おやぢの部屋2
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カテゴリ:ポップス( 99 )
The Concert for Bangladesh








George Harrison and friends
ワーナーミュージック・ジャパン/WPBR-90532/3(DVD)


1971年に、すでに解散していた「ザ・ビートルズ」のメンバーだったジョージ・ハリスンが、親しい仲間のミュージシャン(その中には、かつてのバンドのメンバー、リンゴ・スターも含まれていました)を集めて開催した、慈善コンサートの模様が収録された映画が、初めてDVDとなって発売されました。そもそもは、シタール奏者のラヴィ・シャンカール(ノラ・ジョーンズが彼の娘だって、知ってました?)が、彼の故郷のベンガル地方で起こっていた当時の東パキスタンの独立に伴う内乱に心を痛め、多くの難民の窮状を訴え、救済の手をさしのべたいとジョージに相談したーるのが発端だといいます。その結果、このコンサートは、後に続く数々の「救済」コンサートの、草分け的な存在として歴史に残ることになったのです。
コンサート自体は大成功を収めますが、二次的な収益を狙って、程なく、ライブレコードがリリースされ、その音源をサウンドトラックとした記録映画も上映されることになりました。このあたりも、後の「ベネフィット」の定石となるわけです。ただ、出演者の中にボブ・ディランという「大物」がいたために、この豪華写真集付き、LP3枚組ボックスセットというレコードは、「APPLE」レーベルにもかかわらず、EMIではなく、ディランが属していたCBSが販売権を獲得した、といったようなゴタゴタも聞こえてきましたね。
いずれにしても、そのレコードを飾った非常にメッセージ性の高いジャケットが、今回のこの「デラックス版」に採用されています。実は、「通常版」というのも同時に発売されているのですが、そちらのジャケットはジョージの写真が使われているだけのものですから、当時の「事件」としての追体験を期待している私としては、迷わずこちらの方を購入したというわけです。
この映画は、「音を犠牲にしたくない」というジョージのたっての願いで、サウンドトラックが潤沢に使える「70ミリ」のフィルムに、元々の「16ミリ」をふくらませてプリントした、といいます。ただ、それが公開されたのは大都市だけでしたから、それを劇場で味わうということは、当時の私には不可能なことでした。ごく最近テレビで放送されたものを見ることが出来ましたが、それは何だか暗がりでモゾモゾうごめいているような不明瞭な画面で、レコードに付いてきた写真集から窺えるミュージシャンの生き生きとした姿などどこにも見当たらなかったのには、失望を通り越して、怒りさえ覚えたものです。
しかし、このDVDは、その、放送されたものとはまるで別物の、とても鮮やかな画面でした。もちろん、音もリミックスがされているのでしょう、その時のものとは比較にならないほどグレードアップしているのが分かります。ここでみずみずしく蘇る若き日のクラプトンやディランの姿には、すでに「記録」としての重みすら感じられます。ビートルズのジャケットも手がけていたベーシストのクラウス・ヴォーマンや、「アップル・バンド」として紹介されている「バッド・フィンガー」の映像も非常に貴重なものでしょうし、メンバー紹介でジョージが「ビリー・プレストンを忘れていました!」と慌てていた、その5人目の「ビートル」の、ハモンドから立ち上がってステージ中を踊りまくるパフォーマンスなども、音だけでは伝わらない感動的なものです。
もう1枚のボーナス・ディスクには、2005年に制作された、このコンサートのドキュメンタリー・フィルムの他に、貴重なメイキング映像などが収められています。ここで初めて明らかになる関係者の証言には、「そうだったのか!」と驚くことばかり、私は、フィル・スペクターがメンバーを選ぶ段階ですでに彼の「ウォール・オブ・サウンド」を実現すべく編成を吟味していたことを興味深く知りました。クラプトンの出演までの葛藤なども、「今だから言える」ものです。
ライブ映像から30年以上経って、インタビューされている出演者たちはすっかり外見が変わってしまっていました。中でも、 見事な白髪になったレオン・ラッセルの変わりようといったら。そして、もっとも悲しいのは、このコンサートの主人公、ジョージは、もはやインタビューを受けることは出来ないということです。
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by jurassic_oyaji | 2005-11-06 19:34 | ポップス | Comments(0)
Feels Good





TAKE6
AVEX/YICD-71005



1988年にWARNER傘下のREPRISE(リプリーズ)という匂い消しのような(それは「ファブリーズ」)レーベルからデビューしたア・カペラグループ「テイク・シックス」は、2002年の「Beautiful World」までに8枚のオリジナルアルバムと1枚のライブアルバム、そして1枚のベストアルバムと、全部で10枚のアルバムをリリースしています(国内規格でもう1枚ベストアルバムが出ました)。そのデビュー作「TAKE6」を聴いて彼らの完璧なハーモニーに魅了された私は、たちまち大ファンになってしまいました。何より驚いたのは、それまで私が愛して止まなかった「ザ・シンガーズ・アンリミテッド」という4人組のコーラスグループが多重録音で時間をかけて作り上げた、多くの声部が入り交じった精緻なハーモニーを、6人のメンバーがいともやすやすと「一発録り」で成し遂げてしまっていたことです。そのアルバムに収められていたスピリチュアルズの持つ敬虔なテイストも、魅力的なものでした。その時、私はスタジオでしかなしえなかった「アンリミテッド」の世界をリアルタイムに再現する卓越したジャズコーラスグループの誕生を知ったのです。
しかし、彼らの音楽の方向性は、「ジャズ」のテクニックは維持しつつも、やはり「R&B」であったことは、それ以後のアルバムから窺えるようになります。次第にア・カペラだけではなく、しっかりファンキーなバンドがバックに入るようになってくると、その印象はさらに強まってきました。ですから、この「おやぢの部屋」を始めてからも新しいアルバムは出ていたのですが、いまいち、紹介する気にはなれなかったのです。
そんな彼らが2004年、古巣REPRISEを離れ、自分たちのレーベル「TAKE6 RECORDS」を創設します。そんな新しい環境での第1作がこれ、まさに原点回帰といった趣の全曲ア・カペラというアルバムだったのには、喜びもひとしおです。まるで、ちょっと浮気をしていた恋人が、出会った時のままの初々しさで戻ってきた(あ、あくまでたとえですからね)ような嬉しさが、そこにはありました。
このアルバムの中での私のベスト・トラックは、「Family of Love」という、まさに「アンリミテッド」のセンスが全開のソフトなナンバーです。ここで繰り広げられているハーモニー・ワークの素晴らしいこと。まるで夢のようなひとときが体験できることでしょう。「Lamb of God」というスピリチュアルズ・テイストの曲も良いですね。このタイトル、ラテン語だと「Agnus Dei」、そんな格調高いヨーロッパのミサ曲にも拮抗できうるほどの世界観が、ここにはあります。びっくりしたのは、「Just in Time」というスタンダードナンバーのカバー。これは、まさに「アンリミテッド」が1977年の同じタイトルのアルバムで取り上げていた曲ではありませんか。スクラッチノイズの入ったローファイなどというお遊びも交えて、それは確かに彼らの先達へのオマージュになっています。
そして、日本盤だけのボーナス・トラックが、三木たかしが作った「Flowing with Time」という、最近よく耳にする曲です。メロディーの美しさが、テンション・コードの中で見事に生かされた素敵なアレンジ、こういうものを聴いてしまうと、彼らの音楽はジャズもR&Bも飛び越えたもっとグローバルなものであることに、自ずと気づかされてしまいます。


2000年6月1日にテレマンの「イエスの死」で始まった「おやぢの部屋」も、今回でめでたく1000アイテム目を迎えました(902番目からは「2」となって、ブログでも公開されています)。ここまで続けてこられたのも、ひとえに皆さんのおかげです。ありがとうございます。5年という年月の中では、「おやぢ」を取り巻く状況も大きく変わらざるを得ませんでした。なによりも、この1000回目をピアノ曲やリートで飾れなかったのが心残りです。しかし、先ほどの曲の邦題(って、こちらが原曲ですが)「時の流れに身をまかせ」というスタンスで、これからもずっと続けていきたいと思っていますので、なにとぞよろしくお願いします。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-02 20:53 | ポップス | Comments(1)
Rock Swings



Paul Anka
VERVE/475102US盤)
VERVE/602498826003
EU盤)
ユニバーサル・ミュージック/UCCU-1068(国内盤)


ポール・アンカといえば、私達はまず1950年代から1960年代にかけてまさに一世を風靡したアイドル的なポップス・シンガーとしての姿を思い浮かべることでしょう。1957年、16歳の時に自作の「ダイアナ」という曲でいきなり大ヒットをとばした彼は、その歌詞にあるような「早熟な若者」というイメージで、数多くのヒット曲を世に送ります。しかし、そのような単なるアイドルで終わらなかったのが、彼のすごさです。1962年に公開された映画「史上最大の作戦The Longest Day」の中でミッチ・ミラー合唱団によって歌われた同名の主題歌は、彼にソングライターとしての確かな能力が備わっていることを証明してくれたのです。さらにその後にフランク・シナトラのために書かれた「マイ・ウェイ」こそは、彼の作品(この曲については作詞のみの担当)として永遠の命を持ちうる名曲となりました。
もちろん、彼は現在までとぎれることなく歌手としての活躍は続けています。ほとんど「歌手生活50年」みたいなとてつもないキャリアを誇っているわけですが、デビューが若い時だったせいでしょうか、実はまだ60代半ば、まだまだバリバリの現役アーティストなのです。
そんなポールの最新作は、タイトルそのもの、ロックの名曲をスウィング・ジャズでカバーしようという試みです。ボン・ジョヴィ、ヴァン・ヘイレン、エリック・クラプトンあたりの「王道」だけではなく、ニルヴァーナのような「オルタナティブ」までにも挑戦しようという姿勢には、並々ならぬ意欲が感じられます。
最初の曲、ボン・ジョヴィの「イッツ・マイ・ライフ」が始まったとたん、ここでポールたちが拠り所にしたものは、スウィング・ジャズが持つ力をとことん信じることだったのが分かります。確かにそこにあるのはボン・ジョヴィに違いはないのですが、それは見事に、最初からビッグバンドのために作られた曲のように聞こえてきたのですから。このことは、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」という、どう考えてもスイングにはなり得ない曲の場合、鮮烈に印象づけられることになります。あの特異なシンコペーションを持つイントロのリフは、4ビートに置き換えられるやいなや、「ロック」の持つ力強さは消え去り、「ジャズ」という、ある意味大人の音楽に見事に変貌していたのです。もちろん、このような状況下では、ポールの声の中にはデヴィッド・リー・ロスのエネルギッシュなヴォーカルの片鱗も見いだせないのは、当然の成り行きでしょう。
その代わり、私達が気づくのは、元の曲が「ロック」であったときには感じにくかった「歌」としての完成度です。激しいビートの陰に隠れてちょっと見つけそこなってしまったリリシズムが軽快な4ビートの中で蘇るとき、失われてしまったスピリッツ以上の収穫があったと思うのは、私が「大人」になった、あるいはなってしまった証なのでしょうか。
すでに充分「大人」になっていたクラプトンが書いた「ティアーズ・イン・ヘヴン」でさえ、この曲をヴァースから始めるという大胆なアレンジを施したランディ・カーバーの手によって、さらにアダルトな味に変わってしまったことからも、スウィング・ジャズの持つ力には確かに底知れぬものがあることが分かります。そして、ポール・アンカは、その事をいまだ衰えぬ張りのある声で、知らしめているのです。もちろん、少し甘めの声で(それは、「アンコ」)。
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by jurassic_oyaji | 2005-09-26 20:02 | ポップス | Comments(0)
SONORITE





山下達郎
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCL-10228


1998年の「COZY」以来、7年ぶりのオリジナルアルバムは、マルセル・モイーズが作ったフルートの教則本のようなタイトルになりました(あちらは、最後のEにアクサンが付きますが)。そんなに間が開いたとは思えないのは、その間にON THE STREET CORNER 31999年)というひとりア・カペラ・アルバムと、「RARITIES」(2002年)という、アルバム未収録の曲を集めたものを出していたせいなのかもしれません。
山下達郎は、もちろん曲を作って歌うというミュージシャンとしての才能はトップクラスのものがありますが、それだけではなく、商品としてのアルバムを作り上げ、さらにはそれを流通させるという、プロデューサーとしての才能にも非常に長けているのは、ご存じの通りです。特に、彼のようなジャンルの音楽に欠かせない、「音楽を録音する」という点でのスキルには、並々ならぬものがあります。彼は、自身でDJを務めるラジオ番組を持っていますが、その中で、今まで体験してきたレコーディングについてしばしば述べている場面がありました。その時に、レコーディングの現場がアナログからデジタルに変わった時期に、最も苦労をしたと語っていたのは、我々クラシック・ファンにとっては興味深いことでした。デジタル録音が登場した時には、私達は諸手をあげて歓迎をしていたはずです。ダイナミック・レンジは広いし、ノイズは少ないし、まさに良いことずくめの媒体であるCDが出現したために、今まで持っていたLPを、役立たずの場所ふさぎとして処分してしまった人は一体どのぐらいいたことでしょう。実は、音としてはアナログ録音はデジタルをしのぐものがあるということに人々、特にクラシック関係の人が気づくには、少し時間が必要でした。それから20年を経て、やっとアナログと同等の音を保存できるSACDという媒体を手中にすることが出来たのですから。
しかし、そんなデジタル録音の欠陥など、達郎のような現場の人間は最初から痛いほど分かっていたのだそうです。ですから、今までのアナログの音をデジタルで可能にするために、まさに血のにじむような苦労が必要だったと、しみじみと語っていたのでした。
そして、今回の録音を行う頃には、同じデジタルでも「ハードディスク・レコーディング」というテクノロジーが登場していました。これもやはり、実際に使ってみてさまざまな「弱点」を感じることになります(「ハイリスク・レコーディング」)。なんでも、繊細な音には滅法強いのに、爆発的な音には弱いのだとか。そのような機材を前にして、達郎は音楽の表現自体を、機材に合わせて変えていくようになったという、またまた私達には興味深い事実を明らかにしてくれています。例えば、ベースとキーボードがこの機材では相性が悪かったので、思い切ってベースを省いてしまったら、結果的に面白いアレンジが誕生したとか、ヴォーカルのテイストも張り上げるような歌い方はあまりしなくなったとか、音楽の表現を作り上げる要因の中に録音機材までもが重要な位置を占めているという、クラシックの世界ではまずあり得ないことを知らされたのでした。
といっても、このアルバムの中での私のお気に入りは、NHKのアニメの主題歌としてさんざん聴かされたカンツォーネ「忘れないで」と、ホーンセクションをバックにした殆どバカラックのコピー「白いアンブレラ」という、非常にアナログ的な曲なのですがね。
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by jurassic_oyaji | 2005-09-14 20:46 | ポップス | Comments(1)
失神天国~恋をしようよ~





The Captains
東芝EMI/TOCT-4920


「最後のグループサウンズ」というサブタイトルで往年のグループサウンズの世界を今の世に再現して見せた仙台のバンド「ザ・キャプテンズ」が、このほどついにメジャー・デビューを果たし、あの東芝EMIから、初マキシシングルをリリースしました。この会社の国内盤、特にポップス部門では、かなり長い間例の「CCCD」にこだわっていたものですが、これはノーマルなCDになっていますから、やっと、この問題の多いフォーマットを見限ることが出来るようになったのでしょうか。それはともかく、数年前からインディーズでは活動していたこのバンド、地元では確かなファン層を獲得していましたが、晴れて全国のリスナーの前に姿をあらわすことになったわけです。それがCCCDではないノーマル盤だったのは、何よりのことです。
グループサウンズ、略してGSとは、車に必要な燃料を販売するところ(それは「ガソリンスタンド」)、なわけはなく、1960年代に巻き起こった一大バンドブームのことです。ブームのさなかに結成されたバンドは数知れず、中には「ザ・モップス」などという、コアなバンドもありましたが(「月光仮面」好きでした)、メインは何と言っても「ザ・スパイダーズ」、「ザ・タイガース」に代表される、分かりやすいサウンドとファッショナブルな外観を持ったグループでした。今ではとても信じられないかもしれませんが、「ザ・スパイダーズ」のメイン・ヴォーカルだった堺正章は、ミリタリー・ルックに長髪という、まるで王子様のようなファッションで、紛れもない「ヴィジュアル系」タレントとしての魅力を振りまいていたのです。
今年は、その「最初の」GSである「ザ・スパイダーズ」が結成されて40周年にあたるのだとか。半世紀近くの時を経て忽然と現れた現代のGSは、やはりミリタリー・ルックに身を固めていました。このシングルのタイトル「失神天国」も、「失神」を売り物にしていた「オックス」というGSへのオマージュであることは明らかです(メンバーの赤松愛が歌い出すと、聴いていた少女たちが実際に失神したということです)。曲自体は「どうにも、どうにも、どうにも止まらない」という、山本リンダあたりの持ち歌からの引用がちょっと目障りですが、それに続くあくまでストレートな曲調と歌詞には、思わず引き込まれてしまいます。そして、曲を書き、自ら歌っている傷彦(きずひこ)クンの、ちょっと鼻に詰まったヴォーカル、随所に挿入されたクサいセリフには、「失神」とまでは行かないまでも、何か怪しげな魅力が伴っているのも事実です。
今の音楽シーンに蔓延しているのは、全く日本人の感性とはかけ離れたところにあるヒップ・ホップ系、あのようなガサツで暴力的な音楽に付き合わされるのは苦痛でしかないと思っている人は多いはずです。そこに現れたのが、胡散臭いところはあるものの、私たちの琴線には間違いなく触れるであろう正当派GS、マイナーを基調にした懐かしいコード進行と、限りなくチープなエレキサウンドで怪しく迫られれば、多くの人の共感を呼ぶことは間違いありません。それがどこまで浸透するのか、見守っていきたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2005-07-22 19:45 | ポップス | Comments(1)
TATUM/Improvisations





Steven Mayer(Pf)
NAXOS/8.559130



私たちに様々な幸せ感を届けてくれる楽器の音色、しかし、その楽器を演奏しているのは生身の人間ですから、他人に感動を与えられるほどの演奏を成し遂げるためには絶え間ない修練が必要とされます。華麗な超絶技巧の裏には、幼少の頃からの長い時間をかけたつらい努力という、他人が知ることはない苦しみが隠されているものなのでしょう。そして、一流の演奏家であり続けるために欠かすことが出来ないのは日々の練習の積み重ね、それを怠れば、たとえホロヴィッツほどのヴィルトゥオーゾでも、「ひびの入った骨董品(吉田秀和)」と揶揄されてしまうのです。
そのホロヴィッツが、まだバリバリの現役だった1940年代、顔を知られないように目深に帽子をかぶって「変装」し、お忍びでニューヨークのとあるジャズクラブに出かけたことがありました。そこでは、一人の黒人がピアノを演奏していたのですが、それを聴くなり、ホロヴィッツはこうつぶやいたといいます。「私は、自分の目と耳が信じられない」。そのピアニストの名はアート・テイタム、1930年代から1950年代にかけて活躍した(1956年に、46歳という若さで亡くなっています)ジャズピアニストです。あの超絶技巧を以て知られるホロヴィッツをも驚嘆させたというそのテクニックは、しかし、血のにじむような訓練で身につけたものではなく、殆ど天才的に備わっていた能力であった、というのがすごいところです。そして、その奏法も、クラシックとは無縁のところからスタートしています。それは「ハーレム・ストライド」と呼ばれる左手の奏法。「ラグタイム」のようなシンプルな伴奏に起源を持つこのベースとコードの奏法は、ハーレムのジャズマンの間で脈々と受け継がれ、ファッツ・ウォラーを経て、テイタムで驚異的な完成度を獲得します。強拍でベース、弱拍でコードを演奏するのですが、そのベースがすでに10度、つまりオクターブ+3度となっていて、コードまで担っているのが、すごいところ、もちろん左手だけで2オクターブ近い跳躍を目にもとまらぬ早さで繰り返すのです。そして右手が紡ぎ出すパッセージのすごいこと。まるで、時間軸を全て埋め尽くしたような細かい音符の連続、しかも、それらは1音1音確かな主張を持って鳴り響いているのですから。
そんなテイタムの名人芸、もちろん録音もありますが、その録音から採譜した楽譜というものも存在しています。つまり、別にジャズの修練などしたことのないピアニストでも、きちんと楽譜を再現できるだけの能力があれば、テイタムと同じ「音」を出すことが出来るというものです。おそらくそれを自分で作って、それを演奏、CDを作ってしまったのが、このスティーヴン・メイヤーというクラシックのピアニストです。こうして、最新のデジタル録音で「蘇った」テイタムのソロの数々を聴いてみると、その華麗なテクニックには圧倒される思いです。それだけでなく、アレンジの面でも新鮮なアイディアがあちこちで発見されて、驚かされます。ジャズのスタンダードに混じって、ドヴォルジャークの「ユモレスク」なども収録されているので、それは我々でもよく分かるのですが、原曲の良さを生かしつつ、ユーモラスな一面も持つこのアレンジは、ちょっとクラシックのセンスからは出てこない素晴らしいものです。
もちろん、このメイヤーの演奏が「ジャズ」とは全く無縁のものであることは言うまでもありません。言ってみれば、それは自然の一部を切り取ってそれに似せて作ったジオラマのようなもの、カプースチンの音楽が決して「ジャズ」と呼ばれることがないのと同様に、楽譜に起こした時点で、テイタムは「ジャズ」としての命を失ったのです。
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by jurassic_oyaji | 2005-07-09 19:43 | ポップス | Comments(0)
Jazzkonzert in der Philharmonie Berlin




Thomas Quasthoff(Bar)
The Berlin Philharmonic Jazz Group
IPPNW/CD 49



今までも何回かとりあげたIPPNW、つまり「International Physicians for the Prevention
of Nuclear War
」日本語だと「核戦争防止国際医師会議」となる団体が主催しているコンサートのCD、今回は、2004年の9月にベルリンのフィルハーモニーという、あのベルリン・フィルの本拠地で行われたジャズのコンサートのライブ録音です。昔だったらオーケストラのコンサート会場でジャズとは、と、眉をしかめる人もいたかもしれませんが、今時そんなことを言ったりしたら笑われてしまいます。なにしろ、そのベルリン・フィルでさえ、大晦日のコンサートではジャズシンガーをゲストに迎えてガーシュインをやったりしているのですからね。その、ダイアン・リーヴスが参加した2003年の「ジルヴェスター・コンサート」の時に、ヴィオラ奏者の人が本格的なソロを聴かせてくれたのには驚いてしまいましたが、それもそのはず、彼は他のベルリン・フィルのメンバーと一緒に、プロフェッショナルな「ジャズ・バンド」を作っていたのですよ。そう、種明かしをしてしまえば、その「ベルリン・フィルハーモニック・ジャズ・グループ」のコンサートが、このCDのコンテンツだったのです。
ヴァイオリン(トランペットと持ち替え!)、ヴィオラ、ヴァイブ(もちろん「ビブラフォン」。他のものを想像した人っ?)、そしてドラムスとベースというユニークな編成、その2本の弦楽器のユニゾンが、ちょっと他では聴けない独特な持ち味を醸し出しています。その、かなりクールなジャズも大いに楽しめるのですが、このコンサートではもう一人、ものすごいゲストが登場します。それはヴォーカルのトーマス・クヴァストホフ。ご存じ、リートや宗教曲、そして最近ではオペラでも大活躍のあのバリトンが、ジャズ・ヴォーカルを披露してくれるというのですから、これは楽しみです。しかし、それは「楽しみ」などという生やさしいものではありませんでした。この名バリトンが別のジャンルで見せてくれた才能には、心底から脱帽させられてしまったのですから。
「ミスティ」や「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のようなスローバラードでの、彼のなめらかな甘い歌声はどうでしょう。ここには「クラシック」の押しつけがましさなど微塵もない、完璧な「ジャズシンガー」の姿があります。サッチモのだみ声を真似したり、ソロのトランペットに合わせてバズィングをしたりという余裕すら。「ソング・フォー・マイ・ファーザー」でのスキャットも、堂に入ったものです。しかし、本当に驚かされたのは、「ソロインプロヴィゼーション」というタイトルの、彼自身の曲です。クヴァストホフがたった一人の「ソロ」で繰り広げたものは、こんなことはこの人にしか出来ないのでは、と思っていたあのボビー・マクファーレンの神業の世界だったのです。ブルース・コードに乗ったスィンギーなベースラインを歌いながら、ありとあらゆるテクニックを駆使して聴かせてくれる「インプロヴィゼーション」、しかも、会場のお客さんのリアクションを聴いても分かるように、それは完璧なエンタテインメントでもあったのですよ。
それに続くジョビンのボサ・ノヴァ、「波」や、最後のナンバー、軽快なジャズ・ワルツにアレンジされた「サマータイム」を聴く頃には、すっかりこの超辛の「ジャズシンガー」のファンになってしまっていました(タバスコ豊富)。もし映像があったなら、特に「ソロ」はぜひ見てみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2005-06-11 20:24 | ポップス | Comments(0)
MANTOVANI/By Special Request





Mantovani and his Orchestra
GUILD/GLCD 5110



前回取り上げた黛敏郎は、彼の「題名のない音楽会」で、マントヴァーニ・オーケストラのアレンジについて取り上げたことがありました。「イージー・リスニング」と言うよりは、昔ながらの「ムード・ミュージック」といった方がしっくりくる、厚い弦楽器の響きが売り物のこのオーケストラ、そのサウンドは、「カスケイディング・ストリングス」と呼ばれるもので、その名の通り、まるで滝が流れ落ちるような華麗な効果を持ったものです。このアイディアは、マントヴァーニとともに彼のオーケストラを支えてきたロナルド・ビンジというアレンジャーによって考案されたもので、ヴァイオリンを多くのパートに分けて、少しずつ音をずらしながら演奏することによって、芳醇なエコーがかかったように聞こえるというものなのです。黛は彼の番組の中で、「魅惑の宵」か何かのヴァイオリン・パートの楽譜を拡大して吊りカンにぶら下げ、そこにいた東京交響楽団(だったかな)に実際に演奏してもらい、マントヴァーニと寸分違わないサウンドが再現されることを確認してもらう、というプレゼンを行ったのでした。そう、ビンジのアレンジは、後のイージー・リスニングのオーケストラが、エコーやディレイなどのエフェクトをPAに頼り切っていたのとは対照的に、アレンジだけで、ということは、クラシックのオーケストラのように一切電気的な処理を施さない場でも、たっぷりしたエコー感を与えられるものだったのですね。さらに、マントヴァーニの場合、録音を行っていたのが英DECCAという、昔から録音技術に関しては卓越したノウハウを持っていたレーベルだったことも幸いします。特にステレオ録音になってからは、その華麗なサウンドはまさに生き生きと花開くのでした。
ところで、このアルバム、レーベルはDECCAではありませんね。これはなんとGUILDという、ヒストリカル録音専門のレーベルではありませんか。実は、ここに納められているのは、全てSPレコードから「ディジタル・リストレーション(修復)」を施されたものなのです。録音されたのが1943年から1953年、DECCAの権利が及ばない音源を集めたら必然的にこうなったのかもしれませんが、ビンジが「カスケイディング~」の手法を確立したのが1950年頃と言われていますから、はからずも、まさにその前後のアレンジの変遷がまざまざと味わえる貴重な記録にもなっているのです。
最初のトラック、1943年録音のコール・ポーターの「ビギン・ザ・ビギン」という、「最初はやっぱりきれいな人とだな」という虫のいい男の歌(それは、「ビギン・ザ・美人」)から、これが本当にSPの音だなどとは到底信じられない、ノイズも全くなく音の粒立ちもクリアな録音にびっくりさせられます。ただ、これはストリングスはほとんど目立たない、後のマントヴァーニの姿など全く感じられないただのダンスバンドのアレンジと演奏です。ところが、50年をすぎたあたりから、明らかにストリングスを前面に押し出したアレンジに変わっていきます。それはまさに劇的と言えるもの、そして、そのストリングスの音はなんと艶やかなのでしょう。コンチネンタル・タンゴの名曲「青空」(53年録音)などは、生々しさから言ったら、下手なデジタル録音など遙かに凌ぐものです。
元の録音がちゃんとしていれば、SPからでもこれほどの音が再現できるのが、最近のデジタル技術なのでしょう。クラシックでもこんな良い仕事がしてあるものがあれば、是非聴いてみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-30 19:37 | ポップス | Comments(2)
Moodswings




Elvis Costello, Sting, Björk etc.(Vo)
Brodsky Quartet
BRODSKY RECORDS/BRD3501



弦楽四重奏とヴォーカル、それもロック・ヴォーカルとの組み合わせなどと言うものは、ヴォーカル・インストゥルメンタルの黎明期の「ザ・ビートルズ」ですらすでに手がけていたことでした。「イエスタデイ」や「エリナー・リグビー」でのバックに弦楽四重奏(もっと多いとも言われていますが)を起用したジョージ・マーティンのセンスは、当時の聴衆にはきわめて斬新に映ったはずです。ただ、ロックだけではなく、クラシックにも愛着を持っている人の場合は、そのストリングスの使い方には、少なからぬ違和感があったのではないでしょうか。基本的に、ヴァイオリンなどはリズムを刻むことには適していない楽器。リズムこそが命のロックとの、それが一番の齟齬だったのかもしれません。ポールがギター一本で弾き語りした「イエスタデイ」の方が、「ヘルプ!」というアルバムに収められているオリジナルバージョンより遙かに美しいと感じられるのは、私だけではないはずです。
大きく分けて2通りのコンセプトから成るブロドスキー・カルテットの新しいアルバムですが、その一つの側面、大物シンガーに自作を歌ってもらい、その伴奏をカルテットが行うという部分では、いまだこのビートルズの次元にとどまったままの安直な共演に終わってしまっているという誹りは免れません。当のエルヴィス・コステロが、「弦楽四重奏で伴奏するなんて、おめえら狂ってんな」と、看護婦さんの姿で(それは「コスプレ」)言ったというのがジョークに聞こえないほど、アルバムタイトルでもある彼の曲「My Mood Swings」での旧態依然たるバッキングは、情けないものです。リチャード・ロドニー・ベネットなどという作曲界の重鎮が自ら歌っている「I Never Went Away」あたりも、ある種のお遊びとしか聴くことは出来ません。それが、ビョークの「I've Seen It All」になると、彼女の開き直りに近いクラッシックへのアプローチにより、とても新鮮な味が出てくるのには驚かされます。異質なものを無理に融合させようとしない、これは彼女のひらめきの勝利です。
その意味では、もう一つのコンセプト、カルテットのメンバーがイギリス国内の学校を巡り、ティーンエイジャーたちとの共同作業の中から曲を生み出すというプロジェクトの成果の方にこそ、より刺激的なものを感じることができます。これは、メンバー以外に、作曲家も参加、生徒たちは曲や詞にアイディアを出したり、あるいはコンサートの企画やアートワーク(パンフレットやステージング)に加わって、何らかの形で一つのパフォーマンスに関わるというちょっと素敵なものです。中でも、イアン・ショーという人が歌っている「Venus Flytrap」と言う曲は、作詞も作曲も全て生徒によるもの、とてつもない発想のメロディーラインと、それにからみつく弦楽器が、ジャンルを超えた真の意味での「コラボレーション」を実現しています。
リズムに命をかけるロックと、メロディーを偏愛することから始まるクラシック。この2つのものが、ともに何かを作り上げようとするときには、何を大切にすべきか、あるいは、何を捨てるべきか、そんなことを深く考えさせられる、かなり重いアルバムです。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-27 00:02 | ポップス | Comments(0)