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Jurassic Awards 2016
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ということで、今年も「ジュラシック・アウォード」となりました。話は変わりますが、「スウィングル・シンガーズ」の生みの親、ウォード・スウィングルは、去年お亡くなりになっていたんですね。それを調べているうちに、ネット上では彼の名前を「ワード・スウィングル」と言っている人が結構いることに気が付きました。「Ward」だから「ワード」という短絡的な発想なのでしょう。それで、「Award」も「アワード」ではなく「アウォード」と言いたいわけでした。それでは、今年のエントリー数の比較から。

  • 第1位:合唱(今年55/昨年51)→
  • 第2位:オーケストラ(33/42)→
  • 第3位:現代音楽(22/21)→
  • 第4位:フルート(14/19)→
  • 第5位:オペラ(13/14)→
  • 第6位:書籍(5/9)→


なんと、去年とまったくおなじランキングになってしまいました。
では、それぞれの部門賞。
■合唱部門
ランドール・トンプソンというアメリカの作曲家には以前から注目していたのですが、彼の「レクイエム」を聴いて、この人は本物だという確信が持てました。それと、「商品」という観点から、録音が非常に素晴らしかったのも高ポイント。
■オーケストラ部門
やはり、こういうランキングでは今や録音の良否はかなり重要なファクターとなります。とくにオーケストラでは日頃聴きなれているので評価も辛くなりがちです。そんなハードルを見事にクリアしたのが、ティチアーティが演奏したハイドンの45回転LPです。「第101番」が1曲しか入っていないという、コストパフォーマンスから言ったら問題外の商品なのですが、このフォーマットが与えてくれる音の世界は言葉では言い表せません。
■現代音楽部門
今の時代にあって、現代音楽というジャンルがそもそも成立するのかというのはさておいて、それを逆手に取った許しがたいCDが出ました。それは、あの新垣隆が作った「交響曲『連祷』」です。こういうのがもてはやされるような世の中になるのは痛くてたまりません。そういう意味で、某「レコード・アカデミー賞」にならって、この最もクズだと思ったCDが「大賞」です。
■フルート部門
はじめて聴いたポール・ラスティグ・ダンケルというフルーティストには、完全に打ちのめされました。高齢になってもこれだけの演奏ができるということに、勇気がもらえました。
■オペラ部門
ベタですが、香港フィルの「ワルキューレ」を。なによりも、BD-Aで「指環」を完成させようというレーベルの姿勢がうれしいですね。集められたのは旬の歌手、日本のオケなどとっくに追い抜いたレベルの香港のオケの力に脱帽。
■書籍部門
「明治のワーグナー・ブーム」には、目からうろこが落ちました。音楽の専門家ではない人によって書かれているというのも、興味深いところ。

来年もまた、こんな感じでよろしくお願いします。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-31 21:44 | Comments(2)
お弁当にはズンダ餅がつきました
 きのうと今日は、恒例の「角田第9」でした。丸2日、車で約1時間半の行程で角田まで往復して、リハーサルと本番をこなしてきました。去年は高速を使ったのですが、一般道とそれほど時間は変わらないようだったので、今年は普通のバイパスを通って、角田までの一本道というコースです。このコースは、去年地図を作りに角田まで行ってきた時には、帰りには通りましたが行きは別の道を行った(というか、入り口を間違えた)ので、こちらから通るのは、昔角田の体育館でやっていた時代以来ですから、なんと15年ぶりのこととなります。自分で地図を作っておきながらなんですが、あの地図を作るためにストリートビューできちんと調べておいたので、迷うことはありませんでした。予想通り、バイパスを降りてからの一本道は信号もなく快適なドライブを楽しめました。
 今年のパートは、私は第9はピッコロ、その前プロの合唱では、出来合いの「ふるさと」という唱歌の組曲の伴奏ですが、1番を吹きました。その中に「村祭り」のイントロでピッコロが祭囃子のようなソロを吹くところがあるのですが、なぜかこれを1番が持ち替えで吹くように書かれているので、それも私が吹くことになっていました。
 これは、音域的にも技術的にもとても吹きやすいメロディなので、ピッコロが必ずしも得意とは言えない私でも簡単に吹けるソロでした。ただ、これが打楽器だけの伴奏の中でのどソロですから、目立つのなんのって。それも、結構本物の祭囃子を髣髴とさせる編曲でしたから、なんだか私のところに様々な感想が寄せられるようになっていました。オケをやっていて、なかなかこういうことは出会わないのですが、今回はちょっと異常、もう「盆踊りでは引っ張りだこになりますね」なんてのから、「実際に祭囃子を体験していないと、絶対に吹けないソロ」なんてのまで、たくさんの人からの言葉が私に伝えられました。いや、私はただ楽譜に忠実に吹いていただけなのですけどね。「以前、篠笛の修行などをなさっていたのですか?」なんて聞いてくるひともいますから、すごいものです。あ、もう一つ、「別のオケでこの曲を演奏するのですが、フルート奏者の参考のためにこの音源を送ってやります」なんてのもありましたね。
 まあ、何にしても、私の演奏が他の人の心に響いたのでしょうから、これはとても満足です。とても楽しい思いをさせていただきました。残念なことに、角田ではもう来年はこの曲は演奏しないのだそうなので、他の人で別の味わいを聴いてもらうことは出来なくなってしまいました。
 メインの第9でもピッコロというのは、本当に久しぶり、でも、これも前にやった時よりは楽に吹けるようになっていたので、確実に進歩はしているのでしょうね。ただ、マーチの部分は何ということはないのですが、最後のところはやはり途中でばててしまうことの方が多かったですね。でも、それが本番では本当に楽に吹けてしまったのですから、不思議です。これで、やっと私も一人前にピッコロが吹けるようになった、ということでしょうか。
 今年は、座席に限りがあるということで、全席指定になっていました。でも、ゲネプロが終わって控室のそばをブラブラしていたら、当日券を目当てに聴きに来た以前団員だったに出会ってしまいました。そこで、果たして当日券はあるのか確かめるために一緒に私も受付に行って座席表を見せてもらいました。そうしたら、ほとんどの席は埋まっているようですが、ところどころ、まだ売れていないところがありました。10ヵ所ぐらいはあったでしょうか。完売ではなかったのですね。ですから、その方はちゃんと聴くことが出来たようです。
 それでも、ステージに上がってみると、空席は全くないように見えました。前の方にパイプ椅子は並べてありますが、それは予備だったようですね。そこにも1列分ぐらいは座っていましたからね。そんな非常に客席が近いところで、満席ですから、気合も入ります。第9が終わった時には、スタンディング・オベーションが起こっていましたね。それはなんと市長さんたち、うれしくなりますね。
 仙台市市長さんにこのぐらいの熱心さがあれば、角田より前に音楽ホールが出来ていたかもしれませんね。
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by jurassic_oyaji | 2016-12-04 21:03 | Comments(0)
Sir Simon Rattle Conducts and Explores Music of the 20th Century
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Various Artists
City of Birmingham Symphony Orchestra
ARTHAUS/109 222(BD)




あの伝説のテレビシリーズ「Leaving Home」がBD化されました。1996年にイギリスで製作された7本の番組で、日本でも1998年に放送されました。その直後の感想が、これ。LD化されることはなく、2005年にDVDで7巻という形でリリースされました。価格は1巻4,000円ぐらいだとしても全部で28,000円でしょうか、結構なお値段でしたね。それが今回はBD3枚組のボックスで、希望小売価格は殆ど10,000円ほどのものを、割引やらクーポンやらポイントなどを総動員して6,000円ちょっとで購入できました。もちろん、DVDには入っていた「スペシャル・フィーチャー」というオーディオ・トラックなども、すべて含まれています。
現物を手にしてみると、その「Leaving Home」というタイトルがどこにも見当たりません。サブタイトルだった「Orchestral Music of the 20th Century」というのも、微妙に変わっていますね。でも、中身のフィルムの冒頭には、しっかりこのタイトルが入っていますし、シリーズの2回目ではラトル自身がこのタイトルの意味するところを熱く語っているのですから、この改題は全く不可解だい
ですから、新旧のタイトルに共通しているのは「Music of the 20th Century」という言葉だけです。これはある意味象徴的。おそらく、企画当初は「現代音楽」について語る番組を目指していたのでしょうが、もはや「the 21st Century」になってしまった今では、それは「現代」でも、「同時代」でもない「過去」の音楽になっていることに気づかされます。リアルタイムで見た時にはクリエティヴな番組だと思っていたものは、「たった」20年で古色蒼然たるものに変わってしまっていたのです。
改めて、このシリーズを見直してみると、ラトルたちは、これを通して伝えたかった西洋音楽の「Home」たる和声やリズムが「20世紀」には大きくそこから離れて(「Leaving」)しまったという事実を、かなり肯定的にとらえていたことが分かります。そのために、まずは「19世紀」からの生き残りであるワーグナーやマーラー、R.シュトラウスなどの仕事から論をスタートさせて、偉大なるシェーンベルクの登場を準備する、という20世紀ならではの「現代音楽」の「進化」の歴史を語る定石を踏まえます。それは、そのままブーレーズやシュトックハウゼンにつながるというのも、お決まりの流れです。
ただ、ラトルの場合は、しっかり「傍系」の流れにも目を向けることで、より立体的な視野を確保してはいるようです。それは例えばバルトーク、ショスタコーヴィチ、そしてルトスワフスキ(日本語の字幕では「ルトスフスキー」)などです。その3人に焦点を当てたシリーズの中で、ラトルはルトスワフスキを非常に好意的に紹介しているのが、ちょっと意外でしたね。
さらに、当時では「最新」だったはずのバートウィッスルやターネジといった作曲家も取り上げています。これも、今ではほとんど耳にする機会はなくなってしまった人たちですね。クセナキスとかペンデレツキとか、他に紹介すべき作曲家もいたのに、と思ってしまいますが、これはあくまでラトルの「趣味」なのでしょうから、それは仕方がありません。
誰しもがうすうす感じているように、「21世紀」になって、西洋音楽はまた「Home」に戻ろうとしています。このシリーズを新装リリースするにあたってレーベルがタイトルを変えたのは、そんな時流に乗った単なる一時しのぎの措置だったのでしょう。当然のことながら、内容との乖離は避けられません。
なお、「スペシャル・フィーチャー」には本編とほぼ同じ時間(6時間分!)のものが収録されている、というのはちょっとすごいことなのですが、シュトックハウゼンの「グルッペン」の全曲映像以外は、すべてCDからの音源だったのには心底失望させられました。しかも、それらはかなりの曲でトップメニューからのリンクが間違っていますから、これは不注意では済まされない重大な欠陥です。聴きたくもない「浄夜」がいきなり流れてくるのには、怒りさえおぼえます。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-15 23:16 | Comments(0)
HAYDN2032/No.3
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Francesca Aspromonte(Sop)
Giovanni Antonini/
Il Giardino Armonico
ALPHA/ALPHA 673(LP)




ほんの4年先の2020年の東京オリンピックでさえ、まだきちんとした計画が出来ていないというのに、そのさらに12年先、2032年を見据えてのプロジェクトなどというものを考えている人たちがいるんですね。それは、「ヨーゼフ・ハイドン財団」と、ALPHAレーベル。その年は、ハイドンが生まれてから300年という記念すべき年なので、それまでに彼の全交響曲を録音しよう、というもののようですね。やはり今の時代、このぐらい時間をかけないと100曲以上の交響曲を録音することはできないのでしょうか。というか、16年後には果たして「レコード」(CDなども含めたフィジカルな媒体)というものが存在しているかどうかも分からないというのに。
アンタール・ドラティが最初にハイドンの交響曲全集を作った頃はまだレコード業界は元気でしたからDECCAは1969年からたった4年で録音を完了させてしまいました。しかし、次に同じことを企画したアダム・フィッシャーは、途中でレーベル自体がおかしくなってしまうという事態に遭遇して、結局1987年に始まった全曲録音(NIMBUS/BRILLIANT)が完了するのはその14年後でしたからね。その間にフィッシャーの演奏スタイルは変わってしまいます。
その後、1995年から2006年にかけては、デニス・ラッセル・デイヴィスがライブ録音による全集(SONY)を完成させています。
それらは、いずれも30枚以上のCDになっています。実は、今回のアントニーニによるハイドン・ツィクルスのリリースは、2014年に始まっていました。それから2年経ってやっと3枚目のアルバムが出たというのですから、このペースでは果たして2032年までに終わるのか、という危惧さえも抱いてしまいます。
これまでの2枚は確かCDだけのようでしたが、この3枚目では何を思ったのか、LPも同時にリリースされています。CD1枚分の曲を収めるためにそれは2枚組のLP、豪華なリネン装のダブル・ジャケットは、厚ぼったい写真集まで入っていてまるで特別な理念が込められた工芸品、1000組限定発売で、シリアル・ナンバーまで付いています。しかも、そこにはCDも同梱されているだけではなく、ダウンロード・コードが記入された紙が入っていて、音源データを入手することもできます。もちろんタダで。

と、そこまでは何とも気前のいい話なのですが、その音源はなんとMP3なんですよ。LPまで出しているのですから、ここは当然ハイレゾでしょう。そんな勘違いは、LP本体にも及びます。このジャケット、見かけは豪華なのですが、LPを出し入れしようとするととても窮屈な思いをしなければいけません。LPなんか作ったことのない人が、とりあえずサイズだけ合えばいいだろうと適当に作ったという感じ、さらに、ここには帯が巻かれているのですが、それは「横」に巻かれているのですよ。ということは、そのままではLPは出せない、ということになりますね。普通、帯は「縦」に巻くものだ、ということを知らなかったのでしょう。
そして極めつけは肝心のLPの盤質の悪さ。サーフェス・ノイズはLPの宿命ですが、それが異様に大きすぎます。カッティングのレベルが低いことも手伝って、もう最初から最後までノイズだらけのものを聴かなければなりません。
結局、まともに聴けるのはCDだけ、ということになってしまいますが、それも曲順の表記が間違っています。何のためにこんな「豪華な」ものを買ってしまったのか、一生悔み続けることでしょう。

収録曲も、このジャケットでは全く分かりません。「SOLO E PENSOSO」というのは、カップリングのコンサート・アリアのタイトル、交響曲は「4番」、「42番」、「64番」、それにオペラ「無人島」の序曲が入っています。演奏はさすがアントニーニ、とても刺激的でメリハリのきいたもので、ハイドンもついにここまで、と思わせられますが、緩徐楽章での弱音器を付けたヴァイオリンの繊細なニュアンスは、CDでは伝わっては来ません。

LP Artwork © Joseph Haydn Stiftung & Alpha Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-11-03 21:55 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonien 1 & 4 WIDMANN/Ad absurdum
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Sergei Nakariakov(Tr)
Jörg Widmann/
Irish Chamber Orchestra
ORFEO/C 914 161 A




昔からなじみ深いレーベルの一つ、ORFEOですが、久しぶりに手にしてみたら、レーベルが間違っているのではないかと思ってしまうほど、ジャケットのデザインが変わっていました。かつて、アール・デコ風に統一されていた装飾が、いつの間にかなくなっていたのですね。
演奏している人たちも、トランペットのナカリャコフ以外は全く知らない名前でした。オーケストラの名前を見て、最初はイランのオーケストラだと思ってしまったぐらいですから。もちろん、これは「アイルランド」の室内オーケストラです。ただ、同じアイルランドの団体で、これによく似た「New Irish Chamber Orchestra」という名前は聞いたことがあります。ゴールウェイがベルリン・フィルを辞めてソリストになっても、まだRCAとのアーティスト契約が結ばれていなかった1974年に、一緒にモーツァルトのフルート協奏曲を録音した団体です。
しかし、実はこれは今回の「Irish Chamber Orchestra」とは全く同じオーケストラでした。1963年に創設されたこのオーケストラは、1970年から1995年までは、さっきの「New」が頭についた名前だったのだそうです。現在では正団員を22人、常トラを16人抱える編成で、コンサートマスターが指揮を行ったり、さらに2人の指揮者が「パートナー」となって演奏会や録音を行っています。ここで指揮をしている「Principal Guest Conductor / Artistic Partner」という肩書を持つイェルク・ヴィドマンはクラリネット奏者、さらには作曲家としても活躍している方です。
このCDは、ヴィドマンとこのオーケストラによるメンデルスゾーンの交響曲全集として計画されている3枚のうちの1枚目ですが、そのどれにもヴィドマンの自作がカップリングされている、というのが、ユニークなところです。ここでは、ナカリャコフをソリストに迎えて、2002年に彼のために作られた「Ad absurdum(耳障りなように)」というタイトルの小協奏曲が演奏されています。
メンデルスゾーンのふたつの交響曲に挟まれるような形でマスタリングされている(録音時期は全部の曲が違っています)この作品は、まさにナカリャコフの超絶技巧を誇示するために作られたようなものでした。ヴィドマンの作曲の師はヘンツェやリームだということで、どんだけ退屈な音楽なのかと覚悟して聴き始めたのですが、そんな先入観は完全に覆される、最後までとても緊張して聴いていられる刺激的な作品でした。
最初にいきなり出てくるのが、まるでかつてのペンデレツキかと思われるような弦楽器の軋み、それに乗って、ナカリャコフの無窮動が始まります。それは彼の得意技の「循環呼吸」によって、1分45秒も全くノンブレスで演奏されていたのです。まさに無休動。そのバックでオーケストラはとても難しいシンコペーションを打ち込んでいますし、フルートに至ってはそのナカリャコフ並みの早いパッセージを弾かされるのですから、大変です。このあたりは、まるでジャズ・バンドでプレーヤーがアド・リブのソロを取っているような感じ、ティンパニの壮大なソロなどは、まさにドラム・ソロに匹敵するものです。
終わり近くになって、さらなるサプライズが待っていました。なんだか、デジタル・キーボードのような音が、それまでのテンポをさらに上回る「速弾き」を始めたのです。それはとてつもないスピード、まるでナカリャコフのソロさえもあざ笑うように鮮やかなフレーズを正確に演奏しています。ライナーを読んでみたら、それは「バレル・オルガン」であることが分かりました。穴の開いた紙をハンドルで動かして音を出す、いわゆる「ストリート・オルガン」ですね。これだったら、いくらでも早く弾けます。

メインのメンデルスゾーンも、なかなか意表をつく表現があちこちに出没していて、楽しめました。ただ、特に「1番」で弦楽器の音がとても曇った精彩のない響きなのは、エンジニアがサイモン・イードンなので期待したのに、完全に裏切られてしまいました。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-08-18 23:00 | Comments(0)
ja, vi elsker
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Tone Bianca Sparre Dahl/
Schola Cantorum
Ingar Bergby/
Forsvarets stabsmusikkorps
2L/2L-104-SABD(hybrid SACD, BD-A)




少し前に出たアルバムですが、とても興味のある内容なので、取り上げてみました。これがリリースされたのは2年前の2014年、その時は、このレーベルのあるノルウェーでは憲法制定200年をお祝いする行事で賑わっていたのだそうです。1814年5月18日に制定された憲法によって、ノルウェーは民主国家としての歩みを始めたのでした。魚料理がおいしいですよ(それは「民宿国家」)。
それにしても「200年」というのはとてつもない長さです。アメリカ合衆国憲法の「230年」には負けますが、ヨーロッパでは最古の成文憲法なのだそうです。もちろん、この間には何度も(400回とも言われています)改正が行われて、現在の形になったのだそうですが、最初に出来たときの理念が、その改正によって失われることは決してありませんでした。ノルウェーの国民は皆この憲法を愛していて、毎年その制定の日には国中がこぞってお祝いに参加しているのだそうです。
これは、翻ってたった70年しか経っていない「日本国憲法」の扱われ方と比べてみると、なんだかとてもうらやましいような気になってきます。「憲法記念日」という名前の祝日にはその憲法に反対する人たちが集まって気勢を挙げたりしていますし、その音頭を取っているのが、政権与党なんですからね。
以前、この国の機関に属する団体の音楽隊の入学要綱を見たことがありますが、そこには受験資格として「日本国憲法を遵守する者」という項目がありました。これだけ見ると、日本国憲法を遵守しないどころか、それを根幹から改正(いや、改悪)しようとしている人には、この音楽隊に入る資格がないということになります。つまり、日本人としての資格がないものとみなされるのでしょう。この国の政権は、そんな人たちの手にゆだねられているのですよ。そんな中では、憲法記念日を盛大にお祝いしようなどという機運が盛り上がるわけがありません。
ノルウェーの人たちは違います。このレーベルのスタッフも、おそらく子供のころからそのような自国の憲法に対しての愛着を持っていたのでしょう。それが200周年という晴れがましい記念日を迎えるということになれば、心の底からそれをお祝いしようという気持ちになるのは当然です。いつもは、なんともマニアックでとっつきにくいアルバムを作っているモーテン・リンドベリは、ここではそんなポリシーをかなぐり捨てて、誰でもいとも気安く共感できるような素敵なアルバムを届けてくれました。
まず、ここでは野外で演奏されることを念頭に置いて吹奏楽団がメインを務めています。まるでハリウッド映画のイントロのような派手なファンファーレに続いて合唱が歌い出したのは、「God Save the Queen」と全く同じメロディの曲でした。イギリスの国歌として広く知られていますが、そのメロディ自体は17世紀頃に作られた(作曲者不詳)のだそうですね。ノルウェーでも、これは「国王の歌」として親しまれています。
その後は、ほとんど聴いたことはありませんが、とてもキャッチーな行進曲系の曲が続きます。演奏している吹奏楽団は一応「軍楽隊」ということですが、かなりのハイレベル(もちろん、厳格な入団試験があるのでしょうね。そこには「憲法を遵守」する人だけが入れるのでしょう)、その辺の「ブラスバンド」のような荒っぽさは皆無です。と、突然聴いたことのある曲が始まったと思ったら、それはグリーグの「十字軍の騎士シーグル」からの「忠誠行進曲」でした。4本のチェロで演奏されるはずのテーマがサックスで吹かれているのがお茶目ですね。なんだか、全く別の曲みたいに聴こえます。
最後はもちろんノルウェー国歌「われらこの国を愛すJa, vi elsker dette landet」で締めくくられます。わが国では、「国歌」さえも偉い人に強制されて無理やり歌わされるものになってしまいましたが、こちらはそんなことはありません。ノルウェー人のように、自然に「国を愛せる」ようになりたいものです。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2016-08-04 23:07 | Comments(0)
合唱が間違って立ったところも、映ってませんでした
 最近、Facebookページのカバーのレイアウトが変わったようですね。今までは、基本的に普通のFacbookのように、カバーの左下にプロフィールがかぶさる、というものだったのですが、今ではそれが完全に分離して、こんなことになっています。よそのページですけど。
 こういう風に変わったことが分かったのはつい最近なのですが、それは私のPCの場合だけで、実はMacあたりではもうちょっと前から変わっていたらしいというのは知ってました。つまり、OSによってレイアウトが違っていた状態がしばらくの間続いていたのでしょうね。もちろん、Facebookのことですから、それがいつからすべてのOSに適用されるのかなんて情報は伝わってきませんから、その時点でチラシのパーツを使わせていただいて私が作ったニューフィルの定期演奏会仕様のカバーは、普通にプロフィールで隠れる部分には文字情報が含まれていないものでした。
 私の場合ニューフィルのFacebookページを覗くのは新しい書き込みをするときだけですから、そんなに頻繁なことではありません。ですから、いったいいつから変わったのかは全く分からないんですが、きのう見てみたら、見事に変わってしまっているではないですか。つまり、この間抜けな隙間の空いたカバーが、何日かの間表示され続けていたということですね。もうすぐにでも直したかったのですが、これの元になったレイヤーは職場のPCにしか入ってないので、今日までほったらかしておくしかありませんでした。
 そして、今日になって作り直したのが、これです。
 使える空間が広がったので、チラシにはあった指揮者の写真も入れました。さらに、前はレイアウトの制限があったので、マーラーの顔を裏焼きにしたのですが、ここではちゃんとオリジナル通りになっています。つまり、こうなれば作ったものがそのまま表示されるのですから、デザインの自由度がはるかに上がります。というか、やはりFacebookページというのは宣伝用のツールなのでしょうから、最初からこのようにするべきだったんでしょうね。これがまた元に戻らないことを、祈るばかりです。
 ところで、夕べの「クラシック音楽館」はご覧になりましたか?私は、普段はこの番組をリアルタイムで見ることなどまずないのに、始まると同時にかじりついて見てしまいましたからね。仙台でもサントリーでも、前半の「幻想」の時はリハーサルも含めて全く目にすることはできませんでしたから、これが初めて。あんなことをやっていたなんて初めて知りましたよ。ただ、ハープは4台用意されていて、我々の入るリハーサルの時にそのうちの3台は片づけていたので、それが本番では4台編成になっているのだけは知ってました。これはサントリーだけのバージョンですから、ハイレゾで聴いていた仙台とは音も違っているはずですね。確かに、その4台のハープがフィーチャーされた第2楽章はゴージャスの極みでしたね。
 そして、番組の上ではあたかも連続して演奏されたように「レリオ」が始まりました。これはなかなかすごいこと。本番ではまず不可能なことでしたから、こんな風にして作曲家が意図したとおりに見れるというのは、感激ものです。合唱が入るカットも、さすがNHKという手慣れたものでしたね。合唱が見えてほしいという時には、きちんと頭から合唱のアングルに変わっていましたからね。
 ただ、私が立っていたところは、ちょっと微妙な位置だったので、もう1人分カメラを振ってくれれば入るのに、というカットがいくつもあったのは残念でしたね。あとは、ステージの上から合唱がいたP席を撮っている無人のカメラがあったのですが、そこからのアングルだともろに前にいた〇枝くんの顔が私と重なってしまって、私のちいさな顔はまるまる隠れてしまっていましたね。
 でも、それなりには全身が映っているようなところもあって、「すぐに分かったよ」みたいなことをいろんな人に言われたりしましたね。でも、「ソリストが暗譜なのに、なぜ合唱は楽譜を見ているの?」と言ってる人もいました。確かに、あの「山賊の歌」だけは暗譜で歌いたかったですね。仙台では暗譜でしたから。
 それにしても、テレビを見ながらつい歌を口ずさんでしまう私。3か月も経ったのに、まだしっかり覚えているなんて。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-25 21:58 | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre Act 1
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Kirsten Flagstad(Sieglinde)
Set Svanholm(Siegmund)
Hans Knappertsbusch/
Wiener Philharmoniker
DG/UCGD-9047(single layer SACD)




昔、この「ハンス・クナッパーツブッシュ」という指揮者の名前を文字で目にしたときには、一体なんと発音するのだろうと悩んでしまったものです。最大のネックは3つある「ツ」の扱い、大文字なんだか小文字なんだか分かりません。現に、「クナッパーッブッシュ」と、全部小文字にして苦労している友人が身近にいましたからね。多くの人が、そんな面倒なことは考えずに単に「クナ」と言っているのだと知ったのは、だいぶ後のことでした。
第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭を支えた指揮者として非常に有名な方で、そのバイロイトのライブ録音は数多くリリースされています。1962年にPHILIPSのスタッフによって録音された「パルジファル」は、演奏、録音ともに最高のものとの評価がなされている名盤です。
しかし、そのような劇場における実際の上演のライブ録音ではなく、スタジオでのセッション録音になると、彼に対する評価は著しく低下します。なんせ、実際にそんなセッション録音を仕切ったプロデューサー自身が公にこのようなことを書いているのですから。
In the theatre I believe that he was a Wagner conductor of supreme ability. But on records he was a total failure. [...] He was a nineteenth-century professional, and to the end of his life the gramophone was a newfangled toy. We could not do him justice.

これが2007年にはこんな風に訳されています。
「劇場の中では無上の能力をそなえたワーグナー指揮者だったと確信している。しかし、レコード上での彼はまるで落第だった。・・・彼は19世紀的なプロフェッショナルであり、死ぬまでレコードは新奇な玩具だった。私たちには、彼を正当に扱うことができなかった。」

お判りでしょうが、これは英DECCAのレコーディング・プロデューサーだったジョン・カルショーの「Ring Resounding」という著作の中の一節です。彼がショルティとウィーン・フィルを使って、ワーグナーの「指環」の、完成した時には世界で最初のスタジオ録音による全曲盤となるレコードを作りはじめる丸1年前に、同じ会場で同じレコーディング・エンジニアの元に、同じオーケストラ(と、同じ歌手)を使って録音されたものが、この「ワルキューレ」の第1幕なのです。
ただ、なぜかこのSACDでのクレジットは、こうなっています。しっかりしてくれじっと

ここで述べられているように、クナッパーツブッシュと仕事をしてつくづくこの指揮者がスタジオ録音にはなじまないと痛感したカルショーですから、当然このアルバムも「失敗作」だと思っていたのでしょうね。そして、これはもう「なかったこと」にして、この後、彼はここでジークリンデを歌っていた稀代のブリュンヒルデ、キルステン・フラグスタートをフリッカ役に立てて、「ラインの黄金」の録音に邁進することになるのです。
しかし、そんな製作者の思いとはうらはらに、いまではこんなシングル・レイヤーSACDにもなりうるような、高いクオリティのレコードが出来ていたのでした。何よりも、ゴードン・パリーの録音には圧倒されます。ここでの低音の充実ぶりは、後の「指環」にそのまま受け継がれているのでしょう。そして、クナッパーツブッシュの演奏も、当時カルショーが考えていた規格には当てはまらなかった分、生身の鋭い音楽がそのまま伝わってくるような気がします。前奏曲でのアッチェレランドには驚きましたね。
カルショーが「20世紀には対応できない」と言い切ったクナッパーツブッシュの「レコード」は、21世紀になってやっと正当に評価されるようになったのかもしれません。
LPでリリースされた時には、2枚組の余白に、その前年にやはりウィーン・フィルと録音された、「神々の黄昏」の序幕と第1幕の間の間奏曲と、第3幕の「葬送行進曲」の2曲が入っていました。その後、CD化された時には、このカップリングは外されて1枚になっていましたが、今回はシングル・レイヤーSACDでの長時間収録で、このかつての「おまけ」が復活しています。こちらもゴードン・パリーの録音が存分に楽しめます。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-07-24 20:22 | Comments(0)
Penderecki Conducts Penderecki Vol.1
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Joanna Rusanen(Sop), Agnieszka Rehlis(MS)
Nikolai Didenko(Bas)
Krzystof Penderecki/
Warsaw Philharmonic Choir(by Henryk Wojnarowski)
Warsaw Philharmonic Orchestra
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永六輔さんが亡くなられましたね(ええっ!)。1933年にお生まれになっていますから、83歳でご逝去ということになります。しかし、同じ年に生まれたポーランドの作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキさんは、こんな自作を指揮したアルバムを作ってしまえるほどですから、まだまだお元気なようですね。これが「Vol.1」というのですから、このまま全作品を録音していこうというのでしょうか。それはちょっと無謀なような気がしますがね。まあ、好きなように余生を送るのは、悪いことではありません。
ただ、ここで録音されている曲の中では、おそらくこれが初録音となる「Dies illa」以外は、全て割と最近NAXOSのアントニ・ヴィットによる一連のシリーズによって、今回と全く同じオーケストラと合唱団によって録音されているのですね。「聖ダニエル聖歌」は2005年、「聖アダルベルト聖歌」は2010年、「ダヴィデ詩編」は2006年です。しかも、これらは録音スタッフも今回と同じCD ACCORDなのですから、先に録音をしたヴィットは気を悪くしたりはしなかったのでしょうかね。
2014年の11月9日にベルギーのブリュッセルで初演されたペンデレツキの大曲「Dies illa」は、その後翌2015年3月にはワルシャワでポーランド初演が行われます。これは、その直後の6月にやはりワルシャワで録音されたものです。2014年というのは第一次世界大戦がはじまって100年という年ですから、彼はその戦争の犠牲者を悼むためにこの曲を作ったのだそうです。彼の大昔の作品に「広島の犠牲者のため」という言葉が入る有名な曲がありますが、今回はそのような「後付け」ではなく、ちゃんと「悼む」気持ちをもって作っていたのでしょう。
3人のソリストと合唱、そして大編成のオーケストラという、なんでも初演の時の演奏家は全部で1,000人にもなっていたというこの作品は、日本語のタイトルが「怒りの日」と呼ばれるのだ、と、代理店のインフォにはありますが、それは厳密な意味では正しくはありません。ペンデレツキがここで採用した、「レクイエム」の2つ目のパートに当たる「セクエンツィア(続唱)」の長大なテキストは、それ全体が「怒りの日」と呼ばれていますが、それは、最初の言葉が「Dies irae」で始まるから、その日本語訳を用いてそのように呼ばれているのです。しかし、この作品のタイトルは「Dies illa」、なんか、微妙に違います。
これは、そのテキストの最初が「Dies irae, Dies illa」で始まるところから、その2つ目のフレーズをタイトルにしたのでしょう。これは「怒りの日なり、その日こそ」と訳されていますから、「Dies illa」だけだったら「その日」と訳さなければいけないのではないでしょうか。でも、「ペンデレツキ作曲『その日』」なんて、なんだか間抜けですね。
実は、彼はそもそもこの部分のテキストは使ってはいません。そこはカットして、モーツァルトの作品で言うと、「セクエンツィア」の2曲目、「Tuba mirum」でバスのソロに続いてテノールのソロが歌い始める「Mors stupebit et natura」というテキストの部分から作り始めているのですよ。そうなると「Dies illa」はないじゃないか、と思われるかもしれませんが、安心してください(ふ、古い)、最後の方の有名な「Lacrimosa」に続くのが、「dies illa」なんですね。「涙の日なり、その日こそ」です。
ということは、彼がメインに考えていたのは冒頭の「Dies irae」ではなく、最後のこの部分だったのでしょうか。あるいは、単に1967年にすでに「Dies irae」のタイトルで別の曲を作っていたので、それとの差別化を図っただけのことなのでしょうか。いずれにしても、まさに彼の最近の作風にどっぷりつかった「親しみやすい」曲であることだけは確かです。いまだに「チューバフォン」という、太い塩ビ管を束ねた楽器を使っているのが、笑えます。
当然のことですが、他の曲でヴィットの演奏から聴こえてきたシニカルな視点は、ここではきれいさっぱりなくなっています。

CD Artwork © Warner Music Poland
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by jurassic_oyaji | 2016-07-14 23:46 | Comments(0)
DEVIENNE/Flute Concertos Vol.1
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Patrick Gallois(Fl)
Swedish Chamber Orchestra
2xHD-Naxos/No Number(DSD128)




こちらに書いたように、いつの間にか5.6MHzDSD、つまりDSD128(またはDSD 2、あるいはDSD double)を聴ける環境が整ってしまいました。殺虫剤じゃないですよ(それは「DDT」)。そこで一度でもそのフォーマットの凄さを体験してしまうと、今までCDで聴いてきたものをこれで聴き直したくなってきます。そこで、そういうものを扱っているサイトでいろいろ探してみると、あるレーベルが、配信専用でこのような超ハイレゾの音源を多数用意していることに気づきました。それが「2xHD」というカナダのレーベルです。
このレーベルは、アンドレ・ペリーというプロデューサーと、ルネ・ラフラムというエンジニアが共同で運営しています。それぞれ華々しいキャリアを持った人たちですが、ここでは名前の通り、普通の「HD(High Definition)」の2倍の鮮明度の音源を目指しているようです。「これを聴いてしまうと、あなたはもはやMP3には戻ることはできない」などという挑発的なコピーが、彼らのサイトには踊っています。
実は、彼らは基本的に「録音」という作業は行わず、すでにリリースされている音源に手を加えて、ハイレゾ用のデータを作り上げるという作業をもっぱら行っているのです。ここは、そういう「リマスタリング」専門のレーベルです。
実際の彼らの作業は、まず音源をDXD(24bit/352.8kHzPCM)かDSD(あるいは DSD 2 )にトランスファーするところから始まり、それにリマスタリングを行い、一般的なハイレゾ音源の24/48から最高は24/192、そしてDSD 2までのデータを提供するということになるのでしょう。特に、NAXOSの音源を用いた時には、このように「2xHD-Naxos」というレーベル名を付けています。ただ、この場合、扱うのはNAXOSレーベルだけではなくNAXOSが販売に関わっているPROPRIUSなどのレーベルも含まれているようです。
ということで、このレーベルの5.6MHzDSDのラインナップを見てみたら、だいぶ前にCDで聴いていたこちらのアルバムがつい最近そんなリマスタリングを施されて配信が始まっていたことが分かりました。そこで、それがどの程度のものなのか聴いてみようと、フルアルバムではなく「フルート協奏曲第2番」だけを買ってみて、CDの音と比べてみることにしました。
それは、冒頭のしなやかな弦楽器の音を聴いただけで、CDとは全く別物であることが分かりました。まず、弦楽器の音色が違います。CDでは高音がとても硬い、はっきり言って長い時間聴いているのは苦痛に感じられる音なのですが、このDSDはそんな硬さは微塵もない、あくまで伸びやかな音です。当然、いつまでもこの音の中に浸っていたいという欲求が、ごく自然に生まれてきます。音を聴くだけで幸せになれるという安らぎ感、それはなかなかCDでは味わうことが出来なかった感覚です。
そして、それぞれの楽器がとても立体的に聴こえるという、これはハイレゾでまず感じることですが、それがこれほどはっきりしているものもなかなかお目にかかれないでしょう。変な喩えですが、CDではそれぞれの音がコールタールのようなものでべったりくっつきあっているものが、このDSDでは、そんなベタベタがきれいさっぱり洗浄されて、ピカピカになった音だけがくっきりと聴こえてくる、みたいな感じでしょうか。長い前奏が終わってやっと出てくるガロワのフルートは、ひときわ輝いてピチピチしています。
第3楽章のロンドでは、まるでマルチチャンネルからリミックスしたみたいに、楽器のバランスまでが違って聴こえてくるところがありました。それは、最後の方でフルートソロに絡み付くソロ・ヴァイオリン。DSDだと、まるでスポットライトを浴びたように、くっきり聴こえてきますよ。
これは、録音する時にハードディスクに収められたはずの音がCDになるといかに「汚れて」しまっているかが、端的に分かってしまうという、ある意味恐ろしいものです。それにつけても、この業界ではそういうファイルになぜ識別用の「品番」を付けようとはしないのでしょうか。

DSD Artwork © 2xHD-Naxos
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by jurassic_oyaji | 2016-07-09 21:21 | Comments(0)