おやぢの部屋2
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カテゴリ:ポップス( 99 )
phase 4 stereo spectacular/nice 'n' easy
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Various Artists
DECCA/483 0525


以前こちらでご紹介したDECCAの「フェイズ4」ボックスの続編です。こちらはクラシックではなく、タイトルにあるような「イージー・リスニング」系のミュージシャンのアルバムが集められています。この、当時は画期的といわれていた録音方式によるレコードは、そもそもはこういうジャンルのために開発されたものですから、こちらの方が「先」にあったのですが、なぜかクラシックより「後」に出ることになりました。
今となってはごく当たり前のマルチトラックによるレコーディングですから、正直、録音面からは、今これをわざわざ聴くという価値はほとんど見出せません。それでも、当時は確かに輝いていたアイテムが、全部でアルバム50枚分も、当時の価格の1/10以下の値段で手に入るのですから、これはそそられます。
登場するアーティストは、ロニー・アルドリッチ、スタンリー・ブラック、フランク・チャックスフィールド、テッド・ヒース、マントヴァ―ニ、エリック・ロジャース、エドムンド・ロス、ローランド・ショーといった面々です。かつては一世を風靡した人たちばかりですが、今ではすっかり忘れ去られているのではないでしょうか。
最後のローランド・ショーは、フランク・チャックスフィールドの「引き潮」などが入ったアルバムでのアレンジャーを務めていた人ですね。その、1964年にリリースされた「Beyond the Sea」というアルバムは、1965年の「The New Limelight」というアルバムとで「2 on1」の1枚のCDに収まっているのですが、ジャケットはダブル仕様で両方のものが印刷されているといううれしい扱いです。ただ、このCDでは、ブックレットのトラック表示が、それぞれ別のアルバムのものに入れ替わってるという痛恨のミスプリントが。
このように、収録時間の短いもの20枚が、そういうダブルジャケットに入って10枚のCDになっているほかは、全て表裏オリジナルジャケット仕様の紙ジャケに1枚ずつ入っています。
録音されたのは1961年から1975年まで、クレジットを見るとプロデューサーはトニー・ダマト、エンジニアはほとんどアーサー・バニスターとアーサー・リリーという二人が担当しているのが分かります。実は、この人たちはクラシック編でもほとんどのアルバムの制作を担当しているのですよ。ストコフスキーの「シェエラザード」もトニー・ダマトとアーサー・リリーが担当していますから、あんな音になっていたのは納得です。今回のボックスでの弦楽器のわざと歪ませたのではないかというほどのザラザラした音は、ジャンルを問わずに彼らのポリシーとなっていたのですね。
ですから、この中ではあまりストリングスが活躍していないエドムンド・ロスあたりが、サウンド的にはとても気に入りました。この人はバンドマスターだけではなく、歌も歌っていたのですね。ゲストにカテリーナ・ヴァレンテを迎えたアルバム「Nothing But Aces」などは最高です。
フランク・チャックスフィールドのビートルズ・アルバムでは、ジャケットが素敵ですね。録音されたのは1970年1月、前年の9月末にリリースされたばかりの「Abbey Road」からのナンバーがすでにカバーされています。
DECCAの看板スターだったマントヴァーニは、ここには1枚しか入っていません。どうやら、彼がDECCAに残した膨大なカタログの中で「フェイズ4」で録音されたものは、この「キスメット」というミュージカル・アルバムしかなかったようですね。
1953年にブロードウェイで初演され、1954年には映画版も作られたというこのミュージカルは、アラビアあたりを舞台に全編ボロディンの作品の素材を使って作られたものです。この中で歌われる有名な「Stranger in Paradise」というナンバーは、「ダッタン人の踊り」がそのまま使われている曲だったんですよ。それを全曲、こんなところで聴くことが出来るなんて。ここでは、ジョン・カルショーとは別のアプローチで「ステージ」を再現させている試みが見られます。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-03-16 21:04 | ポップス | Comments(0)
OPERA JAZZ BLUES
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Hibla Gerzmava(Sop)
Trio of Daniel Kramer
MELODIYA/MEL CD 10 02466



このジャケットの、まるで、デブになる前のネトレプコみたいな美人はヒブラ・ゲルズマーワ、ロシア、正確にはジョージア(グルジア)西部のアブハジアに1970年に生まれたオペラ歌手です。ガッキーではありません(それは「ニゲハジ」)。まだ学生だった1994年にチャイコフスキー・コンクールの声楽部門で優勝し、1995年にはスタニフラフスキー & ネミロヴィッチ・ダンチェンコ・モスクワ・アカデミック音楽劇場でキャリアをスタートさせました。ロンドンのロイヤル・オペラハウスやニューヨークのMETにもデビュー、現在では世界中の歌劇場で活躍している、まさに世界的なプリマ・ドンナです。なんでも、彼女の母国のアブハジアでは、「ヒブラ・ゲルズマーワ・インヴァイツ」という音楽祭が2001年から毎年開催されていたのだそうですが、最近では国外、ウィーンのムジークフェライン・ザールとかニューヨークのカーネギー・ホールなどでも開催されるようになっているのだとか。すごいですね。
そんなゲルズマーワが、ジャズ・ピアニストのダニエル・クラマーとのコラボレーションでこんなアルバムを作りました。「オペラ、ジャズ、ブルース」というタイトルですから、コンセプトはそのまんまですね。
全く予想の出来ないフレーズのピアノだけのイントロから、「椿姫」の最初のアリアが始まります。彼女の声はまさに正統的なベル・カント、当然ピッチはかなり微妙なものになってしまいますが、やはりそれは「ジャズ」とはかなりミスマッチなような気がします。「オペラ」ではない、シューベルトの「アヴェ・マリア」なども歌われますが、やはりこういうしっとりとした曲はなんだか馴染みません。
それが、モーツァルトの「エクスルターテ・ユビラーテ」の「アレルヤ」になったら、俄然ノリが良くなってきましたよ。こういうアップテンポの曲だと、バックのトリオ(ピアノ、ベース、パーカッション)ともうまく合ってくれるのでしょう。次の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の終楽章のロンドになると、今度はスキャットなどを始めました。なかなかオペラ歌手でここまでやってさまになる人はいないでしょうね。ただ、やはりちょっとした「クセ」はつい出てしまうようで、ロンドのテーマのアウフタクトの前でしっかりブレスをしていて、そこで一瞬グルーヴが停滞するのが、ご愛嬌。
ドヴォルジャークの「我が母が教え給いし歌」あたりになってくると、次第に彼女の声に慣れてきたのか、同じしっとりした曲想でもずっと抵抗なく聴けるようになっていたのは不思議です。「ジャズ」という概念を捨てて、真摯に彼女の歌を味わえばいいんですね。要は、間奏の時に思い切りトリオだけで「ジャズ」をやってくれているだけで、彼女は全然「ジャズ」を歌っているつもりはないのだ、ということに気づきさえすればよかったことなのです。そうすれば、カールマンのオペレッタの中での、彼女のコロラトゥーラとピアノとのツッコミ合いも素直に笑えることになります。
最後には、祖国アブハジアのフォークソングも歌われています。これはとても素敵でした。
このCDには、いまどき珍しい「ADD」という表記が入っていました。
今となっては何のことかわからない方もいらっしゃるかもしれませんが、これはアナログ録音をデジタルでミックスしてCDにした、という意味です。録音されたのは2016年ですが、メロディアのスタジオにはアナログの録音機材しかなかったのではなく、あえてアナログで録音した、という気がします。なにしろ、ピアノといいヴォーカルといい、とてものびやかで素直な音なんですね。彼女の超高音も、何のストレスもなく再生できています。アコースティック・ベースも、なんともふんわりとした空気感が伝わってきますね。ハイレゾのデジタル録音よりも、アナログ録音の方がずっと音が良いというのは、本当のことなのかもしれません。このアルバムをLPで聴いてみたくなりました。

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by jurassic_oyaji | 2017-03-04 20:39 | ポップス | Comments(0)
LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL
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The Beatles
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もう解散してから半世紀近く経つというのに、いまだにビートルズは「商売」になるのでしょう、今回は、新たに作られたドキュメンタリー・フィルの公開にあわせて、「今まで見たことも聴いたこともなかったビートルズのライブ」ですって。
今回のアルバムは、1964年と1965年にLAの「ハリウッド・ボウル」という、クラシック・ファンにとってもなじみのある野外コンサートホールで行われたビートルズのライブを収録したものなのですが、これは最初からアルバムを作るために録音の準備がされていたものだったのだそうです。とは言っても、当時のことですからそれは単に演奏用のマイクとアンプからの出力を3チャンネルのテープに収めただけのものでした。しかも、そこには演奏以上に大きな音で聴衆の叫び声が録音されていましたから、到底「商品」としては使い物にはならないようなものだったはずです。ですから、録音はされたものの、それはリリースされることはありませんでした。
しかし、それから10年以上経って、もはやビートルズ自体は解散してしまった頃に、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンが、その録音を行ったEMI傘下のアメリカのレーベルCAPITOLから、そのテープを使ってレコードを制作することを依頼されます。マーティンはそれに応えて、エンジニアのジェフ・エメリックとともに様々なエフェクターを使って編集作業を行い、1977年にこの「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」を公式ライブアルバムとしてリリースしたのです。

国内盤では、まだ「ハリウッド・ボウル」という名前になじみがないと判断したのか、タイトルは「ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!」となっていましたね。しかし、それはLPとしてリリースされたのちには、他の公式アルバムのようにCD化されることもなく、今では廃盤となっています。
ですから、今回のCDは、それから40年近く経って初めてCD化されたものとなるわけです。しかし、その際には、この前の「1」と同様、ジョージ・マーティンの息子ジャイルズ・マーティンによって、オリジナルの3トラックのテープにまでさかのぼって「リミックス」が行われています。さらに、新たに4曲がボーナス・トラックとして同じ音源から編集されて収録されています。
あいにく1977年盤を聴いたことはないので、このリミックスによってどれだけ音が変わったかを検証することはできませんが、「1」での仕事ぶりを見ていれば、かなりの改善が行われているのではないか、という気はします。実際に、会場の歓声(ほとんど悲鳴)は、全く演奏の邪魔にはなりませんし、演奏もヴォーカルもとても満足のいく音で聴くことが出来ました。逆に、こんなコンディションの悪い録音を、よくぞここまできれいに仕上げたな、という感じですね。
ですから、それぞれのメンバーの声も明瞭に聴き分けることが出来ます。リンゴの1曲はご愛嬌としても、ジョージが2曲もソロを取っているのは意外でした。彼の声はスタジオ録音に見られるような線の細いものではなく、もっと力強く聴こえます。そして、ちょっと意外だったのが、ジョンに比べるとポールのヴォーカルがかなりお粗末だということ。ピッチはおかしいし、かなりいい加減な歌い方だったんですね。その二人ですが「A Hard Day's Night」では、「When I Home~」の部分からはそれまでジョンだったソロがポールに変わっているのですね。この部分は高い音がGまで出てくるので、ジョンには無理だったのでしょうか。スタジオ録音では、最初からダブルトラックなので、ずっと2人で歌っているのだとばかり思っていましたが、このライブでははっきり違いがわかります。
それと、ボーナス・トラックの「I Want to Hold Your Hand」で、歌い出しがきちんとビートに収まっているのにも驚きました。スタジオ録音では、オリジナルでもドイツ語バージョンでも最初のアウフタクトが絶対に半拍多くなっています。反駁できますか?

CD Artwork © Calderstone Productions Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-09-20 20:59 | ポップス | Comments(0)
親子で学ぶ音楽図鑑/基礎からわかるビジュアルガイド
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キャロル・ヴォーダマンほか著
山崎正浩訳
創元社刊
ISBN978-4-422-41416-4




イギリスで出版された「Help Your Kids with ...」というシリーズが、「親子で学ぶ〇〇図鑑」と訳されて日本でも出版されていますが、そこにこの「音楽図鑑」が加わりました。本国ではすでに10種類以上の「図鑑」が出ているようですが、その表紙には「著者」であるキャロル・ヴォーダマンという人の写真が載っています。

この方は、イギリスではとても人気のあるテレビタレントなのだそうです。この表紙だと「知的なおねえさん」といった感じですが、

こんな写真だと、ちょっとお子様相手の本には似つかわしくない巨乳のおばさん、というイメージですね。
この方は、ほとんど「客寄せパンダ」的な存在なのではないでしょうか。もちろん、それは商売には必要なこと、実際に原稿を書いた人たちのスキルさえしっかりしたものであるのなら、なんの問題もありません。
元々はイギリス人を対象に出版された本なのですが、こと音楽に関してはイギリスと日本とでは、使われる用語などにしてもかなり異なっています。案の定、ここでは「音」の呼び方について、ちょっとした混乱に陥っているようです。というか、おそらく今の教育現場でも困惑している人は多いような気がしますが、日本のクラシック音楽の世界では「音」の名前に2通りの呼び方が存在しています。それは「音名」と「階名」。しかし、イギリスでは「階名」というものはありませんから、音の名前はすべてA、B、C・・・で表わされています。もちろん、調性も英語で「Cメジャー」、「Aマイナー」の世界です。「階名」である「ドレミ」はどうなっているかというと、この翻訳では「階名」という言葉自体が全く使われておらず、「フランス語、イタリア語、スペイン語では『C D E F G A B』の代わりに『ドレミファソラシ』を使います」とあるだけです。これは困ります(本当は、フランス語の場合は「do」ではなく「ut」が使われます)。この本を使って勉強した人が小学校に入って、初めて「ドレミ」には階名としての働きもあることを知ったら大変でしょうね。
原本にも、明らかにおかしなところがたくさん見られます。ざっと読んだだけで発見できたものをいくつか挙げてみましょうか。

これは、ちょっと自信がなかったので弦楽器の演奏家に聞いてみたのですが、「ボウイングの記号に、このような意味はない」ときっぱり言われてしまいました。まあ、「アップ・ボウ」の場合は、歌を歌う時の「ブレス」の記号とよく似ていますから混同したのでしょうが、なぜ「ダウン」が「フレーズの始まり」になってしまったのかは謎です。

これも、なぜキイを押すとこのようになるのか、金管楽器の専門家でもきっと分からないでしょうね。

そしてこれはちょっと高度な問題。そもそも「ナポリ」などという言葉は、おつまみとは違いますから(それは「なとり」)普通に生きている人は一生のうちにまず使うことのないものです。いや、和音としては日常的によく聴こえてくるのですが、それが「ナポリ」だなんて意識する人はほとんどいません(一例を挙げると、「翼をください」で「飛んでいきたいよ」の「よ」の音の前半に付けられたコードがナポリ)。しかし、「ナポリ」というのは短調の場合にのみ成立する和音ですから、最初の小節は「Cの短三和音」でなければいけません。そうでないと、3小節目のAになぜフラットが付いているか説明できませんよ。上の説明文も、「Cマイナーでは、ナポリの和音はD♭を最低音とする長三和音」ということになります。つまり、その平行調の「E♭メジャー」で「D♭メジャー」がナポリになるのですから、「Cメジャー」でナポリになるのは「B♭メジャー」なんですよ。
そのほか、楽器についてもデタラメなイラストと、おかしな呼び名のオンパレード、この本は、そんな間違いを探して大笑いをするために作られたものなのですから、間違っても「親子で学ぶ」ために使ったりしてはいけませんよ。

Book Artwork © Sogensha Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-08 23:05 | ポップス | Comments(0)
音楽する日乗
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久石譲著
小学館刊
ISBN978-4-09-388499-0




「『日乗』って?」と、まず思ってしまいました。音楽をでっちあげるんじゃないですよ(それは「捏造」)。「日常」の間違いなのか、あるいは、もっと気取って「日譲」だったのか。とは言っても、なんせ一冊の本のタイトルですから間違いなんてありえません。あわてて国語辞典を引いてみたら、しっかりこの言葉がありました。「日乗=日記」なんですって。ということは、このタイトルは「音楽する日記」となるのでしょうが、そうなると日本語としておかしくないですか?実は、この本は同じ出版社の「クラシックプレミアム」という雑誌に、隔週で連載されていたエッセイを集めたものなのですが、その時のタイトルは「音楽的日乗」でした。これならきちんと意味が成立していますし、ほのかに「日乗」と「日常」とを絡めたような味さえも感じられますね。それが、「的」を「する」に変えただけで、どうしようもなくへんちくりんなものになってしまいました。
著者は、一連のジブリのアニメのサントラやテーマ音楽で多くのファンを持っている作曲家です。今回の著書では、巻末に30ページにも渡ってその「作品」のリストやディスコグラフィーが掲載されていますが、それは膨大な量。そのような「作家」としてだけでなく、彼は実際にピアニストや指揮者として、時にはシンフォニー・オーケストラとともにステージに立っていたりします。なんでも、そのようなコンサートは、チケットが発売されるやいなやソールド・アウトになるという、まるでAKBやジャニーズのようなアイドル並みのファンを獲得しているというのですから、すごいものです。これは、そんな著者の日常を綴った「日乗」なのでしょう。
通常、そのような読み物は、実際に本人が執筆するのではなく、インタビューのような形で本人が語ったことを、ライターさんが原稿に起こす、といったような形で雑誌には掲載されるのでしょう。ただ、ここでは「著者」はそのような部分と、実際に自分の手で原稿を書いた部分とがあることと、それがどの部分であるのかをきちんと明記しています。今時珍しい「正義感」にあふれた人なのでしょう。
ただ、そうなってくると、ご自分で書かれた部分での「粗さ」がとても目立ってしまいます。別に著者はプロのライターではないのですから、だれも文章の美しさなどは期待していないのですが、やはり「久石譲」という名前を背負っている文章としては、それなりの内容のクオリティは期待されています。毎回の原稿は2000字程度でしょうか、そんな決して多いとは言えない字数のなかで、半分近くを原稿が書けない言い訳に費やしているのを見るのは、とても辛いものがあります。ここは、きっちり「プロ」の手を借りて、多くの人に読まれても恥ずかしくない程度のものにはしておいてほしかったものです。いきなり「今の若い者は」みたいなジジイの説教が現れるような駄文は、誰も読みたいとは思わないはずです。平均律の話をするときに「1オクターブは上のラ(440Hz)から下のラ(220Hz)を引いた220Hz」などととんでもないことを言い出したのには、言葉を失いました。この人、ほんとに音楽家?
とは言っても、やはりこれだけのキャリアと人気を誇る作曲家ですから、そんな駄文のなかからでもなにがしかの知的な閃きを探し出すことは不可能ではありません。たとえば、「ユダヤ人」に関する彼の視点。これは、常々疑問に思っていたことが、少しは氷解するきっかけにはなったかもしれません。それと、きちんと「理論はあとからついてくるもの」という認識を持っているのは、さすがですね。
仙台に住んでいるものには、彼が作ったこの地方の電力会社のCMの音楽を聴けるという特権があります。1日に何度となくテレビから流れてくるその音楽は、とことん陳腐で退屈なものでした。なぜこんなものを恥ずかしげもなく公に出来るのか、この本を読んで少しは分かったような気がします。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-09 22:11 | ポップス | Comments(0)
Holiday in Japan
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Ricardo Santos and His Orchestra
POLYDOR/UICY-1548




別に新譜でも何でもないのですが、思いがけなく入手することが出来たアイテムということで。個人的な思い出になるのですが、かつて我が家にはこんなLPがありました。

もう現物は紛失しているので、これはネットで同じジャケットのものを探した画像ですが、タイトルは「Cherry Blossom Time in Japan」だったような気がします。父親が外国に行っていたので、その時に買ってきたPOLYDORのドイツ盤だったのでしょう。それは、「Holiday in Japan」というタイトルで、国内盤も出ていて、当時はかなりヒットしていたようですね。もちろんモノーラルでしたが、それを安物のレコードプレーヤー(SPレコードと切り替えができる回転式の圧電型カートリッジ・・・なんのことだか分からないでしょうね)で聴いていましたね。それは「リカルド・サントス楽団」という「ラテン・バンド」が、日本の曲を様々なダンス音楽にアレンジして演奏しているものでした。恐ろしいアレンジではありません(それは「オカルト・サントス」)。よくあるパターンで、日本と中国の区別が全くついていないために、いかにもな中国風の5度平行のフレーズが頻繁に出てくるのにはものすごい違和感を持ちつつも、けっこうなヘビーローテンションで聴いていましたね。結局、好き嫌いにかかわらず、そのアレンジの細かいところまで体の中に刷り込まれてしまっていたのです。
最近、これを無性に聴きたくなって検索してみたら、ちゃんとCDになっているものがAmazonで販売されていたではありませんか。さっそく取り寄せてみたら、それは2001年にリリースされていたものでした。正確には、1985年にCD化されたもののリイシューのようでした。あの懐かしい音楽を、今度はちゃんとした音で聴くことができるようになりました。
そうなんですよ。まさかと思ったのですが、おそらく1960年台に作られたこのアルバムは、しっかりステレオで録音されていたのですよ。そして、音のクォリティも、昔サファイア針で聴いていたころには想像もできなかったような素晴らしいものでした。
リカルド・サントスというのは、ドイツの放送局のビッグ・バンドの指揮者とアレンジャーを長年続けていたウェルナー・ミューラーの「芸名」でした。1954年にはラテン色の強いバンドとしての特徴を示すためにこの芸名で自分のバンドを結成して、これが世界中で大ヒット、後に本名でのバンドでもやはりヒットを放ちます。
今回のCDは、もう、どれを聴いても涙が出てくるような素晴らしい(もちろん、かつて聴いていた音に比べたら、という意味で)音とアレンジのセンスが感じられます。基本的に「ラテン・バンド」の体裁をとっていますが、そんなジャンルにこだわらずに、ありとあらゆる当時のダンス音楽の手法が盛り込まれているんですね。「花」や「浜辺の歌」などは、ほとんどマントヴァーニか、と思えるほどの「ムード・ミュージック」の王道の甘ったるいストリングスで迫りますし。そのストリングスも、「お江戸日本橋」でフレーズの最後を埋めている華麗なスケールの応酬は、まるでチャイコフスキーのようですから。もろコンチネンタル・タンゴとして編曲されている「五木の子守唄」も、そのストリングスとタンゴのリズムが見事にかみ合って、まるで最初からあったタンゴの曲のように聴こえてしまいます。もちろん、「春が来た」などではストレートなスウィングが堪能できます。面白いのは「夕やけ小やけ」。最初はのんびりしたスウィングで始まったものが、途中でいきなりロックンロールのリズムに変わって、ノリノリのサックス・ソロが登場したりしますからね。
さっきのストリングスや、ソロ楽器が、例えばピッコロとバス・クラリネットのユニゾンというように、ここではクラシカルなオーケストレーションの素養も感じられます。そういえば、こんなアルバムでは、ミューラーはベルリン・フィルのメンバーへのアレンジまで提供していましたね。

CD Artwork © Universal International
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by jurassic_oyaji | 2016-06-21 23:18 | ポップス | Comments(0)
黄昏の調べ/現代音楽の行方
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大久保賢著
春秋社刊
ISBN978-4-393-93204-9




「新しきことは良(善)きことなり」というのは近代以降の西洋を濃厚に彩った気分だが、それが猖獗を極めたのが20世紀という時代だった。あらゆる分野で次々と新しいものが見出され、生み出されていく(と同時に、昨日のものが弊履のごとく捨て去られていく)中で、芸術音楽もこの流れに掉さして、表現の手段や領域を急速に拡げていったのである。

最初のページから、こんな、まるで明治時代の文豪が使うような言葉がオンパレードの堅苦しい文章が登場しますから、ちょっとビビッてしまいました。正直「弊履」ぐらいは読み方も意味も知ってましたが、「猖獗」なんて言葉は初めて目にしました。「しょうけつ」って読むんですね。チューハイじゃないですよ(それは「ひょうけつ」)。そして「流れに掉さして」というのは、確か漱石あたりの小説にあったかな、とは思いましたが、ここで使われているのとは正反対の意味だとずっと思っていましたからね。それをこの文脈で使うのは変だなあ、と思って調べてみたら、やっと本来の意味が分かりました。なんと恥ずかしい。そんな「古語」にも親しい方の語る「現代音楽」論だったら、傾聴に値するはずです。
ところが、著者のプロフィールを見たらお生まれになったのは1966年ですって。そんなにお若くてこんなカビの生えたような文章を書くとなると、なんだかそれは別の意味で油断できないような気になってくるから不思議です。よくいますよね、こういうの。ストレートに意見を述べるのが嫌で、わざと自分を飾ってみせる、というような人が。いや、別にこの著者がそうだなんて言ってませんけど。
それだけではなく、この人の文章は、正直とても読みづらいものでした。カッコがやたら多くて、そのたびに読むリズムが断ち切られてしまうんですよね。言いたいことがたくさんあるからこんな風になってしまったのでしょうが、はっきり言ってこれだと本当に言いたいことはなんなのかが、完全にぼやけてしまいますね。さらに、「註」のなんと多いこと。本文が200ページちょっとなのに、註だけで40ページもあるんですからね。それだけ長くなっているのは、単なる参照文献の提示だけでなく、時には本文以上の情報量を持つコメントが添えられているため、こうなると、ひっきりなしにページを行ったり来たりしなければいけませんから、煩わしいったらありません。
そんな面倒くさい体裁を取っている割には、中身はなんともシンプル。なんせ、「現代音楽」の定義が、「20世紀以降の前衛音楽、つまり非調性音楽」ですからね。これを見ると目からうろこが落ちる人はたくさんいるに違いありません。なんだ、そんなに簡単なものだったのか、とね。でも、これはあくまで著者の中だけで通用する「定義」であって、到底すべての人に受け入れられるはずもありません。だって、誰でもわかることですが、「非調性音楽」は確かに「現代音楽」ですが、「現代音楽」すべてが「非調性音楽」ではありませんからね。そこから論を進めている限り、読者を完全に納得させられるような結末を導き出すことなどは不可能です。
案の定、著者の論点は、あちこちで破綻を見せています。ペルトやグレツキのあたりの記述になると、これまでさっきの「定義」を元に読み進んできた真面目な読者は、軽い混乱状態に陥ってしまうことでしょう。
著者の「現代音楽」についての歴史的な総括は、それなりの体験と見識に基づいたとても価値のあるもので、確かにこの音楽に対する広範な知識を得るのには役に立つ資料です。ところが、最初に変な「縛り」(文中で頻出する言葉。普通に「制約」とでも言えばいいものを、あえてこんなヤクザな言い方を、それこそ「猖獗」のような言葉と同時に使うあたりが、笑えます)を設けてしまったものですから、最後の章がなんとも精彩を欠いてしまうことになりました。残念です。

Book Artwork © Shunjusha Publishing Company
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by jurassic_oyaji | 2016-05-31 23:38 | ポップス | Comments(7)
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The Beatles
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2000年に、ビートルズがそれまでにリリースしたシングルのうちで、英米のヒットチャートで1位になった27曲(!)を集めたコンピレーションアルバムが、その名も「1」というタイトルでリリースされました。それは、2009年にこのバンドのすべてのアルバムがリマスタリングを施されてリリースされた時にも、同じようにリマスタリング盤としてリイシューされていました。まあ、その段階では、あくまでレコードをカッティングする際に用いられた2チャンネルのマスターテープからトランスファーしたデジタル・データを用いてリマスターを行うという、「ほんのちょっといい音にしてみました」というようなものだったはずです。ですから、それは入手してはいませんでした。
今年の11月の初めに、今回は、「1+」という名前で、同じ曲目のBDとDVDがリリースされました。映像がメインの売り方をされていたので、全く興味はなかったのですが、ちゃんとCDだけのバージョンもあって、しかもそれは「リマスター」ではなく「リミックス」されたものだ、という情報が流れてきました。そういうことであれば、手に入れないわけにはいきません。
「リミックス」というのはクレジットカードではなく(それは「アメックス」)、オリジナルのマルチトラックのテープから、新たに2トラックにする作業(トラックダウン)をやり直すということですから、楽器やヴォーカルのバランスや定位までも変えることができるものなのです。もちろん、それをオリジナルからどの程度変えるかは、プロデューサーやアーティストのポリシー次第になるわけです。たとえば、先日のシュガーベイブの「ソングズ」の場合に、山下達郎はCDでは「リマスター盤」と「リミックス盤」の両方を作っていましたが、その「リミックス」は極力オリジナルに忠実に行っていましたね。
しかし、今回ビートルズの「1」の「リミックス」を行ったジャイルズ・マーティン(オリジナル録音のプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子)は、オリジナルにはこだわらない、かなり大胆なリミックスを行っているようでした。
そのあたりを比較するのに、本当は2000年版「1」があればいいのですが、確かに手元にあったはずのこのCDがどこを探しても見つかりません。仕方がないので、その元となったオリジナルアルバムや、シングルのみのものは「Past Masters」と比較することにしました。おそらく、それらと旧「1」との間には、決定的な違いはないはずでしょうから。

実は、この中の曲で、すでにリミックスが行われていたものがありました。それは、1999年にリリースされた「Yellow Submarine Songtrack」というアルバムです。ここでリミックスを担当したのはピーター・コビンという人です。これを聴いたときに、今までは右チャンネルだけに固まっていた「Nowhere Man」の冒頭のコーラスが3人の声が別々に広々と定位していたのに驚いたことは、今でも忘れません。このアルバムの中の3曲が、「1」の中にも入っていますから、まずはそれらでオリジナル→1999年リミックス→2015年リミックスという比較をしてみましょう。

♪Yellow Submarine

  • Original:リンゴのヴォーカルはRに定位、コーラスもRだが、最後のコーラスだけL。ドラムスはLに定位、BDは貧弱な音。アコギはL。SEの波の音とブラスバンドはCに定位。
  • 1999:リンゴはCに定位。ドラムスもC。BDの音が別物。アコギはC。SEの波の音はLとRの間を何度も往復。ブラスバンドはCに定位。間奏のSEで汽笛が入る。
  • 2015:ヴォーカル、ドラムスの定位は1999と同じ。アコギはL。SEの波の音は音場いっぱいに広がっている。ブラスバンドが行進(L→Rとパン)。汽笛は入らない。

♪Eleanor Rigby

  • Original:ポールのヴォーカルはRに定位。「All the lonely people」からダブルトラックでCに移動。Strは全楽器がCにピンポイントで定位。エンディングのLのジョンのコーラスの2回目にドロップアウト。
  • 1999:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになるが、音場は広がらない。VnI,VnIIはL、Va,VcはRに定位。ジョンのコーラスのドロップアウトはない。1回目をコピペか。
  • 2015:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになり、音場が広がる。VnI,VnII,Va,Vcの順に、LとRの間に均等に定位。やはり、ジョンのコーラスにドロップアウトはない。

♪All You Need Is Love

  • Original:イントロにE.Pfあり。最初のコーラスはLのみ。
  • 1999:イントロにE.Pfなし。コーラスはLとR。
  • 2015:イントロにE.Pfあり。コーラスはLとR。

その他の曲も、リミックスによってオリジナルに比べると明らかに音像がくっきりしたり歪がなくなったりしており、今まで聴いてきたものは何だったんだろうと思えるほどの素晴らしい音に生まれ変わっています。中でも、ライブ録音一発録りの「Get Back」では、イントロのLで聴こえるシンバルの盛大なひずみが全くなくなっていますし、やはりLに定位しているジョンのギターも別物のように輪郭がはっきりしています。これは、2003年にリリースされた「Let It Be...Naked」でもある程度の修復は行われていたのですが、今回はそれをはるかに上まわる成果を上げています。そして、今までさんざん非難されていた「The Long and Winding Road」でフィル・スペクターによって付け加えられたストリングスやコーラスの音の美しいこと。特にコーラスは、こんな素晴らしいものだったなんて今までは全く気づきませんでしたよ。
ストリングスに関しては、この中の唯一のジョージの曲「Something」のバックのストリングスが以前の無機質な音からふんわりとしたテイストが味わえるものに変わっているのに狂喜ものです。「You’re asking me will my love grow」でのピツィカートも、これを聴いて初めて弦楽器のピツィカートと認識出来たぐらいです。
今回、これだけ音が明瞭になったのは、オリジナルのトラックダウンの際の度重なるダビングによる歪がいかに大きかったか、ということを明らかにしてくれるものなのではないでしょうか。それが当時の技術の限界だったとしても、これだけのマスターテープの音を今まで聴くことが出来なかったのは、とても残念です。それと、当時は基本的にモノラルミックスがメインで、ステレオミックスは二次的なものというスタンスでしたから、単純に左右のトラックに楽器やヴォーカルを振り分けただけという、今聴くととても不自然な音場(「音場」という意識すらなかったのかもしれません)のものが中期までのものにはたくさんありました。それが、今回のリミックスではヴォーカルがセンターに定位するなど、当たり前の音場で聴けるような配慮が多く見られます。これは、現在のオーディオ環境としてはまさに待ち望まれていたことです。
今回のジャイルズの仕事が、ビートルズのすべてのアルバムのリミックスという一大プロジェクトのスタートだと思いたいものです。それは2006年に「Love」がリリースされた時にも願っていたことなのですが。

CD Artwork © Calderstone Productions Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-11-27 20:23 | ポップス | Comments(0)
SONGS
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Sugar Babe
SONY/SRJL 1090-1(LP)




ポップス系のアーティストが「デビュー」という場合には、それはクラシックみたいに最初にコンサートを開いた時ではなく、レコード、あるいはCDが発売された時のことを指します。「ポップス」という言葉自体が、「大衆的」という意味を含んだものであるように、この世界ではアーティストは多くの大衆を相手にその演奏を聴いてもらうという前提で活動していますから、それを可能にするメディア(つまり、レコードやCD)が大衆に入手可能になった時点を「デビュー」と定義しているのです。
山下達郎が最初に自分が参加したバンドのレコードを発売したのは、1975年4月25日のことでした。その日から数えて今年は40年目、達郎は「デビュー40周年」を迎えたアーティストとして、今でも最前線で活躍しているのです。
そんな記念の年ですから、その彼のデビューアルバムの再発売が企画されるのは当然のことです。オリジナルはもちろんLPでしたが、それ以後CD化され、さらに何度もリマスタリングの手が加えられて、この「SONGS」というアルバムは、日本のアーティストでは非常に稀なことですが、終始オリジナルのアートワーク、コンテンツで発売され続けていたのです。今回は、そんなリイシューもこれが最後になるであろうという意味も込めて、CDでは「アルティメット・エディション」ということでなんとリマスター盤の他に、新たにマスターテープ(16チャンネル)からミキシングを行った「リミックス盤」も加わった2枚組のアルバムが発売されました。これには、ライブ・テイクなどの音源が15曲もボーナス・トラックとして収められています。
そして、同時に発売されたのが、このLPです。ジャケットはオリジナルを忠実に復刻したものですが、音源はオリジナルのアナログテープではなく、デジタル・リマスターが施されたものが使われています。さらに、カッティングも、余裕をもって外周を使えるようにあえて2枚組にしています。当然、コンテンツはオリジナルの11曲だけで、ボーナス・トラックはありません。これは、生産限定盤で、ネットでしか購入できません。発売日もCDと同じ8月5日でした。
なぜCDよりも高価でボーナス・トラックも入っていないLPを買ったのかは、もちろんこちらの方が格段に音が良いからです。これは、今まで何枚かの達郎のアルバムをCDとLPとを聴き比べて分かっていたことです。今回も、2012年のベスト盤の中に2曲同じものが収録されていたので比較してみましたが、その差は歴然としていました。特に際立っていたのが、ストリングスなどが入っている「雨は手のひらにいっぱい」です。これは、プロデューサーの大瀧詠一の意向で、フィル・スペクター風の「ウォール・オブ・サウンド」を目指したアレンジになっていますが、そのキモのカスタネットの音と、それの残響が、CDではとてもちゃちに聴こえてしまいます。もちろん、ストリングスの肌触りはLPでなければ再現できないものです。
もちろん、今ではLP並の音が再生できるデジタル・メディアも存在します。しかし、達郎はそういうものにはあまり積極的ではないように見えます。先日もラジオで、「将来のハイレゾ化を見据えて」ということで、今回のリミックス用のマスターは「ハイレゾ」でトランスファーしたそうですが、そのフォーマットが「24bit/48kHz」というのですからね。それを「CDを超えたハイエンドのスペック」と言っているのですから、そもそもハイレゾ自体にもあまり興味はなさそうですね。
このアルバムは、大瀧詠一が「笛吹銅次」という名前でエンジニアリングにも携わっています。これは、「金次」、「銀次」という業界人にちなんだ「芸名」なのですが、その元ネタはもちろん「笛吹童子」ですね。ところが、このオリジナルLPの裏面のクレジットがその「童子」になっているのはどうじて?あるいは、これは、大瀧さんならではのジョークだったのでしょうか。


LP Artwork © The Niagara Enterprises
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by jurassic_oyaji | 2015-08-04 23:27 | ポップス | Comments(0)
Born to Be Mild
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Hille Perl(E.Gamba)
Lee Santana(E.Guit)
Marthe Perl(E.Gamba)
DHM/88875061972




ラトルの「マタイ」の映像で、とても印象的な姿を見せていた超美人ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、ヒレ・パールの最新のリーダー・アルバムです。このジャケットの写真もそうですが、その美貌からは年齢を超越したものが感じられたものですから、今回調べてみて彼女が1965年生まれだと分かった時には、軽いショックを受けてしまいました。50歳ですか・・・。
それよりショックだったのは、ここで共演しているマルテ・パールというガンビストは、彼女の娘さんだと知ったことです。写真ではまるで妹のように見えるというのに。
さらにサプライズは続きます。ここでもう一人プレーヤーとして参加しているリー・サンタナが、実はマルテの父親なんですって。彼はリュート奏者として公私ともにヒレ・パールのパートナーだったのですね。もちろん夫婦共演のアルバムもたくさんリリースされています。つまり、このアルバムでは「家族共演」が実現しているのですね。
ここでは、リー・サンタナがリュートではなくイーストマンのセミアコを演奏しているように(彼は若いころはギタリストとしてジャズやロックを演奏していました)、他の2人も「エレキ・ガンバ」を使っています。

この写真で分かるように、普通のガンバとは形が全く違った非対称形、もちろんケーブルを差し込む端子も付いています。こんな楽器があることも初めて知りました。これは「アルトラ・ガンバ」(「もう一つのガンバ」、ですね)という名前の楽器で、フランスの制作者フランソワ・ダンジェの作ったものです。ダンジェはガンバだけではなく、ヴィオール全般を制作していますが、このような「電気楽器」にまで手を伸ばしていたのです。なんでも「アルトラ・ガンバ」には「クラシック」、「ジャズ」、「ロック」の3タイプのモデルがあるそうで、「ロック」などはエレキ・ヴァイオリンのようにボディがスケルトンになっています。「古楽器」の世界は、ここまで来ているのですね。

そんな、16世紀以前に誕生した楽器が、現代のテクノロジーと合体して繰り広げる音楽は、いったいどんなものなのか、まるで想像が出来ません。とにかく聴いてみるしかないのですが、それはもう時代もジャンルも超えたとてつもなく広大な世界を見せてくれるものでした。基本は、ガンバ本来のレパートリーであるルネサンス・バロック期の作品を、ギターも交えてスタイリッシュに迫る、という、まあ言ってみれば「想定内」のものなのですが、次第にそのガンバが「エレキ」の側面を強調し始めると、聴く方もエキサイトしてきます。トビアス・ヒュームという17世紀初頭のイギリスの作曲家の「Hit in the Middle」と「Touch Me Sweetly」という曲では、思い切りエフェクター(ヒレは、「スティーヴ・ヴァイのような」と言っています)をかけて、音色からアタックまで、全く別の楽器のような音を出しています。2曲目では、普通のガンバでも珍しいピチカートまで披露してくれていますよ。
そんなエフェクターの加え方は、この中で最も長い演奏時間の「Zeus: Jupiter Optimus Maximus」というオリジナルは18世紀のフランスで作られた曲で最高潮に達します。そのギンギンのディストーションは、まさに「メタル」ではありませんか。こんなのを聴いてしまうと、いずれは「メタル・ガンバ」というカテゴリーが現れる予感。
リー・サンタナは作曲家としても活躍していて、彼の作品も3曲演奏されています。これらは、それぞれある「詩」にインスパイアされて作られたもので、ヒレはその詩を朗読しながら演奏しています。インプロヴィゼーションの要素もかなり見受けられるような、ちょっとシュールな作品たち、さっきのメタルとは対極の、未来のガンバの姿が見えてきそうな気がしませんか?
かと思えば、トルコ音楽とのコラボ、などというものすごいものも登場します。これなどは、「ワールド・ミュージック」としてのガンバ、ですね。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Germany GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-05-17 20:11 | ポップス | Comments(0)