おやぢの部屋2
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カテゴリ:ポップス( 99 )
Bach to Moog
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Craig Leon(Cond, Synth)
Jennifer Pike(Vn)
Sinfonietta Cracovia
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今年、2015年は、ロバート・モーグが「モジュラー・シンセサイザー」をこの世に誕生させてからちょうど50年という記念すべき年なのだそうです。つまり、音源となる発振機(VCO/Voltage Controlled Oscillator)、音色を変えるフィルター(VCF/Voltage Controlled Filter)、ダイナミックスを決める増幅機(VCA/Voltage Controlled Amplifier)、そして音の立ち上がりや減衰をコントロールする装置(Envelope Generator)といった個々の「モジュール」をパッチコードで接続して一つの音を作り出すという、最もベーシックなシンセサイザーが発明されたのが、1965年だったのです。もちろん、それぞれの設定は「つまみを回す」というアナログなものでした。

これを使って世界で初めてシンセサイザーでバッハの作品を録音したのが、ワルター・カーロスでしたね。「Switched-On Bach」という、1968年に発表されたアルバムは、世界中でヒットしました。「彼」が使った「楽器」には、そんなモジュールが100個近く収められています。このアルバムを聴いて、自分でもシンセサイザーの音楽を作ってみようとした日本人が、富田勲です。彼の「Snowflakes are dancing」という、1974年のアルバムも、世界中で大ヒットとなり、彼は「世界のトミタ」と呼ばれるようになりました。
彼らはスタジオでこの楽器の音源をMTRにオーバーダビングして音楽を作っていたのですが、キース・エマーソンのようなキーボード奏者は、これをライブで使ったりもしました。モーグのシンセサイザーには、こんな仰々しいものではなく、ライブ仕様のコンパクトなもの(たとえば「ミニ・モーグ」)もあったのですが、あえてこれを使ったのには、多分にビジュアルなインパクトをねらうという意味があったのでしょう。日本人のユニットYMOでも、これをステージに乗せていましたね(専用のマニピュレーターが操作していました)。
そんな、一時代を作った「楽器」は、その後のデジタル・シンセサイザーの台頭で音楽シーンからは忘れられていったかに見えましたが、近年はアナログならではの腰の強い音に魅力を感じる人たちによって、改めてその存在が見直されています。ビンテージを修理したり、コピーして新たに作るといった動きの中で、ついに亡きモーグのメーカーからオリジナルと全く同じ設計で、最新の「復刻品」が「リイシュー」されるようになりました。このCDのジャケットに写っているのが、「System 55」という1973年に発売になったハイエンド・モデルを忠実に再現した商品です。富田勲がこれと同程度の楽器を買った時には、確か当時でも千万円単位の価格だったものが、今では「たった」35,000ドルで買うことができます
その「System 55」を使って、バッハを録音したのはゴールウェイがDGに移籍した時に最初に作ったアルバムをプロデュースしたクレイグ・レオンでした。ただ、彼の場合はシンセサイザーだけではなく、「生の」ヴァイオリンと弦楽オーケストラも加えています。
冒頭を飾るのが、ヴァイオリン・パルティータ第3番の「プレリュード」(ホ長調)だというのは、もちろん「Switched-On Bach」を意識してのことでしょう。ただ、「本家」ではその「パロディ」である、カンタータ29番のシンフォニア(ニ長調)の方が使われています。キーこそ違いますが、そこから聴こえてきた「モーグ」の音は、まさに50年近く前にワルター・カーロスが作り上げたものと非常によく似たものでした。しかし、そこに「生楽器」が入ってくると、それぞれのテンポ感が微妙にずれていることに気づきます。というか、はっきり言って「合ってない」のですよ。それは、途中でもう聴くことをやめてしまいたくなるほどの「いい加減」な仕上がりでした。いったいレオンは何を目指してこんなアルバムを作ったのかが、まるで見えてきません。これは、モーグに対してもバッハに対しても、そして「ウェンディ」・カーロスに対してもたいしてリスペクトを持っていないアホなプロデューサーがでっち上げた、とんでもない駄作です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-05-09 21:02 | ポップス | Comments(0)
VARIETY
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竹内まりや
MOON/WPJL-10016/7(LP)




竹内まりやがかつてはアイドルだったなんて、今では知る人もいなくなってしまいました。一応1978年にデビューした時には、れっきとしたアイドルだったんですけどね。「紅白」こそは出ませんでしたが、当時の歌番組には毎週出演して、ヒット曲の「不思議なピーチパイ」なんかをミニスカート姿でキャピキャピ歌っていたものでした。同じ年にデビューしたアイドルでは、石川ひとみ、石野真子(石巻出身・・・ウソです)、杉田かおる、畑中葉子なんかがいましたね。
今ではそういう「元アイドル」たちが活躍している場が、「歌番組」ではなく「バラエティ」というのが、悲しいですよね。「アイドル」というのは、いくら年をとっても「使い捨て」でしかないのでしょう。ですから、まりやがそういう道を自ら絶って、1982年にスッパリと歌手活動から退いた、というのは、なんとも潔い決断でした。
しかし、それから2年後、彼女は全くリニューアルした姿で音楽シーンに戻ってきました。かつては、世のアイドルの習いとして、他の職業作曲家、作詞家が作った曲を歌っていたものが、その時に発表されたアルバムには全て自分で作詞・作曲を手がけた曲を自ら歌ったものが収録されていたのです。たった2年で、彼女は「アイドル」から「シンガー・ソングライター」へと変貌していたのでした。というより、その時に彼女は本来「アイドル」ではなかったことを、世に知らしめたのです。
その時リリースされた記念すべき彼女の「ファースト・アルバム」が、今年で発売から30年経ったということで、最新のリマスターが施され、多くのボーナス・トラックも加えられた形でのCDがリイシューされました。そして、嬉しいことに、同時にLPもリリースされたのです(こちらにはボーナス・トラックはありません)。
このアルバムが最初に発売された1984年と言えば、まさにCDの黎明期でした。クラシックではその1年前にはCDが発売されていましたが、ポップスでの「CD化」は少し遅れていたようで、まだまだポップス・ファンにとってはCDは縁遠いものという状態だった頃なのでしょうから、もちろんこのアイテムもまずはLP、そしておまけみたいな形でCDが発売されていました。もちろん、「これからはCDの時代だ」と信じて疑わなかったものとしては、1枚3800円もするCDをありがたがって購入していました。

皮肉なことに、それから30年後には、そんな「CD信仰」は世の中からは消え去っていました。そして、かつては片面に6曲も詰め込んで1枚のLPだったものが、もっと余裕を持ったカッティングで内周歪みがかなり回避された2枚組という形でリリースされていました。それでも、かつての初出CDとほぼ変わらない値段ですから、何の抵抗もありません。音はもちろんですが、実際は目にすることがなかったオリジナルLPのアートワークがやっと楽しめるようになったのには感激です。なんせ、初出CDのブックレットなんて、こんなしょぼさですからね。

今回のLPも、カッティングは以前の山下達郎のLPと同じ小鐵徹さんです。その時にはちょっとしたトラブルがあったものが、今回は完璧な仕上がりです。カッティング・レベルが高いために、サーフェス・ノイズがヘッドフォンでも全く聴こえないというすごさです。もちろん、今回比較した2008年リマスタリングのベスト・アルバムの音など問題にならないような解像度の高さと繊細さには、改めてCDの限界を知らされるだけです。長年聴いてきた「もう一度」の「いつしかー」とか「私をー」といったところでファルセットを使っているなんて、このLPで初めて気づいたぐらいですから。
そんな「いい音」で全曲聴きなおしてみると、いまさらながらこのアルバムの完成度の高さが分かります。タイトル通りのとてつもないほどの多様性、これは、最近のアルバムでは失われてしまっているのだと、改めて思わされてしまうのが、とても残念です。

LP Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-12-12 21:33 | ポップス | Comments(0)
TRAD
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竹内まりや
MOON/WPZL-30906/7



2007年の「デニム」以来となる、7年ぶりのオリジナル・アルバムの登場です。「デニム」の時にはまさにデニムのロングスカート、そして、今回は三つ揃えのスーツとピンホールカラーのシャツという「トラッド」なファッションで迫ります。というか、これは男物の打ち合わせですから、なんともボーイッシュ。
今回のジャケットやブックレットを飾るのは、まりやの故郷、出雲の風景です。そのスーツ姿のショットは出雲大社、タータンチェックのスカートでバックにしているのは稲佐の浜ですね。ジャケットの写真は、おそらく「竹野家」の中なのでしょう。
もちろん、初回限定盤を買いましたから、「おまけ」が付いてます。今までだとカラオケのCDなどがそんな「おまけ」だったのですが、今回はなんとDVDです。このところ盛んに目にする「静かな伝説(レジェンド)」のPVを始めとする、これまでのPVのハイライト・シーンだけではなく、2000年のライブ映像まで入っていますから、これはたまりません。ライブの方は何度も見ているものなのですが、こうやってパッケージになっていると、感慨も新たです。「駅」の細やかな表現は、ライブならではの深い味ですね。
その「レジェンド」の映像を、CDと同じオーディオ環境で聴いてみると、なんだかCDよりも滑らかな音が聴こえてきます。特に達郎のコーラスが入ってきた時の音場の広がりが全然別物で、見事に各声部が溶け合ったまろやかなハーモニーになっています。そこで、DVDの音声スペックを確認してみると24bit/48kHzPCMなのだそうです。まあ、ハイレゾと言えるかどうかは微妙なところですが、この違いははっきりと音に出ていたのですね。いや、ショルティの「指環」だってこの程度のスペックであれだけの音が聴けたのですから、やはりこれだけでもはっきりCDをしのぐ音になるのでしょう。
こうなると、まりやや達郎の曲も、オリジナルのハイレゾで聴いてみたくなりますね。ドリカムの中村正人でさえ雑誌のインタビューで「24/96で録音している」と言ってるぐらいですから、達郎だったら当然同程度の規格を採用しているはずですからね。というか、いまどき16/44.1で録音を行っている現場なんてないのではないでしょうか。
と、音に関しては興味深い体験があったのですが、この曲自体ははっきり言ってあまり好きではありません。「デニム」に入っていた「人生の扉」と似たようなテイストを感じる曲で、なんとも重苦しい歌詞と、それに合わせたまるで演歌のような思い入れたっぷりの歌い方が、ちょっと辛く感じられてしまうのですよ。まあ、これはおそらく作家自身の「進歩」なのだ、ということは、最近のプロモーションでの発言でうかがうことが出来ますから、もはやどうしようもないことなのでしょうが、1ファンとしては「進歩」などしなくてもいいからあまり変わらないで、と、願わずにはいられません。
そういう意味で、このアルバムの中で最も注目したのは、みつき(高畑充希)のために作った「夏のモンタージュ」のセルフカバーです。「幸せだな~」とかは入ってません(それは、セリフカバー)。オリジナルはこちらに収録されていて、その時には「まりやがセルフカバーを行っていないのは、もはやこの歌には付け加えるべきものは何もないと判断してのことだったのでは」と書いていましたが、まりやはそれをやってしまったのですね。その結果は、予想どおりでした。オリジナルが持っていた切なさやはかなさといったものは、ものの見事にこのカバーから消え去っていたのです。オリジナルのすばらしさは、なんと言っても歌った人の魅力、曲はそれを助けただけのものに過ぎませんでした。つまり、「扉」や「レジェンド」を歌ってしまった人には、もはやこの歌に真の命を吹き込むことはできないのです。悲しいかな、それが「進歩」というもの、辛くても耐えるしかありません。

CD Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-09-11 21:02 | ポップス | Comments(0)
LOUSSIER/Violin Concertos
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Adam Kostecki(Vn)
Piotr Iwicki(Perc)
Gunther Hauer(Pf)
Polish Philharmonic Chamber Orchestra
NAXOS/8.573200




ジャック・ルーシエと言えば、1959年に発表した「プレイ・バッハ」というアルバムで、おそらく世界で初めてジャズの世界にバッハを持ちこんだフランスのピアニストというイメージが定着していますが、そんな彼が作った「ヴァイオリン協奏曲」などというものがあるのだそうです。しかも2曲も。でも、そもそも彼はクラシックのピアニストを目指してパリのコンセルヴァトワールに入学、イヴ・ナットの教えを受けているということですので、もちろんベースにはしっかりとしたクラシックの素養があるのでしょう。それにしても、ピアノではなくヴァイオリンのための協奏曲とは。
この「ルーシエ」さんは、もうすっかり「ルーシェ」という表記(違い、分かります?「エ」は大文字です)に馴染んでしまっていますが、ご本人が「ルーシエ」と発音しているのですからなんとかしてあげたいな、と、常々思っています。同じ綴りで菓子職人を意味する「pâtissier」はきちんと「パティシエ」と発音できるような時代になったのですから、そろそろ「ルーシェ」はやめにしませんか?もし今「パテシェ」という人がいたら、かなりダサいでしょ?
「協奏曲第1番」は1987年から1988年にかけて作られています。正式には「ヴァイオリンと打楽器のための協奏曲」というタイトルが付けられている通り、ソロ・ヴァイオリンの他に「打楽器」がフィーチャーされています。しかし、その実体は殆どルーシエの普段の音楽活動ではおなじみの「ドラムセット」です。4つの楽章から出来ているこの曲の中の、第1楽章と第4楽章に、この「ドラムス」が登場します。つまり、そういうサウンドですから、これは限りなくポップ・ミュージックに近い仕上がりとなっています。別にルーシエは「ジャズ・ピアニスト」の他に「クラシック作曲家」としての別の顔を持っていたわけではなかったのですね。
第1楽章には「プラハ」というタイトルが付いていますが、音楽はなんだか「タンゴ」がベースになっているように聴こえます。しかも、そのテーマが、これが作られた頃にヒットしていたマイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」に非常によく似ている、というのが、さらにその親しみやすさを増しています。
第2楽章と第3楽章は、それぞれ「裸の人」と「ブエノス・アイレス・タンゴ」というタイトルですが、ここではなんともメランコリックな音楽が広がります。
意味深なのは、最後の楽章の「東京」というタイトル。確かに、冒頭にはまるで「雅楽」のようなテンション・コードが響きますが、その後には第1楽章のテーマが出てきて、ごく普通のクリシェ・コードに変わります。さらに、ヴァイオリンがスウィングでアドリブっぽいソロを聴かせたりと、脈絡がありません。ルーシエにとっての「東京」とは、こんなごった煮の世界なのでしょうか。
ただ、そんな音楽ですから、「打楽器」の、特にバスドラムあたりは、もっと締まった音でリズムをリードしなければいけないものが、エンジニアの勘違いでエコーだらけのぶよぶよの音になってしまっています。こんな「クラシカル」なバスドラは、絶対にルーシエが狙った響きではないはずです。
「2番」の方は2006年の作品。こちらは「ヴァイオリンとタブラ」という表記です。インド音楽で使われる「太鼓」ですね。でも、音楽は別にインド風ではなく、あくまでジャズ、しっかりブルース・コードも登場しますしね。しかも最後の楽章などはもろ「チャルダッシュ」だっちゃ。このハンガリーの音楽とタブラとはものすごい違和感がありませんか?
最後に入っているパデレフスキのヴァイオリン・ソナタは、「ピアニストが作ったヴァイオリンのための曲」という共通項だけで強引にカップリングされたものです。もちろん、これは単なる「抱き合わせ」に過ぎません。こんなことをしているから、このレーベルはいつまで経っても「一流」にはなれないのです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-09-07 19:56 | ポップス | Comments(0)
STRAVINSKY/The Rite of Spring
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The Bad Plus
MASTERWORKS/88843 02405 2




アメリカのジャズ・トリオ「ザ・バッド・プラス」が演奏した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」です。詰め物をしているわけではありません(それは「パッド・プラス」)。このトリオの中心的なメンバーはベーシストのリード・アンダーソン(左)。彼はもちろんベースを演奏していますが、それだけではなくこのアルバムのクレジットでは「エレクトロニクス」という肩書もついています。そこに、共にスキンヘッドの、ピアノのイーサン・アイヴァーソン(右)と、ドラムスのデヴィッド・キング(中央)が加わります。

ジャズ版の「春の祭典」と言えば、昔からヒューバート・ロウズのバージョンなどがありましたが、今回のものはそれとはちょっとコンセプトが異なっています。ロウズのものはまさに「ジャズ」、オリジナルのテーマを用いて自由なインプロヴィゼーションを行うものですから、それはストラヴィンスキーが作ったものとは全然別な仕上がりになっていますが、こちらは基本的にその「ストラヴィンスキー・バージョン」に忠実な進行を保っています。種明かしをすれば、ここではストラヴィンスキー自身が作った4手のためのリダクション・スコアをそのまま演奏しているのですね。骨組みはあくまでオリジナルそのもの、そこに、ほんの少しアレンジを加えている、というだけのことなのです。
いや、「ほんの少し」というのはあくまで言葉の綾でして、それは単にオリジナルの持つ時間軸を決して逸脱しない、というほどの意味なのですがね。ということは、厳密な言い方をすればこれはもはや「ジャズ」ではないということになります。そのようなチマチマしたカテゴライズからは外れた、たとえばクラシックの用語を使えば「変容」とでも言えそうなスタイルを持ったものでした。
とは言っても、「イントロダクション」では、かなりとんがったことをやっています。まず聴こえてくるのは「心音」でしょうか、低い「ザッ、ザッ」とういうパルス、そこにLPレコードのスクラッチ・ノイズが重なってなんともダークな雰囲気が漂います。このあたりが、「エレクトロニクス」の領域になるのでしょう。ずっとバックで聴こえていた「C」の電子音を受けて生ピアノが同じ音で何度かそれを繰り返し、それがそのままファゴットのオープニング・テーマになるというかっこよさです。その先は音符的には楽譜通りのことをやっているのですが、それを富田勲風の電子音やホンキー・トンク・ピアノのサンプリング、変調されたピアノの音などで「演奏」しているので、なんとも「前衛的」な世界が広がります。フルートのフレーズが吹きあがる前の一瞬の間に「ハッ」という息を吸う音が入るのが、素敵ですね。
しかし、「春の兆し」に入ると、編曲自体は結構「まとも」になってきます。ただし、ピアニストは一人しかいないのに、ピアノの音は左右からそれぞれ別のパートが聴こえてきますから、おそらく多重録音でイーサンが二人分を演奏しているのでしょう。そこに、ベースも即興的な低音だけではなく、スコアから拾ったメロディ・パートも演奏していますから、実質「3人」によるアンサンブル、そこにドラムスがリズムを刻む、というやり方で、音楽は進んでいきます。
ただ、時折ジャズメンならではの「意地」みたいなものも聴こえてきます。「春の兆し」の冒頭で、本来は弦楽器で奏される、不規則なアクセントのついたパルスなどは、1回目はしっかりクラシカルな均等のビートなのに、2回目になるとわざとフェイントをかけたような「ダル」な演出が加わります。とは言っても、最後の「生贄の踊り」の変拍子の嵐になってくると、もう楽譜通りに演奏するだけで精一杯のような感じ、なんだか、もう種も尽きた、ということでしょうか。それでも、最後に延々とコーダを引き延ばすあたりが、精一杯の「意地」なのでしょう。ストラヴィンスキーって、結構すごいことをやっていたのですね。

CD Artwork © Sony Music Enterrtainment
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by jurassic_oyaji | 2014-08-26 22:26 | ポップス | Comments(0)
Abbey Road Sonata
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1966 Quartet
松浦梨沙, 花井悠希(Vn)
林はるか(Vc), 江頭美保(Pf)
DENON/COCQ-85069




どうせすぐ消えてしまうだろうと思われていた1966カルテットも、クイーンやマイケル・ジャクソンなどと目先を変えつつ、これが5枚目のアルバムですと。まあ、そこそこマニアックなところも主張しているようで、そんなところに惹かれるファンもいるのでしょう。
今回も、アートワークに関しては脱帽です。このジャケットの写真、オリジナルと同じ服装に、腕や足の位置まで同じという凝りようです。こちらに、これを撮影した時の映像がありますが、ここまでのものを撮るまでには、かなりの手間がかかっていたんですね。車が通るときにはすぐ逃げなければいけませんし、ポール役の花井さんは舗道にスリッパを脱ぎ捨てて裸足で横断歩道に立ちます。惜しいかな、オリジナルは歩きながら撮った何枚もの写真から選んでいるので、ズボンの裾などは前に跳ね上がっていますが、こちらは止まったところを撮ってますから、裾は垂れ下がったままです。

さらに、ブックレットの裏側まで、こんな風にほぼ忠実に再現されています。こちらも、プレートの部分は合成しているので、実体感が全くないのが惜しいところ。

ところで、このアルバムでは、どこを見ても「アビイ・ロード」という不自然な日本語表記になっていますが、これはまさにプロデューサーの高嶋弘之が、最初にオリジナルのLPが出たときに巻き帯に使った表記が、そのまま公式なものになってしまったからです。今だったら「アビー・ロード」という自然な表記になっていたものを。

ビートルズをクラシックのアーティストがカバーするというありきたりの企画はいくらでもありますが、今回のこのアルバムのように、ビートルズの曲の間にクラシックの曲を挟んで編曲する、という、それよりワンランク手の込んだ企画だって、まだビートルズが現役で活動している時代に作られたジョシュア・リフキンのアルバムを始めとして、今までに星の数ほどもあったはずです。ですから、そんな中で抜きんでた存在であろうとすれば、まず問われるのは編曲のセンスでしょう。クラシックとビートルズが見事に一体化して、今まで誰も思いつかなかったような姿に変わったとすれば、そこからは感動が生まれますが、それはとてもリスキーな賭け、一歩間違えば、往年の山本直純の編曲作品(ビートルズとは限りません)のような、許しがたいほどにみっともないものに変わるだけです。いかに、ビートルズが実際に使ったスタジオで録音しようが、そんなものは何の足しにもならなくなってしまいます。
そう、さっきのジャケット写真で分かるように、彼女たちはわざわざロンドンの「アビー・ロード・スタジオ」まで出かけていって、そこの「スタジオ2」で3日間にわたる録音セッションを持ったのでした。
結果的には、まあダサく見えない程度の仕上がりにはなっているでしょうか。しかし、ここで起用された編曲者のうちの一人はとんでもない「イモ」でした。彼が担当した分はまさに駄作です。何しろ、クラシックのネタをそのまま見せてしまうというお粗末さ、聴いていて悲しくなってしまうほどです。そこへ行くと、もう一人の方は決して「元ネタ」を明かさずに、そのテイストだけを曲に取り入れるというしっかりとしたスキルを持っていますから、聴く方も真剣になって「受けて立つ」みたいな気持ちが奮い立つほどです。見事だったのは「A Hard Day's Night」。伴奏がどこかで確かに聴いたことがあるものなのになかなか思い出せずにいると、最後になってそのテーマの断片が出てきて「これだ!」とわかる仕掛けです。ビートルズが実際に録音の時に用いたホンキー・トンク・ピアノを使った「Lady Madonna」は、ガーシュウィンのイントロがかっこよすぎ。「The End」で、3人のギター・ソロを完璧にコピーしているのも素敵です。ただ、歌のメロディ・ラインのコピーがいまいちなのが、とても気になります。

CD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2014-07-05 20:36 | ポップス | Comments(0)
The Singles 1969-1973
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Carpenters
UNIVERSAL/UIGY-9542(single layer SACD)




今ごろ気づいたのですが、「カーペンターズ」って、名前に「ザ」が付かないんですね。「ザ・ビートルズ」みたいに、あの頃の最後が「ズ」で終わるバンドは、必ず頭に「ザ」が付いていましたからね(「ザ・リガニーズ」とか)。もしかしたら、そんな画一的な名前を避けて、ロック・バンドとは差別化を図ったというような戦略があったのかもしれませんね。確かにこのバンドのサウンドは当時としては画期的、その親しみやすさが人気を呼んで、日本では「一家に一枚カーペンターズ」という時代がやってきます。本当ですよ。誇張ではなく、どんなご家庭にも彼らのレコードがあったという、今ではとても考えられない現象が起きていたのですよ。そういえば、AKB48のレコード(つまりCD)を実際に持っているという人に、いまだかつて会ったことはありません。
そんな、ノスタルジーのかなたにあったはずのバンドのアルバムが、なんとユニバーサルが誇るシングル・レイヤーSACDで発売されました。価格はクラシックのアイテムと同じ税込4500円(3月末のリリースでしたから。今では4629円になってしまいました)ですから、別に高いとも思いませんが、こちらにはさらにいろいろ「小物」がおまけに付いているそうなので、迷わずお買い上げです。

ただ、クラシックの時もそうでしたが、このパッケージもなにか根本的な間違いを犯しているような気がしてなりません。本体はオリジナルのダブルジャケットのミニチュアなのですが、悲しいかな、このサイズではそれがきちんと畳み込むことが出来なくて、中途半端に開いた状態にしかなりません。それをボックスにしまうと、この不思議な構造の箱の蓋は全然力がないので、絶対に閉まることはないのですよ(蓋の裏にSACDを収納する必要なんてないのに)。

なんでも、このSACDには、リチャード・カーペンター自らがマスタリングに携わった2014年の最新DSDマスターが使われているというのですね。それはすごいこと、もしかしたらLPをしのぐほどの音が聴けるかもしれませんよ。一応、当時、1973年に買った、国内編集のLP2枚組のベスト盤がまだそんなにコンディションも悪くなっていないで手元にありましたから、比較にはことかきません。
ただ、こちらのアメリカ編集のベスト盤は、まだ実際に聴いたことはありませんでしたから、1曲目の「We've Only Just Begun」で聴きなれたシングル・バージョンとは全然違うものが聴こえてきたのには、戸惑ってしまいました。「ベスト盤」としてのイントロという意味で、いきなり「Close To You」のオープニングから始まって、「Superstar」の断片なども交えた後に、初めて本来の曲が始まっていたのですね。その、最初に挿入された部分は、楽器のバランスも、カレンのヴォーカルも全然別物ですから、おそらく編集した時に新たにレコーディングされたものなのかれん。「Close To You」の本体は1970年の録音ですが、この部分の音はたった3年で全然クオリティが違うようになっていました。ただ、それにしては1973年録音の「Yesterday Once More」がえらく音が悪いので、ちょっと訳が分からなくなってしまいます。ストリングスの音などは、「Close To You」の方がずっと繊細です。
ということで、その「Close To You」を、1973年のLP1985年にA&Mでマスタリングが行われたCD2枚組のベスト・アルバム、そして今回のSACDとを比較してみました。LPだけは、最後のコーラスが終わった後、また繰り返すというバージョン、CDSACDは普通にフェイド・アウトするバージョンです。
これはもう、ヴォーカルの立体感も、ストリングスの瑞々しさも、LPにはかないません。ヴォーカルだけだったら、SACDよりもCDの方が密度が高く聴こえるかもしれません。SACDは、確かに解像度は高く感じられるものの、音に厚みと暖かみが全く欠けています。これはおそらく、マスターテープそのものの劣化が進んだためなのではないでしょうか。いずれにしても、このSACDの音は全くの期待はずれでした。

SACD Artwork © A&M Records
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by jurassic_oyaji | 2014-06-23 20:12 | ポップス | Comments(0)
The Rite of Sprig
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Hubert Laws(Fl), Dave Friedman(Vib)
Wally Kane, Jane Taylor(Fag)
Gene Bertoncini, Stuart Scharf(Guit)
Ron Carter(Bass), Bob James(Pf)
Jack DeJohnette(Dr), Airto Moreira(Perc)
CTI/KICJ-02318i(2.8DSD, 24/192PCM)




今回キングレコードから、「CTI Supreme Collection」という、40タイトルのCDのシリーズが発売されました。「CTI」というのは、1967年にクリード・テイラーが創設し「フュージョン」というカテゴリーで先駆的な役割を果たしたジャズ・レーベルです。1978年に倒産してしまいましたが、日本ではキングが販売権を持っていて、こんな風に頻繁にリイシューを行っています。
ただ、今回はCDと同時にハイレゾ・データを発売したというのが画期的。このレーベルではエンジニアにこの方面では伝説にすらなっているルディ・ヴァン・ゲルダーという人を抱えていて、音に関しては定評がありました。そんな素晴らしい録音が、マスターテープそのままの音で聴けるというのでは、試してみないわけにはいきません。
この、ハイレゾ・マスタリングは、キングのエンジニアによって行われています。こちらでは実際にそのエンジニアのインタビューを見ることが出来ます。レーベルによっていろいろやり方はあるのでしょうが、これは日本のメーカーがレコードを作る際に提供されたマスターテープから、トランスファーを行うというものです。つまり、もともとCTIで作られたマスターテープではなく、それを何度かコピーしたものが使われているのですね。とは言っても、もはやレーベル自体が存在していないのですから、これは貴重なものには違いありません。
そう、「マスタリング」とは言ってますが、そもそもマスターテープ自体がすでにマスタリングが行われている状態にあるのですから、ハイレゾであればそこからは何の細工も加えずにただA/D変換したものを記録するという「フラットトランスファー」が理想的な形なのです。ここではそれを、24/192PCMと、2.8DSDに対してそれぞれ別個に行っているのだそうです。つまり、一度PCMにトランスファーしたものをDSDに変換(その逆も)するといったD/D変換さえも行っていないのですね。
その、PCMDSDがどちらも手に入りますから、これはまさしくこの二つのデジタル録音の違いを、そのまま味わえる格好のサンプルになりますね。そこで、この1971年にヴァン・ゲルダーのスタジオで録音されたアルバムのハイレゾ・データを両方とも購入して、手元にあった1978年にリイシューされたLPとともに聴き比べてみました。
PCMDSDとの違いは、かなりはっきり分かります。全くの主観ですが、PCMは実際にその楽器が目の前で演奏されているような現実味を帯びています。しかし、DSDからは単に精緻な「音」が聴こえてくる、という感じです。よくDSDのことを「透明性のある音」という人がいますが、まさに透明人間が透明な楽器を演奏しているというイメージ、音はとても澄んでいても、なにか現実味に乏しいような気がしてなりません。同じような体験を、かつてショルティの指環に対しても味わったことを思い出しました。
リーダーのヒューバート・ロウズは、ジュリアードでジュリアス・ベイカーに師事したというしっかりクラシックの基礎を学んだジャズ・フルーティストです。クラシックを「カバー」したこのアルバムでは、ドン・セベスキーの奇跡的なアレンジで、「春の祭典」がフルート、ファゴット、ウッド・ベース、ヴァイブ、ギター、パーカッション、そしてフェンダー・ローズだけで再現されています。B面の1曲目などは、ドビュッシーの「シランクス」を楽譜通りに演奏したものを時間をずらして3度重ねるというぶっ飛んだものです。そこでのフルートの音像は、DSDPCMLPの順にふくらみを増しています。この結果には、当然マスターテープの磁性体の経年劣化も反映されているのではないれっか
データにはジャケットの画像と、「ライナーノーツ」が付いてきました。しかし、それは日本人が書いたとことんつまらない文章だけで、肝心の録音データ、そしてパーソネルなどは全く記載されていません。こういうものは、普通はライナーノーツとは言いません。

Album Artwork © King Record Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2013-12-15 20:11 | ポップス | Comments(0)
Mariya's Songbook
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Various Artists
MOON/WPCL-11618/9




1978年に「アイドル」としてデビューした竹内まりやは、今年がデビュー35周年。その記念に、他の「歌手」のために作った曲のコンピレーション・アルバムがリリースされました。収録されているのは、そのオリジナル・バージョン、したがって、まりや自身が歌っているものはボーナス・トラックの仮歌バージョン以外には一切ありません。
ブックレットに掲載されているリストによると、まりやの作品は歌詞だけのものも含めて全部で89曲もあるというのですから、すごいものです。いや、作るだけなら誰にでもできますが、この場合は全てしっかりレコードなりCDになって、「商品」として店頭に並んだものばかりなのですから、驚きです。何しろ、あの世界最大のヒットメーカーである「ザ・ビートルズ」でさえ、そのような「商品」は200曲ちょっとしかないのですからね。
そんな中から選ばれた30曲が、ここでは2枚のCDに収まっています。Disc1は赤、Disc2は緑のスコッチ・チェックの盤面にはアルバム・タイトルの「Mariya's Songbook」の文字が見えますが、よくよく見るとDisc2の方は「Mania's Songbook」となっていますよ。言われなければ分かりませんね。つまり、2枚目はちょっとマニアックなものが集められている、という、「おやぢギャグ」だったのですね。彼女も還暦に向かって、そんな「おやぢ」へまっしぐら、なのでしょうか。でも、今回のアルバムの中でも「MajiKoiする5秒前」とか「色・ホワイトブレンド」とか、かなり高度な「言葉遊び」(それを「おやじギャグ」というのです)が満載の曲がありますから、すでにそんな素養はあったのでしょう。作品にしても、この「マニアズ」の1曲目の、なんとKINYAが歌っているという「涙のデイト」という曲などは、もう完全にウケねらい、抱腹絶倒の仕上がりになっていますから、うれしくなってしまいます。
普通にヒットした曲は、後にまりやがセルフカバーしているものが多いので、当然その「歌手」との比較が楽しめます。なんと言っても、その落差が際立っているのが、中森明菜が歌った「駅」でしょうね。実は、このバージョンを聴くのはこれが初めてのことでした。それは、今までにいろいろなところで様々な「噂」(たとえば、まりやだか達郎だかが、この歌を聴いて思いきり失望した、だとか)を聞いてきましたが、それがもしかしたら本当のことだったのかもしれない、と思うには十分なものでした。なんせ、そこからはまりやバージョンの持っていたあのドラマティックな世界がまったく消え去って、なんとも後ろ向きで、聴いていて辛くなるような歌しか聴こえてはこなかったのです。まりや自身のライナーでは「明菜ちゃんとの出会いでこんな素晴らしい曲が書けた」などと持ち上げているのが「大人の事情」に思えてなりません。
逆に、これはまりや以上ではないかと思えるほどの確かな歌を聴かせてくれているのが、「みつき」という、リリースされた2008年当時は16歳だった「歌手」です。変なクセのないとても伸びやかで表現力が豊かな声によって歌われる「夏のモンタージュ」という曲は、今の同じ年代のアイドルたちのとことんだらしない歌に慣らされているものにとっては、衝撃以外のなにものでもありません。まりやがセルフカバーを行っていないのは、もはやこの歌には付け加えるべきものは何もないと判断してのことだったのでは、などと思えるほどの完成度を誇っています。この人は、高畑充希という、ミュージカル界ではその名を知られた人で、いまは朝ドラで主人公の義妹役を演じてますね。ドラマの中では「焼き氷の歌」を披露してましたっけ。「本職」では、「スウィーニー・トッド」でジョアンナ役を演じていたのだそうですね。
朝ドラと言えば、「けんかをやめて。私のために争わないで」というセリフも登場していましたね。これなどは、いかにまりやの作品が普遍性を持っているかの証(あかし)屋さんま

CD Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2013-12-07 20:35 | ポップス | Comments(0)
Entre elle et lui
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Natalie Dessay(Vo)
Michel Legrand(Pf)
Pierre Boussaguet(Cb)
François Laizeau(Dr)
ERATO/934148 2




このERATOというレーベルは、もともとは1953年に創設され、この間のヴェルナーの一連の録音なども手掛けた、フランスの由緒あるレコード会社でした。しかし、1992年にWARNERの傘下に入ってからは、なにか「飼殺し」のような状態が続き、ついに2002年には活動を停止させられてしまいます。
その後、2013年にすでにUNIVERSALに買収されていたEMIのうちのクラシック部門だけがWARNERによってさらに買収された時には、かつて、EMIが買収したVIRGINレーベルも一緒にWARNERのものになりました。そこでWARNERは、その受け皿としてこのERATOというレーベルを用意しました。つまり、今まで「VIRGIN」と呼ばれていたものは「ERATO」に(そして、「EMI」と呼ばれていたものは「WARNER」に)名前が変わってしまったのですよ。まあ、言ってみれば今まで「吉田」という苗字だった人が嫁に行って「福原」と呼び名が変わるようなものですね。
ということで、今まではVIRGINのアーティストだったナタリー・デセイは、これからはERATOのアーティストとなるのでしょう。その彼女が、もちろんERATOレーベルからソロアルバムを出しました。タイトルは「彼女と彼の間」という、意味深なもの、いったい彼女と彼の間に何があったというのでしょう。その「彼」というのは、ミシェル・ルグラン、映画音楽の作曲家やジャズピアニスト、さらにはクラシックの指揮者としても大活躍というものすごい人です。ラグラン袖のスウェットがお気に入りだとか(ウソですからね)。
ルグランが映画に付けた音楽の中には、ただのBGMではなく、殆どミュージカルと言ってもかまわないようなものがあります。それが、1964年に公開された「シェルブールの雨傘」と、1967年に公開された「ロシュフォールの恋人たち」です。このアルバムには、もちろんそれらの作品からのナンバーが含まれていて、まず「ロシュフォール」からの「デルフィーヌの歌」が最初に歌われています。ルグランの軽やかなピアノ・ソロに乗って聴こえてきたのは、まさに「シャンソン」そのものでした。とても奇麗なフランス語で(当たり前!)、囁くようなハスキーな歌い方は、「クラシック」とは全く無縁の、とびきりの魅力を持ったものでした。デセイって人は、こんな歌い方もできるんですね。
ただ、その次に出てきた同じ「ロシュフォール」のナンバー、「デルフィーヌとランシアン」では、ものすごい早口言葉が要求される歌詞に、ちょっと乗りきれないところがあって、まあそれもご愛嬌、みたいな感じです。ロッシーニの早口とはちょっと性質が違いますから、無理もないな、と。
そして、この映画の中で最も有名な「双子姉妹の歌」では、「双子」としてパトリシア・プティボンが加わります。ものすごいキャスティングですね。プティボンだってデセイと同じぐらいの芸達者ですから、期待したっていいでしょう。ところが、これがとことんつまらないんですね。まずはリズム感。二人とも、ルグランならではのシンコペーションがガタガタで、オリジナルの軽快さが全く感じられません。そして、もっとひどいのが音程です。おそらく、音域的に地声で歌うにはちょっと高すぎるのでしょう、そこで、いきおいベル・カントを混ぜようとした結果、音程が犠牲になってしまっているのですね。それを二人でやっているので、もう最悪です。
もっとひどいのが、「シェルブール」の中の最も有名なギィとジュヌヴィエーヴのデュオ(この曲にはタイトルがないんですね)です。コーラスごとに半音ずつ上がっていくという構成ですが、上がっていくたびにどんどんコントロールが出来なくなって行くんですね。1曲目で見せてくれた「シャンソン」は一体どこへ行ってしまったのかと、途方に暮れてしまいます。ルグランは、クラシックの歌手が歌うにはハードルが高すぎることだけを見せつけてくれたアルバムでした。

CD Artwork © Erato/Warner Classics UK Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2013-11-25 20:26 | ポップス | Comments(0)