おやぢの部屋2
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カテゴリ:オルガン( 34 )
WIDOR/Organ Symphonies
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Christian Schmitt(Org)
Stefan Solyom/
Bamberger Symphoniker
CPO/777 678-2(hybrid SACD)




一生涯を教会のオルガニストとして務めるとともに、パリ音楽院の教授にもなったシャルル=マリー・ヴィドールは、「フルートとピアノのための組曲」のような、今ではフルートのレパートリーとしては欠かせないものも作っていますが、やはりオルガンのフィールドでの作品を欠かすことはできません。
オルガンのための有名な作品としては、一群の「Symphonie交響曲」というタイトルのものが有名です。全部で10曲ありますが、「交響曲」とは言っても純粋にオルガン・ソロのために作られたもので、オーケストラの曲ではありません。それぞれ、多くの楽章を持っていますが、それはドイツ音楽のような形式とは無縁の、もっと自由な配列になっています。「第5番」の第5楽章「トッカータ」が、単独でよく演奏されますね。
それとは別に、彼は普通のオーケストラのための「交響曲」も作っているので、話はややこしくなります。しかも、「1番」や「2番」は普通の楽器編成ですが、「3番」になるとオーケストラにオルガンが加わってきます。つまり、「オルガン交響曲」になってしまうのです。
そんなややこしさを、そのままタイトルにしたのが、このSACDです。つまり、「Organ Symphonie」と呼ばれる、オルガン・ソロの曲と、オルガンの加わった「Symphonie」がカップリングされているのですね。
まず、オーケストラにオルガンが加わった「交響曲第3番」です。これは、ヴィドールにとっては、この編成による最初の作品となりました。オルガンが入った「3番」と言えば、あのサン・サーンスの名曲と全く同じですが、実際、ヴィドールがこの曲を作った時にモデルにしたのが、このサン・サーンスの曲だったのですから、「番号」以外は偶然ではありません。楽章も一応楽譜上は2楽章ですが、実際は4つの部分に分かれているというあたりも、全く同じです。
ただ、ヴィドール自身、この作品を「オルガンのための大協奏曲」と呼んでいたように、サン・サーンスの場合とはオルガンの使い方がかなり違っています。サン・サーンスではオルガンはもっぱらオーケストラの中の1楽器として華やかなオーケストレーションに貢献するという役割を担っていますが、ヴィドールでは、オルガンはもっとソロ楽器として扱われています。そんな長いものではありませんが、オーケストラが休んでいる間にオルガンだけのフレーズが数小節登場して、ソロを披露するという場面があちこちに用意されています。
この録音が行われたのは、バンベルク交響楽団の本拠地、ヨーゼフ・カイルベルト・ザールです。
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ご覧のような大オルガンが、目いっぱいオーケストラと対峙しているサウンドは、華麗さの極みです。曲の最後になるにしたがって「オルガン度」は上がっていき、終楽章のクライマックスにはまさにSACDならではの混濁のない胸のすくような響きが堪能できます。これからは、サン・サーンスと並んで、こんだけオーディオ的にも満足のいく録音がどんどん出てきてほしいものです。もちろん、作品としてのクオリティも十分なものがありますから。
もう1曲は、オルガン・ソロのための「交響曲第7番」です。全部で6つの楽章からできていて、第2楽章に「コラール」などが入っているのが、いかにもオルガン・ソロ。次の小節の3拍子のテーマが、鄙びていてフランクのオルガン曲を思わせるものでした。こちらの楽器はルーアンの修道院にあるカヴァイエ・コルのオルガン。フランス・オルガンならではのクレッシェンドやディミヌエンドの表現が、あちこちで見られます。「スウェル」とか「エクスプレッション」という、扉を開閉して連続的にダイナミックスを変える機構が使われているのでしょう。これは楽譜にもしっかり指定されています。
ちなみに、この曲は1885年に作られたものですが、 1918年に改訂されています。この録音は、その改訂版を使った演奏、初稿よりもさらに華やかなフレーズがあちこちに追加されています。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabruck
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by jurassic_oyaji | 2012-10-06 21:47 | オルガン | Comments(0)
MOZART/GRAN PARTITA
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Vincent Genvrin, Yoann Tardivel Erchoff(Org)
HORTUS/HORTUS 071




モーツァルトの13の管楽器のためのセレナーデ(いわゆる「グラン・パルティータ」)を、オルガンで演奏しようという人が現れました。確かに、オルガンはパイプに空気を送って音を出すという、まぎれもない「管楽器」なのですから、そんなにヘンなことではないのかもしれません。というか、一瞬タイトルが「ORGAN PARTITA」に見えてしまったのは、なぜ?
1曲目の序奏あたりは、最も違和感なく管楽合奏がオルガンに置き換わった部分でしょうか。最初の堂々たる付点音符のアコードなどは、それこそバッハのような荘厳さで響き渡ります。もしかしたら、そのリズムがほんの少し「フランス風」に後の音符が短く演奏されていたために、そのように感じられたのかもしれません。その合間に繰り広げられるクラリネットのソロの部分は、やはりオルガンでもソリスティックに聴こえてきます(それ、素敵)。
しかし、主部のアレグロ・モルトに入ってからも、そんな重厚さを引っ張ってしまったあたりから、この演奏の悲劇が始まります。ファゴットの八分音符の刻みに乗って運ばれるこのテーマは、まさにモーツァルトならではの軽やかさをもったものなのですが、その重たいことと言ったら。まずは、リズムの八分音符。ペダルのストップなのでしょうが、立ち上がりが鈍いために拍の頭が決まらず、リズムになっていません。ですから、まるでお祭りのような華やかさを持つテーマは、なんとも居心地の悪い思いを強いられてしまっています。おそらく、編曲も担当したこのオルガニストは、オリジナルの声部をすべてオルガンに置き換えようとしたのでしょうが、管楽器の特性も知らずにやみくもにそんなことをやったとしても、決してモーツァルトの優雅さが再現されることはないのです。
3曲目のアダージョは、例のピーター・シェーファーの「アマデウス」で、サリエリがモーツァルトの才能を痛いほど思い知る、という設定の場面で流れていた曲でしたね。ちょっと聴いただけでは、シンプルに感じられる曲なのに、実際は多くの声部が入り組んだかなり複雑な作られ方をしています。ですから、ここではとても独りで演奏することは出来ないと、オルガニストをさらにもう1人使っています。つまり、低音のオスティナートやそれを彩るコードを一人が演奏して、そこに入ってくるソロのパートをもう一人が演奏するというわけですね。これも、やはりすべてのパートをきちんと演奏してやろうじゃないか、というオルガニストの姿勢が反映されたものなのでしょうが、その結果この伴奏部分は無制限に肥大してしまうことになりました。さらに、その上に、「アマデウス」では確か「天空からの音楽」と形容されたソロ・オーボエが、オルガンに置き換わってしまうとなんとも間抜けなものになってしまいます。基本的にオルガンではビブラートはかけられませんから(機械的に音を震わす機能はありますが、それは感情表現のビブラートとは似て非なるものです)、オリジナルでのオーボエのように表情豊かに歌うことなどできません。それは、いとも人為的な、まさに「天空」とはかけ離れた音楽だったのです。
この曲には、2つのメヌエット楽章があります。どちらも2つのトリオを持つ変化にとんだものですが、中でも4曲目の方はテーマもかわいらしく、愛すべき音楽です。それは、登場する楽器が次々と変わって音色の変化を楽しませてくれるという魅力も持っています。そこで、オルガニストはこの曲のフレーズごとにストップの組み合わせを変えるということで、その変化を出そうとしています。ところが、図体の大きい楽器の悲しさでしょうか、そのストップの切り替えごとに一息ずつの間が空いてしまうのですね。これも相当間抜け、かくして、この編曲からは、モーツァルトが持っていた軽やかさ、優雅さ、そして自然な流れが、すべて失われてしまいました。

CD Artwork © Hortus
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by jurassic_oyaji | 2012-07-04 20:25 | オルガン | Comments(0)
HOLST/The Planets(tr. by Peter Sykes)
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Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 683(hybrid SACD)




アルブレヒトのオルガン・ソロのアルバムも、もうこれが何枚目なのか分からないほど、順調にリリースされてきました。オーケストラのための作品を編曲したものと、バッハの作品とを交互に制作するというやり方で、ファンを飽きさせないような配慮も抜かりはありません。
編曲ものの場合は、常にキールにある聖ニコライ教会のオルガンが使われています。この由緒ある教会の大聖堂には、2つのオルガンが備えられているのが特徴です。祭壇に向かって右側にカヴァイエ・コルによる2つの手鍵盤と、1オクターブちょっとの足鍵盤という小さなクワイア・オルガン、そして、真後ろのバルコニーには3つの手鍵盤と4オクターブの足鍵盤という大オルガンが設置されています。さらに、この2つのオルガンは、電気アクションによって同時に演奏することも出来るようになっています。ブックレットに6段鍵盤のコンソールの前に座っているアルブレヒトの写真がありますが、これがおそらく2つのオルガンを「同時に」演奏するための「装置」なのでしょう。それにしても、このキーボードは壮観ですね。上に行くにしたがって少し前の方に傾いているあたりは、まるでロックのコンサートでの、シンセをラックに重ねたセッティングみたい。なんか新鮮です。
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今回アルブレヒトが演奏しているホルストの「惑星」は、アメリカのチェンバリスト/オルガニストのピーター・サイクスが、オルガンのために編曲したバージョンです(日本語の「帯」に「ピーター・シークス」とあるのは、冗談でしょう)。1995年に、サイクス自身が録音したCDも出ていますが、その時にはもう一人のオルガニストが加わって「2人」で演奏していました。アルブレヒトは、この2台のオルガンを「1人」で演奏しているのでしょうか。それとも、第1作の「リング」がそうであったように、「オーバーダビング」を行っているのでしょうか。いずれにしても、音をたくさん使った厚ぼったい編曲であることは確かです。
その様な編曲ですから、オリジナルのオーケストラ版を聴き慣れた耳には、この演奏はかなり重厚な印象が与えられます。いや、「重厚」というよりは「鈍重」といった方がより的確でしょうか。なにしろ、「火星」の冒頭の5拍子のリズムは、言いようのない重苦しさをたたえていますし、ファンファーレ風のパッセージも生気の失せたどんくさいリズムでしかありません。この楽章のサブタイトルは「The Bringer of War」、本来リズミカルであるべきものを、「鈍重」なオルガンの響きによって一変させてしまったサイクスとアルブレヒトの意図は明白です。同じように複雑なリズムを持った「水星」や「天王星」のような曲が、ことごとく重苦しい響きで塗り固められるのを聴くのは、辛すぎます。
有名な「木星」の中間部のテーマは、この編曲で聴くとなんとも素っ気ないものに感じられてしまいます。それは、この曲もやはり「鈍重」というコンセプトでまとめられているからなのでしょう。その「聖歌」が、属和音の3音が半音高くなったテンション・コードで終わるようになっているなんて、ディミヌエンドがきかない「鈍重」なオルガンでなければ、まず気づくことなどなかったはずです。
対照的に、「金星」、「土星」、そして「海王星」のような静かな曲では、オーケストラでは味わえないようなハーモニーの妙味に浸ることが出来ます。そこからは、ホルストがこの作品に込めたであろう「神秘性」が、よりはっきりした形で伝わってきます。こちらの側面の方が、オルガンで演奏することの真のメリットだったのではないでしょうか。ここでは、おそらく小さなクワイア・オルガンが多用されているのでしょう、とても鄙びたパイプの音色には和む思いです。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-12-20 23:12 | オルガン | Comments(0)
LEIGHTON/Organ Works
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Greg Morris(Org)
NAXOS/8.572601




新譜CDをあさっていたら、帯に「メシアンのような官能性はないけれど、もっともっと硬質で、高揚感に満ちたオルガン作品集」と書いてあるものを見つけました。メシアンも、オルガンも好きなリスナーがこれを読んだら、いったいどのように思うことでしょう。というか、これではメシアンのオルガン作品は「官能性があって、硬質ではなく、高揚感に満ちていない」ということになりますが、そうでしょうかね。少なくとも、「高揚感」にかけては、メシアンのオルガン曲を超えるものなど、殆どないのでは、と思っているのですが。となると、このケネス・レイトンという人の作ったオルガン曲はとてつもないものなのでしょう。これはぜひ実物を聴いてみなければ。と、つい、相変わらず間抜けな帯原稿のコピーにだまされてしまうことになるのです。
このイギリスの作曲家に関する知識は全く乏しいものでした。1929年に生まれ、1988年には亡くなっていますから、当然メシアンの作品にも接していた世代なのでしょう。かつては「セリエル」などにも手を染めたそうですが、このアルバムを聴く限りでは、もはやそのような技法には見切りをつけたように感じられます。
演奏している楽器は、イングランド北西部の都市ブラックバーンにあるブラックバーン大聖堂のオルガンです。1969年に作られたものですが、2002年に大幅に改修されています。
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写真を見ると、なんとも「現代的」な外観に驚かされます。普通はファサードで覆われて見えなくなっているパイプを、惜しげもなく晒しだした、まるでモダン・アートのようなデザインですね。実は、これはオルガン本体のほんの一部、これとほぼ左右対称の姿をしたもう一つのオルガンが、祭壇をはさんで反対側に設置されています。そして、その2つのオルガンを同時に操作できる可動式のコンソールが、別に用意されています。ですから、当然アクションはメカニカルではなく、電気によってソレノイド(それ、何だ?)を制御するものになっています。
そんなユニークな楽器、同じ鍵盤でも、ストップによって右と左のオルガンにパイプが振り分けられているのでしょう、一つのパートでも、その音の成分がそれぞれ右と左から出てきて、それがこの教会の豊かな響きの中で巧みに混ざり合って、えもいわれぬ壮大な音場が形成されているのが体験できます。これはかなりスリリングですよ。
そんな音響で、最後に入っている「ダブリン祝祭ミサ」という、12世紀頃の聖歌をモチーフにした作品を聴いてみると、この作曲家の目指したものが見事に「音」として鳴り響いていることが感じられることでしょう。神秘的な始まり方をしたミサは、聖歌の変奏や、対位法的な処理と言った、あくまで「知的」な姿勢を保ったまま、次第に盛り上がっていきます。その「高揚感」は、明らかにメシアンあたりとは異質な、醒めた肌触りをもったものです。おそらく彼の最大の魅力は、その様な盛り上がりとは対極にある、まるで深い闇の中でうごめいているような静謐感なのではないでしょうか。それを助けるのが、このオルガンで多用されている「スウェル」という鍵盤です。写真ではいくつもの扉に囲まれた部分になりますが、そこから聴こえてくる、鳴っているのがかろうじて感知出来るほどのささやかなパイプの音は、まるで深い祈りのような説得力にあふれたものでした。それは、トラック11、「Agnus Dei」の後半、おそらく「Dona nobis pacem」に相当する部分で、はっきり感じ取ることが出来ます。
「帯」に誘われて、「高揚感」を期待したものの、実際に味わえたのは「静謐感」の方でした。ま、こんなだまされ方だったら、そんなに悪いものではありません。いや、もしかしたらそれが奴の魂胆だったのかも。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2011-09-04 21:02 | オルガン | Comments(0)
L'Amour et la Mort/Organ Works by Widor・Saint-Saëns・Bizet・Fauré
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Iveta Apkalna(Org)
OEHMS/OC 678(hybrid SACD)




このところ、やたらOEHMSレーベルが続きますが、別にこの代理店とはなんの利害関係もないので、これは単に興味のあるCDがたまたまこのレーベルだったというだけのことです。もちろん、しっかりお金を出して買ってます。なんたってSACDで聴くオルガンは、音が伸びやかで低音もたっぷりとしていますから、つい手が伸びてしまいます。
しかし、同じオルガン物でも、これは前回のバッハとはあらゆる意味で対照的なアルバムです。まずはジャケット。あちらは決まったパターンの地味なデザインでしたが、こちらはもろアーティストを前面に押し出した華やかさです。これは、ラトヴィア出身の美しすぎるオルガニスト、イヴェタ・アプカルナだからこそ出来ること、アルブレヒトの場合はこんな風にアップで迫ってこられたら、ちょっと引いてしまいますね。ちなみに、彼女は日本茶は好きなのでしょうか(それは「イゲタ」・・・地域限定ネタです)。そして、前回のドイツ音楽から、今回は打って変わって色彩的なフランスの作曲家の作品のオンパレード、5割り増しの軽やかさで楽しませてくれることでしょう。
今回登場する楽器は、2004年にエッセンのフィルハーモニーが新築された時に、一緒に作られたかなり大きなオルガンです。3層の客席から成るシューボックスタイプの音の良さそうなホール(音響設計は豊田さんでしょうか)、そのステージ後方にそびえるクーン・オルガンは、なんともモダンなファサードを誇っています。この楽器の最大の特徴は、「Schwellwerk」という、クレッシェンドやディミヌエンドがかけられるオルガンを備えているということでしょう。これは、ストップを増減させて段階的にダイナミックスを変えるのではなく、ファサードを覆っている窓を開閉して、連続的に音量を変えるという機能が付いているオルガンです。
それをめいっぱい使って演奏しているのが、このアルバム中唯一のオリジナルのオルガン作品、有名なヴィドールの「トッカータ」です。それこそ電子オルガンでボリュームを操作しているのではないかと思えるほどの見事なディミヌエンドが聴こえてきた時には、鳥肌が立つほどゾクゾクしてしまいました。
その他の曲は、全て本来はオーケストラのための作品をオルガンに編曲したものです。中でもちょっと驚くのが、ビゼーの「アルルの女」の第1組曲と第2組曲を全曲オルガンで演奏しているという、とてつもないアイディアです。元々、色彩的な管楽器が活躍する曲ですが、それを、このオルガンの豊富なストップを駆使して、見事に原曲に近いもの、場合によっては、原曲よりもさらにカラフルな仕上がりを楽しめるものに仕上がっています。「第1」の「アダージェット」などは、とびきりのピアニシモの美しさが魅力です。この曲に限らず、アプカルナはオルガンから「力」よりは「繊細さ」を導き出そうとしているように思えます。次の「カリヨン」なども、いかにも鄙びた、まるでストリート・オルガンのような音色で和ませられます。
ただ、「第2」になると、表現として、オルガンがオーケストラには及ばないところが見られてきます。「パストラーレ」の冒頭の堂々としたフレーズが、そんな一例、オルガンは真の意味のレガートがとても苦手なことが分かってしまいます。弦楽器や管楽器ではなんなくできる「音を滑らかにつなぐ」という表現は、音の変わり目で別のパイプに替わってしまうオルガンではかなり難しいのでしょう。ですから、フルート・ソロで有名な「メヌエット」も、オリジナルの流れるような旋律線がブツブツ切れてしまって、まるでおもちゃの楽器のように聴こえてしまいます。
でも、そんな不都合もあまり気にならないのは、やはり彼女のたぐいまれな美貌のせいなのでしょう。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-05-13 20:12 | オルガン | Comments(0)
BACH/Clavier-Übung Part II
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Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 634(hybrid SACD)




このレーベル、代理店が替わって日本語の「帯」が付くようになったのはいいのですが、今回の「クラヴィーア練習曲集第2巻」である「イタリア協奏曲」と「フランス風序曲」をメインとしたアルバムのタイトルを、「オルガンで聴く様々な作品集」などと、オリジナルとは似ても似つかない「邦題」にしてしまったのには、笑えます。いやぁ、それにしても間抜けなタイトルですね。そもそも「様々な作品」などと言われてしまったら、どんな曲が入っているのか全く分かりませんよね。そのアルバムの中身を一言で表すのが「帯」の命、制作者の使命なのに、こんな投げやりな仕事でギャラが稼げるなんて。
アルブレヒトの一連の趣向を凝らしたオルガンアルバム、バッハに関しては今までに「ゴルトベルク変奏曲」「ドイツ・オルガン・ミサ」がリリースされていましたが、これらは前にも述べたようにそれぞれ「クラヴィーア練習曲集」の「第4巻」と「第3巻」として出版されたものです。そして、今回は「第2巻」である協奏曲と序曲、ですから、彼はこれまでこの曲集を逆順に手がけてきたことになります。おそらく、もう少しすれば「第1集」である「パルティータ」も、発表してくれることでしょう。つまり、このアルバムにはその前後のものとの関係がしっかり意味づけされているはずなのに、代理店がでっち上げたタイトルからは、それが全く伝わってこないのですね。困ったものです。
この2つの曲は、「クラヴィーア」、つまり鍵盤楽器のために作られたものですから、オルガンで演奏されてもなんの問題もありません。とりあえず譜面は「手鍵盤」だけですが、そこからバス声部を抜き出してペダルで演奏すれば、そのままオルガン曲になるのですからね。例えば「イタリア協奏曲」の第2楽章などは、まさにペダルによる「バス」、左手の鍵盤による「オスティナート」、そして右手の鍵盤による「ソロ」と、はっきり役割が決まっていますから、チェンバロよりはオルガンの方がより「協奏曲」らしく聴こえるはずです。アルブレヒトは、ソロ・パートにちょっと刺激的なリード管を使って、まるでヴァイオリンか管楽器のような味を出しています。これは、音が持続しているオルガンならではのメリットですね。両端の楽章だって、トゥッティとソロの対比は、鍵盤を変えて即座に別の音色に出来ますから、より立体的な表現が可能になってきます(これは、チェンバロでも可能ですが)。実質的には「組曲」である「序曲」も、適切なストップによって演奏されれば、それぞれの舞曲のキャラクターがより際立って味わえるはずです。ここでも、「サラバンド」と「ブーレ」が続けて演奏されると、それは全く別の楽器なのではないか、という驚きが待っていることでしょう。
これだけでは、今のCD1枚分としては少し足らないので、「様々な作品」の登場です。ここでは大曲、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からの「シャコンヌ」が、アルノー・ラントマンのオルガン用編曲によって演奏されています。もともとは海産物(それは「シオコンブ」)ではなく、ソロ・ヴァイオリンのための作品ですが、オーケストラによってすら演奏されるほどの壮大な曲想ですから、これもオルガンにはうってつけです。編曲のせいなのか、アルブレヒトのストップに対するセンスのせいなのかは分かりませんが、ここでのバスを強調したフル・オルガンの迫力にはすさまじいものがあります。これはある意味オーケストラ版を超えた色彩感とダイナミック・レンジをもった、とてつもない演奏です。
そして、これに呼応して、同じ、変奏曲つながりでアルバムの最後には、唯一オリジナルのオルガン曲である「パッサカリアとフーガハ短調」が入っています。これも、「シャコンヌ」と同じコンセプトで演奏されていますから、聴き慣れた「パッサカリア」とは全然違った華麗な仕上がりです。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-05-11 19:41 | オルガン | Comments(0)
BACH/Orgelwerke
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Zsigmond Szathmáry(Org)
JVC/JM-XR24002S(XRCD)




先日のパイヤールと一緒に購入した国内制作LPSHM-XRCD化アイテムです。もちろん半額キャンペーン対象商品でした。録音されたのは1978年、オランダ、ズヴォレ聖ミヒャエル教会のシュニットガー・オルガンという、名前を聞くだけでもつい反応してしまう有名な楽器を使って演奏されています。こちらの方はビクターが直に制作、エンジニアにはフリーで活躍していたテイエ・ファン・ギーストという、いろいろなレーベルで(たとえばNAXOSあたり。RCAではゴールウェイの録音を担当していたこともあります)お目にかかれる人を使っています。
LPでリリースされた時には「76cm/sec マスター・サウンド」という仰々しいシリーズの一環としてのお目見えでした。当時のプロ用のテープ・レコーダーの標準速度は38cm/sec1/4インチ幅の磁気テープを2つのトラックに分け、それぞれ左右2チャンネルを振り分けた、いわゆる「ツートラサンパチ」という規格が、マニアがあこがれる最高のスペックだったのです。ちなみに、「アビー・ロード」のように、当時市販されていたオープンリールのソフトは、往復録音再生が出来る「4チャンネル」、速度は半分の19cm/secでした。ですから、この「76cm/sec」というのは、その最高の規格のさらに倍速、デジタル感覚ではサンプリング周波数を倍にするようなもので、とてつもない規格だったのですね。たぶん、今のPCMの最高スペック、24bit/192kHzをしのぐほどの音質だったに違いありません。
ですから、それを、場合によってはSACDよりも良い音が聴けるXRCDにトランスファーしたものは、マスターテープそのものには及ばないまでもLPCDよりは格段にクリアな音が体験できるはずです。楽しみですね。
ジグモンド・サットマリーという、ハンガリー出身の現代曲を得意としているオルガニストが演奏しているのは、まさに「名曲集」でした。「トッカータとフーガニ短調」、「パッサカリアとフーガハ短調」、「小フーガト短調」、「幻想曲とフーガト短調」、そして「シューブラー・コラール」から3曲と、恥かしくなってしまうほどのベタな「名曲」が並んでいます。まあ、音を楽しむことが主たる目的の企画だったのでしょうから、それは仕方がありません。
確かに、「トッカータ~」の最初のパイプの音は、とても澄み切ったものでした。さらに、休符の間に漂っている残響が、得も言われぬ美しさです。これはまぎれもなく、そんなハイスペックでなければなしえない素晴らしい音です。ところが、しだいにストップが増えてフル・オルガンになっていくと、音があまりにもピュア過ぎて、そこからは押し寄せるような迫力が全く感じられないことに気が付きます。そうなんですね。いかに録音機材が優秀であっても、オルガンのような巨大な楽器の全貌を伝えるには、エンジニアの経験とセンスが不可欠になってくるのですよ。このファン・ギーストという人が録音したものは数多く聴いていますが、傾向としては迫力ではなく繊細さで勝負しているようなところがあるのでは、という感想を抱いていました。そういうセンスの人のオルガンですから、やはりちょっと物足りないのは仕方がないのでしょうか。いーすと(いい人)なんでしょうがね。
そして、それに輪をかけて、演奏しているサットマリーの作り出す音楽が退屈なのですね。「トッカータ~」の「フーガ」に出てくるさまざまのストップを駆使して音色の変化を楽しめるところなども、いとも淡白ですし、「幻想曲~」では、やはりフーガでペダルによるテーマが出てくるところが、なんともスカスカのストップ選択なものですから、ちっとも「ファンタジー」が感じられません。
そんな、もしかしたらLPでは気づくことのなかったさまざまの欠点まで露呈してしまうのが、XRCDの底力なのだとしたら、これは恐ろしいことです。パイヤールではそれが良い方に作用していたのでしょうが、ここではそれがかえって災いとなってしまったようです。

XRCD Artwork © Victor Creative Media Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2010-12-19 23:26 | オルガン | Comments(0)
POULENC/Concertos for Keyboard Instruments
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Hansjörg Albrecht(Org)
Yaara Tal, Andreas Groethuysen(Pf)
Peter Kofler(Cem)
Babette Haag(Perc)
Bach Collegium München
OEHMS/OC 637(hybrid SACD)




オルガニストであり、指揮者でもあるアルブレヒトのアルバムは、常になにか刺激的なものを与えてくれます。同じパターンのジャケットのデザインも的確なワンポイントが効いているしゃれたものになっていますし。今回は、「鍵盤楽器のための協奏曲」というタイトル自体が、ここではすでにひとひねりある二重の意味を持っています。オリジナルの形で演奏されるのは、「オルガン、弦楽器とティンパニのための協奏曲」だけ、あとの「2台のピアノとオーケストラのための協奏曲」と、「チェンバロとオーケストラのための田園協奏曲」は、その「オーケストラ」のパートがオルガンで演奏されているのです。つまりそこでは、「鍵盤楽器だけの協奏曲」という意味も持っているのですね。どこを探しても、このオルガンバージョンを作った人の名前が見当たらないのですが、おそらくアルブレヒト自身の編曲なのでしょう。
その、「鍵盤楽器だけ」(いや、正確には打楽器も加わります)が録音されたのは、ミュンヘン音楽大学のホールです。そこのオルガンは1999年に出来たばかりのごく新しいクーン・オルガン。とてもエッジのきいた、鋭い音が随所に聴ける、かなり活きの良い楽器です。フランス風のストップもたくさんあるようで、とても多彩な音色、「パイプオルガン」というよりは、「エレクトーン」みたいな音に聞こえてしまうのは、いけないことでしょうか。
そのような、言ってみれば「機能的」な楽器ですので、それがオーケストラの代役を果たすのにはなんの不足もありません。最初の「2台のピアノ」では、それに打楽器が加わった編成でまるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」みたいなサウンド(実際に、エレクトーンと打楽器で演奏されたものを聴いたことがあります)が響き渡ります。
この曲の第2楽章は、ピアノのパートがまるでモーツァルトのパロディのように出来ています。それに対してオーケストラのパートはいかにもフランス風のしゃれた味付けなので、その対比がとても面白い効果を出しています。この編成では、それがさらに強調されたように感じられ、なんとも不思議な世界が広がります。
「田園協奏曲」は、プーランクがランドフスカのために作ったものですから、想定されていた楽器は当然プエイエルのモダンチェンバロでした。そこで、アルブレヒトがチェンバリストのコフラーに使わせたのは、やはりモダンチェンバロの名器、カール・リヒターがよく使っていたノイペルトの「バッハモデル」でした。この楽器、まだ製造されているのですね。1台39,000ユーロですって。
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このチェンバロの威力はすごいものです。プーランクがあの時代に求めた「繊細さ」というのがどういうものであったのか、とても良く分かるような気がします。やはり、この微妙に倒錯した味は、「本物」であるはずのヒストリカル・チェンバロでは出すことが出来ないことを再確認です。
「オルガン協奏曲」の録音では、ミュンヘンの「ガスタイク」という大きなホールが使われています(ベタですが、「ガスタンク」ではありません)。備え付けのクライス・オルガンは、4段鍵盤を持つ巨大な楽器、ここではアルブレヒトは指揮もしていますから、オルガンのコンソールをステージと客席の間に持ってきて、「弾き振り」をしています。これも、もろバッハのパロディであるイントロでの、フルオルガンの充実した響きには圧倒されます。そして、それにからみつく弦楽器の粒立ち。そう、常に彼のアルバムの録音を担当してきたマルティン・フィッシャーの腕の冴えは、ここでも満開です。続くアレグロのテーマは、なんともドイツ的でストイックな味付けが印象的です。その小気味よさの中から自ずと漂うプーランクの際立ったセンスの良さ、極上の録音と相まって、至福の時を過ごすことが出来ますよ。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-01-31 22:40 | オルガン | Comments(0)
MOZART/17 KIRCHENSONATEN
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Zsigmond Szathmáry(Org)
CARUS/18.067/99




今までのCARUSCDとはちょっと違った品番の付け方だったのでもしや、と思ったら、やはりこれは楽譜の品番と連携したものでした。ご存じのようにCARUSというのはシュトゥットガルトにある大きな楽譜出版社で、その楽譜を使って演奏されたものをCDとしてリリースするという、いわば「音のサンプル」を提供する役割を持っているのが、レコード部門なのでしょう。ただ、今までは楽譜とCDとの品番はそれぞれ独立していたのが、ここに来てこんなあからさまなことを始めたのは、なぜなのでしょう。
モーツァルトの「教会ソナタ」という作品群は、いわゆる「教会ソナタ(sonata da chiesa)」という、バロック時代に多くの作品が作られた緩-急-緩-急という4楽章の形式を指し示すタームとは全く無関係、「もっぱら教会で演奏されたソナタ形式の曲」ぐらいの意味なのでしょうね。もちろん、レコード会社の社員が演奏したものでもありません(それは「業界ソナタ」)。これらの単一楽章の曲は、実際に、ザルツブルクの教会での礼拝の合間に演奏されたものが大半だと言うことです。編成は弦楽器が主体ですが、教会で演奏されますから、そこにはオルガンが合奏に加わっています。それも、単に通奏低音のように地味なパートから、それこそコンチェルトと思えるほどの立派なソロを弾かされるものまで、さまざまなヴァリエーションが、この17曲の中には見られます。長いものでも5分、短いものではたった2分で終わってしまうという手軽さもなかなか捨てがたいもの、モーツァルトの音楽のエキスを味わいたいと思えば、この曲をまとめて聴いてみるのもいいのではないでしょうか。どれをとっても同じように感じられるのか、あるいはそれぞれに個性を見いだせられるのか、それは聴き手のモーツァルトに寄せる思い入れの度合いを測る絶好のバロメーターとなることでしょう。
そんな合奏用の曲を、オルガン独奏用に編曲したのが、ここで演奏しているジークムント・サットマリーです。もちろん、これが彼の編曲による初録音ということになります。いや、おそらくこの曲をオルガンだけで弾こうとした人など他にはいなかったでしょうから、そもそもオルガン版の初録音ということになるのでしょうね。
サットマリーの編曲は、それぞれの曲のキャラクターをきちんと踏まえて、その違いが良く伝わってくるようなものでした。オルガンが目立たない初期の作品ではシンプルに、そして、オルガンがソロとして活躍するようになる後期のものでは、オルガンパートとオーケストラパートを別の鍵盤で演奏して、音色的に違いを出そうとしています。楽譜の一部がブックレットに掲載されているK.329では、そのオルガンとオーケストラとのテーマの掛け合いが良く分かるような配慮が見て取れます。
ただ、若い頃には超絶技巧を誇ったサットマリーも、もはや70歳という高齢になっていました。モーツァルトではぜひとも聴かせて欲しい整った粒立ちのスケールなどはもはや望むべくもありません。それと、この人の昔からの「クセ」でしょうか、おそらくストップ操作を自分で行っているために生じる一瞬の「間」が、なんとも音楽の流れを損なうものになっていました。もっとも、これはストリート・オルガンのような「自動楽器」として聴いたときには、えもいわれぬ鄙びた味が出てくるものなのかもしれません。左手のアルベルティ・バスが奏でるパイプの音が、そんな、まるで遊園地のような雰囲気を醸し出していると感じられるのは、そんなに間違ったことではないはずです。
出版社としてのCARUSからは、オリジナルの「教会ソナタ」のクリティカル・エディションも出版されていますが、同じブックレットに、その校訂者ウルリッヒ・ライジンガーによる校訂報告の前書きが掲載されているのも、なかなか興味深いものです。

CD Artwork © Carus-Verlag, Stuttgart
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by jurassic_oyaji | 2009-11-01 22:48 | オルガン | Comments(0)
BACH/Orgelmesse
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Hansjörg Albrecht
Münchner Bach-Chor
OEHMS/OC 639(hybrid SACD)



「リング」「ゴルトベルク」「展覧会の絵」と、ユニークな曲目をオルガンで演奏してきたこのシリーズ、オルガンのパイプをあしらった統一デザインによるジャケットとともに、なんとも挑戦的なインパクトを与えてきています。オルガンのハンスイェルク・アルブレヒトと、プロデューサー/エンジニアのマルティン・フィッシャーのチームによる最新作は、ちょっと色物っぽかったこれまでのものとはちょっと趣を変えた、バッハの「ドイツ・オルガン・ミサ」という、オーソドックスに迫るものであったのには、別の意味で肩すかしを食らったような感じがしたものでした。しかし、そこは彼らのこと、「オルガン・ミサ」のテーマとなったコラールを、オリジナルの4声合唱のバージョンで歌っているものを付け加えて、「他社製品」との差別化を図ることも忘れてはいません。もっとも、このアイディアは別に珍しいものではなく、最近では鈴木雅明によるBIS盤もありました。このあたりが、オルガニストであり、合唱指揮者でもある両者の強みなのでしょう。
そんなわけで、到底1枚のSACDには収まらず2枚組となっていますが、コラールが入らなくてもまず1枚に収録するのは難しい、この「ドイツ・オルガン・ミサ」は、バッハが生前に出版した「クラヴィーア練習曲集」の「第3巻」にあたるものです。「第1巻」の「6つのパルティータ」、「第2巻」の「イタリア協奏曲とフランス組曲」、そして「第4巻」の「ゴルトベルク変奏曲」は2つの手鍵盤、つまりチェンバロのために書かれていますが、この「第3巻」は足鍵盤(ペダル)も入ったオルガンのために作られました。曲集の最初と最後に「前奏曲」と「フーガ」が置かれていて、まるで「表紙」のように全体の荘厳なイメージをキャラクタライズしています。その中に、「ミサ曲」の典礼にしたがって、それぞれのパート(「キリエ」とか「グローリア」)にちなんだコラールを元にしたオルガン・コラールが全部で21曲、そして、最後に4曲のかわいらしい「デュエット」と呼ばれる2声の曲が演奏されます(もちろん、その後にさっきの「フーガ」ですね)。
聴きどころは、さまざまなテクニックを駆使して飾られたそのコラールたちの、多様な味わいでしょう。言ってみれば、これはバッハが生涯作り続けてきたオルガン・コラールの集大成のようなもの、まさに、それまでのノウハウの積み重ねを誇示するような「テク」の冴えを、じっくり味わおうではありませんか。
そんな「テク」を、オルガニストがさらに際だたせるものが、オルガンのストップの選択です。ここでアルブレヒトが演奏している楽器は、オーストリアの山間の街ホプフガルテン・イン・ブリクゼンタールの聖ヤコブ・レオンハルト教会にあるオルガンです。写真で見ると、バルコニーにリュック・ポジティフが配置されているというバロック・オルガンのスタイル、ファサードの装飾や、ストップの文字なども、そんなヒストリカル楽器のような重厚さをたたえているものでした。しかし、データを見ると、これは1998年にスイスのビルダーによって作られた、極めて新しい楽器だということです。現代でも、こんな装飾的な楽器を作ることが出来るのですね。確かに、音を聴いてみるとヒストリカル特有のノイズは皆無で、かなりクリアなサウンドを持っていることが分かります。そんな楽器の特性を最大限に発揮した、曲によってはかなり「現代的」な、ストップを用いて、バッハの発想をさらに過激に聴かせるような意図が、アルブレヒトの演奏からは感じられないでしょうか。
ただ、元のコラールを歌っているミュンヘン・バッハ合唱団が、いかにもやっつけ仕事に終始しているのが残念です。こればっはりは、合唱団の資質の問題なのでしょうから、どうにもなりません。

SACD Artwork © Oehms Classics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2009-08-02 23:09 | オルガン | Comments(0)