おやぢの部屋2
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カテゴリ:室内楽( 31 )
MOZART/Gran Partita
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Trever Pinnock/
Royal Academy of Music Soloists Ensemble
LINN/CKD 516(hybrid SACD)




以前もこちらの新しいアルバムにチェンバロ奏者として参加していたトレヴァー・ピノックは1946年生まれ、アーリー・ミュージック界の第3世代(?)として、1972年に創設した「イングリッシュ・コンサート」を率いて、華々しい活躍をしていました。CRDやARCHIVから多くのアルバムを出していましたね。
そのイングリッシュ・コンサートの指揮者としてのポストも、2003年には他の人に譲り、現在ではライプツィヒ・ゲヴァントハウスやロイヤル・コンセルトヘボウといったメジャーなモダン・オーケストラの客演指揮者として、世界中で活躍しています。
そして、最近はこのLINNレーベルで、ロンドンに1822年に作られたという由緒ある音楽学校、「王立音楽アカデミー」のアンサンブルとの共演を行っています。このアカデミーからはクラシックだけではなく、エルトン・ジョンやリック・ウェイクマンといった「ロック」畑の逸材も巣立っているというあたりが、ユニークですね。
ピノックとこのアンサンブルがこれまでにLINNで作ったアルバムは全部で3枚、それらはいずれもシェーンベルクが主宰していた「私的演奏協会」で演奏されていたマーラーやブルックナーの交響曲などを室内楽に編曲したものが集められていました。しかし、4枚目となる本作では、ガラリと趣向を変えてモーツァルトとハイドンの室内楽です。ま、ハイドンの場合はある意味「編曲」ですから、共通項がないわけではありませんが。
モーツァルトは、管楽器だけを13本使った、「グラン・パルティータ」と呼ばれるセレナーデです。正確には、最低音にはコントラバスが使われるので管楽器は「12本」になるのですが、慣例としてコントラバスの代わりにコントラファゴットが使われることがありますから、その場合は間違いなく「13管楽器」と呼ぶことが出来ます。今回の演奏も、この編成です。つまり、ピノックの場合はアーリー・ミュージックを演奏する際のスタンスが、それほど厳格ではないような気がします。演奏面でも、例えば1曲目の序奏での付点音符の扱いなどは、「厳格」な人だと「付点八分音符+十六分音符」で書かれている楽譜は当時の習慣に従って「複付点八分音符+三十二分音符」で演奏するものですが、彼は普通に楽譜通りに吹かせていますからね。
ただ、楽譜はあくまで最新の校訂版、新モーツァルト全集が使われているようです。とは言っても、3曲目のアダージョで20小節目の1番バセット・ホルンのナチュラルを外していたりしますから、やはり「厳格」さは薄いようです。
楽譜に関してはそんなユルいところもありますが、演奏そのものはとても生命力にあふれたものです。特に、テンポがあり得ないほど速いのはかなりスリリング、あまりに早いものですから、1曲目や最後の曲などはアンサンブルに破綻が出てますね。でも、5曲目の「ロマンツァ」は、若い感性がとても瑞々しく、心が洗われるようです。
カップリングのハイドンは、「ノットゥルノ第8番」が演奏されています。この、全部で8曲から成るノットゥルノ集は、1788年から1790年にかけて、当時のナポリ国王であったフェルナンド4世のために作られたものです。そもそもは、国王が愛好した珍しい楽器「リラ・オルガニザータ」を含むアンサンブルで演奏するために作られたもので、その「リラ」が2台に、クラリネット、ヴィオラ、ホルンをそれぞれ2本に低音楽器という、中低音を強調した暗めのサウンドによる編成でした。それを、1791年の最初のロンドン訪問の際に、もっと明るい音色がふさわしいと、リラとクラリネットのパートをヴァイオリン2本とフルートとオーボエに置き換えて編曲を行いました。それがここでは演奏されています。
じつは、こちらでやはり「ノットゥルノ」をご紹介していましたが、そこでは「3番」はオリジナルの編成なのに、なぜかこの「8番」の方はこの編曲版になっとるの

SACD Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-14 23:02 | 室内楽 | Comments(0)
Manhattan Intermezzo
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Jeffrey Biegel(Pf)
Paul Phillips/
Brown University Orchestra
NAXOS/8.573490




最近、音楽の世界で一時代を築いた人たちが相次いで亡くなっています。そして、キース・エマーソンまでもが亡くなってしまいました。なんでも演奏能力の低下を嘆いた末の自殺(あくまで推測)だとか。同じような悩みを抱えていながら、図太く醜態をさらしているミュージシャンは山ほどいるので、キースの場合は潔いと言えるのかもしれませんが・・・。
彼が亡くなるほんの数週間前にリリースされたのが、彼が1976年に作った純クラシックの作品「ピアノ協奏曲第1番」を含むこのアルバムだったというのは、なんという偶然でしょう。もちろん、これを扱っている代理店もこれをビジネス・チャンスとばかりに宣伝に余念がありません。
アルバムタイトルは「マンハッタン・インテルメッツォ」。これはあのかつてのヒットメーカー、ニール・セダカが作った「クラシック」の作品です。そのように、ここにはポップス、ロック、そしてジャズが「本職」の人たちが作ったピアノとオーケストラのための作品が集められています。
まずは、もしかしたらもう忘れられているかもしれない1950年代から60年代にかけて一世を風靡した作曲家でシンガーのニール・セダカです。ブリーフ1枚にはなりませんから、安心してください(それはハダカ)。当時はコニー・フランシスが歌った「Where the Boys Are(ボーイハント)」や、ニール自身が歌った「Calendar Girl(カレンダーガール)」を日本語でカバーしたものが全国のお茶の間で流れていたはずです。
「マンハッタン・インテルメッツォ」は、ピアノも上手だったニールがオーケストラをバックにピアノを演奏して録音するために2008年に作られました。オーケストレーションを行ったのはリー・ホルドリッジです(オーケストラはロンドン・フィル)。この録音は2012年にリリースされた「The Real Neil」の最後に収録されています。今回これを再録音するにあたっては、ピアノのパートはここで演奏しているジェフリー・ビーゲルによってより華麗に書き直され、一層「クラシック」っぽい仕上がりになっているはずです。なんと言っても、次々に現れるキャッチーなメロディには酔いしれてしまいます。まさにヒットメーカーとしてのニールの底力を見る思いです。
そして、キースの「ピアノ協奏曲第1番」は、それとは対極的な、やはり「ロック精神」満載のヘビーな曲でした。なんたって、第1楽章のテーマは「12音」で作られているのですからね。ですから、こういうものを演奏するためにはピアニストはもちろん、オーケストラのスキルもかなり高くないことには満足のいくものにはなりえないのですが、ここでの学生オーケストラは最悪です。その「12音」の音取りすらまともにできていないのですからね。いや、このオーケストラはニールの曲でも木管のピッチは悪いし、打楽器のリズムは悪いしと、全然いいところがありません。
第2楽章はちょっとかわいらしく迫りますが、第3楽章になったらやはり今度はバルトーク風に野性味満々で突き進みます。
残りの2曲は「ジャズ」とのコラボ。デューク・エリントンの「New World a-Comin'」は、1943年に彼のピアノとビッグバンドのために作られた曲ですでに楽譜はなくなっていたものを、1988年にモーリス・ペレスが復元してシンフォニー・オーケストラのために編曲しなおしたバージョンです。その時のソリスト、ローランド・ハナが即興的に演奏したカデンツァを、やはりビーゲルはコピーしています。これは、やはりオーケストラではなくビッグバンドで聴いてみたいものだ、と強烈に思いました。少なくとも、このオーケストラではジャズならではのグルーヴは全く感じられません。
そして、おなじみ、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」で締めくくられます。これも、ピアニストだけがいくら張り切っても、オケとの対話が成り立たないことには真の名演にはなりえないことが証明されてしまっているだけです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-03-17 23:19 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART/String Quartets K.387 & K.458
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Hagen Quartett
MYRIOS/MYR017(hybrid SACD)




モーツァルトの故郷ザルツブルクで生まれ育ったハーゲン家の4人の兄弟姉妹は、ともにモーツァルテウム音楽院で弦楽器を学び、弦楽四重奏団を結成しました。しかし、諸事情でセカンド・ヴァイオリンだけは他の人に替わり、1981年からプロとして活動を始めます。当時は元気だったドイツのDGという大レーベルに所属し、ハイドンからショスタコーヴィチまでを網羅する数多くのアルバムをリリースしました。
現在ではDGとは袂を分かち、ドイツのとても小さなレーベルMYRIOSのアーティストとして、今までに3枚のアルバムを作っていました。もうデビューから30年以上、それなりに年を重ねているはずなのに、ジャケットの写真を見ると、ハーゲン兄弟はそれぞれに美人でイケメン、髪もフサフサです。それに対して、セカンド・ヴァイオリンのライナー・シュミットだけはごく普通の風貌、さらに頭髪が少し少なめになっています。もしかしたら、ハーゲン家には、禿げんような遺伝子が伝えられているのかもしれませんね。
そして、2014年の12月に録音されたモーツァルトの「ハイドン・セット」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲の中から2曲が収録された最新のアルバムがリリースされました。とは言っても、これは正式に発売されるのはまだ先の話、ドイツとオーストリアでは11月、そのほかの国でのリリースは来年の1月の予定になっています。それが、日本だけは、先ほど彼らが来日した時のグッズとして演奏会場で販売するために、どこよりも早く現物が届いていたのです。ですから、コンサートに行った人は、一足先に入手できたことになります。「フラゲ」ですね。それが、なぜかわまりまわって手元に届いてしまいました。
この弦楽四重奏団の評判はずっと昔から聞いていましたが、DG時代の録音はそれほど食指が動かなかったので聴いたことはありませんでした。それが、この家内生産的にとても素晴らしいSACDを作っているレーベルに移ったということで、まずは絶対に裏切られることのない音を味わうために聴いてみました。そうしたら、その、あまりに「モーツァルト」とは距離のある演奏に驚いてしまいましたよ。これは、「楽しい気持ちになるために」音楽を聴こうという人からは、猛反発を食らいそう。いたるところに不思議なポーズ(空白)が設けられていたり、ダイナミックスを極端に表現したり、流れるようなメロディをあちこちでせき止めたり、それこそ「喫茶店」のBGMにこそモーツァルトの音楽がふさわしいと思っているような人にとっては、「許しがたい」ものに仕上がっているのですからね。
しかし、余談ですが、その「喫茶店のBGM」ですら、そんな穏やかな音楽ばかりではなくなっているのが、今の時代です。先日「謝罪の王様」という映画のON AIRを見ていたら、その舞台となった紛れもない「喫茶店」で流れていたのは、何とも棘のある「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でした。よく聴いてみるとピッチも低め、おそらくピリオド楽器による演奏だったのでしょう。少し前まではこのような場所にはふさわしくないと思われていたピリオド系のごつごつとした演奏も、もはやBGMとして聴かれるだけの「市民権」を得ていたのですよ。
そう、ここで聴くハーゲンたちのモーツァルトは、まさにそんな「ピリオド系」の演奏でした。何かのインタビューで、ファースト・ヴァイオリンのルーカス・ハーゲンが「アーノンクールに多大な影響を受けた」と語っていましたが、まさにそんな、最もとんがった「ピリオド系」がここでは展開されていました。そんな、ノン・ビブラートの繊細なテクスチャーまでが再現されている録音で、この刺激的な演奏を聴くのは、至上の喜びです。

こんな、ちょっとした「手違い」は、この素晴らしい演奏と録音を貶めるものでは、決してありません。Facebookページではちゃんと謝っていることですし。

SACD Artwork © Myrios Classics
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by jurassic_oyaji | 2015-10-05 20:20 | 室内楽 | Comments(0)
Beethoven's Salon Symphonies
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Van Swieten Society
Bart von Oort(Fp), Heleen Hulst(Vn)
Job ter Haar(Vc), Marion Moonen(Fl)
Bernadette Verhagen(Va)
QUINTONE/Q14002




以前こちらでベートーヴェンの交響曲第3番をピアノ四重奏(Pf, Vn, Va, Vc)にアレンジしたものをご紹介しました。それは、おそらくフランツ・クレメントという人が編曲を行ったと思われるものだったのですが、その時に「弟子のフェルディナント・リースの編曲もある」とも書いておきました。その「リース版」が新譜としてリリースされてしまいました。物好きな人はどこにでもいるものなんですね。
今回のCDでは、オランダのピリオド楽器の集団、「ファン・スヴィーテン・ソサエティ」によって演奏されている、というのが最大の特徴でしょう。ですからもちろん使われている楽器は、「ピアノ」ではなく「フォルテピアノ」です。さらに、以前のCDでは「3番」1曲しか入っていなかったものが、ここでは「5番」も入っていますよ。こちらの編曲はベートーヴェンと同時代の作曲家、ヨハン・ネポムク・フンメルによるものです。ただ、編成は同じ四重奏ですが、ヴィオラの代わりにフルートが入っています。
「3番」の編曲は、クレメントとリースとではかなりの違いがありました。おそらく、それぞれの得意な楽器の違いが現れたことなのでしょうが、クレメントに比べるとリースの編曲ではピアノの活躍の度合いが高くなっているように感じられます。例の第4楽章のフルートの大ソロも、ヴァイオリンではなくピアノになっていますし。それを受けて、今回のフォルテピアノの演奏家、バルト・ファン・オールトはかなりハイテンションな音楽の作り方によって、とても雄弁な「主張」を行っています。ですから全体のアンサンブルも、アルバム・タイトルの「サロン・シンフォニー」などというようなちょっと生ぬるいテイストとは無縁の、まさにベートーヴェンが込めた思いがこんなチープな編成にもかかわらずビシビシ伝わってくるというものに仕上がっているのです。
例えば第2楽章の「葬送行進曲」では、冒頭はクレメント版と同じピアノパートのソロで始まるのですが、そこで本来は低弦が入れる印象的な前打音が、ここでのフォルテピアノでは恐ろしいまでの存在感を持って迫ってくるのです。この楽器のちょっと鄙びた音色が、弦楽器のガット弦の響きと相まって、独特な音世界を展開していることも見逃せません。
前のCDの時に指摘した第1楽章の544小節目の2つ目の音は、ここでもフラットが付けられていました。今回のピリオド楽器の響きの中でこれを聴くと、この時代の様式の中では、こちらの方が正しいのではないか、というような気がしてきます。ここをナチュラルにすると、確かに現代人の耳には自然に感じられるのでしょうが、それはあくまで19世紀後半から20世紀にかけての和声感、もしかしたら、ここをフラットだとしたブライトコプフの新版では、そこまで考慮されていたのかもしれませんね。
カップリングの「5番」でのフンメルの編曲は、オリジナルを忠実になぞったリースとはちょっと違う立場からの、フンメル独自の改変があちこちで見られます。ですから、時折オリジナルとは異なったリズムや、全く聴きなれない音型が登場してハッとさせられます。これもやはり、単なる「サロン風」のリダクションというだけにはとどまらない、確かな作曲家の主張が感じられる編曲です。
その中で、ピアノ(フォルテピアノ)、フルート、ヴァイオリン、チェロという楽器編成は、唯一の管楽器であるフルートの存在によって、本来ならかなりの緊張感を与えてくれるはずのものに仕上がっています。このフルートは、元々のフルートのパートには全くこだわらない、かなり自由な使われ方をしていますからね。ところが、これを演奏しているマリオン・モーネンという人が、いくらピリオド楽器でもそれはないだろう、というぐらいのいい加減なピッチのために、そんな編曲者の目論見が台無しになっています。

CD Artwork © Quintone Records
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by jurassic_oyaji | 2015-08-16 20:38 | 室内楽 | Comments(0)
Munich Opera Horns
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Antonia Schreiber(Hp)
Kent Nagano/
Audi Jugendchorakademie(by MartinSteidler)
Munich Opera Horns
FARAO/B 108084




どこを探してもアルバム・タイトルらしいものが見つからないので、とりあえずメイン・アーティストと思われる「ミュンヘン・オペラ・ホルンズ」をタイトル代わりにしておきました。ジャケットにはそのほかに指揮者と合唱団、そして作曲家の名前が6通りほど印刷されていますが、そこが一番先に書いてありましたから。しかし、ブックレットの最初のページやインレイの表記では、「アウディ・ユーゲントコールアカデミー」が一番上にあるので、それがメインなのかな、とも思えてきます。その違いは結構重要、このCDはホルン・アンサンブルのアルバムなのか、合唱団のアルバムなのか、という違いですからね。
でも、代理店の「キングインターナショナル」のインフォには、「2つのオペラ作品を合唱と10本のホルン用に編曲し」とはっきり書いてありますから、これは間違いなく合唱団のアルバムなのでしょう。きっとオペラの中の曲を、それこそクリトゥス・ゴットヴァルトのように編曲して、合唱と、そしてホルン(「10本」というのがすごい!)を加えて演奏しているのでしょう。それはとても興味がありますね。
ところが、前半のブラームス、シューマン、シューベルト、そしてストラヴィンスキーの、それぞれ2本から4本のホルン(ブラームスではハープも)が加わった「合唱曲」を楽しんだ後に、まずワーグナーの「聖金曜日の奇跡」が始まると、確かに「10本」のホルンによる勇壮な音楽は聴こえてきますが、どこまで行っても編成はそれだけ、最後まで合唱が出てくることはありませんでした。さっきの「キングインターナショナルのインフォ」は、全くのデタラメだったのですよ。まあ無理もないと言えば言えないこともありません。なんせ、担当者がこういうインフォを作る時には資料だけ読まされて音も聴かずに書かなければいけないというようなケースはざらですから、ついいい加減なことを書いてしまうことだってあり得ますからね。
とは言っても、結果的にはこれは明らかな「誤報」、そしてCDを買ってしまった人にとってはそれは紛れもない「欠陥商品」なのですから、販売店としてはこの事実が明らかになった時点では何らかのアクションを取るべきだったはずです。それがまっとうな商売というものではないでしょうか。まあ、この業界はまっとうではないと言ってしまえばそれまでですが。
もちろん、これは別にこのCDを制作した人の責任ではありません。これはこれで、なかなか興味深いものではあります。ケント・ナガノは2013年までバイエルン州立歌劇場(つまりミュンヘン・オペラ)の音楽総監督を務め、現在は今を時めくキリル・ペトレンコがそのポストにあります。ですから、これはその前に録音されたものです。このオペラハウスのオーケストラの9人のホルン奏者にもう一人のゲストを迎えて、フランツ・カネフツキーによって10人のホルンのために編曲されたワーグナーとシュトラウスが最後に収録されています。「聖金曜日の奇跡」をホルンだけで演奏するのはちょっと苦しい気がしますが、「ばらの騎士」では、なかなか気のきいた編曲が楽しめます。なんたって、この長いオペラの最初と最後だけはきっちり押さえているのですからね。はっきり言って無駄なリリシズム全開の、第1幕の「テノール歌手」のアリアまでしっかり入っていますよ。
前半の合唱曲は、ブラームスの「4つの歌」と、ストラヴィンスキーの「4つのロシア農民の歌」は女声だけ、シューマンの「狩りの歌」とシューベルトの「森の夜の歌」は男声だけという編成です。名前の通り、同じバイエルン州の大企業、メセナにも積極的な自動車メーカー「アウディ」が作った合唱団の女声はいかにも「若い」人たちの初々しさが感じられますが、男声はベースがなんとも情けなくて、がっかりさせられます。もっとユルい曲の方が、この男声には合うで

CD Artwork © FARAO classics
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by jurassic_oyaji | 2015-07-16 20:14 | 室内楽 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.3(version for piano quartet)
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Peter Sheppard Skaerved(Vn)
Dov Scheindlin(Va)
Neil Heyde(Vc)
Aaron Shorr(Pf)
MÉTIER/MSVCD 2008




ベートーヴェンの時代には、音楽の「パトロン」はそれまでの貴族階級から裕福な一般市民へと移行していきます。彼らは、演奏会で実際のオーケストラ作品を聴くこともありましたが、それを「ご家庭」で楽しむために、少人数でも演奏できるように編曲された楽譜を求めるようにもなりました。今のようなオーディオ装置などはまだ発明されていませんから、もちろん、サラウンドや、ましてや「ドルビーアトモス」などはあるわけがありませんから、そんな風にちょっとサイズ・ダウンしたものを実際に演奏するしかありませんでした。そんなマーケットを見据えて、出版社や、あるいは作曲家自身が編曲した楽譜が発売されるようになってきます。
「交響曲第3番」の場合は、弟子のフェルディナント・リースに編曲をさせたものが残っていて、そのCDも出ているそうですが、ここではベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が初演された時のソリスト、フランツ・クレメントがおそらく編曲したであろうとされている、リースと同じピアノ四重奏(ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)の形のものが演奏されています。
そんな珍しいものを録音したのは、イギリスのヴァイオリニスト、ピーター・シェパード・スケアヴェッドを中心とするアンサンブルです。ラブホじゃないですよ(それは「スクエアベッド」)。彼は、ここでピアノを弾いているアーロン・ショーアとともに、1999年から2000年にかけてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲を録音していましたが、これはそれに引き続いて2003年に録音されたものです。10年以上経ってのリリースですね。
曲全体は、なんとものどかな雰囲気で演奏されています。これは、演奏というより編曲自体が、例えばピアノのパートが割と淡々と書かれているように、いかにも「サロン風」なものに仕上がっているせいでしょう。ですから、この編曲からオリジナルが持っている精神をくみ取ろうというのが、そもそも間違っているのかもしれません。逆に、現代音楽なども得意としているスケアヴェッドは、あえてそんな編曲の「弱さ」を表に出しているのでは、とすら感じられてしまいます。フィナーレのフルートによる大ソロはヴァイオリンに置き換えられていますが、そこではピッチも少し不安定にして、いかにも「アマチュア感」を演出しているようです。
ところで、第1楽章の544小節では、一瞬聴きなれないフレーズが出てきて驚かされます。

それは、赤丸の部分が「Bナチュラル」ではなく「Bフラット」で演奏されているため。これは、原資料でもちょっと曖昧なところがあって、

ベーレンライター版ではカッコつきの「ナチュラル」になっていますから、ここには何も臨時記号が付いていなかったことになります。つまり、次の小節に本来必要のないフラットが出てくるので、ここはナチュラルだったのだろう、という推論の上でのナチュラルなのですね。もちろん、この方が旋律的にも自然ですから、今世界中にある「エロイカ」の録音の100%近くは、ここは「ナチュラル」で演奏されているはずです。しかし、クレメントがこの編曲を行った時には、その「間違った」楽譜しかありませんでしたから、それに忠実に従っただけなのでしょう。
ところが、ベーレンライターより少し遅れて新しい校訂楽譜の出版を始めたブライトコプフの楽譜では、なんとこの個所が「フラット」になっているのですよ。


この校訂を行ったペーター・ハウシルトは、以前は東ドイツ時代のペータース版の校訂にも携わっていました。このペータース版の現物は見ることが出来ませんが、おそらくブライトコプフ版と変わらないものでしょう。ところが、このペータース版を使って録音された、と明示されているクルト・マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の録音を聴くと、ここは「ナチュラル」なんですね。不思議な話です。ですから、ここを「フラット」で聴けるのは、世界中でこのスケアヴェッド盤ただ一つなのかもしれませんよ。

CD Artwork © Divine Art Ltd
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by jurassic_oyaji | 2015-07-06 21:28 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART/Gran Partita, Requiem
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I Solisti del Vento
I SOLISTI RECORDS/ISR06351




この「管楽器のソリストたち」という意味のイタリア語の名前を持つ、1991年に結成されたベルギーの管楽器アンサンブルは、今まで多くのレーベルからCDを出していましたが、2013年には、ついに念願の自分たちのレーベルを作りました。これは、そこからリリースされた最初のアイテムとなります。録音されたのは「レクイエム」が2009年、「グラン・パルティータ」が2010年です。
さりげなく、「レクイエム」などと書いてしまいましたが、これはもちろんモーツァルトの遺作となり、結局未完に終わってしまったあの作品のことです。それを、歌を入れないで、管楽器だけの団体であるこの人たちが演奏するというのですね。いったいどんなことになるのでしょう。ただ、こちらなどでご紹介したように、この作品を楽器だけで演奏した試みは過去にはありました。この場合は弦楽器だけでしたが、今回は、それを管楽器だけで行おうというのでしょうか。
ここで「編曲」を行っているのは、オランダの若い作曲家クリスティアン・ケーラーです。彼は、かつてこの団体のためにR.シュトラウスの管弦楽曲を管楽器の合奏のために編曲したこともあるそうで、そんな実績が買われたのでしょう。ただ、その編曲のタイトルを見ると、オリジナルよりもかなり少なくなっていますし、演奏時間も20分しかありません。まあ、ジュスマイヤーが「捏造」した曲を除くというのは考えられますが、それ以外にもかなり減ってます。さらに、ブックレットには「Dies irae」を編曲した楽譜の最初の部分があるのですが、なんだか原曲とはかなり異なる感じがします。
確認してみると、この編曲での楽器編成は、カップリングとなっている「グラン・パルティータ」と全く同じ12の管楽器とコントラバスというものでした。そして、楽章の数も7つと、両方とも同じようになっています。つまり、これはさっきの弦楽四重奏版とは全く異なるコンセプトによって編曲されたものだということになります。言ってみれば、「レクイエム」を「グラン・パルティータ」の鋳型に流し込んだものになるのではないでしょうか。
しかし、実際に聴いてみると、これはそんな生易しいものではありませんでした。そもそも、「Introitus」が始まっても、聴き慣れたフレーズが全く現れません。そのうち、なんとなくそれっぽいものが聴こえては来るのですが、なんか違います。そう、これは「編曲」などというおとなしいものではなく、「レクイエム」の素材を使った「再構築」という名の「作曲」だったのですよ。
そんな手の内が分かってしまえば、あとはケーラー君との対決です。彼が仕掛けたこの「作曲」にとことん付き合ってやろうじゃないですか。そうすると、彼はいろいろ面白いことをやっていることも分かってきます。痛快なのは「Lacrimosa」では、モーツァルトが作ったところまでしかないということです。そのあとは、それまでに出てきたテーマなどを断片的に聴かせるだけですからね。
もう一つ、彼はこの中でモーツァルトの別の作品を「引用」したりしています。言ってみれば「パロディ」ですね。「ネタバレ」になるのでここには書きませんから、ぜひ探してみてください。そんなわけですから、これは背筋を伸ばして聴くような「レクイエム」では決してありません。故人の楽しかった人柄を思い出して、まったりとくつろいだら、いいのではないか、なんて気がします。
これには指揮者が付きましたが、「グラン・パルティータ」には指揮者はいません。一応ファゴットのメンバーがイニシアティブをとっているようですが、そこから生まれるとことんのびのびとした音楽には惹かれます。もちろん楽譜は新全集、第5楽章の「ロマンス」で、コーダの前の1小節をカットするのは、もう完全に浸透した習慣となったようですね(正しい楽譜はこうだ、とか)。

CD Artwork © I Solisti Records
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by jurassic_oyaji | 2014-10-25 22:37 | 室内楽 | Comments(0)
RICHTER/Seven String Quartets
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casalQuartett
SOLO MUSICA/SM 184(hybrid SACD)




今まで、このレーベルからリリースされている「弦楽四重奏の誕生」という2枚のアルバムによって、そういうアンサンブルの初期の形態から、ハイドンあたりによって完成された姿を俯瞰するという試みを行ってきたスイスの団体カザル・クァルテットの最新アルバムは、その第3弾として、フランツ・クサヴァー・リヒターの7曲の弦楽四重奏曲を収めた2枚組のSACDとなりました。サブタイトルは「GENESIS 1757」。リヒターがマンハイムの宮廷楽団の作曲家を務めている間に作られたこれらの作品は、まさにこのジャンルの「起源」にふさわしいものであることから、このアルバムはこのようなタイトルを付けることになったのでしょう。そして、そのあとの数字は、おそらくこれらが作られた年が1757年であることを示しています。
この「作品5」という曲集は、最初に出版されたのが1768年でしたが、その時には全部で6曲しかありませんでした。それが、1772年に出版された第2版になると、ト短調の曲(作品5/5b)が加わって全7曲となっています。この7曲がすべて演奏されている録音というのは、今回のものが最初なのだそうです。
ただ、これらが実際に作曲されたのがいつなのかは正確には分かってはいませんでした。しかし、ある音楽学者によると、同じ時代の作曲家、ヴァイオリニストのカール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフが亡くなる直前に長男に向かって語ったとされる「回顧録」によって、その年代が1757年であることが特定されるのだそうです。そこでは、当時ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公子ヨーゼフの元にいたディッタースドルフが、その年の冬のある日、悪い予感があったので(彼の言葉では「何か、背中を冷たい手で触られたような気がして」)ソリすべりの誘いを断り、兄弟たちと一緒に、仲間が手に入れたばかりの「リヒターの新しい弦楽四重奏曲」を試演していたことが述べられています。そこではコーヒーの香りと葉巻の紫煙が漂っていたのだとか。と、そこに、さっきのソリが事故を起こして、乗っていた人が亡くなってしまったという知らせが。ディッタースドルフは「リヒターの弦楽四重奏曲」のおかげで命拾いをしたのですね。
1757年と言えば、あのハイドンが最初の交響曲を作った年になります。このリヒターの弦楽四重奏曲も、ほとんどはそのハイドンのそのころの交響曲と同じ急-緩-急の3楽章形式によったもので、第1楽章はソナタ形式で作られています。リヒターの作品の中にはバロック風の様式が見出せるそうですが、確かに「作品5/2」の終楽章では「フガート」という表記でポリフォニックな扱いが見られます。しかし、それも旋律線などはもろ「古典派風」のものです。アルバムのタイトルには「起源」とありますが、たしかにこれらはしっかり「古典派」(「前古典派」と言うべき?)の様式の中で作られているように感じられます。
そんな作品を演奏しているカザル・カルテットは、1996年に作られたスイスの若い団体。17世紀から、現代の「タンゴ」までをレパートリーにしているという活きのいいグループですが、ここでは全員がオーストリアのヴァイオリン制作者ヤコブス・シュタイナーの17世紀半ばに作られた楽器を使っています。もちろん、弓もバロック・ボウです。このSACDは、アンドレアス・プリーマーというエンジニアが写真入りで紹介されているほど「音」にはこだわったものですから、そんなピリオド楽器のニュアンスは、とてもよく伝わってきます。特に、ヴィオラが大活躍するパッセージ(これも、しっかり弦楽四重奏のフォルムが固まっていた証)などでは、独特の音色と肌触りがぞくぞくするほどのなまめかしさで伝わってくるという、すごい録音です。
もちろん、メンバー全員が伸び伸びと演奏している様子もリアルに伝わってきますよ。
ジャケットのトラック表示で、1枚目は「トラック4」2枚目は「トラック4、8」が抜けていますから、ご注意を。

SACD Artwork © casalQuartett
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by jurassic_oyaji | 2014-09-13 20:30 | 室内楽 | Comments(0)
BRAHMS/Hungarian Dances
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Duo Praxedis
Praxedis Hug-Rütti(Hp)
Praxedis Geneviève Hug(Pf)
PALADINO/PMR 0051




ブラームスの「ハンガリー舞曲」は、オーケストラ作品として、オーケストラの演奏会のアンコールには欠かせないレパートリーになっていますが、そもそもの形態はピアノの4手連弾でした。全部で21曲作られ、出版されていますが、この曲集には「作品番号」は付けられていません。その代わり、後に「WoO 1」という番号が与えられています。これは「Werke ohne Opuszahl」、つまり、「作品番号が付いていない作品」の「第1番」ということになります。作品番号が付いていないのに「番号」が付いているというのは明らかな矛盾ですが、そこには様々な事情があるのでしょうから、笑って許してあげましょう。この場合の「事情」は、ここに現れるメロディはブラームスがジプシーの曲を「採譜」しただけで、自分のオリジナルではないことから、このような措置を取ったのだ、と言われていること。あくまで、「編曲」ということで、「作品」には含めなかったのでしょう。
もちろん、こんな有名な曲ですから今までに多くの楽器のために編曲されてきました。そんな中でも、今回のハープとピアノという組み合わせはとてもユニークなものなのではないでしょうか。でも、もともとのジプシーの音楽にはよく登場するツィンバロンという楽器は、なんとなくハープとの共通点があるような気がしますから、もしかしたらそういう意味での相性がいいのでは、と編曲者は考えたのかもしれません(編曲者の名前はクレジットされていません)。
ここでの演奏者は、「デュオ・プラクセディス」というチームです。整体師ではありません(それは「カイロ・プラクティック」)。ハープがプラクセディス・フーク=リュッティ、ピアノがプラクセディス・ジュヌヴィエーヴ・フークというお二人、ジャケットの写真を見ると同じようなドレスを着て顔もよく似ていますから、姉妹なのでしょうか。あのラベック姉妹の若い頃みたいな感じですかね。でも、よく見てみると、左側の人の手は静脈が浮き出ていてなんかお肌に張りがありません。もしや、と思ってライナーを見ると「スイスの母と娘のデュオ」と書いてあるではありませんか。えーっ!ということは、片方は「今」のラベック姉妹ですね。それにしてもこの若づくりには驚かされます。
「母」の方はハープを弾いている人でした。確かに、他の写真を見てみるとドレスの胸の開き方が微妙に違ってたりしますね。いったいお幾つなのでしょうね。ところが、容姿はそのようにどんな風にも飾る(ごまかす)ことは出来ますが、演奏の腕はまさに年に見合った衰え方を見せているのが、とても悲しいところです。
この編曲、オリジナルのピアノ版を尊重しているようですが、ハープは基本的に「プリモ」のパート、たまに「セコンド」と入れ替わる、というプランです。ですから、細かい十六分音符が並ぶところがたくさん出てきますが、それが悲惨そのもの、とても楽譜通りには弾くことが出来なくてオタオタしている姿は、耳を覆いたくなるほどです。しかも、そんな醜態を少しでもカバーしたいとでも思っているのでしょうか、時折高音のアコードで、とてもハープとは思えない、まさに無理やり弦をひっぱたいているような荒っぽい音で、自らの存在を「主張」しようとしていますから、こうなるともはや音楽とは言えなくなってしまうほどです。ピアニストでもいますよね。お年を召されて指なんかもう回らなくなっているので、早いパッセージはごまかすし、弾けるところだけ力いっぱい叩きつける、という人が。そんな、完璧に「老醜」をさらけ出しているのが、この「母」なのですよ。
たまに、「セコンド」になると、ハープならではのアルペジオが、とても美しく響いてくるところがあります。これが出来るのに、なぜこんな弾けもしないような編曲を施したのか、とても不思議です。いずれにしても、こんなものを商品にしたレーベルの良心は疑われても仕方がありません。

CD Artwork © Paladino Media GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-09-01 20:41 | 室内楽 | Comments(0)
STRAVINSKI/Le Sacre du Printemps, MUSSORGSKI/Tableaux d'une Exposition
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Pentaèdre
ATMA/ACD2 2687




こちらで、木管五重奏(+アコーディオン)の伴奏による「冬の旅」を披露してくれていたカナダのアンサンブル「ペンタドル」が、今回はなんと「春の祭典」と「展覧会の絵」に挑戦です。
まずは、木管楽器だけでもそれぞれ5人のメンバーが必要とされる「5管編成」で書かれている超大編成の曲、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を、たった5本の管楽器だけで演奏しようという、無謀とも思える試みです。とは言っても、演奏するのは5人でも、それぞれ別の楽器を「持ち替え」でとっかえひっかえ使っていますから、楽器自体は本当は10本以上あるのですがね。例えば、フルーティストは普通のフルートのほかにピッコロとアルトフルート、オーボエ奏者はオーボエ、オーボエ・ダモーレ、コール・アングレといった具合です。
確かに、この曲はオーケストラが全員で大音響を提供する場面も少なくありませんが、それと対照的なほんの少しの楽器しか使っていないところも結構あるのですね。なんたって、曲の頭はファゴット1本だけで始まるのですから。そのあたりの、主に管楽器だけで絡み合う部分では、確かにほとんどオリジナルと変わらないようなサウンドが実現できています。
しかし、弦楽器がパルスを刻み始める「春の兆し(乙女たちの踊り)」あたりから、なんだか様子がおかしくなってきます。どうしても、この部分では60人ぐらいの弦楽器奏者が一斉に音を出すという「トゥッティ」の感じがしっかり刷り込まれていますから、それをファゴットとオーボエだけで演奏されてしまうと、そのあまりの軽さには違和感を通り越して怒りのようなものまで湧いてきます。彼らは「音」を埋めさえすれば、「音楽」までも再現できると思っているのかもしれませんが、この曲に限ってはそれは完璧に不可能なことであることを思い知るだけのものでしかありませんでした。本当に「ご苦労さん」と言ってあげたい気はしますが、それは全くの徒労に終わっていたのです。
一方の「展覧会の絵」は、編曲を行ったシュテファン・モーザーがライナーに書いているように、よく知られているモーリス・ラヴェルのオーケストラ編曲版ではなく、あくまでオリジナルのピアノ・ソロを元に編曲されていますから、「春の祭典」とは逆に楽器を増やす作業になります。こちらの方が、おそらく勝率は高くなるはずですね。
ただ、かわいそうなことに、この曲の場合はピアノ曲よりはラヴェル版の方がはるかに良く聴かれていますから、この、ほぼピアノ譜にある音だけを音にしたような編曲を聴くと、何か物足りないものを感じてしまうのですから、困ったものです。そんな中で、あえてピアノ版(もちろん、ラヴェルが下敷きにしたリムスキー=コルサコフ版ではなく原典版)の特徴を際立たせようとしているところは、好感が持てます。それは、「ビドロ」の始まりの部分を、コントラファゴットでブイブイと元気よく吹かせているところなどに現れています。この曲は、本当はこのようにffで始まるのって、知ってました?アーティキュレーションなども、ラヴェル版とは違うなと思ったところのピアノ譜を見ると、確かにそんな風になってましたし。
1ヵ所だけ、ピアノ版にはないようなことをやっているのが、「カタコンブ」の次の「プロムナード」にあたる「Cum mortuis in lingua mortua」です。本来は右手のオクターブの「トレモロ」だったものを、ピッコロの「トリル」に変えとりるのですね。確かに管楽器ではこんなトレモロはフラッター・タンギングでも使わないと無理でしょうから、これは仕方がありません。
エンディングが、とてもあっさり終わってしまってちょっと拍子抜けでしたが、これもラヴェル版の刷り込みによる誤解でした。ピアノ版では13小節しかないものを、ラヴェルはなんと21小節に「水増し」していたのですよ。これは、新たな発見でした。

CD Artwork © Atma Classique

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by jurassic_oyaji | 2014-01-18 21:08 | 室内楽 | Comments(0)