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カテゴリ:書籍( 151 )
音の記憶 技術と心をつなげる
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小川理子著
文藝春秋刊
ISBN978-4-16-390607-2


今では「オーディオ」といえば、一部のマニアが専門メーカーのとんでもなく高価なアンプやスピーカーを買い求めて、ひたすらよい音を追求する趣味のことを指します。しかし、何十年か前には、そんなオーディオ機器を揃えることが、百科事典を揃えるのと同等の価値観で受け入れられていたことがありました。ほんとですよ。そんな「お茶の間にオーディオを」という需要に応えるために、冷蔵庫や洗濯機を作っていた大手家電メーカーが、それぞれオーディオ専門のブランドを掲げてオーディオ製品を販売していたのです。例えば、こんなブランド。

「オーレックス」 | 「オットー」 | 「オプトニカ」 | 「ダイヤトーン」 | 「テクニクス」 | 「ローディー」

それらを展開していた家電メーカーは

三洋電機 | シャープ(早川電機) | 東芝 | 日立製作所 | パナソニック(松下電器産業) | 三菱電機

さあ、どのブランドがどのメーカーのものか、分かりますか?全部分かる人なんていないかもしれませんね。
もちろん、今ではこんなブランドは殆ど消滅してしまいましたし、メーカーそのものがなくなってしまったものさえありますから、分からなくても全然恥じる必要なんかありません。ただ、「ダイヤトーン」と「テクニクス」だけは、今でもしっかり存在しているのです。そのうちの三菱電機のブランドの「ダイヤトーン」は、ほとんどカー・オーディオの製品ですが、パナソニックのブランドである「テクニクス」は、ピュア・オーディオのすべてのコンポーネンツでのハイエンド製品を送り出しています。ここが最近こんな新聞広告(2面見開き)を出したために、その知名度は一気に上がりました。
実は、「テクニクス」というブランドは、ある時期完全に消滅していました。他の家電メーカーと足並みをそろえるように、オーディオ機器からは撤退してしまったのですね。それが、最近のオーディオ事情の変化(たとえばハイレゾ化)を察知してか、再度この業界に参入してその昔のブランドを復活させたのです。さっきのターンテーブルの広告も、その流れを象徴する出来事です。
この本では、著者がパナソニック(当時は「松下電器産業」)に入社、希望していた部署に配属されてユニークなオーディオ製品を開発していた輝かしい時代、そこから撤退したために別の部署で活躍をしていた時代、さらに、そのブランドの最高責任者として「テクニクス」を復活させた今に続く時代までの、彼女自身の姿が自らの言葉で克明に語られています。そのような意味で、この本は、一つの企業内の歴史、あるいは業界全体の貴重な証言となっています。
そんな「証言」で、今となっては非常に重要に感じられるのが、CDが開発された頃のオーディオ技術者の対応です。それは、実際は彼女が職場に入る前のことなのですが、そのようなデジタル録音に対して、それまでアナログ録音で「原音を忠実に再現する」ことを追求してきた技術者たちは、オーディオの将来を真剣に憂えた、というのです。CDで採用されたフォーマットでは、20kHz以上の周波数特性は完全にカットされてしまいますからね。もちろん、当時のオーディオ評論家たちは、そんなことは決して口にはしないで、今となっては未熟なデジタル技術の産物に過ぎないCDの登場を歓迎しまくっていたのでした。
それと同時に、彼女は社内の上司の勧めで、プロのジャズ・ピアニストとしても活躍するようになります。そのような、まさに「二足の草鞋」を完璧に実現させた彼女の人生そのものも、語られています。このあたりは、まるでドラマにでもなりそうなプロットですね。アメリカでの活躍を勧められたプロデューサーと、幼馴染である婚約者との三角関係、とか。
それだけで十分な満足度を得られるはずだったのに、最後に余計な章を加えたために、稀有なドキュメンタリーがごくフツーのありきたりなハウツー本に成り下がってしまったのが、とても残念です。

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by jurassic_oyaji | 2017-03-07 23:27 | 書籍 | Comments(0)
スカラ座の思い出/コンサートマスターから見たマエストロの肖像
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エンリーコ・ミネッティ著
石橋典子訳
スタイルノート刊
ISBN978-4-7998-0140-6



1918年にミラノのスカラ座のオーケストラに入団、1933年から1965年までの間の32年間はコンサートマスターを務めた著者が、その間に指揮台に立った指揮者のことを語った回顧録です。その間には2つの世界大戦も体験するという、まさに「歴史」の中で演奏活動を続けてきた著者の言葉には、陳腐な言い方ですが「重み」があります。
その間のスカラ座の音楽監督には、トゥリオ・セラフィンから始まってアルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィクトル・デ・サバタ、カルロ・マリア・ジュリーニ、グィド・カンテッリ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニまでの巨匠(マエストロ)の名前が並びます。その他にも、客演指揮者としてドミトリー・ミトロプーロスとヘルマン・シェルヘンについても語られています。こんな人まで、スカラ座には客演していたのですね。
ミトロプールスについては、完璧な記憶力を持っていて、例えばベルクの「ヴォッツェック」のような難解な楽譜でもしっかりオーケストラにその意味が分かるように指揮をする姿が語られます。
それとは対照的に、シェルヘンとの思い出としては、スカラ座ではなく、彼のスイスの自宅に作られたスタジオでの、いとも家族的なレコーディングの様子が語られています。シェルヘンの録音と言えば、ウィーンでのWESTMINSTERによるものしか知られていませんが、こんなこともやっていたのです。スカラ座の団員は、ここでは「アルス・ヴィヴァ・オーケストラ・グラヴェザーノ」という名前で、録音を行っていましたね。そのシェルヘンは、現代音楽にも造詣が深い指揮者として知られていますが、ミトロプーロスが急死したために、代わりにスカラ座でマーラーの「交響曲第3番」をすかさず指揮しなければならなくなった時には、なんと準備不足でリハーサルが出来なくなり、結局その演奏会は中止になってしまったのだそうです。そんな一面もシェルヘンにはあったのでしょう。
そして、圧巻はやはりトスカニーニとのリハーサルのものすごさです。なんせ、彼が自制心を失った時には「私たちを侮辱し、指揮棒を折り、ハンカチは引き裂かれ、楽譜を客席や舞台に向かって投げつけたり」したのだそうですからね。しかし、団員たちは彼を恐れながらも、心から尊敬していたこともよく分かります。
このような、まさに伝説的な指揮者との現場の様子が克明に語られている中で浮かんでくるのが、当時の指揮者とオーケストラとの主従関係です。そう、まさにこの時代では、現在ではまず見ることのなくなった「指揮者=主、オーケストラ=従」という関係が、当然のものとして存在していたのです。
しかし、時代は変わっていきます。ベルリン・フィルから「終身」指揮者などというポストを与えられていたカラヤンなどは、まさにそのようなオーケストラの「主」でした。しかし、そのカラヤンでさえ、団員との軋轢が元で辞任に追い込まれ、それ以後の指揮者には常にオーケストラ団員の顔色を窺うような「小物」しか就任できないようになってしまいました。
トスカニーニに関しては、以前からプッチーニが亡くなったために未完に終わった「トゥーランドット」を初演した時の有名なエピソードが伝えられています。それは、「マエストロはここまでで筆を絶ちました」(Qui il Maestro finí.)」と言って、それ以降の演奏を行わなかった、というものですが、著者によればその時に彼が言った言葉は実際はちょっと違っていたのだそうです。それは、「ここでオペラは終る。マエストロの死で未完となったから(Qui finisce l'opera, rimasta incompiuta per la morte del Maestro)」というもの。微妙に意味が変わってきますよね。なんせ、実際に彼が語った一番近いところで聴いていたのですから、著者の記憶さえ確かであったのならば、これが真実だったのでしょう。

Book Artwork © Stylenote

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by jurassic_oyaji | 2017-01-29 09:50 | 書籍 | Comments(0)
ビートルズは眠らない
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松村雄策著
小学館刊(小学館文庫 ま19/3)
ISBM978-4-09-406388-2




2003年にロッキング・オンから刊行された書籍の文庫化です。そのロッキング・オンという、著者の松村さんと渋谷陽一さんが創設した雑誌に掲載されていたエッセイの他に、CDのライナーノーツなどが収められ、1991年から2003年までにビートルズに関して書かれたものが、執筆順に並べられています。このように、初版から文庫化までに長い年月が経っている時には、よく「後日談」のようなものが書き加えられているものですが、ここには一切そのようなものはありません。あるのは、別の人が書いた、文庫本にはお約束の「解説」だけです。ただ、その中に、著者の近況についてとんでもないことが書かれていたので、びっくりしてしまいました。
松村さんのことは、ロッキング・オン誌に連載されている(されていた?)「渋松対談」での、社長の渋谷さんの「相方」としてずっとなじみがありました。それだけですでに何冊かの単行本になっているのだそうですが、その二人のやり取りは、軽妙なものに見せかけて、実はロックへの深い愛情が感じられる、とても面白いものでした(本当は「対談」ではなく、対談という形をとって一人で書いていたエッセイだったようですね)。
その対談の中でもよくビートルズについて「語って」いたように、松村さんといえばおそらくこのバンドについて語らせたら右に出る人はいないのでは、というほどの知識と、そして実体験を持っている方です。
まず、なんと言っても彼は実際にビートルズの最初で最後の日本公演に行って、彼らの演奏を実際に聴いているというのが、すごいことです。ご自身もそれは誇りにされていることは、文中からくっきりとうかがえますが、そういう方がライターとしてその体験を公に出来たという事実に、まず感謝しなければいけません。というのも、この武道館で行われた公演の模様は、当時からずっと報じられていたのは、「観客の悲鳴にかき消されて、演奏などは聴こえなかった」というものでした。ですから、まあそんなところだったんだろうと、かなり最近までずっとそれを信じ切っていたのですが、実際にその場にいた松村さんには、しっかりビートルズの演奏が「聴こえて」いたのだそうです。コーラスがハモらなかったところまできちんと分かったそうですから、それは決して「悲鳴にかき消された」という状況ではなかったようですね。確かに、最近になってその頃の映像とかライブCD何かを聴いてみても、別に「悲鳴」はそんなに邪魔にならないな、と思うようになっていましたから、これが正しい情報なのでしょう。つまり、当時はそんな状況を正しく伝える人などだれもいなかったので、メディアが捏造した情報をみんなが真に受けていたことになるのでしょうね。
同じような情報で、その来日公演のあたりに中学生ぐらいだった世代の人たちが、「当時はクラス中の人がビートルズのファンだった」と言っていることも、真っ赤なウソであることが暴かれます。本当はほとんどの人はビートルズなんかは大嫌いだったのですよ。それが、彼らが大人になってビートルズの人気が確固たるものになった時点で、みずからの思い出をやはり「捏造」していたのですね。そんな指摘には、なんともスカッとさせられます。
そんな昔の話だけではなく、エッセイが書かれた当時に起きていたビートルズ関連の事柄に対する正直なリアクションも新鮮です。「イエロー・サブマリン・ソングトラック」がリリースされた時に、それが「リミックス」だと知った松村さんの思いには、おもいに(大いに)共感できます。彼はそこにはっきりと、ビートルズの音源の将来あるべき姿を見ていたのですね。それが「1」が出た時にはオリジナルだったので失望していましたが、今ではその「1」もリミックス・バージョンに変わっていますから、彼の「予言」は当たっていたことになります。

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by jurassic_oyaji | 2017-01-12 23:25 | 書籍 | Comments(0)
「ヒットソング」の作り方/大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち
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牧村憲一著
NHK出版刊(NHK出版新書506)
ISBN978-4-14-088506-2




ふつう「歴史」と言えば、過去の事実を忠実に述べているものだ、と思いがちですが、実際はそれほど単純なものではありません。それこそ「鎌倉幕府が出来た年号」のように、最近の研究によって昔学校で習ったものとは変わってしまうこともありますが、キレたりしないで下さいね(それは「ヒステリー」)。そもそもそのような歴史の元となるものが作られる場合に、公正中立な立場で行われることはあり得ませんから、様々な形での私見が反映されることは避けられないのです。
音楽の世界でも同じこと。過去に作られた信頼のおけない「歴史」がそのまま鵜呑みにされる状況は、なくなってはいません。ある時代のある国の研究者が、その国の文化の優位性を裏付けるために作為的に用意した、バッハを「音楽の父」、ヘンデルを「音楽の母」と崇め、まるでこの二人が「音楽」の創造主であるかのような偏見を植え付ける歴史観は、今でも脈々と生き延びています。現に、さる高名な作曲家がテレビの番組で「クラシック音楽はバッハから始まった」みたいなことを言っていましたからね。
同じ音楽でも、もっと歴史の浅い、いわゆる「ポップ・ミュージック」の世界でさえも、おなじような混乱はすでに起こり始めています。それぞれのジャンルに特化した様々な文献のようなものは数多く出回っていますが、それらは書いた人の立場、あるいは情報の収集能力の違いによって、全く同じ現象に対して正反対の見解が語られている、といったようなことが随所に見られるのです(たとえば、「ザ・ビートルズ」のレコーディング・プロデューサーだったジョージ・マーティンへの評価とか)。そのような混乱した一次資料を精査して、真に正しい事実だけを抜き出した「歴史」が語られるようになる時代は、果たして来ることはあるのでしょうか。
そんなわけで、将来の歴史家をさらに悩ますことになりそうな資料が、またここに追加されました。著者は、古くは六文銭の「出発の歌」(「出発」は「たびだち」と読むことを、今ではどのぐらいの人が知っているのでしょう)から始まって、大滝詠一や山下達郎、竹内まりやを経て、フィリーッパーズ・ギターに至るまで、その時代の最先端のアーティストの音楽制作に携わってきたレコーディング・プロデューサーが自らの体験を語っているのですから、これほど真実味にあふれる資料もありません。このあたりのアーティストについてはかなり知っているつもりでしたが、ここに書いてある新たな事実を前にして、軽い驚きを覚えているところです。例えば、山下達郎最初のソロ・アルバムのアメリカでのレコーディングの経緯とか。あるいは、竹内まりやのデビュー近辺の周囲の事情などは、初めて知ったような気がします。
さらに、実名を出して当時の製作者サイドのメンバーが紹介されているのも、貴重なものです。ただ、それらのデータが、単に著者の思い出話程度のレベルに留まってしまっているのが、残念です。
それと、この時代、1970年の前後の音楽シーンのさまざまな動きを指し示すタームにも、ちょっとした混乱が見られます。「フォーク」、「ニューミュージック」といった言葉の定義はかなり曖昧ですし、時には「シティ・ポップス」など、著者の感想だけでカテゴライズされている言葉が出てくるために、今までの資料とはすりあわないところが出てきているのですね。「歌謡曲と化したフォーク」というのは、いったい誰を指すのか、知りたいものです。
レコーディングに関しても、「マルチチャンネルを最初に発想したのは日本人のレコーディングエンジニア」などという、びっくりするようなことが書いてありました。これが本当なら確かにすごいことなのですが、言っているのはそれだけで、その根拠や具体的な人名は一切述べられていないため、WIKIPEDIA並みの全く信用性に欠ける記述に終わっています。

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by jurassic_oyaji | 2017-01-05 20:57 | 書籍 | Comments(0)
ヨナス・カウフマン | テナー
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トーマス・フォイクト著
伊藤アリスン澄子訳
小学館刊
ISBN978-4-09-388511-9




あのヨナス・カウフマンの評伝の日本語訳が出版されました。彼のファンであれば、この、まさに「スーパースター」の今までの経歴や、世界中を股にかけて演奏活動を行っている間の舞台裏などを知ることのできる、とても貴重な資料の出現には、狂喜することでしょう。ただ、現物を手に取って、まずその帯を見た時には愕然としてしまいました。そこには「人気絶頂のテノール歌手の初の自伝」という惹句が踊っているのですが、たったこれだけのフレーズの中に3つも引っかかるところがあるのですからね。
まずは「テノール歌手」。この本のタイトルが「テナー」なのに、ここであえて別の表記を使っているのはなぜでしょう。そして「初の自伝」というのも、これが「初」ではなく、決して「自伝」でもないというところで引っかかります。「自伝」というのはイモトの病歴ではなく(それは「痔伝」)、実際に書いた人が別の人であっても、一応その人が一人称で自分のこれまでの生涯を語る、という体裁で作られたものですが、これはトーマス・フォイクトというジャーナリストがヨナス・カウフマンについて語った本、その中にカウフマン自身のインタビューが含まれている、というものですから、正確には最初に書いたように「評伝」というべきでしょう。
そして、「初」というのもウソ。原書が最初に出版されたのは2010年。それを2015年に大幅に改訂したものが、この日本版の元になっているのですからね。もっと言えば、それ以降、2016年の7月現在のデータまでここには加えられているのですから、正確には「3度目」ということにはなりませんか?
著者のトーマス・フォイクトは、音楽関係のジャーナリストとして幅広い活躍をしている人です。自身もヴォーカル・コーチとしてのキャリアもあるそうで、すでにカウフマンのCDを持っている人であれば、いくつかのアルバムでインタビュアーとしてブックレットに登場していますから、おなじみの名前でしょう。しかし、この本における彼の立場は、単なるインタビュアーではなく、もっと彼の主張、あるいは告発が色濃く感じられるものです。主導権を取っているのはあくまで著者たるフォイクトのような気がします。
とは言っても、やはりカウフマンのとても素直で情熱にあふれた語り口には魅力があります。なんと言ってもショッキングなのは、彼がヴォイス・トレーナーとしてのマイケル・ローズに出会い、劇的に声が変わってしまったというエピソードでしょう。今のカウフマンからは想像もできませんが、それまでの彼は全然ヘルデンっぽくなかったんですって。
ローズによって最強のツールを与えられたカウフマンは、今ではモーツァルトやワーグナーのみならず、ヴェルディやプッチーニでも最高レベルの歌手として認知されるようになりました。もちろん、それはそのツールを自在に使いこなせる自らの力と熱心な探究心があってのことです。
もはやすべてのオペラのテノールのロールを征服したうえに、シューベルトやシュトラウスのリートまで最高の味で聴かせる彼、そんな彼が「ビフォー・ローズ」の時点では歌っていたバッハなどは、「アフター・ローズ」となった今では、もう聴くことが出来ないのでしょうか。この本のインタビューの中ではマタイのエヴァンゲリストに関する言及がありますから、もしかしたらペーター・シュライアーをしのぐほどのエヴァンゲリストを聴ける日が来るのかもしれません。それまでは、生きていたいものです。
最初にカウフマンがこのような本に関する打診を受けた時に、彼は「早すぎる」と反応したのだそうです。この改訂版がドイツで出版されて、さらにその後の追記まで含めての日本語訳が出るまでにたったの1年というのも「早すぎる」ような気がするのは、ざっと読んだだけでも2か所の重大な「校閲ミス」を見つけることができたせいでしょう。

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by jurassic_oyaji | 2016-11-10 20:23 | 書籍 | Comments(0)
明治のワーグナー・ブーム/近代日本の音楽移転
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竹中亨著
中央公論新社刊(中公叢書)
ISBN978-4-12-004841-8




学生の男声合唱団として有名なところは、西では「関学グリー」、東では「早稲田グリー」と「慶應ワグネル」と昔から相場が決まっていました。ただ「グリー」というのは「グリークラブ」の略で合唱団というのは分かりますが、「ワグネル」とは一体何なのだ、という疑問はずっと抱いていました。この学校には、合唱団だけではなくオーケストラもやはり「慶應ワグネル」というタイトルが付けられています。フルネームは「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ」なのだそうです。合唱団は「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・男声合唱団」。
おそらく、これはかなり昔に命名されたもののはずですから、ワグネル=ワーグナーという連想は出来ました。でも、確かにあのリヒャルト・ワーグナーは大作曲家でそれなりの人気は誇っていますが、そんな、大学のサークルの名前になるほどの「人気」なんてあるものなのでしょうか。オーケストラはともかく、男声合唱でワーグナーといったら、せいぜい「タンホイザー」や「オランダ人」の合唱ぐらいですから、レパートリーとしてはかなりのマイナーどころ、多田武彦あたりを差し置いてそんな名前を付けるなんて。
ですから、まずこの本のタイトルを見た時には驚きました。明治時代に「ワーグナー・ブーム」があったというのですからね。きちんと中を読んでみると、そのブームに乗って大学の中に作られたサークルが「ワグネル・ソサィエティー」だ、というのですよ。なんでも、それが創設されたのが1901年だとか、そんな時代にワーグナーがもてはやされたことがあったなんて全然知りませんでした。
それが、実際はどのようなものだったのかは、この本で詳しく紹介されています。それを読んでまたびっくり。そのようなブーム、いやムーブメント、火付け役だった人物こそ実際にドイツにいた時にワーグナーの楽劇を体験していたのですが、その人が書いた論文を読んで「ワーグナー・ブーム」を作り上げた他の人々(錚々たる名前が並んでいます)は、ワーグナーの「音楽」なんかはほとんど聴いたことがなかったのですね。彼らが心酔したのは、ワーグナーの「音楽」ではなく「思想」だったのです。
実は、著者の本当の目的は、別にワーグナーに関しての熱狂ぶりを詳述することではなく、そんな、音楽を聴くことなく「作曲家」であるワーグナーを祀り上げる「ブーム」が巻き起こってしまうことが出来たというほどいびつだった、日本における「洋楽」の導入に際しての人々の思考経路をつぶさに描くことだったのです。そして、重要なことは、著者自身は音楽に関する知識や体験がほぼ皆無だ、ということです。つまり、言ってみれば「門外漢」の語る「音楽史」なわけですから、へたな主観が介在しないだけ、説得力のある「事実」が描かれることになるはずです。そして、その試みは間違いなく成功を収めています。
それは、もしかしたら今までの「音楽家」がこのあたりの歴史を語る時に、意図的に無視したのではないか、と思えるような事柄も、ここではあからさまに述べられているのではないか、ということです。いや、単に個人的に勉強不足だというだけのことなのかもしれませんが、いずれにしてもこれまで描いていた明治期の洋楽導入のイメージがかなり変えられてしまうだけのものは、この本には潜んでいました。
その最たるものは、そのような音楽の導入の最初期に、教育的な目的で量産された、いわゆる「唱歌」に関する言及です。今では、それこそ「日本人の心のふるさと」みたいな評価すらされているこれらの曲は、ほとんどが国威発揚の目的で作られていたのですね。あまりにあからさまな歌詞は後に修正されることもありましたが、初期の目的が変わることはありません。甘い郷愁になんか浸っている場合ではなかったのかもしれませんね。

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by jurassic_oyaji | 2016-09-01 20:32 | 書籍 | Comments(0)
名曲の真相/管楽器で読み解く音楽の素顔
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佐伯茂樹著
アカデミア・ミュージック株式会社刊
ISBN978-4-87017-095-7




いつもその博識さで驚かせてくれる佐伯さんの新刊です。とは言っても、全くの書き下ろしというわけではなく、だいぶ前に音楽之友社から刊行されて、今は絶版になっている「名曲の『常識』『非常識』~オーケストラのなかの管楽器考現学」という本を、「現在でも通用すると思われるネタを流用しつつ新規で書き下ろした」のだそうです。
今回の版元は、アカデミア・ミュージックという、楽譜の専門店として有名なところです。ここでは毎月月報を作って無償で配布していますが、その内容はとことんマニアック、ですから、こんな佐伯さんのようなものに関してはお手の物に違いありません。ちょっと製本が雑で、無線綴じが剥がれたりしますが。
もちろん、佐伯さんの書かれたものには、そんな粗悪なところなどは微塵もありません。これまでは全く気が付かなかったような、オーケストラの管楽器に関する疑問が、次から次へと明快に解かれていくのには、いつもながらのスッキリ感が味わえます。
全体は、時代順に「バロック時代」、「古典派時代」、「19世紀」、「20世紀」4つのパートに分けられています。そこでは、それぞれの時代での様々な要因が楽器にもたらした歴史が語られています。最初の「バロック時代」では、「楽器の制限」というキーワードが用いられています。しかし、その「制限」という意味が、ネガティヴなものではなくポジティヴにとらえられているのが、ユニークな視点ですね。いや、実はそのような視点の方が今では「普通」になっているのですが、それは保守的なクラシック・ファン全体にはなかなか浸透することはない、という意味で「ユニーク」なわけです。
それは、例えばバロック時代のフルートであるフラウト・トラヴェルソには、指穴以外のキーがほとんど付いていないので、均一な半音階を吹くのは非常に難しいのですが、それを機能的な現代フルートには及ばない欠点ととらえるのではなく、調によって音色を変えることができるという「長所」ととらえるというような視点です。
「バロック時代」と「古典派時代」、さらに「19世紀」にも登場しているのが、トロンボーンです。常々、この楽器については疑問に感じている点が多々ありました。その最大のものは、この楽器自体はバロック以前からあったというのに、オーケストラの典型的なレパートリーである「交響曲」というジャンルの作品で最初に使われたのは、やっとベートーヴェンの交響曲第5番が作られた時なんですからね。そんな疑問に対する著者の答えは明快です。それは、「トロンボーンは教会というフィールドを中心に使われていた」というものです。ですから、作曲家がこの楽器を使う時には、少なからず「宗教的」なイメージが伴う、とも述べられています。
ただ、そうなると、あれだけ教会のための音楽を作ったバッハがこの楽器を使っていなかったのはなぜか、という新たな疑問が湧いてきます。それに対しても、著者は「バッハはプロテスタントだったから」と説明しています。トロンボーンが入るような華麗な音楽はカトリックだけのもので、プロテスタントではそのようなものは演奏されることはなかったのだ、と。うん、まさに目からうろこが落ちる思いです。
さらに、特殊なトロンボーンについても、以前の著作を参考に作らせていただいたこちらのコンテンツに関して、さらに深い考察を見せてくれているだけではなく、実際に「バスホルン」を演奏している写真を見ることができるのは感激ものです。
最後の「20世紀」では、ジャズバンドやミュージカルのピットでの「マルチリード」が扱われています。これも興味深いテーマですが、それに関連させて、ワーグナーが同じ発想でホルン奏者が持ち替えて演奏できるような楽器「ワーグナーチューバ」を開発していたのだ、という佐伯さんの視線もとても新鮮です。

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by jurassic_oyaji | 2016-07-19 20:21 | 書籍 | Comments(0)
武満徹・音楽創造への旅
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立花隆著
㈱文藝春秋刊
ISBN 978-4-16-390409-2




武満徹が65歳の生涯を終えたのは、1996年2月20日のことでした。もうあれから20年も経っていたんですね。そんな「祈念」の年にあたるということで、最近はこの作曲家関連のコンサートや出版物を見かけるようになっています。この本も、帯には「没後20年」とあったので、そんな趣旨のものだと思ったのですが、あとがきでは全く無関係な事実が明らかにされています。いずれにしても、「文學界」という月刊誌に6年に渡って連載されていたものが、18年後にやっと単行本化されたということです。
ある程度は武満の著書や関連の書籍は読み漁っていたと思っていたのに、ここにはそれこそ「よそのインタビューでは全く出てこない話」(あとがき)が続々と登場して、初めて知る事柄が満載だったのには驚きました。それを引き出すために著者が行った武満へのインタビューは、トータルでは100時間にも及んだというのですから、この著者ならではの物量戦にはいつものことながら圧倒されてしまいます。ですから、雑誌連載分をそのまま収録したこの本は、とんでもないボリュームを持つことになりました。厚さが4センチ、2段組み781ページのハードカバーは、まるで井上ひさしのあの長編小説「吉里吉里人」ほどの大きさですから、文庫化される時にはおそらく3巻程度になることは必至です。

何よりも圧倒的な情報量で、まるでドラマを見ているように克明に伝わってくるのが、武満が作曲家を目指し始めてから世に認められるまでの部分です。常々「独学で作曲法を習得」みたいな記述を見るにつけ、いったい具体的にはどのような「勉強」をしてきたのか知りたいと思っていたのですが、そのような好奇心はかなりのところまで満たされたような実感はあります。しかし、やはりたどりつくのは、そもそも「作曲」などという創造的な行為は、学んで習得できるものではないという、分かり切った真実です。必要なのは天賦の資質なのだ、天ぷらは塩なのだと。それにしても、「2つのレント」など初期の作品の楽譜がすでに紛失したり破棄されてしまっているのは、とても残念です。
ここでは、もちろん武満へのインタビューがメインにはなっていますが、それとともに他の人へのインタビューや、関連書籍からの引用も膨大なものです。中には、武満に関しては最後にほんの少し触れられるだけという回もあったりします。そのあたりの著者の目論見は明白で、彼は武満を芯にして、同時代の日本の「現代音楽」の歴史を、生々しく語ろうとしていたはずです。その多くの人に対するインタビューと膨大な資料によって見えてくるのは、とても視野の広いその頃の音楽を取り巻く社会全体の姿です。それは、当時の世界の音楽界とのつながりにまで及びます。いや、正確にはいかに当時は外国の情報が伝わっていなかったか、という事実を知らされるということなのですが。あのころは、メシアンでさえ日本では全く知られていなかったんですね。
そのような状況を語るときのバックグラウンドとして必要な、専門的な音楽や作曲に関する知識さえも、著者はきっちりと与えてくれています。それは、よくこんなところまでリサーチしたな、と驚かされるほどの、的確なレクチャーです。ただ、1ヵ所だけそんなディレッタントならではの事実誤認を指摘させていただくと、401ページの下段2行目の「『TACET』というのは、ケージの造語で」というのは誤りです。これは普通のオーケストラのパート譜などにも頻出する表記で、ケージはほとんどジョークのノリでここに用いていたのでしょうね。
ここに登場する作曲界、美術界、さらには文学界の個人名も、したがって膨大なものになっています。この著作は間違いなくこの時代の文化を語る上での貴重な資料になるはずですから、そのような人名の索引が設けられていたら、さらに価値の高いものになっていたのではないでしょうか。

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by jurassic_oyaji | 2016-03-09 21:06 | 書籍 | Comments(0)
シベリウスの交響詩とその時代
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神部智著
音楽之友社刊
ISBN978-4-276-13055-5




昨年、2015年はシベリウスの生誕150年ということで、コンサートやCDなどのリリースで盛り上がっていましたね。ただ、彼は1865年の12月8日に生まれていますから、正確には昨年のその日が「生誕150年」の始まりで、今年の12月まではそれが続くことになります。でも、おそらく世間では2016年になったとたんに、昨年のようなシベリウス・フィーバーはきれいさっぱりなくなってしまうのでしょうね。そんな、正確な意味での「150年」の始まりごろに刊行されたのが、この本です。
著者の神部さんという方は、おそらく今の日本では最もシベリウスに関しての多くの情報に通じているのではないでしょうか。そのお仕事の一端である、音楽之友社から出版されている交響曲のスタディ・スコアの校訂と、その解説の精緻さには、驚きを隠せません。以前からシベリウスの作品はブライトコプフ&ヘルテルから全集の刊行が続いており、そちらのスコアの方がよりオーセンティックなものだと思っていて、こちらにはほとんど見向きもしていませんでしたが、ある日実際に手に取ってみるときちんとその全集版の校訂結果を反映されている上に、「日本語」で最新の情報が詰まった的確な解説が読めることが分かったのは、本当に衝撃的でした。現在は「3番」までしか出ていませんが、継続して残りのものも出版が予定されているというので、とても楽しみです。
そんな神部さんの、タイトルだけを見ると単にシベリウスの「交響詩」だけに特化した解説書が出たのかと思っていたのですが、これも「実際に手にして」みると、そんなジャンルを超えた広く深い内容のものだったので、改めて驚いているところです。
つまり、ここでは一応、「交響詩」と言われているものを作曲年代順に扱うという構成にはなっていますが、どうやらそれらの交響詩たちは、単に年代を区切る「骨格」として配置されているだけのようなのですね。もちろんそこではその交響詩のアナリーゼっぽい「楽曲解説」も述べられていますが、もっと肝心なのはその骨格に絡み付いている「筋肉」や「皮膚」といったパーツに相当する、それが作られたころに作曲家はどのような状態(精神的なものから経済的なものまで)にあったか、とか、その頃の国際情勢がどのようなものであり、それが作曲家の創作活動、さらには生活そのものにどのように影響を与えていたかということが、実に詳細に語られているのですよ。それによって、それぞれの曲の位置づけやそこに込められた作曲家の意思がよりはっきりするのは、言うまでもありません。
それらの語り口が、とても分かりやすい文章で綴られているのも大きなポイントです。「クレルヴォ」の章などは、まるで推理小説のようにこの曲の「謎」とされていた事柄を明快に解いてくれるのではないでしょうか。
さらに、それらを語るときには、実際の資料を具体的に提示しているという点が、とてもリアリティを感じさせてくれます。シベリウスの自筆稿や書簡、日記なども、今では新しい研究が進んでいるそうで、そこからはかなり精度の高い「事実」が読み取れるようになっています。さらに、彼の作品についての評価なども、驚くほど多くの資料によって発表された当時の巷のコメントが生々しく伝えている内容が紹介されています。
そのような手法で著者が目指したのは、よく言われている「フィンランドの国民的作曲家」としてのシベリウス像を超えた、より普遍的な音楽を生涯にわたって追及していた作曲家の姿を明らかにすることでした。そこから見えてくるものは、いたずらに世間の潮流に身を任せることなどは決してない、自身の信じる道を生涯にわたって貫いた求道者の姿です。この本には、そんな作曲家の作ったものを、より深いところで聴いてみたいと強く望まずにはいられないような力が漲っています。

Book Artwork © ONGAKU NO TOMO SHA CORP.
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by jurassic_oyaji | 2016-01-04 20:39 | 書籍 | Comments(1)
BACH/Messe in h-Moll
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Ulrich Leisinger(ed)
CARUS/CV 31.232/07
ISMN M-007-14596-5(study score)




先日のCDでバッハの「ロ短調ミサ」の新しい楽譜の存在を知って、その場で出版社に直接注文したら、本来なら到着まで1ヶ月はかかるとされる一番安い(7ユーロ)シッピングの扱いなのにたった1週間で届いてしまいましたよ。国内で買うのより、1000円以上お得。
CDの時にこの楽譜の概要は書きましたが、資料として自筆稿のスコアとパート譜があって、それぞれの内容が同じではなかった時に、どちらを決定稿とみなすか、という、なかなか難しい判断を迫られる状況にあったわけですね。そういう時にはどうするか、という点でのせめぎあい、というか、出版社間の覇権争いのようなものを見る思いですね。でも、演奏家にとっては、実際に演奏するかどうかということとは別の、一つの貴重な資料が簡単に手に入るというメリットはあります。
そういう観点でこのCARUS版を見ていくと、最も違いの大きい「7a/Domine Deus」では、まず自筆パート譜にあるようにフルートの最初のフレーズにだけ、この「ロンバルディア・リズム」がきっちりと記譜されていました。

しかし、よく見ていくと、もっと先の27小節目にも、新バッハ全集では十六分音符の連続だったところがこのリズムに変わっている箇所がありました。上から2段目から4段目まで、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラのパートです。

ですから、一応弦楽器でもこのリズムでやってくれ、と念を押しているという意味が込められているのでしょう。ただ、その下のソプラノとテノールのソリストのパートでは、平坦なままなのがちょっとヘンですね。もちろん、CDではソリストたちも弦楽器と同じリズムで歌っています。
ヘンと言えば、実はここで校訂者は不思議なことをしています。確かにパート譜では第2ヴァイオリンとヴィオラはしっかりこのリズムに書かれていますが、第1ヴァイオリンは、自筆も、コピー(これは別の人の筆跡)も平坦なリズムなんですよね。

↑第1ヴァイオリン(自筆)

↑第1ヴァイオリン(コピー)

↑第2ヴァイオリン

↑ヴィオラ

それをこのリズムに勝手に直しているのですよ。なぜ、こんなすぐバレるような「改竄」を行ったのか、校訂者の意図は到底理解不能です。
もう1曲、「9a/Quoniam tu solus sanctus」でも、バスのソロのパートに、パート譜では改訂が加えられた部分が数多くありますが、そこにはスコア(=新バッハ全集)の譜面が「ossia」としてもう1段加えられています。
これらの改訂は、バッハがパート譜を作成した1733年に行われたものなのですが、もう1か所、それとはちょっと事情が異なる部分があることが、今回のスコアから分かりました。それは「4b/Et in terra pax」の、小節番号はその前の「4a/Gloria in excelsis Deo」からの続きで120小節目から始まるフレーズの「hominibus」の「mini」というテキストに付けられたリズムです。ここは有名なところで、かつての「旧バッハ全集(1857年)」では♪+♪だったものが、「新バッハ全集(初版は1954年)」では付点音符のリズムに変わっていました。それが、CARUS版ではまた元に戻っているのですね。

↑旧バッハ全集

↑新バッハ全集

↑CARUS版

これは、パート譜を作った時点では♪+♪だったものを、それ以降(おそらく、1748/49年?)にバッハがスコアに訂正を書き込んだことを示唆するものです。実際にスコアのファクシミリを見てみると、特にベースのパートでははっきり「後で書き込んだ」ように見えますね。

↑十六分音符のヒゲの向きが揃っていない

こういうことがあるので、この、「第1部 Missa」と呼ばれている「Kyrie」と「Gloria」の部分は、単純に「ドレスデンのパート譜は、スコアを改訂したもの」と言い切ることは出来なくなってしまいます。
この部分、有名なカール・リヒターの1961年のARCHIVの録音を聴きなおしてみたら♪+♪でした。ということは、リヒターはまだ旧バッハ全集を使っていたのでしょうね。1958年に録音されたERATOのフリッツ・ヴェルナー盤ではすでに新全集版が使われていたというのに(もう1ヵ所のチェックポイント、「Benedictus」のオブリガートも、リヒター盤はヴァイオリン、ヴェルナー盤はフルートでした)。ARCHIVというのは、今から考えるとそれほど「学究的」なレーベルではなかったのですね。

Score Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2015-08-28 22:50 | 書籍 | Comments(0)