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カテゴリ:映画( 25 )
ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い
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Carlos Saura(Dir)
Lorenzo Balducci(da Ponte)
Lino Guanciale(Mozart)
KADOKAWA PICTURES/DABA-0753(DVD)




以前、「モーツァルトの台本作家」という、ロレンツォ・ダ・ポンテに関する素晴らしい本を上梓した田之倉稔さんが、その本のあとがきの中で、「史実など誤りも多い愚作」と決めつけていた映画、「ドン・ジョヴァンニ
天才劇作家とモーツァルトの出会い」を、やっとテレビで見ることが出来ました。HD放送なので、劇場で見るのと遜色ない画質で楽しめたのですが、パッケージとしてはあいにくDVDしか出ていないので、ご了承を。
知る限りでは、おそらくダ・ポンテを主人公にした映画としては初めてのものになるのではないでしょうか。ただ、田之倉さんの指摘通り、「史実」などは完璧に無視されています。そういう意味で、これは、この映画でも相方として登場するモーツァルトやサリエリを扱ったあの「名作」、「アマデウス」と、非常によく似たものなのではないでしょうか。どちらも、決して「伝記映画」として見てはいけないという点で一致しています。
登場人物のキャラも、モーツァルトあたりは指揮をしたりチェンバロを弾いたりするしぐさがトム・ハルスとそっくりですね。
タイトルの通り、ここではダ・ポンテがモーツァルトとの共同作業で「ドン・ジョヴァンニ」を完成させる過程が、文字通り「ドラマティック」に描かれています。その中では、ダ・ポンテの女性遍歴が、オペラの主人公ドン・ジョヴァンニと重ね合わさって行きます。原題の「Io, Don Giovanni」というのは、ダ・ポンテの「私こそがドン・ジョヴァンニなんだ」というセリフからとられています。しかし、ダ・ポンテ自身はオペラの主人公とは違って、しっかり「悔い改め」、生涯を共にする女性と巡り合うというのが、ミソなのでしょう。その「最後の女性」アンネッタ(「史実」では「ナンシー」)を演じているエミリア・ヴェルジネッリという人は、本当に美しい青い瞳の女性です。ですから、これは、適度のエロティックなシーンを楽しみながら、純愛ストーリーとして見る分には、何の不都合もない楽しい作品です。「クラシック音楽」もたっぷり聴けますし(ビオンディ&エウローパ・ガランテの「四季」などは最高です)。
オープニングはヴェネツィア、そこでさっそくそのビオンディのヴィヴァルディがバックに聴こえるのは、この土地を象徴したものであると同時に、そのほとんどアヴァン・ギャルドと化したピリオド様式によって、これからここで使われる音楽が確かに時代的な裏付けを持ったものであることを予感させるものなのでしょう。と、ダ・ポンテとカサノヴァが乗ったゴンドラに向かって進んでくる船に積んどられたものは、その数日前までここで上演されていたガッツァニーガの「ドン・ジョヴァンニ」で使われていた巨大な騎士長の像です。これは、やがてウィーンに移ったダ・ポンテが、モーツァルトと共に「今まで作られた多くのドン・ジョヴァンニ」を凌駕するものを作ることになる伏線です。ところが、このシーンで、やおら立ち上がったカサノヴァが、その像に向かって「♪ドーン・ジョヴァーンニー」と、まだこの時点では音になっていないモーツァルトのメロディを歌い出すのは、かなりヤバいことです。いや、実はこのことによって、いきなり「これは全くのフィクションだよ」と示したかったのかもしれませんね。
そういえば、本当はプラハで初演されたはずのそのモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」がなぜかウィーンで初演されていたシーンでは、地獄落ちのステージのバックに溶岩が流れる映像が現れるというとんでもない演出が披露されます。こんなものを見せられてしまえば、もはやこれが「史実」だなどと思う人などいるはずがありません。ですから、この作品を「史実」に基づいていないからといって「愚作」と決めつけること自体が、そもそも「愚か」なことなのです。

DVD Artwork © Kadokawa Shoten Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2011-12-30 21:19 | 映画 | Comments(0)
BERNSTEIN/West Side Story
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50th Anniversary Edition Box Set (BD)



映画版「ウェストサイド・ストーリー」が公開されたのは1961年のことでしたから、今年は「50周年記念」という年になるのですね。いやあ、あの名作が出来てから半世紀ですか。すごいものです。
この映画は、日本でも同じ年の末に公開され、なんと2年間ものロングラン上映を記録したそうです。そんなに長い間同じ映画がかかっているなんて、今ではとても考えられません。仙台でも、「東北劇場」という、スクリーンはばかでかいのに、客席はボロで、床に傾斜がないために前の人の頭がとても邪魔になる映画館で上映されていたはずです。映画館の前には常に長蛇の列が出来ていたという、これも今では考えられないような現象が繰り広げられていました(その中には、とおくから来た人もいたのでしょう)。
パッケージ・メディアとしても、VHSDVDは当然リリースされていましたが、「50周年」を記念してついにBDが発売されました。アメリカ版は、スタンダードの装丁の他に、「おまけ」がたくさんついたボックス・セットがあったので、迷わずそちらを注文です。なんせ、公開時のチラシのミニチュアが、日本版も含めて10枚も付いてくるのですからね。日本版BDももう少ししたら発売されるのですが、それはボックス・セットのみの限定バージョン、しかも、マスターがアメリカ版とは別のものというのでパスです。日本語吹き替え版は、部分的にカットされていて、そこだけセリフがないというお粗末さですし、値段も、日本版はAMAZON価格でも\5,118なのに、アメリカ版は送料も含めて$54.97なのですから、ずっとお買い得。ネックは、日本語字幕がないことですが、何十回となく見てセリフはすべて頭に入っていますから、なんの問題もありません。いざという時には、英語の字幕を見ればいいのですから。
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このBDの画面を見ていると、下手に映画館で見るより楽しめるのではないか、というほどの気になってしまいます。一度、最新リマスター版というのを劇場で見たのですが、それはあるシーンだけ画面の真ん中に黒い点がずっと出ていましたし、もう少しましなものを見た時でも、リールの変わり目ではちょっとストレスを感じてしまいました。場合によっては、映写機の光が弱くて、ずっとうす暗いスクリーンを見続けないこともありますし。
なぜか、このボックスには同じマスターのDVDが同梱されています。今はDVDプレーヤーしかもっていないけれど、将来はBDプレーヤーを買いたいという人のための配慮なのでしょうか。しかし、BDを見た後にこのDVDを見てみたら、そのあまりのクオリティの低さに唖然としてしまいました。この現状を知ってしまっては、もうDVDには戻れません。不思議なことですが、アメリカ版の場合DVDは日本版とはリージョン・コードが違うのですが、BDの場合は同じなのですね。なぜなのでしょう。不思議と言えば、BDを再生すると「プレーヤーは常にアップ・デートしてください」とか、「複製はなんたら」といったコメントが日本語で表示されていました。日本語字幕は出ないというのに。
ボーナス・トラックに、スティーヴン・ソンドハイムが自ら語っている曲目紹介が入っています。これは、もしかしたら本編以上に貴重なものなのではないでしょうか。なんせ、この名曲たちを作ったご本人が、その曲が作られた経緯を事細かに話しているのですからね。それによると、まさにこれらの曲はバーンスタインとの「共同作業」の末に出来上がったことが良く分かります。さらには、バーンスタインは、別の作品から多くの部分を引用していたという「秘話」まで語られています。「アメリカ」に使われた「ウアパンゴ」という、ヘミオレを多用したリズムは、別の作品に使うためのスケッチが最近見つかったとか、まるで「音楽学」のような興味深い話が満載です。

BD Artwork © MGM
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by jurassic_oyaji | 2011-12-03 22:31 | 映画 | Comments(0)
ABBA The Movie
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Lasse Hallström(Dir)
ABBA
UNIVERSAL/B0012058-59(BD)




今世紀になって開発されたDVDの次の世代の録画・再生ディスクは、放送の世界ではすでに一般化していたいわゆる「ハイビジョン」をそのまま録画出来るというフォーマットでした。しかし、なぜかCDDVDのように規格が一本化されることはなく、「HD DVD」と「BD(ブルーレイ・ディスク」という全く互換性のない2種類の方式が、メーカーと映画会社との思惑によって無意味な競争を繰り広げることになってしまいました。そんな企業の身勝手さに踊らされるのは、いつだって消費者です。何十万円もしたHD DVDプレイヤー/レコーダーは、今ではなんの役にも立たないただの鉄くずになってしまったのですからね。その末期には、映画のDVDに、おまけでHD DVDが付いてくるというこんなパッケージも登場していましたね。もちろん、価格はDVD1枚分でした。もうその頃は、この陣営の敗北は決定的なものとなっていたのでしょう。
2007年にこんな映像がBDで出た時点で、もはやBDの優位は決定的なものになっていたのかもしれません。「ABBA the Movie」という、1977年に制作された映画を、画像は修復、音声もリマスターが施されてBD化されたものです。
なんだか、最近は世界中で「アバ」ブーム、「アバ」のヒット曲だけで作られたミュージカル「マンマ・ミーア!」が各国でロングラン上演されたり、そのまま映画化されたものが大ヒットを飛ばしたりと、確実に新しいファン層を広げています。日本でも、先日はテレビで連続して特集番組が放送されていましたね。
そんなブームに乗って、このBDも9月に国内盤がリイシューされることになりました。それまで待てないので輸入盤を調べてみたら、なんと2000円という、DVDよりも安い価格で手に入ることが分かって、さっそくゲットです。おそらく、国内盤はこれと同じものに日本語の帯だけ付けて、4800円ぐらいで販売されるはずですからね。
というのも、普通DVDの場合だと、輸入盤にはまず日本語の字幕は入っていないので、オペラなどは字幕だけのために高い国内盤を買わざるを得ない人も多いのでしょうが、BDにはすでに日本語の字幕が入っているのですね。これはこのアイテムだけのことなのでしょうかね。BDの世界では日本語字幕が「標準仕様」になっているのだと嬉しいのですが、輸入盤BDに誰よりも詳しいと自認なさっている方はぜひご教授下さい。
この映画は、リアルタイムに日本で公開された時に見ていました。正直、それまでは「アバ」なんて知らなかったものが、これを見てすっかりファンになってしまったという、懐かしい作品です。長い間、これはオーストラリアでのコンサート・ツアーの模様を収録した単なるドキュメンタリーだとばかり思っていたのですが、今回見直してみると、実はもう少し込み入った作られ方をされていたものだったのですね。つまり、「アバ」のライブはそのまま見せて、それに、コメディ仕立てのドラマがからむという仕組みなのですよ。上司に「アバ」のインタビューをノーアポでとってこいという無理難題をふっかけられたラジオ局のDJが、孤軍奮闘するというあり得ない話です。「アバ」のメンバーはノーブラでしたが。ナグラの携帯用オープンリール・テープレコーダーでインタビューを録音して、時間に間に合わせるために乗ったタクシーの中でテープをスプライシングしながら編集するというシーンが、なにかマニアックな興味を満たしてくれるものでした。
ライブのシーンになると、いきなり音圧が上がって、そこだけ別物のサウンドになります。それはまさにライブの音、コーラスやストリングスも参加して、スタジオ録音とはまるで違う「アバ・サウンド」が満喫できます。
画面も、かつてスクリーンで見たものが蘇ってきました。途中でDVDを経由したのではなく、最初からBDで見ることが出来た幸せを、かみしめているところです。

BD Artwork © A Universal Music Company
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by jurassic_oyaji | 2011-08-09 23:55 | 映画 | Comments(0)
「オペラ座の怪人」日本語吹き替え版
 きのう地上波で「オペラ座の怪人」の日本語吹き替え版をやってましたね。これは、もちろん作曲者ロイド・ウェッバー自身のプロデュースで2004年に映画化された、ミュージカルの古典ですね。翌年公開されたものを劇場に見に行きましたし、DVDも買って、隅々まで味わった作品です。かなり満足できるものだったのですが、ただ、ファントムを歌った(カルロット以外は、すべて役者自身が歌っていました)ジェラルド・バトラーだけは、あまりにもお粗末な声でがっかりしてしまいましたね。
 それが、セリフだけでなく、歌もすべて日本語によって吹き替えたものが放送される、というニュースは、実はだいぶ前から「劇団四季」を通じて伝わってきました。そうなんですよ。私も何度も見に行ったこのミュージカルの日本語版のプロダクションに参加している人たちが、この吹き替えを行った、というニュースですね。劇団四季のキャストはそれぞれの演目で主役級は必ず2人か3人は用意されていますが、ここで選ばれた人たちは、まさにベストメンバーという布陣でした。なんせ、ファントムはあの高井治さんなのですからね。そして、クリスティーヌは沼尾みゆきさん、ラウルは佐野正幸さんという、すべて東京芸大出身という実力者たちです。佐野さんあたりはステージではファントムも演じていますからね。
 いやあ、これは堪能しました。つまり、映画を見ているというのではなく、自宅で劇団四季のステージを鑑賞している、といった感じなのですよね。実際、歌っているときには歌手たちの口と歌は全然合っていません。ですから、画面はあくまでも「イメージ」にすぎないもので、そこで演じられているものはまさに「劇団四季」そのものなのですよね。高井さんの歌は、いつ聴いても本当に素晴らしいものでした。
 ただ、こうやってじっくり「劇団四季」を味わっていると、このカンパニーの最大の欠点である「訳詞」の問題が、さらにクローズアップされてしまいます。ごていねいに画面には歌になるとしっかり字幕が出るものですから、そのひどい訳詞にはいやでも目が行ってしまいます。音楽の持つリズムと言葉のリズムが、見事に乖離しているのですね。もっと美しく音楽に乗るような日本語の歌詞をあてることは、音楽をよく知っている専門の作詞家だったら決して不可能ではないはずなのですが、なぜこの劇団はそれをしようとはしないのでしょうか。
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 まあ、世の中では専門の人でも(いや、専門のひとだからこそ)不思議な日本語を使っているものですから、仕方のないことなのかもしれませんがね。たとえば、これは、市内のデパートで見かけた、クリスマスケーキの予約の案内ですが、「完売ありがとうございました」という言い方は、ちょっとおかしいとは思いませんか?私は、2つの意味でおかしいと思います。まず、全部売り切ってご迷惑をおかけしているのですから、本来は「完売して申し訳ございません」と謝るべきもの。そして、「完売」したのは店側なのですから、お礼を言われる筋合いはなく、お客さんに対するお礼だったら、それは「買って」くれたことに対する感謝ですので「完買ありがとうございまいした」と言わなければいけないのではないでしょうか。ちょっと変な言葉ですが、「買春」という言葉があるぐらいですから、一向に構わないのでは。
 しかし、民放の映画放送というのは、日ごろWOWOWなどを見慣れていると、信じられないような無神経さでCMが入るのですね。しんみりしたラブシーンの後に、いきなり便器が登場したりするのですから、そのシュールさは許せる限界をはるかに超えています。そんなCMを全部カットしてみたら、2時間をちょっと切るぐらいの長さになってしまいました。元の映画は確か2時間半以上あったはずですから、相当のカットがあったのでしょうね。これも、いつもながらの無神経さです。
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by jurassic_oyaji | 2010-12-18 21:47 | 映画 | Comments(0)
アマデウス、ディレクターズ・カット
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 前にもご紹介した、利府のMOVIXでやっている「午前十時の映画祭」で、「アマデウス ディレクターズ・カット」を見てきました。全部で50本のクラシックスを週替わりで上映するという企画ですね。あいにく週末はなにかと忙しくてとても映画などを見に行く時間はないのですが、今日はわりとヒマだったので、午後から行ってみることにしました。職場からだと30分で着きますからね。
 考えてみたら、この映画を最初に見たのはそれこそ1984年ごろだったんですよね。確か駅前にあった「青葉劇場」に見に行った記憶があります。このころはもちろんこんなサイトを作ったりはしていませんでしたし(ワープロすら、使えていませんでした)、ニューフィルにもまだ入っていないという、今の私とは全く違う環境の中にあったのですね。そこで、一人で映画館に行ってみると、なんだかクラシックの愛好家っぽいクループが数人でなにかマニアックな話をしているのが聞こえてきて、何ともさびしい思いを味わったような記憶があります。あ、当然この時に見たのは最初の160分バージョンですよね。
 2001年に「ディレクターズ・カット」が上映された時も、劇場に行って見る機会はなく、でもすぐ見たかったので、「リージョン1」のDVDをアメリカから買って見ていましたね。何よりも、冒頭の精神病院のシーンでの「ボカシ」がなかったのが、印象的でした。「もろ見え」というやつで。
 今回、初めてその「ディレクターズ・カット」を劇場で見て、最初にチェックしたのはその「ボカシ」です。84年版には3か所ほど盛大に「ボカシ」が入っていて、逆にそこに注目してしまったものですから。しかし、なんと、今回はそんなものは全くありませんでしたよ。その代わり、リージョン1のDVDでははっきり見えていた「モノ」が、なんだかぼんやりとなっていましたね。そうか、この手があったんですね。あんな目立つ「ボカシ」を入れなくても、さりげなく「修正」してしまうことは今だったら何の造作もないことですからね。国内版のDVDでは、そのあたりはどうなっているのか、持っている人がいたら教えてください。って、そんな所だけチェックしていたら、ただのヘンタイですけどね。
 DVDは、なんせアメリカ版ですから日本語の字幕は入っていません。確か、最初の上映の時の字幕では戸田奈津子は「Death Mass」つまり「レクイエム」を「デスマスク」と語訳していたのだそうですが、さすがにその頃はそんなことは気付きませんでした。今回は字幕も新しく松浦さんに代わっていたのですが、やはり誤訳とはいかないまでも、肝心のところでぜひ必要な言葉をはしょったりしていましたね。サリエリがその「レクイエム」の口述筆記を終えて眠っているところに帰ってきたコンスタンツェは、書き上げた楽譜を取り上げて、「もうこんな仕事はさせません」と仕舞ってしまうのですが、彼は「でも、これから『ラクリモーザ』を仕上げるところだ」と、なんとか仕事を続けようとします。そこの「ラクリモーザ」が、字幕にはないのですね。これは、このシーンのすぐ後にその「ラクリモーザ」が演奏されるのですから、ぜひともきちんと訳してほしかったものです。これで「感動」の度合いがかなり変わってくるはずですからね。
 そう、実は、迂闊にもこのあたりで私はウルウルしてしまいました。確かに、「物語」としては、これは非常によく出来た映画です。それは、実際にあったことをうまく「物語」の中に取り込んでいるのも、大きな要素なのでしょうね。たとえば、「魔笛」のグロッケンを演奏している途中に倒れてしまったのは、こちらにあるように、実際に手紙に書かれた事件を下敷きにしたものですし、今回初めて気づいたのが、サリエリに借金をねだるシーン。これは、こちらでとりあげた「プフベルク書簡」のバリアントになっているのですよね。
 今回改めて確認出来たのは、当たり前のことですが、これは決してモーツァルトやサリエリの「伝記映画」ではない、ということです。そこをきちんと認識しない人の、なんと多いことでしょう。あくまでこれは「作り話」、つまり、この中には「事実」はほんの少ししか含まれていなくて、あとは全くの嘘っぱち、という認識ですね。「のだめ」以上の罪深いウソが、この中にはいくらでも転がっています。まあ、でも、面白ければ、それでいいんです。「作り話」なんですから。
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by jurassic_oyaji | 2010-06-02 22:34 | 映画 | Comments(0)
NINE
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 きのうは愚妻の合唱の練習が、久しぶりに富沢の市民センターで行われることになっていました。もちろん私が送り迎えをするのですが、そんな遠くに行くときには、家まで往復するだけで時間がかかってしまうので、すぐそばのモールで時間をつぶしたりします。練習が6時から9時までなのでその気になったら映画を見ることも出来るのですが、なかなかそんなに都合のよい時間にやっていることはありません。
 ところが、きのうはなんと新作の「NINEナイン」が、6時20分開始、8時25分終了という、これ以上はないという理想的な上映時間だったのですよ。これだったら、愚妻を富沢に置いてから楽々映画を見て、終わってすぐ迎えに行けますよ。
 でも、なんせきのうはお彼岸の真っ最中ですから、私の職場は大混雑、おそらく街中もかなり混んでいるでしょうから、普段は30分もあれば行けるところを、1時間の余裕を見て出発することにしました。ところが、きのうの渋滞は、予想をはるかに超えるものすごいものでした。どこまで行っても渋滞がなくならないのですよ。これだと、富沢まで行ってからモールに引き返したのでは映画の開始時間に間に合いません。仕方なく、モールの前で降りてもらって、あとは地下鉄で行かせ、私はモールの駐車場へ。シネコンに着いたのは開映10分前でした。
 そんなギリギリの状況で見ることになった「NINEナイン」ですが、ただ「ブロードウェイミュージカルの映画化」というぐらいの予備知識しか持っていないで見たものですから、正直ちょっと入り込んでいけないものがありました。なにしろ監督が「シカゴ」のロブ・マーシャル、あの映画もはっきり言って私には退屈な作品でしたからね。なにしろ、ミュージカルに必要な音楽が、全く面白くないというところが、「シカゴ」とおなじ、いたずらに煽り立てるだけで、心に迫ってくるものがないのですね。素直にいいな、と思えたのはニコール・キッドマンが歌っているナンバーだけだったような気がします。
 ストーリーも、なんだかフェリーニの「81/2」が下敷きになっているような感じで、いかにもミュージカルには不向きな内容、まあ、映画として見る分には面白いのでしょうがね。あとで確認してみたら、やはりこれは確かにフェリーニでした。主人公の映画監督の名前まで同じですし、タイトルも「81/2」をもう少し進めて「9」なんでしょうね。最初は、出てくる女性が「9人」かと思って、一生懸命数えていたのですが、そんなにはいませんでしたし。
 ですから、ミュージカルだと思わないで見れば、これはなかなか刺激的な映画でした。正直、音楽やダンスはジャマですね。まあ、それが「ファッショナブル」なのだ、といわれればそれまでのことなのでしょうが、主人公とさまざまな女性とのからみが、音楽があるためにかえって曖昧になっている点が多すぎるような気がします。
 一番印象的だったのが、ソフィア・ローレン。もうかなりの年のはずですが、その美しさと貫禄は、他の「若い」女優をはるかに圧倒しています。歌はヘタですが。一緒に出ていたジュディ・リンチと同じ年齢だなんて、とても信じられません。
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by jurassic_oyaji | 2010-03-21 23:27 | 映画 | Comments(0)
バレンタインデー
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 きのう20日というのは、MOVIXデーとかで、そのシネコンでは誰でも1000円で映画が見られるんですね。かなり前から毎月やっていたのは知っていましたが、今まで実際にその恩恵に預かることはありませんでした。でも、きのうたまたま時間が空いたので、MALLに行ってきましたよ。その前に何をやっているか調べたら、「アバター」は、なんとすでに満席でした。まあ話のタネに見ておこうとは思ったのですが、予告編で出てくる青い生物の顔がとことん私には嫌悪感を抱くものでしかないので、わざわざ3Dでそんな気持ち悪いものを見ることもないでしょう。
 それで、実際に見たのは「バレンタインデー」でした。なんたって超豪華キャストですし、思いっきり楽しめそうなストーリーでしょうから、ストレス発散には手頃でしょう。
 お話は、タイトル通り、バレンタインデーの日に起こるさまざまなカップルのエピソードを並べたものです。全く関係のなさそうな人が次々と出てくるので、最初はちょっと戸惑いますが、おそらくこの監督(ゲイリー・マーシャル)のことですから、きちんとつながりを考えているはずだ、と思って見ていたら、やはりなんとも粋なつながりがゾロゾロ出てきて、安心させられます。一番無関係だと思っていた飛行機の中のジュリア・ロバーツとブラッドレイ・クーパーは、最後にとんでもない人とつながっているのが分かった瞬間は、ちょっと感動ものでしたよ。
 もちろん、メインはアシュトン・カッチャーとジェニファー・ガーナーという「親友」同士なのですが、ジェニファーの「恋人」として登場するのが、パトリック・デンプシーという、「グレイ」のレギュラーです。お医者さんであるのと、二股かけているというのが、「グレイ」と共通しているのは、ねらっていたのでしょうね。もう一人、「グレイ」からはエリック・デインが出ていました。でも、この人はお医者さんではありませんでしたが。「クリミナル・マインド」のジョー・マンテーニャが、「ウィンカーを出せ」とか言うだけのほんの端役で出ているのも面白いですね。
 興味があったのは、アメリカでのバレンタインデーのあり方でした。どうやら、日本とはまったく違って(というか、日本の方が故意に違えているのでしょうが)チョコレートのやりとりなどは行われず、「花」を贈るのが習慣のようですね。しかも、それは別に女性からだけ贈るのではなく、男性からも贈るもののようでした。いや、どちらかというと「男性から」というのが、この映画では強調されていましたね。ですから、この日に忙しいのはチョコレート屋さんではなく、花屋さんということになります。
 舞台はLAですから、当然街中が出てくるのですが、その中にフツーにウォルト・ディズニー・コンサートホールなんかがあったのには驚きましたね。ちょうどその前で花屋さんのトラックが追突されて荷物をばらまいてしまうので、かなり長い時間写っていましたよ。あの建物は目立ちますから、すぐ分かります。ドゥダメルの大きなタペストリーのようなのが、正面に貼られているのですね。別にタイアップではなさそうですが、LAの風景の中に溶けこんでいるドゥダメルって、なんだか素敵ですね。
 そんな隅々の、本筋に関係のないところまでしっかり楽しめる作品でした。
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by jurassic_oyaji | 2010-02-21 23:26 | 映画 | Comments(0)
ゴールデンスランバー
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 全編仙台でロケが行われたという映画、「ゴールデンスランバー」を見てきました。なにしろ、身近には一番町に行ったときたまたまロケをやっていて、堺雅人がすぐそばを走っているのを見た(見えなかった)人だとか、職場がロケに使われた人だとかがいたものですから、やはり親近感が湧いてしまいます。なによりも、毎日住んで見回している仙台の風景が大画面で見られる、というのがとても楽しみでした。ただ、やはり仙台でロケを行った同じ原作者の「アヒルと鴨」では、なんかよその街という感じがしてしまったので一抹の不安はありましたがね。
 しかし、最初に出てきたのが、なんと「藤崎」のエレベーターですよ。見慣れた店内がそこに広がっているというのが、なんとも不思議な感覚ですね。そこでもう我々のような「仙台人」は、完全にツカまれててしまいましたよ。普段行っている場所と同じ空気が、スクリーンの中に流れているのですからね。店内にいたのはエキストラでしょうか。自然に振る舞っていたので、多分そうなのでしょう。そのあと、「フォーラス」前の交差点に堺さんが立っているシーンでは、なんだかまわりにいる人が、さも「芸能人」を見つけたときのように指さしたり笑ったりしていましたが、これはエキストラではなくたまたまそこに居合わせた人なのかな、と思ってしまいましたね。ところが、それは実は演技だったことがしばらくして分かります。つまり、エキストラが、必要な演技をしていたのですね。これはかなり微妙。なまじこういう映画の作り方を知っているだけに、そういう「演技」が、演技なのか地なのかが分からなくなってしまうのですね。いや、もちろん、まともな映画ならば「芸能人の堺さんを見てのリアクション」などはあり得ないのですが。
 実際に撮影されている場所が殆ど分かりますから、住んでいる人にとってはまたとない楽しみも生まれることになります。つまり、堺さんが最初に逃げ回っているコースが、映画を見ているよその街の人には、さも連続した場所を通っているように見えるのでしょうが、我々にはとんでもない瞬間移動があったりするのが分かってしまうのですね。立町にいた人が、いきなり広瀬通と二番町の交差点に現れたり、とかね。国分町にいたはずの捜査官が、次のカットでは卸町にいたりとか。いやぁ、これは楽しい体験でした。末廣誠さんに言わせれば、これはテレビの2時間ドラマの常套手段なのだとか。渋谷に追いつめた犯人を、上野で逮捕する、みたいなものですね。
 原作は読んでいないし、そもそもこの作家にはなんの興味もないのですが、これってミステリーなんですか?話自体はなんの「謎」もない、ただのアクションなのでしょうね。いかにうまく「逃げる」か、と。おそらく、映画を作るにあたってはその辺に最も力を注いだのでしょう。「花火」とか、殆どハリウッド映画の乱暴な設定ですが、面白さは充分伝わってきましたね。それより、必要な伏線が見事につながっていて、結構ウルウルとさせられましたよ。最後のシーンは、冒頭と同じもの、これは見事でした。「花丸」には、殆ど号泣ですよ。映画ならではの編集の妙味、これは、原作を超えているのではないでしょうか。
 タイトルから想像していた通り、ビートルズの同名曲が流れるのですが、斉藤和義のカバーが使われているのが、なんともショボく感じられます。ポールのオリジナルはおいそれとは使うことは出来ないのでしょうね。ですから、これは原作の勝ち。あちらは実際に音を出さなくてもいいんですからね。
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by jurassic_oyaji | 2010-02-13 21:27 | 映画 | Comments(0)
SATC
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 日本語でタイトルを書くのをはばかれるドラマ「SATC」の映画版が、早くもWOWOWで放送されました。何と言っても、これに備えて6年分、94本のドラマを全て見終わったばかりですので、見逃すわけがありません。
 しかし、最近のこの手の映画だとまず1時間半ぐらいの尺のものが、2時間を超える「大作」だったのには、ちょっと驚きました。でも、考えてみればドラマ版はそれこそ何十時間もかかるわけですから、これでも短かかったのかもしれませんね。確かに、4人分のエピソードを丹念に描いていたら、これだけの時間は必要なのかもしれません。いや、それだけではなく、このドラマ、そして映画に必要なのは、本筋に関係のないファッションのカットですから、長いのも当たり前。言ってみれば、アクション映画での戦闘シーンやカーチェイスのようなものなのでしょう。
 出演者は、ドラマでのレギュラー陣が全て出ていた、というのが嬉しいところですね。だれか1人が欠けたり、代役が出てたりしていたら、ぶちこわしになっていたところでした。キャリーの友達のハゲとか、シャーロットの友達のチビといったゲイ仲間もしっかり出演していましたからね。実は私、この2人が大好きだったのでした。
 反対に、映画だけに出ていたのが「ドリームガールズ」でブレイクした新人ジェニファー・ハドソン、この人もその映画ですっかりファンになってしまっていましたから、これも嬉しいところ。しかも、キャリーの秘書ですからなかなか重要な役どころ、最後になって明らかになる「秘密」の仕掛け人にもなるのですからね。もっとも、この「仕掛け」は、私にはすぐに分かってしまいましたがね。
 ドラマでの雰囲気をそのままに、プロットもかなり行き当たりばったりなものでした。つまり、そもそもこの物語にはロジカルな筋立てなどは必要ないのだ、ということを再確認です。キャリーは、ミスター・ビッグに結婚式をドタキャンされた原因が、ミランダが彼に言ったことだと知って激怒するわけですが、それは単なるきっかけに過ぎなかったことは、キャリーはその時には分かっていたはず、親友と絶交するほどの怒りにつながるはずはないと思うのですが、どうでしょう。いや、それは、それほどの怒りでも、親友だからこそ時間が経てば修復出来る、という、このドラマの哲学の単なるお膳立てだったのかもしれませんがね。それよりも、サマンサがスミスと別れることになった経緯の方が、まだ現実味があるのでは。ほんのちょっとしたことで、大切だと信じていたものが突然つまらなく思えるのはよくあることです。
 それにしても、キャリーはなんと年を取ってしまったことでしょう。ドラマではかろうじて「可愛さ」が保たれていましたが、この映画ではもはやそれは歴然としています。特に、ノーメークに近い状態でいたときの老けようといったら。それを隠すためのドラマより格段に念入りのメーク、それがとてもつらく思えてしまいます。ただ一人、サマンサだけは実年齢よりはるかに若く見えたのは、なぜなのでしょう。
 続編の制作が具体化しているそうですが、それはちょっと危険だな、とは思いませんか?
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by jurassic_oyaji | 2009-05-13 21:37 | 映画 | Comments(0)
歓喜の歌
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 「歓喜の歌」をWOWOWで見ました。ちょっと粋な計らいで、原作と並べて放送するという企画です。ご存じでしょうが、この映画の「原作」は立川志の輔の新作落語です。彼が毎年ホールで行っている独演会は毎回チケットが入手出来ないほどの人気なのだそうですが、それの何年か前の出し物が、この「歓喜の歌」だったのですね。二つのお母さんコーラス(志の輔は未だに「ママさんコーラス」という今ではどこでも使われることのない名称にこだわっていますが)のコンサートをダブルブッキングしてしまった「文化会館」の物語、とてもあり得ない設定ですが、それを一級の人情噺に仕立て上げた志の輔の「原作」は、確かになかなか感動的なものでした。
 映画では、この「原作」の骨組みにかなりの肉を付け加えていました。噺では抽象的な存在であった二つの「合唱団」を、きちんと実体のある物として描くのが、まずその第一歩。実は、この映画が公開されていた頃に「コール青葉」の練習で新大久保にある辻音のスタジオに行ったことがあるのですが、そこにポスターが貼ってあったのにはちょっと驚きました。一応「合唱」がらみで宣伝に一役買っているのかな、と、その時は思っていたのですが、実際はこの辻音が、かなりのところまで関与していたのですね。「合唱指導」とか。
 確かに、その「合唱」の出来は、かなりのものでした。おそらく、クレジットにあった何とかという本物の合唱団がきちんと演奏していたからなのでしょうね。少なくとも、「この演奏会に向けて、一生懸命練習をしてきた合唱団」という感じは良く出ていました。こういう最低限の「仕込み」さえきちんとやってもらえれば、後はどんなでたらめをやっても大概のことは許せます。どこにもオーケストラと、そして男声の姿は見えないのに、聞こえてきた「第9」はオリジナル(いや、とんでもないカットがありましたが)の編成だった、なんてのは、笑って済ませられることです。正直、「ダニー・ボーイ」などは鳥肌が立つほどの素晴らしさでしたよ。
 そしてストーリーも、多くの脇役を登場させてキャラクターの設定をより現実的なものにしようとしています。ただ、原作でもそうでしたが、あのダメ主任がなぜこんなにも簡単に改心出来てしまったのか、それはもちろん「餃子」のおかげなのでしょうが、今ひとつ説得力に欠けるのが気になります。それでも噺の方でしたら、志の輔がまさにここをクライマックスに熱く演じているのでそれなりに納得は出来るのですが、映画ではなまじこの主任のキャラクターがリアルだったために、そこまでの境地にはならなかったというか。ほんと、この主任の設定はちょっとくどすぎましたね。あんな、ロシア人のホステスに簡単に入れあげてしまうような人が、どうしてここまで一途な使命感を発揮出来るのか、ちょっと乱暴すぎるプロットではありました。
 というより、彼を演じた小林薫を見ていると、絶対に「第9」を「指揮」している姿しか浮かんでこないのが、困ったものです。似てるでしょ?末廣さんに。
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by jurassic_oyaji | 2009-03-17 23:39 | 映画 | Comments(2)