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カテゴリ:書籍( 151 )
オペラ座のお仕事/世界最高の舞台をつくる
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三澤洋史著
早川書房刊

ISBN978-4-15-209489-6




著者の三澤さんの名前を知ったのは、Facebookで目にした彼のサイトの書き込みからでした。そこで述べられていたことは、確か合唱コンクールの全国大会での審査員を務めたときの感想だったはずですが、詳細はすっかり忘れてしまいました。ただ、なんか、合唱界(というか、「合唱コンクール界」)のタブーのようなものに踏み込んで、とても鮮やかに正論を展開していたという印象だけが残っています。このコンクールの審査員といえば、ほとんどがおよそ全体の音楽を聴かずに、重箱の隅をほじくるような技術的な点だけで評価を下す人たちだと思っていたので、なにかとても救われたような気持になったことをよく憶えています。
今回、おそらくそのようなサイトの書き込みが内容の骨子になっていると思われる書籍が出版されました。タイトルから判断すると、彼の本来のポストである新国立劇場の合唱指揮者の仕事ぶりを語ったもののようですから、面白くない訳はないと、即座に入手してみましたよ。
それは、面白いどころではなく、まさに「面白すぎる」本でした。読み始めたら途中でやめるのも惜しいぐらい、次々と興味ある話題が湧きだしています。もう一気に最後まで読み通してしまいました。だいぶ前に、こんな感じの、夢中になって読みふける本があったな、と思ったら、それは茂木大輔さんの一連のエッセイでした。両者の「面白さ」に共通するのは、なんと言ってもその文体の躍動感。そこからは、自らのリズム感で他人を酔わせてしまうという、良質な音楽家であれば誰しもが持っているグルーヴを感じることが出来ます。
茂木さんの著作同様、ここでも三澤さんのまさに波乱万丈の経歴が語られています。そもそも、彼は音楽には関心があったものの、合唱の経験は全くなく、最初はトランペットをやっていたものが、高校に入った時にはブラスバンドで打楽器をやろうとしていました。ところが、そこに、隣から聴こえてきた「男声合唱」の響きに魅せられて合唱の世界に足を踏み込むという、なんとも不思議な体験が「合唱人」としてのスタートだというのですからすごいですね。
とは言っても、本当になりたかったのは「指揮者」、それも、「合唱指揮者」ではなく、ちゃんとしたオーケストラを指揮するような指揮者でした。そのために国立音大を卒業後(ここでは指揮科ではなく声楽科)ベルリン芸術大学で本格的な指揮の勉強をすることになります。それは、まさにシンフォニー・オーケストラの指揮者を目指す道、事実、三澤さんは単なる合唱指揮だけではなく、オペラそのものの指揮もしっかりなさっているようです。
現在は、いつの間にかしっかり日本にも「オペラのシーズン」というものを定着させてしまった本格的な(つまり、外国のものと同じ質の)オペラハウス専属の合唱団のシェフとして、日々「本物の」オペラの現場で活躍されています。常々、「新国立劇場の合唱団はすごい!」という噂をあちこちで聞いていますが、そんなすごい合唱団を作ってしまった張本人ということになるわけです。その合唱団に求めるサウンドも、実際にバイロイトでノルベルト・バラッチュのアシスタントを務めた経験なども踏まえた上で、最初から「バイロイトと同じもの」というレベルの高さだったのですが、結局「新国」の日本人にはドイツ人を超えることはできないことを知って深刻な壁を感じてしまうと思いきや、後に今度はミラノのスカラ座で研修を受けたことによって、その「壁」はあっさり克服できたという、とてもハッピーな結末が用意されていました。もはや、この合唱団には、何も怖いものはないのでしょう。
そんな、今では「バイロイトを超えた」とまで自画自賛している合唱団を聴きに、ぜひいつの日か新国立劇場を訪れてみたいものだ、と、切実に思わせられてしまいました。

Book Artwork © Hayakawa Publishing Corporation
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by jurassic_oyaji | 2014-11-08 19:30 | 書籍 | Comments(0)
棒を振る人生
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佐渡裕著
PHP研究所刊(PHP新書951
ISBN978-4-569-82059-0



佐渡裕さんは、ご存知の通り世界的な指揮者として活躍するかたわら、「題名のない音楽会」の司会者として、全国の「お茶の間」にもその姿が浸透している人気者です。正直、忙しいスケジュールの中でほぼ毎週そのテレビ番組に出演しているというのは、かなりすごいことなのではないかと思っているのですが、さらにその隙を縫ってこんな本まで書き上げてしまうのですから、驚いてしまいます。なんでも、これが「単著」としては3冊目のものになるのだそうですね。もちろん、そんな忙しい中でもきっちりとご自身でペンを走らせて(あくまで比喩ですが)いるのは、その畳み掛けるような勢いのある文章からも分かります。最後に、ジャーナリストの方の名前が「編集協力」という肩書でクレジットされていますが、この方は客観的にデータを整えたりしたのでしょう。ご本人の記憶には、えてして勘違いというものがありますからね。
前半は、「楽譜とは何か」とか「指揮者とはどういうものか」ということに関しての、佐渡さんなりの的確な「解説」の部分です。ここでは、彼の師であったバーンスタインと、その作品を引き合いに出して、興味深い逸話が語られます。となると、当然そのバーンスタインの「天敵」であったカラヤンの話も登場することになります。そこでその頃のベルリン・フィルの団員だったゴールウェイの名前が出てくるのには驚いてしまいます。なんでも、彼はバーンスタインの姿をプリントしたTシャツを着てカラヤンのリハーサルに臨んだのだそうですね。そしてそのあとに、ゴールウェイがベルリン・フィルを辞める時には、その最後の演奏会でアンコールにラヴェルの「ボレロ」を、ゴールウェイのソロで演奏した、という逸話を紹介しています。そんなことがあったのでしょうかねえ。ゴールウェイの自伝によれば、最後のシーズンが始まる前に辞表を提出した後は、カラヤンが指揮をする演奏会では全く出番がないようになっていたはずなのですから、「最後の演奏会」でそんな粋な計らいを受けたとは考えにくいのですが、さすが、カラヤンはオトナだった、ということなのでしょうかね。
後半では、佐渡さんの最近の活動について述べられています。その中で注目されるのは、やはり兵庫県立芸術文化センターの芸術監督としての仕事ぶりでしょう。阪神淡路大震災の震災復興事業の象徴として建設されたこの建物は、佐渡さんの尽力で単なるホールではない、豊かな成果を産み出しています。震災を乗り越えて、ホール専属のオーケストラを作ったり、オペラまで上演できるようになってしまうなんて、うらやましすぎます。というのも、その後に起こった東日本大震災では、そのような確固たるビジョンを持った事業などは全く期待できない状況にあるのですからね。いや、たしかに音楽ホールを作ろうとするような動きはありますが、それはどうやら薄汚い利権が絡んだ、将来の展望など望むべくもない計画のようですしね。
そして、最後を飾るのが、最新のトピックス、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督就任のニュースです。この部分の佐渡さんの筆致は、かなりハイテンションのように思えます。それだけ、本場ウィーンで「自分のオーケストラ」を持つことが出来るようになったことがうれしいのでしょう。そこから止めどもなくほとばしる将来への思いには、熱いものがあります。なんたって、この決して知名度が高いとは言えないオーケストラを「ウィーン・フィルよりいい音のするオーケストラ」にしたいと言っているぐらいですから。
そんな充実した人生を送っている人の本のタイトルがまるで「棒に振る人生」のように読めてしまうのは、ジョークでしょうか。そんなマゾっぽいセンスは、この人は持っていないような気がするのですが(いや、彼はサド)。
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by jurassic_oyaji | 2014-10-21 23:03 | 書籍 | Comments(0)
「ビートルズ!」を作った男/レコード・ビジネスへ愛をこめて
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高嶋弘之著
DU BOOKS
ISBN978-4-907583-23-1




この本のタイトルが、ちょっとマニアックなのに気づいた人はいるでしょうか。「ビートルズ」に「びっくりマーク」が付いているのがミソ。これは、グループ名としての「ビートルズ」ではなく、彼らのファースト・アルバムとして日本で発売されたLPのタイトルなのですよ。ジャケットは同じ時期にアメリカで、やはりファースト・アルバムとしてリリースされた「Meet the Beatles!」と同じですが、曲目は日本でのデビュー・シングルの「I Want to Hold Your Hand」など、アルバム未収録の3曲と、それまでにリリースされていた2枚のアルバム(「Please Please Me」、「With the Beatles」)からそれぞれ6曲と5曲をピックアップして編集した日本独自のものだったのです。表紙のイラストは、そのLPOR-7041)のA面の模写です。「エバークリーン」が使われた「赤盤」だったんですね。「もしや」と思って調べたら、タイトルが入っている部分は、その日本盤の発売当初の帯ではありませんか。

もちろん、そのLPの編集を行ったのは著者の高嶋弘之ですから、まさに「『ビートルズ!』をつくった男」となるのですね。それがリリースされたのが1964年の4月5日(発売日には諸説あり)、つまり、今年は「ビートルズ!」が出てからちょうど50年目となるのです。これは、おそらくそのあたりを記念しての復刻だったのでしょう。というより、この時期の日本での独自編集のアルバム5枚をCD化したボックスが発売されたばかりですから、それとのミエミエのタイアップなのでしょう。そう、これは過去(1981年)に出版されたものの、とっくの昔に廃刊となった書籍の復刻版なのでした。
あの1966カルテット」の生みの親である、高嶋音楽事務所の代表高嶋弘之は、有名な話ですがかつては「東芝レコード」のディレクターとしてのサラリーマン生活を送っていました。彼がその東芝を退社して、別の会社を作ったりしている時に、乞われて書いたのが元の本です。彼が「東芝」に入社したのは1959年、そして退社したのが1969年、そんな、出来て間もない「東芝」時代のハチャメチャなディレクター人生が、語られています。
そこで紹介されているのは、なにも知らなければ突拍子もないように思えるほどの「反則技」の数々ですが、もはやそんなことは今では誰でも知っている、ごく普通に「業界」では行われていることばかりなのですね。いや、それはもはや「レコード」業界だけではなく、ありとあらゆる業種(テレビ番組、映画、あるいは書籍)が日常的に販売戦略として行っている手法なのですよ。
この本が書かれた当時ではおそらく知る人はあまりいなかったであろう、たとえばレコードの売り上げ枚数をごまかして公表したり、アルバイトを雇って作為的にラジオのリクエストをたくさん送りつけるなどという「浅知恵」は、今では誰でも知っていること、知っていても、あえてそれを知らないフリをして受け止める、というのが「賢い」人たちの生き方なのですよ。それをあたかも重要な「秘話」であるかのようにしか語れない著者の「愚かさ」のみが、とても目立ってしまうだけという、これは本当につまらない本です。表紙のマニアックさと、その内容とのあまりの落差は、まさに「1966カルテット」と共通しています。
でも、せっかく買ったのですから、賢い読者としては、そんな駄文の端はしにちりばめられた彼自身でしか語ることが出来ないはずの「事実」の重みを、味わうことにしませんか。それは、たとえば「帰って来たヨッパライ」で大ヒットを放ったフォーク・クルセダーズの第2弾シングルとして発売を予定していた「イムジン河」が、すでに出荷されてしまった時点で「発売中止」という「上から」の指示に従わざるを得なかったという事件。そこでは、当事者からの貴重な証言として詳細な事実関係を、まさに「歴史」として知ることが出来るはずです。
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by jurassic_oyaji | 2014-09-09 23:09 | 書籍 | Comments(0)
Mussorgskij-Ravel/Tableaux d'une exposition
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BREITKOPF/5532(Full Score)



ラヴェルが編曲したムソルグスキーの「展覧会の絵」は、今のオーケストラの現場ではほぼ例外なくBoosey & Hawkesから出版された楽譜を使って演奏されているはずです。正確には、「B&Hから出版された何種類かの楽譜、および、そこから派生した楽譜(海賊版とも言う)」ということになるのでしょう。もちろん、これ(ら)にはきちんとパート譜も用意されていますから、演奏に使うためには申し分ありません。何しろ、この楽譜は、1929年に「ロシア音楽出版」から最初に出版されたものを、そのまま版権を譲り受けたという、とても由緒正しいものなのですからね。しかし、このB&H版は、1942年に出版されて以来、1953年と2002年とに改訂を行っていますが、いまだに多くの疑問点やミスプリントが残った、ちょっと信頼のおけない楽譜のままでいます。というか、2002年の「新改訂版」と呼ばれるものは、版下は1953年版をそのまま使い、それにほんの少し手を加え、いくつかの注釈を書き加えただけ、というしょぼいものですからね。
そんな中、1994年にEulenburgから、ラヴェルの自筆稿などの資料を精査してきちんと校訂された楽譜が出版されました。2004年には日本版も出版されています。これは、今までB&H版では謎とされていた部分が、ことごとく解決されていた、素晴らしいエディションでした。ただ、これはパート譜などは用意されていませんでしたから、部分的に指揮者や演奏者が楽譜に書き込んで直すための、いわば「研究用」の資料としての価値が一義的なものだったのでしょう。
そこに、つい最近、Breitkopf & Härtel社(これもB&Hなので、「ブライトコプフ」と言うことにします)という「大手」が、参入しました。この出版社でラヴェルの新しい楽譜の校訂を行ってきた、指揮者であり音楽学者でもあるジャン=フランソワ・モナールの校訂による、やはりEulenburgと同じ手法で作られた「原典版」です。こちらは、レンタルになりますがちゃんとパート譜も用意されていて、実際にオーケストラのライブラリーとしての需要を見込んで出版されたものです。
その作られ方からも分かる通り、このブライトコプフ版は、B&H版に比べたら、限りなく編曲者であるラヴェルの意思に近いものとなっています。つまり、あくまでラヴェルの自筆稿に忠実な校訂を行い、仮にそこがムソルグスキーの楽譜とは異なっていても、ラヴェルが書いたものを優先させるという姿勢が貫かれているのです。そんな例が、最初のプロムナードの23小節目(「5番」の2小節目)の3番ホルンと3番トランペットの最初の音です。ムソルグスキーではこの音はEフラットですが、ラヴェルの自筆稿ではEナチュラルなので、ここでもEナチュラルになちゅらっています。B&H版ではEフラットでした。

もう一つ、「サムエル・ゴルデンベルク」の19小節目(「60番」の2小節目)のトランペットの16番目の音も、ラヴェルはダブルシャープ、ムソルグスキーはただのシャープですが、こちらはダブルシャープ、B&Hはシャープです。そのあとの同じ形も、同様ですね。


この2点は、もちろんEulenburgも全く同じ扱いなのですが、中にはブライトコプフ版独自の解釈が現れているところもあります。「バーバ・ヤガー」の125小節(「94番」)からの10小節間は、今までのどの楽譜でもチューバとティンパニが交代で、あるいは同時に「ブンブン」あるいは「ドンドン」とやっていたのですが、この楽譜ではティンパニの「ドンドン」だけになっています。
こんな有名な曲ですから、いずれこの楽譜を使って「ブライトコプフ版による世界初録音」みたいな帯コピーのついたCDが発売されることでしょうね。
この楽譜、知ったのは日本の楽譜屋さんの案内ですが、そこでは本体価格12,580円でした。でも、直にブライトコプフのサイトから買ったら、59.9ユーロ、今の為替相場だと8,000円ちょっとです。送料を入れても9,500円、日本で買えば税込13,586円+送料ですから、かなりのお買い得でした。注文して1週間で届きましたし。

Score Artwork © Breitkopf & Härtel
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by jurassic_oyaji | 2014-09-03 21:22 | 書籍 | Comments(0)
小澤征爾 覇者の法則
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中野雄著
㈱文芸春秋刊(文春新書985)
ISBN978-4-16-660985-7



以前「指揮者の役割」というとても刺激的な本を書かれた中野さんの、今回は小澤征爾の評伝です。最近は、この「カリスマ指揮者」に関する著作が目白押し、ついこの間もこんなまさに決定的な「一次資料」とも言うべき「自叙伝」が出たばかりだというのに、間髪を入れずに同じような趣旨の書籍の刊行です。でも、こちらの本はなんせ「十数年前」から執筆が始まっているというのですから、それは単なる「偶然」に過ぎないのでしょう。
とは言っても、結果的にはこの本は今までの自伝も含めた多くの小澤の評伝からの引用(「コピペ」とも言う)で成り立っている、という印象は拭えません。なんと言っても、おそらく執筆当時は新聞連載だけでまだ出版はされていなかった先ほどの「自叙伝」からの「引用」のいんような(異様な)ほどの頻度には、笑うしかありません。そうそう、それに加えて、著者自身の著作物からの引用という言わば「番宣」も、そちこちにあふれかえっていましたね。
いや、ここでの著者の目論見は、そのような巷にあふれた評伝から、著者にしかなしえない「なぜ小澤は世界的な指揮者になれたか」という命題に答えを出すという作業だったはずです。その点に関しては、「DNA」やら「脳科学」といった、おそらく今までの評伝には現れることのなかったタームを使いこなしての論陣が張られていますから、おそらく多くの読者には納得がいくのではないでしょうか。
あるいは、本筋にはあまり関係ないような「ネタ」にこそ、価値が見出せる、とか。たとえば、「八田利一」に関するコメントなど。ここで著者は、下の名前に「としかず」というルビを振っていますが、これは間違いでしょう。「はったりいち」と読まないことには、このペンネームの意味が伝わりませんからね。実はこんな痛快な「評論家」が存在していたことは初めて知りました。さる、高名な評論家さんが覆面ライターとして執筆しているのだそうですが、とても他人とは思えません。
そして、これも先ほどの「指揮者の役割」からのコピペですが、「アマチュア・オーケストラばかりを振っている指揮者は、決して大成しない」という手厳しい指摘です。アマオケを振っている限り、指揮者は「お山の大将」で相手を指導するだけ、決してオケから「教わる」ことはない、というのですね。確かに、それはとても納得のいくものです。この本にも登場する小澤の後継者と目されているさる有名指揮者などは、アマオケのリハーサルの途中で、ここからは何も得るものがないと分かったとたん、あからさまに投げやりな練習態度に豹変しましたからね。本番こそ大過なくまとめていましたが、アマオケの当事者は悔しい思いをしたことでしょう。確かに、その後その指揮者はおそらく「大成」することになるのでしょうが、その前に人間的な資質が問われることになってしまいました。アマオケをなめてはいけません。
先ほどの「命題」に直接答えるという形ではなく、ごくさりげなく登場する「CAMI」の存在あたりは、もしかしたら著者の「本音」が隠されているのではないか、という気がします。実際、なぜ小澤がCAMIのアーティストになれたのかは著者にも憶測でしか分からないようですし、これを突き詰めることはひょっとしたらタブーなのかもしれませんね。
おそらく、最後に述べられている「小澤ブランド」の今後、つまり、そう遠くない将来に必ず訪れるはずの事態への著者の冷徹な眼こそが、この本の「真価」なのではないでしょうか。そう思えば、コピペだらけの本体も許せます。
いや、たとえば「ウィーン国立歌劇場の音楽監督のポストは、日本企業の援助に対するバーターだ」というような「憶測」も、コピペを繰り返すうちに限りなく「真実」に近づくことを、著者は知っているのかもしれません。

Book Artwork © Bungeishunju Ltd
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by jurassic_oyaji | 2014-08-28 19:50 | 書籍 | Comments(0)
音楽史と音楽論
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柴田南雄著
岩波書店刊(岩波現代文庫
G310
ISBN978-4-00-600310-4



柴田南雄の「音楽史と音楽論」が、ついに「文庫化」されました。この事実は、そもそもは「教科書」として書かれたものが、一つの卓越した音楽書として、古典的な意味を持つようになったことを意味します。
それは、1980年に旺文社(という名前を見るだけで、すでに「教科書」あるいは「学参」の雰囲気が漂います)から放送大学の教科書として出版されました。その装丁はまさに「教科書」そのもの、絹目のエンボスが入った薄っぺらな表紙は、それこそ高校時代に使った山川出版の日本史の教科書そっくりです。

それ以後に本書がたどった道は知る由もありませんでしたが、今回の文庫のクレジットによれば、これはその放送大学のテキストとして講義に用いられ、年度ごとの改訂を繰り返し、1992年に閉講になるまで実地に使われたそうです。その頃には、出版元は放送大学教育振興会に変わっていました。テキストとしての用途が終わった後も増刷は繰り返され、この文庫本の底本となったものは2004年の第3刷なのだそうです。つまり、教科書としての使途がなくなった後にも、一般書籍として流通していたのですね。
そうなのですよ。これが発売された時には、放送大学を受講している人たち以外に「一般の」音楽愛好家が、こぞって購入していたのです。そんな最近までオリジナルが流通していたのも、そんな需要が継続的にあったためなのでしょう。そう、これはまさに「教科書にしておくには惜しい」ほどの、革新的な「音楽史」あるいは「音楽論」だったのです。この文庫ではもうなくなっていますが、旺文社の初版にはサブタイトルとして「日本の音楽に世界の音楽を投影する」という一文が加わっています。これこそが、本書の最もユニークなところ、それまでの「音楽史」の中心であった西洋クラシック音楽を、地理的にも、また時代的にもごく限られたものとした視点の広さには、だれしもが驚かされたものです。
柴田南雄という人は、生前はテレビやラジオでよく「解説者」として登場していましたから、その辺の「音楽評論家」なのではないか、と見られていた節もありますが、彼の本職は作曲家でした。それも、ひたすら自身の作曲技法を練り上げて推し進めるという、「ベートーヴェン型」ではなく、時代に合わせて柔軟に作風を変化させていく「ストラヴィンスキー型」あるいは「ペンデレツキ型」の作曲家だったようです。それは、もちろんこの世代の日本の作曲家であれば避けては通れない必然だったわけですが(一柳彗とか)、彼の場合はその振れ幅がけた外れに大きかったことが、注目されます。最初は型どおりにロマンティックな西洋音楽の模倣から始まったものが、当時の「最先端」であった「12音」、「セリー・アンテグラル」を徹底的に極めた後には、別の面で「最先端」であった「偶然性」に向かいます。そして、晩年にたどり着いたのが、日本古来の音素材を用いた「シアター・ピース」というわけです。その「シアター・ピース」も、後期の「修二會讃」あたりになると、忠実に東大寺のお水取りの様子を模写した、「音楽」というよりは「記録」に近いものになっています。これを「作曲」したのが1978年、この本には、そこまでの「作曲家」としての膨大な蓄積が確実に反映されています。
本書の最後には未来の音楽はどのようなものになるのか、という「予言」めいた言及もうかがえます。それは、文化までをも含めた歴史上の事象が、ある一定の法則に従って変化しているという学説が裏付けになっています。しかし、このような世界がそんな法則に忠実に従うわけもなく、その30年以上前の「予言」は、少なくとも作曲界に於いては実現する事はありませんでした。
そういえば、最近は「シアター・ピース」を手掛けるような作曲家など絶えてなくなってしあたーような気がするのは、単なる錯覚でしょうか。

Book Artwork © Iwanami Shoten, Publishers
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by jurassic_oyaji | 2014-08-18 21:02 | 書籍 | Comments(0)
おわらない音楽/ 私の履歴書
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小澤征爾著
日本経済新聞出版社刊
ISBN978-4-532-16933-6



小澤征爾さんの「自伝」と言えば、かなり若い時に著した「ボクの音楽武者修行」(発行されたのは1962年)が有名ですね。ただ、あれは本当に若い頃、まだニューヨーク・フィルの副指揮者に就任したあたりの、まさに「シンデレラ・ストーリー」の主人公として各方面から注目を集めていたあたりに書かれたものですから、小澤さんの生涯全体からしたら本当にわずかな一部分でしかないのはしょうがいないことです。実は、あの本以後に、彼はとんでもない問題にたち向かわなければならなくなり、それこそ「ストーリー」としては山あり谷ありの面白さが始まるのですがね。

その本は、現在でも文庫本で簡単に入手できますが、1980年に文庫化された時に「解説」を執筆した萩元晴彦が最後に書いた「『ボクの音楽武者修行』から20年、その後の物語は、いずれ小澤征爾自身か、或いは誰かによって書かれるだろう」という「予言」が実現するまでには、それからさらに30年以上も待たなければなりませんでした。
その待望の「物語」は、今年の1月1日から31日まで、日本経済新聞の朝刊に連載されました。それを一冊の本にまとめたものが、本書です。掲載日ごとに一つのテーマ、それが全部で30編しかないのは、1月2日が新聞休刊日だったためなのでしょうね。それは、おそらく「武者修行」のように小澤さんが自らペンを取ったものではなく、インタビューを受けて語ったことを誰かが本の体裁に整えた、という、昨今の「自叙伝」では当たり前になった手法が取られているのではないでしょうか。もちろん、そのあたりの技術は、このような分野だけではなく、各方面で長足の進歩を遂げていますから、そのような読みやすい文体の中からは小澤さんの「生の声」が的確に伝わってきます。それは、もしかしたら本人が書くよりもストレートに伝わる仕上がりになっているのでは、と思えるほどです。同じような手法ですが、小澤さんの言葉をそのまま本にした先日の村上春樹の著作に対して、こちらは充分に手をかけてあくまで簡潔な物言いの中から、本質的なことを浮きだたせるという、高度な操作が加わっているような気がします。
そんな文体ですから、非常に短い言葉でも激しく心を揺り動かされることがあります。中でも印象深いのが、「N響のボイコット」ではないでしょうか。この件については、今まで多くの人がそれぞれの立場から様々な見解を表明してきているはずですが、その最大の「当事者」である小澤さんの「真意」がここで語られているのには、ぜひ注目すべきです。どんな問題に直面しても、明るく前向きに臨んでいるという印象の非常に強い小澤さんが、ここでは「精神的にめちゃくちゃにやられた。泣いたし、悔しかった」とまで言っているのですから、やはりこれは彼にとっては未曽有の事態だったのでしょう。「スラヴァの説得」の章では、そんなダメージを負わされたオーケストラとの「和解」の模様が語られています。しかし、なにかそれは単に事象を淡々と述べているだけ、という印象しか受けません。
同じように「世間を騒がせた」天皇直訴事件についても、そのあたりの経緯がきちんと語られているのも、なにかほっとさせられます。
武満徹の出世作「ノヴェンバー・ステップス」が、文字通り世に出るために果たした小澤さんの絶大な貢献に関しても、詳細に事実関係が述べられています。ニューヨーク・フィルの委嘱作品として、そもそもは黛敏郎にと考えていたバーンスタインに武満を進言したのが小澤さんだということは、初めて知りました。もちろん、後に武満が公にする「こんな俗物の指揮者と仕事をしていたことを後悔している」という小澤批判については一切触れられていないのは、まさに小澤さんのおおらかさ、つまり人間としての器の大きさを物語るものに違いありません。

Book Artwork © Nikkei Publishing Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-08-06 21:12 | 書籍 | Comments(0)
小澤征爾さんと、音楽について話をする
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小澤征爾×村上春樹著
新潮社刊(新潮文庫)
ISBN978-4-10-100166-1



単行本が出たのが2011年の11月、それから3年も経っていないのに文庫化が「解禁」になるというあたりが、5年以上は待たされる東野圭吾との違いでしょうか。こんなに早いと、「ついこの間ハードカバーを読んだのに」という気持ちになってしまいます。
いや、「読んだ」と言っても、それは「立ち読み」という読み方でして。こんなタイトルの本が平積みになっていれば、どうしても手が伸びてしまうじゃないですか。ほんのチラッと目を通すつもりが、気が付いたらほとんど半分近く読んでしまっていたというだけの話です。ただ、そのあたり、小澤さんと村上さんがグールドかなんかのレコードを聴いて、「そこが走ってる」とか言い合っているようなところは、確かにスラスラ読めてしまうのですが、それだけで終わっているような気がして、その続きを読むためにその分厚い本を買おうという気には、全然なれませんでした。クラヲタの「熱い語らい」を傍で聴いていることほど退屈なものはありませんからね。
そのうち、その本の中で二人が実際に聴いていた音楽、というものを収録したCDまでが発売されました。当然のことですが、それはすべてが本に登場したレコードと同じというわけではなく、レーベルの関係で同じ曲を別の演奏家が演奏しているものも含まれているものでした。いくら「古楽器による演奏」といっても、インマゼールとレヴィンでは別物ではないか、という気がするのですがね。

そんな「まがいもの」が出た数ヵ月後に、この文庫本は発売になりました。あまりのタイミングの良さに一瞬たじろいでしまいますが、価格も半分以下になっていてお買い得、これだったら、最後まで読んで退屈しても、そんなに落ち込むことはないでしょう。
しかし、そんな腰の引けた読み方をあざ笑うかのように、まだ「立ち読み」していなかったところにはものすごいものが横たわっていました。レコードを聴きながらあれやこれや言い合うというシーンは、このあたりになってくるとあまりなくなってきて、そんなことよりも小澤さんが実際にそんなレコード上の「巨匠」(それは小澤さん自身も含めて)についての実体験を語るあたりが、とてつもないインパクトをもって迫ってくるようになっていたのです。これこそは、小澤さんでなければ語ることのできない、一つの「歴史」ではありませんか。往年の二大巨匠、カラヤンとバーンスタインについての、実際に音楽家として高次元の関わりを持った人によって語られる「事実」の、なんと重みのあることでしょう。データでしかお目にかかったことのない有名なプロデューサーなどが、平気で「親友」なんて言われて登場してくるのですからね。
それにしても、小澤さんの記憶の確かさ、細かさには驚かされます。それはあとでも述べられていますが、実際に録音現場にいたときの記憶が、その録音を聴くことによって甦るという、ある種の潜在意識の覚醒みたいなことが起こっていたのでしょうね。拡声器からの音によって。ただ、そんな中で「バーンスタインがウィーン・フィルとマーラーの2番を録音していた現場に立ち会っていた」という話は、村上さんも不思議がっていましたが明らかに記憶違いのような気がします。同じ時期にロンドンとウィーンで別のオーケストラとこんな大曲を録音していたなんて、いくらバーンスタインでもまずあり得ません。いや、本当にこんな録音(+映像)が存在していたら、すごいことなのですが。
文庫化で新たに収録された村上さんのエッセイは、とても素晴らしいドキュメンタリーでした。小澤さんの普通の人の尺度をはるかに超えた情熱には打たれます。おそらく、今ではほとんど語られることもないあの「天皇直訴」も、そんな情熱のなせる業だったのでしょうね。

Book Artwork © Shinchosha Publishing Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2014-07-09 20:43 | 書籍 | Comments(0)
オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識
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長岡英著
アルテスパブリッシング刊(いりぐちアルテス005)
ISBN978-4-903951-90-4



世にアマチュア・オーケストラの公式ウェブサイトというものはたくさん存在しています。そしてそれぞれは、じつに様々な形をもっています。もちろん、演奏会の案内などの活動状況の紹介などは欠かすことが出来ないものですから、まず、もれなく含まれているのでしょうが、それ以外の、団員による読み物なども加えて、バラエティ豊かに迫るものなども多く見受けられます。何を隠そう、このサイトにしてからが、そもそもの出発点はそのような、演奏会に向けて練習している曲についてのマニアックな蘊蓄を集めたものだったのですからね。ですから、この本の著者のように、アマオケの団員でそのウェブサイトに定期的に音楽に関する文章を投稿しているような人を見たりすると、なにか他人とは思えなくなってしまいます。
そう、この本の著者は、本来は音楽学者なのですが、お子さんが通う学校のオーケストラが、父兄も団員として受け入れるというところだったので、そこにヴィオラ奏者として入団し、日々のオーケストラ活動を楽しんでいるという方なのです。そんな方がサイト管理者の勧めに応じて、音楽に関するコラムを毎週公式ウェブサイトに投稿するということを3年間にわたって続けられたというのですね。その結果、180篇以上のコラムが出来上がったのだとか。こらむぁーすごいですね。
そして、その中から60篇ほどを選んで、再構成されたものが、こんな本になってしまいました。そのような、音楽的なバックボーンがしっかりしていて、なおかつオーケストラの「現場」に日々身を置いているという方の書いたものですから、これは読まないわけにはいきません。
ただ、最初にこの本のタイトル(編集者が付けた?)を見た時には、この「オケ奏者なら知っておきたい」というフレーズの中の「なら」という言い方に、ちょっと不快なものを感じてしまいました。これがたとえば「オケ奏者にとって、知っておいて役に立つ・・・」みたいな言い方だと、そんなことは全く感じたりはしなかったのでしょうが、これは本当に損をしているタイトルです。この言い方には、有無を言わせぬ強制力、言ってみれば知識の強要のようなものが感じられます。しかし、知識というものは、他人に強制されて与えられるよりは、自ら知りたいと思って身に着ける方が良いに決まってますからね。実際に読んでみると、そんな押しつけがましいところは全くない内容だったので、なんか、こんなタイトルを付けられたのがかわいそうになってきましたよ。
つまり、そんなよくある煽情的な割には中身のとことん薄いあまたのハウツー本のような先入観をもって読み始めたところ、その語り口は柔らかですし、述べられていることもいともまっとうで奥深いものだったので、かえって面喰ったというのが正直なところなのですよ。
中身がきちんとしているというのは、たとえば「モーツァルトが初めから木管4パートが2本ずつ揃った編成で作ったのは『パリ交響曲(31番)』だけ」というとんでもない事実を、いともさりげなく語る部分によって分かります。確かに、言われてみればそうでした。さらに、そんな「トリビア」であっても、いたずらにマニアックに走ってはいないことも、ベルリオーズが「幻想交響曲」で試みた「標題音楽」の先駆けとして、クネヒトではなくベートーヴェンの例を挙げていることから知ることが出来ます。
ただ1ヶ所だけ、「バロック音楽の付点リズム」のところで掲載された説明用の画像は、視覚的に不完全さを感じてしまいます。

このように「長」、「短」と「言葉」で説明するのよりは、

このように、きちんと「楽譜」(参考文献の中にもあったクヴァンツの書籍からの引用)で示してくれた方が分かりやすいはずですからね。

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by jurassic_oyaji | 2014-05-22 20:40 | 書籍 | Comments(0)
運命と呼ばないで/ベートーヴェン4コマ劇場
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NAXOS JAPAN
IKE

学研パブリッシング刊

ISBN978-4-05-800251-3




あの「のだめカンタービレ」に続けとばかりに、こんなクラシックのネタのコミックが刊行されました。この作品がユニークなのは、まず、「のだめ」のような紙媒体で最初に公開されたものではない、といういかにも今の時代が反映されているところです。そして、なによりも、これを作ったところが「レコード会社」だ、というあたりが、まさに前代未聞。そう、これは、今では「世界一」のクラシック・レーベルとなってしまったあのNAXOSの日本法人「ナクソス・ジャパン」が、公式サイトに殆ど冗談で「連載」していたものを、まとめて単行本にしたという、かなりぶっ飛んだ出自を持っているのです。「作者」に関しては上記のようなクレジット、ストーリーを構成してネームを作るのが「NAXOS JAPAN」さん、作画をするのが「IKE」さんということになるのでしょう。その「NAXOS JAPAN」さんは、大胆にも会社の名前をペンネームにしているぐらいですから、おそらく社員さんなんでしょうね。それも、数人が集まったグループではなく、一個人なのではないか、という気がします。というのは、彼女(だと思いますよ)が書いたであろうコラムが公式サイトにありますが、これを読む限りではマニアックな度合いといい、目指しているものの細かさといい、まず集団ではないような気がするからです。それにしても、この有無を言わせぬ押しつけがましさには、ちょっとたじろいでしまいませんか?
そんな、いかにもマニアっぽい押しつけがましさが、このコミックにもそのまま反映されているのが、おそらく最大の敗因でしょう。タイトルにあるように、基本ベートーヴェンの評伝を4コママンガで表現しようというものなのですが、実は本当の主人公は彼の弟子のフェルディナント・リースなのです。このリースという人は、後に作曲家/指揮者となって大活躍をするのですが、現在ではほとんど忘れ去られた存在です。それでも、彼の名前は、もう一人の著者との共著「Biographische Notizen über Ludwig van Beethoven (ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書)」という、ベートーヴェンの最初期の評伝の著者としてかろうじて音楽史には残っています。これは、文字通りリースの目から見た師ベートーヴェンに関する「覚書」、作者はこの著作に着目し、絵描きさんと一緒にかわいらしいリースのキャラクターを作り上げて、この中のエピソードをギャグ満載のコミックに仕上げたのです。
しかし、そんなマニアックなアプローチと、いかにもなキャラによる見え透いたギャグとの間には、明白な乖離が生じるのは当然のことです。読んでいるうちに、その居心地の悪さは次第に募り、先へ読み進もうという意欲が確実に薄れていきます。それはまるで、出来の悪い同人誌を無理やり読ませられているような感じでしょうか。
決定的な破綻が訪れるのは、作品のクライマックスとなるべき、リースがベートーヴェンのピアノ協奏曲のカデンツァを即興で弾きはじめる場面でしょう。まず、リースになんでそんなことが可能になったかという必然性が、まるで感じられません。普通はそれなりの伏線があるものなのに、いきなり「化ける」のですからね。まさに独りよがりの極みです。さらに、その状況がこの絵からは全く伝わってきません。つまりこれは、構成力の全くない作者と、コミックの「文法」すらも習得できていない未熟な作画者とによる、おぞましいまでの駄作にほかなりません。
ただ一つ、価値を見出すとすれば、それは各所にちりばめられた、このレーベルから出ているリースの作品のCDの「番宣」でしょう。なんでも、明日から始まる「ラ・フォル・ジュルネ」には、この本の専用のブースが設けられるのだとか。その脇には、売れずに倉庫に眠っていたリースのCDが、日本語のライナーでも付けられて(これは良くやる手)山積みになっていることでしょう。もちろん、CDリースではなく、お買い上げです。

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by jurassic_oyaji | 2014-05-02 20:14 | 書籍 | Comments(0)