おやぢの部屋2
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カテゴリ:オルガン( 34 )
WIDOR/Symphony No.5 for Organ
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Pierre-Yves Asselin(Org)
DENON/COCO-70993



「クレスト1000」をもう一つ。昔聴き逃していたものを、こうやってまた味わえるのも良いものです。LP時代には、やはり「1000円盤」というのがありましたが、安い分、なんかいい加減なプレスで、買ってから後悔したことがよくありましたね。その点CDになってからは、なんせデジタルですので、いくら安くても音質にはなんの影響もありませんから、安心出来ます・・・と思うでしょう?ところが、実はそうではないのです。それは、ここでも何度となく書いたことなのですが、デジタルで録音したものがそのままCDになることなどは、決してあり得ないのですよ。早い話が、マスタリングの時にケーブルを変えただけで、その音はまるで変わってしまうのですからね。
そんなことなどまだ分からなかった頃、このレーベルのデジタル録音のLPで非常によい音だった福島和夫のフルート作品集(エイトケンの演奏)がCD(COCO-6277)になったので、大いに期待して聴いてみたところ、あまりにもひどい音だったのでがっかりしたことがありました。それは、録音レベルが異様に低く、全体にバックグラウンドノイズが乗っていて、LPが持っていた輝きが全く消えていたのです。今にして思えば、それはいい加減なマスタリングのせいだったのですね。
今回のアイテムに関しては、20年以上前の「これがDENON CDだ」(18CO-1055)というコンピレーションに、1トラックが入っていたものがあったので比較してみましたが、そんな音の良さのデモンストレーションのためのCDよりはるかに良い音だったので安心です。最近は、マスタリングのノウハウも確実にレベルアップしているのでしょう。
このヴィドールのオルガン交響曲、クレジットはありませんが、このCDが録音された1985年当時だと、エンジニアはオルガンの録音にかけては定評のあったピーター・ヴィルモースでしょうか。ここで使われているフランス風のカヴァイエ・コル・オルガンのフワフワした肌触りが、見事にとらえられた素晴らしい録音に仕上がっています。まるでノエルのような可愛らしいテーマがさまざまに変奏される第1楽章では、それぞれの変奏ごとのレジストレーションの変化を存分に楽しむことが出来ますし、何よりも第4楽章に入ったときの、まるで世界が変わったような軽やかな響きには、ショックすら与えられます。
ところが、第5楽章の有名な「トッカータ」になったとき、そんな美しい音に酔いしれているだけでは解決されない問題に直面することになります。このアスランというオルガニストは、音色に対する感覚は非常に鋭いものの、演奏上のテクニックにかなりの問題があることが、このがっちりと作られた曲では露呈されてしまうのです。ピアノではあんなにうまいのに(それは「アムラン」)。何よりも、この曲では一貫したテンポが維持されなければならないのに、手鍵盤のパターンの最後で常に急ぐという変なクセで、とても落ち着きのないものになってしまっています。
ジャケットの写真で分かるように、ここでは「展覧会の絵」から、最後の2曲がカップリングされています。ここでは、そんなオルガニストの欠点が、さらに増幅されます。テンポはさらにいい加減になっていて、全く収拾がつきません。おそらくピアノ版をそのまま演奏しているのでしょうが、最後の「キエフの大門」などは、オルガンで演奏するときには全く必要のない、低音を補強するための前打音をそのまま演奏していますから、ラヴェル版を聴き慣れた耳にはとても異様。さらに、後半のちょっと難しい和音になると、嫌気がさしたような明らかなミスタッチがあちこちで見受けられます。
スタッフのクレジットがなかったのは、そんないい加減な演奏の責任を、誰も取りたがらなかったからなのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2008-12-26 22:26 | オルガン | Comments(0)
Pictures from Russia
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Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 632(hybrid SACD)



オルガンの可能性を追求してやまないアルブレヒトの、新しいアルバムです。以前ワーグナーの「指環」に挑戦したときに使用したキールの聖ニコライ教会の2台のオルガンによって演奏されています。前にも書いたように、このオルガンは48ストップの大オルガンと、その向かい側にある17ストップの小さなオルガンの両方を、一つのコンソールから演奏できるというものですから、非常に多彩な音色を、空間を超えて繰り出せるという優れものの楽器でしたね。マルチチャンネルで聴けば、その効果は絶大なことでしょう。
今回は、「ロシアからの『絵』」というタイトルです。ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ラフマニノフの「死の島」、そしてストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を、オルガン用に編曲したものが収められています。
「展覧会の絵」ほどオリジナルのピアノ曲を離れて編曲された形が広く知られているものはありません。最もポピュラーなラヴェルのオーケストラ版は、ほとんどピアノ版以上の録音頻度を誇っているほどですよね。しかも、オーケストラに編曲したのはラヴェルだけではなく、有名無名を問わず数多くの作曲者や指揮者の手によるオーケストレーションが存在しているといわれています。スラトキンあたりは、1曲ごとに違う編曲者による「展覧会の絵」をライブ録音しているほどですから。クラシックに限らず、プログレ・ロックの雄ELPが演奏した名盤もありました。あるいは冨田勲のシンセサイザー版、などというのも。
ですから、これを聴く前には、オルガンだったらシンセみたいな新鮮なアプローチなのではないか、という、勝手な先入観を持っていました。それは、半分だけはあたっていたようです。とてもクラシックのオルガン音楽とは思えないような派手なパイプの使い方は、まさにシンセの音色に迫ろうというものでした。そしてさらに、そこには冨田が飽くなき追求を見せたような「宇宙」に対するイメージが、全く別な形ではありますが見事に音として反映されていたのです。「ビドロ」などは、まるで「スター・ウォーズ」の「帝国のテーマ」、つまりダース・ベーダーをあらわす音楽のようなイメージを備えてはいないでしょうか。原曲の素朴な荷車の歩みとはうってかわった、兵士の大群が堂々と行進する様が、そこからは聞こえてはこないでしょうか。
もっと「宇宙」が感じられるのは、金持ちのユダヤ人サミュエル・ゴールデンベルクのテーマです。華やかなリード管から流れる音は、まるで「未知との遭遇」での地球外生物との間で使われた交信手段「アープ・シンセサイザー」そのもののようには感じられませんか?「ソラファファド」という音型でしたっけ。ですから、それに続く貧乏なユダヤ人シュムイレのテーマは、まるで母船のまわりを飛び回っている夥しいUFOを描写したもののように聞こえてしまいます。
もちろん、あとの半分は全くの予想外、冨田のような自由奔放なイメージまでを実際にオルガンに置き換えることまでは、さすがにアルブレヒトは行ってはいませんでした。
やはりアルブレヒト自身が編曲を行った「ペトルーシュカ」も、同様にオーケストラを超えた、あくまでオルガンでしかなしえないような挑戦が、心地よいものではありました。そこからは、ストラヴィンスキー自身が込めた音響への挑戦までが、透けて見える思いです。
しかし、この中で最も成功していると感じられるのが、アクセル・ラングマンという別の人が編曲を行った「死の島」だというのが、なにか皮肉な気がします。あくまでモノトーンのストップにこだわったこのオルガン版には、まさに原曲を超えた暗く深い情感が漂っています。それは、ライナーにも紹介されている、この曲を産む元となったアーノルト・ベックリンの「絵」をまざまざと思い起こさせるものでした。
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by jurassic_oyaji | 2008-11-16 20:21 | オルガン | Comments(0)
WECKMANN/Orgelwerke
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Joseph Kelemen(Org)
OEHMS/OC 627(hybrid SACD)



バッハよりも一時代前の北ドイツの作曲家、マティアス・ヴェックマンのオルガン作品集です。実は、かなり以前のことになりますがARCHIVから出ていた「北ドイツのオルガン音楽の巨匠」みたいなタイトルのLPを聴いたときに、そこで初めてバッハ以前の作曲家のオルガン曲と出会い、大きな衝撃を受けたことがありました(ビックリマン)。メインはブクステフーデだったのですが、その中にあったヴェックマンの名前も、その作品から広がってきた、バッハとは全く異なるファンタジーとともに忘れられないものとなりました。
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ヴェックマンは、ドレスデンでハインリッヒ・シュッツの指揮する聖歌隊に参加、シュッツの教えを受けた後、ヤーコブ・プレトリウスのもとでオルガンを学び、1655年から、息を引き取る1674年までハンブルクの聖ヤコブ教会のオルガニストを務めた人です。
ここでハンガリーのオルガニスト、ヨゼフ・ケレメンによって演奏されているのが、まさにその聖ヤコブ教会のオルガンです。1693年に名工アルプ・シュニットガーによって造られたものですが、それ以前にもこの教会にはオルガンは設置されていました。シュニットガーは、そのうちのいくつかのパイプ(最も古いものは16世紀後半のもの)を、そのまま使っています。ですから、ヴェックマンその人が実際に音を出したパイプも、残っているのでしょうね。そして、このオルガンの300周年を記念して1993年にユルゲン・アーレントによって修復が行われた際に造られたパイプもあるというのですから、この中には400年以上に渡るオルガン・ビルダーの仕事が息づいていることになります。
とても親切なことに、このブックレットでは、ストップごとにそのパイプが誰によって造られたものであるのかが明記されています。さらに、各々の曲で使われているストップが小節単位で記載されています。従って、今流れているコラールの旋律を奏でているのは、いつ造られたパイプなのか、などというのが分かるようになっています。そこで聞こえてくるのは、なんとも柔らかく暖かい音、新しく造られたパイプも、400年前のパイプとなんの違和感もなく馴染んでいるのが良く分かります。
この録音では、そんなヒストリカル・オルガンの繊細なパイプの音色が、その肌触りまでも含めてしっかりとらえられています。さらに、これは4段の手鍵盤とペダルという大規模な楽器、その手鍵盤につながっている4つの「ヴェルク」はメインの「ハウプトヴェルク」の中間と上部にそれぞれ「ブルーストポジティフ(ブルーストヴェルク)」と「オーバーポジティフ(オーバーヴェルク)」、そして、演奏者の背後、つまりバルコニーから突き出た形での「リュックポジティフ」から成っているのですが、驚いたことに、この録音には、そんな「ヴェルク」の位置関係までもが、はっきり聞き分けられるほどの音場感がありました。リュックポジティフなどは一段手前から音が出て来ているのが感じられるほどの立体感です。これぞ、SACD。
そんな素晴らしい楽器の素晴らしい録音、そこからは昔聴いたヴェックマンのイメージが鮮やかに蘇ってくるのを感じることが出来ました。バッハのような厳格な音楽ではない、もっと色彩感に富んだイマジネーション豊かな世界が、そこにはあったのです。このアルバムにはコラールを節ごとに別の変奏で聴かせる、というコラール変奏曲が多く収録されていますが、その中でも「Es ist das Heil uns kommen her」という7節から成る曲は聴き応えがあります。1節目では重厚な音で始まったものが、第2節でいきなりかわいらしい音色に変わって意表をつかれます。最も長い第6節では、シンプルなハウプトヴェルクと、刺激的な音を重ねたリュックポジティフとの対話がとてもスリリングな展開を見せていますよ。もう一つのコラール、「Gelobet seist du, Jesu Christ」では、最後の第4節の後半に「Cimbelstern」という「チリンチリン」という音の出る仕掛けまで使っていますしね。
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by jurassic_oyaji | 2008-10-15 20:14 | オルガン | Comments(0)
BACH/Choralfantasie BWV1128, Die Kunst der Fuge
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Gerhard Weinberger(Org)
CPO/777 403-2



分かりにくいかもしれませんが、このジャケットの右下には「ヨハン・セバスティアン・バッハの新作 New work by J. S. Bach」というシールが貼ってあります。亡くなってから250年以上経っているのにまだ「新作」を発表出来るのですからすごいものです。もちろん、これは「新しく作られた」曲であるわけはなく、「新しく発見された曲」ということになるのですがね。実は、このオルガンのためのコラール・ファンタジー「主なる神、われらを守りたまわずばWo Gott der Herr nicht bei uns halt」は、今年2008年の3月にオークションに出品された写筆譜が、バッハが作った音楽をコピーしたものに間違いないということになって、晴れて新しくバッハ作品番号BWV1128が与えらることにばっはものなのです。
この写筆譜は、バッハの自筆稿ではなく、19世紀の旧バッハ全集の編纂にあたっていたヴィルヘルム・ルストという人が、おそらくバッハのものであろうという楽譜を写譜したもので、当初は全集にも入れるはずのものだったのが、他の編集員が真作とは認めず、結局BWVでも「付録2(偽作の疑いがあるもの)」というカテゴリーに収録されることになってしまいました。ですから、曲自体は以前から知られていたものであり、今回のオークションでたまたまルストの遺品の中にあった彼の写筆譜と、その元ネタの由来が記されたものを元に再調査を行った結果、「真作」であると認められたというだけのものなのです。したがって、この曲はもちろん「新作」ではありませんし、「新発見」ですらないことになります。
それでも、「新発見」の報を受けて楽譜は直ちに出版され、5月にはバッハのオルガン曲全集録音のプロジェクトを進行中のワインベルガーによって、「最後の」作品であり、かつては最後の作品番号(BWV1080)でもあった「フーガの技法」の余白に録音されたのです。なんという早業なのでしょう。もちろんCD発売にあたっては、「世界初録音」という意味を込めて、さっきのようなシールを貼ることも忘れてはいません。ただ、正確には、もっと早く録音してCDを出したオルガニストがいたそうですので、これが「世界初録音」であるのもちょっと疑わしい気がしますが、「発見」されてから2ヶ月後には録音、4ヶ月後にはCDがリリースされていた、というのはすごいことではないでしょうか。それだけ、情報が世界を巡る時間が短くなったのでしょうね。
ただ、それがあまりに早過ぎると、逆に流行を追っているみたいでちょっと白けてしまうことはありませんか?正直、この前の「新曲」であるBWV1127(ソプラノのアリアでしたっけ)の時でも、大騒ぎして録音はされたものの、別にどうというものでもなかったような気がしてなりません。今回も「抱き合わせ」が大曲の「フーガの技法」ですから、当然2枚組、この曲だけを目当てに買うには、ちょっと勇気のいるパッケージです。それとも、「バッハの新曲」だったら、このぐらいの値段でも買う人がいるだろうというのがレーベルの目論見なのでしょうか。
確かに、初めて耳にするこの6分ちょっとのコラール・ファンタジーは、新鮮な息吹を与えてくれるものでした。しかし、だからといって、それはバッハの今まで知られている膨大なオルガン作品の中の1曲と何ら変わるものではありません。「初録音」などという大げさな扱いを受けずに、何かの折りに他の同じような曲を一緒に演奏されたものを聴いた方が、どれだけ自然に感じられることでしょうか。
カップリングの(とは言っても、当初はこちらがメインだったはず)「フーガの技法」は、この曲に与えられた厳格な対位法の集大成という「堅苦しい」イメージを振り払ってくれるような、とてもイマジネーションの豊かな演奏です。ポリフォニーの間から、バッハのリリカルな面、そう、あの美しいアリアなどのテイストが垣間見えてくるようで、とても幸せな気分に浸れるものでした。こんな「おまけ」が付かなくても、充分楽しめるCDなのに。
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by jurassic_oyaji | 2008-08-14 20:01 | オルガン | Comments(0)
An Organ Treasure
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Andreas Götz(Org)
OEHMS/OC 622(hybrid SACD)



オルガン(もちろん、パイプオルガン)という楽器は、そもそもは教会の中で演奏するために作られたものでした。しかし、時代が進むに従って、このオルガンはひとつの独立した楽器として、コンサートホールの中に進出していくことになります。時には、オーケストラの中のひとつのパートとして演奏されることすら現実のものとなっていくのです。サン・サーンス、プーランク、リヒャルト・シュトラウス、そしてマーラーなどの作曲家は、彼らのオーケストレーションの仕上げを、この楽器の壮大で輝かしい響きに託したのでした。
そんな、教会の中にあった時とは自ずと音色や音量も変わらざるを得なくなってしまった時代のオルガンの響きを聴いてもらおう、というのが、このアルバムのコンセプトなのでしょう。ただ、実際にここで登場する、かつてミュンヘンのコンサートホールに設置してあったオルガンは、現在では決してその頃と同じ音色を保っているわけではありません。1887年にメルツというビール好きの(それは「モルツ」)ビルダーによって制作されたこの楽器は、ホールへの新しい楽器の設置によって1907年には同じ市内にある聖ルペルト教会へ移設されてしまうのです。その際にメルツ自身の手によってパイプを増やすなどの手を加えられただけでなく、それから今日に至るまで、このオルガンは幾度となく改修を施されて、殆ど原形をとどめないほどになっています。このジャケットの写真が現在の楽器のファサードですが、それは教会に移設された当初のファサード(ケースの中に、その図面があります)とは似ても似つかないものなのです。
そんな、作られた当初はどんな音がしていたかなどということはもはや知るよしもないこのオルガンですから、そのような歴史的な価値を云々することにはなんの意味もないのは明らかです。ここではあくまでも、肥大の一途をたどったひとつのオルガンの今の姿を謙虚に味わうべきなのでしょう。
このオルガンにとって幸せだったのは、この教会のアコースティックスがとてつもなく豊かだったことでしょう。なにしろ、その残響たるやとても単なる「残響」とは言えないもので、音を出すのをやめても新たに音がわき出てくるといった感じがするほどたっぷりとしたものです。「残響時間」は優に10秒以上はあることでしょう。そこでは、もともと多彩だったオルガンの音はさらに混濁の度を加え、えもいわれぬ厚ぼったい音のかたまりとなって迫ってきます。
確かに、ここで演奏されている19世紀のマスターピースにおいてこそ、この特異な音響はその存在価値を発揮することでしょう。ブルックナーの「前奏曲とフーガハ短調」での分厚い響き、リストの「『泣き、悲しみ、悩み、おののき』の主題による変奏曲」での甘美な叙情性、ラインベルガーの「オルガン・ソナタ第9番」での旋律の美しさ、そして、バッハのカンタータ140番の有名なテーマが現れるレーガーの「『目覚めよと呼ぶ声あり』による幻想曲」での重厚さなどが、見事にこのオルガンによって表現されています。
しかし、この中で唯一20世紀の作品であるヴィンツェンツ・ゴラーの「祝祭前奏曲」こそは、この楽器の特性を最大限に発揮したものであるとは言えないでしょうか。この曲の初演の場は、1937年にドイツの英霊が祀られている「ヴァルハラ」にブルックナーの胸像が移設されるという第三帝国の権威を象徴するようなイベントの際に、ヒットラーやゲッペルスも臨席して開催されたコンサートでした。そこで、ブルックナーの交響曲第5番とともに演奏されたこのオマージュ作品、その中で高らかに響き渡る、その交響曲の第4楽章のコラールの応酬は、分厚いストップと歯止めのきかない残響とによって、まるで右翼の街頭宣伝のような有無を言わせぬ力を放っています。先日のDVDではありませんが、これほど「洗脳集会」にふさわしい音楽もありません。サラウンドで聴いたとしたら、その力はさらに絶大に感じられることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-03-03 21:46 | オルガン | Comments(0)
BACH/Organ Transcriptions
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Jan Lehtola(Org)
ALBA/ABCD 233(hybrid SACD)



「歴史的オルガンと作曲家」というシリーズの中の1枚でバッハ編、しかし、使われているオルガンは、フィンランドのビルダー、アールネ・ヴェゲリウスという人の作った1933年製の楽器ですから、ちょっと「歴史的」というには生々しすぎます。さらに、演奏されている曲目も、バッハのオリジナルではなく、20世紀の作曲家がオルガン用に編曲したもの、つまりトランスクリプションだったのです。と言うことは、ここでいう「歴史的」とは、バッハの時代ではなく、それが編曲された時代と「同時代」に作られた楽器による演奏という意味なのでしょうね。
実際、ヘルシンキの東部の町クーサンコスキの教会にあるヴェゲリウス・オルガンは、バッハの時代のオルガンとはかなり異なる響きで、ちょっとしたとまどいを与えられるものでした。レジストレーションのせいなのでしょうか、あるいはもともとパイプの種類がそうなっているのか、その音はなにか芯のない、フワフワとしたものでした。さらに、楽器の仕様を見てみると3段ある手鍵盤のうちの2段分は、「スウェルボックス」であることが分かります。これは、パイプを収納した箱に扉を付け、それを開閉することによって音の強弱が付けられるという機能です。これを使うことによって、滑らかなクレッシェンドやディミヌエンドをかけることが出来るようになります。もちろん、こんな機能はバッハの時代にはなかったもの、もう少し後の時代に、ロマンティックな表現を求められたことにより開発されたものです。
アルバムのラインナップは、まず、ドイツのオルガニスト、ヴィルヘルム・ミデルシュルテによる有名なヴァイオリン・ソロのための「シャコンヌ」。ブゾーニのピアノ編曲がよく知られていますが、この編曲はオルガンならではの、オーケストラのような多彩な響きが楽しめます。もうすぐお正月ですね(それは「オゾーニ」)。そして、これが世界初録音となる、シベリウスと同時代のフィンランドのオルガニスト、オスカル・メリカントによる「イギリス組曲」などの編曲や、マックス・レーガーによる「半音階的幻想曲とフーガ」などは、本来はチェンバロ独奏のための曲だったものです。
さらに、もう一人、フランスのオルガン音楽の大家シャルル・マリ・ヴィドールが加わることによって、一層のヴァラエティが見られるようになっています。彼の作品は1925年に初演された「バッハの思い出」というタイトルのものなのですが、これが単なる編曲ではなく、あくまでヴィドールの音楽に反映されたバッハ像というスタイルを取っているからなのです。それは、オリジナルもオルガン曲であった「Pastorale」を聴けばよく分かること、同じタイトルのかわいらしい作品の3曲目をそのまま使っているかに見えて、伴奏の音型などは微妙に異なっていることに気づくはずです。さらに、ソリスティックに歌うテーマに、先ほどの「スウェルボックス」で細やかなダイナミックスを付けていますから、バッハの曲とは思えないほどの濃厚な表情、殆どセクシーと言っていいほどの悩ましい語り口に変わっています。
やはり、バッハ自身によりカンタータ140番の中のコラールが「シューブラー・コラール」としてオルガン用に編曲された「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」も、ヴィドールによって「夜警の行進」というタイトルの全く別の肌合いを持つ粋な曲に変わっています。ヴィドールの時代にはバッハの真作として疑う人もいなかった「シチリアーノ」も、しっかり収められていますし、最後を飾るのが「マタイ」の終曲の大合唱、しかも、最後に長調の終止を付け加えるというあたりがヴィドールでしょうか。
確かに「時代」、もちろんバッハの時代ではなく、このオルガンが作られた20世紀初頭という「時代」をまざまざと感じることの出来る、ユニークなアルバムです。
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by jurassic_oyaji | 2007-12-02 20:12 | オルガン | Comments(0)
BACH/Goldberg-Variationen
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Hansjörg Albrecht(Org)
OEHMS/OC 625



以前、ワーグナーの「指輪」全曲(実際にはハイライトですが)を、オルガンで演奏するという暴挙に及んだアルブレヒトが、今回は少しおとなし目、バッハのゴルトベルク変奏曲をオルガン用に編曲して演奏しています。「指輪」の時には一人でオルガンを2台操るという離れ技も披露してくれていましたが、こちらはまっとうな普通のオルガン、3つの手鍵盤とペダルという、中型の楽器です。
普通にピアノやチェンバロで演奏するだけではなく、弦楽器3本のアンサンブルなど、この曲を別の形で演奏する試みは数多く知られています。ただ、オルガンで演奏したものは今までは聴いたことがありませんでした。このアルブレヒトの編曲では、オルガンならではの音色の変化と、音量を自在にコントロール出来ることによる壮大なダイナミックスを楽しむことが出来ます。
テーマである「アリア」は、まるでオルガン・コラールのように聞こえてきます。バス声部が独立してペダルで演奏されているため、いかにも落ち着きのある感じ、その分、左手の声部が、今まで聴いたことのなかったようなはっきりとした主張を見せてくれます。ですから、右手の声部は自由自在に華やかな装飾を楽しんでいるよう、最初のトリルも、主音の3度上から始めるというちょっと聴き慣れないものです。
第1変奏から、このペダルはとても効果的な使い方をされています。アクションの関係なのでしょうか、頭にアタックが付くというものですから、まるでチョッパー・ベースのように目立って聞こえます。
第3変奏では、ペダルはお休み、その代わり、右手はリード管、左はフルート管と、音色をめいっぱい変えて、カノンの動きを際だたせています。第7変奏のシチリアーノでは、倍音管も混じってなんともはじけたにぎやかな世界が広がります。
13変奏は、バッハの典型的な緩徐楽章、オルガン曲でいえばパストラーレBWV590のようなたたずまいでしょうか。ゆったりとしたバスに乗って、豊かな装飾が施されたテーマが流れます。この雰囲気は、伸ばした音が切れてしまうチェンバロよりは、ずっとオルガンの方が向いています。
14変奏になると、華やかなトッカータでしょうか。幅広い音域を駆け回るごとに音色が変わるのが楽しめます。前半の最後となる第15変奏でのオスティナートを形作るバスは、低いオクターブを不気味にさまよっているかのようです。
後半の幕開け第16変奏こそは、オルガンの魅力が全開となって迫ってくるものです。このフランス風序曲の世界は、とても他の鍵盤楽器で描くことは出来ません。最後のフーガのかっこいいこと。
19変奏のように軽やかなパイプの手鍵盤だけであっさり演奏されるのも、壮大な響きの中での息抜きになります。オルガンのダイナミックスの幅がいかに大きいかということでしょう。それは、第25変奏の「暗さ」から、第26変奏の「明るさ」に瞬時に切り替われるだけの音色の幅の広さにもつながります。
29変奏の壮大そのもののトッカータを経験し(このペダルの迫力は、ものすごいものがあります)、最後の第30変奏のグランド・フィナーレを迎える頃には、この曲をオルガン以外の楽器で聴いた時にはちょっと物足りなさを感じるカラダになってしまっているかもしれません。そのぐらい、サウンド的にはインパクトのある、このオルガン・バージョンでした。
とは言ってみても、各々の変奏のキャラが、あまりに分かり易くカラフルに表現されていることに対して、逆に抵抗を持ってしまう人もいるかもしれません。この曲はもっとストイックであるべきだ、と。それはそれで構わないことでしょう。このオルガン・バージョンでもたらされたイメージはあくまでアルブレヒトの主観にすぎないのですから、誰の迷惑にもなりません(迷惑なのは「痴漢」)。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-03 01:18 | オルガン | Comments(0)
BACH/Préludes, Toccatas, Fantaisies & Fugues pour orgue
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Maurice Duruflé(Org)
Marie-Madeleine Duruflé(Org)
EMI/501300 2



バッハのオルガン曲全集と言えば、普通はCDで10枚を軽く超えるものですが、これは5枚組、タイトルをよく見たら「前奏曲、トッカータ、幻想曲とフーガ」ですって。つまり、バッハ作品目録のBWV531からBWV566までの曲を律儀に番号順に並べ、その他に有名なト短調のフーガBWV578や「パッサカリアとフーガ」BWV582などを加えたというものでした。従って、トリオソナタや、オルガン・コラールは全く含まれてはいません。もっとも、これが録音された1960年代前半には、そんなすべてのオルガン曲を網羅した「全集」などはヴァルヒャとアランのものぐらいしかなかったのでしょうから、これだけのものを揃えたフランスEMI(「パテ」ですね)の勇気は称賛されるべきものでしょう。
演奏しているのは、あのモーリス・デュリュフレと、彼の奥さんのマリ・マドレーヌ・デュリュフレです。最初はモーリスの職場のサン・テツィエンヌ・デュ・モンで、彼のアシスタントを務めていたマリ・マドレーヌですが、後にモーリスと結婚、よくある話ですね。「レクイエム」を作曲者自身が指揮をしたERATO盤では、彼女がオルガンを弾いていましたね。ちなみに年の差は19才でした。う、うらやましい。もっとも、その20年後には二人一緒に自動車事故に遭ってしまい、かろうじて一命はとりとめたものの、演奏家としての生命は絶たれてしまうという痛ましい未来が待っているのですが。
録音が行われたのは、彼らのホームグラウンドではなく、ソワソンのサン・ジェルヴェ・サン・プロテ大聖堂、1963年から1965年にかけて収録されています。録音年代、そしてレーベルを考えると、決して良い音は期待できないと思っていたのですが、聴いてみるとその繊細な響きには驚かされてしまいました。フランス風のストップがふんだんに用いられているゴンザレス・オルガンの明るく軽やかな音が、見事に眼前に広がっていたのです。考えてみれば、デュリュフレがプレートルと共演したサン・サーンスの交響曲第3番は1963年の録音、あれだけスペクタクルなサウンドが実現できていたのですから(オルガンのピッチが低いのがすごく気になりますが)、このバッハでの良い音も頷けます。データを見てみたら、録音スタッフは全く同じ人、当時のフランスEMIの録音クオリティは、ある意味現在のものをはるかに凌いでいたのではないでしょうか。
全体の曲目のほぼ半分ずつを二人で弾き分けるという構成、有名なニ短調の「トッカータとフーガ」BWV565やト短調の「幻想曲とフーガ」BWV542はマリ・マドレーヌの担当です。ここで彼女は、めくるめくレジストレーションの変化を存分に楽しませてくれます。ストレスも発散できるほど(それは、「フラストレーション」)。重厚とは無縁の、かなり高い周波数のスペクトルが勝った明るい音色、クセのあるリード管も惜しげもなく使って、いかにもフランス風の、まさに「幻想的」な世界を見せてくれています。フーガも軽やかなテンポで淀みなく進むさまは、いかにもオシャレ。
ご主人の方も、基本的にフランス風の洒脱なたたずまいは健在です。しかし、若い奥さんに比べるとそれだけ堅実さが前に出てきているような印象が与えられるのは、「パッサカリアとフーガ」BWV582のような渋めの曲を演奏しているせいでしょうか。「トッカータ、アダージョとフーガ」BWV564も、ちょっとまじめ過ぎるように聞こえてしまいます。
こういう、いかにも往年のバッハ像が反映されたようながっちりした曲だけではなく、もっとこじゃれたコラールなどは彼らは録音してはいなかったのでしょうか。そんな曲での二人の個性の違いなども、ぜひ聴き分けてみたいような気がします。
作曲家でオルガニスト、教え子の若い演奏家を妻に迎えるなど、デュリュフレという人はあのメシアンとよく似た人生を送っていたのですね。
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by jurassic_oyaji | 2007-10-22 20:33 | オルガン | Comments(0)
VIERNE/Complete Organ Symphonies
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Jeremy Filsell(Org)
BRILLIANT/8645



フランクやヴィドールの教えを受けた盲目のオルガニストで作曲家、ルイ・ヴィエルヌが作った6曲の「オルガン交響曲」がすべて収録された3枚組のセットです。2004年にSIGNUMに録音されたものですが、BRILLIANTからのライセンス販売によって、2000円もしないお得な値段で入手できますよ。
ヴィエルヌは1900年、彼が30才の時に、パリのノートルダム大聖堂の専属オルガニストのポストにつきます。そして、1937年の6月に開催したリサイタルで、そこのオルガンによって自作の「トリプティーク」を演奏している途中に心臓発作によってこの世を去ることになったのです。その時に演奏助手(譜めくりやストップの切り替えを行います)を務めていたのが、彼の生徒であったあのモーリス・デュリュフレでした。
1899年の「第1番」から、1930年の「第6番」まで、彼の壮年期にコンスタントに作られた「交響曲」は、それぞれ5つ(「第1番」の場合は6つ)の楽章から成っている、まさにオルガンによる交響曲と呼ぶにふさわしい、しっかりとした構成美と多彩なオーケストレーションを味わえるものです。もちろん、「交響曲」とは言っても、ドイツ風にモチーフを展開するというような厳格なものではなく、もっとメロディアスなキャラクターの目立つわかりやすい魅力にあふれています。おそらく初めて聴いた人でもすんなり受け入れて、何度も聴いてみたいと思えるような親しみやすさが、そこにはあるはずです。
例えば「第1番」では、第1楽章と第2楽章が「プレリュード」と「フーガ」と名付けられ、まるでバッハの同名の作品のようないかにもオルガンならではの壮大な世界が広がっています。バッハと違うのは、その「プレリュード」がいかにもフランス風のとても煌びやかなパッセージと音色に支配されていると言うことでしょうか。しかし、続く「フーガ」は、まるでバッハそのもののようなかっちりしたものであることに驚かされます。第3楽章の「パストラーレ」は八分の六拍子の流れるようなリズムに乗って、倍音管の透明な響きで爽やかなメロディが奏でられます。第4楽章の「アレグロ・ヴィヴァーチェ」は、軽やかなイメージ、ちょっととぼけたようなテーマがキャッチーです。第5楽章の「アンダンテ」は、まさに「癒し」の音楽でしょうか。そして、最後の「フィナーレ」では、華やかな伴奏に乗ってまるで映画音楽のような親しみやすいテーマが朗々と響き渡ります。この、最後に最もわかりやすい楽想を持って来るというのが、ヴィエルヌならではのサービス精神の現れなのでしょうか、これを聴けば、誰しもが「この曲を聴いてよかった」と思えるような抜群の効果を発揮しています。
その他の交響曲も、その中に含まれる要素は同じようなものです。煌めくアルペジオの中から浮かび上がる粋なメロディ、軽やかなスケルツォ楽章、ゆったりと歌い上げる甘美な世界、そしてスペクタクルなフィナーレ、これらのものが過不足なく配分されて、均整のとれたスマートな音楽として完結している姿を味わえることでしょう。時折、まるで民謡のような素朴な旋律が現れるのも魅力的です。「第6番」のスケルツォなどには、まるで「ダース・ベーダーのテーマ」の、栗コーダー・カルテットバージョンのようなテイストが備わってはいないでしょうか。
ピアニストとしても世界中で活躍しているオルガンのフィルセルは、とても滑らかなテクニックでめくるめく音の万華鏡を構築してくれました。いくぶんもやもやとした録音のせいで、全体の響きの方が個々の声部を覆ってしまったように聞こえてしまうのが、ちょっと物足りないところでしょうか。ほんの少しの加減でヴィエルヌの個性的なメロディ・ラインが、もっとはっきりと見えるのではないかと思ってしまったのは、ちょっと欲張りなことなのかもしれませんが。
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by jurassic_oyaji | 2007-09-10 19:57 | オルガン | Comments(0)
DURUFLÉ/Complete Organ Music
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Henry Fairs(Org)
NAXOS/8.557924



デュリュフレという人は極端に作品の少ない作曲家でした。なんせ、生前に出版されたものに付けられた作品番号の最後のものは「14番」なのですからね。それは、1976年に作られた「われらが父Notre Père」という合唱曲ですが、実は彼の作曲活動は、その一つ前、「作品13」であるオルガン曲「顕現節の入祭唱への前奏曲Prélude sur l'Introit de l'Epiphanie」が作られた1961年頃で実質的には終わっていたのでした。
その中で、オルガンのための作品は、作品番号が付いているものが全部で6曲あります。作品2(1926)の「スケルツォScherzo」、作品4(1930)の「前奏曲、アダージョと、『来たれ創造主なる精霊』によるコラール変奏曲Prélude, Adagio et Choral varié
sur le thème du 'Veni Creator'
」、作品5(1933)の「組曲Suite」、作品7(1942)の「アランの名による前奏曲とフーガPrélude et Fugue sur le nom d'Alain」、作品121962)の「ソワソン大聖堂のカリヨン時計の主題によるフーガFugue sur le thème du Carillon des
Heures de la Cathédrale de Soissons
」、そして、先ほどの作品13です。
昨年、2006年はデュリュフレが没してから20年という記念の年に当たっていたため、世界各地で「レクイエム」(これは「作品9」にあたります)が演奏されていたということは、以前にご紹介しました。さらに、合唱曲と並んで彼のもう一つの主要な作品群であるオルガン曲についても、同じように盛り上がりを見せているのが、このところのCDのリリース状況からうかがい知ることができます。何しろ、2ヶ月連続して新譜として「オルガン曲全集」が発売されたのですからね。いかなる理由にせよ、これはファンにとっては嬉しいことに違いありません。
先に発売になったINTRADAのワルニエ盤の「全集」には、この6曲がすべて収録されています。さらに、今回のNAXOSにも、すでに1994年にエリック・ルブランによって録音された、「作品13」をのぞく5曲による「ほぼ全集」がありました(これは、「レクイエム」などの合唱曲も集めた、2枚組です)。こんなレアなものを2度も制作するなんて、このレーベルは、なんとも不思議なヴァイタリティにあふれたところのような気はしませんか?
今回のイギリス人オルガニスト、ヘンリー・フェアーズによる「全集」では、作品番号が付けられていないものがあと2曲収録されているというのが、まず嬉しいところです。1964年に作られた「瞑想曲Méditation」は、出版されたのが2002年ですから、当然ルブラン盤に収録するのは困難でした。もう1曲は、「ジャン・ガロンへのオマージュHommage à Jean Gallon」という、1953年に作られた和声課題をオルガンで演奏したものです。このガロンというのは、デュリュフレの和声の先生です。カイロではありません(それは「ホカロン」)。
その、珍しい「瞑想曲」が、とてもキャッチーなテーマで、瞬時に惹かれるものがあります。古くはフランクあたりから始まったようなフランス風の流れをしっかり受け継ぎ、そこにさらに古風なテイストが添えられているのが素敵です。そこには、メシアンとはまた違った意味での「瞑想」の形があります。
「レクイエム」のファンでしたら、「作品4」や「作品7」の「プレリュード」が「ツボ」なのではないでしょうか。独特の混沌とした雰囲気は、まさにあの名曲を彷彿とさせるものです。「作品5」の「トッカータ」のダイナミズムも、おなじみの世界です。
楽器のせいなのか、あるいはイギリス勢で固めた演奏家と録音チームのせいなのかは分かりませんが、幾分お上品な仕上がりになっているサウンドには、ちょっと物足りなさを感じます。デュリュフレには、ルブラン盤で聴かれたような原色が勝った音の方が似合います。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-31 23:16 | オルガン | Comments(0)