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カテゴリ:書籍( 153 )
唱歌・童謡 120の真実
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竹内喜久雄著
ヤマハミュージックメディア刊
ISBN978-4-636-91064-3


「唱歌」や「童謡」についてはかなりのことを知っていると思っているのですが、本屋さんにあったこんなタイトルの本の帯に「名曲誕生伝説のウソを徹底調査!」などという挑発的なコピーが躍っていれば、手に取って読んでみないわけにはいきません。
タイトル通り、ここには全部で120曲の、主に子供が歌うために作られ、時代的には「唱歌」、「童謡」、さらには「こどものうた」とその呼ばれ方を変えてきた歌の詳細なデータが掲載されています。それぞれの歌は1曲ずつ見開きの2ページに印刷されているのが、とても見やすい工夫です。左のページには、歌詞と楽譜、そして作詞者、作曲者はもとより、その曲が初めて世の中に現れたデータまでもがきちんと載っています。特にうれしいのは、今までは「文部省唱歌」という表記だけで、個別の作家の名前が全く分からなかった曲に、しっかりクレジットが表記されていることです。
明治政府がどのような姿勢で「唱歌」を作り、流布させたかということに関しては、以前ご紹介した「歌う国民」という本に詳しく述べられていましたが、そこでは作詞家や作曲家の名前は明らかにしないという方針が貫かれていたのですね。みんなとてもよく知っている曲なのに、単に「文部省唱歌」とだけ表記されて、実際に作った人の名前のないものが、かつてはたくさんありました。それが、近年の研究によってかなりのものの作者がきっちり特定できるようになりました。その成果がここでは生かされています。たとえば、1987年に出版された「ふるさとの四季」という唱歌を集めた合唱のためのメドレーには11曲の唱歌が使われていて、そのうちの6曲が「文部省唱歌」となっていたのですが、ここではそのうちの4曲にしっかり作家の名前がありました。どんな歌にも必ずそれを作った人はいるのですから、それを明確に表記するのはとても大切なことです。
「唱歌」と「童謡」との境界線はなにかということに関しては様々な見解があるでしょうが、単に楽譜が出ただけではなく、それが実際に「音」となって世の中に広まった物が「童謡」だ、という見方もあるかもしれません。ということで、初出データも、ある時期からはレコードがリリースされた時のレーベルやアーティストになってきます。こんな扱いも、おそらく今までのこの手の本にはなかったことなのでしょう。
長年気になっていたことが、初めて腑に落ちた、というものも有りました。それは「おもちゃのチャチャチャ」の作詞家の件です。この曲では作詞家のクレジットは野坂昭如となっていますが、そこに「補作詞:吉岡治」と書いてあるものも有るのです。常々、野坂の小説の世界とこの曲の歌詞との間にはあまりにも大きな隔たりがあると思っていたのですが、その疑問は氷解しました。
ただ、気になることはいくつかあります。巻末には参考文献として「インターネット」というカテゴリーもあるのですが、その筆頭がWikipediaというのは、ちょっと情けないですね。さらに、それらの文献からの「参考」では済まない、ほとんどコピペのような文章にも、しばしば出会えます。先ほどの「おもちゃのチャチャチャ」などは、その一例です。
そして、これは2017年3月に刊行されたばかりの新しい書籍なのですが、実は2009年9月に、同じ著者による「唱歌・童謡100の真実 ~誕生秘話・謎解き伝説を追う~」という書籍が出版されているのです。この件に関して著者は「追記」として、「本書は、最初の構想では第1章から第4章までの100曲で完結していた。それが、さらに20曲について言及する『付章』を加えることになった」とは書いていますが、2009年版に関する言及は全くありません。これは、ちょっとアンフェア。
「カチューシャの唄」を「野口雨情作詞」としているちょっと恥ずかしい誤記(134ページ)もありますし(語気を強めて抗議しましょう)。

Book Artwork © Yamaha Music Entertainment Holdings, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-05-20 20:51 | 書籍 | Comments(2)
ザップル・レコード興亡記/伝説のビートルズ・レーベルの真実
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バリー・マイルズ著
野間けい子訳
河出書房新社刊
ISBN978-4-309-27818-6


「ザップル・レコード」というのは、あのビートルズがその後期に様々なビジョンを実現させるために起こした会社「アップル」の中に作られた実験的なレーベルのことです。「アップル」に関してはこれまでに膨大な文献が登場していて、その実態はほぼ明らかになっていますが、「ザップル」についての詳細な資料はあまりなかったところに、そのマネージャーを任され、実質的なレーベルの責任者だったバリー・マイルズが自ら著した「手記」が発表されました。最初にイギリスで出版されたのは2015年、その時のタイトルは「The Zapple Diaries」でしたが、翌年アメリカで出版された時には、「The Rise and Fall of the Last Beatles Label」というサブタイトルが付いていました。それが2017年2月には早くも日本語訳が登場してしまいました。
これはまさに「日記」、著者のマイルズが、「ザップル」が出来てから消滅するまでの、その日その日に起こったことをざっくりと書き綴ったものですが、そこに、その後の文献からの引用が多数挿入されているのが「記録」としての価値を上げています。日本で出版されたものには、その出版元もきちんと併記されているのも、とても親切。
このレーベルの最も近いところにいた人の書いたものですから、事実関係は詳細を極めていますが、それは殆どマイルズの本来のフィールドである文学的な仕事に関するもので、正直それほどの興味はわきません。ただ、その隙間を埋めるかのようにちりばめられた、「ザ・ボーイズ」(ビートルズのメンバーたちを、彼はそのように読んでいます)のエピソードは、かなり新鮮なものでした。ポールにしてもジョージにしても、とにかくお金に関してはやたら気前がいいのですね。
ジョンに関しては、ヨーコとの絡みが赤裸々に語られています。そこで暴露されるのが、ジョンの「アヴァン・ギャルド」に対するスタンスです。世間一般の受け止め方では彼はそのような芸術に理解を持っている人とされているのでしょうが、実際には彼は「アヴァン・ギャルド」への関心もスキルも全くなかったことが、ここでは明らかにされています。それは単に、ヨーコへの憧れのようなものだったのでしょう。
そのヨーコの「バックバンド」として参加した時に、彼が行ったパフォーマンスに関しての言及には、笑えます。彼は、ヨーコの「前衛的」なパフォーマンス(実体は、ただ意味のない悲鳴を上げていただけ)に合わせて、ギターアンプの前にギターを持って行ってジミ・ヘンドリックスのような(ですらない)ハウリングを出していただけだったというのですからね。
そんなものをA面に収録したアルバムが、1969年5月にザップルから最初にリリースされた「Life with the Lions」(Zapple 01)でした。そして、同時に「Zapple 02」という品番でリリースされたのが、ジョージの「Electronic Sound」というアルバムです。実は、このアルバムに関する部分が、最も興味深く読めてしまいました。
日本盤は確か「ジョージ・ハリスン/電子音楽の世界」みたいな大げさなタイトルだったように記憶していますが、実体は、その頃発表され、あの冨田勲も購入した「モーグIII」というモジュラー・シンセサイザーを演奏していただけなのですがね。そんな、なぜジョージがこの「楽器」に興味を持ったか、そして、それを購入する顛末、さらには、このアルバムに収録されている「作品」の出自(半分は別の人が演奏したもの)などが、ここでは事細かに語られていますよ。
この時には、音を出すこともできなかったジョージは、後に「Abbey Road」の中の「Because」では、モーグIIIのソロを披露できるまでになっていたんですね。でも、この件については新たな検証が必要なのかもしれません。この本によると、ジョージ(・ハリスン)より先にジョージ・マーティンも同じシンセを購入していたそうですから。

Book Artwork © Kawade Shobo Shinsha, Publishers

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by jurassic_oyaji | 2017-05-06 19:50 | 書籍 | Comments(0)
音の記憶 技術と心をつなげる
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小川理子著
文藝春秋刊
ISBN978-4-16-390607-2


今では「オーディオ」といえば、一部のマニアが専門メーカーのとんでもなく高価なアンプやスピーカーを買い求めて、ひたすらよい音を追求する趣味のことを指します。しかし、何十年か前には、そんなオーディオ機器を揃えることが、百科事典を揃えるのと同等の価値観で受け入れられていたことがありました。ほんとですよ。そんな「お茶の間にオーディオを」という需要に応えるために、冷蔵庫や洗濯機を作っていた大手家電メーカーが、それぞれオーディオ専門のブランドを掲げてオーディオ製品を販売していたのです。例えば、こんなブランド。

「オーレックス」 | 「オットー」 | 「オプトニカ」 | 「ダイヤトーン」 | 「テクニクス」 | 「ローディー」

それらを展開していた家電メーカーは

三洋電機 | シャープ(早川電機) | 東芝 | 日立製作所 | パナソニック(松下電器産業) | 三菱電機

さあ、どのブランドがどのメーカーのものか、分かりますか?全部分かる人なんていないかもしれませんね。
もちろん、今ではこんなブランドは殆ど消滅してしまいましたし、メーカーそのものがなくなってしまったものさえありますから、分からなくても全然恥じる必要なんかありません。ただ、「ダイヤトーン」と「テクニクス」だけは、今でもしっかり存在しているのです。そのうちの三菱電機のブランドの「ダイヤトーン」は、ほとんどカー・オーディオの製品ですが、パナソニックのブランドである「テクニクス」は、ピュア・オーディオのすべてのコンポーネンツでのハイエンド製品を送り出しています。ここが最近こんな新聞広告(2面見開き)を出したために、その知名度は一気に上がりました。
実は、「テクニクス」というブランドは、ある時期完全に消滅していました。他の家電メーカーと足並みをそろえるように、オーディオ機器からは撤退してしまったのですね。それが、最近のオーディオ事情の変化(たとえばハイレゾ化)を察知してか、再度この業界に参入してその昔のブランドを復活させたのです。さっきのターンテーブルの広告も、その流れを象徴する出来事です。
この本では、著者がパナソニック(当時は「松下電器産業」)に入社、希望していた部署に配属されてユニークなオーディオ製品を開発していた輝かしい時代、そこから撤退したために別の部署で活躍をしていた時代、さらに、そのブランドの最高責任者として「テクニクス」を復活させた今に続く時代までの、彼女自身の姿が自らの言葉で克明に語られています。そのような意味で、この本は、一つの企業内の歴史、あるいは業界全体の貴重な証言となっています。
そんな「証言」で、今となっては非常に重要に感じられるのが、CDが開発された頃のオーディオ技術者の対応です。それは、実際は彼女が職場に入る前のことなのですが、そのようなデジタル録音に対して、それまでアナログ録音で「原音を忠実に再現する」ことを追求してきた技術者たちは、オーディオの将来を真剣に憂えた、というのです。CDで採用されたフォーマットでは、20kHz以上の周波数特性は完全にカットされてしまいますからね。もちろん、当時のオーディオ評論家たちは、そんなことは決して口にはしないで、今となっては未熟なデジタル技術の産物に過ぎないCDの登場を歓迎しまくっていたのでした。
それと同時に、彼女は社内の上司の勧めで、プロのジャズ・ピアニストとしても活躍するようになります。そのような、まさに「二足の草鞋」を完璧に実現させた彼女の人生そのものも、語られています。このあたりは、まるでドラマにでもなりそうなプロットですね。アメリカでの活躍を勧められたプロデューサーと、幼馴染である婚約者との三角関係、とか。
それだけで十分な満足度を得られるはずだったのに、最後に余計な章を加えたために、稀有なドキュメンタリーがごくフツーのありきたりなハウツー本に成り下がってしまったのが、とても残念です。

Book Artwork © Bungeishunju Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-03-07 23:27 | 書籍 | Comments(0)
スカラ座の思い出/コンサートマスターから見たマエストロの肖像
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エンリーコ・ミネッティ著
石橋典子訳
スタイルノート刊
ISBN978-4-7998-0140-6



1918年にミラノのスカラ座のオーケストラに入団、1933年から1965年までの間の32年間はコンサートマスターを務めた著者が、その間に指揮台に立った指揮者のことを語った回顧録です。その間には2つの世界大戦も体験するという、まさに「歴史」の中で演奏活動を続けてきた著者の言葉には、陳腐な言い方ですが「重み」があります。
その間のスカラ座の音楽監督には、トゥリオ・セラフィンから始まってアルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィクトル・デ・サバタ、カルロ・マリア・ジュリーニ、グィド・カンテッリ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニまでの巨匠(マエストロ)の名前が並びます。その他にも、客演指揮者としてドミトリー・ミトロプーロスとヘルマン・シェルヘンについても語られています。こんな人まで、スカラ座には客演していたのですね。
ミトロプールスについては、完璧な記憶力を持っていて、例えばベルクの「ヴォッツェック」のような難解な楽譜でもしっかりオーケストラにその意味が分かるように指揮をする姿が語られます。
それとは対照的に、シェルヘンとの思い出としては、スカラ座ではなく、彼のスイスの自宅に作られたスタジオでの、いとも家族的なレコーディングの様子が語られています。シェルヘンの録音と言えば、ウィーンでのWESTMINSTERによるものしか知られていませんが、こんなこともやっていたのです。スカラ座の団員は、ここでは「アルス・ヴィヴァ・オーケストラ・グラヴェザーノ」という名前で、録音を行っていましたね。そのシェルヘンは、現代音楽にも造詣が深い指揮者として知られていますが、ミトロプーロスが急死したために、代わりにスカラ座でマーラーの「交響曲第3番」をすかさず指揮しなければならなくなった時には、なんと準備不足でリハーサルが出来なくなり、結局その演奏会は中止になってしまったのだそうです。そんな一面もシェルヘンにはあったのでしょう。
そして、圧巻はやはりトスカニーニとのリハーサルのものすごさです。なんせ、彼が自制心を失った時には「私たちを侮辱し、指揮棒を折り、ハンカチは引き裂かれ、楽譜を客席や舞台に向かって投げつけたり」したのだそうですからね。しかし、団員たちは彼を恐れながらも、心から尊敬していたこともよく分かります。
このような、まさに伝説的な指揮者との現場の様子が克明に語られている中で浮かんでくるのが、当時の指揮者とオーケストラとの主従関係です。そう、まさにこの時代では、現在ではまず見ることのなくなった「指揮者=主、オーケストラ=従」という関係が、当然のものとして存在していたのです。
しかし、時代は変わっていきます。ベルリン・フィルから「終身」指揮者などというポストを与えられていたカラヤンなどは、まさにそのようなオーケストラの「主」でした。しかし、そのカラヤンでさえ、団員との軋轢が元で辞任に追い込まれ、それ以後の指揮者には常にオーケストラ団員の顔色を窺うような「小物」しか就任できないようになってしまいました。
トスカニーニに関しては、以前からプッチーニが亡くなったために未完に終わった「トゥーランドット」を初演した時の有名なエピソードが伝えられています。それは、「マエストロはここまでで筆を絶ちました」(Qui il Maestro finí.)」と言って、それ以降の演奏を行わなかった、というものですが、著者によればその時に彼が言った言葉は実際はちょっと違っていたのだそうです。それは、「ここでオペラは終る。マエストロの死で未完となったから(Qui finisce l'opera, rimasta incompiuta per la morte del Maestro)」というもの。微妙に意味が変わってきますよね。なんせ、実際に彼が語った一番近いところで聴いていたのですから、著者の記憶さえ確かであったのならば、これが真実だったのでしょう。

Book Artwork © Stylenote

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by jurassic_oyaji | 2017-01-29 09:50 | 書籍 | Comments(0)
ビートルズは眠らない
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松村雄策著
小学館刊(小学館文庫 ま19/3)
ISBM978-4-09-406388-2




2003年にロッキング・オンから刊行された書籍の文庫化です。そのロッキング・オンという、著者の松村さんと渋谷陽一さんが創設した雑誌に掲載されていたエッセイの他に、CDのライナーノーツなどが収められ、1991年から2003年までにビートルズに関して書かれたものが、執筆順に並べられています。このように、初版から文庫化までに長い年月が経っている時には、よく「後日談」のようなものが書き加えられているものですが、ここには一切そのようなものはありません。あるのは、別の人が書いた、文庫本にはお約束の「解説」だけです。ただ、その中に、著者の近況についてとんでもないことが書かれていたので、びっくりしてしまいました。
松村さんのことは、ロッキング・オン誌に連載されている(されていた?)「渋松対談」での、社長の渋谷さんの「相方」としてずっとなじみがありました。それだけですでに何冊かの単行本になっているのだそうですが、その二人のやり取りは、軽妙なものに見せかけて、実はロックへの深い愛情が感じられる、とても面白いものでした(本当は「対談」ではなく、対談という形をとって一人で書いていたエッセイだったようですね)。
その対談の中でもよくビートルズについて「語って」いたように、松村さんといえばおそらくこのバンドについて語らせたら右に出る人はいないのでは、というほどの知識と、そして実体験を持っている方です。
まず、なんと言っても彼は実際にビートルズの最初で最後の日本公演に行って、彼らの演奏を実際に聴いているというのが、すごいことです。ご自身もそれは誇りにされていることは、文中からくっきりとうかがえますが、そういう方がライターとしてその体験を公に出来たという事実に、まず感謝しなければいけません。というのも、この武道館で行われた公演の模様は、当時からずっと報じられていたのは、「観客の悲鳴にかき消されて、演奏などは聴こえなかった」というものでした。ですから、まあそんなところだったんだろうと、かなり最近までずっとそれを信じ切っていたのですが、実際にその場にいた松村さんには、しっかりビートルズの演奏が「聴こえて」いたのだそうです。コーラスがハモらなかったところまできちんと分かったそうですから、それは決して「悲鳴にかき消された」という状況ではなかったようですね。確かに、最近になってその頃の映像とかライブCD何かを聴いてみても、別に「悲鳴」はそんなに邪魔にならないな、と思うようになっていましたから、これが正しい情報なのでしょう。つまり、当時はそんな状況を正しく伝える人などだれもいなかったので、メディアが捏造した情報をみんなが真に受けていたことになるのでしょうね。
同じような情報で、その来日公演のあたりに中学生ぐらいだった世代の人たちが、「当時はクラス中の人がビートルズのファンだった」と言っていることも、真っ赤なウソであることが暴かれます。本当はほとんどの人はビートルズなんかは大嫌いだったのですよ。それが、彼らが大人になってビートルズの人気が確固たるものになった時点で、みずからの思い出をやはり「捏造」していたのですね。そんな指摘には、なんともスカッとさせられます。
そんな昔の話だけではなく、エッセイが書かれた当時に起きていたビートルズ関連の事柄に対する正直なリアクションも新鮮です。「イエロー・サブマリン・ソングトラック」がリリースされた時に、それが「リミックス」だと知った松村さんの思いには、おもいに(大いに)共感できます。彼はそこにはっきりと、ビートルズの音源の将来あるべき姿を見ていたのですね。それが「1」が出た時にはオリジナルだったので失望していましたが、今ではその「1」もリミックス・バージョンに変わっていますから、彼の「予言」は当たっていたことになります。

Book Artwork © Shogakukan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2017-01-12 23:25 | 書籍 | Comments(0)
「ヒットソング」の作り方/大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち
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牧村憲一著
NHK出版刊(NHK出版新書506)
ISBN978-4-14-088506-2




ふつう「歴史」と言えば、過去の事実を忠実に述べているものだ、と思いがちですが、実際はそれほど単純なものではありません。それこそ「鎌倉幕府が出来た年号」のように、最近の研究によって昔学校で習ったものとは変わってしまうこともありますが、キレたりしないで下さいね(それは「ヒステリー」)。そもそもそのような歴史の元となるものが作られる場合に、公正中立な立場で行われることはあり得ませんから、様々な形での私見が反映されることは避けられないのです。
音楽の世界でも同じこと。過去に作られた信頼のおけない「歴史」がそのまま鵜呑みにされる状況は、なくなってはいません。ある時代のある国の研究者が、その国の文化の優位性を裏付けるために作為的に用意した、バッハを「音楽の父」、ヘンデルを「音楽の母」と崇め、まるでこの二人が「音楽」の創造主であるかのような偏見を植え付ける歴史観は、今でも脈々と生き延びています。現に、さる高名な作曲家がテレビの番組で「クラシック音楽はバッハから始まった」みたいなことを言っていましたからね。
同じ音楽でも、もっと歴史の浅い、いわゆる「ポップ・ミュージック」の世界でさえも、おなじような混乱はすでに起こり始めています。それぞれのジャンルに特化した様々な文献のようなものは数多く出回っていますが、それらは書いた人の立場、あるいは情報の収集能力の違いによって、全く同じ現象に対して正反対の見解が語られている、といったようなことが随所に見られるのです(たとえば、「ザ・ビートルズ」のレコーディング・プロデューサーだったジョージ・マーティンへの評価とか)。そのような混乱した一次資料を精査して、真に正しい事実だけを抜き出した「歴史」が語られるようになる時代は、果たして来ることはあるのでしょうか。
そんなわけで、将来の歴史家をさらに悩ますことになりそうな資料が、またここに追加されました。著者は、古くは六文銭の「出発の歌」(「出発」は「たびだち」と読むことを、今ではどのぐらいの人が知っているのでしょう)から始まって、大滝詠一や山下達郎、竹内まりやを経て、フィリーッパーズ・ギターに至るまで、その時代の最先端のアーティストの音楽制作に携わってきたレコーディング・プロデューサーが自らの体験を語っているのですから、これほど真実味にあふれる資料もありません。このあたりのアーティストについてはかなり知っているつもりでしたが、ここに書いてある新たな事実を前にして、軽い驚きを覚えているところです。例えば、山下達郎最初のソロ・アルバムのアメリカでのレコーディングの経緯とか。あるいは、竹内まりやのデビュー近辺の周囲の事情などは、初めて知ったような気がします。
さらに、実名を出して当時の製作者サイドのメンバーが紹介されているのも、貴重なものです。ただ、それらのデータが、単に著者の思い出話程度のレベルに留まってしまっているのが、残念です。
それと、この時代、1970年の前後の音楽シーンのさまざまな動きを指し示すタームにも、ちょっとした混乱が見られます。「フォーク」、「ニューミュージック」といった言葉の定義はかなり曖昧ですし、時には「シティ・ポップス」など、著者の感想だけでカテゴライズされている言葉が出てくるために、今までの資料とはすりあわないところが出てきているのですね。「歌謡曲と化したフォーク」というのは、いったい誰を指すのか、知りたいものです。
レコーディングに関しても、「マルチチャンネルを最初に発想したのは日本人のレコーディングエンジニア」などという、びっくりするようなことが書いてありました。これが本当なら確かにすごいことなのですが、言っているのはそれだけで、その根拠や具体的な人名は一切述べられていないため、WIKIPEDIA並みの全く信用性に欠ける記述に終わっています。

Book Artwork © NHK Publishing, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2017-01-05 20:57 | 書籍 | Comments(0)
ヨナス・カウフマン | テナー
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トーマス・フォイクト著
伊藤アリスン澄子訳
小学館刊
ISBN978-4-09-388511-9




あのヨナス・カウフマンの評伝の日本語訳が出版されました。彼のファンであれば、この、まさに「スーパースター」の今までの経歴や、世界中を股にかけて演奏活動を行っている間の舞台裏などを知ることのできる、とても貴重な資料の出現には、狂喜することでしょう。ただ、現物を手に取って、まずその帯を見た時には愕然としてしまいました。そこには「人気絶頂のテノール歌手の初の自伝」という惹句が踊っているのですが、たったこれだけのフレーズの中に3つも引っかかるところがあるのですからね。
まずは「テノール歌手」。この本のタイトルが「テナー」なのに、ここであえて別の表記を使っているのはなぜでしょう。そして「初の自伝」というのも、これが「初」ではなく、決して「自伝」でもないというところで引っかかります。「自伝」というのはイモトの病歴ではなく(それは「痔伝」)、実際に書いた人が別の人であっても、一応その人が一人称で自分のこれまでの生涯を語る、という体裁で作られたものですが、これはトーマス・フォイクトというジャーナリストがヨナス・カウフマンについて語った本、その中にカウフマン自身のインタビューが含まれている、というものですから、正確には最初に書いたように「評伝」というべきでしょう。
そして、「初」というのもウソ。原書が最初に出版されたのは2010年。それを2015年に大幅に改訂したものが、この日本版の元になっているのですからね。もっと言えば、それ以降、2016年の7月現在のデータまでここには加えられているのですから、正確には「3度目」ということにはなりませんか?
著者のトーマス・フォイクトは、音楽関係のジャーナリストとして幅広い活躍をしている人です。自身もヴォーカル・コーチとしてのキャリアもあるそうで、すでにカウフマンのCDを持っている人であれば、いくつかのアルバムでインタビュアーとしてブックレットに登場していますから、おなじみの名前でしょう。しかし、この本における彼の立場は、単なるインタビュアーではなく、もっと彼の主張、あるいは告発が色濃く感じられるものです。主導権を取っているのはあくまで著者たるフォイクトのような気がします。
とは言っても、やはりカウフマンのとても素直で情熱にあふれた語り口には魅力があります。なんと言ってもショッキングなのは、彼がヴォイス・トレーナーとしてのマイケル・ローズに出会い、劇的に声が変わってしまったというエピソードでしょう。今のカウフマンからは想像もできませんが、それまでの彼は全然ヘルデンっぽくなかったんですって。
ローズによって最強のツールを与えられたカウフマンは、今ではモーツァルトやワーグナーのみならず、ヴェルディやプッチーニでも最高レベルの歌手として認知されるようになりました。もちろん、それはそのツールを自在に使いこなせる自らの力と熱心な探究心があってのことです。
もはやすべてのオペラのテノールのロールを征服したうえに、シューベルトやシュトラウスのリートまで最高の味で聴かせる彼、そんな彼が「ビフォー・ローズ」の時点では歌っていたバッハなどは、「アフター・ローズ」となった今では、もう聴くことが出来ないのでしょうか。この本のインタビューの中ではマタイのエヴァンゲリストに関する言及がありますから、もしかしたらペーター・シュライアーをしのぐほどのエヴァンゲリストを聴ける日が来るのかもしれません。それまでは、生きていたいものです。
最初にカウフマンがこのような本に関する打診を受けた時に、彼は「早すぎる」と反応したのだそうです。この改訂版がドイツで出版されて、さらにその後の追記まで含めての日本語訳が出るまでにたったの1年というのも「早すぎる」ような気がするのは、ざっと読んだだけでも2か所の重大な「校閲ミス」を見つけることができたせいでしょう。

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by jurassic_oyaji | 2016-11-10 20:23 | 書籍 | Comments(0)
明治のワーグナー・ブーム/近代日本の音楽移転
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竹中亨著
中央公論新社刊(中公叢書)
ISBN978-4-12-004841-8




学生の男声合唱団として有名なところは、西では「関学グリー」、東では「早稲田グリー」と「慶應ワグネル」と昔から相場が決まっていました。ただ「グリー」というのは「グリークラブ」の略で合唱団というのは分かりますが、「ワグネル」とは一体何なのだ、という疑問はずっと抱いていました。この学校には、合唱団だけではなくオーケストラもやはり「慶應ワグネル」というタイトルが付けられています。フルネームは「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ」なのだそうです。合唱団は「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・男声合唱団」。
おそらく、これはかなり昔に命名されたもののはずですから、ワグネル=ワーグナーという連想は出来ました。でも、確かにあのリヒャルト・ワーグナーは大作曲家でそれなりの人気は誇っていますが、そんな、大学のサークルの名前になるほどの「人気」なんてあるものなのでしょうか。オーケストラはともかく、男声合唱でワーグナーといったら、せいぜい「タンホイザー」や「オランダ人」の合唱ぐらいですから、レパートリーとしてはかなりのマイナーどころ、多田武彦あたりを差し置いてそんな名前を付けるなんて。
ですから、まずこの本のタイトルを見た時には驚きました。明治時代に「ワーグナー・ブーム」があったというのですからね。きちんと中を読んでみると、そのブームに乗って大学の中に作られたサークルが「ワグネル・ソサィエティー」だ、というのですよ。なんでも、それが創設されたのが1901年だとか、そんな時代にワーグナーがもてはやされたことがあったなんて全然知りませんでした。
それが、実際はどのようなものだったのかは、この本で詳しく紹介されています。それを読んでまたびっくり。そのようなブーム、いやムーブメント、火付け役だった人物こそ実際にドイツにいた時にワーグナーの楽劇を体験していたのですが、その人が書いた論文を読んで「ワーグナー・ブーム」を作り上げた他の人々(錚々たる名前が並んでいます)は、ワーグナーの「音楽」なんかはほとんど聴いたことがなかったのですね。彼らが心酔したのは、ワーグナーの「音楽」ではなく「思想」だったのです。
実は、著者の本当の目的は、別にワーグナーに関しての熱狂ぶりを詳述することではなく、そんな、音楽を聴くことなく「作曲家」であるワーグナーを祀り上げる「ブーム」が巻き起こってしまうことが出来たというほどいびつだった、日本における「洋楽」の導入に際しての人々の思考経路をつぶさに描くことだったのです。そして、重要なことは、著者自身は音楽に関する知識や体験がほぼ皆無だ、ということです。つまり、言ってみれば「門外漢」の語る「音楽史」なわけですから、へたな主観が介在しないだけ、説得力のある「事実」が描かれることになるはずです。そして、その試みは間違いなく成功を収めています。
それは、もしかしたら今までの「音楽家」がこのあたりの歴史を語る時に、意図的に無視したのではないか、と思えるような事柄も、ここではあからさまに述べられているのではないか、ということです。いや、単に個人的に勉強不足だというだけのことなのかもしれませんが、いずれにしてもこれまで描いていた明治期の洋楽導入のイメージがかなり変えられてしまうだけのものは、この本には潜んでいました。
その最たるものは、そのような音楽の導入の最初期に、教育的な目的で量産された、いわゆる「唱歌」に関する言及です。今では、それこそ「日本人の心のふるさと」みたいな評価すらされているこれらの曲は、ほとんどが国威発揚の目的で作られていたのですね。あまりにあからさまな歌詞は後に修正されることもありましたが、初期の目的が変わることはありません。甘い郷愁になんか浸っている場合ではなかったのかもしれませんね。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsha, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-01 20:32 | 書籍 | Comments(0)
名曲の真相/管楽器で読み解く音楽の素顔
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佐伯茂樹著
アカデミア・ミュージック株式会社刊
ISBN978-4-87017-095-7




いつもその博識さで驚かせてくれる佐伯さんの新刊です。とは言っても、全くの書き下ろしというわけではなく、だいぶ前に音楽之友社から刊行されて、今は絶版になっている「名曲の『常識』『非常識』~オーケストラのなかの管楽器考現学」という本を、「現在でも通用すると思われるネタを流用しつつ新規で書き下ろした」のだそうです。
今回の版元は、アカデミア・ミュージックという、楽譜の専門店として有名なところです。ここでは毎月月報を作って無償で配布していますが、その内容はとことんマニアック、ですから、こんな佐伯さんのようなものに関してはお手の物に違いありません。ちょっと製本が雑で、無線綴じが剥がれたりしますが。
もちろん、佐伯さんの書かれたものには、そんな粗悪なところなどは微塵もありません。これまでは全く気が付かなかったような、オーケストラの管楽器に関する疑問が、次から次へと明快に解かれていくのには、いつもながらのスッキリ感が味わえます。
全体は、時代順に「バロック時代」、「古典派時代」、「19世紀」、「20世紀」4つのパートに分けられています。そこでは、それぞれの時代での様々な要因が楽器にもたらした歴史が語られています。最初の「バロック時代」では、「楽器の制限」というキーワードが用いられています。しかし、その「制限」という意味が、ネガティヴなものではなくポジティヴにとらえられているのが、ユニークな視点ですね。いや、実はそのような視点の方が今では「普通」になっているのですが、それは保守的なクラシック・ファン全体にはなかなか浸透することはない、という意味で「ユニーク」なわけです。
それは、例えばバロック時代のフルートであるフラウト・トラヴェルソには、指穴以外のキーがほとんど付いていないので、均一な半音階を吹くのは非常に難しいのですが、それを機能的な現代フルートには及ばない欠点ととらえるのではなく、調によって音色を変えることができるという「長所」ととらえるというような視点です。
「バロック時代」と「古典派時代」、さらに「19世紀」にも登場しているのが、トロンボーンです。常々、この楽器については疑問に感じている点が多々ありました。その最大のものは、この楽器自体はバロック以前からあったというのに、オーケストラの典型的なレパートリーである「交響曲」というジャンルの作品で最初に使われたのは、やっとベートーヴェンの交響曲第5番が作られた時なんですからね。そんな疑問に対する著者の答えは明快です。それは、「トロンボーンは教会というフィールドを中心に使われていた」というものです。ですから、作曲家がこの楽器を使う時には、少なからず「宗教的」なイメージが伴う、とも述べられています。
ただ、そうなると、あれだけ教会のための音楽を作ったバッハがこの楽器を使っていなかったのはなぜか、という新たな疑問が湧いてきます。それに対しても、著者は「バッハはプロテスタントだったから」と説明しています。トロンボーンが入るような華麗な音楽はカトリックだけのもので、プロテスタントではそのようなものは演奏されることはなかったのだ、と。うん、まさに目からうろこが落ちる思いです。
さらに、特殊なトロンボーンについても、以前の著作を参考に作らせていただいたこちらのコンテンツに関して、さらに深い考察を見せてくれているだけではなく、実際に「バスホルン」を演奏している写真を見ることができるのは感激ものです。
最後の「20世紀」では、ジャズバンドやミュージカルのピットでの「マルチリード」が扱われています。これも興味深いテーマですが、それに関連させて、ワーグナーが同じ発想でホルン奏者が持ち替えて演奏できるような楽器「ワーグナーチューバ」を開発していたのだ、という佐伯さんの視線もとても新鮮です。

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by jurassic_oyaji | 2016-07-19 20:21 | 書籍 | Comments(0)
武満徹・音楽創造への旅
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立花隆著
㈱文藝春秋刊
ISBN 978-4-16-390409-2




武満徹が65歳の生涯を終えたのは、1996年2月20日のことでした。もうあれから20年も経っていたんですね。そんな「祈念」の年にあたるということで、最近はこの作曲家関連のコンサートや出版物を見かけるようになっています。この本も、帯には「没後20年」とあったので、そんな趣旨のものだと思ったのですが、あとがきでは全く無関係な事実が明らかにされています。いずれにしても、「文學界」という月刊誌に6年に渡って連載されていたものが、18年後にやっと単行本化されたということです。
ある程度は武満の著書や関連の書籍は読み漁っていたと思っていたのに、ここにはそれこそ「よそのインタビューでは全く出てこない話」(あとがき)が続々と登場して、初めて知る事柄が満載だったのには驚きました。それを引き出すために著者が行った武満へのインタビューは、トータルでは100時間にも及んだというのですから、この著者ならではの物量戦にはいつものことながら圧倒されてしまいます。ですから、雑誌連載分をそのまま収録したこの本は、とんでもないボリュームを持つことになりました。厚さが4センチ、2段組み781ページのハードカバーは、まるで井上ひさしのあの長編小説「吉里吉里人」ほどの大きさですから、文庫化される時にはおそらく3巻程度になることは必至です。

何よりも圧倒的な情報量で、まるでドラマを見ているように克明に伝わってくるのが、武満が作曲家を目指し始めてから世に認められるまでの部分です。常々「独学で作曲法を習得」みたいな記述を見るにつけ、いったい具体的にはどのような「勉強」をしてきたのか知りたいと思っていたのですが、そのような好奇心はかなりのところまで満たされたような実感はあります。しかし、やはりたどりつくのは、そもそも「作曲」などという創造的な行為は、学んで習得できるものではないという、分かり切った真実です。必要なのは天賦の資質なのだ、天ぷらは塩なのだと。それにしても、「2つのレント」など初期の作品の楽譜がすでに紛失したり破棄されてしまっているのは、とても残念です。
ここでは、もちろん武満へのインタビューがメインにはなっていますが、それとともに他の人へのインタビューや、関連書籍からの引用も膨大なものです。中には、武満に関しては最後にほんの少し触れられるだけという回もあったりします。そのあたりの著者の目論見は明白で、彼は武満を芯にして、同時代の日本の「現代音楽」の歴史を、生々しく語ろうとしていたはずです。その多くの人に対するインタビューと膨大な資料によって見えてくるのは、とても視野の広いその頃の音楽を取り巻く社会全体の姿です。それは、当時の世界の音楽界とのつながりにまで及びます。いや、正確にはいかに当時は外国の情報が伝わっていなかったか、という事実を知らされるということなのですが。あのころは、メシアンでさえ日本では全く知られていなかったんですね。
そのような状況を語るときのバックグラウンドとして必要な、専門的な音楽や作曲に関する知識さえも、著者はきっちりと与えてくれています。それは、よくこんなところまでリサーチしたな、と驚かされるほどの、的確なレクチャーです。ただ、1ヵ所だけそんなディレッタントならではの事実誤認を指摘させていただくと、401ページの下段2行目の「『TACET』というのは、ケージの造語で」というのは誤りです。これは普通のオーケストラのパート譜などにも頻出する表記で、ケージはほとんどジョークのノリでここに用いていたのでしょうね。
ここに登場する作曲界、美術界、さらには文学界の個人名も、したがって膨大なものになっています。この著作は間違いなくこの時代の文化を語る上での貴重な資料になるはずですから、そのような人名の索引が設けられていたら、さらに価値の高いものになっていたのではないでしょうか。

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by jurassic_oyaji | 2016-03-09 21:06 | 書籍 | Comments(0)