おやぢの部屋2
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BACH/St Matthew Passion
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James Gilchrist(Ev)
Stephan Loges(Je)
John Eliot Gardiner/
English Baroque Soloists
Monteverdi Choir, Trinity Boys Choir
SDG/SDG725


あの大震災からちょうど6年経った先週の土曜日には、マスメディアの世界は異様なことになっていますた。テレビでは普段は絶対に放送されないような地味なドキュメンタリー番組がのべつ放送されていましたし、ラジオではいつもならパーソナリティの男性アーティストは終始おちゃらけているものが、オープニングではくそまじめな口調で「被災地」からの手紙を朗読していたりします。そういう日なので、何か特別なことをやりたい、という気持ちは分かりますが、それが「その日だけ」に終わっているのが、とても情けないな、と思ってしまいます。その男性アーティストの場合は、曲が1曲かかった後には、何事もなかったようにいつもの調子に戻っていましたからね。大震災を「ネタ」にするのは、もうやめてほしいものです。
とか言って、実はその6年前にはガーディナーの「ヨハネ」を聴いて、大きな衝撃を受けていたと書いていたのでした。その時は、よもやそのちょうど6年後に今度は「マタイ」で同じような衝撃を受けるなんて思ってもみませんでした。
ガーディナーが手兵のモンテヴェルディ合唱団と、イングリッシュ・バロック・ソロイスツで「マタイ」を最初に録音したのは1988年のことでした。その頃はDGのサブレーベルARCHIVで進められていた、それまであったカール・リヒターによるモダン楽器、アナログ録音のバッハの宗教曲全集(選集)を、ピリオド楽器とデジタル録音で新たに作り直すというプロジェクトに邁進していたガーディナーでした。
それからレーベルも替わり、2016年にほぼ30年ぶりに録音されたのが、このCDです。この年には、ガーディナーたちは3月から9月までの間にヨーロッパの各都市を巡って「マタイ」のコンサートを16回行うというツアーを敢行していました。その途中ではもちろんバッハゆかりのライプツィヒのトマス教会でもコンサートは行われ、その2日後にはオールドバラ音楽祭で、DGのためにこの曲を録音した場所、「スネイプ・モルティングス」でのコンサートもありました。そして、そのツアーの最後を飾ったピサの斜塔で有名なピサ大聖堂での録音がここには収録されています。
衝撃は、やはり合唱によってもたらされました。今回の合唱は、DGの時の36人から28人に減っています。もちろん、30年前に歌っていた人は誰もいません。そういうことで演奏の質が変わることはあり得ますが、これはあまりにも変わり過ぎ、最初は、かつての端正さがほとんど失われていたことにちょっとした失望感があったのですが、聴きすすむうちにそれはガーディナーの表現が根本から変わっていたことによるものだとの確信に変わります。彼は、合唱には欠かせないパート内のまとまりやハーモニーの美しさを磨き上げる、ということにはもはや興味はなく、もっとそれぞれのメンバーの「心」を大切にして、それを表に出させようとしているのではないでしょうか。
その結果、まずはエヴァンゲリストのレシタティーヴォに挟まれた合唱が、その歌詞の歌い方のあまりのリアルさに、ほとんど「歌」ではなく「語り」に近いものに聴こえてきます。それは、コラールでも同じこと、こんなシンプルなメロディのどこにこれだけの情感を盛ることができるのかという切迫感、そこには驚愕以外のなにものもありません。
ここで聴ける「マタイ」は、まさに濃密な「ドラマ」、それが端的に表れているのが、イエスがこと切れた直後からのシーンです。最後のコラールとなる62番の「Wenn ich einmal soll scheiden」が、これ以上の緊張感はないというピアニシモで歌われ、あたりは静謐さに支配されます。そして突然の天変地異を受けての「Wahlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」という真に迫った合唱のあとは、再び平静が訪れ、アリアを経ての最後の大合唱「Wir setzen uns mit Tränen nieder」からは、すすり泣きさえ聴こえては来ないでしょうか。その曲のエンディングで現れる奇跡には、聴く者は言葉さえ失います。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

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by jurassic_oyaji | 2017-03-18 20:41 | Comments(0)
スキンを少し直しました
 このブログは、ページのデザイン(スキン)がいろいろあって、その中から自由に選ぶことが出来ます。それだけではなく、それぞれのスキンの細かいところ、例えばタイトルの画像とか、文字の大きさ、色、フォント、さらには、文章を書くスペースの大きさなども、細かく指定することが出来ます。スキンというのは要するにスタイルシートなわけですから、それぞれの数値や自分で作った画像を使う時にはそれを保存してある場所などを指定してやればいいだけの話です。とは言っても、HTMLやスタイルシートの書き方をある程度知っていないと、なかなか自分の思ったようには変えられませんから、これをやるためにはその方面の基礎知識は欠かせません。
 私の場合も、それほどの知識はありませんが、とりあえずスタイルシートの書き方ぐらいは分かるので、いろいろ手を加えて今のスキンを使っています。最初に素材を選んだ時にも、その時点で最も文章のスペースの幅が広く取れるものを選びました。画像を載せる時に、できれば幅が500PXぐらいの大きさのものが、たとえば楽譜などでは必要になってきますからね。
 でも、やはりそこには限界があって、ちょっとこれでは小さすぎて、その幅にすると見えにくくなってしまったりします。ですから、1段の楽譜を2段に分けるなどして対応してきました。あ、実は、その幅以上の画像でも縮小されて掲載され、それが実寸の画像にリンクする、という機能はあるのですが、私としてはあくまでも同じ画面の中で見てもらいたい、ということがあって、それは避けたいと思っていましたから。
 それが、最近になって大幅に横幅が広く使えるスキンがリリースされました。それに伴って、今までのスキンもずっと幅の広いものに書き換えることが可能になりました。今回、それを利用させていただいて、ブログの全体の幅を200PXほど広くさせていただきました。そこで、画像も最大幅が500PXから700PXに拡大されることになりました。つまり、今まではこの大きさだったものが、
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ここまで大きくなった、ということです。
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 これは、きのうのブログに使った画像ですが、上の画像ではいまいち分かりずらかったのですが、下ぐらいの大きさになれば、少しは違ってくるのではないでしょうか。


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by jurassic_oyaji | 2017-02-26 21:24 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.6 "Pastorale"
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Bruno Walter/
Columbia Symphony Orchestra
ANALOGUE PRODUCTIONS/CAPC 077 SA(hybrid SACD)



このリマスタリング専門のレーベルは、幅広いジャンルの音源を扱っていますが、クラシックではかつてはLP時代のRCAの音源に特定してリマスタリングを施したLPやSACDをリリースしていたようです。しかし、最新のサイトを見てみたらこんなCBS(アメリカ・コロムビア)の音源がやはりLPとCDで出ていたではありませんか。契約が変わったのかな、と思ったのですが、そもそもこの一連のライセンスは今ではRCAまでその傘下に入れてしまったSONY MUSICから受けていたわけですから、そこにCBSが入っていても全然おかしくはないのでした。すでにジャズではデイヴ・ブルーベックの「Time Out」などもありましたからね。というわけで、名盤の誉れ高いブルーノ・ワルターの1958年録音の「田園」が、とても信頼のおけるSACDとして入手できることになりました。
例によって、ここではオリジナルLPのジャケットがそのまま使われています。「MS 6012」という品番まで同じものが印刷されていますから、まさにこれは「現物」そのもの、現行のCDのジャケット(右)のように、CBSのマークを消して「SONY CLASSICAL」のマークを入れたりはしていません。
品番からわかるように、これはCBSが発売した12番目ステレオのアルバムでした。そのCBSのシンボルである「目玉マーク」も、見慣れたもの(たとえば、日本の「CBSソニー」のマーク)とは微妙に違いますね。それと、「ステレオ」というロゴが大きくフィーチャーされていますが、ここにも後の「360 SOUND」という文字は入っていませんね。これは、やはりSACD本体に忠実に復刻(多少、現在のクレジットも入っていますが)されたレーベル(LPの真ん中の紙の部分)のデザインでも同じことです。ここではステレオの最も初期のデザインである「目玉マーク」が6つあるタイプになっています。「目玉マーク」が後の形になって2つに減り、「360 SOUND」という表記が入るのは、もう少し後のことなのです(たとえば、右の1964年リリースのバーンスタインの「復活」)。
色んな資料を参照してみると、この録音が行われたのは1958年1月13、15、17日の3日間でした。よく言われているように、高齢のワルターを気遣って、セッションを2日続けては行わないという鉄則が守られていたようですね。この一連のワルターのステレオ録音を企画し、録音会場探しからオーケストラのメンバー集めまですべてを仕切ったのが、2014年に84歳で亡くなったジョン・マクルーアだというのはよく知られていますが、録音エンジニアに関しては詳しい資料が残っていないようです。どうやら、CBSのエンジニアではなく、マクルーアが個人的に集めた人たちだったようですね。
演奏に関しては、いまさら何も言う必要もありません。これだけオーケストラを自在に歌わせてスケールの大きな音楽を伝えてくれるものには、なかなかお目にかかれません。
手元にはこの録音のCDはなかったので、同じ頃、1959年に録音されたブラームスの「交響曲第1番」の、マクルーア自身の「リミックス」によるCDを参考のために聴いてみました。それはもう、生々しさから言ったらそのCDとは比較にならないほどで、たった今録音されたばかりのマスターテープを聴いているような気になってしまいます。ただ、そうなると、この録音に使われた「コロムビア交響楽団」の弦楽器の少なさが、もろに分かってしまいます。マクルーアのリミックスでは、もしかしたらそんな「粗」を目立たせないために、あら、わざとぼやけた音にしたのかな?と思えるほどで、弦楽器の少なさはあまり気にならないのですが、今回はそんな「小技」は使わずに、あくまで忠実なリマスタリングを行ったためでしょう。皮肉なものです。
それと、よく言われているこのオーケストラのアンサンブルの悪さも、こんな音で聴くとしっかり分かってしまいます。1楽章で見せてくれた弦と管との絶妙な呼吸が、第3楽章あたりでも実現していればな、と思ってしまいます。

SACD Artwork © Analogue Productions

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by jurassic_oyaji | 2017-02-16 20:17 | Comments(0)
GRIEG/Piano Concerto etc.
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Alexey Zuev(Pf)
Kenneth Montgomery/
Orchestra of the 18th Century
NIFC/NIFCCD 106


10年前に聴いた同じレーベルのダン・タイソンのアルバムでは、ショパンのピアノ協奏曲をピリオド楽器で演奏していました。もちろん、オーケストラだけではなくソロ・ピアノもショパンと同時代のエラールの楽器が使われていました。魚類ではありません(それは「鰓、ある」)。オーケストラはフランス・ブリュッヘンの指揮による18世紀オーケストラでしたね。そして、今回のアルバムでは、ショパンより30年以上後に生まれたノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲が、同じオーケストラ、そして全く同じピアノによって演奏されています。
ただ、オーケストラは一緒でも、その創設者だったブリュッヘンは2014年に亡くなってしまいましたから、ここではイギリスの中堅指揮者ケネス・モンゴメリーが指揮をしています。というか、ブリュッヘンが亡くなったのが8月13日ですが、このライブ録音が行われたコンサートは同じ年の8月29日に開催されていますから、もしかしたら急遽代役を頼まれていたのかもしれませんね。しかし、このオーケストラは、ブリュッヘンがいなくなった後も活発に演奏活動を続けているようですから、頑張ってほしいものです。カリスマ指揮者を失ったオーケストラの悲劇は、古くはトスカニーニのNBC交響楽団などの例もありますからね。
ブックレットにはオーケストラのメンバーが記載されていますが、それによると弦楽器の編成は7.8.5.4.2と、現在普通に演奏される時のほぼ半分の人数です。なぜか、セカンド・ヴァイオリンの方がファースト・ヴァイオリンより多いというのが、面白いですね。
演奏が始まると、いかにもピリオドっぽい音色のティンパニのロールに続いて、あのピアノのファンファーレが鳴り響きますが、そこでちょっと今までになかった体験を味わいました。その4オクターブに渡るユニゾンのフレーズが、ひと塊ではなく、それぞれ別のパートとして聴こえてきたのです。それはあたかも、1台の楽器ではなく、いくつもの楽器によるアンサンブルのようでした。現代の楽器は何よりも低音から高音までのキャラクターが均一になるように作られていますから、そんなことはまず感じないのですが、このエラールでは、高音、中音、低音がそれぞれ全く異なった音色と、もしかしたら異なったテクスチャーを持っているので、このようなことが起こるのでしょう。もちろん、それは「欠点」などではなく、エラールが持っていた愛すべき特徴なのではないでしょうか。
ロシアの俊英ズーエフは、そんな楽器を慈しむように、細やかな表情を繰り出しています。その鄙びた音色とも相まって、そこからはとてもローカル色の濃い音楽が漂っています。オーケストラも、先ほどのような少なめの弦楽器が、ガット弦の柔らかい音色でしっとりと迫ります。そして、管楽器の扱いでも、第3楽章でフルート・ソロがテーマを奏でるところなどは今までとは全然様相が変わってしまっています。そのフルートは、いとものどかな音色で合奏の中に溶け込んでいて、普通に聴かれる堂々とした存在感などは全くありません。確かに、このころすでにベームの新しい楽器は世の中にはありましたが、それが北欧のオーケストラにまで使われるほどには浸透していなかったはずですから、これがグリーグの考えたバランスだったのでしょう。
CDの後半では、ズーエフのソロで「抒情小曲集」から何曲かと、「バラードト短調」が演奏されています。その「バラード」だけ、エラールではなく同じ時代に作られたプレイエルの楽器が使われています。これは、それまで聴いていたものとは全然違う音でした。録音会場も時期も一緒ですから、その違いはそのまま楽器の違いなのでしょう。やはりこの時代は、メーカーによって明らかに求めていた音が異なっていたのですね。それに比べたら、現代のピアノは個性なんか全くなくなってしまっています。

CD Artwork © Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

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by jurassic_oyaji | 2017-02-09 20:28 | Comments(0)
仙台に豊田さん設計の音楽ホールを?
 今朝の朝日新聞に、こんな記事が載ってました(クリックすると、大きな画像が開きます)。
 それは、ハンブルクに新しいコンサートホールがオープンしたことを知らせる記事だったのですが、その内容のメインは、そのホールの音響設計を担当したのが日本人の豊田泰久さんだ、ということでした。豊田さんといえば、日本ではサントリーホールやミューザ川崎の音響設計をなさった方としてよく知られていますが(いや、もしかしたら、あまり知られていなのかも。実際、音楽業界の方でも知らない人を見かけたりします)、永田音響設計という会社の社員で、今では世界中から引く手あまたの方、言ってみれば世界最高峰の音響設計家です。彼が世界中で手掛けたコンサートホールは数知れず、有名なところではLAのウォルト・ディズニー・コンサートホールとか、ヘルシンキのミュージック・センターなどがありますが、いずれのホールも基本的な形はほとんど同じです。もちろん、今回オープンしたホールも、まさに「豊田スタイル」を踏襲するものでした。新聞記事の中にもありますが、豊田さんはこういう形で「ツボ」を完全に抑えることが出来たのでしょうね。
 ホール全体の形と同じく「豊田スタイル」を取っているのが、ステージの山台です。この山台自体が、すでに彼の設計の骨子となっていて、音響的に重要な意味を持っているのだそうです。豊田さんとはとても親しい指揮者の篠崎靖男さんが、京都のホールで豊田さんが設計したのに今では使われていない山台を、設計通りに使ったら、音が全く変わったとおっしゃっていましたからね。
 今回のハンブルクのホールには、もちろんオルガンも設置されています(白丸の中)。ただ、それはデザイン的に非常に巧妙なものになっていました。場所はステージの斜め後ろの客席の中なのですが、オルガンの本体がある場所は、たくさんの「パイプ」で覆われています。もちろんこれは単なる飾りで音は出ませんが、そこはお客さんが自由に触っても構わないようになっているのだそうです。
 そして、実際のパイプは、その裏にこんな感じでその裏側に配置されています。
 このホールの名前は、「エルプフィルハーモニー」、そう言えば、3月に仙台にもやってくる「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団」は、このホールが本拠地になっいて、こけら落としではこのオーエストラが演奏したそうですね。かつては「北ドイツ放送交響楽団」と言っていたオーケストラですが、このホールが出来るということで、名前を変えたのだそうです。なぜ「エルプ(Elb)」なのかわかりますか?それは、このホールが「エルベ川」に面して建っているからです。かつて倉庫だった建物をそのまま復元して、その上に新しい建物を重ねるという、「新丸ビル」とか「KITTE」みたいな発想の建物なんですね。

↑外観

↑断面図
 どうです?仙台でも、どうせ作るならこのぐらいのものを作ってみたいとは思いませんか?でも、豊田さんが音響設計を受注したのは2004年のことだったと言いますから、完成するまでには13年もかかったことになりますね。ですから、今から彼に交渉したとしても、仙台にホールが出来るのは2030年になってしまいます。今、この運動を進めている人たちは、そこまでの覚悟を持っているのでしょうかね。私だって、その頃まで生きているかどうか・・・。
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by jurassic_oyaji | 2017-01-15 14:11 | Comments(2)
Jurassic Awards 2016
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ということで、今年も「ジュラシック・アウォード」となりました。話は変わりますが、「スウィングル・シンガーズ」の生みの親、ウォード・スウィングルは、去年お亡くなりになっていたんですね。それを調べているうちに、ネット上では彼の名前を「ワード・スウィングル」と言っている人が結構いることに気が付きました。「Ward」だから「ワード」という短絡的な発想なのでしょう。それで、「Award」も「アワード」ではなく「アウォード」と言いたいわけでした。それでは、今年のエントリー数の比較から。

  • 第1位:合唱(今年55/昨年51)→
  • 第2位:オーケストラ(33/42)→
  • 第3位:現代音楽(22/21)→
  • 第4位:フルート(14/19)→
  • 第5位:オペラ(13/14)→
  • 第6位:書籍(5/9)→


なんと、去年とまったくおなじランキングになってしまいました。
では、それぞれの部門賞。
■合唱部門
ランドール・トンプソンというアメリカの作曲家には以前から注目していたのですが、彼の「レクイエム」を聴いて、この人は本物だという確信が持てました。それと、「商品」という観点から、録音が非常に素晴らしかったのも高ポイント。
■オーケストラ部門
やはり、こういうランキングでは今や録音の良否はかなり重要なファクターとなります。とくにオーケストラでは日頃聴きなれているので評価も辛くなりがちです。そんなハードルを見事にクリアしたのが、ティチアーティが演奏したハイドンの45回転LPです。「第101番」が1曲しか入っていないという、コストパフォーマンスから言ったら問題外の商品なのですが、このフォーマットが与えてくれる音の世界は言葉では言い表せません。
■現代音楽部門
今の時代にあって、現代音楽というジャンルがそもそも成立するのかというのはさておいて、それを逆手に取った許しがたいCDが出ました。それは、あの新垣隆が作った「交響曲『連祷』」です。こういうのがもてはやされるような世の中になるのは痛くてたまりません。そういう意味で、某「レコード・アカデミー賞」にならって、この最もクズだと思ったCDが「大賞」です。
■フルート部門
はじめて聴いたポール・ラスティグ・ダンケルというフルーティストには、完全に打ちのめされました。高齢になってもこれだけの演奏ができるということに、勇気がもらえました。
■オペラ部門
ベタですが、香港フィルの「ワルキューレ」を。なによりも、BD-Aで「指環」を完成させようというレーベルの姿勢がうれしいですね。集められたのは旬の歌手、日本のオケなどとっくに追い抜いたレベルの香港のオケの力に脱帽。
■書籍部門
「明治のワーグナー・ブーム」には、目からうろこが落ちました。音楽の専門家ではない人によって書かれているというのも、興味深いところ。

来年もまた、こんな感じでよろしくお願いします。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-31 21:44 | Comments(2)
お弁当にはズンダ餅がつきました
 きのうと今日は、恒例の「角田第9」でした。丸2日、車で約1時間半の行程で角田まで往復して、リハーサルと本番をこなしてきました。去年は高速を使ったのですが、一般道とそれほど時間は変わらないようだったので、今年は普通のバイパスを通って、角田までの一本道というコースです。このコースは、去年地図を作りに角田まで行ってきた時には、帰りには通りましたが行きは別の道を行った(というか、入り口を間違えた)ので、こちらから通るのは、昔角田の体育館でやっていた時代以来ですから、なんと15年ぶりのこととなります。自分で地図を作っておきながらなんですが、あの地図を作るためにストリートビューできちんと調べておいたので、迷うことはありませんでした。予想通り、バイパスを降りてからの一本道は信号もなく快適なドライブを楽しめました。
 今年のパートは、私は第9はピッコロ、その前プロの合唱では、出来合いの「ふるさと」という唱歌の組曲の伴奏ですが、1番を吹きました。その中に「村祭り」のイントロでピッコロが祭囃子のようなソロを吹くところがあるのですが、なぜかこれを1番が持ち替えで吹くように書かれているので、それも私が吹くことになっていました。
 これは、音域的にも技術的にもとても吹きやすいメロディなので、ピッコロが必ずしも得意とは言えない私でも簡単に吹けるソロでした。ただ、これが打楽器だけの伴奏の中でのどソロですから、目立つのなんのって。それも、結構本物の祭囃子を髣髴とさせる編曲でしたから、なんだか私のところに様々な感想が寄せられるようになっていました。オケをやっていて、なかなかこういうことは出会わないのですが、今回はちょっと異常、もう「盆踊りでは引っ張りだこになりますね」なんてのから、「実際に祭囃子を体験していないと、絶対に吹けないソロ」なんてのまで、たくさんの人からの言葉が私に伝えられました。いや、私はただ楽譜に忠実に吹いていただけなのですけどね。「以前、篠笛の修行などをなさっていたのですか?」なんて聞いてくるひともいますから、すごいものです。あ、もう一つ、「別のオケでこの曲を演奏するのですが、フルート奏者の参考のためにこの音源を送ってやります」なんてのもありましたね。
 まあ、何にしても、私の演奏が他の人の心に響いたのでしょうから、これはとても満足です。とても楽しい思いをさせていただきました。残念なことに、角田ではもう来年はこの曲は演奏しないのだそうなので、他の人で別の味わいを聴いてもらうことは出来なくなってしまいました。
 メインの第9でもピッコロというのは、本当に久しぶり、でも、これも前にやった時よりは楽に吹けるようになっていたので、確実に進歩はしているのでしょうね。ただ、マーチの部分は何ということはないのですが、最後のところはやはり途中でばててしまうことの方が多かったですね。でも、それが本番では本当に楽に吹けてしまったのですから、不思議です。これで、やっと私も一人前にピッコロが吹けるようになった、ということでしょうか。
 今年は、座席に限りがあるということで、全席指定になっていました。でも、ゲネプロが終わって控室のそばをブラブラしていたら、当日券を目当てに聴きに来た以前団員だったに出会ってしまいました。そこで、果たして当日券はあるのか確かめるために一緒に私も受付に行って座席表を見せてもらいました。そうしたら、ほとんどの席は埋まっているようですが、ところどころ、まだ売れていないところがありました。10ヵ所ぐらいはあったでしょうか。完売ではなかったのですね。ですから、その方はちゃんと聴くことが出来たようです。
 それでも、ステージに上がってみると、空席は全くないように見えました。前の方にパイプ椅子は並べてありますが、それは予備だったようですね。そこにも1列分ぐらいは座っていましたからね。そんな非常に客席が近いところで、満席ですから、気合も入ります。第9が終わった時には、スタンディング・オベーションが起こっていましたね。それはなんと市長さんたち、うれしくなりますね。
 仙台市市長さんにこのぐらいの熱心さがあれば、角田より前に音楽ホールが出来ていたかもしれませんね。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-04 21:03 | Comments(0)
Sir Simon Rattle Conducts and Explores Music of the 20th Century
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Various Artists
City of Birmingham Symphony Orchestra
ARTHAUS/109 222(BD)




あの伝説のテレビシリーズ「Leaving Home」がBD化されました。1996年にイギリスで製作された7本の番組で、日本でも1998年に放送されました。その直後の感想が、これ。LD化されることはなく、2005年にDVDで7巻という形でリリースされました。価格は1巻4,000円ぐらいだとしても全部で28,000円でしょうか、結構なお値段でしたね。それが今回はBD3枚組のボックスで、希望小売価格は殆ど10,000円ほどのものを、割引やらクーポンやらポイントなどを総動員して6,000円ちょっとで購入できました。もちろん、DVDには入っていた「スペシャル・フィーチャー」というオーディオ・トラックなども、すべて含まれています。
現物を手にしてみると、その「Leaving Home」というタイトルがどこにも見当たりません。サブタイトルだった「Orchestral Music of the 20th Century」というのも、微妙に変わっていますね。でも、中身のフィルムの冒頭には、しっかりこのタイトルが入っていますし、シリーズの2回目ではラトル自身がこのタイトルの意味するところを熱く語っているのですから、この改題は全く不可解だい
ですから、新旧のタイトルに共通しているのは「Music of the 20th Century」という言葉だけです。これはある意味象徴的。おそらく、企画当初は「現代音楽」について語る番組を目指していたのでしょうが、もはや「the 21st Century」になってしまった今では、それは「現代」でも、「同時代」でもない「過去」の音楽になっていることに気づかされます。リアルタイムで見た時にはクリエティヴな番組だと思っていたものは、「たった」20年で古色蒼然たるものに変わってしまっていたのです。
改めて、このシリーズを見直してみると、ラトルたちは、これを通して伝えたかった西洋音楽の「Home」たる和声やリズムが「20世紀」には大きくそこから離れて(「Leaving」)しまったという事実を、かなり肯定的にとらえていたことが分かります。そのために、まずは「19世紀」からの生き残りであるワーグナーやマーラー、R.シュトラウスなどの仕事から論をスタートさせて、偉大なるシェーンベルクの登場を準備する、という20世紀ならではの「現代音楽」の「進化」の歴史を語る定石を踏まえます。それは、そのままブーレーズやシュトックハウゼンにつながるというのも、お決まりの流れです。
ただ、ラトルの場合は、しっかり「傍系」の流れにも目を向けることで、より立体的な視野を確保してはいるようです。それは例えばバルトーク、ショスタコーヴィチ、そしてルトスワフスキ(日本語の字幕では「ルトスフスキー」)などです。その3人に焦点を当てたシリーズの中で、ラトルはルトスワフスキを非常に好意的に紹介しているのが、ちょっと意外でしたね。
さらに、当時では「最新」だったはずのバートウィッスルやターネジといった作曲家も取り上げています。これも、今ではほとんど耳にする機会はなくなってしまった人たちですね。クセナキスとかペンデレツキとか、他に紹介すべき作曲家もいたのに、と思ってしまいますが、これはあくまでラトルの「趣味」なのでしょうから、それは仕方がありません。
誰しもがうすうす感じているように、「21世紀」になって、西洋音楽はまた「Home」に戻ろうとしています。このシリーズを新装リリースするにあたってレーベルがタイトルを変えたのは、そんな時流に乗った単なる一時しのぎの措置だったのでしょう。当然のことながら、内容との乖離は避けられません。
なお、「スペシャル・フィーチャー」には本編とほぼ同じ時間(6時間分!)のものが収録されている、というのはちょっとすごいことなのですが、シュトックハウゼンの「グルッペン」の全曲映像以外は、すべてCDからの音源だったのには心底失望させられました。しかも、それらはかなりの曲でトップメニューからのリンクが間違っていますから、これは不注意では済まされない重大な欠陥です。聴きたくもない「浄夜」がいきなり流れてくるのには、怒りさえおぼえます。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-15 23:16 | Comments(0)
HAYDN2032/No.3
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Francesca Aspromonte(Sop)
Giovanni Antonini/
Il Giardino Armonico
ALPHA/ALPHA 673(LP)




ほんの4年先の2020年の東京オリンピックでさえ、まだきちんとした計画が出来ていないというのに、そのさらに12年先、2032年を見据えてのプロジェクトなどというものを考えている人たちがいるんですね。それは、「ヨーゼフ・ハイドン財団」と、ALPHAレーベル。その年は、ハイドンが生まれてから300年という記念すべき年なので、それまでに彼の全交響曲を録音しよう、というもののようですね。やはり今の時代、このぐらい時間をかけないと100曲以上の交響曲を録音することはできないのでしょうか。というか、16年後には果たして「レコード」(CDなども含めたフィジカルな媒体)というものが存在しているかどうかも分からないというのに。
アンタール・ドラティが最初にハイドンの交響曲全集を作った頃はまだレコード業界は元気でしたからDECCAは1969年からたった4年で録音を完了させてしまいました。しかし、次に同じことを企画したアダム・フィッシャーは、途中でレーベル自体がおかしくなってしまうという事態に遭遇して、結局1987年に始まった全曲録音(NIMBUS/BRILLIANT)が完了するのはその14年後でしたからね。その間にフィッシャーの演奏スタイルは変わってしまいます。
その後、1995年から2006年にかけては、デニス・ラッセル・デイヴィスがライブ録音による全集(SONY)を完成させています。
それらは、いずれも30枚以上のCDになっています。実は、今回のアントニーニによるハイドン・ツィクルスのリリースは、2014年に始まっていました。それから2年経ってやっと3枚目のアルバムが出たというのですから、このペースでは果たして2032年までに終わるのか、という危惧さえも抱いてしまいます。
これまでの2枚は確かCDだけのようでしたが、この3枚目では何を思ったのか、LPも同時にリリースされています。CD1枚分の曲を収めるためにそれは2枚組のLP、豪華なリネン装のダブル・ジャケットは、厚ぼったい写真集まで入っていてまるで特別な理念が込められた工芸品、1000組限定発売で、シリアル・ナンバーまで付いています。しかも、そこにはCDも同梱されているだけではなく、ダウンロード・コードが記入された紙が入っていて、音源データを入手することもできます。もちろんタダで。

と、そこまでは何とも気前のいい話なのですが、その音源はなんとMP3なんですよ。LPまで出しているのですから、ここは当然ハイレゾでしょう。そんな勘違いは、LP本体にも及びます。このジャケット、見かけは豪華なのですが、LPを出し入れしようとするととても窮屈な思いをしなければいけません。LPなんか作ったことのない人が、とりあえずサイズだけ合えばいいだろうと適当に作ったという感じ、さらに、ここには帯が巻かれているのですが、それは「横」に巻かれているのですよ。ということは、そのままではLPは出せない、ということになりますね。普通、帯は「縦」に巻くものだ、ということを知らなかったのでしょう。
そして極めつけは肝心のLPの盤質の悪さ。サーフェス・ノイズはLPの宿命ですが、それが異様に大きすぎます。カッティングのレベルが低いことも手伝って、もう最初から最後までノイズだらけのものを聴かなければなりません。
結局、まともに聴けるのはCDだけ、ということになってしまいますが、それも曲順の表記が間違っています。何のためにこんな「豪華な」ものを買ってしまったのか、一生悔み続けることでしょう。

収録曲も、このジャケットでは全く分かりません。「SOLO E PENSOSO」というのは、カップリングのコンサート・アリアのタイトル、交響曲は「4番」、「42番」、「64番」、それにオペラ「無人島」の序曲が入っています。演奏はさすがアントニーニ、とても刺激的でメリハリのきいたもので、ハイドンもついにここまで、と思わせられますが、緩徐楽章での弱音器を付けたヴァイオリンの繊細なニュアンスは、CDでは伝わっては来ません。

LP Artwork © Joseph Haydn Stiftung & Alpha Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-11-03 21:55 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonien 1 & 4 WIDMANN/Ad absurdum
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Sergei Nakariakov(Tr)
Jörg Widmann/
Irish Chamber Orchestra
ORFEO/C 914 161 A




昔からなじみ深いレーベルの一つ、ORFEOですが、久しぶりに手にしてみたら、レーベルが間違っているのではないかと思ってしまうほど、ジャケットのデザインが変わっていました。かつて、アール・デコ風に統一されていた装飾が、いつの間にかなくなっていたのですね。
演奏している人たちも、トランペットのナカリャコフ以外は全く知らない名前でした。オーケストラの名前を見て、最初はイランのオーケストラだと思ってしまったぐらいですから。もちろん、これは「アイルランド」の室内オーケストラです。ただ、同じアイルランドの団体で、これによく似た「New Irish Chamber Orchestra」という名前は聞いたことがあります。ゴールウェイがベルリン・フィルを辞めてソリストになっても、まだRCAとのアーティスト契約が結ばれていなかった1974年に、一緒にモーツァルトのフルート協奏曲を録音した団体です。
しかし、実はこれは今回の「Irish Chamber Orchestra」とは全く同じオーケストラでした。1963年に創設されたこのオーケストラは、1970年から1995年までは、さっきの「New」が頭についた名前だったのだそうです。現在では正団員を22人、常トラを16人抱える編成で、コンサートマスターが指揮を行ったり、さらに2人の指揮者が「パートナー」となって演奏会や録音を行っています。ここで指揮をしている「Principal Guest Conductor / Artistic Partner」という肩書を持つイェルク・ヴィドマンはクラリネット奏者、さらには作曲家としても活躍している方です。
このCDは、ヴィドマンとこのオーケストラによるメンデルスゾーンの交響曲全集として計画されている3枚のうちの1枚目ですが、そのどれにもヴィドマンの自作がカップリングされている、というのが、ユニークなところです。ここでは、ナカリャコフをソリストに迎えて、2002年に彼のために作られた「Ad absurdum(耳障りなように)」というタイトルの小協奏曲が演奏されています。
メンデルスゾーンのふたつの交響曲に挟まれるような形でマスタリングされている(録音時期は全部の曲が違っています)この作品は、まさにナカリャコフの超絶技巧を誇示するために作られたようなものでした。ヴィドマンの作曲の師はヘンツェやリームだということで、どんだけ退屈な音楽なのかと覚悟して聴き始めたのですが、そんな先入観は完全に覆される、最後までとても緊張して聴いていられる刺激的な作品でした。
最初にいきなり出てくるのが、まるでかつてのペンデレツキかと思われるような弦楽器の軋み、それに乗って、ナカリャコフの無窮動が始まります。それは彼の得意技の「循環呼吸」によって、1分45秒も全くノンブレスで演奏されていたのです。まさに無休動。そのバックでオーケストラはとても難しいシンコペーションを打ち込んでいますし、フルートに至ってはそのナカリャコフ並みの早いパッセージを弾かされるのですから、大変です。このあたりは、まるでジャズ・バンドでプレーヤーがアド・リブのソロを取っているような感じ、ティンパニの壮大なソロなどは、まさにドラム・ソロに匹敵するものです。
終わり近くになって、さらなるサプライズが待っていました。なんだか、デジタル・キーボードのような音が、それまでのテンポをさらに上回る「速弾き」を始めたのです。それはとてつもないスピード、まるでナカリャコフのソロさえもあざ笑うように鮮やかなフレーズを正確に演奏しています。ライナーを読んでみたら、それは「バレル・オルガン」であることが分かりました。穴の開いた紙をハンドルで動かして音を出す、いわゆる「ストリート・オルガン」ですね。これだったら、いくらでも早く弾けます。

メインのメンデルスゾーンも、なかなか意表をつく表現があちこちに出没していて、楽しめました。ただ、特に「1番」で弦楽器の音がとても曇った精彩のない響きなのは、エンジニアがサイモン・イードンなので期待したのに、完全に裏切られてしまいました。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-08-18 23:00 | Comments(0)