おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:未分類( 47 )
Jurassic Awards 2012
c0039487_23322756.jpg








今年も「おやぢの部屋2」をご覧いただき、ありがとうございました。おかげさまで、2日に1本というペースをきっちり守って書き続けた結果、本年中には全部で182本の「おやぢ」をアップすることが出来ました。これも、ひとえにご声援を賜りました皆様のおかげです。
そこで、今年からは、「ジュラシック・アウォード」というものを設立して、この1年間に見たり聴いたりしたアイテムを振り返ってみることにしてみました。某レコード芸術の「レコード・アカデミー賞」などには絶対に登場しないヘンなラインナップをお楽しみください。
カテゴリーは、ブログで便宜上付けているものに従って、7つの部門を用意しました。実はブログのカテゴリーはもっとあるのですが、作ってはみたけれど、実際に当てはまるものがあまりにも少なかったものは割愛させていただきます。「室内楽」とか。
カテゴリー・ナンバー1:合唱曲(エントリー数52
バッハの「マタイ受難曲」(4/5アップ/BD)はラトル指揮のベルリン・フィルのライブ映像です。ピーター・セラーズの演出で、フィルハーモニーの客席まで使ったシアター・ピースとしての「マタイ」を見せてくれました。なによりもすごいのは、オーケストラのメンバーまでがしっかり「演技」していたことでしょう。ソリストに寄り添うようにオブリガートを暗譜で演奏していたのは感動的でした。次点はトルミス(8/15アップ)と、久しぶりのデュリュフレ(12/15アップ)です。
カテゴリー・ナンバー2:オーケストラ(エントリー数50
アラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルによるニールセンの交響曲第2、3番(12/5アップ)では、なによりも、しばらくCDのリリースから遠ざかっていたかに見えたアメリカのメジャー・オケの演奏が、SACDで聴けたことに感激。しかも、SACDのスペックを最大限に生かした素晴らしい録音にも感激です。当然のことながら、次点のティツィアーティの「幻想」(4/19アップ)とリットンの「火の鳥」(3/2アップ)も、SACDならではの音の良さでのランクインです。
カテゴリー・ナンバー3:フルート(エントリー数17)
本当の意味でインパクトのあるアルバムはありませんでしたが、寺本さん(12/23アップ)、デュフォー(2/18アップ)、故フォーグルマイヤー(9/4アップ)あたりが、素晴らしい出来を見せていました。
カテゴリー・ナンバー4:現代音楽(エントリー数14
ヴィット指揮のペンデレツキが3枚(11/48/95/3アップ)出ましたが、いずれもが選曲の妙でこの作曲家の問題点を暴いてくれていました。「ビサイズ・フェルドマン」(1/19アップ)とジャック四重奏団(8/27アップ)は、エンターテインメントとしての側面が光っていました。
カテゴリー・ナンバー5:オペラ(エントリー数13
ショルティの「リング」(12/26アップ)は、今年最大の収穫でした。本来は再々リマスタリングのCDのパッケージなどですが、「おまけ」について来たBD-Audioがとんでもないものでした。今までのCDや、そしてSACDは一体何だったんだろうという気にさせられるほどのものすごいリアリティあふれる音でした。「オペラ座の怪人」のロイヤル・アルバート・ホールでのライブ(1/29アップ)と「ドン・ジョヴァンニ」(9/22アップ)はそれぞれコンサートホールで演奏されたプロダクション。新しい可能性を示していました。
カテゴリー・ナンバー6:書籍(エントリー数13
ビートルズのエンジニアであったジェフ・エメリックの著書(1/15アップ)は、貴重な資料としての価値が満載、サンフランシスコ響のレポートをまとめた本(10/20アップ)では、最新のオーケストラ事情を知ることが出来ます。マーラーの交響曲第2番の新校訂スコア(8/5アップ)のようなものまで、簡単に入手できるようになった時代にも感謝。
カテゴリー・ナンバー7:ポップス(エントリー数11
LPでリリースされたビートルズの「サージェント・ペッパー」(11/17アップ)と「アビ―・ロード」(11/15アップ)を、昔のLPと何種類かのCDと聴き比べることによって見えてくるマスタリングやアナログ磁気テープの劣化の問題は深刻です。後世に残すには、CDというフォーマットはお粗末すぎます。山下達郎のベスト(9/26アップ)では、そんなCDでも最高のものを作ろうとする愛情がひしひしと感じられます。


[PR]
by jurassic_oyaji | 2012-12-31 23:37 | Comments(2)
HOLST/Choral Works
c0039487_2036642.jpg


Graham Ross/
Choir of Clare College, Cambridge
The Dmitri Ensemble
HARMONIA MUNDI/HMU 907576




「ホルスト」の合唱曲集、です。しかし、この「ホルスト」は、あの「惑星」で有名なグスターヴ・ホルストではなく、その娘さんのイモジェン・ホルストのことです。以前からこの「イモジェンさん」の名前は、例えば「惑星」の2台ピアノのためのバージョンを出版した人というような、父親の作品の校訂や出版に尽力したという方としての認識はあったのですが、彼女は作曲家としても活躍していたのですね。今まで、室内楽などの録音はあったのだそうですが、今回はすべて世界初録音、つまり、ほとんどの人が初めて耳にすることになる合唱曲が集められているCDが出ました。
イモジェン・ホルストは、1907年に生まれて、1984年に亡くなっています。このアルバムにはかなり厚ぼったいブックレットが付いていますが、それには彼女の晩年の写真がたくさん掲載されています。かなり大きめの鼻が特徴ですが、これは父親譲りのようですね。それらの写真からは、音楽学者、指揮者、作曲家として生涯独身で過ごした女性の老後の穏やかさのようなものを感じることはできないでしょうか。ジャケットの丸い眼鏡はジョン・レノンみたい(それは「イマジン」)。そのほかに、彼女の自筆の楽譜の写真も載っていますが、とても読みやすい楽譜ですね。
そして、アルバム自体のプロデュースと、さらに録音までも手掛けているのが、あのジョン・ラッターだというのにも、注目です。ここで演奏している「ドミトリー・アンサンブル」のデビュー・アルバムで、プロデュースと録音を担当したのがこのラッターでしたし、クレア・カレッジの合唱団で自作を録音した時にも、やはりプロデュースだけではなく、録音も担当しています(NAXOSの「Mass of the Children」など)。作曲家でありながらエンジニアのような特殊な能力が要求される仕事のプロなのですから、ラッターという人はすごいものですね。
このイモジェンのアルバムでも、ラッターは選曲などにも関与しているのでしょうね。そのラインナップは、まず彼女の若いころ(20歳!)のものから始まって、年代順に作品が並べられているというものでした。さらに、最後には彼女の親友であったベンジャミン・ブリテン(彼女のお墓は、そのブリテンとピーター・ピアーズのお墓のすぐ後ろにあるそうです)に頼まれて、オルガン伴奏の合唱曲にオーケストレーションを施したものなども収録されていて、彼女の「編曲家」としての成果も紹介されています。
まず、1927年に作られた「Mass in A minor」という、初期の作品です。無伴奏の混声合唱のためのフル・ミサですが、ポリフォニーの技法を取り入れたり、中世風の旋法が聴こえたりと、きちんと過去の遺産を受け継いでいこうという姿勢が見て取れてほほえましくなるような曲です。その中には、彼女の一世代前のイギリスの作曲家が共通して持っているようなテイストも満載、聴いていてとても心が温かくなるような気がします。
それ以後の作品になると、そのような素朴な作風からは少し離れて、同じ時代の「新しさ」をしっかり取り入れ、過去の再生産ではない、彼女自身のアイデンティティを見つけようと模索しているような姿勢が感じられるようになってきます。確かに、それは素晴らしいことなのですが、その結果「現代」の人たちが聴いたときになんとなくつまらなく感じられてしまうのは、仕方のないことです。このころは、誰しもがそんな「新しさ」を追い求めることに汲々としていたのですからね。
ただ、そんな中でハープと女声合唱のための「Welcome Joy and Welcome Sorrow」は、素直な心情が表に現れていて気持ちよく聴けました。
ブリテンの作品の編曲も、なかなかいい感じではないですか。おそらく、原曲よりも数段親しみが増しているのではないでしょうか。
合唱は、何か声が散漫に聴こえてしまいます。グラハム・ロスは、合唱を指揮するのはあまり上手ではないのでしょうか。

CD Artwork © Harmonia Mundi USA
[PR]
by jurassic_oyaji | 2012-08-31 10:19 | Comments(0)
OCKEGHEM, SØRENSEN
c0039487_2053687.jpg



Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
DACAPO/6.220571(hybrid SACD)




北欧のミュージシャンの日本語表記にはいつも悩まされます。15世紀フランドルの作曲家ヨハネス・オケヘムが、いわゆる「オケゲム」と同一人物なことぐらいはすぐ分かりますが、20世紀生まれのデンマークの作曲家ベント・セーアンセンをこのスペルから読み取るのは至難の業です。日本の代理店のサイトではかろうじて「セアンセン」になっていますが、通販サイトあたりでは「セレンセン」とか「ソレンセン」とか、まるでカニ漁にでも行くみたい(それは「ソ連船」)。
そういう二人の作曲家の作品をマッシュ・アップして、一つの「レクイエム」として演奏したのが、ポール・ヒリアーが指揮する「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」です。現存する世界最古のポリフォニーによる「レクイエム」として知られるオケヘムの作品(本当は、ギョーム・ド・マショーのものの方がもっと古いのだそうですが、あいにく楽譜が見つかっていません)は、今普通にみられる「レクイエム」の全曲は揃っていなくて、テキストも少し違っているのだそうですが、そんな足らない部分+アルファを、セーアンセンの作品で埋めようというコンセプトなのでしょう。よくある形では、ヒリアー自身が1984年に「ヒリアード・アンサンブル」の一員として録音したEMI盤のように、そこにプレイン・チャントを挿入して補うということも行われていました。このヒリヤード盤は、その先輩格のPCA1973年にARCHIVに録音したもの(これは、オケヘムのオリジナルだけが収録されています)よりも、演奏も含めてはるかに柔軟性にあふれたものとして受け止められていたのではないでしょうか。
そうは言っても、この、20世紀に男声だけの6人で歌われたオケヘムは、21世紀になって女声も交えてその倍ほどの人数によって歌われた今回のオケヘムに比べれば、同じ指揮者による演奏とは思えないほどストイックに感じられてしまいます。それはもちろん、合唱団のキャラクターの違いにもよるはずです。このデンマークのハイテク集団のソノリテは、なんと艶っぽいことでしょう。
あるいは、そんなアプローチも一つの要因なのでしょう、ここでオケヘムとセーアンセンという5世紀ものスパンに隔てられている作品は、何の違和感もなく融合しているかのように見えてしまいます。というか、そのスパンの真ん中あたりで確立された「西洋音楽」の理論に基づいたいわゆる「クラシック音楽」の「ビフォー」と「アフター」が共に同じテイストを備えていると感じられてしまう体験によって認識すべきことは、まさに文化の歴史における「再現性」なのではないでしょうか。音楽が一つの方向に「進化」すると考えられていたのは遠い昔、今の歴史観は、古いものが形を変えて後の世にも表れることを明らかにしているのです。オケヘムとセーアンセンのそれぞれの作品の中から見えてくる「機能和声」からはちょっと距離を置いた響き、それらはともに、音楽を作るにあたってはいかなる束縛にもとらわれまいとする作曲家たちの強い意志のようにも思えてきます。
録音の方も、まさか「5世紀」とはいきませんが、それほど長くはない録音技術の歴史の中では充分に「大昔」と言える、50年以上も前のテクノロジーがそのまま使われているというのも、「文化」の一つの形なのかもしれません。このアルバムでは、今までこのレーベルでは紹介されることのなかった録音機材がブックレットに掲載されています。たまたまこの「レクイエム」の中の「Sanctus」や「Benedictus」では、セーアンセンの指定で演奏家が聴衆を取り囲むように配置されるために、それをサラウンドで録音した時のマイクアレンジが明らかにされているのですが、メインは3本のマイクを三角形にセットしたという、あの1956年にDECCAによって開発された「デッカ・ツリー」そのものなのですからね(EXTONあたりでも、この方式を採用しているようです)。

SACD Artwork © Dacapo Records
[PR]
by jurassic_oyaji | 2012-04-15 20:08 | Comments(0)
携帯ブログ
実はそんなに関心はなかったのですが、私が使っているエキサイトのブログは今までは携帯からの投稿は出来なかったようなのですね。
いや、本当は出来てたのかもしれませんが、たまたま設定画面を見てみたら、「携帯設定」というのかもが新しくなっていたものですから、試しに投稿してみました。
でも、おそらくこれから携帯で投稿することは、まずないでしょうね(^_^;)
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-03-29 16:11 | Comments(0)
ストレス
c0039487_19444318.jpg




Various Artists
AVEX/AVCL-25187



クラシックのコンピといえば、あの「アダージョ・カラヤン」を皮切りに、「イマージュ」だ、「オーラ」だ、「フィール」だといったような、いかにもおしゃれなタイトルの下に、ひたすら甘く爽やかな音楽を提供するものと相場が決まっていました。あたかもそれがクラシックの役割であるかのように、柔らかな羽毛で包み込むような音楽を集めたCDが今の世の中には氾濫しています。
確かに、クラシックにはそんな側面がないわけではありません。そもそも、王侯貴族の娯楽として磨きがかけられた音楽なのですから、その中には「人を優しく楽しませる」という要素は不可欠になってきます。さらに、こんな(↓)トンデモ本で語られているように、もしかしたらモーツァルトあたりは自分の病気(注意欠陥多動性障害や、統合失調症)を治すために、本気で「癒し」効果を求めて作曲を行っていたのかもしれませんね。なんでも、モーツァルトの曲には、そのような病気の症状を和らげる働きのある脳内物質「ドーパミン」を増加させる作用があるんですと。
c0039487_19471397.jpg

しかし、そんなものはクラシックのほんの一面に過ぎないのだ、と、このコンピは高らかに宣言しているかのように見えます。優しいだけがクラシックではない、時には不快感を与えるものもあったっていいじゃないか、と。そこで、まず登場するのが「現代音楽」というジャンルからジョージ・クラムの「ブラック・エンジェルズ」です。先日の茂木さんの本ではありませんが、「現代音楽」はクラシックからは排除すべきだというようなご意見もあるようですので、そもそもこれは反則技、目もくらむような不協和音やクラスターといった、決してドーパミンなどは出そうもないようなストレス満載の音響を味わって頂きましょう。
しかし、最初にそんな過激なものを聴かされてしまうと、後に続くショスタコーヴィチなどは逆にとても爽やかに聞こえてしまうから不思議です。事実、交響曲第10番の第2楽章など、演奏する側にとってはとてつもない難しいことを執拗に繰りかえさせられるのですからとびっきりのストレスには違いありませんが、これを聴いた人が果たしてストレスにさいなまれるか、というのは疑問です。
リゲティの「ムジカ・リチェルカータ」の第1曲にしても、これは言ってみれば同じ音符を延々と繰り返す「ワン・ノート・サンバ」のパクリなわけですから、そのシンプルさから快感を得ることはあってもストレスはないんじゃないですかねぇ。極め付きはカバレフスキーの「道化師」のギャロップ。こんな生き生きとした軽快な音楽からストレスを感じるというのは、いったいどんな神経構造を持った人なのでしょう。
ストラヴィンスキーに至っては、もはや体中でリズムを受け止めるという、究極の快感を味わえる曲たちではありませんか。これを聴けばストレスだって発散できてしまうのでは。そして、ジョン・ケージの「ソナタ」から得られるのは、極上のユーモアではないのでしょうかね。
確かに、最後の「熊蜂の飛行」には、イライラさせられ、ストレスも募るかもしれません。ただ、これはオリジナルではない吹奏楽のアレンジであることと、それを演奏している人たちがあまりにヘタだからそう感じるだけのことです。
そんなわけで、ジャケットでのたうち回っているエビスさんのキャラのような強烈なストレスが感じられたのは、最初のクラムだけ、ということになりました。ということは、こんなに和む音楽にもかかわらず、それをストレスと受け取る人がいるのだ、と、このコンピの制作者は考えていたことになります。あるいは、これを聴いてストレスを感じなかった人は、まっとうなクラシック・ファンではないと決めつけられてしまうのでしょうか。う~ん、そのような発想自体が、とてつもなく滑稽なものに思えて仕方がありません。「クラシックには、ストレスになるものもある」というつもりで作ったものが、結局は、「クラシックは癒し」だと再確認させてくれたのですから、笑うほかはありません。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2008-05-04 19:47 | Comments(0)
Fantasista! Schubert
c0039487_11323131.jpg




Various Artists
TOWER RECORDS/TWMZ-4



今年もまた大型連休の期間に行われる「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の季節が巡ってきました。これが何回目なのかというのも分からないほど、この催しはすっかり日々の音楽生活の中に定着してしまったようですね。なにしろ、今では「フォル・ジュルネ」という言葉が俳句の季語にまでなっているのですから。

  ふぉるじゅるね 今夜のおかずは とん汁ね

そして、これも恒例になっていますが、その年のテーマ作曲家にちなんだコンピレーション・ボックスが、今年もタワーレコードから発売されました。こちらでも取り上げた一昨年のモーツァルト同様、NAXOSの音源を使って音楽ライターの山尾敦史さんが選曲、ライナーノーツも書いているというものです。なんせ、10枚組で税抜き2500円、コンサート帰りのお土産には格好のアイテムです。今年も、有楽町界隈には綿飴や水風船や金魚すくいに混じって、このボックスをうずたかく積み上げた屋台が登場することでしょう。
最初、このパッケージを見たときには「『未完成』全曲入り!」とタスキに書かれているのにちょっとびっくりさせられました。そこまでマニアックなことをやってくれたとは。最近は「7番」と呼ばれているその交響曲は、2楽章までしか演奏されないバージョンが殆どだというのに、それを4楽章まで「全曲」を聴かせてくれるなんて、えらいぞタワー!、えらいぞNAXOS!。・・・しかし、どうやらそれは全くの勘違いだったようです。そもそもこのシリーズのポリシーは、1つの曲の最大1つの楽章を、フェイド・アウトなしで「全部」聴かせるということ、ただ、「未完成」に関しては2つの楽章という「全曲」を収録して目玉にした、ということだったのです。そんなことだろうとはうすうす思っていましたが、ちょっとがっかり。
モーツァルト盤同様、シューベルト自身の作品が聴けるのは10枚のうちの6枚だけです。しかし、その中に宗教曲やオペラが1曲も入ってはいないというのは残念です。ミサ曲などこんな機会でなければ聴くことの出来ないような名曲がいっぱいあるというのに、NAXOSに音源がないことにはしょうがありません。その代わりと言ってはなんですが、例えばリストがピアノソロに編曲した「ます」などという珍品が聴けるのは嬉しいものです。もっとすごいのは、おなじ「ます」のゴドフスキ編曲版、ミサ曲もないのにこんなものがカタログにあるのですから、NAXOSというのはほんとにヘンなレーベルですね。というより、こんな超珍品を見つけてきた山尾さんというのは、本当にヘンな人。さらに、サラ・ヴォーンが歌った「アヴェ・マリア」とか、さりげなくヘンなものを忍び込ませているのですから、油断は出来ません。
その他のCDには、シューベルトが生きていた街ウィーンにちなんだ、ウィーンゆかりの作曲家たちの曲が入っています。グルックからウェーベルンまで、シューベルトに直接の関係があった人もなかった人も並べられているのは、ある意味壮観です。出来れば、グルックの「精霊の踊り」はきちんと中間部のフルートソロが入った「全曲」を入れておいて欲しかったものですが、ひょっとしたらこれが最初の形だ、という啓蒙的な意味もあったのかもしれません。侮れませんね。
最後の1枚は、ウィーンの演奏家たちのヒストリカル音源が集められています。その中で興味を惹いたのが、ブルーノ・ワルターが1938年にウィーン・フィルを指揮したマーラーの「アダージェット」です。ここで聴けるのは、たっぷりしたビブラート、したがって、ノリントンがその頃のウィーンではまだオーケストラでビブラートをかけて演奏することはなかったと言っているのが真っ赤な嘘であったことが分かります。
選曲同様、油断の出来ないのが山尾さんの軽妙なライナーです。これを読破すれば、シューベルトの裏も表もすっかり分かり、ふぉるじゅるねも数倍楽しめることでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2008-04-26 11:34 | Comments(2)
宮城なつかしCM大全集
c0039487_19494653.jpg




宮城なつかCM保存会
ISBN4-9903231-2-2 CO876


全国(全世界?)ネットの「おやぢの部屋」でこんなローカルなCDをご紹介するのはちょっと気が引けるのですが、個人的に心の琴線に触れたものということでご理解ください。あ、もちろん制作者から金銭を受け取っているというようなこともありませんから。
仙台市の中心部、「一番町」や「中央通り」(最近は別な呼び方になっていますが)を歩いていると、何とも古色蒼然としたCMソングが流れているのに気づかされます。「♪キンコンカンコン金港堂」とか、「♪鈴喜が一番、一番丁の鈴喜陶器店」といった、お店の名前を連呼するだけというまさにCMソングの王道を行く、と言うことは、今のCM界では絶えて聴くことのなくなった歌が、一日中鳴り響いているのです。最近では東京から進出したおしゃれなファッションビルが建ち並ぶようになった仙台の商店街、その中に何ともミスマッチ気味に流れているこれらのCMソングたちは、まるで仙台商人の意地を見せるかのように、頑なに昔のままの姿でその存在を主張しています。
そう、この移り変わりの激しいマーケティングの世界で、この場所の街頭PAだけは、なぜか昭和30年、40年代のまま、昔からここで暮らしている人にとっては何ともノスタルジックな感傷に浸れるものになっているのです。その事に気づいた人たちが、その頃の時代に作られたCMソングを集めて、こんなCDを作ってしまいました。まるでセピア色に変わった昔の写真を見ているような、これは、その時代をこの土地で過ごした人にとってはかけがえのない「音のアルバム」になっているはずです。
最初に聞こえてくるのが、仙台駅前の丸光デパート(その後「ビブレ」→「ダック・シティ」と名前を変え、現在は「さくら野百貨店」)の屋上にあったミュージックサイレンから流れてくる「荒城の月」の録音です。もちろん、これは屋外で鳴っているものですから、まわりを走る車の音などもしっかり録音されています。そして、昭和47年に作られた、その「丸光」のCMソングが続きます。「おもちゃのチャチャチャ」などを作った越部信義というヒットメーカーの曲を、当時人気を博していたNHKの番組「ステージ101」でのレギュラーメンバー伊藤三礼子と藤島新が歌っているというものです。今でこそ頭が禿げ上がって見る影もない藤島ですが、その頃は今のキムタクのような甘いマスクと、爽やかな声が大人気、この歌の発表会のために来仙したときにはファンが押し寄せたといいます(風邪をひいていて、肝心の歌は歌わずサインだけして帰ったそうですが)。
このCDには分かる限りの作家や演奏家、そして制作年のクレジットが記載されているのも嬉しいところです。そこで、これらのCMソングは、大多数がその道の大御所の手になるものであることが分かります。「♪お茶お茶チャッチャカチャッチャ、井ヶ田チャッチャカチャ」という「お茶の井ヶ田」の歌は、「丸光」の越部信義が作っていたのですね。作られたのは「おもちゃ~」とほぼ同時期、この二曲の間に同じテイストを感じるのも当然のことでしょう。
もちろん、いずみたくというようなまさにCMソング界の王者の作品も目白押し、その中で、「♪あの街、この街、仙都が走る」という「仙都タクシー」の歌を歌っているのが、デューク・エイセスです。常々街でこの歌を聴く度に、これを歌っている男声コーラスのことが気になっていたのですが、まさかデュークだったとは。というのも、録音年代からしてこれを歌っていた頃はオリジナルメンバーの和田昭治が在籍していたために、後の「にほんのうた」で聴ける谷口安正を中心としたタイトなサウンドとは全く別物のユルいハーモニーだったからです。しっかりしたデータのお陰で、そんな細かいことまで分かってしまいます。
CM創生期のパイオニア、三木鶏郎が作った「♪朝の一服永楽園の、お茶に茶柱立ちました」を歌っていたのは、「パイナップルプリンセス」の田代みどりだったんですね。そう言えば最後の「た」を「たぁ↑」とグリッサンドするのを聴けば、確かに彼女だと分かります。
最後のトラックは、再び丸光のミュージックサイレンで「この道」です。ここではなんとバックにSLの汽笛が。曲が終わる頃には「シュッシュポッポ」というピストンの音も聞こえてきます。これを聴かされて感傷にむせび泣かない人など、いるでしょうか。
流通はCDではなく書籍の扱い、仙台市内の大きな本屋さんで買うことが出来ます。宝文堂に電話をすれば通販も出来るみたいですよ。ただ、これは1000枚しかプレスしていないそうですから、お早めに。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2007-04-25 19:51 | Comments(2)