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カテゴリ:ポップス( 103 )
黄昏の調べ/現代音楽の行方
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大久保賢著
春秋社刊
ISBN978-4-393-93204-9




「新しきことは良(善)きことなり」というのは近代以降の西洋を濃厚に彩った気分だが、それが猖獗を極めたのが20世紀という時代だった。あらゆる分野で次々と新しいものが見出され、生み出されていく(と同時に、昨日のものが弊履のごとく捨て去られていく)中で、芸術音楽もこの流れに掉さして、表現の手段や領域を急速に拡げていったのである。

最初のページから、こんな、まるで明治時代の文豪が使うような言葉がオンパレードの堅苦しい文章が登場しますから、ちょっとビビッてしまいました。正直「弊履」ぐらいは読み方も意味も知ってましたが、「猖獗」なんて言葉は初めて目にしました。「しょうけつ」って読むんですね。チューハイじゃないですよ(それは「ひょうけつ」)。そして「流れに掉さして」というのは、確か漱石あたりの小説にあったかな、とは思いましたが、ここで使われているのとは正反対の意味だとずっと思っていましたからね。それをこの文脈で使うのは変だなあ、と思って調べてみたら、やっと本来の意味が分かりました。なんと恥ずかしい。そんな「古語」にも親しい方の語る「現代音楽」論だったら、傾聴に値するはずです。
ところが、著者のプロフィールを見たらお生まれになったのは1966年ですって。そんなにお若くてこんなカビの生えたような文章を書くとなると、なんだかそれは別の意味で油断できないような気になってくるから不思議です。よくいますよね、こういうの。ストレートに意見を述べるのが嫌で、わざと自分を飾ってみせる、というような人が。いや、別にこの著者がそうだなんて言ってませんけど。
それだけではなく、この人の文章は、正直とても読みづらいものでした。カッコがやたら多くて、そのたびに読むリズムが断ち切られてしまうんですよね。言いたいことがたくさんあるからこんな風になってしまったのでしょうが、はっきり言ってこれだと本当に言いたいことはなんなのかが、完全にぼやけてしまいますね。さらに、「註」のなんと多いこと。本文が200ページちょっとなのに、註だけで40ページもあるんですからね。それだけ長くなっているのは、単なる参照文献の提示だけでなく、時には本文以上の情報量を持つコメントが添えられているため、こうなると、ひっきりなしにページを行ったり来たりしなければいけませんから、煩わしいったらありません。
そんな面倒くさい体裁を取っている割には、中身はなんともシンプル。なんせ、「現代音楽」の定義が、「20世紀以降の前衛音楽、つまり非調性音楽」ですからね。これを見ると目からうろこが落ちる人はたくさんいるに違いありません。なんだ、そんなに簡単なものだったのか、とね。でも、これはあくまで著者の中だけで通用する「定義」であって、到底すべての人に受け入れられるはずもありません。だって、誰でもわかることですが、「非調性音楽」は確かに「現代音楽」ですが、「現代音楽」すべてが「非調性音楽」ではありませんからね。そこから論を進めている限り、読者を完全に納得させられるような結末を導き出すことなどは不可能です。
案の定、著者の論点は、あちこちで破綻を見せています。ペルトやグレツキのあたりの記述になると、これまでさっきの「定義」を元に読み進んできた真面目な読者は、軽い混乱状態に陥ってしまうことでしょう。
著者の「現代音楽」についての歴史的な総括は、それなりの体験と見識に基づいたとても価値のあるもので、確かにこの音楽に対する広範な知識を得るのには役に立つ資料です。ところが、最初に変な「縛り」(文中で頻出する言葉。普通に「制約」とでも言えばいいものを、あえてこんなヤクザな言い方を、それこそ「猖獗」のような言葉と同時に使うあたりが、笑えます)を設けてしまったものですから、最後の章がなんとも精彩を欠いてしまうことになりました。残念です。

Book Artwork © Shunjusha Publishing Company
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by jurassic_oyaji | 2016-05-31 23:38 | ポップス | Comments(7)
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The Beatles
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2000年に、ビートルズがそれまでにリリースしたシングルのうちで、英米のヒットチャートで1位になった27曲(!)を集めたコンピレーションアルバムが、その名も「1」というタイトルでリリースされました。それは、2009年にこのバンドのすべてのアルバムがリマスタリングを施されてリリースされた時にも、同じようにリマスタリング盤としてリイシューされていました。まあ、その段階では、あくまでレコードをカッティングする際に用いられた2チャンネルのマスターテープからトランスファーしたデジタル・データを用いてリマスターを行うという、「ほんのちょっといい音にしてみました」というようなものだったはずです。ですから、それは入手してはいませんでした。
今年の11月の初めに、今回は、「1+」という名前で、同じ曲目のBDとDVDがリリースされました。映像がメインの売り方をされていたので、全く興味はなかったのですが、ちゃんとCDだけのバージョンもあって、しかもそれは「リマスター」ではなく「リミックス」されたものだ、という情報が流れてきました。そういうことであれば、手に入れないわけにはいきません。
「リミックス」というのはクレジットカードではなく(それは「アメックス」)、オリジナルのマルチトラックのテープから、新たに2トラックにする作業(トラックダウン)をやり直すということですから、楽器やヴォーカルのバランスや定位までも変えることができるものなのです。もちろん、それをオリジナルからどの程度変えるかは、プロデューサーやアーティストのポリシー次第になるわけです。たとえば、先日のシュガーベイブの「ソングズ」の場合に、山下達郎はCDでは「リマスター盤」と「リミックス盤」の両方を作っていましたが、その「リミックス」は極力オリジナルに忠実に行っていましたね。
しかし、今回ビートルズの「1」の「リミックス」を行ったジャイルズ・マーティン(オリジナル録音のプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子)は、オリジナルにはこだわらない、かなり大胆なリミックスを行っているようでした。
そのあたりを比較するのに、本当は2000年版「1」があればいいのですが、確かに手元にあったはずのこのCDがどこを探しても見つかりません。仕方がないので、その元となったオリジナルアルバムや、シングルのみのものは「Past Masters」と比較することにしました。おそらく、それらと旧「1」との間には、決定的な違いはないはずでしょうから。

実は、この中の曲で、すでにリミックスが行われていたものがありました。それは、1999年にリリースされた「Yellow Submarine Songtrack」というアルバムです。ここでリミックスを担当したのはピーター・コビンという人です。これを聴いたときに、今までは右チャンネルだけに固まっていた「Nowhere Man」の冒頭のコーラスが3人の声が別々に広々と定位していたのに驚いたことは、今でも忘れません。このアルバムの中の3曲が、「1」の中にも入っていますから、まずはそれらでオリジナル→1999年リミックス→2015年リミックスという比較をしてみましょう。

♪Yellow Submarine

  • Original:リンゴのヴォーカルはRに定位、コーラスもRだが、最後のコーラスだけL。ドラムスはLに定位、BDは貧弱な音。アコギはL。SEの波の音とブラスバンドはCに定位。
  • 1999:リンゴはCに定位。ドラムスもC。BDの音が別物。アコギはC。SEの波の音はLとRの間を何度も往復。ブラスバンドはCに定位。間奏のSEで汽笛が入る。
  • 2015:ヴォーカル、ドラムスの定位は1999と同じ。アコギはL。SEの波の音は音場いっぱいに広がっている。ブラスバンドが行進(L→Rとパン)。汽笛は入らない。

♪Eleanor Rigby

  • Original:ポールのヴォーカルはRに定位。「All the lonely people」からダブルトラックでCに移動。Strは全楽器がCにピンポイントで定位。エンディングのLのジョンのコーラスの2回目にドロップアウト。
  • 1999:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになるが、音場は広がらない。VnI,VnIIはL、Va,VcはRに定位。ジョンのコーラスのドロップアウトはない。1回目をコピペか。
  • 2015:ポールのヴォーカルはCに定位。「All the lonely people」からダブルトラックになり、音場が広がる。VnI,VnII,Va,Vcの順に、LとRの間に均等に定位。やはり、ジョンのコーラスにドロップアウトはない。

♪All You Need Is Love

  • Original:イントロにE.Pfあり。最初のコーラスはLのみ。
  • 1999:イントロにE.Pfなし。コーラスはLとR。
  • 2015:イントロにE.Pfあり。コーラスはLとR。

その他の曲も、リミックスによってオリジナルに比べると明らかに音像がくっきりしたり歪がなくなったりしており、今まで聴いてきたものは何だったんだろうと思えるほどの素晴らしい音に生まれ変わっています。中でも、ライブ録音一発録りの「Get Back」では、イントロのLで聴こえるシンバルの盛大なひずみが全くなくなっていますし、やはりLに定位しているジョンのギターも別物のように輪郭がはっきりしています。これは、2003年にリリースされた「Let It Be...Naked」でもある程度の修復は行われていたのですが、今回はそれをはるかに上まわる成果を上げています。そして、今までさんざん非難されていた「The Long and Winding Road」でフィル・スペクターによって付け加えられたストリングスやコーラスの音の美しいこと。特にコーラスは、こんな素晴らしいものだったなんて今までは全く気づきませんでしたよ。
ストリングスに関しては、この中の唯一のジョージの曲「Something」のバックのストリングスが以前の無機質な音からふんわりとしたテイストが味わえるものに変わっているのに狂喜ものです。「You’re asking me will my love grow」でのピツィカートも、これを聴いて初めて弦楽器のピツィカートと認識出来たぐらいです。
今回、これだけ音が明瞭になったのは、オリジナルのトラックダウンの際の度重なるダビングによる歪がいかに大きかったか、ということを明らかにしてくれるものなのではないでしょうか。それが当時の技術の限界だったとしても、これだけのマスターテープの音を今まで聴くことが出来なかったのは、とても残念です。それと、当時は基本的にモノラルミックスがメインで、ステレオミックスは二次的なものというスタンスでしたから、単純に左右のトラックに楽器やヴォーカルを振り分けただけという、今聴くととても不自然な音場(「音場」という意識すらなかったのかもしれません)のものが中期までのものにはたくさんありました。それが、今回のリミックスではヴォーカルがセンターに定位するなど、当たり前の音場で聴けるような配慮が多く見られます。これは、現在のオーディオ環境としてはまさに待ち望まれていたことです。
今回のジャイルズの仕事が、ビートルズのすべてのアルバムのリミックスという一大プロジェクトのスタートだと思いたいものです。それは2006年に「Love」がリリースされた時にも願っていたことなのですが。

CD Artwork © Calderstone Productions Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-11-27 20:23 | ポップス | Comments(0)
SONGS
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Sugar Babe
SONY/SRJL 1090-1(LP)




ポップス系のアーティストが「デビュー」という場合には、それはクラシックみたいに最初にコンサートを開いた時ではなく、レコード、あるいはCDが発売された時のことを指します。「ポップス」という言葉自体が、「大衆的」という意味を含んだものであるように、この世界ではアーティストは多くの大衆を相手にその演奏を聴いてもらうという前提で活動していますから、それを可能にするメディア(つまり、レコードやCD)が大衆に入手可能になった時点を「デビュー」と定義しているのです。
山下達郎が最初に自分が参加したバンドのレコードを発売したのは、1975年4月25日のことでした。その日から数えて今年は40年目、達郎は「デビュー40周年」を迎えたアーティストとして、今でも最前線で活躍しているのです。
そんな記念の年ですから、その彼のデビューアルバムの再発売が企画されるのは当然のことです。オリジナルはもちろんLPでしたが、それ以後CD化され、さらに何度もリマスタリングの手が加えられて、この「SONGS」というアルバムは、日本のアーティストでは非常に稀なことですが、終始オリジナルのアートワーク、コンテンツで発売され続けていたのです。今回は、そんなリイシューもこれが最後になるであろうという意味も込めて、CDでは「アルティメット・エディション」ということでなんとリマスター盤の他に、新たにマスターテープ(16チャンネル)からミキシングを行った「リミックス盤」も加わった2枚組のアルバムが発売されました。これには、ライブ・テイクなどの音源が15曲もボーナス・トラックとして収められています。
そして、同時に発売されたのが、このLPです。ジャケットはオリジナルを忠実に復刻したものですが、音源はオリジナルのアナログテープではなく、デジタル・リマスターが施されたものが使われています。さらに、カッティングも、余裕をもって外周を使えるようにあえて2枚組にしています。当然、コンテンツはオリジナルの11曲だけで、ボーナス・トラックはありません。これは、生産限定盤で、ネットでしか購入できません。発売日もCDと同じ8月5日でした。
なぜCDよりも高価でボーナス・トラックも入っていないLPを買ったのかは、もちろんこちらの方が格段に音が良いからです。これは、今まで何枚かの達郎のアルバムをCDとLPとを聴き比べて分かっていたことです。今回も、2012年のベスト盤の中に2曲同じものが収録されていたので比較してみましたが、その差は歴然としていました。特に際立っていたのが、ストリングスなどが入っている「雨は手のひらにいっぱい」です。これは、プロデューサーの大瀧詠一の意向で、フィル・スペクター風の「ウォール・オブ・サウンド」を目指したアレンジになっていますが、そのキモのカスタネットの音と、それの残響が、CDではとてもちゃちに聴こえてしまいます。もちろん、ストリングスの肌触りはLPでなければ再現できないものです。
もちろん、今ではLP並の音が再生できるデジタル・メディアも存在します。しかし、達郎はそういうものにはあまり積極的ではないように見えます。先日もラジオで、「将来のハイレゾ化を見据えて」ということで、今回のリミックス用のマスターは「ハイレゾ」でトランスファーしたそうですが、そのフォーマットが「24bit/48kHz」というのですからね。それを「CDを超えたハイエンドのスペック」と言っているのですから、そもそもハイレゾ自体にもあまり興味はなさそうですね。
このアルバムは、大瀧詠一が「笛吹銅次」という名前でエンジニアリングにも携わっています。これは、「金次」、「銀次」という業界人にちなんだ「芸名」なのですが、その元ネタはもちろん「笛吹童子」ですね。ところが、このオリジナルLPの裏面のクレジットがその「童子」になっているのはどうじて?あるいは、これは、大瀧さんならではのジョークだったのでしょうか。


LP Artwork © The Niagara Enterprises
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by jurassic_oyaji | 2015-08-04 23:27 | ポップス | Comments(0)
Born to Be Mild
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Hille Perl(E.Gamba)
Lee Santana(E.Guit)
Marthe Perl(E.Gamba)
DHM/88875061972




ラトルの「マタイ」の映像で、とても印象的な姿を見せていた超美人ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、ヒレ・パールの最新のリーダー・アルバムです。このジャケットの写真もそうですが、その美貌からは年齢を超越したものが感じられたものですから、今回調べてみて彼女が1965年生まれだと分かった時には、軽いショックを受けてしまいました。50歳ですか・・・。
それよりショックだったのは、ここで共演しているマルテ・パールというガンビストは、彼女の娘さんだと知ったことです。写真ではまるで妹のように見えるというのに。
さらにサプライズは続きます。ここでもう一人プレーヤーとして参加しているリー・サンタナが、実はマルテの父親なんですって。彼はリュート奏者として公私ともにヒレ・パールのパートナーだったのですね。もちろん夫婦共演のアルバムもたくさんリリースされています。つまり、このアルバムでは「家族共演」が実現しているのですね。
ここでは、リー・サンタナがリュートではなくイーストマンのセミアコを演奏しているように(彼は若いころはギタリストとしてジャズやロックを演奏していました)、他の2人も「エレキ・ガンバ」を使っています。

この写真で分かるように、普通のガンバとは形が全く違った非対称形、もちろんケーブルを差し込む端子も付いています。こんな楽器があることも初めて知りました。これは「アルトラ・ガンバ」(「もう一つのガンバ」、ですね)という名前の楽器で、フランスの制作者フランソワ・ダンジェの作ったものです。ダンジェはガンバだけではなく、ヴィオール全般を制作していますが、このような「電気楽器」にまで手を伸ばしていたのです。なんでも「アルトラ・ガンバ」には「クラシック」、「ジャズ」、「ロック」の3タイプのモデルがあるそうで、「ロック」などはエレキ・ヴァイオリンのようにボディがスケルトンになっています。「古楽器」の世界は、ここまで来ているのですね。

そんな、16世紀以前に誕生した楽器が、現代のテクノロジーと合体して繰り広げる音楽は、いったいどんなものなのか、まるで想像が出来ません。とにかく聴いてみるしかないのですが、それはもう時代もジャンルも超えたとてつもなく広大な世界を見せてくれるものでした。基本は、ガンバ本来のレパートリーであるルネサンス・バロック期の作品を、ギターも交えてスタイリッシュに迫る、という、まあ言ってみれば「想定内」のものなのですが、次第にそのガンバが「エレキ」の側面を強調し始めると、聴く方もエキサイトしてきます。トビアス・ヒュームという17世紀初頭のイギリスの作曲家の「Hit in the Middle」と「Touch Me Sweetly」という曲では、思い切りエフェクター(ヒレは、「スティーヴ・ヴァイのような」と言っています)をかけて、音色からアタックまで、全く別の楽器のような音を出しています。2曲目では、普通のガンバでも珍しいピチカートまで披露してくれていますよ。
そんなエフェクターの加え方は、この中で最も長い演奏時間の「Zeus: Jupiter Optimus Maximus」というオリジナルは18世紀のフランスで作られた曲で最高潮に達します。そのギンギンのディストーションは、まさに「メタル」ではありませんか。こんなのを聴いてしまうと、いずれは「メタル・ガンバ」というカテゴリーが現れる予感。
リー・サンタナは作曲家としても活躍していて、彼の作品も3曲演奏されています。これらは、それぞれある「詩」にインスパイアされて作られたもので、ヒレはその詩を朗読しながら演奏しています。インプロヴィゼーションの要素もかなり見受けられるような、ちょっとシュールな作品たち、さっきのメタルとは対極の、未来のガンバの姿が見えてきそうな気がしませんか?
かと思えば、トルコ音楽とのコラボ、などというものすごいものも登場します。これなどは、「ワールド・ミュージック」としてのガンバ、ですね。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Germany GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-05-17 20:11 | ポップス | Comments(0)
Bach to Moog
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Craig Leon(Cond, Synth)
Jennifer Pike(Vn)
Sinfonietta Cracovia
SONY/88875052612




今年、2015年は、ロバート・モーグが「モジュラー・シンセサイザー」をこの世に誕生させてからちょうど50年という記念すべき年なのだそうです。つまり、音源となる発振機(VCO/Voltage Controlled Oscillator)、音色を変えるフィルター(VCF/Voltage Controlled Filter)、ダイナミックスを決める増幅機(VCA/Voltage Controlled Amplifier)、そして音の立ち上がりや減衰をコントロールする装置(Envelope Generator)といった個々の「モジュール」をパッチコードで接続して一つの音を作り出すという、最もベーシックなシンセサイザーが発明されたのが、1965年だったのです。もちろん、それぞれの設定は「つまみを回す」というアナログなものでした。

これを使って世界で初めてシンセサイザーでバッハの作品を録音したのが、ワルター・カーロスでしたね。「Switched-On Bach」という、1968年に発表されたアルバムは、世界中でヒットしました。「彼」が使った「楽器」には、そんなモジュールが100個近く収められています。このアルバムを聴いて、自分でもシンセサイザーの音楽を作ってみようとした日本人が、富田勲です。彼の「Snowflakes are dancing」という、1974年のアルバムも、世界中で大ヒットとなり、彼は「世界のトミタ」と呼ばれるようになりました。
彼らはスタジオでこの楽器の音源をMTRにオーバーダビングして音楽を作っていたのですが、キース・エマーソンのようなキーボード奏者は、これをライブで使ったりもしました。モーグのシンセサイザーには、こんな仰々しいものではなく、ライブ仕様のコンパクトなもの(たとえば「ミニ・モーグ」)もあったのですが、あえてこれを使ったのには、多分にビジュアルなインパクトをねらうという意味があったのでしょう。日本人のユニットYMOでも、これをステージに乗せていましたね(専用のマニピュレーターが操作していました)。
そんな、一時代を作った「楽器」は、その後のデジタル・シンセサイザーの台頭で音楽シーンからは忘れられていったかに見えましたが、近年はアナログならではの腰の強い音に魅力を感じる人たちによって、改めてその存在が見直されています。ビンテージを修理したり、コピーして新たに作るといった動きの中で、ついに亡きモーグのメーカーからオリジナルと全く同じ設計で、最新の「復刻品」が「リイシュー」されるようになりました。このCDのジャケットに写っているのが、「System 55」という1973年に発売になったハイエンド・モデルを忠実に再現した商品です。富田勲がこれと同程度の楽器を買った時には、確か当時でも千万円単位の価格だったものが、今では「たった」35,000ドルで買うことができます
その「System 55」を使って、バッハを録音したのはゴールウェイがDGに移籍した時に最初に作ったアルバムをプロデュースしたクレイグ・レオンでした。ただ、彼の場合はシンセサイザーだけではなく、「生の」ヴァイオリンと弦楽オーケストラも加えています。
冒頭を飾るのが、ヴァイオリン・パルティータ第3番の「プレリュード」(ホ長調)だというのは、もちろん「Switched-On Bach」を意識してのことでしょう。ただ、「本家」ではその「パロディ」である、カンタータ29番のシンフォニア(ニ長調)の方が使われています。キーこそ違いますが、そこから聴こえてきた「モーグ」の音は、まさに50年近く前にワルター・カーロスが作り上げたものと非常によく似たものでした。しかし、そこに「生楽器」が入ってくると、それぞれのテンポ感が微妙にずれていることに気づきます。というか、はっきり言って「合ってない」のですよ。それは、途中でもう聴くことをやめてしまいたくなるほどの「いい加減」な仕上がりでした。いったいレオンは何を目指してこんなアルバムを作ったのかが、まるで見えてきません。これは、モーグに対してもバッハに対しても、そして「ウェンディ」・カーロスに対してもたいしてリスペクトを持っていないアホなプロデューサーがでっち上げた、とんでもない駄作です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-05-09 21:02 | ポップス | Comments(0)
VARIETY
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竹内まりや
MOON/WPJL-10016/7(LP)




竹内まりやがかつてはアイドルだったなんて、今では知る人もいなくなってしまいました。一応1978年にデビューした時には、れっきとしたアイドルだったんですけどね。「紅白」こそは出ませんでしたが、当時の歌番組には毎週出演して、ヒット曲の「不思議なピーチパイ」なんかをミニスカート姿でキャピキャピ歌っていたものでした。同じ年にデビューしたアイドルでは、石川ひとみ、石野真子(石巻出身・・・ウソです)、杉田かおる、畑中葉子なんかがいましたね。
今ではそういう「元アイドル」たちが活躍している場が、「歌番組」ではなく「バラエティ」というのが、悲しいですよね。「アイドル」というのは、いくら年をとっても「使い捨て」でしかないのでしょう。ですから、まりやがそういう道を自ら絶って、1982年にスッパリと歌手活動から退いた、というのは、なんとも潔い決断でした。
しかし、それから2年後、彼女は全くリニューアルした姿で音楽シーンに戻ってきました。かつては、世のアイドルの習いとして、他の職業作曲家、作詞家が作った曲を歌っていたものが、その時に発表されたアルバムには全て自分で作詞・作曲を手がけた曲を自ら歌ったものが収録されていたのです。たった2年で、彼女は「アイドル」から「シンガー・ソングライター」へと変貌していたのでした。というより、その時に彼女は本来「アイドル」ではなかったことを、世に知らしめたのです。
その時リリースされた記念すべき彼女の「ファースト・アルバム」が、今年で発売から30年経ったということで、最新のリマスターが施され、多くのボーナス・トラックも加えられた形でのCDがリイシューされました。そして、嬉しいことに、同時にLPもリリースされたのです(こちらにはボーナス・トラックはありません)。
このアルバムが最初に発売された1984年と言えば、まさにCDの黎明期でした。クラシックではその1年前にはCDが発売されていましたが、ポップスでの「CD化」は少し遅れていたようで、まだまだポップス・ファンにとってはCDは縁遠いものという状態だった頃なのでしょうから、もちろんこのアイテムもまずはLP、そしておまけみたいな形でCDが発売されていました。もちろん、「これからはCDの時代だ」と信じて疑わなかったものとしては、1枚3800円もするCDをありがたがって購入していました。

皮肉なことに、それから30年後には、そんな「CD信仰」は世の中からは消え去っていました。そして、かつては片面に6曲も詰め込んで1枚のLPだったものが、もっと余裕を持ったカッティングで内周歪みがかなり回避された2枚組という形でリリースされていました。それでも、かつての初出CDとほぼ変わらない値段ですから、何の抵抗もありません。音はもちろんですが、実際は目にすることがなかったオリジナルLPのアートワークがやっと楽しめるようになったのには感激です。なんせ、初出CDのブックレットなんて、こんなしょぼさですからね。

今回のLPも、カッティングは以前の山下達郎のLPと同じ小鐵徹さんです。その時にはちょっとしたトラブルがあったものが、今回は完璧な仕上がりです。カッティング・レベルが高いために、サーフェス・ノイズがヘッドフォンでも全く聴こえないというすごさです。もちろん、今回比較した2008年リマスタリングのベスト・アルバムの音など問題にならないような解像度の高さと繊細さには、改めてCDの限界を知らされるだけです。長年聴いてきた「もう一度」の「いつしかー」とか「私をー」といったところでファルセットを使っているなんて、このLPで初めて気づいたぐらいですから。
そんな「いい音」で全曲聴きなおしてみると、いまさらながらこのアルバムの完成度の高さが分かります。タイトル通りのとてつもないほどの多様性、これは、最近のアルバムでは失われてしまっているのだと、改めて思わされてしまうのが、とても残念です。

LP Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-12-12 21:33 | ポップス | Comments(0)
TRAD
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竹内まりや
MOON/WPZL-30906/7



2007年の「デニム」以来となる、7年ぶりのオリジナル・アルバムの登場です。「デニム」の時にはまさにデニムのロングスカート、そして、今回は三つ揃えのスーツとピンホールカラーのシャツという「トラッド」なファッションで迫ります。というか、これは男物の打ち合わせですから、なんともボーイッシュ。
今回のジャケットやブックレットを飾るのは、まりやの故郷、出雲の風景です。そのスーツ姿のショットは出雲大社、タータンチェックのスカートでバックにしているのは稲佐の浜ですね。ジャケットの写真は、おそらく「竹野家」の中なのでしょう。
もちろん、初回限定盤を買いましたから、「おまけ」が付いてます。今までだとカラオケのCDなどがそんな「おまけ」だったのですが、今回はなんとDVDです。このところ盛んに目にする「静かな伝説(レジェンド)」のPVを始めとする、これまでのPVのハイライト・シーンだけではなく、2000年のライブ映像まで入っていますから、これはたまりません。ライブの方は何度も見ているものなのですが、こうやってパッケージになっていると、感慨も新たです。「駅」の細やかな表現は、ライブならではの深い味ですね。
その「レジェンド」の映像を、CDと同じオーディオ環境で聴いてみると、なんだかCDよりも滑らかな音が聴こえてきます。特に達郎のコーラスが入ってきた時の音場の広がりが全然別物で、見事に各声部が溶け合ったまろやかなハーモニーになっています。そこで、DVDの音声スペックを確認してみると24bit/48kHzPCMなのだそうです。まあ、ハイレゾと言えるかどうかは微妙なところですが、この違いははっきりと音に出ていたのですね。いや、ショルティの「指環」だってこの程度のスペックであれだけの音が聴けたのですから、やはりこれだけでもはっきりCDをしのぐ音になるのでしょう。
こうなると、まりやや達郎の曲も、オリジナルのハイレゾで聴いてみたくなりますね。ドリカムの中村正人でさえ雑誌のインタビューで「24/96で録音している」と言ってるぐらいですから、達郎だったら当然同程度の規格を採用しているはずですからね。というか、いまどき16/44.1で録音を行っている現場なんてないのではないでしょうか。
と、音に関しては興味深い体験があったのですが、この曲自体ははっきり言ってあまり好きではありません。「デニム」に入っていた「人生の扉」と似たようなテイストを感じる曲で、なんとも重苦しい歌詞と、それに合わせたまるで演歌のような思い入れたっぷりの歌い方が、ちょっと辛く感じられてしまうのですよ。まあ、これはおそらく作家自身の「進歩」なのだ、ということは、最近のプロモーションでの発言でうかがうことが出来ますから、もはやどうしようもないことなのでしょうが、1ファンとしては「進歩」などしなくてもいいからあまり変わらないで、と、願わずにはいられません。
そういう意味で、このアルバムの中で最も注目したのは、みつき(高畑充希)のために作った「夏のモンタージュ」のセルフカバーです。「幸せだな~」とかは入ってません(それは、セリフカバー)。オリジナルはこちらに収録されていて、その時には「まりやがセルフカバーを行っていないのは、もはやこの歌には付け加えるべきものは何もないと判断してのことだったのでは」と書いていましたが、まりやはそれをやってしまったのですね。その結果は、予想どおりでした。オリジナルが持っていた切なさやはかなさといったものは、ものの見事にこのカバーから消え去っていたのです。オリジナルのすばらしさは、なんと言っても歌った人の魅力、曲はそれを助けただけのものに過ぎませんでした。つまり、「扉」や「レジェンド」を歌ってしまった人には、もはやこの歌に真の命を吹き込むことはできないのです。悲しいかな、それが「進歩」というもの、辛くても耐えるしかありません。

CD Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-09-11 21:02 | ポップス | Comments(0)
LOUSSIER/Violin Concertos
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Adam Kostecki(Vn)
Piotr Iwicki(Perc)
Gunther Hauer(Pf)
Polish Philharmonic Chamber Orchestra
NAXOS/8.573200




ジャック・ルーシエと言えば、1959年に発表した「プレイ・バッハ」というアルバムで、おそらく世界で初めてジャズの世界にバッハを持ちこんだフランスのピアニストというイメージが定着していますが、そんな彼が作った「ヴァイオリン協奏曲」などというものがあるのだそうです。しかも2曲も。でも、そもそも彼はクラシックのピアニストを目指してパリのコンセルヴァトワールに入学、イヴ・ナットの教えを受けているということですので、もちろんベースにはしっかりとしたクラシックの素養があるのでしょう。それにしても、ピアノではなくヴァイオリンのための協奏曲とは。
この「ルーシエ」さんは、もうすっかり「ルーシェ」という表記(違い、分かります?「エ」は大文字です)に馴染んでしまっていますが、ご本人が「ルーシエ」と発音しているのですからなんとかしてあげたいな、と、常々思っています。同じ綴りで菓子職人を意味する「pâtissier」はきちんと「パティシエ」と発音できるような時代になったのですから、そろそろ「ルーシェ」はやめにしませんか?もし今「パテシェ」という人がいたら、かなりダサいでしょ?
「協奏曲第1番」は1987年から1988年にかけて作られています。正式には「ヴァイオリンと打楽器のための協奏曲」というタイトルが付けられている通り、ソロ・ヴァイオリンの他に「打楽器」がフィーチャーされています。しかし、その実体は殆どルーシエの普段の音楽活動ではおなじみの「ドラムセット」です。4つの楽章から出来ているこの曲の中の、第1楽章と第4楽章に、この「ドラムス」が登場します。つまり、そういうサウンドですから、これは限りなくポップ・ミュージックに近い仕上がりとなっています。別にルーシエは「ジャズ・ピアニスト」の他に「クラシック作曲家」としての別の顔を持っていたわけではなかったのですね。
第1楽章には「プラハ」というタイトルが付いていますが、音楽はなんだか「タンゴ」がベースになっているように聴こえます。しかも、そのテーマが、これが作られた頃にヒットしていたマイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」に非常によく似ている、というのが、さらにその親しみやすさを増しています。
第2楽章と第3楽章は、それぞれ「裸の人」と「ブエノス・アイレス・タンゴ」というタイトルですが、ここではなんともメランコリックな音楽が広がります。
意味深なのは、最後の楽章の「東京」というタイトル。確かに、冒頭にはまるで「雅楽」のようなテンション・コードが響きますが、その後には第1楽章のテーマが出てきて、ごく普通のクリシェ・コードに変わります。さらに、ヴァイオリンがスウィングでアドリブっぽいソロを聴かせたりと、脈絡がありません。ルーシエにとっての「東京」とは、こんなごった煮の世界なのでしょうか。
ただ、そんな音楽ですから、「打楽器」の、特にバスドラムあたりは、もっと締まった音でリズムをリードしなければいけないものが、エンジニアの勘違いでエコーだらけのぶよぶよの音になってしまっています。こんな「クラシカル」なバスドラは、絶対にルーシエが狙った響きではないはずです。
「2番」の方は2006年の作品。こちらは「ヴァイオリンとタブラ」という表記です。インド音楽で使われる「太鼓」ですね。でも、音楽は別にインド風ではなく、あくまでジャズ、しっかりブルース・コードも登場しますしね。しかも最後の楽章などはもろ「チャルダッシュ」だっちゃ。このハンガリーの音楽とタブラとはものすごい違和感がありませんか?
最後に入っているパデレフスキのヴァイオリン・ソナタは、「ピアニストが作ったヴァイオリンのための曲」という共通項だけで強引にカップリングされたものです。もちろん、これは単なる「抱き合わせ」に過ぎません。こんなことをしているから、このレーベルはいつまで経っても「一流」にはなれないのです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-09-07 19:56 | ポップス | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring
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The Bad Plus
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アメリカのジャズ・トリオ「ザ・バッド・プラス」が演奏した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」です。詰め物をしているわけではありません(それは「パッド・プラス」)。このトリオの中心的なメンバーはベーシストのリード・アンダーソン(左)。彼はもちろんベースを演奏していますが、それだけではなくこのアルバムのクレジットでは「エレクトロニクス」という肩書もついています。そこに、共にスキンヘッドの、ピアノのイーサン・アイヴァーソン(右)と、ドラムスのデヴィッド・キング(中央)が加わります。

ジャズ版の「春の祭典」と言えば、昔からヒューバート・ロウズのバージョンなどがありましたが、今回のものはそれとはちょっとコンセプトが異なっています。ロウズのものはまさに「ジャズ」、オリジナルのテーマを用いて自由なインプロヴィゼーションを行うものですから、それはストラヴィンスキーが作ったものとは全然別な仕上がりになっていますが、こちらは基本的にその「ストラヴィンスキー・バージョン」に忠実な進行を保っています。種明かしをすれば、ここではストラヴィンスキー自身が作った4手のためのリダクション・スコアをそのまま演奏しているのですね。骨組みはあくまでオリジナルそのもの、そこに、ほんの少しアレンジを加えている、というだけのことなのです。
いや、「ほんの少し」というのはあくまで言葉の綾でして、それは単にオリジナルの持つ時間軸を決して逸脱しない、というほどの意味なのですがね。ということは、厳密な言い方をすればこれはもはや「ジャズ」ではないということになります。そのようなチマチマしたカテゴライズからは外れた、たとえばクラシックの用語を使えば「変容」とでも言えそうなスタイルを持ったものでした。
とは言っても、「イントロダクション」では、かなりとんがったことをやっています。まず聴こえてくるのは「心音」でしょうか、低い「ザッ、ザッ」とういうパルス、そこにLPレコードのスクラッチ・ノイズが重なってなんともダークな雰囲気が漂います。このあたりが、「エレクトロニクス」の領域になるのでしょう。ずっとバックで聴こえていた「C」の電子音を受けて生ピアノが同じ音で何度かそれを繰り返し、それがそのままファゴットのオープニング・テーマになるというかっこよさです。その先は音符的には楽譜通りのことをやっているのですが、それを富田勲風の電子音やホンキー・トンク・ピアノのサンプリング、変調されたピアノの音などで「演奏」しているので、なんとも「前衛的」な世界が広がります。フルートのフレーズが吹きあがる前の一瞬の間に「ハッ」という息を吸う音が入るのが、素敵ですね。
しかし、「春の兆し」に入ると、編曲自体は結構「まとも」になってきます。ただし、ピアニストは一人しかいないのに、ピアノの音は左右からそれぞれ別のパートが聴こえてきますから、おそらく多重録音でイーサンが二人分を演奏しているのでしょう。そこに、ベースも即興的な低音だけではなく、スコアから拾ったメロディ・パートも演奏していますから、実質「3人」によるアンサンブル、そこにドラムスがリズムを刻む、というやり方で、音楽は進んでいきます。
ただ、時折ジャズメンならではの「意地」みたいなものも聴こえてきます。「春の兆し」の冒頭で、本来は弦楽器で奏される、不規則なアクセントのついたパルスなどは、1回目はしっかりクラシカルな均等のビートなのに、2回目になるとわざとフェイントをかけたような「ダル」な演出が加わります。とは言っても、最後の「生贄の踊り」の変拍子の嵐になってくると、もう楽譜通りに演奏するだけで精一杯のような感じ、なんだか、もう種も尽きた、ということでしょうか。それでも、最後に延々とコーダを引き延ばすあたりが、精一杯の「意地」なのでしょう。ストラヴィンスキーって、結構すごいことをやっていたのですね。

CD Artwork © Sony Music Enterrtainment
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by jurassic_oyaji | 2014-08-26 22:26 | ポップス | Comments(0)
Abbey Road Sonata
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1966 Quartet
松浦梨沙, 花井悠希(Vn)
林はるか(Vc), 江頭美保(Pf)
DENON/COCQ-85069




どうせすぐ消えてしまうだろうと思われていた1966カルテットも、クイーンやマイケル・ジャクソンなどと目先を変えつつ、これが5枚目のアルバムですと。まあ、そこそこマニアックなところも主張しているようで、そんなところに惹かれるファンもいるのでしょう。
今回も、アートワークに関しては脱帽です。このジャケットの写真、オリジナルと同じ服装に、腕や足の位置まで同じという凝りようです。こちらに、これを撮影した時の映像がありますが、ここまでのものを撮るまでには、かなりの手間がかかっていたんですね。車が通るときにはすぐ逃げなければいけませんし、ポール役の花井さんは舗道にスリッパを脱ぎ捨てて裸足で横断歩道に立ちます。惜しいかな、オリジナルは歩きながら撮った何枚もの写真から選んでいるので、ズボンの裾などは前に跳ね上がっていますが、こちらは止まったところを撮ってますから、裾は垂れ下がったままです。

さらに、ブックレットの裏側まで、こんな風にほぼ忠実に再現されています。こちらも、プレートの部分は合成しているので、実体感が全くないのが惜しいところ。

ところで、このアルバムでは、どこを見ても「アビイ・ロード」という不自然な日本語表記になっていますが、これはまさにプロデューサーの高嶋弘之が、最初にオリジナルのLPが出たときに巻き帯に使った表記が、そのまま公式なものになってしまったからです。今だったら「アビー・ロード」という自然な表記になっていたものを。

ビートルズをクラシックのアーティストがカバーするというありきたりの企画はいくらでもありますが、今回のこのアルバムのように、ビートルズの曲の間にクラシックの曲を挟んで編曲する、という、それよりワンランク手の込んだ企画だって、まだビートルズが現役で活動している時代に作られたジョシュア・リフキンのアルバムを始めとして、今までに星の数ほどもあったはずです。ですから、そんな中で抜きんでた存在であろうとすれば、まず問われるのは編曲のセンスでしょう。クラシックとビートルズが見事に一体化して、今まで誰も思いつかなかったような姿に変わったとすれば、そこからは感動が生まれますが、それはとてもリスキーな賭け、一歩間違えば、往年の山本直純の編曲作品(ビートルズとは限りません)のような、許しがたいほどにみっともないものに変わるだけです。いかに、ビートルズが実際に使ったスタジオで録音しようが、そんなものは何の足しにもならなくなってしまいます。
そう、さっきのジャケット写真で分かるように、彼女たちはわざわざロンドンの「アビー・ロード・スタジオ」まで出かけていって、そこの「スタジオ2」で3日間にわたる録音セッションを持ったのでした。
結果的には、まあダサく見えない程度の仕上がりにはなっているでしょうか。しかし、ここで起用された編曲者のうちの一人はとんでもない「イモ」でした。彼が担当した分はまさに駄作です。何しろ、クラシックのネタをそのまま見せてしまうというお粗末さ、聴いていて悲しくなってしまうほどです。そこへ行くと、もう一人の方は決して「元ネタ」を明かさずに、そのテイストだけを曲に取り入れるというしっかりとしたスキルを持っていますから、聴く方も真剣になって「受けて立つ」みたいな気持ちが奮い立つほどです。見事だったのは「A Hard Day's Night」。伴奏がどこかで確かに聴いたことがあるものなのになかなか思い出せずにいると、最後になってそのテーマの断片が出てきて「これだ!」とわかる仕掛けです。ビートルズが実際に録音の時に用いたホンキー・トンク・ピアノを使った「Lady Madonna」は、ガーシュウィンのイントロがかっこよすぎ。「The End」で、3人のギター・ソロを完璧にコピーしているのも素敵です。ただ、歌のメロディ・ラインのコピーがいまいちなのが、とても気になります。

CD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2014-07-05 20:36 | ポップス | Comments(0)