おやぢの部屋2
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カテゴリ:室内楽( 31 )
SCHUBERT/Octet
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Markus Krusche(Cl), Daniel Mohrmann(Fg)
Christoph Eß(Hr), Alexandra Hengstebeck(Cb)
Amaryllis Quartett
GENUIN/GEN 13269




2011年にこのレーベルから「White」というアルバムでデビューしたアマリリス・クァルテットは、その年にはメルボルンの国際室内楽コンクールで優勝し、翌年には日本でもコンサートを開くなど、最近とみに人気が出てきている、とても若いアンサンブルです。ヴァイオリンのグスタフ・フリーリングハウスとレナ・ヴィルト、ヴィオラのレナ・エッケルスはドイツ出身、チェロのイヴ・サンドゥはスイス出身です。そのファースト・アルバムはハイドンとウェーベルンという斬新なカップリングでしたが、2013年には「Red」というタイトルの、今度はベートーヴェンとベルクという組み合わせのセカンド・アルバムをリリースしました。
その2枚のアルバムの間、2011年の暮れに録音されたのが、このシューベルトです。八重奏曲ですから、管楽器が3人と、コントラバス1人の同じ世代のゲストが参加しています。
このクァルテットを聴くのはこれが初めてです。このCDで彼らだけのパートを聴いていると、正直、それほど個性的な団体とは思えないような、ちょっとおとなしい印象がありました。しかし、そこにかなりの曲者である他のメンバーが加わることによって、なんともものすごい「化学反応」が起こっています。
中でもその鋭利な音楽性でアンサンブルをリードしているのが、クラリネットのクルシェでしょう。彼は、とてつもないピアニシモを駆使することで、このサロン音楽から優雅さのようなものを一切そぎ取り、息苦しくなるほどの緊張感を与えています。それが端的に見てとれるのが第2楽章のAdagioです。終始テーマを与えられている彼のクラリネットが主導権を握っているこの楽章では、他の誰も「のびのびと歌う」などということは許されません。「音楽は、楽しむもの」と考えている人にとっては、もしかしたらそれは耐えがたい体験なのかもしれませんが、いつの時代の音楽でもそこから何かしらのメッセージを受け止めたいと思っている人にとって、これほど魅力的な演奏はありません。
それに対して、ファゴットのモーアマンの場合はもう少し楽天的、ちょっととぼけた音色も手伝って、クラリネットとは全く逆のベクトルで音楽に彩りを与えています。そんな二人が一緒にハモる時には、たがいに寄り添って見事に溶けあうのですから、素敵です。そこへ行くと、ホルンのエスは、孤高の道を行くという不思議なスタンスでアンサンブルに参加しているように見えます。その結果、ほとんどサプライズのような形で、音楽に巧みにアクセントが付けられていることを感じるはずです。ほんと、彼のパートがこんなことをやっていたことに気づかされる瞬間が何度あったことでしょう。
最後の楽章の序奏では、そんな8人のエネルギーが集積した、ものすごいダイナミック・レンジが披露されています。そこには、殆ど「シンフォニー」と呼んでもかまわないほどの壮大な風景が広がっています。それを受けて、例のちょっと「字アマリリス」の感のあるテーマが、エネルギッシュなフレージングで雄々しく歌われると、そこからは「ウィーンの情緒」などというものはすっかり消え去ります。これはそういう音楽だったのですね。シューベルトの晩年に作られたこの作品は、いかにもウィーン情緒たっぷりという印象が植えつけられていたものですが、それはムローヴァたちの演奏によって、大きくイメージが変えられてしまいました。そして、今回のCDでは、この曲の更なる可能性を知ることが出来るのですから、面白いものです。おそらく、子供のころに聴いた「名曲」などというものは、最新の演奏で聴きなおしてみると全く別の曲のように聴こえてしまうのかもしれませんね。それは、もしかしたらちょっと「不幸」な体験なのかもしれません。しかし、その先には確かな充足感が待っているはずです。

CD Artwork © GENUIN classics GbR
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by jurassic_oyaji | 2013-09-24 20:13 | 室内楽 | Comments(0)
Amazing Duo
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Jörg Baumann(Vc)
Klaus Stoll(Cb)
CAMERATA/CMBDM-80001(BD)




現代のレコーディングの現場では、30年以上前にCD(コンパクト・ディスク)の規格として制定された16bit/44.1kHzという解像度のPCMなどはすでに使われることはなく、CDを制作する際にはまず高解像度のスペック(具体的には、24bit/48-192kHzの非圧縮PCMもしくは1bit/2.8-5.6MHzDSD)で録音したものを最終的にCDの規格まで「落とす」ということが行われています。もうお正月は終わりましたが(それは「おとそ」)。CDが誕生した頃にはその音質が絶賛されたものですが、今となってはかつてのアナログ録音には到底及ばない音であることは常識となっています。そこで、CDに代わる、耳の肥えたオーディオ・ファンにも満足のいくようなもっと良い音のメディアとして2000年ごろに登場したのが「DVDオーディオ」と「SACD」です。
実は、映像メディアの場合、その音声部分ではかなり早い時期から高解像度のスペックが採用されていました。ですから、DVDで音声だけをメインとして、CD以上の音質を追求することは、ごく自然の成り行きだったのでしょう。さらに、それとは全く別の発想で、PCMとは異なる理論によるデジタル録音の方式、DSDを採用したSACDも実用化されたのです。
その後の成り行きは、ご存じのとおりです。DVDオーディオにしてもSACDにしても、殆ど世の中に広がることはなく、この世から消え失せてしまいます。事実、現在ではDVDオーディオを再生できるプレーヤーはほとんどありません。しかし、一度見捨てられたかに見えたSACDはしぶとく生き残り、今まで主流だった、CDとの互換性もある「ハイブリッド」タイプではなく、あくまでSACDに特化してさらなる高音質を追求した「シングル・レイヤー」タイプが出現するに至って、オーディオ・ファンを中心に圧倒的な支持を受けるようになっています。
これで、「ポストCD」はSACDで決まりかと思われた頃、突然「BD(ブルーレイ・ディスク)オーディオ」なるものが登場しました。いや、日本国内で初めての商品が出たのは昨年の12月ですが、外国のメーカーの輸入盤ではそれ以前からこのメディアは流通していました。このページでも、今までに2LNAXOSSONO LUMINUS、さらに別格のDECCABDオーディオ(メーカーにより、名称は微妙に異なりますが、中身は同じもので)をご紹介してきています。
これらがアピールしているのは、SACDのように専用のプレーヤーがなくても、今ではかなり一般家庭に普及しているBD再生機器があれば、それをそのまま使えるという点です。なにはともあれ、「日本で最初」にリリースされた3つのアイテムの中から、オリジナルは1975年のアナログ録音だったこのタイトルを聴いてみましょうか。比較のために、同じもののCDも購入します。
このBDでは、すべての曲が24/96と、24/192の2種類の解像度で収録されていますから、同じPCMでもスペックの違いによる音の違いを聴き比べることが出来ます。確かに、その違いははっきり聴き分けることが出来ました。16/44.1CD)→24/9624/192となるに従って、そうですね、木像にたとえれば、大雑把な外観しか掘られていなかったものが、次第に顔の表情の細かいところまでくっきりと出来上がっていく、といったような感じでしょうか。ただ、192になってしまうと、あまりに細かいところにこだわってしまったために、全体像がちょっと歪んでしまったような印象も受けてしまいますね。この3つの中で、最も元のアナログ録音に近いのではないか、と感じられたのは、意外と24/96でしたし、杉本さんのマスタリングによるCDも、なかなか健闘していたように思えました。
操作性は、かなり問題があります。操作用のディスプレイが、演奏が始まると消えてしまうのですね。輸入盤ではそんなことはありません。
2通りの音源が入っていても、ディスクには4.4GB程度のデータしか入っていませんでした。これだったら、DVDでも楽々収録できます。このメディアが、完全にぽしゃってしまったDVDオーディオの二の舞にならなければいいのですが。

BD Artwork © Camerata Tokyo Inc.
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by jurassic_oyaji | 2013-01-14 21:08 | 室内楽 | Comments(2)
BACH/TAKAHASHI/The (Electronic)Art of the Fugue
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高橋悠治(Syn)
DENON/COCO-73258




先日のゴールウェイのテレマンと同じ時期に、こんな懐かしいアイテムがリリースされていました。1975年のLPCD化です。もっとも、CD自体は1991年に出ていたのですが、その時には気づかずに、お値段がお安くなってからの今回のリイシューでめでたくゲットです。
この頃の悠治は、開発されたばかりの「デジタル録音」を駆使して、DENONレーベルにバッハを始めとした多くのレパートリーを立て続けに録音していました。「ノイズのないクリアな音」というのが売り物だったはずですが、確かにメリハリのきいたシャープな音でした。ただ、もちろんその頃はまだCDはありませんでしたから、LPのサーフェス・ノイズなどが邪魔をしていて、完全に「ノイズがない」というわけにはいきませんでしたけれど。
ですから、市場にCDが出回って、このような初期のデジタル録音の音源がCD化された時には、大きな期待を持ったものです。ところが、実際に聴いてみるとその音はそれほど良くはないのですね。一番がっかりしたのは、1977年に、悠治とロバート・エイトケンが共演して録音された福島和夫の作品集です。その中に入っているフルート・ソロの作品「冥」などは、なんとも薄っぺらな音で、LPでは確かに聴けたはずの息づかいが、まるで伝わってこなかったのですよ。
今になれば、その原因はいくつか思い浮かべることが出来ます。まずは、マスタリングの技術が確立されていなかったこと。このCDも、後に再発された時にはいくらかマシな音になっていましたね。しかし、もっと大きな要因は、初期のDENONCDとのスペックの違いです。ご存じのように、CDではサンプリング周波数が44.1kHz、量子化ビット数が16bitという規格が定められていますが、同じ「デジタル」でもDENONの場合は1977年の時点では47.25kHz/14bit、さらに、もう少し前だと47.25kHz/13bitでしたから、「CD以下」のスペックだったのですよ。もちろん、それは今にして思えば「アナログ以下」ということになるのですがね。
この「フーガの(電子)技法」は、バッハの「フーガの技法」をシンセサイザーで演奏したものです。使われている「楽器は」、ワルター(ウェンディ)・カーロスや冨田勲がメインで使っていたモーグのモジュラー・シンセサイザーと、当時は「現代作曲家」の間ではなぜか好まれていた「EMS」という、こちらは今のノート・パソコンのように畳んで持ち運びの出来るシンセです。もちろん、この頃はまだ「デジタル」のシンセは出来ていませんでしたから、音色やエンヴェロープを決めるのも結構アバウト、さらに、どちらの機種も単音しか出せませんから、マルチトラックで音を重ねていって、多声部の音楽を作らなければなりません。
そして、今とは決定的に違っていたのが、シークエンサーがなかったことです。いや、沖縄のジュース(それは「シークワーサー」)ではなく長いフレーズを入力する機材のことですが、それがまだ使えませんから、キーボードを「手で」弾いてリアルタイムで入力しなければいけなかったのですよ。隔世の感がありますね。
ここではもちろん悠治がその「入力」を行っているのですが、それがかなりいいかげんなのですね。「コントラプンクトゥスVIII」あたりでは、各声部の縦の線がもうメチャメチャ、「フーガ」の体をなしていません。この頃のシンセはピッチも不安定でしたが、その管理も行き届いてはいなかったようで、「完成度」としては、カーロスのSwitched-On Bachの足許にも及ばないものなのです。
このアルバムは、そんな時代の、この「楽器」を使ってなにか新しい体験はできないかと模索していた音楽家の軌跡、として聴くべきものなのでしょう。幸いにも、これはデジタル録音には馴染まないものでしたから、アナログのマスターテープとして残っていました。そこからは、そんなあがきまでもが、生々しい電子音を通して伝わってくるはずです。

CD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-01-11 20:27 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART, SUESSMAYR/Concertos & Quintett for Basset Clarinet
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Luigi Magistrelli(B.Cl)
Italian Classical Consort
GALLO/CD-1353




モーツァルトの晩年の作品、「クラリネット五重奏曲」と「クラリネット協奏曲」は、友人のクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作られたものであることは良く知られています。さらに、最近ではそれらは「クラリネット」ではなく、シュタードラーが開発にかかわった楽器「バセット・クラリネット」で演奏するために作られたことも、ほぼ「常識」となっています。「バセット・クラリネット」というのは胸の谷間で支えて演奏する楽器(それは「バスト・クラリネット」)ではなく、A管のクラリネットの最低音より長三度低い音まで出せるように、管長を伸ばして新たにキーを加えた楽器です(記譜上は最低音が「ミ」だったものが、「ド」まで伸びたということです)。もちろん、モーツァルトはその音域いっぱい、「ド」までの音を使って作曲したのですが、それが出版された時には、そんな特殊な楽器ではなく、ふつうのクラリネットで吹けるようにという営業上の都合で、出版社によって「レ」から下の音が出てくるパッセージがすべて書き換えられてしまいました。そもそも、シュタードラーが使った楽器はそれっきりなくなってしまいましたし、この2曲の自筆稿も消失していたので、後世の演奏家は「クラリネットのために編曲された」協奏曲や五重奏曲をオリジナルだと信じて演奏し続けてきたのですね。
それが、最近の研究によって、この楽器の存在が知られるようになり、楽器も楽譜も復元されてやっと作曲家が書いたとおりの音符が聴けるようになったのは、ご存じの通りです。厳格なピリオド楽器だけではなく、ザビーネ・マイヤーのようなメジャーどころもモダン楽器に手を加えたもので演奏や録音を行っていますから、今ではマニアではなくてもこの楽器は広く知られるようになっているはずです。
このCDも、やはり「モダン」のクラリネット奏者ルイジ・マギステッリが、バセット・クラリネットで演奏したモーツァルトの2つの作品です。さらにもう一つ、ここにはなんと、あのジュスマイヤーが作った「バセット・クラリネット協奏曲」までもが、1楽章だけですが、演奏されていますよ。
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これは、このCDのライナーに載っている、1992年に発見されたという、この楽器の具体的な形状が記された貴重な文献、1794年にシュタードラーがラトヴィアのリガで開催したバセット・クラリネットによるコンサートの広告のコピーです。この中で、モーツァルトの作品と並んで「ジュスマイヤーのクラリネット協奏曲」が曲目となっているのですよ。言ってみれば、このCDはシュタードラーのコンサートを現代に蘇らせたものなのでしょう。
そのジュスマイヤーの協奏曲は、まさに溌剌とした音楽の喜びが満ち溢れたものでした。イントロで単純な三和音のアルペジオが堂々と響き渡るという恥かしさが、すべてを物語っています。時には華麗できらびやかな音形で飾り立て、時にはしっとりと歌い上げるという、どこまで行っても聴く人に楽しんでもらいたいという気持ちがみなぎっているのですね。さらに、途中ではいきなり短調に変わって、それまでと全く違った語り口でさらなる魅力をふりまいていますよ。なんたって、一部の人にはモーツァルトの「レクイエム」の中では最も美しいとさえ言われているあの「Benedictus」を「作曲」した人なのですから、彼の腕は保証付き。そのフレーズはこの楽器のすべての音域をカバーして、しっかりデモンストレーションとしての役割まで完璧に果たしています。
マギステッリの提案で、この協奏曲も、そしてモーツァルトの協奏曲も、オーケストラは各パート一人ずつというコンパクトな編成で演奏されています。たとえばモーツァルトの第1楽章の20小節目などに現れる下降音形に♭がつくという「ムジカ・フィクタ」も難なく処理、彼のバセット・クラリネットは自由な装飾を織り込みつつ、どこまでも軽やかな動きでこの楽器の魅力を存分に振りまいています。

CD Artwork © VDE-Gallo
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by jurassic_oyaji | 2011-11-24 10:29 | 室内楽 | Comments(0)
MILHAUD/MESSIAEN/La Création, la Fin
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Jean-Pierre Armengaud(Pf)
Jan Creutz(Cl)
Paul Klee 4tet
BLUE SERGE/BLS-020




ミヨーの「世界の創造」と、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を並べて、「創造、そして終わり」という、いかにもジャズのレーベルらしい粋なタイトルを付けたCDです。たった69分で世界の始まりから終わりまでを体験できるのですから、なんとお手軽な。
ダリウス・ミヨーの「世界の創造」は、「天地創造」をジャズで仕立てたバレエ音楽でした。それを、ピアノ五重奏に作り直したものが、ここで聴けるバージョンです。オリジナルはなにやら意味深なタイトルが付いた6つの部分に分かれていましたが、この編成ではいとも即物的に「前奏曲、フーガ、ロマンス、スケルツォ、終曲」という5つの組曲風のタイトルが与えられています。
「ジャズ」を象徴的に表していたサックスなどが使われていないせいでしょうか、「前奏曲」はいともまっとうな、それこそハイドンの作品を思わせるようなシリアスな情感をたたえています。しかし、「フーガ」でブルーノートのテーマが出現しさえすれば、あとはもうまごうことなき「ジャズ」の世界が拡がります。クラシックの作曲家が本気で「ジャズ」を作品のモチーフとして取り入れようとしていた(あ、ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」とは別の次元で、ですが)時代のほほえましい名残なのでしょうが、それがあまりに楽天的な姿をさらけ出しているのは、おそらく、ここで演奏しているメンバーの明るい資質に拠るものなのでしょう。
その様な人たちがメシアンを演奏すると、やはりそこには見事に明るい世界が拡がります。ここで新たに加わったクラリネットが、とてもエーラー管とは思えないような明るい音色で、一層盛り上げます。「鳥たちの深淵」での彼のソロは、音色とともに、とてもおおらかな音楽性に支配されているものでした。録音会場がとても豊かな残響を持っているのを考慮したのか、かなり遅めのテンポ設定で、細かい音符の部分でも極力音が濁らないような「安全運転」に終始していることも、切迫性のかけらもない滑らかな音楽を生む要因だったのでしょう。もっと厳しいものを望む向きには物足りないかもしれませんが、これはこれで新鮮な体験です。
ただ、4つの楽器が常にユニゾンという、とても緊張感を要求されるはずの「7つのらっぱのための狂乱の踊り」までもが、いとも隙だらけのユルさで演奏されていると、ちょっとこれは違うのでは、という思いを抱かざるをえません。まあ、全員が同じ方向を向いて強烈なメッセージを放つとまではいかなくても、せめてアインザッツぐらいは合わせてよ、という思いでしょうか。
この曲では、イタリアのピアノ職人、ルイジ・ボルガートが1人で作っているという、他に類似品が見あたらないピアノ、「ボルガート」が使われています。まさに手作りの味わいで最近評判を呼んでいる楽器です。これを弾いているピアニストは、そのピアノの特性を良く知っているのでしょう、とても繊細なメシアンの和声を、思いっきり柔らかい音で届けてくれています。それをバックにチェロとヴァイオリンが息の長いメロディを歌い上げる2つの「頌歌」では、とても贅沢な響きに癒される思いです。チェロが担当する「イエズスの永遠性に対する頌歌」こそ、ちょっとゴツゴツしたチェロの歌い方で余計な力を感じてしまいますが、ヴァイオリンが歌う「イエズスの不死性に対する頌歌」は文句なしの安らぎ感を堪能できます。まるでアナログ録音のような湿り気を帯びた音が、一層のゴージャス感を与えています。
どこまで行っても厳しさには無縁のメシアンでしたが、あのミヨーの流れだったら、こんなのもありなのでしょう。これほどまでに楽しい「世界」に暮らし、なんの天災も受けずに一生を全う出来る人はしあわせです。

CD Artwork © Blue Serge
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by jurassic_oyaji | 2011-11-15 23:09 | 室内楽 | Comments(0)
La Spagna/A Tune through Three Centuries
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Gregorio Paniagua/
Atrivm Mvsicae de Madrid
BIS/SACD-1963(hybrid SACD)




「パニアグア」というのは、営みの衰えを隠すクスリ(それは「バイアグラ」)ではなく、ちょっと前の「古楽」シーンではかなり有名だった人の名前です。もちろん、彼は今まで誰も聴いたことのないような古い時代の曲の楽譜(というか、場合によってはタブラチュア)を探し出してきて、それを実際に「音」にして演奏するという、学術的な意味での「古楽」のリーダー的な存在ではありました。もっとも、それこそ「ギリシャ時代の音楽」などいったいどんなものだったのかなんてことは誰も知らないわけですから、もう「やったもん勝ち」とばかりに、ほとんど「でっち上げ」と変わらないことを堂々とやっていた、と言えなくもありませんが。ただ、その結果、聴いていて楽しいものが出来上がったのであれば、誰もそんなことをいちいち突っ込んだりはしないものです。物珍しさも手伝って、彼のアルバムはよく売れたはずです。
さらに、もう一つの面で、彼のアルバムは注目されました。それは、あまたのオーディオ・ファンをうならせるほど、録音が素晴らしかったのです。さる高名なオーディオ評論家(物故者)が絶賛したことによって、これらのアルバム(まだLPの時代です)はオーディオ・チェックになくてはならないアイテムとなったのです。有名なものは、HARMONIA MUNDIからりリースされた、先ほどの「ギリシャ音楽」などの一連のアルバムです。これらは最近になって、「XRCD」としてリイシューされましたから、その音のすごさを実際に体験された方もいらっしゃることでしょう。
実は、パニアグアはHMだけではなく、BISでもアルバムを作っていました。それが、今回新装なったこのSACDです。1980年に、BISの総裁フォン・バールが自らプロデュースと録音を手がけたもので、2枚組のLPでした。これも、オーディオ的には非常に高い評価を受けたものです。程なくしてCD化もされましたが、とても2枚分は収まらないので、8曲はカットされ、7140秒という当時のスタンダードな収録時間でのCD化でした。
そして、今回のSACD化です。ハイブリッド盤だけを考えると気づかないことですが、SACDレイヤーの収録時間は、CDレイヤーよりはるかに長くなっています。しかも、2チャンネルのステレオ信号だけでマルチチャンネルの信号が入っていなければ、それはさらに長くなります。ですから、今回は1枚のSACDLP2枚分、8722秒が、まるまる収まってしまったのです。さらに、CDレイヤーも、技術の進歩の賜物でしょうか、たった1曲カットしただけの、なんと8226秒という長時間収録が可能になっていたのですね。これって、もしかしたら世界記録?
このアルバムは、「ラ・スパーニャ」という古くから伝わる旋律を素材にした曲を、3世紀のスパンで探し出して並べたものです。有名無名の作曲家の作品、いや、中には「作曲者不詳」のものだってあります。レスピーギが作った「リュートのための古代舞曲とアリア」の中に出てくる「シチリアーナ」という有名な曲も、これと同じ流れをくむものなのでしょう。トラックにして48、それらが様々な「古楽器」によるアンサンブルによって演奏されています。もちろん、それはパニアグアならではの派手なレアリゼーションで、とてもいきいきしたものに仕上がっています。特に打楽器の、ほとんど切れかかったグルーヴが素晴らしいですね。一番気に入ったのは、最後の最後、CDレイヤーからはカットされた「Spaniol Kochesberger」という曲です。銅鑼やグロッケン、さらにはハーディー・ガーディーまで動員しての「中国風」スパニオル(意味不明)には、世間の憂さを忘れさせてくれるたくましさがありました。
録音は文句なし、アナログが最後に到達したものすごい音です。それは、到底CDのスペックには収まりきらないことは、同じトラックをSACDレイヤーとCDレイヤーとで比較してみれば、一目瞭然です。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2011-05-23 20:17 | 室内楽 | Comments(2)
BACH, VIVALDI/Concertos
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Salvatore Accardo(Vn)
Severino Gazzelloni(Fl)
Maria Teresa Garatti(Cem)
I Musici
PENTATONE/PTC 5186 149(hybrid SACD)




PENTATONEというのは、さすがはもとPHILIPSの残党が作っただけあって、今はもう影も形もなくなってしまったそのオランダの名門レーベルのカタログの復刻も熱心に行っています。ただ、このレーベルは「マルチチャンネルのSACDでリリース」というポリシーを掲げている以上、そんなかつてのアナログ、2チャンネルのマスターに関しては、マルチチャンネルを「でっち上げ」ざるを得ません。そこで、「Remasterd Quadro Recording」、略して「RQR」という、それこそ「疑似サラウンド」化されたものが商品としてリリースされることになります。「サラウンド」ではなく「クワドロ」という、昔懐かしい単語を引っ張り出してきたのが興味深いところです。カブトムシの仲間ではありませんよ(それは「クワガタ」)。ところで、PHILIPSは往年の「4チャンネル戦争」ではどの方式をとっていたんでしたっけね?案外、4チャンネルのマスターなんてものがあったのかもしれませんね。
そんな、PHILIPSのアナログ録音のSACDへのマスタリング、今までに相当数(その中には、マズアとゲヴァントハウスのペータース版によるベートーヴェンの交響曲全集なども含まれています)のものがリリースされていたのですが、あいにくそれらを聴く機会はありませんでした。DECCADGでは、なかなかすごい結果が報告されている中にあって、かつてのPOLYGRAM仲間のPHILIPSがどの程度のクオリティのものなのか、最新リリースの「イ・ムジチ」を聴いてみることにしましょうか。
ただ、PENTATONEの場合、必ずしもオリジナルのカップリングやジャケットにはこだわらない方針のようですね。録音年月などは表記されていますが、ジャケットは全く新しいものに変わっています。曲目が、バッハのチェンバロ協奏曲、ヴァイオリン、フルート、チェンバロのための三重協奏曲、そしてヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲ということで、その3つのソロ楽器の一部がデザインされた、一見素敵なものです。ところが、タイトルで隠れる前の写真が、実はブックレットの裏表紙になっているのですが、フルートがこんなことになっていましたよ。
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こんな風にキーが同じ位置に並ぶようにセットしたのでは、フルートを演奏することは出来ないのですよ。楽器のことを何も知らない人がデザインして、それをチェックできなかったという「非音楽的」なスタッフが作った商品、というのがミエミエなのですから、がっかりしてしまいます。
間違いはそれだけではなく、演奏者の名前のスペルが「Gazzellonii」とか「Accardoi」となっていますし、ブックレットの最後のページに掲載されている同じアーティストの既発売盤のリストで品番が全く別のものになっているのですから、そのお粗末さは度を超していませんか。これに比べれば、「1985年」なんて、かわいいものです(意味不明)。
SACDから聞こえてきたアナログ音源は、予想していたのとはちょっと違っていました。もっと上品でサラッとしたものをイメージしていたのですが、実際にはもっと骨太で、個々の楽器の音がしっかり聞こえてくるようなサウンドだったのです。これが本来の音なのか、「疑似サラウンド」の結果、いくらか変わってしまったものなのかは、元のLPを聴いたことがないので、なんとも言えません。
そんなはっきりした音の中でひときわ目立つのが、強靭なチェンバロです。特にバッハの協奏曲ではソロとして扱われていますが、それが録音されたのが1973年、この時代には、「バロック」といえども、当然のことのようにモダン・チェンバロが使われていたのですね。確かに、その頃の写真を見るとガラッティはいかにも頑丈そうなモダン・チェンバロの前に座っていました。
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かつて、リアルタイムに「イ・ムジチ」を聴いていた頃には、彼らの演奏するバロック音楽の数々は、いとも優雅に聞こえてきたものでした。しかし、実体はこんなことだったのですね。昔あこがれていた年上の美しいお姉さん、しかし、大人になって改めて写真を見てみたら、それはいとも醜い厚化粧の女だった、そんな感じでしょうか。

SACD Artwork © PentaTone Music b.v.
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by jurassic_oyaji | 2010-08-09 20:46 | 室内楽 | Comments(0)
Dances et Divertissements
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Stephen Hough(Pf)
Berlin Philharmonic Wind Quintet
BIS/SACD-1532(hybrid SACD)



ベルリン・フィルのメンバーが結成した木管五重奏のアンサンブル、「ベルリン・フィル木管五重奏団(まんまですね)」は、首席奏者ではなく、2番やピッコロ、Esクラリネットなどをもっぱら担当している奏者が集まったグループです。1988年に結成されてから今まで一人としてメンバーが変わらずにやってきたという、オーケストラが母体にしてはかなり珍しい団体です。なんでも、彼らはベルリン・フィルのメンバーとしては初めての、永続的な木管五重奏団なのだそうです。そういえば、かつてゴールウェイなど首席級が集まった短命の「木五」も有りましたね。
ただ、なんと言ってもベルリン・フィルですから、メンバーはここでは2番でもよそへ行けば充分に首席として通用するような人ばかりです。現に、フルートのハーゼルやオーボエのヴィットマンは、一時期バイロイトのピットでは首席奏者を務めていました。
結成当時と今のメンバーの写真、変わっていないはずなのに、ずいぶん変わっていますね。なんせ20年ですからね。ハーゼルなどは、いったい何があったのでしょう。
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彼らはBISからコンスタントに「木五」、あるいはそれに他の楽器が加わったレパートリーをリリースしてきました。言ってみれば地味な、それこそ管楽器に関わっている人しか聴かないような曲目を、淡々と録音し続けて来たメンバーと、それを支えたレーベルの姿勢は貴重です。かつて、ベルリン・フィルとウィーン・フィルのメンバーで結成された「木五」が、人気取りのためについ編曲ものなどの安易な道へ流れていったのとは対照的な地道な歩みです。
今回は、ゲストにピアノのスティーヴン・ハフを迎えて、プーランクの六重奏曲などフランスの作品を演奏しています。アルバムタイトルは、このプーランクの曲の第2楽章と、アンリ・トマジの作品のタイトルから取られたものです。いかにも瀟洒なたたずまいのフランスの室内楽、それを、このドイツの団体はどのようにこなしているのでしょう。
まずは、現代のフルーティストのスクールの先駆けともいうべきポール・タファネルの木管五重奏曲です。きっちりとしたアンサンブルを要求される、フランスものにしては堅めの構成の曲、これは、もう20年も一緒にやっているメンバーにとってはまさに格好のレパートリーなのでしょう。トゥッティとソロの使い分けを見事に演じ、余裕すら感じられるものでした。最後の最後に登場するちょっとユーモラスな「仕掛け」も、しっかりサプライズらしい演出です。
プーランクの六重奏曲では、ピアノのハフのダイナミックな突っ込みに、他のメンバーがしっかり同調して、かなりのハイテンションな仕上がりです(「ハフ、ハフ」って)。ただ、迫力はあるものの、その分軽やかさがほんの少し稀薄になっているような印象は避けられません。かっちりしたアンサンブルを超えたところでの愉悦感(まさに「Divertissements」)が欲しいところでしょう。
ジョリヴェの「木管五重奏のためのセレナード」は、フランスものとはいってもこの作曲家ならではの不思議な旋法を中心とした音楽ですから、彼らの緻密なアプローチは良い方に作用しています。オーボエのヴィットマンのソロは、そんな非ヨーロッパ的な世界を見事にあらわしています。それを受けるフルートのハーゼルも、なかなかのものを聴かせてくれます。
最後は、トマジの「5つの世俗的な舞曲と神聖な舞曲」。それぞれの「Dance」を的確なリズム感で処理しているアンサンブルの能力には、まさに舌を巻く思いです。たった5つの楽器なのに、そこから生まれるダイナミック・レンジの広さは驚異的。
正直、今までのアルバムでは地味な印象があったものが、ここに来て一皮むけた華やかさのようなものも感じることが出来ました。やはり、気心が知れた仲間との切磋琢磨は、成熟のための最良の方法なのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2009-09-30 21:02 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART/Requiem(String Quartet Version)
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Quatuor Debussy
DECCA/480 1938



フランスのUNIVERSALということで、当初はACCORDレーベルで出る予定だったものが、手に入れてみればなぜかDECCA、こんな風にして由緒あるレーベルが「グローバル化」の波の中で消えていってしまうのでしょうか。そういえばこの前のケント・ナガノのブルックナーにしても、予告では「RCAからの第2弾」とか言っていたものが、出た時にはSONYになっていましたからね。
ペーター・リヒテンタールというベタベタした名前(それは「コールタール」)の人が弦楽四重奏に編曲したモーツァルトの「レクイエム」は、かつてはアグライア・カルテット(STRADIVARIUS/1997年)とクイケン・カルテット(CHALLENGE/2003年)の録音ぐらいしかないレアなものだったのですが、2006年の「モーツァルト・イヤー」を契機に何種類かのものがリリースされたようです。そんな中での、知る限りでは5番目の録音となるのが、このCDです。
1780年に現在のブラティスラヴァ、当時はハンガリーのプレスブルグという町に生まれたリヒテンタールは、ウィーンで医学と音楽を勉強し、後にイタリアのミラノで医者としての生業のかたわら、アマチュアの作曲家として生涯を送りました。モーツァルトの遺族、特に長男のカール・トーマスとは非常に親しかった彼は、この「レクイエム」を始めとして多くの作品を編曲、モーツァルトの伝記なども著しています。彼自身の作品も50曲ほど残されており、曲以外でも「ご婦人のための和声楽」とか、音楽事典なども出版していたそうです。
こちらに書いたように、リヒテンタールの編曲は、おそらくそのまま演奏されているアグライア・カルテットのものを聴いてみると、ただ楽器を置き換えただけのような気がして、それほどの魅力が感じられるものではありませんでした。しかし、クイケンたちのものでは、かなり楽譜に手が加えられていたようで、確かに弦楽四重奏の編成で聴いても、違和感なく「レクイエム」の精神が伝わってくるものとなっていましたね。
今回のドビュッシー・カルテットの録音でも、やはり彼ら自身によって改訂が施されています。例えば「Lacrimosa」では、モーツァルトが最後に書いたとされる部分、半音進行でだんだん音が高くなってクライマックスを迎えるところで、オリジナル(編曲前のジュスマイヤー版)にはない細かい音符に変わっているのには驚かされます。このたたみかけるようなリズム、しかし、それは、なぜかクイケンと全く同じリズムなのですね。楽譜がないのでなんとも言えませんが、もしかしたらこれはアグライアの最初の録音では、リヒテンタールの指示に従わないで元の形に戻して演奏していたのかもしれませんね。そういう疑わしい部分ではなく、もっとはっきり分かるのは、間奏を挟んでこの楽章の最初のテーマが現れるときに、1オクターブ高く演奏されていることです。クイケンもそんなことはしていないので、これはドビュッシー・カルテットの独自のアイディアなのでしょうが、これが非常に効果的なのですよ。ファースト・ヴァイオリンの高音が優しく響き渡るときに、ある種の安らぎが感じられるのは確かなことです。
そんなアレンジにも現れているように、彼らの演奏は「歌」を大切にしたとても暖かい肌触りを持ったものです。優しく包み込むようなそんな感触は、合唱ではなく重唱で歌われる「Recordare」や「Benedictus」で、最良の結果が現れています。オリジナルの歌手たちではまず不可能な緊密なアンサンブルからは、これらの曲が秘めていた透明な魅力が最高の形で伝わっては来ないでしょうか。中でも「Benedictus」の美しさといったら。もちろん、これはジュスマイヤーが作ったものなのですが、モーツァルトの「真作」よりも美しいと感じられたのは、なぜなのでしょう。実はこの曲の途中で、メンバーのテンションがはっきり落ちて、急に素っ気なくなるところがあります。彼らもこれを弾いていて「こんなに美しいはずがない」と感じてしまったのかもしれませんね。

CD Artwork © Universal Music Classics France
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by jurassic_oyaji | 2009-04-17 19:22 | 室内楽 | Comments(2)
MARTÍN y SOLER/Una cosa rara
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Joan Enric Lluna/
Moonwinds
HMC 902010



モーツァルトと同じ頃に活躍していたスペイン出身の作曲家マルティーン・イ・ソレルの作品は、こちらで一度、そのモーツァルトのおまけのようにご紹介したことがありました。その時の曲が「『コサ・ララ』のテーマによるディヴェルティメント」でしたが、今回はその元になったオペラ「コサ・ララ」のハルモニームジークです。当時流行っていたオペラの中の曲を木管合奏の形に編曲して多くの人に聴いてもらうという、録音などなかった時代の大衆伝達のツールが、この「ハルモニームジーク」ですが、そんな編曲を一手に引き受けていた売れっ子アレンジャー、ヨハン・ネポムク・ヴェントが、ここでも編曲を担当しています。
ダ・ポンテの台本による「ウナ・コサ・ララ(椿事)」は、初演の時には、先に上演されていたモーツァルトの「フィガロ」を打ち切りに追いやったほどの人気を博したオペラだったそうですが、現在では全く忘れ去られ、おそらく全曲を録音したCDなども存在していないはずです。ですから、実際にそのオペラを聴くすべのない我々は、まるで18世紀にタイムスリップしたように、この木管合奏のプロモーション版で曲の姿をうかがい知るという体験を味わうことになるのです。
元のバージョンがどの程度のものだったのかは分かりませんが、ここで録音されているものでは、全2幕、18のナンバーから成るオペラ中の、10のナンバーが演奏されています。そこで、6/8(たぶん)の流れるように快活な序曲に続いて、「4番」の「Più bianca di giglio」というアリアが出てくるのですが、これはそれこそ「フィガロの結婚」の中の「恋とはどんなものかしら」と非常によく似たテーマなのには驚かされます。単なる偶然なのか、あるいは故意にパクったのかは知るよしもありませんが、モーツァルトがすかさず次作の「ドン・ジョヴァンニ」でお返しの「引用」を行っているのは、なにかほほえましいというか、子供じみているというか・・・。
その「引用」とは、ご存じ、第2幕フィナーレでの宴会のバンダが、「コサ・ララ」からの「O quanto un sì bel giubilo」というアリアからの旋律を演奏する、というものでした。それを聴いたレポレッロが「ブラヴォー!コサ・ララだ!」と歌うことで、このオペラの存在が今の我々にも認識できる、というシーンでしたね。それは、前回の「ディヴェルティメント」で、同じ旋律がしっかり聞こえてきたことで確認は出来たわけです。それは「前回までのあらすじ」。ところが、その「ディヴェルティメント」には、実はそのアリアの「Aメロ」しか使われていなかったことが、今回のハルモニームジークを聴いて知ることが出来ました。つまり、原曲はその「Aメロ」のあとに、ちょっと暗めの「Bメロ」が続くのですね。そして、そのメロディは、レポレッロが主人の食事の様子を見て「なんて醜い食欲なんだ!」と絶句する部分そのものではありませんか。つまり、「前回」までは、「Aメロ」だけが引用で、その後に続くこのセリフの部分はモーツァルトのオリジナルだと思っていたのが(この絶妙の「暗い」転調は、まさに彼の音楽の本質的なテイストではないでしょうか)、ぜ~んぶマルティーン・イ・ソレルの曲だったなんて。またここでも、過大な「モーツァルト・ブランド」への戒めを味わったような気がします。
7曲目に入っている「Dammi la cara mano」という曲を聴くと、モーツァルトの「お返し」はそれだけでは済まなかったのではないか、というような気にはなりませんか?それは、そのあとの作品「コジ・ファン・トゥッテ」での、フェランドとグリエルモとのデュエットとなんとよく似ていることでしょう。
このようにして、モーツァルトは同じ時代の同業者から、多くのものを「学んで」いたのですね。
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by jurassic_oyaji | 2008-12-14 19:53 | 室内楽 | Comments(2)