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カテゴリ:映画( 25 )
KARAJAN/The Second Life
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Eric Schulz(Dir)
DG/073 4983(DVD)


半年以上前に録画だけしておいたものをチェックしていたら、NHK-BSで放送されたオペラの余白にこんなドキュメンタリーが見つかりました。これは、2012年に作られ2013年に放送されたものの再放送、同じ年にはDVDも販売されています。
タイトルの「セカンド・ライフ」というのは、カラヤンが引退した後のんびりと「第二の人生」を送っていたわけではなく(そんなものはカラヤンにはありませんでした)、この映像の中でいずれは自身も死を迎えることを悟った彼は、まだまだやり残したことがあるので、死んだ後も別の肉体を手に入れて、新たな人生を送りたい、と述べていたことに由来しています。
この映像の目玉は、DGのエンジニア、ギュンター・ヘルマンスがカラヤンと電話で交わした会話が聴けるということです。なんでも、ヘルマンス自身が録音していたそうなのですね。あのカラヤンと仕事をするのだったら、このぐらいの「保険」は必要だったことでしょう。それが、今となってはとても貴重な「資料」になりました。
おそらく、ここで初めて公になったこの会話録によって、今までうすうすとは感じていたカラヤンの録音のやり方が直接的に分かるようになったのは、何よりの収穫です。ヘルマンスは、この時期16チャンネルのマルチトラックで録音を行っていたのですね。それを駆使して、ミキシングの段階でカラヤンの思い通りのバランスを作り上げることが出来たのでしょう。
このあたりで、ドキュメンタリーの流れは、このようなプロセスで作られた音源を絶賛し、「生演奏の音よりも、録音された音の方が優れている」という立場から、カラヤンの業績をほめたたえるものになっています。「録音でなければ、作曲家の意図は完全には伝わらない」とまで言い切っていますからね。
ところが、後半に、EMIのエンジニア、ヴォルフガング・ギューリヒが登場すると、その流れが全く逆の方向に向かいます。カラヤンは1970年代にはDGとEMIとを二股にかけて録音を行っていましたが、確かにそのサウンド・ポリシーは明らかに別物でした。そもそも、ギューリヒはこのインタビューでは「生演奏の方が録音されたものより優れている」という考えを明らかにしていますからね。彼は、コンサートのサウンドに近づくために、ヘルマンスとは全く異なるマイクアレンジを採っていたのでした。
カラヤン自らがコンソールのフェーダーを操作して、編集を行っているという「貴重な」シーンも登場します。しかし、それより貴重なのが、休憩になってカラヤンがいなくなったら、残っていたエンジニアたちがそれを元に戻してしまっている場面です。
さらに、コンソールに向かって、カラヤンの右側にヘルマンス、左側にミシェル・グロッツという、ある時期の彼らの指定席の映像も見ることが出来ます。ここで大はしゃぎのグロッツの姿は、なにか異様、しかし、それは確実にカラヤンの信頼を勝ち取った男ならではの驕りきった態度のように見えます。それに続くDGのエンジニアたちのコメントは意味深ですね。
微妙なのが、オープニングの映像。そこには、カラヤンのLPで埋め尽くされたフィルハーモニーのステージが現れます。バックで流れるのはシュトラウスの「ツァラ」の冒頭部分、そこで目に入るのが、このカラヤンとベルリン・フィルがその曲を録音したLP(右上)です。さらに、その前にはキューブリックの「2001年」のサントラ盤も見えますね。
しかし、確かにこの映画の中で使われている「ツァラ」を演奏しているのはカラヤンとウィーン・フィルですが、こちらにあるように、このジャケットのアルバムに入っている「ツァラ」は、カール・ベーム指揮のベルリン・フィルによる録音なのですよ。いや、同じアルバムにはカラヤンが指揮をしたもう一人のシュトラウスの「青きドナウ」も入っていますから、そちらの方だったのかもしれませんね。どなうもんでしょう。

DVD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-10-24 23:25 | 映画 | Comments(0)
開演前は男子トイレも長蛇の列
 4日間JR東日本管内の列車に乗り放題で指定券も6枚までは取れる、という大人の休日倶楽部パスは、私はだいぶ前から利用させてもらっていますが、最近ではその利用者の数が相当なものにまで増えていることに実感されるようになっています。この週末、それを使おうとしたら、以前は指定席はごく普通に取れていたものが、全然取れなくなっていたのですからね。一応土曜日は愚妻と横浜、日曜日は私だけ東京ということで1週間前に買ったら、すでに乗りたかったノンストップの特急は軒並み満員、各駅停車は絶対嫌だというので、かなり不自由な時間になってしまいました。日曜日などは、マチネのコンサートに行くので、終わってすぐ帰ろうとしても、ノンストップは4時台、5時台、6時台とも、全くありません。かろうじて7時台だけ1本。2日前に見たら、各駅停車は5時台が1席だけ(それは、確かに私が取った直後に満席になりました)になっていましたよ。実際、帰りはもっと早く帰りたかったので各駅停車の自由席も狙ってみたのですが、これも東京発の時点でもう完全に定員オーバーでしたからね(諸般の事情で、私は上野から乗りました)。JRは、このパスの会員を増やすのには熱心ですが、それにきちんとしたサービスが追いつかないようになっているのでは、ほとんど「詐欺」ですよ。
 土曜日の横浜は、来年の4月に劇団四季が「オペラ座の怪人」をやるというので、そのチケットはもう取ってあったのですが、公演があるホールにはまだ行ったことがないので、下調べです。山下公園のそばなんですね。
 ここに行くのにみなとみらい線を使ったのですが、その深さが異常でしたね。地図を見たら海の下を通っているのでそれは納得ですけど、地上に出てくるまでの道のりがえらいことになっていました。帰り道は中華街から元町を通って石川町からJRに乗ろうとしたら、なんと、人身事故があったために運行停止ですって。いつ復旧するかわからないので、結局またみなとみらい線のの元町・中華街まで戻ったんですけどね。こんなことがあるから、都会は嫌です。
 日曜日も使わないと元が取れないので、なにかコンサートでもないかな、と調べてみたら、サントリーホールでヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団、曲目はマーラーの9番などという、とんでもないものがありました。よくチケットが残っていたな、と思ってゲットしたら、これも最後の1枚だったようですね。まあ、値段は法外ですが、私にとってのサントリー・デビューですから、やはりこのぐらいのものでないと。
 もちろん、このホール自体は、実際に行ったことがありますが、それはステージ(正確にはP席)に乗ったものでしたから、客席に座ってオーケストラを聴くのはこれが初めてなんですよ。このホール、出来てから30年も経っているのだそうですが、そんなになるまで来ることが出来なかったのが、逆に不思議なんですけどね。
 ですから、まずは館内の探検です。席は1階だったのですが、まず2階席からの眺めを見てみようと思って、どこかに階段がないかと探したら、それがありません。このホールは、入り口を入ったところが大きなホワイエになっていて、その先のモギリの時点で、1階と2階が振り分けられるようになっていたのですよ。ですから、中に入ってしまうと、客席の外から別の階に移動することはできないのです。不思議な設計ですね。ただ、左右それぞれ1ヵ所だけ、客席への通路が分かれていて、それが2階につながっている、というところがあるんですね。そこを見つけて、やっと2階に行けました。懐かしいP席にも行ってみました。
 ところが、そのあと1階席に戻ろうとしたら、どこから来たのか分からなくなってしまいましたよ。このままだと、演奏が始まっても席にたどり着けなくなる、と、マジで焦ってしまいましたね。結局、冷静に考えたら帰ってこれましたが、方向音痴の人なんか、どうするのでしょうね。
 それと、CDの即売も行われるという情報があったので、それも探したのですが、プログラムは売っていても、CD売り場はどこにもありません。仕方なく、そのプログラムの売り子さんに聞いてみたら、モギリの外だと分かりました。ですから、チケットを見せて一旦外に出て、やっと見つかりました。代理店の人らしきおじさんが満面に笑みをたたえて「録音されたばかりの新盤ですよ」なんて耳元でささやくので、まだここでしか入手できないらしい最新盤をフラゲすることになって大収穫。でも、これもほんとに不思議ですよね。というか、今まで数多くのホールに行ってきましたが、こんなところで即売をするようなホールは、初めてのことです。これは、完全な設計ミスなのではないでしょうか。
 そんないい加減な設計のホールですが、音響に関してはもう何もいうことはありません。ずっと、こんな音が聴きたかったのですよね。それぞれの楽器の音がきちんと聴こえる上に、オーケストラ全体の質感がそのままつたわってくる、という、あたりまえのことが、例えば仙台の青年文化センターでは全くできていませんでした。サントリーホールの音を聴いてしまうと、この仙台のホールの音響設計は欠陥品以外のなにものでもないと思えてしまいます。
 そして、このオーケストラ。もう、終楽章の最後の弦楽器のピアニシモなんて、涙が出てくるほどの素晴らしさです。あとは、トゥッティになった時の質感が、やはり日本のオーケストラとは全くの別物だと感じてしまいます。音自体の綺麗さからいったら日本のほうが整ってはいるのでしょうが、そこに得も言われぬ「隠し味」が含まれないことには、到底太刀打ちは出来ません。
 マーラーの9番って、やったことがあるんですよね。でも、こんなにも深く、心を打つ音楽だったことには、初めて気づかされたような気がします。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-27 22:56 | 映画 | Comments(0)
ずっと同じ楽器を使っています
 明日は東京でも雪が積もるのだそうですね。もちろん、仙台でも雪が降るだろうという予報は出ていたので、きのうのうちにタイヤを交換しておきました。この前から話題にしているソニックブルーのノートe-POWERは納車が12月の末になるというので、それまで待っているわけにはいきませんからね。もうちょっと早ければ、冬タイヤ付きの新車が届いていたのですが、ちょっと間に合いませんでした。なんせ、12月の初めには角田まで行って来なければいけませんから。
 その角田のコンサートのための指揮者練習、きのうは2回目でした。先週は「第9」だけでした。今回のローテーションでは私はピッコロ担当だったのですが、1番の担当がお休みだったので、その代吹きをやってました。終わってから指揮者と話を交わして、本吹きではないというと、なんか意外そうな顔をしてましたね。まあ、確かに去年GPの時に一瞬指揮とのタイミングが合わなくて私が出られなくなってしまったことがあって、本番では私に合わせて(?)間を取らずに振るようになっていたので、先週もその個所ではなんか「阿吽の呼吸」みたいのがあったからでしょうか。
 実は、今年は「第9」だけではなく、前プロで初めて演奏する唱歌を集めた組曲でも、ピッコロを吹くことになっていました。きのうはそれも練習したので、本番指揮者の前では初めて吹くことになっていました。なぜか1番奏者が持ち替えでピッコロという不思議な楽譜なんですが、それが「村祭り」のど頭で打楽器だけのイントロに続いて本当にピッコロだけで10小節という、ものすごいソロが用意されていました。すごく目立ちますから、吹き始めたら前にいたセカンド・ヴァイオリンの人が振り返っていましたね。
 ただ、そのソロはとても気持ちいいのですが、そのあとまたフルートに持ち替えてアンサンブルをやった後に、こんな風に3小節だけ休んですぐにまたピッコロでソロを吹かなければ行けないようになっています。この楽譜は。この曲はBPMが120ですから、1小節がちょうど1秒、それが3小節ですから、休みは3秒しかありません。その間にフルートを膝の上に置いて、前もってそこに置いてあったピッコロを持ち上げ、それを構えて音を出す、という一連の作業を行わなければいけないのです。これはもう曲芸技ですね。自分で言いうのもなんですが。その前のフルートのパートを他の人に替わってもらえればずっと楽になるのですが、あいにく2番も同じところで吹いているので、それは出来ません。あくまで、私一人の責任になってくるのですね。
 でも、よく見てみると、1番がEの音を吹いている時に、2番はDを吹いているんですよ。太鼓の音の模倣ですから、全音でぶつかっているんですね。ということは、Dだったら片手で押さえられますから、そこだけ2番と替われば、私はDを左手で吹いている間に、右手でピッコロをつかむことが出来ます。そうすれば、フルートを置くのと同時にピッコロを構えることができるはずですから、十分に準備が出来ます。来週までに、その「技」を習得できるように、頑張ってみましょう。
 このところ、ピッコロを吹く機会はほとんどありませんでしたが、この後はなぜかピッコロづいています。春の定期では「新世界」では1番ですが、「運命」でピッコロ、その前にある「杜の都合」でも、コンチェルトでピッコロを吹くことになっています。実は「運命」のピッコロは、私がニューフィルに入って初めての演奏会でのポジションでした。それしかありませんでした。オーディションまでやっておいて、全プログラムの中の1楽章しか出番がないピッコロだけなんて、なんなんだ、と、その時は腹が立ちましたね。それが1987年の4月のこと、それからちょうど30年経って、ニューフィルは2度目の「運命」を演奏することになりました。それは私にとっても「30周年」のコンサートになることに、今気が付きました。同じ曲の同じパートを演奏しても、その時の景色は30年前とは全然違っていることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2016-11-23 21:54 | 映画 | Comments(0)
お彼岸の最中に指揮練です
 今週は、私はニューフィルの練習はありません。先週2回分をまとめてやってしまったためですね。たまにはこんなのもいいかな、なんて思っていたのですが、いざその週が来てみると、なんか勝手が違います。なんか肝心なことをやり残しているというか、「まだ水曜日?」って感じなんですよね。やはり、私の生活の中には「火曜日」というその週のハイライトがすっかりデフォルトとして設定されているのでしょうね。言い方を変えれば、「ニューフィルに対する『プライオリティ』が非常に高い」となるのでしょうか。「プライオリティ」なんて、大嫌いな言葉ですけどね。
 そんなダラダラとした週になってしまったので、今週中にはやらなければいけない「かいほうげん」の印刷もなかなか取りかかれないでいました。もうとっくに版下は完成していたのですが、あまりに緊迫感のない進行日程なので、なんか、このまま印刷してしまってもいいのだろうか、と思えてしまうんですよね。もしかしたら、大事なことを入れ忘れていたのではないか、とか。
 そうしたら、きのう、なんとも驚くような情報が伝わってきました。それはさる方の訃報だったのですが、別に直接ニューフィルには関係はないものの、なぜかその方が在籍されていた団体の事務局から私宛に「関係の皆様にお伝え願えれば」というような文面で、そのメールが届いたのですよ。たしかに、その方は間接的にはニューフィルとも深い縁のある方だったので、とりあえずその情報をニューフィルのFacebookページにアップしておきました。私よりもっと密接な関係のある人には、ぜひ伝えておきたいことでしたからね。
 というか、私がそんなことをしなくても、そちらの団体の、それこそFacebookページなどには真っ先に載るはずだ、と思っていたのですが、そんな動きはなく、私がアップしてしばらくしてから公式サイトにそのことがアップされていたようでしたね。公式ツイッターでも全く触れられていないようですから、そんなところに私が情報をアップしたのは、なんだかお門違いなのかな、という気がしています。この辺の加減は難しいですね。いや、そもそも、あんまりまわりが静かなので、私に来たメール自体がいたずらだったのではないか、とすら思ってしまいましたからね。
 でも、公式サイトに発表されてからは、ゾクゾクとお仲間たちのコメントが表面に出てきました。実は、よくよく考えてみたら、私もたった1度だけ、ほんとに短時間でしたが、この方のレッスンを受けていたことを思い出しました。確かに、それは、それまでいろいろ迷っていたことがすっきりと解決してしまったような爽快感のある体験でした。
 ということで、おそらくこれを私は待っていたのだろう、という判断のもとに、その訃報を「かいほうげん」の最後のページに入れてみたら、やっと全てのパーツが揃ったな、という気になりましたね。これさえあれば、もう印刷してしまっても大丈夫だろうということで、今日の午前中に一気に印刷と製本を終わらせてしまいました。配るのは日曜日の指揮練の時。その4日も前に出来上がるなんて、いまだかつてなかったことではないでしょうか。
 そして、これが終わって1ヶ月も経たないうちに定期演奏会の本番になるのですが、その時にも次の「かいほうげん」を出す予定にしています。それは、もうすでにコンテンツとして期待できるものが決まっているからです。もう、私としてはその原稿が出来上がってくるのを待つだけ、おそらく、私は全く手を下さなくても、それだけですっかりページが埋まってしまうはずですから。
 その演奏会向けの企画書を送ったところから、掲載紙が届きました。これは、あさって配布予定の「ぱど」です。紙面の関係で写真も何もない小さな案内になってしまいましたが、確かにこの中には載っていますから、お宅に届いたらぜひチェックしてみてくださいね。
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by jurassic_oyaji | 2016-09-14 22:11 | 映画 | Comments(0)
シューマンは、ヴィーク家のメイドと関係があったんですね
 7月ももう最後の週に入って、なにかと押し迫った感じになってきています。というのも、8月の初めには1年中で最も忙しい職場の行事を控えているからです。その準備を始めるにはまだ材料がそろっていないのですが、そのほかのことで出来ることはしっかり今のうちにやっておかないと、その時になってあわてることになるのは毎年の経験でわかっているので、そろそろ始めなければいけません。とりあえず、お客さんに配るものを入れておく白い袋に当社のロゴを印刷したシールを作って張り付けることあたりから始めてみましょうか。と思って、その袋が入っている箱を開けてみたら、前回この袋を使った時にシールだけ印刷したものが大量に入っていました。私の仕事はこんな感じ、いつも先のことを考えて、前々からできるだけの準備をしておくようにしているのですが、いざそれをやり始めるころにはそれをやったことをすっかり忘れてしまっているのですよ。自分ではやった覚えがないのに、いつのまにか誰かがしっかり準備していてくれた、そんな感じでしょうか。ですから、それを忘れて「あれをやらなければいけない」と焦っていた私は、いったいなんだったのか、と思ってしまいます。
 そんな感じで、もう来週の週末に迫ってきた「杜の都」の本番のためのプログラム・ノーツも、きっとだいぶ前に書いたものがどこかに残っているはず、とPCの中を探してみたのですが、いくら探してもまだ影も形もありませんでした。こればっかりは、書いた覚えが本当に全くなかったので、実際にも書いていなかったんですね。そうなると、遅くても今週中には書き上げないことには、各方面にご迷惑をかけてしまいますから、一つ本腰を入れて書いてみようじゃないか、と、おとといからぼちぼち書き始めてみました。
 なにしろ、私にとっては専門外のジャンルの作曲家ばかりですからかなり辛いものがありますが、家じゅうにある資料を総動員して、何とかそれらしいものが出来上がりました。下手をしたら今週中には終わらないのでは、と思っていたので、これは快挙です。あとは、校正をしっかりやって納品です。
 「本業」のニューフィルの方も、もうこの土曜日にはチラシとポスターの印刷が終わって団員の手にわたりますから、いよいよ広報係としての私の仕事も佳境に入ります。このチラシの画像自体は、もう公式サイトやFacebookにアップしてありますので、ネット上では出回っていますが、ここでまず実体のあるポスターの姿を体験していただこうと、毎回おなじみの公共の場への展開を行ってみました。今回貼付を快諾してくださったのは、広瀬通りと一番町の交差点の東映ビルさんです。なんてね。
 いつもは平らなところに貼り付けているので簡単なのですが、これは、貼り付ける場所が湾曲しているので、ちょっと苦労しましたね。でも、おかげでスキルも上がりましたから、これからはどんなところでも貼り付けられます。
 ここで使ったビルの画像は、実は6年も前のものでした。これをFacebookにアップしたら「これ、どこ?」などと聞いてきた人がいたので、今の同じ場所の写真をストリートビューで探してみました。
 震災前、震災後、ということになるのでしょうね。隣のビルなどが変わっていますし、このビルのテナントもずいぶん変わってしまいました。それと、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、歩行者用の信号機が、今では残り時間を示すことができるものになっていますよね。
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by jurassic_oyaji | 2016-07-27 21:17 | 映画 | Comments(0)
スカイダイビングって・・・
 毎朝の食事に、果物は欠かせません。私は、季節に合わせていろいろなものを食べているのですが、最近まではそれは「甘夏」でした。なんたって、ご先祖が愛媛県の人ですから、みかん類は欠かせませんが、特に夏みかんは大好きです。そうなんですよ。「甘夏」というのは、今ではそれしか売っていないので仕方なく食べていますが、それは決して本命ではなく、できれば「甘くない」夏みかんを食べたいと思っているんですよね。
 私の小さいころには、夏場には実家からその「夏みかん」が箱で届きました。それはもう酸っぱいみかんでしたが、それがおいしくて、大きな玉を丸ごと1個は食べていましたね。ところが、最近ではそういう本物の夏みかんは、もうなくなってしまいました。最後にそういうのを食べたのはいつだったかも思い出せないほど、それは昔のことだったのでしょう。仕方なく、「こんなの、夏みかんじゃない」と思いながらも、もはや「甘夏」しかなくなったのではしかたないと、この季節には毎日のように食べているのです。
 でも、「夏みかん」という割には、この果物が出回るのは夏が始まるずっと前、本当の「夏」になってしまうともうスーパーの店頭からはなくなってしまいます。実は、私がほぼ毎日行っている近所のスーパーでは、このところ夏みかんの棚がどんどん縮小されてしまっていました。サクランボが出始めた時などは、それに追いやられて全く姿を見せなくなってしまったこともありました。でも、何とか細々とでも置いてあったので安心していたのですが、今日行ってみたら、遂にどこにもその姿を見ることができない状態になってしまっていましたよ。今年の夏みかんは、とうとう終わってしまったのです。おとといあたりはまだあったので、あれを買っておけばよかったなあ、と後悔しているところですが、いずれは別れがくるのですから、これは仕方がありません。
 親子の別れを描いた東野圭吾の小説を映画化した「天空の蜂」を、やっとWOWOWで見ることが出来ました。いや、そうじゃなかったですね。親子は別れることはなく、ちゃんと再会できるのでした。でも、小説ではそれほど重要なシーンではなかった、その「別れ→再会」のエピソードが、この映画ではまるでクライマックスのように盛り上げた作り方になっていたので、もしかしたら本当のテーマはこれだったのかな、と思ってしまっただけのことでして。
 そんな風に、あまりに原作とかけ離れた描き方が続出しているので、改めて原作を引っ張り出して読み返してみたりしていましたよ。特に、登場人物の設定が、原作ではきちんと理解できたのに、映画では全く理解不能だったのは、私の鍛錬が足らないせいなのでしょうか。と思って、何度も録画を見直してみても、やはりこれだけでは理解できません。おそらく、脚本を書いた人はこの映画を見る人は全員原作を読んでいることを前提にしているのではないかと思えるほど、それは自分勝手な脚本のように思えます。
 ですから、これはもうテーマとかプロットとかを全く無視して、ひたすらそのVFXのすごさを体験するための映画なのだと割り切って見ることにしました。その限りにおいては、これはとてもよくできた映画ですからね。最初の巨大ヘリの登場シーンなどは圧倒されました。それから、リチャード・プリンの音楽もちょっと日本人には書けないような素晴らしいスコアでしたね。まるで「ゼロ・グラビティ」でも見ているような気分にさせられました。ですから、エンディングで日本人が作ったとことんお粗末な曲とお粗末な演奏が聴こえてきたときには、心底がっかりしましたね。プロットがいい加減な分、音楽だけでもちゃんと最後まで面倒を見てよ、というような気分です。
 原作が書かれたのは1995年ですが、私がそれを文庫本で読んだのは原発事故が起こってからでした。その時に感じたこの小説に対するすごさを、この映画では決して味わうことが出来ませんでした。映画的には最後のエピソードは良く出来てはいますが、それは間違いなく原作の力を削ぐものでしかありませんでした。
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by jurassic_oyaji | 2016-06-22 21:20 | 映画 | Comments(0)
中央通にはダイソーが多いですね
 最近はもうやっていませんが、かつてはこのサイトのためにMIDIでいろいろな音源を作っていました。ですから、その頃に作ったコンテンツには、至る所にこのMIDIが再生できるようなリンクが付いています。ただ、最近ではもうMIDIのシークェンサーはOSを変えたら使えなくなってしまったので、作ることはなくなっています。それよりも、なにか音が欲しい時には、実際の音を切り取ってmp3にした方が簡単ですからね。
 ただ、そういう、前に作ったMIDIを聴くことはあったのですが、最近、今の環境ではもはやMIDIの再生が出来なくなっていることに気が付きました。たしかに、以前はOSの中にすでにMIDI再生のプラグインが入っていたようなのですが、今のOSではもうなくなっているのかもしれません。ですから、もっと別のやり方でMIDIを再生できるようにいろいろタグを書き換えて試してみたのですが、どうにもなりませんでした。
 ところが、たまたまブラウザをいつも使っているCHROMEからIEに替えてみたら、なんと、何もしなくてもMIDIが鳴り出したではありませんか。OSではなく、ブラウザのせいだったんですね。最近できたCHROMEでは、もはやMIDIなどは無視されてしまっているのでしょう。今となっては、MIDIというのは時代遅れの音源なのでしょうね。
 CHROMEがIEとは異なった機能を持っていることも、ついきのう気が付きました(おやぢではありません)。それは、PDFをウェブで開いたときの表示です。IEでは、タブに表示されるのはファイル名なのですが、CHROMEでは「タイトル」が表示されるのです。ふつうは、ファイル名というのはそのファイルの内容を示すものですから、全く問題はないのですが、問題が出てくるのは「タイトル」の方。つまり、例えばWORDを保存する時にはファイル名を付けますが、それをPDFに変換すると、確かにファイル名はそのままなのに、「タイトル」には別の名前がついていることがあるのです。つまり、なにか別のファイルの書式をそのまま使って別のファイルを作ろうとすると、ファイル名を新しくしても前のファイル名がメタ・データとして残ってしまうんですね。それをPDFにすると、それが「タイトル」になってしまうのですよ。
 ですから、私が作っているニューフィルのサイトで、WORDで作った「かいほうげん」のページをそのままPDFにしたもので、そんなことがしっかり起こっていたのですよ。演奏会の写真集なのに、タブを見ると「技術委員会からのお知らせ」とか、全く関係のないタイトルがついてしまっていたのですね。これも、IEでは起きないのに、CHROMEだと起こってしまうという事例です。これは本当にみっともないので、今日1日かけて目立つところは全部直しましたよ。なにかと使いやすいCHROMEですが、なにかこういう基本的なところでなじめない機能があるのは問題ですね。というか、今まで気が付かなかったのが、とても悔しいですね。
 夕方になって、街に出かけました。毎年の恒例行事、さる音楽祭にニューフィルのチェロパートの人たちが参加するのを見に行きました。今までだと藤崎の前でやっていたのですが、今年は地下鉄の駅も出来て、別のイベントが行われているので、「追い出され」て、ずっと駅に近いところになっていました。でも、こちらの場所の方が人通りも多かったので、なにかと盛り上がったのではないでしょうか。


 少し早目に行ったら、誰もいなかったので不安になりましたが、時間つぶしに入った向かいの荒物屋で、探していた強力なタワシを見つけました。
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by jurassic_oyaji | 2016-06-05 20:59 | 映画 | Comments(0)
テーブル枠
 もう8月も終わり、こうなると、いくらお天気が良くても、もうすっかり秋の気配が漂ってきますね。今日も愛子方面に行く用事(いえ、花屋さんでのオークション、というか売れ残り品の投げ売り)があったのでがあったので、前に見た「田んぼアート」はどうなったのか、見てみることにしました。これが1ヶ月前、7月27日の写真です。

 そして、これが今日の写真。もう稲の穂が実っていますから、全体の色合いが変わっていますね。でも、まだまだ「アート」は楽しめそうです。

 家にいる時には、前回書いたように、久しぶりに職場の公式サイトを作りなおしてみました。もうサイトは変わっているので前のはどうだったのか比較なんかは出来ませんが、一応トップページのファイルだけは保存してあったので、見ることは出来ます。それはこんな感じ、新しい庫裏が出来たばかりだったので、そこをメインの写真にしてあります。


 そして、それから10年以上経って、震災後の改修工事も終わったということで、写真もそのあたりを使おうと思い、まず、工事に関係した建物が全部入るようなパノラマ写真を撮ってみました。まあ「震災後」というのを印象付けることにはなるでしょうからね。
 当然、パノラマですから写真は横長、それに合わせてレイアウトを考えると、今まで縦に並べていたメニューを横一列にする、というのが落ち着きそうなので、こんな風にしてみました。そして、その下に今までなかったコンテンツを加えた、ということです。ただ、おとといの時点ではこのテーブル枠の素材が別のものだったはずです(と言って、分かる人はまずいないと思いますが)。最初のものはそれなりにカッコよかったのですが、ちょっと不細工、それからもっといいものがないかと素材サイトを探し回って、最終的に決めたのがこれです。
 なんだか、出来あいのブログのスキンみたいですが、まあこのぐらい「軽い」ほうが、最近のネット社会の中では自分を主張できるのではないでしょうか。いや、別に何も主張する必要なんかはありませんが、まあ、ウェブマスターとしての誇り、というか。

 こういうのが出来てしまうと、中身の方も全部変えたくなってしまいます。それこそスタイルシートでも導入していれば、簡単に直せるのでしょうが、作った時にはそこまで考えていなかったので、ひたすら1ページずつ書き直して行くしかありません。まあ、いままでのソースの前後に、テーブルをコピペするだけで、出来てしまいますけど、その他にも細かい手直しは必要になってくるわけです。早い話、昔のサイトは銀塩写真をスキャンしたものですから、とりあえず、ここのシンボルである「マルミガヤ」の写真だけでも最新のものに変えておきたいですよね。
 そこで、パノラマ写真を撮ったのと同じNEX-6で、新しく撮ってみました。アングルはこれがベストです。ただ、電柱は仕方がないとして、その前にある物置がちょっと邪魔ですね。

 そこで、それを消してみます。ちょっと恥ずかしくなるような雑な仕事ですが、まあ、これだけを見た人だったらまず気が付かないのではないでしょうか。

 この素材だと、いままで<HR>で書いていた水平罫線が馴染まなくなってしまいました。属性を変えれば、ベタな罫線にも出来るのですが、それがブラウザによって太さが違ったりしますから、それを画像で置き換えたりと、まだまだやることは残っています。
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by jurassic_oyaji | 2014-08-31 21:12 | 映画 | Comments(0)
鍵泥棒のメソッド
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 この間達郎のライブ映画を見に行った時には、当たり前ですが本編が始まる前に「予告編」が上映されていました。コンサートの前に映画の案内なんて、ミスマッチの極みですが、まあ「オープニング・アクト」だと思って我慢しましょう。「予告編」とは言わないで「トレーラー」とか言ってみれば、少しはまぎれるかもしれません。
 そんな中で、これだったらちょっと見てみたいな、と思ったのがこの「鍵泥棒のメソッド」です。予告編、いや、トレーラーですから実際のストーリーをあえて誤解させるような作られ方をしているのは十分承知の上で、なんか面白そうだったんですね。広末涼子が香川照之に「結婚してください」なんて言うんですから、それだけですごいインパクトですよ。あと、銭湯で石鹸をふんづけて派手に飛びあがる(CGでしょうか)シーンなんかも、しっかり作り込んであるな、という気がしましたし。
 いや、でも最大の理由は、広末涼子が出ていたからなんですけどね。なんか、最近の彼女はちょっと目が離せないな、という気がしていますので(いや、ただのファンだというだけなのですが)。
 それで、きのうまるまる1日フリーになっていたので、MOVIX仙台まで見に行ってきました。まだ公開して二日目ですから、結構お客さんは入っていましたね。さすがに達郎ほどではありませんが、真ん中から後のブロックはほぼ満員でしたからね。しかし、やはりこのシネコンの音は、新宿の「バルト9」の音を聴いてしまうと、ガッカリしてしまいますね。プロジェクターの光量も、なんだか足りないような気がしますし。つまり、そう感じてしまったのは、この映画ではいきなり普段聴き慣れたクラシックの音楽が聴こえてきたからです。オープニングは「フィガロ」の序曲、これをバルトで聴きたいな、と思ってしまうぐらいのひどい音でした。次はモーツァルトの有名なハ長調のピアノソナタの第2楽章、さらに、香川照之が運転する車で流れていたのが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番の冒頭と、とことんクラシックが使われているのですね。ベートーヴェンあたりは、この映画全体の重要なモチーフになっていますしね。つまり、単にBGMとしてクラシックを使っているのではなく、その「曲」にしっかりとした意味を持たせているのですよね。
 ただ、正直に告白すると、このベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、最初は私には誰の作品なのかは分かりませんでした。正確な番号などもあとで調べてやっとわかったのですね。エンドロールでクレジットがあるだろうと思ってしっかり見ていたのですが、使われていたクラシックの曲に関しては、なにもありませんでした。外国の映画だったら、絶対にエンドロールで曲目と演奏者のクレジットが流れるはずなのに、なぜなのでしょう。最初はヴァイオリン1本で始まるフーガなのですが、そのテーマがバッハの「音楽の捧げもの」のようにも聴こえるし、フーガの作り方もなんかやたらモダン、これは一体だれの曲なのだろうと真剣に悩んでしまいましたよ。なにしろ、私にとってベートーヴェンの後期のクァルテットと言えば、スメタナ・クァルテットを生で聴いた時に寝てしまったという苦い思い出があるものですから、そもそも、あまり相性が良くないのでしょうね。
 これだけのマニアぶりを見せているのに、最後の方になって、広末が実家の父親のものすごいオーディオで、この曲のLPをかけて(カートリッジは「シュアー」でした)いる時に、「父が好きだった『げんがくよんじゅうそうきょく』」と言わせるようなミスを犯しているのは許せませんが、ストーリーはとても楽しめて、笑えました。なによりも、香川照之が、「芝居を真面目に勉強」してて、広末涼子が「まじめに結婚」したいと思っている、という設定が、笑えます。脚本も書いた内田けんじ監督は天才です。
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by jurassic_oyaji | 2012-09-17 21:33 | 映画 | Comments(0)
GEORGE HARRISON/Living in the Material World
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Martin Scorsese(Dir)
KADOKAWA PICTURES/DAXA-4113(BD)




2001年に他界したジョージ・ハリスンという、ドツキ漫才が好きそうな(それは、ジョージ・ハリセン)ミュージシャンの没後10年を記念して、今年、マーティン・スコセッシ監督によって彼の生涯がたどられたドキュメンタリー映画が公開されました。これはそれに前後してリリースになったBDです。
本編は間に休憩が入って正味3時間半、長いです。このドキュメンタリーの進め方というのが、ジョージに関連した記録映像を流したり、ジョージと交流のあった人たちのインタビューを紹介する、というものなのですが、作り方が結構不親切。インタビューされている人はとりあえず名前だけは出ますが、その「肩書き」すらも加えられてはいないのですね。まあ、長年のジョージのファンですから個人的には何の不自由も感じませんが、そんな「マニア」ではない普通のファンにとっては、ちょっと気配りが足らないような気がしてしまいます。いや、「マニア」にとってさえも、このダラダラとした流れは途中で睡魔を招き入れるには十分なものでしたから、なおさらです。こんなにマニアックに気取らずに、もっと見る人を大切にする作り方をしてジョージのファンを増やしてほしかったな、と思ってしまいます。
インタビューの中心になっているのは、やはり長年同じバンドで一緒に活動していた2人のビートル、ポール・マッカートニーとリンゴ・スター(リチャード・スターキー)でした。もちろん、当人にしか知りえない裏話を聞くのは楽しいものですが、それよりも、この二人のジョージに対するスタンスが全く異なっていることがまざまざと見えてくる方が、より一層興味をひかれるものでした。ポールは、いつまで経っても「上から目線」なのですね。そこへ行くと、リンゴのコメントはとても暖かく、まさに「親友」という感じです。
そして、もう一人重要な位置にいた「親友」が、エリック・クラプトンなのでしょう。彼の場合は、音楽的な仲間であると同時に、ジョージの妻だったパティ・ボイドを、「譲り受けて」しまっているのですからね。彼がそのことを語る時の、とても純粋なまなざしは印象的です。確かに、その頃の映像に登場するパティは、それに値するだけの魅力を持っていました。
そのパティ本人が、やはりインタビューに登場していたのには、本当に驚いてしまいました。昔の面影をしのばせるものは完璧に失ってしまったそのただの「おばさん」は、同じように醜い顔とだらしない胸の谷間をさらしていたヨーコ・オノとともに、時の流れの残酷さを示すものでしかありませんでした。
その点、ジョージは年を重ねるごとに顔つきが精悍になって行くように感じられます。晩年などはほとんど「哲人」の風貌です。それは、彼なりの確固たる信念を持ち続けたおかげなのかもしれません。ポールのたるんだ皮膚からは、そのような境地はまるで感じられません。
ボーナス・トラックに、息子のダーニ、ジョージ・マーティン、そしてその息子のジャイルズ・マーティンの3人が、「Here Comes the Sun」のマスターテープを聴いているシーンがあります。これはまさに世代交代を果たしたアーティストとプロデューサーという図式、ぜひ本編に入れてほしかったものです。そうすれば、本編の中では不親切な編集のせいで良く分からなかった、ジョージ・ハリスンとインド音楽のリズムとの関係が、より明確になったことでしょう。どういうことかというと、この曲を始め、ジョージの曲の中で頻繁に出てくる「3+3+3+3+4」というシンコペーションは、ただ聴くときっかりエイトビートの2小節に収まっているので何の違和感もないのですが、実は最後に7拍子が出てくるインド音楽特有の「変拍子」なのですね。本編では、ジョージ・マーティンはそれを口で歌っていただけで、全く伝わってきませんでしたが、ここで実際の音を聴けば、それはすぐに理解できることなのです。

BD Artwork © Grove Street Productions Limited
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by jurassic_oyaji | 2012-01-03 21:22 | 映画 | Comments(0)