | Comments(0)
スキンを少し直しました
 このブログは、ページのデザイン(スキン)がいろいろあって、その中から自由に選ぶことが出来ます。それだけではなく、それぞれのスキンの細かいところ、例えばタイトルの画像とか、文字の大きさ、色、フォント、さらには、文章を書くスペースの大きさなども、細かく指定することが出来ます。スキンというのは要するにスタイルシートなわけですから、それぞれの数値や自分で作った画像を使う時にはそれを保存してある場所などを指定してやればいいだけの話です。とは言っても、HTMLやスタイルシートの書き方をある程度知っていないと、なかなか自分の思ったようには変えられませんから、これをやるためにはその方面の基礎知識は欠かせません。
 私の場合も、それほどの知識はありませんが、とりあえずスタイルシートの書き方ぐらいは分かるので、いろいろ手を加えて今のスキンを使っています。最初に素材を選んだ時にも、その時点で最も文章のスペースの幅が広く取れるものを選びました。画像を載せる時に、できれば幅が500PXぐらいの大きさのものが、たとえば楽譜などでは必要になってきますからね。
 でも、やはりそこには限界があって、ちょっとこれでは小さすぎて、その幅にすると見えにくくなってしまったりします。ですから、1段の楽譜を2段に分けるなどして対応してきました。あ、実は、その幅以上の画像でも縮小されて掲載され、それが実寸の画像にリンクする、という機能はあるのですが、私としてはあくまでも同じ画面の中で見てもらいたい、ということがあって、それは避けたいと思っていましたから。
 それが、最近になって大幅に横幅が広く使えるスキンがリリースされました。それに伴って、今までのスキンもずっと幅の広いものに書き換えることが可能になりました。今回、それを利用させていただいて、ブログの全体の幅を200PXほど広くさせていただきました。そこで、画像も最大幅が500PXから700PXに拡大されることになりました。つまり、今まではこの大きさだったものが、
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ここまで大きくなった、ということです。
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 これは、きのうのブログに使った画像ですが、上の画像ではいまいち分かりずらかったのですが、下ぐらいの大きさになれば、少しは違ってくるのではないでしょうか。


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by jurassic_oyaji | 2017-02-26 21:24 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.6 "Pastorale"
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Bruno Walter/
Columbia Symphony Orchestra
ANALOGUE PRODUCTIONS/CAPC 077 SA(hybrid SACD)



このリマスタリング専門のレーベルは、幅広いジャンルの音源を扱っていますが、クラシックではかつてはLP時代のRCAの音源に特定してリマスタリングを施したLPやSACDをリリースしていたようです。しかし、最新のサイトを見てみたらこんなCBS(アメリカ・コロムビア)の音源がやはりLPとCDで出ていたではありませんか。契約が変わったのかな、と思ったのですが、そもそもこの一連のライセンスは今ではRCAまでその傘下に入れてしまったSONY MUSICから受けていたわけですから、そこにCBSが入っていても全然おかしくはないのでした。すでにジャズではデイヴ・ブルーベックの「Time Out」などもありましたからね。というわけで、名盤の誉れ高いブルーノ・ワルターの1958年録音の「田園」が、とても信頼のおけるSACDとして入手できることになりました。
例によって、ここではオリジナルLPのジャケットがそのまま使われています。「MS 6012」という品番まで同じものが印刷されていますから、まさにこれは「現物」そのもの、現行のCDのジャケット(右)のように、CBSのマークを消して「SONY CLASSICAL」のマークを入れたりはしていません。
品番からわかるように、これはCBSが発売した12番目ステレオのアルバムでした。そのCBSのシンボルである「目玉マーク」も、見慣れたもの(たとえば、日本の「CBSソニー」のマーク)とは微妙に違いますね。それと、「ステレオ」というロゴが大きくフィーチャーされていますが、ここにも後の「360 SOUND」という文字は入っていませんね。これは、やはりSACD本体に忠実に復刻(多少、現在のクレジットも入っていますが)されたレーベル(LPの真ん中の紙の部分)のデザインでも同じことです。ここではステレオの最も初期のデザインである「目玉マーク」が6つあるタイプになっています。「目玉マーク」が後の形になって2つに減り、「360 SOUND」という表記が入るのは、もう少し後のことなのです(たとえば、右の1964年リリースのバーンスタインの「復活」)。
色んな資料を参照してみると、この録音が行われたのは1958年1月13、15、17日の3日間でした。よく言われているように、高齢のワルターを気遣って、セッションを2日続けては行わないという鉄則が守られていたようですね。この一連のワルターのステレオ録音を企画し、録音会場探しからオーケストラのメンバー集めまですべてを仕切ったのが、2014年に84歳で亡くなったジョン・マクルーアだというのはよく知られていますが、録音エンジニアに関しては詳しい資料が残っていないようです。どうやら、CBSのエンジニアではなく、マクルーアが個人的に集めた人たちだったようですね。
演奏に関しては、いまさら何も言う必要もありません。これだけオーケストラを自在に歌わせてスケールの大きな音楽を伝えてくれるものには、なかなかお目にかかれません。
手元にはこの録音のCDはなかったので、同じ頃、1959年に録音されたブラームスの「交響曲第1番」の、マクルーア自身の「リミックス」によるCDを参考のために聴いてみました。それはもう、生々しさから言ったらそのCDとは比較にならないほどで、たった今録音されたばかりのマスターテープを聴いているような気になってしまいます。ただ、そうなると、この録音に使われた「コロムビア交響楽団」の弦楽器の少なさが、もろに分かってしまいます。マクルーアのリミックスでは、もしかしたらそんな「粗」を目立たせないために、あら、わざとぼやけた音にしたのかな?と思えるほどで、弦楽器の少なさはあまり気にならないのですが、今回はそんな「小技」は使わずに、あくまで忠実なリマスタリングを行ったためでしょう。皮肉なものです。
それと、よく言われているこのオーケストラのアンサンブルの悪さも、こんな音で聴くとしっかり分かってしまいます。1楽章で見せてくれた弦と管との絶妙な呼吸が、第3楽章あたりでも実現していればな、と思ってしまいます。

SACD Artwork © Analogue Productions

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by jurassic_oyaji | 2017-02-16 20:17 | Comments(0)
GRIEG/Piano Concerto etc.
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Alexey Zuev(Pf)
Kenneth Montgomery/
Orchestra of the 18th Century
NIFC/NIFCCD 106


10年前に聴いた同じレーベルのダン・タイソンのアルバムでは、ショパンのピアノ協奏曲をピリオド楽器で演奏していました。もちろん、オーケストラだけではなくソロ・ピアノもショパンと同時代のエラールの楽器が使われていました。魚類ではありません(それは「鰓、ある」)。オーケストラはフランス・ブリュッヘンの指揮による18世紀オーケストラでしたね。そして、今回のアルバムでは、ショパンより30年以上後に生まれたノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲が、同じオーケストラ、そして全く同じピアノによって演奏されています。
ただ、オーケストラは一緒でも、その創設者だったブリュッヘンは2014年に亡くなってしまいましたから、ここではイギリスの中堅指揮者ケネス・モンゴメリーが指揮をしています。というか、ブリュッヘンが亡くなったのが8月13日ですが、このライブ録音が行われたコンサートは同じ年の8月29日に開催されていますから、もしかしたら急遽代役を頼まれていたのかもしれませんね。しかし、このオーケストラは、ブリュッヘンがいなくなった後も活発に演奏活動を続けているようですから、頑張ってほしいものです。カリスマ指揮者を失ったオーケストラの悲劇は、古くはトスカニーニのNBC交響楽団などの例もありますからね。
ブックレットにはオーケストラのメンバーが記載されていますが、それによると弦楽器の編成は7.8.5.4.2と、現在普通に演奏される時のほぼ半分の人数です。なぜか、セカンド・ヴァイオリンの方がファースト・ヴァイオリンより多いというのが、面白いですね。
演奏が始まると、いかにもピリオドっぽい音色のティンパニのロールに続いて、あのピアノのファンファーレが鳴り響きますが、そこでちょっと今までになかった体験を味わいました。その4オクターブに渡るユニゾンのフレーズが、ひと塊ではなく、それぞれ別のパートとして聴こえてきたのです。それはあたかも、1台の楽器ではなく、いくつもの楽器によるアンサンブルのようでした。現代の楽器は何よりも低音から高音までのキャラクターが均一になるように作られていますから、そんなことはまず感じないのですが、このエラールでは、高音、中音、低音がそれぞれ全く異なった音色と、もしかしたら異なったテクスチャーを持っているので、このようなことが起こるのでしょう。もちろん、それは「欠点」などではなく、エラールが持っていた愛すべき特徴なのではないでしょうか。
ロシアの俊英ズーエフは、そんな楽器を慈しむように、細やかな表情を繰り出しています。その鄙びた音色とも相まって、そこからはとてもローカル色の濃い音楽が漂っています。オーケストラも、先ほどのような少なめの弦楽器が、ガット弦の柔らかい音色でしっとりと迫ります。そして、管楽器の扱いでも、第3楽章でフルート・ソロがテーマを奏でるところなどは今までとは全然様相が変わってしまっています。そのフルートは、いとものどかな音色で合奏の中に溶け込んでいて、普通に聴かれる堂々とした存在感などは全くありません。確かに、このころすでにベームの新しい楽器は世の中にはありましたが、それが北欧のオーケストラにまで使われるほどには浸透していなかったはずですから、これがグリーグの考えたバランスだったのでしょう。
CDの後半では、ズーエフのソロで「抒情小曲集」から何曲かと、「バラードト短調」が演奏されています。その「バラード」だけ、エラールではなく同じ時代に作られたプレイエルの楽器が使われています。これは、それまで聴いていたものとは全然違う音でした。録音会場も時期も一緒ですから、その違いはそのまま楽器の違いなのでしょう。やはりこの時代は、メーカーによって明らかに求めていた音が異なっていたのですね。それに比べたら、現代のピアノは個性なんか全くなくなってしまっています。

CD Artwork © Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

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by jurassic_oyaji | 2017-02-09 20:28 | Comments(0)
仙台に豊田さん設計の音楽ホールを?
 今朝の朝日新聞に、こんな記事が載ってました(クリックすると、大きな画像が開きます)。
 それは、ハンブルクに新しいコンサートホールがオープンしたことを知らせる記事だったのですが、その内容のメインは、そのホールの音響設計を担当したのが日本人の豊田泰久さんだ、ということでした。豊田さんといえば、日本ではサントリーホールやミューザ川崎の音響設計をなさった方としてよく知られていますが(いや、もしかしたら、あまり知られていなのかも。実際、音楽業界の方でも知らない人を見かけたりします)、永田音響設計という会社の社員で、今では世界中から引く手あまたの方、言ってみれば世界最高峰の音響設計家です。彼が世界中で手掛けたコンサートホールは数知れず、有名なところではLAのウォルト・ディズニー・コンサートホールとか、ヘルシンキのミュージック・センターなどがありますが、いずれのホールも基本的な形はほとんど同じです。もちろん、今回オープンしたホールも、まさに「豊田スタイル」を踏襲するものでした。新聞記事の中にもありますが、豊田さんはこういう形で「ツボ」を完全に抑えることが出来たのでしょうね。
 ホール全体の形と同じく「豊田スタイル」を取っているのが、ステージの山台です。この山台自体が、すでに彼の設計の骨子となっていて、音響的に重要な意味を持っているのだそうです。豊田さんとはとても親しい指揮者の篠崎靖男さんが、京都のホールで豊田さんが設計したのに今では使われていない山台を、設計通りに使ったら、音が全く変わったとおっしゃっていましたからね。
 今回のハンブルクのホールには、もちろんオルガンも設置されています(白丸の中)。ただ、それはデザイン的に非常に巧妙なものになっていました。場所はステージの斜め後ろの客席の中なのですが、オルガンの本体がある場所は、たくさんの「パイプ」で覆われています。もちろんこれは単なる飾りで音は出ませんが、そこはお客さんが自由に触っても構わないようになっているのだそうです。
 そして、実際のパイプは、その裏にこんな感じでその裏側に配置されています。
 このホールの名前は、「エルプフィルハーモニー」、そう言えば、3月に仙台にもやってくる「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団」は、このホールが本拠地になっいて、こけら落としではこのオーエストラが演奏したそうですね。かつては「北ドイツ放送交響楽団」と言っていたオーケストラですが、このホールが出来るということで、名前を変えたのだそうです。なぜ「エルプ(Elb)」なのかわかりますか?それは、このホールが「エルベ川」に面して建っているからです。かつて倉庫だった建物をそのまま復元して、その上に新しい建物を重ねるという、「新丸ビル」とか「KITTE」みたいな発想の建物なんですね。

↑外観

↑断面図
 どうです?仙台でも、どうせ作るならこのぐらいのものを作ってみたいとは思いませんか?でも、豊田さんが音響設計を受注したのは2004年のことだったと言いますから、完成するまでには13年もかかったことになりますね。ですから、今から彼に交渉したとしても、仙台にホールが出来るのは2030年になってしまいます。今、この運動を進めている人たちは、そこまでの覚悟を持っているのでしょうかね。私だって、その頃まで生きているかどうか・・・。
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by jurassic_oyaji | 2017-01-15 14:11 | Comments(2)
Jurassic Awards 2016
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ということで、今年も「ジュラシック・アウォード」となりました。話は変わりますが、「スウィングル・シンガーズ」の生みの親、ウォード・スウィングルは、去年お亡くなりになっていたんですね。それを調べているうちに、ネット上では彼の名前を「ワード・スウィングル」と言っている人が結構いることに気が付きました。「Ward」だから「ワード」という短絡的な発想なのでしょう。それで、「Award」も「アワード」ではなく「アウォード」と言いたいわけでした。それでは、今年のエントリー数の比較から。

  • 第1位:合唱(今年55/昨年51)→
  • 第2位:オーケストラ(33/42)→
  • 第3位:現代音楽(22/21)→
  • 第4位:フルート(14/19)→
  • 第5位:オペラ(13/14)→
  • 第6位:書籍(5/9)→


なんと、去年とまったくおなじランキングになってしまいました。
では、それぞれの部門賞。
■合唱部門
ランドール・トンプソンというアメリカの作曲家には以前から注目していたのですが、彼の「レクイエム」を聴いて、この人は本物だという確信が持てました。それと、「商品」という観点から、録音が非常に素晴らしかったのも高ポイント。
■オーケストラ部門
やはり、こういうランキングでは今や録音の良否はかなり重要なファクターとなります。とくにオーケストラでは日頃聴きなれているので評価も辛くなりがちです。そんなハードルを見事にクリアしたのが、ティチアーティが演奏したハイドンの45回転LPです。「第101番」が1曲しか入っていないという、コストパフォーマンスから言ったら問題外の商品なのですが、このフォーマットが与えてくれる音の世界は言葉では言い表せません。
■現代音楽部門
今の時代にあって、現代音楽というジャンルがそもそも成立するのかというのはさておいて、それを逆手に取った許しがたいCDが出ました。それは、あの新垣隆が作った「交響曲『連祷』」です。こういうのがもてはやされるような世の中になるのは痛くてたまりません。そういう意味で、某「レコード・アカデミー賞」にならって、この最もクズだと思ったCDが「大賞」です。
■フルート部門
はじめて聴いたポール・ラスティグ・ダンケルというフルーティストには、完全に打ちのめされました。高齢になってもこれだけの演奏ができるということに、勇気がもらえました。
■オペラ部門
ベタですが、香港フィルの「ワルキューレ」を。なによりも、BD-Aで「指環」を完成させようというレーベルの姿勢がうれしいですね。集められたのは旬の歌手、日本のオケなどとっくに追い抜いたレベルの香港のオケの力に脱帽。
■書籍部門
「明治のワーグナー・ブーム」には、目からうろこが落ちました。音楽の専門家ではない人によって書かれているというのも、興味深いところ。

来年もまた、こんな感じでよろしくお願いします。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-31 21:44 | Comments(2)
お弁当にはズンダ餅がつきました
 きのうと今日は、恒例の「角田第9」でした。丸2日、車で約1時間半の行程で角田まで往復して、リハーサルと本番をこなしてきました。去年は高速を使ったのですが、一般道とそれほど時間は変わらないようだったので、今年は普通のバイパスを通って、角田までの一本道というコースです。このコースは、去年地図を作りに角田まで行ってきた時には、帰りには通りましたが行きは別の道を行った(というか、入り口を間違えた)ので、こちらから通るのは、昔角田の体育館でやっていた時代以来ですから、なんと15年ぶりのこととなります。自分で地図を作っておきながらなんですが、あの地図を作るためにストリートビューできちんと調べておいたので、迷うことはありませんでした。予想通り、バイパスを降りてからの一本道は信号もなく快適なドライブを楽しめました。
 今年のパートは、私は第9はピッコロ、その前プロの合唱では、出来合いの「ふるさと」という唱歌の組曲の伴奏ですが、1番を吹きました。その中に「村祭り」のイントロでピッコロが祭囃子のようなソロを吹くところがあるのですが、なぜかこれを1番が持ち替えで吹くように書かれているので、それも私が吹くことになっていました。
 これは、音域的にも技術的にもとても吹きやすいメロディなので、ピッコロが必ずしも得意とは言えない私でも簡単に吹けるソロでした。ただ、これが打楽器だけの伴奏の中でのどソロですから、目立つのなんのって。それも、結構本物の祭囃子を髣髴とさせる編曲でしたから、なんだか私のところに様々な感想が寄せられるようになっていました。オケをやっていて、なかなかこういうことは出会わないのですが、今回はちょっと異常、もう「盆踊りでは引っ張りだこになりますね」なんてのから、「実際に祭囃子を体験していないと、絶対に吹けないソロ」なんてのまで、たくさんの人からの言葉が私に伝えられました。いや、私はただ楽譜に忠実に吹いていただけなのですけどね。「以前、篠笛の修行などをなさっていたのですか?」なんて聞いてくるひともいますから、すごいものです。あ、もう一つ、「別のオケでこの曲を演奏するのですが、フルート奏者の参考のためにこの音源を送ってやります」なんてのもありましたね。
 まあ、何にしても、私の演奏が他の人の心に響いたのでしょうから、これはとても満足です。とても楽しい思いをさせていただきました。残念なことに、角田ではもう来年はこの曲は演奏しないのだそうなので、他の人で別の味わいを聴いてもらうことは出来なくなってしまいました。
 メインの第9でもピッコロというのは、本当に久しぶり、でも、これも前にやった時よりは楽に吹けるようになっていたので、確実に進歩はしているのでしょうね。ただ、マーチの部分は何ということはないのですが、最後のところはやはり途中でばててしまうことの方が多かったですね。でも、それが本番では本当に楽に吹けてしまったのですから、不思議です。これで、やっと私も一人前にピッコロが吹けるようになった、ということでしょうか。
 今年は、座席に限りがあるということで、全席指定になっていました。でも、ゲネプロが終わって控室のそばをブラブラしていたら、当日券を目当てに聴きに来た以前団員だったに出会ってしまいました。そこで、果たして当日券はあるのか確かめるために一緒に私も受付に行って座席表を見せてもらいました。そうしたら、ほとんどの席は埋まっているようですが、ところどころ、まだ売れていないところがありました。10ヵ所ぐらいはあったでしょうか。完売ではなかったのですね。ですから、その方はちゃんと聴くことが出来たようです。
 それでも、ステージに上がってみると、空席は全くないように見えました。前の方にパイプ椅子は並べてありますが、それは予備だったようですね。そこにも1列分ぐらいは座っていましたからね。そんな非常に客席が近いところで、満席ですから、気合も入ります。第9が終わった時には、スタンディング・オベーションが起こっていましたね。それはなんと市長さんたち、うれしくなりますね。
 仙台市市長さんにこのぐらいの熱心さがあれば、角田より前に音楽ホールが出来ていたかもしれませんね。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-04 21:03 | Comments(0)
Sir Simon Rattle Conducts and Explores Music of the 20th Century
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Various Artists
City of Birmingham Symphony Orchestra
ARTHAUS/109 222(BD)




あの伝説のテレビシリーズ「Leaving Home」がBD化されました。1996年にイギリスで製作された7本の番組で、日本でも1998年に放送されました。その直後の感想が、これ。LD化されることはなく、2005年にDVDで7巻という形でリリースされました。価格は1巻4,000円ぐらいだとしても全部で28,000円でしょうか、結構なお値段でしたね。それが今回はBD3枚組のボックスで、希望小売価格は殆ど10,000円ほどのものを、割引やらクーポンやらポイントなどを総動員して6,000円ちょっとで購入できました。もちろん、DVDには入っていた「スペシャル・フィーチャー」というオーディオ・トラックなども、すべて含まれています。
現物を手にしてみると、その「Leaving Home」というタイトルがどこにも見当たりません。サブタイトルだった「Orchestral Music of the 20th Century」というのも、微妙に変わっていますね。でも、中身のフィルムの冒頭には、しっかりこのタイトルが入っていますし、シリーズの2回目ではラトル自身がこのタイトルの意味するところを熱く語っているのですから、この改題は全く不可解だい
ですから、新旧のタイトルに共通しているのは「Music of the 20th Century」という言葉だけです。これはある意味象徴的。おそらく、企画当初は「現代音楽」について語る番組を目指していたのでしょうが、もはや「the 21st Century」になってしまった今では、それは「現代」でも、「同時代」でもない「過去」の音楽になっていることに気づかされます。リアルタイムで見た時にはクリエティヴな番組だと思っていたものは、「たった」20年で古色蒼然たるものに変わってしまっていたのです。
改めて、このシリーズを見直してみると、ラトルたちは、これを通して伝えたかった西洋音楽の「Home」たる和声やリズムが「20世紀」には大きくそこから離れて(「Leaving」)しまったという事実を、かなり肯定的にとらえていたことが分かります。そのために、まずは「19世紀」からの生き残りであるワーグナーやマーラー、R.シュトラウスなどの仕事から論をスタートさせて、偉大なるシェーンベルクの登場を準備する、という20世紀ならではの「現代音楽」の「進化」の歴史を語る定石を踏まえます。それは、そのままブーレーズやシュトックハウゼンにつながるというのも、お決まりの流れです。
ただ、ラトルの場合は、しっかり「傍系」の流れにも目を向けることで、より立体的な視野を確保してはいるようです。それは例えばバルトーク、ショスタコーヴィチ、そしてルトスワフスキ(日本語の字幕では「ルトスフスキー」)などです。その3人に焦点を当てたシリーズの中で、ラトルはルトスワフスキを非常に好意的に紹介しているのが、ちょっと意外でしたね。
さらに、当時では「最新」だったはずのバートウィッスルやターネジといった作曲家も取り上げています。これも、今ではほとんど耳にする機会はなくなってしまった人たちですね。クセナキスとかペンデレツキとか、他に紹介すべき作曲家もいたのに、と思ってしまいますが、これはあくまでラトルの「趣味」なのでしょうから、それは仕方がありません。
誰しもがうすうす感じているように、「21世紀」になって、西洋音楽はまた「Home」に戻ろうとしています。このシリーズを新装リリースするにあたってレーベルがタイトルを変えたのは、そんな時流に乗った単なる一時しのぎの措置だったのでしょう。当然のことながら、内容との乖離は避けられません。
なお、「スペシャル・フィーチャー」には本編とほぼ同じ時間(6時間分!)のものが収録されている、というのはちょっとすごいことなのですが、シュトックハウゼンの「グルッペン」の全曲映像以外は、すべてCDからの音源だったのには心底失望させられました。しかも、それらはかなりの曲でトップメニューからのリンクが間違っていますから、これは不注意では済まされない重大な欠陥です。聴きたくもない「浄夜」がいきなり流れてくるのには、怒りさえおぼえます。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-15 23:16 | Comments(0)