おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:禁断( 1034 )
Hide and Seek
 韓国ドラマの最新作、「春ワル」は、2回目を迎えて早くも混沌とした様相を呈しています。前回はウィーンなどヨーロッパでのロケ、出演者も天才ピアニスト、賞をもらった工芸デザイナー、音楽プロデューサーなど、まさにあこがれの対象の職業、ほとんど「トレンディドラマ(死語)」のような煌びやかさを持ったものでした。しかし、それが一転して、舞台は辺鄙な離島、詐欺師の父親に連れてこられた男の子にしても、その初恋の相手となる島の女の子にしても、とことん田舎っぽい顔で洗練のかけらもありません。名前も、女の子はファーストネームが同じですから、将来ウィーンへ行くことになる工芸デザイナーであろうことは予測が付きますが、男の子の方は全然関係のない名前ですから、一体どういうつながりなのかとんと見当が付かないことになります。情報によれば、この可愛くないガキが、あのイケメンピアニストの少年時代なのだとか。本当かよ、という感じ、これが韓国ドラマのやり方なのでしょう。
c0039487_14205585.jpg
 やはり、子役は可愛い方がいいに決まっています。あのダコタ・ファニングちゃんも少しずつ「成長」してきてはいますが、まだまだ魅力はあります。おととしの作品「ハイド・アンド・シーク-暗闇のかくれんぼ-」をWOWOWでやっていたので、これを見逃す手はありません。ロバート・デ・ニーロとの共演、親子、というのはかなり無理のある設定ですが、さすが名優デ・ニーロ、なんの不自然さも感じさせない外観です。お目当てのファニングちゃん、母親が「自殺」した現場を目撃したために、心に傷を負ってしまったかに見えます。その演技がとても素晴らしいものでした。決して笑顔を見せようとしないその表情は、背筋が凍り付くような恐怖心さえ抱かせるもの。しかし、ほんのちょっとでも心を開くような時に見せる曖昧な表情の中では、この物語の結末をなんと雄弁に語っていることでしょう。まだしばらくは、彼女のファンでいられるに違いありません。
 これはとんでもないどんでん返しが待っている物語ですから、もちろんネタバレは御法度、しかし、このようなものを見慣れている私にとっては、そんな練りに練られたプロットなどとっくにお見通しです。半分ぐらい過ぎたところで、「真犯人」は分かってしまいました。「シークレット・ウィンドウ」と同じ仕掛けですね(それが、ネタバレなんだって)。
c0039487_14211211.jpg
 実は、ジョニー・デップ主演のその映画のことは、今思い出したところです。ですから、直接その謎解きのヒントになったものは別にありました。それは、ほんのちょっと前に読み終わったばかりの「幸福の軛(くびき)」という、清水義範の小説(幻冬舎文庫)です。こちらは中学校の「いじめ」に端を発した殺人事件を、教育コンサルタントが解決のために奔走する、というお話ですが、その結末がこの作家からは全く予想できないような悲惨なものだったので、とてもショックを受けたものなのですよ。つまり、ここでの「真犯人」の設定が、この映画とそっくりだったので、私には先が読めた、ということなのです。でもこの小説、その中ではとても美しい「愛」が描かれているのですが、それが美しいだけ、その果ての辛すぎる仕打ちには、何ともやりきれない気持ちになってしまいました。どんな形であれ、読者に、そして観衆に心の波を起こさせることが出来れば、それは優れた作品の持つ「力」のせいなのでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-15 20:37 | 禁断 | Comments(0)
Nodame Cantabile
c0039487_14215518.jpg  








「のだめカンタービレ」の最新号、第16巻が発売されました。今回も前回同様おまけ付きのプレミアム仕様があるそうですが(今度はシャーペン)私が興味があるのは作品としての「のだめ」だけですから、そんなものは付いていない普通のバージョンを買ったのは言うまでもありません。
 最近、フランスが舞台になってからは、何か話に勢いがなくなってきたような感じがありましたが、この巻ではかなり昔のテンションが戻ってきたようです。オーディションも終わり、新しいメンバーを加えてのリハーサル、千秋のねちっこい練習も終わって、いよいよ常任指揮者就任として最初の定期演奏会も、大成功のようで(メインのニールセンは次巻まわしですが)まずはおめでとうございます。これから先のレパートリーの伏線も登場、音楽的にもますます深みが出てきそうな予感です。
 ストーリーが好調だと、ギャグも決まってきます。ポスター用の写真を選んでいるところも素敵でしたが、ポスターをそのままポケットティッシュにしてしまうのなどは、もう大笑いでしたよ。
 さて、恒例のあら探しです。別に、こんなことはどうでもいいのですがついつい目が「間違い」に行ってしまうのは私の性ですから、おつきあい下さい。今回は表紙がマリンバ、ちょっと体に隠れてはっきりは分かりませんが、5オクターブぐらいはありそうな楽器ですね。ご存じの通り、マリンバの鍵盤はピアノなどの鍵盤と同じ並び方をしています。「白鍵」に相当するものは手前、「黒鍵」は向こう側、従って、その奥の鍵盤はところどころ間が抜けていますね。つまり、1オクターブ(ドからシ)の中に手前の鍵盤は7枚、奥の鍵盤は5枚入ることになります。その分、間が空くわけですね。
 さて、私の悪い癖は、こういう鍵盤の絵を見るとついその数を数えてしまうこと。大昔のことですが、さる楽器メーカーの領収書のまわりに書いてある鍵盤の模様がとんでもないインチキだったのを発見してから、味を占めたのでしょうね。このマリンバの鍵盤も、一目見るなりプロポーションに無理があることが分かりました。
c0039487_1422193.jpg
 オクターブの中の鍵盤を、白鍵はブルー、黒鍵はピンクの矢印でくくってみました。どうでしょう。上に行くにしたがって、見事にずれていきますよね。2オクターブ目あたりから白鍵の幅がはっきり狭くなっていますから、それが敗因でしょう。さらにもう一つ、黒鍵の並び方は2枚、3枚の順になるべきものが、4オクターブ目では3枚のグループが先に来てませんか?
 これは、「改訂版」が出ることはあるのでしょうか。

[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-13 20:51 | 禁断 | Comments(0)
Sendai Classic Festival 2006
 ブログ版の「おやぢ」、最近は確実にアクセス数が増えているという感触があります。ごくたまにですが、瞬間的に300/日などというすごい数字が出たりして、「ウソだろう」とびっくりすることもあったりします。前後の流れから、ちょっとこんな数字はまずあり得ません。ただ、ここで確認できるのは単なる1日あたりのアクセス数だけ、しかし、もっと詳しいアクセス解析も、別の登録をすれば可能になる、という表示が、最近目につくようになってきました。そこで、どれほどの「解析」が出来るのか、という興味があって、その「登録」とやらを行うことにしてみましたよ。実際には、「アクセス解析」と言うにはほど遠いちゃちなものでしたが、それでもリンク先のプロヴァイダぐらいは分かります。そして、日々のアクセスが、今までの3倍近くになっています。これはつまり、単なる表示の違いなのですが、今までのは「ユニーク・アクセス」という、一人の人が何回アクセスしても「1回」としかカウントしない、実質的なアクセス数なのに対し、今回のものは無制限にカウントする「トータル・アクセス」だという違いなのです。そうなると、毎日常に3桁の数字が計上されることになりますから、これはなかなか気持ちのいいものですね。ですから、さっきのあり得ない数字というのは、おそらくこの「トータル」の分が流れ出してしまった結果なのでしょう。
c0039487_1423294.jpg
 そんな自己満足に浸っている間、この連休の3日間、「仙台クラシックフェスティバル」というものが開催されていました。地下鉄沿線の青年文化センターと楽楽楽ホールを中心に、クラシック音楽を親しみやすい形で提供しようという、どこかで聞いたことのあるような企画です。「せんくら」という、何とも力の抜けるような略称を最初から連呼して、ひたすら市民の中に浸透したような錯覚を植えつけようとした努力の甲斐があったのか、なかったのか、私には知るよしもありませんが、とりあえずきのう、一つのコンサートに行ってきました。
 一つのコンサートは休憩なし、45分で終わるようになっています。その2人の歌手によるリサイタルは、出演者が自らMCを行ったり、曲目もよく知られている歌ばかり、あっという間に終わってしまったような印象があります。普段2時間近くのコンサートを普通に経験している身には、いかにも中途半端な感じは避けられませんでした。こういうのが「初心者」に対する配慮なのかどうかは、私には分かりません。ただ、開場が開演の15分前というのは、いかにも遅すぎます。これではゆっくりトイレに行っている暇もありませんし、そもそも開場前の狭いロビーの混みようといったら、ひどいものでしたから。多くの出演者を同じ会場で演奏させるのですから、当然リハーサルの時間も取らなければいけないのでしょうね。その結果、何とも慌ただしいコンサートが出来上がりました。やはり「クラシック」にはジックリと落ち着いて接したいというのが、正直な感想です。
 もう1点、受付でプログラムのようなものをもらえるのだと思ったら、何も渡されませんでした。ただ、会場にはそれらしきものを持っている人もいるので、ロビーに出てみたらテーブルの上に山積みになっていて、ほしい人は勝手にもっていくということのようでした。これもすごく不親切、他の会場で入手している人もいるので、あえて渡さなかったのでしょうが、せめてこういうものがあるということのアナウンスぐらいあっても良かったのでは、と、思ってしまいました。あと、あのスタッフが着ていたダサいベストは、ぜひとも来年はやめてもらいたいものです。私としてはヤンキーっぽいハッピなんか、インパクトがあって良いのではないかと思うのですが。顔にペイントをしたりして(それは、同じ時期にやっている「ヨサコイ」のコスチューム)。
 もう自分の出番の終わったヘルムート・ドイッチュが、すぐ前の席に奥様と一緒に座っていたのを見られたのが、最大の収穫だったでしょうか。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-09 20:34 | 禁断 | Comments(0)
The Lake House
c0039487_142458.jpg
 「イルマーレ」を見てきました。アメリカ映画ですから「原題」というのがありますが、それが「Il Mare」ではなく、「The Lake House」だというのが面白いところ。実は、この邦題は、映画の中に出てくるレストランの名前だというのが、真ん中辺で分かるのですが、わざわざそれを邦題にしたセンスはなかなかのもの、そのレストランでの出来事がこの物語の一つのクライマックスになっているのですから、きちんと意味を持っているわけです。と、思ったところ、これを書く前にネットを調べてみたら、全然別の事実が分かって、ちょっとがっかりです。この作品は、実は韓国映画をリメイクしたものだったのですね。で、その韓国映画のタイトルが「イルマーレ」だったのです。それならば、日本でも知名度があるはずのこの韓国映画にあやかってこういう邦題を付けたのも当然のことでしょう。ただ、こちらの方にはレストランは出てこないで、ハリウッド版の題名の「湖の家」の名前が「イルマーレ」というのだとか、なんだか混乱してきます。
 あの「スピード」で共演したキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが出演しているということで、物語としては十分楽しめるものになるだろうという予想はありました。その話の骨格も、何度も予告編で知っていましたから、(あ、これからは大幅にネタバレが披露されますから、知りたくない人は読まない方が)それをどれだけ納得させられる形で伝えてくれるかという点に、期待を抱くことになるわけです。この設定、作品の成り立ちを知ってしまえばいかにも「韓国的」だと気がします。なにしろ、家の前のメールボックスを介して2年の時間を隔てた男女が文通をして心を通わせるというのですからね。ハリウッドだったら、もう少し「合理的」な設定を考えたことでしょう。そういう大きな枠組みの上にさらにカットバックが入って時間が前後しますから、見ている途中で一体今の場面はいつのことなのか、分からなくなってしまうことがたびたびでしたよ。しかも、ただ別の時間の中同士だけではなく、その2人が実際に会ったりするのですから、話がややこしくなります。最初に会う場面、彼女が彼に「2年前のことだと証明して」と言って、駅に本を忘れたことを伝えると、彼がそれを見つけて、彼女に渡そうとするのですが、その時には彼女には彼の姿が見えないということになっています。パラドックスですからね、これは妥当な扱いです。しかし、次にパーティーに呼ばれて彼女の家に行くときには、そんな配慮もなく、実際に抱き合ったりしているのですから、ちょっと一貫性に欠けていると思ってしまいます。つまり、彼はあくまで手紙で未来の情報を得ているだけで、2年前には実際に会うことも出来るということなのでしょうね。何とややこしい。
 そして、さっきのクライマックス、レストランでの待ち合わせです。彼女は明日、彼は2年後の明日に会うことを約束します。しかし、いくら待っても彼が現れないので、約束を破られたと、彼女はもう彼との文通をやめてしまいます。しかし、彼には、交通事故で死んでしまったため会いに来ることが出来なかったのだという事実が、しばらくして明らかになります。何という悲しい結末なのでしょう。ちょっとハリウッドらしくない、辛口のエンディングですね(かな?)。ただ、この「事故」の扱い、たまたま目の前でこの事故に遭遇して、救急車を呼んだのが、サンドラ・ブロック。彼女は医者ですから、この後治療にも関わっているのでしょうね。しかし、彼女はその前に彼に会っているのですよね。キスまでしています。それが、誰だか分からなかったというのは謎です。
 クリストファー・プラマーがいい味を出していましたね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-07 20:45 | 禁断 | Comments(0)
Turandot
c0039487_14245112.jpg
 このところコンサート(コンクールもそうでしょう)が続いていますが、今晩は待望の「トゥーランドット」に行ってきました。まさかこのオペラを仙台で聴くことが出来ようとは、ちょっと前までは想像も出来なかったのですが、これも「イナバウアー」効果、すごいものです。チケットも売り出しと同時に売り切れたと言いますから、ほんと、何が人気につながるのか分かりません。私自身は、このオペラを映像で見ることが出来たのはつい最近のことですから、「あの事件」が起こる前は、本当に私の中でもマイナーな存在だったことになります。
 今回は、ウクライナの歌劇場の引っ越し公演です。「アイーダ」との二本立て(あ、もちろん、1日に二本演奏するというわけではありませんよ)で、2ヶ月にわたってほぼ毎日全国をまわるという大がかりなものです。当然プログラムにはダブル、あるいはトリプルのキャストが記載されていますから、今日は誰が出演するのかというキャスト表が普通はロビーに貼り出されています。しかし、それがどこにも見当たらないので、係員に聞いてみたら、「エージェントから連絡が入っていないので、私どもにも分かりません」という答えでした。そんなことはあり得ないと思いつつも、これ以上問いつめても埒があかないと客席に入ります。と、舞台袖に置いてある字幕スーパーのディスプレイで、「本日の出演者」ということで、順番に表示しているではありませんか。何といういい加減な主催者(河北新報社)なのでしょう。
 オーケストラは、ファーストヴァイオリンが10人という編成。木管は3管、それに打楽器がたくさん入りますから、ちょっと物足りないのでは、と思ったのですが、これがなかなかのものでした。一人一人がかなり大きな音を出しているのでしょうね。金管がフルで吹いているときでも決して弦が隠れるようなことはありませんでしたし、プッチーニ特有の沢山のパートに分かれた、まるでムードミュージックのような華麗なサウンドが、存分に響き渡っていました。ちょっと変わっていたのは木管の並び方、舞台よりに1列になって並んでいます。ですから、トップが真ん中に固まることが出来なくて、フルートとオーボエは隣にいましたが、コールアングレの隣がクラリネットの1番、バスクラの隣がファゴットの1番という変なことになっていました。
 歌手では、誰しもお目当てのはずのカラフが、見事に外れ、とても甘い声なのですが、全然聞こえてきません。ですから、3幕頭の「Nessun dorma」でも、指揮者はいともサラッと演奏させていました。トゥーランドットは良く通る声でしたから、この2人のデュエットはちょっと悲惨でしたね。一番良かったのはリューでした。透き通るような声で、清楚さ、ひたむきさが良く伝わってくる素晴らしい演奏でした。「リューの死」の場面では、思わずホロッとしてしまいましたよ。あと、合唱が60人という大人数で、迫力のあるものを聴かせてくれていました。こんな人数でやってきたのは、初めてのことです。
 もちろん、アルファーノ版ですから、最後は思い切り盛り上がって終わります。カーテンコールはまさに万雷の拍手、1階席では何とスタンディングになっている人もいましたよ。やはり生はいいものです。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-05 23:20 | 禁断 | Comments(0)
O Crux
 とても良いお天気の日曜日でしたが、私は1日中暗い屋内にいました。朝の11時から夜の6時半まで、ずっと座り詰めで合唱を聴くというものすごい事をやっていたのです。はっきり言って疲れましたが、しかし、かなり楽しい体験でしたよ。
 今、合唱のコンクールが全国で行われていますが、その東北予選が今年は宮城県の番、名取の文化会館で開催されているのです。おとといから始まって今日が3日目、大学、職場、一般の部門が行われます。宮城県予選ならともかく、東北予選ともなるとかなりのハイレベルの演奏が聴ける事は分かっていましたし、ちょっとした知り合いも出るということなので、いっそのこと全部聴いてしまおうと、朝早くから名取へと向かうのでした。ちょっと前に「大人のコンクール」に関しては否定的な事を書いたのですが、それはあくまで出る側の理論、聴く分には、これほど面白いものもありませんからね。
 途中少し寄り道をしたので、会場に着いた時には大学の部の最後の団体の演奏中でした。もちろん、ホールの入り口にはしっかり高校生のスタッフが控えていて、中に入ることは出来ないようになっています。なにしろ沢山の参加団体ですから、前の団体が退場するのと同時に次の団体が入場するという段取り、その間に、ロビーで待っているお客さんは中に入ることになります。ですから、演奏の合間にトイレに行くことなどは不可能、もし、どうしても行かなければならないような事態になったときには、1つの団体の演奏を聴くことをあきらめなければならないという、過密なスケジュールが組まれているのです。
 ホールの中は、あまりお客さんは入っていません。というか、厳密な意味での私のような「お客さん」は殆どいなくて、出演者とかその縁者が大部分、何ともったいないことでしょう。たった1000円の入場料で、これだけ充実した演奏が聴けるというのに。そうなのです。まあ、中にはどうして県予選を通過できたのかとても理解できないという不思議な団体もあるにはありましたが、おおむね県代表にふさわしいとても素晴らしい演奏を披露してくれていたのですからね。コンクールの常で、出場者は「課題曲」と「自由曲」を歌わなければなりません。その課題曲というのが、男声、女声、混声とも、それぞれすでにある曲から4曲ずつ指定されていて、その中から1曲を選ぶようになっています。そして、自由曲はもちろん自由、持ち時間を精一杯使って、2曲演奏するところもありました。その選曲というのが、最近の傾向なのでしょうか、まさに新鮮な曲のオンパレードなのですよ。私も珍しい作曲家のCDを良く買ってきて、そのレビューを書いたりしていますが、そんな、CDで聴いたことはあっても生ではまだ聴けていなかったものが、どんどんここでは演奏されていたのですから、嬉しくなってしまいました。マンテュヤルヴィ、ウィテカー、ニューステットといった、合唱ファン以外にはほとんど知られていない人たちの作品ですね。
 予想通り、演奏のレベルも大変高いものでした。特に若いメンバーの多い団体など、全員暗譜して曲を本当に自分たちのものにしている人たちのものは、とても密度の濃いものを感じることが出来ました。しかし、かつてはコンクールに毎回優勝していたような有名な団体が、ここで聴くとかなりくたびれた演奏をしているのにも気づかされます。こういうものを目にすると、末廣さんではありませんが、ある程度の成果を挙げたのであれば、もはやコンクールは「引退」するというのが、本来のあるべき姿なのでは、などと感じてしまいます。もっと生き生きとした団体が、それこそコンクールをきっかけにさらにレベルの高いものへ育っていける場を提供するのが、本当の「大人」なのではないのか、とも思うのですが、どうでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-10-01 22:17 | 禁断 | Comments(0)
BS fan
 この前「おやぢ」に書いたグラインドボーンの「ジューリア・チェーザレ」、BSのハイビジョンで放送していましたね。いつも言ってますが、このように受信装置さえあれば誰でも無料で見る事が出来るものを、DVDというパッケージで「買う」というのは、どうも釈然としません。しかも、この曲の場合、DVDには無かった日本語の字幕が放送では付いているのですからね。もちろん映像はハイビジョン。その方式に対応したテレビさえあれば、DVDなど比較にならない解像度の高い画面を楽しむ事が出来るというものです。全く、どれをとっても良い事ずくめ、DVDにはとても勝ち目がないように思えてしまいます。
 私も、すでにDVDは買ってしまっていたのですが、日本語字幕の魅力に惹かれて、録画をしておきました。それと、字幕以外にも確認したい事もありましたし。それは、やはりあのDVDを聴いたときに書いた、ソプラノ歌手の事です。クレオパトラを演じた若いソプラノの名前を日本語で表記するときにどのようにするのかという問題、私の中ではすでに解答は出てはいたのですが、それを天下のNHKがどのように扱うかに、興味があったのです。ご存じのように、この放送局は外国人の表記に関してはとても一般には通用しないような奇妙なものを、頑なに使い続けるという事を今までずっとやってきていました。さすがに、最近では「アバド」と言うようになりましたが、それまでは誰が何と言っても「アッバード」でしたからね。このソプラノでも、毎月発行されている番組案内誌には「ダニエレ・デ・ニエーゼ」という、今となっては誰もが間違った表記である事を知っているものが堂々と掲載されていたのですから、「やっぱり」と思ってしまったわけです。ですから、それを放送の中で実際に確かめたかったのです。
 ところが、その、DVDには入っていない、日本語だけのクレジットが流れ始めたとき、私は驚いてしまいました。そのソプラノの名前が「ダニエル・デ・ニース」となっていたではありませんか。これには感激です。雑誌発表の時点では明らかに「デ・ニエーゼ」だったものが、どういう理由によるのかは分かりませんが、放送時には「デ・ニース」と、きちんと訂正されていたのですからね。担当者が、たまたまDVDのエクストラを見て間違いに気が付いたのかもしれませんね。しかし、私あたりは、このサイトを見て訂正した可能性もないわけではないのでは、と、我田引水の推測をして楽しんでいるところです。
 そんなところで満足してしまいましたから、あとは一度見たものですので適当に聴き流していたのですが、しばらくしてなんだか様子がおかしいのに気づきました。音声と映像が少しずれているのです。正確には音声が少し遅れていて、口を開けてちょっと立ってから歌が聞こえるという状態、ほんのわずかなズレですが、それはとても気になるものでした。というか、DVDを見ていたときにはそんな事は全く気づきもしませんでしたよ。そこでもう一度DVDを見直してみると、それは完璧にシンクロされたもの、気づかなくて当然です。実は、こういう事はこういう外国の放送局から送られてきたものを放送するときには少なからず起こっていたのは、ずっと前から気づいていました。そして、それが、音声と映像が全く別のルートで(片方は海底ケーブルで、片方は通信衛星とか)送られてくるために、避けられないものである事も知っていました。しかし、楽器の演奏ならともかく、オペラでのこのタイムラグは、我慢の出来ない程見苦しいもの、それに気づいてからは、とても続けて見る気にはなれませんでしたよ。
 これが、「放送」の実体なのでしょうか。きちんとシンクロしたものを見たかったら、商品としてのDVDを買えと。もちろん、わざとそんな事をやっているなんて思ったりはしませんがね。しかし、大画面でこの「口パク」を見たら、さぞ間抜けなことでしょうね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-09-30 20:54 | 禁断 | Comments(0)
Blue Rondo a la Turk
c0039487_14252375.jpg
 「ブラスト」、行ってきました。正確には、「ブラスト2なんたらミックス」というもの、今までは金管しか入っていなかったものが、今回は木管も入っているのだとか。去年、その本家「ブラスト」が来たときには、発売日に買いに行ってもすでに売り切れていたという苦い経験がありましたから、今年こそはと朝一で買いに行ったものです。しかし、何だかいつまでも売れ残っている感じ、今日も当日券が売られているみたいですし、もはや「ブラスト」熱は冷めたのでしょうか。あるいは「2」だから敬遠されたとか。
 しかし、前もってビデオで見ていたので、ある程度の予想はしてはいたのですが、その「ショー」としての完成度は驚くべきものがありました。なにしろ、開演前の陰アナからしてひねりがきいています。「携帯電話を使用中のお客さんを見つけたら、毛むくじゃらのお兄さんが連れ出しますのでご了承下さい」とかね。実は、これはショーの中身の伏線にもなっていたのですから、念が入ってます。それと、休憩時間と終演後にロビーでなにやらパフォーマンスがあるような事を言っていましたが、それも、「体力に自身のない方は、近づかないで下さい」などと、すごく気になる言い方をするじゃないですか。これでは、ぜひとも休憩時間には真っ先にロビーに出たくなってしまいますよ。
 その「ショー」ですが、普段ミュージカルなどを見慣れていても「凄い」と思わざるを得ないようなものでしたよ。あちらは歌って踊れればいいのですが(それでも十分大変です)、ここでは楽器を演奏しなければいけないのですからね。「春の祭典」をブラスの編曲で演奏する事がどれほど大変な事を知っている私は、その上に一人一人のミュージシャンが完璧なダンスを披露しているのを見て、思わず脱帽するのでした(この曲の頭のリリコーンは、ちょっとお粗末でしたが)。
 私の楽器、フルートも大活躍でしたね。オープニングの次にいきなりフルートアンサンブルで、小気味よい変拍子の曲を演奏したときには、聴き慣れた金管の響きとはちょっと違和感があった気がしたのですが、おそらくここあたりが「2」としての新機軸だったのでしょう。リーダー格の黒人プレーヤーは、ちょっと雑ですが(無理はありませんが)確かなテクニックで、その後にたびたび出てくるしっとりとした場面でも聴かせてくれていました。しかもこの方、フルートでの出番がないときには、チューバも吹いていたのですから驚きです。
 休憩時間には、パフォーマンスが行われるコーナーの前は、すぐ人でいっぱいになってしまいました。係員が必死で「床に座って下さい」とかがなり立てています。しばらくして出てきたのは金管五重奏+ドラムスという編成、MCとして、楽器は吹かないけれど、バトントワリングで思い切り目立っていた日本人のメンバーも参加しています。そこで、間近に楽器を見ると、やはりピンマイクとトランスミッターがくっついています。床の上のマイクでこれだけ拾えるはずはないと思っていましたが、これなら納得です。ただ、フルートは、楽器には何も付けていないように見えました。これは、一番最後、メンバーが全員観客席を通り抜けていくときにたまたま彼がすぐそばを通ったので、首の横にマイクがあるのが分かりました。これでは、遠くからでは見えません。
 そのエンディングは、トロンボーンがソロで気持ちよさそうに吹いていると、客席で携帯の着信音がする、というネタでした。あれだけ「電源を切れ」とやかましく言ってたのは、これだったのですね。本物の携帯が鳴ってしまったのでは、しゃれになりません。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-09-28 22:48 | 禁断 | Comments(0)
Maestro
c0039487_14255329.jpg
 篠田節子の原作による「マエストロ」というドラマを、WOWOWの2時間枠でやっていました。コアな篠田ファンだったら、もしかしたらこのタイトルにはあまり馴染みがないかも知れません。それもそのはず、もともと1992年に出版されたときには「変身」というタイトルだったからです。それを大幅に書き直して、昨年文庫本として刊行されたときに、タイトルも「マエストロ」と変わったのだとか。クラシック音楽を扱ったものでは、二ノ宮知子など足元にも及ばないリアリティを表現することが出来る彼女のことですから、そのドラマとなれば大いに楽しみになるのは当然です。
 原作はどちらも読んだことはありませんから、それがドラマになったときにどれだけ削られ、あるいは付け加えられたのかは知りようがありませんが、明らかに沢山の要素を詰め込みすぎて消化不良を起こしているのでは、という感じはありました。2時間で完結させるためにはもう少し刈り込んだ方が良かったのでしょう。ただ、とにかく魅力的なエピソードがたくさんあって、どれを削るべきかといわれれば、私でも判断はつかないはずです。
 主役のヴァイオリニストは観月ありさ、これはどうにもならないことですが、やはり「右手」は見るからにシロート、ピアノあたりですと一生懸命練習すればある程度はサマになりますが、こればっかりはどうしようもありません。ですから、そういう点に関してのリアリティは、最初から放棄して臨まざるを得ません。しかし、例えばかつてのライバルと一緒に演奏しているシーンでは、それぞれのキャラクターの違いが、誰にでも分かるほどの分かりやすさで弾き分けられていたのはさすが。
 という程度の、まずまずの「考証」に基づいたドラマ、物語としては多少無理がなくはありませんが、偽ヴァイオリンをつかまされたあとの迫力は見物でしたね。このネタは、明らかにあの有名な○野氏の実話に基づいているのでしょう。もはや大昔の話ですから、今となってはスキャンダルがらみの生々しさはすっかりなくなったという、作者の判断なのでしょうか。
 一番楽しめたのは、やはりヴァイオリンの修復の話でした。それと、イタリアのオールドだと思って素晴らしい音に夢中になっていたのに、それが日本人の最近の作品だと分かったときのヴァイオリニストのリアクション。これこそが、この世界の「リアリティ」を最もあらわしているエピソードではなかったでしょうかね。物語としては、最後のシーンが最も重要なものになるはずだったのでしょうが、そこがあまりにも雑な作りになっていたのが、残念でした。
 この主人公のヴァイオリニスト、一度もコンクールで優勝していなかったことを、大きなコンプレックスとして抱えています。修業時代にコンクールで良い成績を修めるというのは、演奏家としてのハクを付けるためには欠くべからざることだというのも、また「リアリティ」です。
 ところで、いつもお馴染み、末廣誠さんの「ストリング」のエッセイの今回のテーマが「コンクール」でした。その中で末廣さんが書かれていることには頷くことばっかりでしたよ。合唱やブラスのコンクールについても言及しているのですが、一番ウケたのは「なんで大人になってもコンクールに出るのだ」というところ。高校生あたりが一つの精進の目標として評価してもらうために出るのは判るけれど、「一般」でそれはないだろうということです。コンクールというのは、キャリアを築くための段階に過ぎないわけで、それ自体を目的にしてしまうのはおかしいというのは、言われてみれば当たり前のことですね。幸い、私が今までに所属していた合唱団は、そんなものとは全く無縁、演奏会だけが目標でした。もちろん、今いるオーケストラでも、誰も「コンクールに出よう」なんて言いません。そもそも、そんなものは存在していませんし。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-09-25 21:18 | 禁断 | Comments(0)
One
 きのうは、劇団四季の「コーラス・ライン」の千秋楽でした。今回は全国をまわる公演、それこそ1回しかやらないようなところもあるので、そういうところは初日=千秋楽ということで、お客さんは2度楽しめるのですが、仙台では11日の連続公演、その両方を味わおうと思ったら、2回行かなければなりません。というわけで、初日に続いてこの日もやってきました。
 普通、千秋楽というと大入り袋とか出るのですが、そういったものは何もありませんでした。やはり今回は「ロングラン」という感覚ではないのでしょうか。しかし、この日は、仙台の最後の日というだけでなく、全国公演の最後の日なのですから、なにかはあっても良いな、と思ったのですが。
 初日の時は3階席、時間ギリギリに飛び込んだので、PAなどは見ている暇がありませんでした。そこで、まず後ろにあるPAブースをのぞきに行きます。しかし、地方公演仕様でしょうか、コンソールなどは椅子の上に乗せてあるだけで、ことさらブースのようなものは設けられてはいませんでした。割とシンプルな、必要最小限のものしかありません。ただ、そのコンソールの脇の椅子の前に、マイクスタンドが立っていて、そこに座った人が話す位置にマイクがセットされています。おそらく、ザックがダンサーたちに質問をしているというシーンでは、加藤さん(キャストは初日と全く同じでした)はここに座って話しているのでしょう。
 席は、初日とはうってかわって、前から4番目という、思い切りステージに近いところです。ところが、ご存じのように県民会館は非常にステージが高くなっていますから、ここからだと「板」が見えません(あ、舞台の床のことです)。ですから、当然「ライン」も見えなくなるわけです。この席だけに座った人は、このミュージカルのタイトルのの意味を一生知ることはないのでしょうね。
 そんな前ですから、さぞPAがうるさいだろうと思っていたら、全然そんなことはなく、楽しめました。特に言葉や歌詞が、やはり3階とは格段の明瞭さで聞こえてきます。そして、ダンスの迫力は、すごいものでした。オープニングから、加藤さんあたりから汗が飛び散っているのが見えますからね。ひとしきり踊り終わって「ライン」に立ったキャストたちは、みんな汗びっしょりでした。
 ご存じ、これはダンサーのオーディションの話ですから、芝居として「下手な」踊りも見せなければなりません。それは、考えてみればとんでもなく難しいことになりますね。「下手さ」を演じるのですから、まずきちんとしたものを完璧に出来なければなりません。その上で、見ている人にいかにも「下手だ」と思わせるように踊るのですから、これは大変なこと、しかし、この人たちは、それを見事にやってくれていました。そんなことが判るのが、前で見たことの収穫でしょう。
 ただ、作品としては、やはり最初に見たときと同じような不満が残りました。まず、休憩なしで2時間半を持たせられるだけの吸引力というものが、完全に不足しています。居眠りすることこそありませんでしたが、途中で緊張が切れてしまって、退屈を誘われる瞬間が何度あったことでしょう。もし私が演出家で、そういう権限を与えられたとしたら、もっと思い切って2、3人のエピソードをまとめてしまうとか、ポールが足を怪我したあとの運びをもっと切りつめるとかしてみますね。今度から。
 拍手のタイミングなどは、初日とは比べものにならないほど自然なものがありましたし、カーテンコールでのスタンディング・オヴェーションでも、誰一人帰ろうとはしないのはちょっとすごいことでした。やはり、「千秋楽」の客層です。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-09-19 20:30 | 禁断 | Comments(0)